元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アイダよ、何処へ?」

2021-10-31 06:55:01 | 映画の感想(あ行)
 (原題:QUO VADIS,AIDA? )これは実にキツい映画だ。厳しく、一分の甘さも見せない。言うまでもなく、これは史実の重みとそれに翻弄される人々をリアリズムで描ききろうとした作者の覚悟が前面に出たもので、観る側も襟を正して対峙すべきシャシンだ。そして何より、ほんの20数年前に斯様な惨劇が繰り広げられていたという事実は、まさに慄然とする。

 95年、ボスニア・ヘルツェゴビナの地方都市スレブレニツァはセルビア人勢力によって占拠され、2万5千人にものぼる住人が保護を求めて国連基地に押し寄せた。ところが、国連軍として派遣されていたオランダ軍は、要員と物資が足りずに上手く対処出来ない。国連平和維持軍で通訳として働いていたアイダは、住民の中にいる夫と息子たちを何とか基地の中に招き入れて助けようとしていた。



 だが、事態は刻々と悪化し、セルビア軍側は住民たちを安全な場所に避難させるという全く信用出来ない提案を出してくる一方、オランダ軍は撤退を決定する。アイダの苦闘は続く。ボスニア紛争の最中で起きた“スレブレニツァの虐殺”を描いた実録映画だ。

 家族を救うため奔走するアイダだが、事態はその努力の大きさに反比例するかのように悪化の一途をたどる。この暗転に次ぐ暗転を一種のスペクタクルのように描く本作は、まさに“悪意に満ちた娯楽性”といったものを獲得しており、最後まで目が離せない。もちろん、その背景にあるのは当時の複雑なボスニアの状況と国連軍の位置付けだ。



 最初にどちらが仕掛けたのかは判別できず、もはや報復のための報復が横行し、憎悪だけがくすぶり続けている。国連軍は、規定通りにしか動けない。たとえ家族でも、国連関係者であるアイダと単なる民間人に過ぎない夫たちとの間には、越えられない壁が存在する。このシビアな状況の中では、個人の力など役に立たない。藻掻けば藻掻くほど、深みにはまるだけだ。さらに、この惨劇のすぐ隣では、部外者である一般市民の普段通りの暮らしが営まれているという皮肉。斯様な厳しい事実の提示には、ただ驚くしかない。

 ヤスミラ・ジュバニッチの演出は骨太で、力強くドラマを進めていく。特に中盤以降の畳みかけるような展開には、手に汗を握ってしまう。主役のヤスナ・ジュリチッチは名演ともいえる優れたパフォーマンスを見せる。イズディン・バイロビッチにボリス・レール、ディノ・ブライロビッチ、ヨハン・ヘルデンベルグといった他の顔ぶれは馴染みがないが、いずれも好演だ。
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「護られなかった者たちへ」

2021-10-30 06:51:36 | 映画の感想(ま行)
 ミステリー映画としてはプロットが脆弱であることをはじめ、作劇上の欠点が目に付く映画だ。普通ならば失敗作として片付けてしまうシャシンだが、生活保護という題材を取り上げたことは大いに評価する。正直言って、過去にこのネタを採用した映画というのは思い付かない。重大なテーマであるにも関わらず、皆が“見て見ぬ振り”を決め込んでいたという、脱力するような構図が浮かび上がってくる。

 仙台市で全身を縛られたまま放置され餓死させられるという、凄惨な殺人事件が連続して発生。被害者はいずれも役所勤めで、人に恨まれるようなことは考えられない人格者だという。だが、宮城県警捜査一課の刑事である笘篠誠一郎は、被害者の共通点を見つけ出す。一方、放火で服役していた利根泰久が刑期を終えて出所してくる。



 利根はかつての東日本大震災で身内も仲間もすべて失ったが、避難所で知り合った老女と少女と共に、何とか再出発しようとしていた。しかし、ある出来事により捨て鉢な行動に走って逮捕されたのだった。笘篠は利根を重要参考人としてマークする。中山七里の同名小説の映画化だ。

 勘の良い観客ならば、犯人は誰なのかは中盤で分かる。しかし、それでもその犯行のプロセスには無理がありすぎる。動機も牽強付会の極みであり、到底観る者を納得させられない。笘篠も震災で家族を失っているが、その際に利根との接点があったという筋書きは、御都合主義と言われても仕方がない。その伏線が強引に回収される終盤も、居心地が悪くなるばかりだ。

 だが、この題材の重さは、そんな不手際もカバーしてしまうほどの存在感を醸し出している。震災をはじめ、窮地に陥った国民を救済する“最後の砦”であるはずの生活保護。ところが、当局側は生活保護費なんか出したくはない。支給される側も、国からカネを恵んでもらうのを潔しとしない。また、生活保護を受けるほど困窮していることが、親類縁者に知られるのは避けたい。そもそも役所の人員が足りず、保護対象者を把握出来ない。さらに、生活保護に対する根強い偏見や妬み嫉みがある。これらの問題を丹念に描いているだけで、本作は十分価値はあると思う。

 瀬々敬久の演出作はクォリティにバラつきがあるが、今回は良い方である。阿部寛に佐藤健、林遣都、緒形直人、吉岡秀隆、倍賞美津子といったキャストは皆好演。特筆すべきは清原果耶で、同じく彼女が主演した、東北を舞台に震災をモチーフとして扱ったNHKの朝ドラ「おかえりモネ」の“もう一つの筋書き”という様相を呈しているあたりも面白い。
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「シックス・ストリング・サムライ」

2021-10-29 06:27:32 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Six-String Samurai)98年作品。超低予算のB級(いや、それ以下かも)映画で、私自身もどうしてこんなシャシンを観たのか今となっては分からないが(笑)、妙なパワーがあって捨てがたい。現役の有名映像作家も、デビュー時はマイナーな作品に手を染めていた例も多いことを考え合わせると、存在価値はあるのだと思う。

 1957年に起きた核戦争後のアメリカ。国土はソ連に占領され、残った自由の地はロスト・ヴェガスだけになってしまった。しかしその町も、暗黒のサウンドで世界征服を企む雷ギターを持つ悪魔デスの支配下に置かれている。聖地を奪還すべく、ロックンロール戦士たちが集まり戦いを繰り広げる。そんな中、黒縁メガネをかけた最強の剣術とギターテクニックを持つバディは、道中で命を救った少年キッドと共に、ロスト・ヴェガスを目指す。



 「マッド・マックス」を思わせる世界観をバックに、クンフーアクションが炸裂するという御膳立てだが、かなり画面はチープだ。それも並のチープさではなく、まるで“高校の文化祭の出し物”レベルである。

 ところが、主人公のキャラがかなり立っており、彼を見ているだけで愉快な気分になってくる。バディ・ホリーを無理矢理にモデルにしたようなメガネ野郎だが、ボロボロの傘と必殺のギターを携えて敵をバッタバッタと倒してゆく。アクション場面が“意外と”良く出来ており、手抜きとも言えるカット割りながら、要領の良さでキレとスピード感が出ている。

 面白いのは、デスの造型が完全にヘビメタ系で、作者がその手の音楽を毛嫌いしていることが一目瞭然である点だ。代わりに送り手が偏愛しているのはプレスリーに代表されるロカビリー系であるらしく、そんなBGMが楽しげに鳴り響く。演出はぎこちないしラストのバトルも腰砕けだが、B級に徹した思い切りの良さで観終わって“まあ、いいじゃないか”という気分になってくる。

 主演のジェフリー・ファルコン、監督のランス・マンギア、共にその後の仕事ぶりは知らない。でも、この映画を作った時点では彼らは夢中で盛り上がっていたのだろう。それを思うと、本作を嫌いにはなれない。
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「MINAMATA ミナマタ」

2021-10-25 06:23:00 | 映画の感想(英数)
 (原題:MINAMATA)大きな求心力を持つ映画だ。正直言って、観る前は期待していなかった。日本を題材にしたアメリカ映画だから、ハリウッド名物“えせ日本”が満載の、かなり盛り下がるシャシンではないかとの危惧があったからだ。だが、それは杞憂に終わった。これほどまでに社会問題の核心に迫った作品は、そうあるものではない。それどころか、どうしてこの題材を正面から取り上げた劇映画が日本で出来ないのか、不思議に思うほどだ。

 1971年、かつて写真家として名を成したユージン・スミスは、フランチャイズにしていた“ライフ”誌も辞め、酒に溺れる日々を送っていた。ある日、スタンフォード大学の学生アイリーン・スプレイグから、熊本県水俣市で発生している公害病を取材して欲しいとの依頼を受ける。現地に赴いた彼が見たものは、水俣病患者の苛烈な状況や激しい抗議運動、そして有害物質を垂れ流すチッソ工場の横暴ぶりだった。ユージンは果敢にシャッターを切り続けるが、そんな彼を面白く思わない工場側は、実力行使に打って出る。写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの水俣での活動を追った実録ドラマだ。



 ストーリーは必ずしも事実に沿っているわけではないが、手堅くまとめられている。描き方はまさに正攻法。言葉を失うほどの水俣病の惨禍。過ちを認めない資本側と、それに対抗する市民たち。そしてユージンたちと地元の人々との交流。フォト・ジャーナリズムの有効性。それら以外にいったい何を描く必要があるのかという、作者の強い意志が感じられる。

 映画は裁判の結果と、有名な“入浴する智子と母”の写真撮影まで、一点の緩みも無く進む。水俣で撮影出来なかったのは欠点だが、ロケ地の東欧の荒涼とした風景は作品のカラーに良く合っている。なお、エンディングで2013年における当時の安倍首相の“水俣病を克服した”というコメントの欺瞞性を取り上げているが、エンドクレジットに映し出される世界各地の環境破壊の画像は、大資本が庶民を踏みつぶしてゆく構図が現在も変わっていないことを訴える。

 アンドリュー・レヴィタスの演出は力強く、画面の隅々にまで気合いがみなぎっている。製作も務めた主演のジョニー・デップはイメージチェンジして力演を見せている。今後彼は、年相応の渋い役柄に次々と挑戦してゆくのだろう。真田広之に國村隼、加瀬亮、浅野忠信、青木柚、ビル・ナイといったキャストはいずれも的確な仕事ぶり。アイリーンを演じる美波はとても魅力的だ。坂本龍一の音楽は彼の代表作となることは必至。ただし、主人公たちが乗る列車が当時のものではなくJR車両だったのは、まあ仕方が無い。
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「シューティング・フィッシュ」

2021-10-24 06:58:40 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SHOOTING FISH )97年作品。この頃のイギリス映画は、なぜかライトなコメディが目立っていたと思う。まあ、たまたまその手のシャシンが当時集中的に輸入されただけかもしれないし、ライトと言っても暗くシニカルな面も持ち合わせていたのだが、今から考えると一種の“ハヤリ”だったのかもしれない。この作品もそんな一本だ。

 ロンドンに住む孤児院育ちのディランとジェズは、バイト先で知り合い仲良くなる。2人は大邸宅を手に入れるという夢を持っており、そのため詐欺稼業に明け暮れ、やがて医学生のジョージーを仲間に引き入れる。彼女は障害を持つ弟のために好きでもない大金持ちとの結婚を控えていたが、障害者施設を閉鎖しようとしているのが当のフィアンセであったことを知り、婚約を破棄。ディランたちを巻き込んで反撃に出る。



 登場人物たちはいかにもイギリスらしく(?)屈折しており、他人を容易に信用せず斜に構えているような雰囲気だが、一度方向性が定まると脇目も振らずに突き進むあたりは好ましい。ステファン・シュワルツの演出は軽快で、コン・ゲームの仕掛けは他愛の無いものながら、ポップな語り口でスムーズに見せる。そしてラスト近くの“大逆転”には笑わせてもらった。

 音楽を担当したのはスタニスラス・サイレウィックだが、それよりも既成曲の使い方が秀逸。ザ・スーパーナチュラルズやシルヴァー・サン、ブルートーンズ、ディヴァイン・コメディといった、当時のイギリスの若手バンドのナンバーがズラリと並んでおり、それがまた映画のリズムと合っている。いわゆるブリットポップ・ムーブメントが終わりを告げたのがこの頃だということを考え合わせると、なかなか感慨深いものがある。

 主演のダン・フッターマンとスチュアート・タウンゼンドは絶好調。実を言えば2人ともイギリス人ではないのだが(笑)、作品のカラーに上手く溶け込んでいる。ヒロイン役のケイト・ベッキンセールは珍しくショーカットで、けっこう可愛く撮れていて好印象だ。
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ドラマ「全裸監督」シーズン2

2021-10-23 06:56:52 | その他

 2021年6月より配信されたNetflixオリジナルシリーズ(全8話)。アダルト業界の風雲児と呼ばれた村西とおるの半生を描いた、2019年8月より配信されたシーズン1の続編だ。物語は、まだバブルの余韻が充満していた1990年から始まる。

 製作するアダルトビデオがことごとくヒットし、飛ぶ鳥を落とす勢いの村西だったが、盟友の川田とはケンカ別れしてしまい新たな会社を立ち上げる。彼はやがて衛星放送に興味を持つようになり、放映権を獲得するため手段を選ばぬ攻勢に出て、目的を達成。しかし、バブル崩壊の影響は大きく、村西の事業は赤字が拡大し。絶体絶命の窮地に陥る。

 前回が“成り上がり編”だとすると、今回は“転落編”だ。しかし、村西は今でも元気であることは周知の事実なので、結末は分かっている。ならば、どういう語り口で見せるかというのが焦点になるが、これがまさに波瀾万丈で上手くいっていると思う。総監督の武正晴の仕事は的確だ。

 人間、落ちぶれたときにこそ真の姿が露わになっていくものだが、本シリーズでは前作であれほど怖い物知らずだった村西が、時代の流れには勝てずに自暴自棄になっていく様子が容赦なく描かれる。落ち度は自分にあるにも関わらず、仲間を売り、会社を私物化する。周囲にいた人間は次々に村西のもとから去り、ついには盗難騒ぎに巻き込まれて一文無しだ。

 だが、どんなに悪い面が出ても、彼のエロに対する情熱と飄々とした持ち味は損なわれない。確実に世の中に一石を投じた業績は、ギリギリのところで彼を破滅の淵から救ったとも言える。また、村西を捨てきれない側近たちの心情も上手く掬い取られており、時制が94年に飛ぶラスト近くの処理も違和感が無い。

 主演の山田孝之は相変わらずの怪演で、アクの強さに“引いて”しまうこともあるが(笑)、目覚ましい求心力を発揮している。満島真之介に玉山鉄二、柄本時生、伊藤沙莉、リリー・フランキー、森田望智、國村隼、冨手麻妙といった前回から引き続き登板する面子をはじめ、宮沢りえや石橋蓮司、伊原剛志、吉田栄作、西内まりや、室井滋といった多彩な顔ぶれが場を盛り上げる。そして、村西のパートナーとなる乃木真梨子に扮した恒松祐里の健闘も光る。Netflixらしいカネの掛かったセットや海外ロケ等、ドラマの“外観”も見逃せない。
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「クーリエ:最高機密の運び屋」

2021-10-22 06:21:06 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE COURIER )映画を無駄に長年観続けていると、それまで知らなかった事実を思い掛けず提示されることが少なくない。特に歴史を扱ったものに関してそれは顕著で、こちらとしても調べてみる契機になる。本作も同様で、ここで描かれた史実については全く知識が無かった。その意味で興味深いが、反面、事実の範囲内でしか物語が展開しないため。そこをどう面白く見せるかが送り手の手腕が問われるところである。

 1962年、冷戦真っ直中の米ソ間に新たな問題が持ち上がった。ソ連がキューバに核兵器を搬入したという疑惑が生じたのだ。詳細なソ連側のデータを得るため、CIAとMI6はスパイ経験の無い英国人ビジネスマンのグレヴィル・ウィンを情報伝達係としてモスクワに送り込む。彼が接触する相手は、国の姿勢に疑問を抱いているGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の高官オレグ・ペンコフスキーだ。クレヴィルはロンドンとモスクワの間を何度も行き来して情報を西側に流すが、やがてオレグの挙動に不信感を抱いていたKGBが調査を始める。



 いわゆるキューバ危機の裏側で、このような情報戦が展開されていたとは、映画を観るまでは関知していなかった。しかも、スパイに仕立て上げられたのがグレヴィルのような一般人であったことは、衝撃が大きい。主人公が諜報活動に荷担し、次第に神経をすり減らしてゆく様子は上手く描かれている。また、家族との仲がギクシャクしていくプロセスも容赦無しだ。

 対して、グレヴィルとオレグとの国境を超えた友情はしみじみと見せる。2人でボリショイ・バレエを観劇して感動を共有するシーンは、特に印象的だ。ただし、後半の筋書きは暗くて付いて行いけないところがある。もちろんこれは史実なのでストーリーの変更は出来ないのだが、やっぱりインテリジェントに関わる者にとっては情けは禁物であるという“真実”を突きつけられて、沈痛な気分になる。

 ドミニク・クックの演出は正攻法で、弛緩することなく映画を引っ張ってゆく。主演のベネディクト・カンバーバッチは大熱演で、肉体改造までやってのける役柄に対する熱意には、観ていて襟を正さずにはいられない。オレグ役のメラーブ・ニニッゼや、レイチェル・ブロズナハン、ジェシー・バックリーといった他の面子も万全。ショーン・ボビットのカメラによる寒色系の映像も申し分ない。
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「レミニセンス」

2021-10-18 06:30:47 | 映画の感想(ら行)
 (原題:REMINISCENCE)記憶に潜入するエージェントを主人公にした映画ということで、クリストファー・ノーラン監督の「インセブション」(2010年)やダンカン・ジョーンズ監督の「ミッション:8ミニッツ」(2011年)のようなトリッキィでスリリングな作品かと思ったら、そうでもない。また、カネを掛けた超大作でもなく、ハリウッド基準から言えばB級だろう。ただし、映像は魅力的でキャストの仕事ぶりは申し分なく、それほど観て損した気はしない。



 温暖化によって海面が大幅に上昇し、大半の都市が水浸しになった近未来。マイアミに住む元軍人のニックは、世界的な大戦の副産物として開発された“記憶を3D映像化する装置”を操る“記憶潜入(レミニセンス)エージェント”として生計を立てていた。あるとき検察局から、重傷のギャングの記憶に潜入して組織の正体を突き止めて欲しいという依頼を受ける。ニックはその記憶の映像を見て驚く。なぜなら、そこには以前彼の常連客だった女性歌手メイが“登場”していたからだ。行方が分からなくなった彼女を探すべく、ニックはギャングのアジトに乗り込む。

 記憶の映像化は別に凝ったところは無く、当事者の“回想場面”が流れるだけだ。しかし、そこには本人も気が付いていない情報が織り込まれているという設定は面白い。メイは初めは忘れものを探すためにニックの仕事場に来店するのだが、このマシンさえあれば本人が失念していた事物を“再現”することが出来るだろう(実に便利だ ^^;)。



 中盤にはアクションシーンやチェイス場面などがあるのだが、物語の主眼はニックとメイのラブストーリーだ。ニックの彼女に対する一途な想いは、まあ観ていて恥ずかしくなってくるほどだが(笑)、けっこうサマになっている。もっとも、その執着ぶりは仕事のパートナーであるエミリーも呆れるほどなのだが、そんな彼のスタンスは終盤になっても揺るがない。パッと見た感じは女々しいとも思えるが、これはこれで良いのではないかと合点してしまう。

 リサ・ジョイの演出は色恋沙汰の描写には非凡なものを見せ、最後までロマンティックな雰囲気が充満する。主演のヒュー・ジャックマンのキャラクターはこういうネタではワイルド過ぎると思わせるが、健闘していると思う。メイに扮するレベッカ・ファーガソンが意外に歌が上手いのには驚いたし、タンディ・ニュートンやクリフ・カーティス、ダニエル・ウーといった脇の面子も悪くない。そして何より、ポール・キャメロンのカメラによる水に沈みかけた町の造型は絶品で、これをチェックするだけでも観る価値はある。
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「ジュゼップ 戦場の画家」

2021-10-17 06:58:08 | 映画の感想(さ行)
 (原題:JOSEP )一応、フランスとスペイン、そしてベルギーの合作映画ということだが、風刺画家でもある監督のオーレルはフランスで活動していることもあり、実質的にはフランス映画と言っても良い。だから、映画の題材は徹底してフランス側から描かれることになる。結果としてそれが良かったのかどうかは、意見の分かれるところだろう。

 1939年2月、内戦後のスペインから多数の共和党員がフランコの独裁から逃れるため、国境を越えてフランスにやってくる。ところがフランス政府は、彼らをさながら囚人のように収容所に押し込めて冷遇する。その中に、画家志望のジュゼップ・バルトリがいた。彼は生き別れになった婚約者を探すため、フランスにやってきたのだった。



 収容所に勤務する憲兵セルジュはひょんなことからジュゼップと知り合い、友情を深めていく。やがて彼は、ジュゼップを逃亡させるために危ない橋を渡ることを決心する。1910年にバルセロナで生まれ、後にアメリカに移住して成功した、実在の画家ジュゼップ・バルトリを題材にした長編アニメーションだ。

 映画は戦後数十年が経過し、老境のセルジュが訪ねてきた孫に当時のことを話す場面を中心に展開する。だから、ストーリーはセルジュの体験談がメインであり、ジュゼップの人柄や芸術観などは重要視されていない。彼がメキシコに渡ってフリーダ・カーロに出会うくだりも、他人事のように描かれる。そのあたりは不満だが、作品の狙いが隣国に対するフランスおよびフランス国民のかつての態度を描出するものだと割り切れば、ある程度は納得出来る。

 セルジュのように亡命者の立場を理解した者は、おそらく少数だったのだろう。第二次大戦中に、ナチスの傀儡であったヴィシー政権を唯々諾々と受け入れた国民性をも暗示している。オーレルの作風は独特のもので、ジュゼップの作品をトレースするような手書きの作画を採用。スムーズな動きには欠けるが、殺伐とした時代の空気と暗さを上手く表現している。

 上映時間が74分と短いのも、これが初監督になるオーレルのスキルと凝った画面構成を考えれば最適だったと思われる。また、舞台が現代になるラストの扱いも、けっこう秀逸だった。第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクション作品。日本では“東京アニメアワードフェスティバル2021”に出品され、長編グランプリを受賞している。
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“塩分を控えろ!”というお達し(笑)。

2021-10-16 06:20:55 | その他
 数ヶ月前、職場の健康診断で医者から“塩分は必ず控えること!”という厳命が下された(笑)。まあ、これは私に限らず、誰しもトシを取ってくると塩分の過剰摂取に対してアラームが出されるものだ。塩分を多量に取ると血圧が高くなり、脳卒中などの脳血管障害の引き金になる。また、心臓をはじめ内臓にも悪影響をもたらす。つまりは健康に良いことなんか一つも無い。

 しかしながら、塩気の多い料理は口当たりがよろしい。御飯がどんどん進む。そんな簡単に辞められるかよ・・・・と思ったのだが、先方からは“漫然と構えていると、絶対に長生きは出来ませんよ!”という、半ば“脅し”に近いようなアドバイスをいただいた手前、こちらとしても対応せざるを得なくなったのだ。

 で、嫁御の協力も得て次の日から家での食事は減塩メニューに総入れ替え。外食する際も、塩分が多そうなものはなるべく避けるようにした。正直言って、最初は塩気の少ない料理は物足りなく感じたものだ。もっとも、塩はNGだがスパイスはOKらしいので、塩気の足りない分は(適度な量の)胡椒や唐辛子でカバーするという方法も採用。そうやって一ヶ月過ぎた頃には、何とか減塩メニューにも慣れてきた。

 ところが、そんなある日、さる筋(?)から回ってきたスナック菓子を何気なく口にしたところ、本当にびっくりした。何とまあ、スナック菓子というのは塩分が多いのだろうか。口に入れた途端、あまりの塩気に舌が痺れてきて、次に頭痛を催してしまった。以前はビールを飲みながらポテトチップスを軽く一袋平らげていたのだが、これからは出来そうも無い。

 スナック菓子だけではなく、外食での料理の塩分にも敏感になってきた。それまで昼休みに平然と食していたうどんや蕎麦、炒め物などに多量の塩が投入されていたことが分かる。当然のことながら、醤油がメインの味付けになる料理の塩気にも気を遣う。何でも、醤油はポン酢や出汁割りで代用出来るとのことなので、今後はその方向で料理をチョイスしていきたい。

 そして、医者が言うところの“もっとも健康に悪い料理”というのは、ラーメンらしい。確かに、あれは塩と脂質のかたまりである(だから美味かったのだが ^^;)。豚骨ラーメンに替え玉追加で汁まで飲み干すというのは、いかにも身体に悪そうだ。よって今は、塩分過多の濃厚味付けのラーメンに手を出そうとは思わない。

 そして、考えてみれば塩味の代用になるものは柚や青じそ、みょうが、にんにく、しょうが、山椒、ハーブと、スパイス類以外にもけっこうあるのだ。塩気一辺倒の味付けよりも、テイストの奥行き(?)が大きくなるとも言える。これからもせいぜい気を付けて減塩路線を邁進しつつ、次期の健康診断を待つとしよう(まあ、医者からまた同じことを言われるかもしれないが ^^;)。
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