元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「サバイバルファミリー」

2017-02-28 06:33:50 | 映画の感想(さ行)

 いつもは素材に対する綿密な下準備をもって臨む矢口史靖監督らしくない、何とも乱雑な映画だ。製作にはフジテレビジョンが関与しているが、昨今のこのテレビ局の不調ぶりが影響しているようにも思えてしまう。とにかく、最初から最後まで違和感が横溢しているような映画で、あまり奨められないシャシンである。

 東京で暮らす鈴木家は、会社員の主と専業主婦の妻、大学生の長男と高校生の長女からなる平凡な一家だ。ある日、電気を必要とするあらゆるものが突然使えなくなり、周囲は大混乱に陥ってしまう。交通機関はマヒして電話やガス、水道までが完全にストップした状態は数日経っても回復せず、鈴木家の主である義之は、家族を連れて妻の実家がある鹿児島まで行くことを決意する。

 突っ込みどころが満載の脚本には閉口してしまう。車も動かないのに旅客機は飛ぶと信じて、わざわざ遠回りして空港まで足を運ぶというナンセンスな行動をはじめとして、迷わないように高速道路を進んでいた一家がいつの間にか一般道に入り込んだり、橋の無い川をあえて渡ろうとして勝手にピンチに陥ったり、絶体絶命の状況になると都合良く助けが来たりと、安易な展開のオンパレード。

 そもそも、こういう状況だと火災が発生して都市はパニックになり、水や食料を求めて暴徒が発生してもおかしくないが、そんな気配も無い。サバイバル・ストーリーであるにも関わらず、主人公達は一度も自ら火をおこさないし、野草も採らないし、川の水を煮沸することもないのだ。どうやって鹿児島までたどり着くのかと思ったら、途中から事態が“急展開”してしまうのには参った。ラストの処理も脱力するばかり。

 まあ、おそらくは過酷な道程を経てバラバラだった家族が団結するという構図を狙ったのだろうが、それにしてはこの鈴木家、ゴーマンで自分勝手な奴ばかりで全然感情移入できない。これではドラマ的なカタルシスも期待できないだろう。

 義之に扮する小日向文世や妻役の深津絵里、子供を演じる泉澤祐希と葵わかなは好演。徳井優や時任三郎、宅麻伸、柄本明、大地康雄といった他の面子も悪くはない。しかしながら、斯様なグダグダの筋書きでは彼らの頑張りも徒労に終わったと言える。・・・・というか、家族の絆を描きたいのならば、他の設定がいくらでもあったはずだ。

 余談だが、本作を観て思い出したのがマルク・エルスべルグの小説「ブラックアウト」だ。大規模テロによってヨーロッパ中が停電してパニックに陥るという話だが、同じ“停電ネタ”ならば、こういうストーリーの方が説得力があるのは言うまでもない。
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「アメリカン・ハート」

2017-02-27 06:25:00 | 映画の感想(あ行)

 (原題:AMERICAN HEART)92年作品。派手さは無く、淡々とした筆致ながら、観る者に切ない感慨をもたらす佳作だと思う。父と子の情愛を濃密かつ的確にとらえている作者のスタンスが印象的で、シンプルな筋立てをそれなりに引き立てている。

 仮釈放で刑務所を出たジャックを迎えに来たのは、15歳になる息子のニックだった。甲斐性の無い自らの境遇に負い目を感じているジャックは息子を追い返そうとするが、ニックは離れようとしない。シアトルに着いた父子は新しい生活を始める。ジャックは受刑中に「アメリカン・ハート」という文通雑誌で知り合ったシャーロットと会う機会を得るが、互いに惹かれるものを感じる。だが、ジャックの昔の仲間レイニーが何かと父子にちょっかいを出してくる。やがてジャックと仲違いしたニックはレイニーの悪事を手伝うまでになるが、重大なトラブルに見舞われて逃げ出すハメになる。

 監督のマーティン・ベルは86年に「子供たちをよろしく」というドキュメンタリー作品を手掛けており、少年達の描写には抜かりが無い。ジャックは何をやってもダメなくたびれた中年男だが、ニックはそんな父親を心から愛している。父親の持つ見果てぬ夢や挫折に対して理解を示し、ずっと付き合っていこうと決めている息子。この関係性には泣かされた。またニックが行動を共にする、幸薄いストリート・キッズたちの扱いも丁寧だ。昔ジャックとつるんでいたレイニーの出現でストーリーはだいたい予想が付くが、それでも飽きさせずに見せるのは余計なケレンを廃した作劇ゆえだろう。

 ジャックに扮するジェフ・ブリッジスはさすがのパフォーマンスで、一歩間違えばワザとらしくなるか下品に終わるような役柄を、自然体で上手く乗り切っている。

 ニック役のエドワード・ファーロングはナイーヴな好演だが、この頃はアイドル的な人気もあった。特に日本での人気はアメリカを凌いでいたようで、日本限定で歌手としてアルバムを出していたほどだ。しかしながらその後の歩みは順調ではなく、薬物やアルコールに依存して幾度も警察の御厄介になり、とにかく私生活はボロボロだったらしい。早くから有名になってしまった俳優が身を持ち崩す例は、アチラの芸能界では珍しくもないのだろう(ただ、現在でも俳優としての仕事はあるようだ)。
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「ANTIPORNO」

2017-02-26 06:30:15 | 映画の感想(英数)

 確実に観る者を選ぶ映画ではあるが、個人的には楽しめた。現役の監督たちが新作ロマンポルノを手掛ける“日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”の第四弾。監督は園子温で、まさに彼の変態ぶり(笑)が全面展開している怪作だ。

 女流作家の京子は、最初に登場人物の肖像画を描き、その絵に囲まれて個室で執筆を行うという奇抜な手法が人気を呼び、一躍有名になった。ところが分刻みのスケジュールにいらだつ京子は、マネージャーの典子を虐待してストレスを解消していた。その遣り口は徹底的にサディスティックで、典子に首輪をつけて部屋を引きずり回したり、取材に来たカメラマンなどに暴行させたりと、やりたい放題である。しかし、そこにいきなり“カット!”の声が。振り返ると映画の撮影スタッフが控えている。どうやらこれは映画の製作現場だったらしい。だが、今度はその映画の中の主人公の内面世界に物語が入り込んでいく。

 ストーリーはあって無いようなもので、全編これ登場人物達の絶叫気味のモノローグと、キレた映像処理と、極彩色の画面で覆い尽くされている。作者が好き勝手に撮ったシロモノと言うしかないが、これを並の監督がやると開巻間もなく息切れするか、あるいはその“好き勝手の度合い”が見切られて脱力するしかないだろう。だがそこは園子温御大。しっかりとイレギュラーなヴォルテージを保ったまま最後まで突っ走っている。

 まあ、本作に無理矢理主題らしきものを見出すとすると、歪んだフェミニズムということになるのだろうか。いくら作家として名が売れようとも、しょせん当人は若い女に過ぎない。突き詰めて言えば、世間の見る目は“売女あるいは処女”というレベルなのだ。

 そういうジェンダーの枠組みの中で必死に“出口”を探そうとするヒロインの葛藤を描出する・・・・といった感じか。ただ、園監督の作風に慣れている身からすれば、フェミニズムをダシにして一暴れしただけという、下世話な解釈も成り立ってしまう(笑)。

 主演の冨手麻妙は健闘している。まさに大熱演。パッと見た感じはアイドル風だが(かつてAKB48の研究生だったらしい)、エロティックな体付きを含めて、存在感はかなりのものだ。典子に扮した筒井真理子も凄い。年齢を感じさせないプロポーションには驚かされるが、極悪なオーラを振りまいてスクリーン上を闊歩するカリスマ性には感服するしかない。

 決して誰にでも勧められる映画ではないが、一連の“日活ロマンポルノ・リブート・プロジェクト”の中ではそれなりに納得できる内容だった。伊藤麻樹による撮影も見事だ。
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最近購入したCD(その34)。

2017-02-25 06:40:05 | 音楽ネタ
 最近よく聴いているのが、2005年にロンドンで結成されたポスト・ポップバンド、ザ・エックス・エックスのサード・アルバム「アイ・シー・ユー」である。前の2作も試聴したことがあるのだが、質の高さは認めるものの過度にメランコリックで高踏的な雰囲気で、ちょっと腰が引けたものだ。しかし本作は実にポップで聴きやすい。



 とはいえ、このグループ特有のストイックで耽美的なタッチは健在だ。フォークをベースとしてエレクトロニクス風味で仕上げるという方法論だが、重厚かつキレのいいビートと、美しいメロディが織りなす世界観は聴けば聴くほど魅了される。かと思えばダンス路線を狙ったり、ホール&オーツのナンバーをサンプリングしたアグレッシヴな楽曲などもあり、曲調はバラエティに富んでいる。

 メンバーのジェイミー・スミスはインタビューで“(ネット環境などで)音楽を聴くスタイルは変わったが、やっぱりアルバム作品として接して欲しい”という意味のコメントを残しており、“断片的な聴き方をされてたまるか!”といった気負いが感じられて好ましい。すでに英米では良好なチャート・アクションを示している。幅広く奨められるディスクだ。

 ロンドン在住のソングライターで音楽プロデューサーであるデヴ・ハインズのソロ・プロジェクト、ブラッド・オレンジの3枚目になるアルバム「フリータウン・サウンド」は、精緻な音作りで聴く者を引き込んでしまう秀作だ。前2作は聴いていないが、このディスクに接するだけでも並々ならぬ才能が感じられる。



 R&B及びソウルが基調だが、メロディ・ラインは考え抜かれており、各音像の重ね方は呆れるほど見事だ。鋭敏で力強いビートが奥行きのあるサウンド・デザインに映える。ヴォーカルはソウルフルかつアーシーで、ある時はクールに、またある時は端正でマイルドに綴られる。ダンス・テイストやアフリカ風味も上手く取り入れ、ナンバーごとに違ったアプローチが成されている。

 タイトルの“フリータウン”とは、彼の父親の出身地であるシエラレオネの首都である。自らのルーツを探るようなスケール感と味わい深さを持たせた音作りであろう。なお、録音はクォリティが高い。特に高域のヌケは病み付きになるほどだ。ブラック・ミュージックが好きなリスナーにとっては必聴の一作と言って良い。

 ベース奏者のフェルチオ・スピネッティと女性ヴォーカルのペトラ・マゴーニによるイタリアのペア・ユニット、ムジカ・ヌーダが2004年に発表したファースト・アルバム(タイトルはユニット名そのまま)は、オーディフェアなどではよくデモ音源として使われている。今回入手して聴いてみると、サウンド・マニア必携のディスクであると改めて思う。



 とにかくコントラバスの低域表現が凄い。ウーファーが盛大にブルブルと震えだして慌ててしまうほど(笑)。しかも歪感や混濁はほとんど感じず、クリアに録られているのには感心するしかない。余計なイコライジングが施されていないヴォーカルも実に生々しく、明確な音像表現を伴って聴き手を圧倒する。音場は広くはないが、クリーンで心地よい。

 もちろん、録音だけではなく内容も十分に高水準だ。ビートルズの「エリナー・リグビー」やポリスの「ロクサーヌ」といったよく知られたナンバーを、絶妙のアレンジで朗々と聴かせる展開はスリル満点。ジャズ好きだけではなく、音楽ファン全般を納得させてしまうほどのヴォルテージの高さが光る。彼らの他のアルバムも聴いてみたいものだ。
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「ユニバーサル・ソルジャー」

2017-02-24 06:21:18 | 映画の感想(や行)

 (原題:UNIVERSAL SOLDIER )92年作品。ローランド・エメリッヒ監督の初期の映画だが、後年の大味ディザスター・ムービーとは違って予算があまり掛かっていない分、何とそれなりにまとまった出来にはなっている。・・・・というか、本来彼はこの程度の規模の作品を任せられるのが丁度良いと思うのだ。分不相応なスペクタクル巨編なんかを手掛けるから、ボロが出てくる。

 フーバーダムで起こったテロリストによる人質事件をアッという間に解決したのは、ペリー大佐率いる謎の特殊部隊だった。テレビリポーターのヴェロニカは、彼らの正体を探るためにペリー大佐を追う。ネヴァダ沙漠の中に停まる巨大トレーラーが彼らの基地であることを突き止めた彼女だが、兵士たちの正体が、死体を蘇らせて感情や記憶を消した改造人間であることを知ることになる。その中のリュックとスコットに、突然ヴェトナム戦争での記憶がフラッシュバックする。正気を取り戻したリュックはヴェロニカと共に基地から逃亡するが、ペリー大佐とスコット達は彼らを追跡する。

 ヴェトナム戦争で死んだ兵士2人が蘇生手術により戦闘マシーンとして生まれ変わるという筋書きは、大して新味は無い。しかしながら、この2人が、かつての戦場で敵対して同士討ちしたとの設定は悪くない。蘇った後も記憶が残り、生前のキャラクターそのままに大々的なバトルを展開する。

 エメリッヒの演出はとりたてて上手いというわけではないが、最後まで退屈させない程度の求心力は発揮している。ストーリーもほぼ“一本道の展開”なので、突っ込みどころも少ない。

 主演はジャン=クロード・ヴァン・ダムとドルフ・ラングレンで、もちろん前者が善玉役だ。思えばヴァン・ダムはこの頃アイドル的な人気があり、日本ではチョコレートのCMに出ていたほどだった(笑)。片やラングレンは「ロッキー4 炎の友情」(85年)からの流れで悪役一筋。でも、2人とも仕事が今でもコンスタントに入ってくるのは良いことだと思う。マッチョ系の役者では成功した部類だろう。ヴェロニカに扮するアリー・ウォーカーもけっこう魅力的。なお、続編が作られているが、私は未見である。
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「マグニフィセント・セブン」

2017-02-20 06:33:22 | 映画の感想(ま行)

 (原題:THE MAGNIFICENT SEVEN )楽しんで最後まで観ることができた。黒澤明監督の「七人の侍」(1954年)と、同作をハリウッドがリメイクした「荒野の七人」(60年)を原案に作られた西部劇。筋書きは事前にだいたい分かっているので、映画の出来は語り口と仕掛けによるところが大きいのだが、及第点に達している。

 西部の町ローズ・クリークの人々は、鉱山を所有しているバーソロミュー・ボーグの一味に搾取されていた。ボーグ一派は支配を完全なものにするために、住民を追い出そうとする。エマの夫マシューはこれに逆らったが、殺害されてしまう。ボーグが町を離れている間、エマは町を守るために7人の強者を雇い入れ、数週間後に町に戻ってくるボーグとの対決に臨む。

 依頼主は女性で、メンバーは多様な人種で構成されている。悪役は山賊の類いではなく、横暴な大企業(?)だ。そのあたりが今日性を反映していると言えるが、基本線は元ネタの2本とそう変わらない。しかしながら、7人の容貌がハッキリと見分けられ、それぞれの得意技が強く印象づけられているあたりは、アントワン・フークア監督の手柄だろう。また、活劇描写には定評があるフークアの演出は、アクション場面の配置には抜かりが無く、それがドラマ運びにも良い影響を与えている。

 「七人の侍」では悪者どもの人数が最初から決まっていて、その中の何人を片付けることが出来るのかという展開がストーリーの興趣になっていたのだが、上映時間が長くなるのは仕方が無かった。対して本作では敵方はカウントできないほどの多人数でやってくる。幾分大味だが、戦争アクションのような面白さが出てきて悪くない。

 フークワ監督は黒澤明の熱烈なファンであり、2004年に撮った「キング・アーサー」なんかは「七人の侍」の再映画化のような佇まいだった。それが今回“正式に”リメイクを任せられたのは感無量だったろう。

 ガンマンのリーダー格のサムを演じるのはデンゼル・ワシントンで、彼もまた黒澤明の信奉者だ。ここでの彼は「荒野の七人」のユル・ブリンナーよりも雰囲気は志村喬に通じるものがある。しかも、終盤にはサムがこの戦いに参加した“真の目的”が明かされるが、かつてフークア監督と組んだ「イコライザー」(2014年)の主人公を彷彿とさせ、元ネタ2本とは違うタッチを見せるのも面白い。

 クリス・プラットやイーサン・ホーク、ビンセント・ドノフリオ、イ・ビョンホンといった他の面子も良いし、ヒロイン役のヘイリー・ベネットや敵役のピーター・サースガードも良い。ジェームズ・ホーナーの音楽は申し分ないが、それよりもラストに流れるエルマー・バーンスタインの名スコアには感激した。とにかく、観て損の無い娯楽編である。
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「フリージャック」

2017-02-19 07:06:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:FREE JACK )91年作品。封切時には配給元の東宝東和が「ターミネーター2」に続くSF大作として売ろうとしたが、あまりにも小粒だったのでさほど話題にならなかった映画だ(製作プロダクションもそれほど大手ではない)。しかしながら無視できない程度の存在感はあり、作品規模にふさわしい公開形態であったならば、そこそこウケたかもしれない。

 売り出し中のカーレーサーであるアレックスは、レース中に別の車と接触して大事故を起こしてしまう。ドライバーは死亡したものと思われたが、実は事故の瞬間、18年後にタイムスリップさせられていた。その世界では環境破壊が進み、一部の金持ちが特殊な装置で別の若く健康な身体に自分の意識を移植して寿命を延ばしていた。アレックスもまたその“移植先の肉体(フリージャック)”として、ヴァセンデック率いる一味に過去から引っ張られてきたのだった。



 だが折しも勃発したレジスタンス組織との抗争の隙を突き、脱出することに成功。かつての恋人ジュリーのもとへたどり着くが、彼らはフリージャックを扱う大企業のCEOであるマッカンドレスから追われることになる。

 設定は悪くなく、ストーリーもまとまっている。危機一髪の状態から逆転する終盤の処理には文句はないし、未来世界の描写もソツがない。しかし、いかんせん監督ジョフ・マーフィ(「ヤングガン2」など)の腕が凡庸だ。作劇にメリハリがなく、ここ一番の盛り上がりに欠ける。

 加えて主演のエミリオ・エステヴェスは線が細い。敵の首魁に扮しているのがアンソニー・ホプキンスで、ヴァセンデックを演じているのがミック・ジャガーというのだから、目立てないのも当然か。そもそもジュリー役のレネ・ルッソよりも背が低いし、彼女やアマンダ・プラマーといった女傑的な面子とタメを張れるほどの偉丈夫でなければ、ドラマが締まらないだろう。

 なお、ヴァセンデックの役は最初デイヴッド・ボウイにオファーされたが、彼が断ったためにM・ジャガーにお鉢が回ってきたのだという。個人的には、せっかく出ているのだから一曲歌っても良いような気もするが、そこまでのサービス精神は製作側は持ち合わせていなかったようだ(笑)。なお、音楽を担当しているのはトレヴァー・ジョーンズで、しっかりと職人芸を披露している。
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「ドクター・ストレンジ」

2017-02-18 06:26:26 | 映画の感想(た行)
 (原題:DOCTOR STRANGE)豪華なキャスティングがまるで機能していない。大味な凡作だ。マーベル・コミック系列の映画は出来不出来が激しいが(というより、どちらかというと不出来の方が多い ^^;)、本作は俳優陣のクォリティの高さゆえ、内容のお粗末さが余計に強調されるという展開になっている。

 神経外科医スティーヴン・ストレンジは、どんなに難しい手術も音楽を聴きながら軽く片付けるほどの技量を誇る。しかし性格は実に傲慢で、周囲の評判はよろしくない。そんな彼がある日交通事故に遭い、両手の機能を失ってしまう。あらゆるリハビリを試すが、復帰は絶望的だ。



 偶然にネパールの奥地にどんなケガでも治してしまう秘密のスポットがあることを聞きつけた彼は、藁をもすがる気持ちで現地に赴く。ところがそこは謎の女導師エンシェント・ワンが仕切る魔術の修行場だった。その力を見せつけられたストレンジは魔術の習得に励むことになるが、エンシェント・ワンを裏切って世界征服を狙うカエシリウスの一派との戦いに巻き込まれていく。

 とにかく、筋書きがいい加減だ。不遜な態度を隠そうともしなかった主人公が、呆気なく“いい人”になってしまうばかりか、大した苦労もせずに敵のエージェント(?)と互角に渡り合う実力を身に着けてしまう。有力武器アイテムである“赤いマント”が、さしたる理由もなくストレンジの所有物に納まる。エンシェント・ワンが闇の力を借りている云々という意味不明の小ネタが、終盤での主要登場人物の裏切りに繋がっているという牽強付会な設定。

 さらには敵の首魁の造形が子供向けのテレビ番組にも劣るようなレベルの低さだったり、それに立ち向かうストレンジの“作戦”が脱力するほど稚拙だったりと、愉快ならざるモチーフがてんこ盛りだ。



 ならば映像面はどうかというと、これも評価できない。都市の風景がバラバラになり万華鏡のように変化する描写は確かに面白いが、何度も見せられると飽きる。魔術の繰り出し方も一本調子で芸がない。極めつけは「2001年宇宙の旅」のパクリみたいな“幻想的な映像”で、これを今の時点で得意満面でやってもらっても、観ている側は鼻白むばかりだ。

 主役を張るベネディクト・カンバーバッチをはじめ、マッツ・ミケルセンにティルダ・スウィントン、キウェテル・イジョフォーにレイチェル・マクアダムスなど、出ている面子は一線級である。だが困ったことに監督のスコット・デリクソンの腕は凡庸で、これらのキャストを使いこなせていない。製作サイドの“有名どころを並べれば客は来るだろう”という思惑が透けて見えるようだ。

 エンドクレジット後の“オマケ”の部分では、ストレンジがアベンジャーズのメンバーに関与することを匂わせるが、“だから何だよ”と言いたくなった。とにかく、マーベル・コミック系列の作品をすべてカバーしなければ気が済まないコアなファン以外には、奨められないシャシンである。
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「嵐の中で輝いて」

2017-02-17 06:36:50 | 映画の感想(あ行)
 (原題:SHINING THROUGH )91年作品。復古調のエクステリアでゴージャスな雰囲気を出そうとしたサスペンス編だが、演出と脚本が手緩いので盛り上がらない。大時代な雰囲気だけで作品を成立させようという方法論は、製作された時点においても通用しなかった。

 ドキュメント番組「戦時下の女性たち」の収録のため放送局に赴いた老婦人リンダは、司会者の質問に答えながら若い頃を振り返っていた。1940年、ヨーロッパではすでにナチスが台頭。だがアメリカはまだ孤立主義を貫いていた。リンダは弁護士事務所の秘書として働いていたが、学歴のない彼女が採用されたのは、父親がベルリン生まれのユダヤ人であるためドイツ語に堪能だったせいである。



 実は、彼女の上司エドワードは弁護士という肩書きは表向きで、正体はアメリカ軍の情報部の幹部だった。ドイツ軍の暗号を解読するためにリンダを助手として雇ったのである。翌年、アメリカは第二次大戦に参戦。リンダは自らスパイに志願してエドワードと共にベルリンに潜入し、ナチス高官に接近して軍事機密を手にしようとする。スーザン・アイザックスによる同名小説の映画化だ。

 とにかく、筋書きがいい加減である。ヒロインが窮地に陥ると、決まってエドワードが都合よく助けに来るというパターンの繰り返しだ。これではサスペンスも何もあったものではない。

 主演はメラニー・グリフィスだが、とても女スパイには見えない。もちろん本職のエージェントではなく、個人的な事情によって諜報活動に臨んだという設定なので、通常のエスピオナージ映画とは勝手が違うということは分かる。しかし、それにしてもハードなミッションに対峙する“覚悟”が感じられない。グリフィスの代表作は「ワーキング・ガール」(88年)だが、あの映画のように可愛くて強かな女を演じてこそ持ち味が出る。本作みたいな役柄は向いていない。

 エドワード役のマイケル・ダグラスは、いつもの通り。脇にリーアム・ニーソンやジョン・ギールグッドという渋い顔ぶれを揃えているわりには、ドラマとして有効に機能しているようには見えない。監督デイヴィッド・セルツァーの仕事ぶりは冗長。マイケル・ケイメンの音楽は及第点。特筆すべきは撮影監督としてヤン・デ・ボンが起用されていることで、深みのある映像は、確かに印象的ではあった。
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「沈黙 サイレンス」

2017-02-13 06:39:20 | 映画の感想(た行)

 (原題:SILENCE )かなりの力作で、長い上映時間も気にならない。劇中で提示されているモチーフはもちろん、時代背景など多岐に渡って知識を深めたくなるような訴求力も兼ね備えている。本当に観て良かったと思わせる映画だ。

 江戸時代の初め。キリスト教が禁止されていた日本で布教活動をしていた宣教師フェレイラが、厳しい弾圧に耐えかねて棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子である若き宣教師のロドリゴとガルペは、事の真相を確かめるため日本へ向かう。寄港したマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、2人は長崎へとたどり着くが、キリスト教徒に対する圧政は想像を絶するものだった。

 なぜ神は我々に過酷な試練を与えながら、沈黙したままなのか・・・・ロドリゴは苦悩する。やがてキチジローの裏切りに遭い、ロドリゴは捕えられ井上筑後守の取り調べを受ける。遠藤周作の小説「沈黙」の2度目の映画化で、監督マーティン・スコセッシは原作を読んで以来、28年をかけて映画化にこぎつけた念願の企画だという。

 まず感心したのが、ハリウッド名物“えせ日本”がほとんど出てこないこと。主なロケ地は日本ではなく台湾だが、見事に日本を舞台にしたドラマに仕上がっている。さらに、西欧と日本の宗教観の違いを、一方に肩入れすることなく冷静に描いているのもこの映画の美点と言えよう。

 本来、八百万の神々が存在する日本には、キリスト教のような一神教は馴染まない。たとえ熱心な信徒であっても、その信仰の理由はキリスト教の教義に一致していないことが示される。その背景には、当時の下層階級が置かれた厳しい境遇がある。このような状況下で、ロドリゴ達が自らの信仰を全うするには、一度キリスト教に背を向けなければならないという、圧倒的なディレンマが大きな説得力を持って描かれているのは驚くしかない。聖職者を志し、聖的な事物と表裏一体となったような暴力を描き続けていたスコセッシの面目躍如といったところだ。

 登場人物の中で最もクローズアップされているのはキチジローで、彼はロドリゴ達を裏切るものの、実は心の中に彼なりの信仰を抱き続ける。この両極的なキャラクターこそが宗教の持つ一面を表現しているということなのだろう。

 スコセッシの演出は静かだが力強い。宣教師を演じるアンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライバーは好演で、フェレイラ役のリーアム・ニーソンも光るのだが、日本人キャストが大健闘している。キチジローに扮する窪塚洋介にとって、本作が大きなキャリアになりそうだ。通辞役の浅野忠信、井上筑後守を演じるイッセー尾形の存在感。体重を大きく落として挑んだ塚本晋也の捨て身の演技。加瀬亮や笈田ヨシ、小松菜奈など他の面子もいい仕事をしている。キム・アレン&キャスリン・クルーゲの音楽も好調。幅広く奨めたい作品だ。
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