元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「悪人伝」

2020-08-31 06:52:12 | 映画の感想(あ行)

 (英題:THE GANGSTER,THE COP,THE DEVIL)主演のマ・ドンソクの大きすぎる存在感を、ひたすら堪能するためのシャシンである(笑)。多少プロットに難点があっても、そこはドンソク御大の顔の圧の強さで乗り切ってしまう。また、主人公と対峙する他の面子のキャラも濃く、結果として見応えのあるバイオレンス劇に仕上がった。

 ソウルの下町で連続無差別殺人事件が発生。あたり一帯を仕切るヤクザの親分であるチャン・ドンスも被害に遭い、何者かにめった刺しにされる。何とか一命をとりとめたドンスは、これは対立する組織の仕業だと思い込み、抗争が激化する。一方、札付きの荒くれ刑事のチョンは、この事件の唯一の生存者であるドンスから手掛かりを得ようと、彼を取り調べようとする。両者は激しく対立するが、やがて犯人を捕まえることが共通の利益になるという認識で一致。互いの情報を交換し、一緒に凶悪な殺人鬼を追い詰めようとする。

 警察と暴力団が、同じ目的のために協力するという設定が出色。両者の“合同捜査会議”で、右と左に別れて警察とヤクザが勢揃いするのだから笑える。しかも“いつしか双方に仲間意識が生まれる”といった甘ちゃんな展開には持っていかず、互いに隙あらば出し抜いてやろうとする虚々実々の駆け引きも同時進行する。

 何しろドンスは、どさくさに紛れて抗争相手のボスを片付けてしまうし、チョンは復讐に燃えるドンスを法の番人として説得するように見せかけて、その実犯人を血祭りに上げる段取りを付ける有様だ。犯人のプロフィールが十分描かれていないのはマイナスだが、不気味な風体に何をやらかすか分からない剣呑さを醸し出す造型には納得した。

 イ・ウォンテの演出はスピーディーで、矢継ぎ早に見せ場を繰り出し、観る者を飽きさせない。迫力満点の活劇場面は銃を一切使用せず、すべてが肉弾戦。犯人も飛び道具を使わずに、ナイフ片手に暴れ回る。中盤以降のカーアクションから、下町の迷路のような地区での追撃戦、それが終わると法廷での知能戦で、果ては無理筋の“結末”まで、息つく暇も無い。

 また、適度にギャグを挿入しているのも、見上げたものだ。ドンソク御大扮するドンスから滲み出る、底なしの暴力性。チョンを演じるキム・ムヨルの海千山千ぶり。ユ・スンモクやキム・ユンソン、キム・ソンギュ、チェ・ミンチョルといった他の面子も好演だ。
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「オールド・ガード」

2020-08-30 07:02:53 | 映画の感想(あ行)
 (原題:THE OLD GUARD )2020年7月よりNetflixで配信されたアクション編。少なくとも退屈はしなかったが、これは劇映画というより、いわば連続テレビドラマのパイロット版だ。散りばめられた謎はほとんど解決しておらず、ラストなんか“次回に続く”という体裁を露骨に現している。しかも、大して予算は投入されておらずチープな印象が拭えないのも、テレビ番組らしい。

 特定の国や勢力に準拠せず、自分たちの判断で国際社会に貢献する活動をおこなう4人組の特殊部隊“オールド・ガード”の構成員は、永遠の命を持つ不死身の肉体を持っていた。一方、米海兵隊所属の女性兵士ナイルはアフガニスタンでの任務中に瀕死の重傷を負った際、突如“オールド・ガード”としての能力に覚醒する。



 グループのリーダーであるアンディはナイルに仲間になるよう依頼するが、彼女には今までの人間関係を捨てる勇気は無い。そんな中、強大な謎の組織が“オールド・ガード”の秘密を暴こうと暗躍し始める。アメコミ作家のグレッグ・ルッカによる同名グラフィックノベルの映画化だ。

 アンディたちはなぜ不老不死の身体を得たのか、どういう基準でその能力は特定個人に与えられるのか、そういう大事なことは示されない。“オールド・ガード”は千年単位で人類の歴史の裏で活動し、結果的に世界を支えることになるのだが、劇中ではそのカラクリが解明されることはない。とにかく“こういう設定なのだから、そのまま話を進めてしまおう”という見切り発車的なスタンスが見え隠れしている。

 そして“すべての謎の説明は、次回以降”というノリで終わってしまうのだから世話はない。また、敵役は“オールド・ガード”の存在を自らのビジネスに活かそうと考える製薬会社なのだが、これもありがちだ。主人公たちと匹敵するようなパワーを持つ悪漢どもを出して欲しかったが、それはパート2でのお楽しみということになるのだろうか。

 それでも監督のジーナ・プリンス=バイスウッドは健闘していて、メリハリの効かせ方は足りないが、テンポ良くドラマは進む。アンディ役のシャーリーズ・セロンは相当に鍛練を積んだようで、格闘場面はサマになっている。ナイル役のキキ・レインも良い味を出しているし、キウェテル・イジョフォーも安定のパフォーマンスだ。ただし、マーワン・ケンザリにルカ・マリネッリ、ハリー・メリングといった他のメンバーは影が薄い。もっと濃いキャスティングが望まれる。
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「17歳のウィーン フロイト教授人生のレッスン」

2020-08-29 06:58:39 | 映画の感想(英数)
 (原題:DER TRAFIKANT )何だか妙な映画である。興味深いネタは散りばめられてはいるが、それらを束ねて骨太な映画的興趣に持っていこうという意思が感じられない。総花的に事物を並べているだけだ。反面、映像はヘンに凝っていて、結局作者がやりたかったのは奇を衒った画面構成であり、歴史的なモチーフはその“前振り”に過ぎなかったのかと思いたくなる。

 1937年、ナチス・ドイツによる隣国オーストリアに対する干渉は激しくなり、併合寸前の様相を呈してくる。そんな中、17歳のフランツは田舎の実家を離れ、煙草屋の店員として働くためウィーンにやってくる。そこで知り合ったのが、著名な心理学者のジークムント・フロイトだった。ボヘミア出身の若い女に一目惚れしたフランツは、フロイトにいろいろ助言をもらう。



 やがて街中ではハーケンクロイツ旗が数多く翻るようになり、リベラル系の新聞を取り扱っていた煙草屋の店主も逮捕される。フロイトの身辺も危うくなり、周囲の者は彼に英国への亡命を勧めるのだった。ローベルト・ゼーターラーの小説「キオスク」の映画化だ。

 いくらでもシビアな展開が可能な時代設定であり、実際に主人公たちは困難に直面するのだが、その扱いは生ぬるい。いわば“想定の範囲内”である。そもそも、フランツはあまり感情移入出来ないキャラクターだ。あまり恵まれない境遇にあることは分かるのだが、その内面が突っ込んで描かれない。そして、肝心のフロイトのアドバイスが全然大したものだと思えない。年長者ならば誰だって言えることばかりだ。

 斯様に映画は要領を得ないが、冒頭の“水中シーン”をはじめ、映像表現には力がこもっている。荒涼としたウィーンの町並みや、この世のものとも思えない実家およびその周辺の風景描写など、作り手が得意満面でカメラを回しているのが分かる。しかし、映画としてはそれが完全に“浮いて”いるのだ。ヘンにアーティスティック路線に色目を使うより、真っ当な歴史ドラマにした方が求心力が発揮出来たはずだ。

 フランツ役のジーモン・モルツェは大して印象に残らず。フロイト役に2019年に世を去ったブルーノ・ガンツが起用されているが、存在感はあるもののドラマの素材としては昇華されていない。ニコラウス・ライトナーの演出はアマチュア臭がして感心せず、個人的には観る必要の無かった映画だ。
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「燃えつきるまで」

2020-08-28 06:34:30 | 映画の感想(ま行)
 (原題:Mrs. Soffel )84年作品。キャストの使い方は万全ではなく、ストーリー自体は大して面白くない。それよりも、時代の設定と考証の方に興味を覚える映画だ。今まで知らなかったことが紹介されている。監督はオーストラリア出身の女流ジリアン・アームストロングで、カンヌ国際映画祭に正式出品された「わが青春の輝き」(79年)に続く二作目である。

 1901年、ピッツバーグのアレゲニー刑務所の所長ピーター・ソッフルの妻ケイトは、獄舎の人々のために聖書を読んできかせるという活動に勤しんでいた。服役中のエドとジャックのビドウル兄弟は殺人罪で死刑を宣告されていたが、それは濡れ衣だと看守に訴えていた。世論は兄弟に同情し、裁判所に助命嘆願が提出されていたのだ。



 ケイトはエドと知り合うが、互いに運命的なものを感じる。やがて2人の仲は恋愛へと発展する。ある日、監房が火に包まれた。ケイトは家族を捨て、エドとジャックと共に塀の外に飛び出し、カナダへと向かう。マクガヴァン刑事率いる警察隊が追跡を始め、ついにカナダとの国境を目前にして騎馬隊に追いつめられてしまう。

 アームストロング監督はラブシーンの撮り方が下手だ。単なるセリフのやり取りだけで、恋愛が進展すると思っている。些細な動作や眼差し、そしてセクシャルな匂いなどを散りばめて盛り上げないと、観る者は納得しない。しかも、エド役がメル・ギブソンである。この頃のギブソンはあの青い目としなやかな身のこなしでセクシーさを醸し出していたが、本作ではそのあたりの描写が不足している。

 ケイトに扮しているのはダイアン・キートンなのだが、ウディ・アレンと別れた彼女は、その前に出た「リトル・ドラマー・ガール」(84年)と同じく、どうにも精彩が無い。いつも疲れたような顔で、内面もかさついているように見える。現在は良い感じにトシを取っているが、この時期はスランプだったのかもしれない。対してジャックを演じるマシュー・モディンはとてもいい。儚さを漂わせたキャラクターがこの役にピッタリだ。

 気勢の上がらないラストも含めて、出来自体にはこれ以上あまり言及したくないが、当時は刑務所と所長の住居が隣り合わせだったのには驚く。所長の妻が囚人たちに聖書を読んで聞かせる役を引き受け、長いドレスを着て殺人犯や強盗犯の獄舎に平然と入っていくのはちょっと凄い。今からは考えられないことだ。
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「カセットテープ・ダイアリーズ」

2020-08-24 06:20:10 | 映画の感想(か行)
 (原題:BLINDED BY THE LIGHT)音楽を聴くという行為の素晴らしさを、何の衒いも無く提示してくれる良作だ。かねてから思っていたが、映画を観て人生が変わるケースよりも、音楽に出会って人生の方向性を掴むことの方が多いのではないだろうか。それは映画が(ほとんどの場合)受動的なメディアであるのに対し、音楽は受動的であると同時に能動的でもあるという特性を持つからだろう。

 1987年、イギリスの小さな町に住むパキスタン移民の子である高校生のジャベドは、人種的偏見やパキスタン人家庭の伝統的な堅苦しい戒律に嫌気がさしていた。親友のマットはバンドをやっているが、彼の“これからの音楽はシンセと打ち込みだよ”という姿勢には同意出来ない。そんな中、ジャベドはイスラム系の同級生から奨められたブルース・スプリングスティーンの音楽に衝撃を受ける。



 ジャベド自身の悩みと、そのブレイクスルーの方法論を力強いサウンドで表現してくれるスプリングスティーンの楽曲に大いに感化され、何とかしてこの素晴らしい音楽を皆に広げるべく、彼は活動を開始する。一方、ジャベドの父は理不尽なリストラに遭い、一家は窮地に追いやられる。英国ガーディアン紙で活動しているパキスタン出身のジャーナリストである、サルフラズ・マンズールの自伝の映画化だ。

 ジャベドがスプリングスティーンのナンバーに初めて触れたとき、その歌詞が画面に大写しになっていく様子には笑ったが、音楽の影響の強烈さを表現する手法としては、効果的だ。それ以後、映画はロックのリズムさながら躍動し始める。ジャベドは何ごとにも積極的になり、ときには厳格な父親とも対峙する。ただ同時にそれは、自身が置かれた状況を見つめ直すことにもなるのだ。

 英国社会における移民の立場は、ジャベドにも変えようがない。しかし、スプリングスティーンの音楽が表現しているように、前向きに対処することは出来る。彼は音楽の持つポジティヴなヴァイブレーションを自身の生き方に投影し、周囲の者から一目置かれるような存在へと成長していく。そのプロセスは感慨深い。

 グリンダ・チャーダの演出はテンポが良く、各キャストの動かし方も上手い。そして、当時のイギリスの(サッチャリズム隆盛の)社会情勢をも浮き彫りにしていく。ヴィヴェイク・カルラにクルヴィンダー・ギール、ミーラ・ガナトラといった出演者には馴染みが無いが、皆良くやっている。スプリングスティーンの楽曲以外にA・R・ラフマーンがオリジナルのスコアを提供しているが、こちらも申し分ない。
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「君が世界のはじまり」

2020-08-23 06:58:17 | 映画の感想(か行)
 最近「のぼる小寺さん」や「アルプススタンドのはしの方」といった良質の学園ドラマを堪能出来て嬉しく思っていた矢先、こんなにも低レベルのシャシンに遭遇してしまい、大いに気分を害した。とにかく、本作はまるで“映画”になっていないのだ。単に思い付きだけで撮られたようで、全てが素人臭く、観るに堪えない。

 大阪の下町に住む高校2年生の縁は、無為で張り合いのない日々を送っていた。せいぜい、親友の琴子の多彩な男関係を聞いて苦笑するぐらいだ。同じ学校に通う女子学生の純は、母に家を出て行かれ、その場を取り繕うばかりの父にウンザリしていた。そんな純が放課後に立ち寄ったショッピングモールで、東京から転校してきた伊尾と会い、そのまま懇ろな仲になる。ある日、夜遅くまでショッピングモールで過ごしていた縁とサッカー部キャプテンの岡田、琴子の彼氏のナリヒラ、そして純と伊尾の5人は、突然の大雨で家に帰れなくなり、そこで夜を明かすことにする。



 冒頭、父親を殺した男子高校生が逮捕されるというニュースが流れるが、それが登場人物の中の誰なのかといった趣向は、一切考慮されない。文字通り、取って付けたようなモチーフのまま終わる。縁たちを取り巻く環境は、まあそれなりにシビアなのだろうが、いずれも表面的に扱われるのみだ。

 全編に溢れる説明的なセリフと、奇を衒ったようなショット。ワザとらしいシチュエーションで、これまたワザとらしい動きをキャストにさせるという、いわば自己満足的な展開の連続。どのキャラクターにも、まったく感情移入出来ない。ブルーハーツの楽曲をネタとして取り上げているが、その使われ方が観ていて恥ずかしくなるほど下手だ。5人が夜中に“疑似ライブ”をするくだりなど、そのノリの悪さに目も当てられなかった。

 さらに、大阪を舞台にしているにも関わらず、大阪弁がまったくサマになっていない。そもそも、大阪っぽい雰囲気が希薄だ。原作と演出を担当しているふくだももこは大阪出身なのに、斯様な体たらくなのは、本人に映画製作のスキルが無いからだろう。映画専門学校の学生でも、もっとマシなものを撮ると思う。

 若手出演者の中で知っているのは縁に扮する松本穂香と琴子役の中田青渚ぐらいで、彼女たちにしてもロクなパフォーマンスをさせてもらっていない。あとの連中は名前も覚えたくないほど印象が希薄。エンディングタイトルに被って流れる松本のアカペラ歌唱も、さほど意味があるとは思えない。
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「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」

2020-08-22 06:58:55 | 映画の感想(ら行)

 (原題:A RAINY DAY IN NEW YORK )若者が主人公のラブコメも、ウディ・アレン御大が手掛けると、かくも上質でエスプリの効いた逸品にに仕上げられるのかと、感心することしきりである。俳優の動かし方、ギャグの繰り出し方もさることながら、先の読めない脚本の巧みさには唸るしかない。

 東海岸の郊外(田舎)の大学に通うギャツビーは、学生新聞の記者をしている同級生の恋人アシュレーがマンハッタンで有名監督にインタビューする機会を得たことから、一緒にニューヨークに出向く。実はギャツビーはニューヨーク出身で、アリゾナ生まれのアシュレーに街を案内する予定だった。しかし、到着早々2人は別行動を余儀なくされる。何とかして彼女とニューヨークでのデートを敢行したいギャツビーだが、次から次にハプニングが起こり、連絡さえ取れなくなる。やることが無くなり、やむなく両親の主宰するパーティーに出席した彼が直面したのは、母親の思いがけない秘密だった。

 恋愛映画の主要メソッドである“すれ違い”ネタが展開するのだが、携帯電話やSNSが普及した現在では成り立たないと思わせて、微妙な情報の齟齬により2人がどんどん引き離されてゆくプロセスが、目立った瑕疵も無く進むというのが凄い。しかも、2人が遭遇するエピソードが映画製作の現場およびその裏側に関するネタに準拠しているので、映画ファンとしては堪えられない。

 ウディ・アレンの映画には大抵インテリぶって講釈ばかり垂れ流す野郎(作者の分身)が登場するが、本作のギャツビーはまさしくそう。当初はアイビーリーグ校に入学したものの、1年で(おそらく成績不振により)放校処分になるが、それを“ボクの実力を発揮出来る場ではなかった”などと言い訳じみたモノローグを連発して誤魔化すのはケッ作だ。

 自意識過剰で認識不足のアシュレーのキャラクターも最高で、洪水のように押し寄せるトラブルを、平然と(自分に都合が良いように解釈して)乗り切ってしまうのはアッパレだ。思いがけないラストのオチは効果的だが、やっぱりアレンはニューヨークが好きなのだと改めて感じ入った。

 ギャツビー役のティモシー・シャラメは軽佻浮薄に見える二枚目を上手く演じていたし、アシュレーに扮したエル・ファニングも大奮闘で、何よりも可愛く撮れていた。セレーナ・ゴメスにジュード・ロウ、ディエゴ・ルナ、レベッカ・ホールなどの脇の面子も万全だ。なお、本作はアメリカでは公開されていないらしい。昨今の#MeToo運動によってアレンの過去が蒸し返されたという理由だが、このあたりの事情はどうも愉快になれない。
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最近購入したCD(その38)。

2020-08-21 06:31:50 | 音楽ネタ
 2002年に英国チェシャー州ウィルムスローで結成された4人組のバンドThe 1975の4枚目のアルバム「仮定形に関する注釈」(原題:Notes on a Conditional Form )は、2020年度のロック・シーンを代表する名盤だと断言したい。とにかく、恐るべきクォリティの高さだ。

 このグループのサウンドは以前から聴いてはいるが、どうもピンと来ないというか、一回流したら“もういいかな”といった具合であまり訴求力は感じなかった(まあ、それでもセールス面では万全だったが)。ところがこの4枚目は、どのナンバーも密度が高い。しかも、曲調がバラエティに富んでいる。あらゆるジャンルをカバーしているかのようだ。それでいて、メロディラインが一貫性のあるエッジの効いたポップさで彩られている。



 本ディスクは22曲収録で、トータルタイムは80分以上というボリュームだが、少しも退屈させない。また歌詞も良い意味で“意識が高い”。現代社会を取り巻く問題について、そして人間にとって一番大事なものは何かという真摯な問いかけもあり、見事と言うしかない。とにかく、現時点で斯様な確固とした世界観を持つバンドが存在していること自体、奇跡だと思う。ロックファンにとっては必携盤だ。

 2020年9月に解散することが決定している3人組の“楽曲派”アイドルグループsora tob sakana(通称:オサカナ)のラスト・アルバム「deep blue」は、その独特のサウンド・デザインを大いに堪能できる内容になっている。アイドル好きだけではなく、一般の音楽ファンが聴いても好印象なのではないだろうか。



 彼女たちのやっている音楽は、プログレッシブ・ロック仕立てのポストロックと言うべきもの。変拍子の多用とエレクトロニカ風味等で、屹立した個性を獲得している。それでいて、アイドル歌謡としてのルーティンもしっかり確保しているというのが面白い。3人の見た目やステージ上での仕草や振り付けは、まさにアイドルそのもの(笑)。しかしながら、バックの演奏やアレンジは精妙で、そのギャップもインパクト大だ。

 それにしても、プログレとアイドルソングというのは、けっこう相性が良い。オサカナ以外にも、それらしい方法論を採用しているグループはいくつか存在するし、日本の“楽曲派”アイドルの動向は今後もチェックしていきたい気になる。今のところ“楽曲派”は女性ユニットばかりだが、男性版も聴いてみたい(でもまあ、この分野は某大手事務所の独占状態なので難しいかもしれないが ^^;)。



 ベルリオーズの幻想交響曲はポピュラーなナンバーだけに過去にいくつも名盤が存在したが、ここにまた一枚加えて良いと思う出来のディスクが登場した。アンドレア・バッティストーニ指揮の東京フィルハーモニー交響楽団によるものだ。バッティストーニは87年生まれの、クラシック界では若手といえる年代に属し、2016年から東フィルの首席指揮者を務めている。

 バッティストーニのパフォーマンスは実に筋肉質。力任せにグイグイと引っ張ってゆく。特に終楽章付近のノリの良さには圧倒される。それでいて解釈自体はオーソドックス。たとえば、この曲の代表盤と言われるシャルル・ミュンシュ&パリ管のような超ロマンティックなアプローチとは異なり、またクリストフ・フォン・ドホナーニ&クリーヴランド管のようなクールで突き放したようなスタンスとも違う。誰が聴いても納得するような、良い意味での中庸をキープする。

 また、録音がとても良い。このレーベル(DENON)らしい、ピラミッド型の帯域バランスで音場感の豊かさを実感出来る。カップリングは黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」で、初めて聴く曲だ。雅楽の舞をベースにしているらしいが、ゆっくりした導入部から怒濤の展開を見せる第二部まで、飽きさせることが無い。この演奏だけでもこのディスクの価値は十分ある。
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「アルプススタンドのはしの方」

2020-08-17 06:32:10 | 映画の感想(あ行)

 これは面白い。優れた青春映画であると共に、その卓越した着眼点には驚くばかり。まさに“その手があったか!”と快哉を叫びたくなった。また、原作は第63回全国高等学校演劇大会で最優秀賞を受賞した戯曲だが、舞台劇の映画化にありがちな作品世界の窮屈さや演者のわざとらしいパフォーマンスも巧みに回避している。75分というコンパクトな尺も相まって、鑑賞後の気分は爽快だ。

 全国高校野球選手権の埼玉県予選。東入間高校は強豪校との試合に際し、全校生徒が応援動員に駆り出される。その応援席の最後列の端っこに、野球のルールも知らない演劇部員の安田あすはと田宮ひかるがいた。そこに元野球部の藤野富士夫と勉強一筋の宮下恵が加わり、試合に興味のない4人の取り留めのない会話が展開する。

 ところが、演劇部は部員の急病により大会出場がキャンセルになり、富士夫は早々と野球に見切りをつけ、恵は野球部のエースに片想い中と、各人の微妙な屈託があらわになってくる。さらに、くだんの野球部エースは吹奏楽部の才色兼備の部長と恋仲であることが明らかになるに及び、4人の動揺は高まってくる。

 まず、本作はスポーツを題材にしているにも関わらず、肝心の試合のシーンは皆無である。しかも、それがスポーツを描くにあたっての欠点にはなっていない。このあたりが痛快だ。試合が進むにつれ応援は盛り上がり、終盤には手に汗を握るほどになる。観客席の様子だけで試合経過と選手の奮闘ぶりが過不足なく表現されているという、見たことが無いような状況が現出しているのだ。

 冒頭、あすはは担当教師から演劇大会の辞退を告げられ“しょうがない”とあきらめる。富士夫は自らの野球センスのなさに、恵は勉強しか取り柄の無い今の自分に、それぞれ“しょうがない”と心の中でつぶやく。確かに居合わせた厚木先生の言うように、人生は空振り三振の連続だ。しかし、そんな諦念ばかりに浸っていると、大事なことまで“しょうがない”と片付けてしまう。4人がそのことに気付き、何をやるべきなのかを自覚するまで、スリリングな試合の展開と連動してドラマが進んでゆくプロセスには、感心するしかない。

 そして、舞台がスタンドの一部に限定されておらず、観客席の裏側や応援団の働きぶりなど、場面に多様性を持たせることによって舞台劇特有の空間の狭さを克服しているのも見事だ。城定秀夫の演出は丁寧かつ的確。小野莉奈に平井亜門、西本まりん、中村守里、目次立樹、黒木ひかりといったキャストは馴染みが無いが、皆よくやっていて演技が下手な者が一人もいないのには本当に気持ちが良い。本年度の日本映画の収穫である。
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「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」

2020-08-16 06:58:27 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Chronik der Anna Magdalena Bach )1967年西ドイツ=イタリア合作。題名通り、大作曲家J・S・バッハの二番目の妻アンナ・マグダレーナから見た夫の音楽活動を描いたバッハの伝記映画ではあるが、その独特の映像表現により実に見応えのある作品に仕上がっている。本作が日本公開されたのは80年代半ばだが、その頃話題になっていたミロス・フォアマン監督の「アマデウス」(84年)とは対局を成す映画である。

 この作品にはドラマはあまり存在しない。ごく一部で演者たちのセリフのやり取りがあるが、大半がバッハの演奏シーンとアンナによる日記の朗読だけで構成されている。本作はバッハの生涯も、アンナとの関係性も重要視していない。そんな、ドキュメンタリーにも成り切っていない映画のどこが面白いのかと問われそうだが、これがすこぶる興味深い。

 映画の主眼は、音楽とその時代に生きる人々との関係性なのだ。つまりは“音楽とは何か”という、根源的な課題に肉迫している。その主題が最も顕著に表現されているのが、1727年4月のライプツィヒの聖トーマス教会における「マタイ受難曲」の初演の場面である。

 通常、クラシックの公演映像は主として客席からステージを見つめるポジションで展開されるが、この映画では演奏するバッハの姿が斜め後方より撮影されている。いったいこれは誰の視点なのかと思っていると、当時の慣習で立ったまま演奏する楽団員と同じ目の高さから観客席を捉えた映像を観るに及んで、それはバッハの演奏に立ち会っている者の視点であることが分かる。

 そのカメラが切り取った、身動き出来ないほど多くの人々で埋め尽くされた教会の様子を見るとき、同時代に生きる者たちの切迫した思いを代弁するものが、バッハの音楽であったことが如実に感じられるのだ。そして、劇中でアンナが家でチェンバロを弾いている様子を延々と映す場面に代表されるように、演奏行為自体が家事のように日常のものだというモチーフも提示される。つまりは、音楽とは、生活そのものであり、情念であり、想いである。

 バッハに扮するのはバロック演奏の大家グスタフ・レオンハルトで、サウンドトラックも彼が指揮するウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが担当している。おそらく、当時のバッハの音楽は斯様なスタイルで人々の耳に届いていたのだろうという、大きな説得力を獲得している。

 ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの演出は起伏は無いが、モノクロで表現される映像の取り上げ方が緊張感に溢れ、最後まで飽きさせない。アンナを演じるクリスチアーネ・ラング・ドレヴァンツの存在感もかなりのものだ。
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