元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

2014年の映画ベストテンを気ままに選んでみた。

2014-12-31 07:57:12 | 映画周辺のネタ
 2014年の個人的な映画ベストテンを選出してみた。



日本映画の部

第一位 そこのみにて光輝
第二位 こっぱみじん
第三位 福福荘の福ちゃん
第四位 日々ロック
第五位 百円の恋
第六位 小さいおうち
第七位 夢は牛のお医者さん
第八位 ぼくたちの家族
第九位 WOOD JOB! 神去なあなあ日常
第十位 ジャッジ!



外国映画の部

第一位 罪の手ざわり
第二位 ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅
第三位 ダラス・バイヤーズ・クラブ
第四位 インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌
第五位 her 世界でひとつの彼女
第六位 ぼくを探しに
第七位 ブルージャスミン
第八位 キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー
第九位 郊遊 ピクニック
第十位 マダム・イン・ニューヨーク

 なお、以下の通り各賞も勝手に選んでみた。まずは邦画の部。

監督:呉美保(そこのみにて光輝く)
脚本:藤田容介(福福荘の福ちゃん)
主演男優:綾野剛(そこのみにて光輝く)
主演女優:大島美幸(福福荘の福ちゃん)
助演男優:坂田聡(百円の恋)
助演女優:黒木華(小さいおうち)
音楽:ジム・オルーク(私の男)
撮影:飯岡聖英(こっぱみじん)
新人:門脇麦(シャンティ デイズ 365日、幸せな呼吸)

 次に、洋画の部。

監督:アレクサンダー・ペイン(ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅)
脚本:ジャ・ジャンクー(罪の手ざわり)
主演男優:ランビール・カプール(バルフィ!人生に唄えば)
主演女優:シュリデヴィ(マダム・イン・ニューヨーク)
助演男優:ジャレッド・レト(ダラス・バイヤーズ・クラブ)
助演女優:ヘレン・ハント(セッションズ)
音楽:クリストフ・ベック(アナと雪の女王)
撮影:フェドン・パパマイケル(ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅)
新人:ブリット・マーリング(ザ・イースト)

 さて、以下はついでに選んだワーストテンである(笑)。

邦画ワースト

1.舞妓はレディ
 粗悪な脚本、大根演技、ポンコツ演出と三拍子揃った救いようのない駄作。ミュージカル仕立てなのに作り手に音楽センスがゼロという惨状で、存在価値は皆無。
2.紙の月
3.渇き。
4.TOKYO TRIBE
5.蜩ノ記
6.超高速!参勤交代
7.白ゆき姫殺人事件
8.小野寺の弟・小野寺の姉
9.春を背負って
10.青天の霹靂

洋画ワースト

1.それでも夜は明ける
 題名とは裏腹に、ちっとも“夜は明けない”モヤモヤした展開に終始。どうしてこの程度の映画がアカデミー賞を取れたのか、理解不能である。
2.ウルフ・オブ・ウォールストリート
3.アデル、ブルーは熱い色
4.6才のボクが、大人になるまで。
5.アクト・オブ・キリング
6.エレニの帰郷
7.チョコレートドーナツ
8.ダイバージェント
9.トランセンデンス
10.エージェント:ライアン

 日本映画の企画力の貧困ぶりはどうしようもない。そこそこ名の知れた漫画やお手軽な読み物の映画化、あるいはテレビ番組の拡大版ばかりが目に付く。そこそこ客は入るのだろうが、明らかに“守り”のマーケティングでしかなく、作っていて何が楽しいのかと思ってしまう。中長期的な視点を欠いた運営では、ジリ貧になるのも仕方が無い。

 外国映画に関してはあまりコメントすることは無いが、インド映画の再評価は印象に残った。アメリカ映画一辺倒の興行も、少しは考え直す余地があるとは思う。

 2014年は高倉健や菅原文太などの大物が相次いで世を去ったが、あらためて彼らの存在の大きさを感じずにはいられない。機会があれば、旧作を再チェックしてみたいものだ。
コメント (2)
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「蝿の王」

2014-12-30 06:22:27 | 映画の感想(は行)

 (原題:LORD OF THE FLIES )90年イギリス作品。ウィリアム・ゴールディングが1954年に発表した同名小説の映画化。このジュール・ベルヌの「十五少年漂流記」の悪意あるパロディみたいな原作は、すでに63年にピーター・ブルック監督によって映画化されているが、残念ながら私は未見である。

 近未来の戦争下。少年達が疎開のために乗り込んだ飛行機が敵軍の攻撃により墜落。彼らは南太平洋の無人島に漂着する。取り敢えず理性的な者をリーダーとしてまとまろうとするが、人間性を喪失した連中との内ゲバが勃発し、凄惨な展開になってゆく。

 ハリー・フックの演出は堅実ではあるが、インパクトという点ではやや弱い。例を挙げれば、弱肉強食の考えを抱えて野蛮性を帯びてゆく少年・ジャックの描き方が表面的に過ぎる。原作にあったはずの、少年達のセクシャルな雰囲気も希薄だ。ラストに至っては、あっさりと流していて不満である。

 しかしながら、主人公のラーフの扱い方には作者の“良識”が感じられ、観ていて頷けるものがある。自分がそれまで育ってきた合理的な近代社会を信じ、どんな状況でも社会的な常識を貫こうとする。たぶん、映画の送り手はこの題材のブラックなテイストには与しないのだろう。そんなスタンスが青臭くも好感が持てる(ひょっとしたら、ブルック監督版はダークなタッチが強いのかもしれない)。

 フック監督はデビュー作「キッチン・トト」(88年)で脚光を浴びたが、この「蝿の王」以来その“消息”を聞かない。残念な話だ。なお、フィリップ・サルドによるダイナミックな音楽はとても印象的である。
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「百円の恋」

2014-12-29 07:27:18 | 映画の感想(は行)

 安藤サクラは、やっぱり凄い。全盛期のロバート・デ・ニーロのように肉体を劇中で変化させるという役柄へのアプローチだけではなく、それと共にヒロインの内面が新しい次元にブレイクスルーしていく様子をヴィヴィッドに表現している。こういう力量を持った俳優が存在していることだけでも、日本映画界は捨てたものではないと思わせる。

 主人公の一子は仕事もせず、かといって婚活するわけでもなく、実家の弁当屋で引きこもり同然でダラダラと過ごすだけの、冴えない三十女だ。そんな中、離婚して出戻ってきた妹とケンカしてしまい、ヤケになって家を飛び出す。何とか百円ショップで深夜勤務の職に就いた一子だが、相変わらず無気力な生活を送るばかり。

 ある日、近所のボクシングジムに所属するボクサーの狩野からデートに誘われる。狩野はキャリアこそ長いが、ロクに勝てないまま引退する年齢に差し掛かってしまった。それでもリング上で健闘する彼の姿を見て、突き動かされるように自らもボクシングを始める一子であった。狩野との関係は紆余曲折があるものの、彼女のボクシングのスキルは確実に上がっていく。やがて一子は自分も試合をしたいと思い始める。

 人間、どんなに“自分はこの程度だ”と思い込んでいても、そこから別のステージに上がるきっかけなんて、いくらでも転がっていることを痛感する一作である。もちろん、それを実現させるには人並み以上の努力は必要。しかし、重要なのはそんな精進の必要性だけではなく、チャンスは探せばどこにでも存在しているという事実だ。そんな図式をポジティヴに提示する作者の前向きな姿勢が嬉しい。

 また、一子の奮闘は本人だけではなく、狩野や家族をも鼓舞させる。前向きなパワーは波及効果を生むことを無理なく描いていることもポイントが高い。

 主演の安藤は、開巻当初のブヨブヨの身体を終盤にはシャープなボディに仕上げるプロセスを説得力のある演技で提示していて圧巻。表情や身のこなしも役柄になりきっている。狩野に扮する新井浩文もダメ男を好演。稲川実代子や早織、根岸季衣といった脇の面子も良いが、特にウサン臭い中年男を演じる坂田聡の存在感は見逃せない。

 武正晴の演出は小気味良く、ギャグの振り方も万全だ。ロケ地になった山口県の地方都市の風情も捨てがたく、これは今年度の邦画を代表する快作になりそうだ。
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「テラコッタ・ウォリア」

2014-12-28 06:57:32 | 映画の感想(た行)
 (原題:秦俑)89年中国=香港合作。この映画はとにかくスタッフ&キャストの豪華さに圧倒される。製作総指揮がツイ・ハーク、監督がチン・シュウタン、撮影がウー・ティエンメイ、主演がチャン・イーモウとコン・リー、さらに主題歌をサリー・イップが歌っているというのだから、中国と香港の優秀な映画人をすべて動員したような空前の顔ぶれである。当時は各地のファンタスティック映画祭で話題になり、香港では空前の観客を集めたという大作だ。

 古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士をかたどった兵馬俑として葬られた男が、二千年の時を越えて現代に転生したかつての恋人に会うために動き出すという物語。中国のスタッフが多いとはいえ、これはもう完全な香港映画のノリである。



 前半の秦の始皇帝の時代を描く部分はもろ「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」。チャン・イーモウ監督作品ではあまり目立たなかったコン・リーの古風な美しさが十分に発揮され、特に主人公に不老不死の薬を口移しで飲ませ、自分は炎の中に消えていく、という官能的なクライマックスは、「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」のジョイ・ウォンもかくやと思わせるヒロインぶりで、堪能させられた。

 ところが、舞台が近代になる後半部分はなぜか居心地の悪い印象を受ける。前半と違って予算不足のためか、蘇った主人公が完全に浮いている。どうやら「レイダース」の線を狙っているらしいことがわかるが、演出がタルいため、あまり盛り上がらない。チャン・イーモウはこういう映画の主役には向いていないとつくづく思った。ルックスも冴えないし(失礼?)何よりアクションのキレが悪い。ここはやはり香港映画のアクション・スターをメインにすべきであった。豪華なスタッフが映画の出来には直接結びつかない例の典型だろう。

 それにしても日本に不老長寿の薬があるとは、いったいどういう理由でそういう伝説が出来たのだろうか(ラストシーンもそういう設定になっている)。映画の中身よりそっちの方に興味を持った。
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「日々ロック」

2014-12-27 06:32:08 | 映画の感想(は行)

 観ていて嬉しくなってしまった。この監督、音楽が分かっている。音楽を題材にした日本映画でサマになっているものは滅多に無いが、本作は数少ないその中の一本で、存在価値は大いにあると言えよう。

 主人公の日々沼拓郎は、勉強もスポーツも苦手で、もちろん女子にはモテないヘタレな高校生だった。ただロックへの愛だけは人一倍で、仲間二人と共に“ザ・ロックンロールブラザーズ”を結成。卒業後、成功を夢見て上京する。しかし現実は甘くなく、場末のライブハウスに住み込み、ガラの悪いオーナーにドヤされながら、閑散とした客席の前で演奏するしか無い毎日を送っていた。

 そんなある日、拓郎たちのステージに酔っぱらった若い女が乱入する。勝手にギターとマイクを奪って熱唱し、アッという間に観客のハートを掴んでしまった彼女は、実はオーナーの姪であり超人気アイドルの宇田川咲だ。咲は拓郎たちを罵倒しながらも評価し、自分のために曲を書いてくれと言う。だが、彼女は人には明かせない秘密を抱えていた。

 同名漫画(現在も連載中)の映画化で、展開もキャラクター設定も御都合主義ながら、監督の入江悠の音楽に対する造詣の深さが作品のヴォルテージを押し上げている。人気ヴィジュアル系バンドの挑発を受けた“ザ・ロックンロールブラザーズ”が開き直って一発ブチかますシーンの盛り上がりは、ただ事では無い。まさにスクリーンに引き込まれるような高揚感を味わえる。

 そして咲のステージングの素晴らしさ。観ているこちらもペンライトを思いっきり振りたくなるような(笑)、陶然と酔いしれる時間を共有出来る。さらに終盤“ザ・ロックンロールブラザーズ”が決死のゲリラ的ライヴを敢行する場面に至っては、目頭が熱くなってしまった。たかが音楽、されど音楽、それにのめり込んだ者達のがむしゃらな生き様を活写したこの映画は、個人的には今年度の邦画の収穫だと思う。

 ノッてくると全裸になるというメチャクチャな性格の拓郎をテンションMAXで演じた野村周平には感心するが、やっぱり印象的なのは咲に扮した二階堂ふみだ。大酒飲みで乱暴者という設定ながら、アイドル歌手にしか見えない可憐さもしっかり表現している。この若手女優の実力を改めて思い知った。毬谷友子や竹中直人、蛭子能収といったベテランから前野朋哉や岡本啓佑、喜多陽子らの若手までシッカリと役にハマった仕事をさせているのはエライ。

 銘菓“ひよこ”や咲の携帯電話の着メロ(なぜか「男はつらいよ」のテーマ)などの小道具の扱い方も抜かりは無く、もちろん楽曲のレベルの高さも保証付きで、とにかく音楽好きならば無条件で奨めたいシャシンである。
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「恐怖の報酬」

2014-12-26 06:48:27 | 映画の感想(か行)

 (原題:Sorcerer)77年作品。1953年にフランスで作られたサスペンス映画の傑作をハリウッドでリメイクしたものだ。アメリカ映画がヨソの国の作品を再映画化した例は枚挙に暇が無いが、大半がオリジナル版に及ばない出来映えである。本作も同様で、しかも元ネタが良く知られているだけに、その“落差”は相当なものだ。

 ジャングルに囲まれた南米の小さな街ポルベニールは、犯罪者や食い詰めてヨソから流れ着いた連中で溢れていた。ある日、そこから300キロほど離れた油田で爆発事故が起き、大火災が発生する。石油会社の支配人は鎮火させるには爆風で炎を吹き消すしかないと判断するが、一番近いポルベニールには少しの衝撃で爆発する生のニトログリセリンしかない。

 そこで石油会社は多額の報酬を条件に、ニトロ運搬の希望者を募集。脛に傷のある4人の男が志願し、ニトロを積んだ2台のトラックで現場へと向かう。しかし、行く手には数々の難関が立ちはだかっていた。

 設定もストーリー展開もオリジナルとほぼ一緒ながら、緊張感や重量感は天と地ほどの違いがある。53年版がモノクロであった点を勘案しても、この映画の手応えの無さには脱力してしまう。とにかく、見せ方が平板だ。盛り上がるはずの箇所は段取りが悪く、カメラも腰高で、画面には奥行きも無く、大したインパクトも付与出来ないまま流れていくだけ。ラストだけはオリジナルと違うが、それによって何か得るものがあったのかというと、まるでなし。

 主人公にはロイ・シャイダーが扮しているが、精彩に欠ける。他の3人に至ってはコメントする気にもならない。監督はこの頃ヒット作「エクソシスト」を手掛けた後で好調だったと思われていたウィリアム・フリードキンだが、おそらく彼のフィルモグラフィの中では最低の出来だろう。タンジェリン・ドリームやキース・ジャレット等のナンバーを集めた音楽も、あまり効果を上げていない。
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「チェイス!」

2014-12-22 06:45:33 | 映画の感想(た行)

 (原題:DHOOM:3 )見かけは派手だが、大して面白くもない。理由は、全編アメリカでのロケにより外観が“インド性娯楽映画らしい野趣”が希薄になっているにも関わらず、作劇のスタイルは従来通りである点だ。そして、国内公開版とは違う短縮版であることも、不満が残る原因だろう。

 シカゴでインド式サーカス団を率いて人気を博しているサーヒルは、銀行強盗という裏の顔を持っていた。先代の団長であった彼の父親は、かつて銀行から融資を受けられずに命を絶っている。サーヒルの所業は、その復讐であった。現場に残された手掛かりにより犯人をインド系と断定したシカゴ市警は、ムンバイから敏腕刑事ジャイとその相棒アリを招き、捜査にあたらせる。対してサーヒルは大胆にも自分からジャイの前に現れ、逆にトリックを仕掛けるのであった。

 たかがヒンディー語で書かれた犯行声明ぐらいで犯人をインド人と決めつけ、警察がわざわざ本国から捜査員を招へいするなんてことは有り得ない。サーヒルの手口を具体的に描いていないことも不満だし、そもそも主人公のターゲットが(父親の死を招いた)特定の銀行だけという、私怨に基づいた動機なのであまり感情移入出来ないのが痛い。

 邦題が示すように、バイクによるチェイス・シーンは賑々しく盛り上げている。ただ、不必要に長い。公道での追っかけだけならばともかく、ロープを伝ってビルからビルに移動したり、バイクが水上を滑走するためにトランスフォームしたり、果ては水中にも活躍の場(?)を広げるに至っては、活劇を堪能する以前に呆れてしまう。しかも、終盤には不用意に場面が飛んでしまう不手際もあり、観る側としてはテンションが下がってしまう。

 ならばインド映画得意のミュージカルシーンはどうかというと、良く出来ているとは思う。サウンドやアレンジもスタイリッシュにまとめている。しかし、大半がサーカス団の出し物として展開されており、映画的な広がりには欠ける。

 いろいろと欠点を述べたが、もしも本作が従来通りインドで撮影されていたならばそれほどの違和感は覚えなかっただろう。ヘタに舞台をアメリカ等の国外に求めると、インド製娯楽映画特有の“神通力”(?)が発揮出来ないことがあることを作り手は知るべきだった。

 主演のアーミル・カーンは熱演で、大幅な肉体改造によって見栄えも良くなっている。ヒロイン役のカトリーナ・カイフは美人でダンスの切れ味も良いが、単なる“お飾り”の感があり、あまりドラマに絡んでこないのは不満だ。ヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤの演出はまあ水準という感じで、特筆されるものはない。本国版のロング・バージョンならばともかく、わざわざ劇場まで足を運んで観る価値は大きいとは思えない。
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「団地妻 ニュータウン禁漁区」

2014-12-21 08:41:41 | 映画の感想(た行)
 84年製作のにっかつロマンポルノの一作。監督は映画でもっとも登板回数が多く、その後はテレビドラマの演出を数多く手掛けていた西村昭五郎。秀作も多かったが駄作もたくさんあった彼の代表作のひとつである。

 夫の家族との同居生活から解放されて、団地に移ってきた和子(仁科まり子)は夫との甘く自由な生活を期待していた。しかし、そこに待っていたのは下の階に住む3人の主婦たちの罠であった。

 引っ越してきたばかりの和子の前に3人は突然現れる。アメリカ映画「イーストウィックの魔女たち」に出てきた魔女トリオみたいに。最初はゴミを出す日とか自治会のきまりとか、親切そうに教えてくれるのだが、次にあらわれるのが、和子が夫を送りだして家の中を掃除しているときだ。3人はいつのまにか台所のテーブルについている。どうやって上がったのかと問う間もなく、和子は誘われて彼女たちの一人の家でいかがわしいシロクロショーを見るハメになる。

 この棟じゃ遅い方だ、他の団地ではとっくにやってるレクリエーションだという彼女たちの会話。水割りを飲みながらの鑑賞会である。シロクロショーで生計を立てている貧しい男女と昼間からこういうヒマつぶしをしている主婦たちのグロテスクさが対比されるショッキングな場面だ。主婦が本番ショーを見ることが問題なのではなく、テレビと同じ感覚でおしゃべりしたり物を食べながら見ていることが不気味なのだ。

 次に和子は3人のうちの一人がスーパーで働いている若者とからみのシーンをやってる場面を見せられる。本人も見られるのを承知しているという。が、今回は見る方の態度はいっそう不真面目だ。世間話ばかりしてベッドの方は見向きもしない。しかしそれでも依然としてベッドの上ではいやらしい場面が展開している。この二つを同時にとらえたこの構図の恐ろしさをいったい何と表現したらいいのだろう。社会が内部から腐っていく様子を絵にすると、たぶんこういう映像になるに違いない。

 さらに、彼女たちは和子の浮気を夫に密告する。和子は3人の餌食だったのだ。それから復讐がはじまり、3人の主婦たちは次々と和子の犠牲となっていく。そしてまた新しく一組の若い夫婦が隣に入居してくる。夫に離縁された和子は暗い情熱のはけ口をこの夫婦に向けるところで映画は終わる。

 現代社会のひずみをどこにでもある団地を舞台にして描き出した問題作。内容の過激さから封切り当時は成人映画にはめずらしく新聞に評論が載ったほどだ。
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「6才のボクが、大人になるまで。」

2014-12-20 07:45:11 | 映画の感想(英数)

 (原題:BOYHOOD )極めて退屈な映画だ。特に中盤以降は迫り来る眠気との戦いで手一杯だった。どうして世評が高いのか、まるで分からない。少なくとも“ひとりの少年の6歳から18歳までの成長と家族の軌跡を、同じ俳優を使って12年かけて撮った”というだけでは、それは単に手法のひとつに過ぎず、何ら質的なアドバンテージの獲得には繋がらないことは確かだ。

 6歳の少年メイソンと姉、そしてシングルマザーの母はテキサス州の田舎町で暮らしていたが、突然母親が大学に戻って勉学をやり直すと言いだし、一家はヒューストンに転居する。そこでメイソンはアラスカから戻って来た父と再会し、一方で母は大学教員と再婚するが、いろいろあって落ち着く暇もない。それでも彼は着実に年齢を重ね、高校を卒業する頃にはアート写真家という将来の夢を見つける。

 ストーリーだけ追えば、メイソンと(実父を含めた)家族が遭遇する出来事は、けっこう山あり谷ありである。母親は男運が悪く、再婚相手もDV野郎だ。それでも学業に専念して身を立てる努力を惜しまない。父親はミュージシャンの夢を諦めきれず、いい年して根無し草のような生活を送っていたが、何とかそこから人生を立て直そうとする。メイソン自身もガールフレンドや友人、義兄弟達との出会いや別れを繰り返す。

 しかし、映画としては全然面白くならない。ただ漫然とエピソードを並べているだけだ。何もドラマティックな展開や外連味のある筋書きばかりを要求するわけではないが、もうちょっと観る側に対する喚起力というか、見せ所というか、そういうものがあって然るべきではないのか。

 終盤、ライヴハウスで長々と話をした父親にメイソンがその要点を聞くシーンがあるが、その答えが“何も無い”というものだったのには脱力した。この場面に象徴されるように、本作には内容と呼べるものが一切見当たらない。もちろん“人生には何も無い”ということを確信犯的に描くという手もあったはずだが、それもやっていない。もちろん、ドキュメンタリー的な趣向も皆無。せいぜい最後に取って付けたように、主人公の女友達が講釈じみたセリフを口にするのみだ。

 12年という製作期間をかけて、いったい何をやっていたのやら。それどころか、この“長い時間を費やして撮った”ということを言い訳にしたような、未解決のまま放り出しているエピソードが散見されるのには不快感を覚える。

 リチャード・リンクレイター監督の作品は初めて観るが、キレもコクもない冗長な仕事ぶり。母親役のパトリシア・アークエットと実父に扮するイーサン・ホークも、ここでは大したパフォーマンスは見せていない。唯一印象に残ったのが、子供の頃は可愛かったメイソン(エラー・コルトレーン)が、18歳になったらヒゲ面の小汚い若造に変貌していたこと。まあ、これが歳月の流れというものなのだろう。
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「エンド・オブ・デイズ」

2014-12-19 06:29:31 | 映画の感想(あ行)
 (原題:End of Days )99年作品。題材自体がウサン臭く、監督も三流だったので元より期待なんかしていない(笑)。まあ、出来自体も予想通りだったが、ならば“観る価値は全然無いか”と問われれば、そうでもない。いくらB級(C級?)とはいえ割り切って接すれば、面白いところも見つかるものだ。

 99年の年末、ニューヨークの繁華街では新年の訪れを待つ人々で賑わっていた。そんな中、ジェリコ・ケイン(アーノルド・シュワルツェネッガー)は自殺願望に浸りながら無気力な生活を送っていた。彼は刑事時代に妻子を失い、今では警備会社に勤めて糊口を凌いでいる。その日彼に割り当てられた仕事は、株ブローカーの護衛だった。



 いつも誰かに狙われているらしいその株屋に対し、謎の一団が早速攻撃を仕掛けてくる。だがジェリコが追いつめた相手はバチカンの元修道士で、サタンの世界支配を食い止めなければならないと言う。株屋こそサタンの化身であり、アップタウンに住むクリスティーン・ヨークなる女と12月31日の夜11時から12時までの間に交わってしまうと、世界は破滅することを知ったジェリコは、悪魔に対して決死の戦いを挑む。

 展開はものすごく御都合主義的で、どうしてサタンが株屋の姿に身をやつしているのか、なぜ生身の人間である主人公がオカルト的存在と互角に渡り合えるのか、そのあたりの説明は一切ない。そもそも1999年が“運命の分かれ道”の時期で、クリスティーンが事件の重要人物である理由というのも、完全に無理筋だ。

 しかしながら、こんな映画にも見どころはある。それは悪役のガブリエル・バーンのカッコ良さだ。ダークスーツをビシッと着こなすダンディぶり。そして、かなりスケベであるのも嬉しい(爆)。レストランでいきなりセクハラを仕掛けるのをはじめ、母娘と3Pするところもイケる。それに比べて、シュワ氏演じるジェリコは単なる小汚いオッサンだ。ロビン・タニー扮するヒロインも実に垢抜けない。

 ハッキリ言って、劇中で扱われるミレニアムだのハルマゲドンだのはどうでもよく、それよりバーン御大演じる好色一代男のアッパレな所行をもっと描いてほしかった(笑)。監督はピーター・ハイアムズで、ヘタレっぷりは相変わらず。音楽はジョン・デブニーが担当しているが、それよりもガンズ・アンド・ローゼスによる主題曲が印象に残った。
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