元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「歌舞伎役者片岡仁左衛門 登仙の巻」

2013-02-26 06:38:06 | 映画の感想(か行)
 95年作品。94年に90歳で他界した片岡仁左衛門丈の晩年の活動を追う2時間40分のドキュメンタリー作品。もっともこれは監督の羽田澄子が長年にわたってずっと追ってきたシリーズの最終章で、全部合わせると8時間を越える長尺になるが、私はそれら“前作”は観ていない。しかしながら、このチャプターだけでも質の高さは十分に伝わってくる。

 何より歌舞伎の場面が出色だ。仁左衛門を画面の中央に置き(脇役で出ているときも含む)、微妙な表情や時折見せるカリスマ性を強調。間違っても映画で歌舞伎の華やかなステージングを“そのまま”描こうとはしていない。それは実物に接すればいいことであり、映画ならではのミクロ的なアプローチを試みているのは冷静な態度である。



 そしてショックなのは、舞台であれだけ鬼気迫る演技を見せる仁左衛門が、いったん舞台を降りると視力も衰え歩行もままならない老人であるという点だ。芸に生きる人間の凄さを垣間みる。

 前作までは弟子に対する厳しさも描いていたそうだが、ここではすでに枯淡の境地に入った仁左衛門の柔和な人となりが紹介される。妻や娘のインタビューや、自宅を訪れた友人たちとのやりとりなどは、本当に観る側もホッとするというか、仁左衛門から適度な距離を取りカメラがそっと優しく見つめる感じが快い。

 彼が活動の拠点とした京都の風景、自宅の質素なたたずまいが落ち着いた色調でとらえられているのは、小津安二郎の作品を観るような安心感がある(そういえば小津も歌舞伎のドキュメンタリーを撮っていた)。画面に誰もいない空間を映す場面も目立つが、確実に仁左衛門の存在を感じ取ることができる。素材に密着したドキュメンタリー作家の面目躍如だろう。
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「ルビー・スパークス」

2013-02-25 06:43:12 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Ruby Sparks )面白かった。男ならば誰しも身につまされる話であるが、その痛々しさをエンタテインメントに昇華して、見事に主人公の成長物語に仕立てている。やはり前に「リトル・ミス・サンシャイン」という快打を飛ばしたジョナサン・デイトンとバレリー・フェリス夫妻の監督コンビは、ただ者ではない。

 デビュー作こそ大ヒットしたものの、第二作が書けずに長らくスランプの状態にある若手作家カルヴィンが、何気なく自分の理想の女性像を書き連ねていたら、そのまんまの女の子ルビーが彼の前に現れる。しかも、彼女は彼が書く原稿の通りにプロフィールや性格が設定されてしまうのだ。

 まさに男の勝手な願望を実現化してしまうキャラクターで、有頂天になったカルヴィンはルビーと恋仲になり、両親にも紹介する。ところがしばらく経つと、ルビーは意のままに動くはずなのに二人の関係が上手くいかなくなってくる。焦ったカルヴィンは原稿のリセットを繰り返した挙げ句、ついにはルビーに彼女自身が“創作上の産物”でしかないことを明かそうとする。

 こういう交際相手がいれば良いとか、付き合っている恋人がこんな性格であって欲しいとか、誰だって思ったことがあるはずだ。特にカルヴィンは第一作が売れたことによって儲けた金で生活感の無い家を入手し、人付き合いが苦手なくせに“俺は皆とは違うのだ”というプライドを持ち、パソコン類には目もくれず今時タイプライターで文章を作成するという、スノッブなオタク野郎である。だから空想上のガールフレンドに対する要求度は人一倍高い。

 ところが、いざ自分の思い描いた通りの女の子が実体化したとしても、そのパフォーマンスは当人の知識や教養や視野に準拠してしまい、そこから一歩も出ることはない。ルビーはやがて自分の意志を持ち始め、思い通りに行動するようになるが、カルヴィンはそのことを理解できずに何度も彼女の性格を設定し直すハメになる。しかし、再設定のたびに彼女はいかにも薄っぺらいキャラクターに変化するだけで、本当に自分が思っている“理想”の姿とは遠くなるばかりなのだ。

 当然のことながら、彼のそんなメンタリティでは万人を納得させるだけの書物を上梓することは出来ない(第一作の大当たりはマグレだったのであろう)。それをやっと自覚した彼は、それまでの思い上がった態度を改めて真摯に人生に向き合おうとする。考えてみれば予定調和の筋書きなのだが、オタクっぽい願望が木っ端微塵に砕かれて“裸の自分”がさらけ出されるプロセスはかなりシビアで、しかもそれがコメディタッチで提示されているため無理なく観る者にスッと入っていくあたりがクセ物だ。

 主役のポール・ダノは好演で、情けないアンチャンを嫌味にならずに上手く表現している。ルビー役のゾーイ・カザン(往年の名監督エリア・カザンの孫)は奔放な魅力を放つ逸材で、本作の脚本も手掛けているという注目株だ。アントニオ・バンデラスやアネット・ベニングなど脇の面子も多彩。辛口のラブ・コメディとして、幅広く奨められるシャシンである。
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「ありがとう」

2013-02-24 06:56:51 | 映画の感想(あ行)
 96年作品。5年間の単身赴任を終えて、一家の主(奥田瑛二)が自宅に帰ってみると、長女(夏生ゆうな)はチンピラどもに輪姦されている最中で、次女(早勢美里)は自慰場面をチンピラに激写されていた。激怒した彼はチンピラどもを撃退して一件落着・・・・と思ったら、妻(山口美也子)はアル中になっていて、しかもパート先の店長と堂々不倫中。かくいう彼も現地妻(平沙織)と別れたばっかりだった。崩壊していく家族を彼は立て直せるのか。山本直樹の劇画を映画化したのはフジテレビのディレクターである小田切正明で、これが映画デビュー作。R指定作品である。

 家庭内のゴタゴタをエゲツなく描く作品はヘタすれば単なる不快な悪ふざけに終わる場合も多々あるが、この映画は悪趣味と紙一重のところで踏みとどまり、共感を呼べるような作品になっている。その理由はある点で真実を描いているところである。



 “一家の主あっての家庭であり、立て直すのも主の役目である”という明らかにアナクロな価値観にのっとって孤軍奮闘する主人公の姿は、真剣であればあるほど失笑を呼ぶ。娘を辱めたチンピラの親玉(村上淳)の家庭も父親(田山涼成)は不倫、母親(速水典子)は息子べったりの不健全なものだが、これが主人公の家庭とどう違うのかと問われると、実質的には何も変わらないのだ。

 父親の意向が家族の方向を決める、なんてことは幻想に過ぎず、しょせん家族は皆バラバラで自分勝手な価値観を持ち、いずれは崩れていくものだ。その事実から目をそむけ、必死で理想にしがみつく中年男の面白うてやがて哀しい顛末を、シニカルかつ少しばかりの共感をこめて描くスタンスは十分納得できる。

 久々に展開に冴えを見せる荒井晴彦の脚本とキャストの頑張りが印象的。公開当時はあまり話題にならなかった映画だが、辛口の家族劇として要チェックの快作だと思う。
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「かぞくのくに」

2013-02-23 06:57:32 | 映画の感想(か行)

 丁寧に作られてはいるが、見終わってみれば食い足りない。映画を撮るにあたって、作者は一番重要なことを棚上げしてしまったように思える。それは、自らの立ち位置に対する洞察だ。スタンスが曖昧なままでは、他者への言及もどこか空々しいものになる。

 90年代後半、いわゆる“帰国事業”で25年前に北朝鮮へ移住したソンホが、病気治療のため3ヶ月限定で日本に戻ってくる。両親と妹のリエは久しぶりの再会に大喜びだが、監視随行員が同行していたり、自由のない北朝鮮で長く暮らしたソンホとの間に微妙な“溝”が生じたりと、どこかぎこちないものが漂う。ソンホを診察した医者は、3ヶ月間では治療できないと告げる。家族は何とか彼の滞在期間を延長してもらおうとするが、突然に北朝鮮から“即刻帰国せよ”との命令が下る。

 在日朝鮮人2世であるヤン・ヨンヒ監督の体験をベースに作られているらしく、家族や周囲の人物たちの描き方はキメが細かい。かつて“地上の楽園”と持て囃された北朝鮮に、大事な息子を送り出してしまった両親の悔恨の念。兄と完全には打ち解けられないリエの屈託。そして今でもソンホに好意を抱いている幼馴染みのスニの想い。いずれも過不足無く掬い上げられている。随行員のヤンにしても決して冷酷な人物として扱われておらず、血の通ったキャラクターとして描かれている。カット割りや登場人物の動かし方なども実に達者で、無駄な部分は見当たらない。

 しかし、全編を覆う違和感は、最後まで消えることはなかった。確かに、ソンホが味わう苦難には同情を禁じ得ない。だが、朝鮮籍のまま日本に残った家族は一体何なのか。彼らの“祖国”はああいう有様で、アイデンティティの帰属先としては不安定極まりない。この一家が暮らしていて、またこれからも居続けるであろう日本社会との関係性が、ほとんど見えていないのだ。

 またソンホの父は総連のスタッフであるらしいが、ならばどうしてソンホだけ北朝鮮に渡ったのか。それに細かいことを突っ込むと、時代設定からするとソンホは40歳代ということになるが、演じる井浦新は撮影当時30歳代で整合性が取れていない。しかも彼は若く見え、妹のリエはどう見ても20歳代なのでますますチグハグな印象を受ける。

 ぶっちゃけた話、彼ら在日朝鮮人が日本に住むことに対する問題意識が捨象されているので、どんなにシビアな話を切々と語っても、どこか他人事のように思えてしまう。そのことを象徴するのが、大学で朝鮮語を教えているリエが学生に“自分は韓国には足を踏み入れられない”ということを、まるで皆が知っていて当然のごとく告げる中盤のシーンである。ハッキリ言って、そんなことは日本人にとっては“知ったことではない”のだが、このあたりを平気で挿入するあたり、作者の思い上がりみたいなものが感じられる。

 井浦をはじめ安藤サクラやヤン・イクチュン、京野ことみ、宮崎美子、津嘉山正種といったキャストが皆好演であるだけに惜しい。なお、この作品は2012年のキネマ旬報誌のベストワンに輝いたが、正直言って他の日本映画の秀作・佳作群と比べて殊更優れているとは思えない。まあ、あの雑誌の執筆陣には“リベラルな人”が多いらしいので、仕方がないのかもしれないが(-_-;)。
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アベ・プレヴォ「マノン・レスコー」

2013-02-22 06:39:13 | 読書感想文
 18世紀のフランス文学を代表する恋愛小説で、プッチーニのオペラやアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「情婦マノン」をはじめ数多くの舞台・映像作品が作られた。いわゆるファム・ファタールを描いた作品としては最初のものといわれている。

 良家に生まれた主人公の青年シュヴァリエ・デ・グリュは、ある日マノンという美少女に出会い、狂おしいほどの恋心を抱く。だが、マノンは一途に彼を愛してくれるような貞淑な女ではなかった。奔放な彼女に振り回され、シュヴァリエは身を持ち崩す。やがてマノンはアメリカ大陸に追放され、彼もまたその後を追い、そして荒野の中で二人の愛は終焉を迎える。



 とにかく、シュヴァリエの真っ逆さまに堕ちてゆく過程を、容赦なく追い込む筆致が素晴らしい。端から見れば典型的な自暴自棄だが、当の本人はどんな愚行も愛を成就させるための崇高な行為だと信じて疑わない。しかも、自分こそが正しくて、少しでも意見する者は“悪”だと決めつけている。

 だが、精神的な幼さを割り引いても、彼の言動は唾棄すべきものだとは思えないのがミソだ。誰しも一度は、こんな後先考えない一途な恋愛に憧れたことがあるのではないだろうか。たとえそれが一方通行の報われない恋路であっても、または破滅への一里塚であろうとも、抗しがたい刹那的な欲望にどっぷりと浸かってみたいと思ったりする。そんな背徳的な気分を投影させるかのようなシュヴァリエの造型は、実に見事だ。

 そしてマノンも決して下品な女には描かれない。彼女も主人公を愛しており、その不実な行動もシュヴァリエに対して決して悪気があるわけではない。それどころか、無垢でチャーミングだ。

 ファム・ファタールというのは、決して自分の利益のために男を籠絡する女のことではない。純粋なやり方で愛を貫こうとして、結果的に周囲に不幸を振りまいてしまうキャラクターを指す。こういう話を書いたプレヴォが修道士だったというのも驚く。残念ながら「情婦マノン」は未見だが、機会があれば観てみたい。
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「人生、ブラボー!」

2013-02-18 06:37:59 | 映画の感想(さ行)

 (原題:STARBUCK)楽しい映画である。しかし、物足りない点があるのも確かだ。これはたぶん、作者が“いい人”であるためだろう。ここで“いい人であることの、いったいどこが悪いのか”という突っ込みが入るのかもしれないが(笑)、ポジティヴ一辺倒では私のようなヒネくれた映画好きは満足しないことも多々あるのだ。いくら食材が良くても、スパイスが利いていないと料理が美味しくならないのと一緒である(なんじゃそりゃ ^^;)。

 カナダのケベック州に住むダヴィッドは、40歳過ぎても独身のまま。仕事はいい加減で甲斐性は無く、挙げ句の果てには借金取りに追いまくられる始末だ。ある日、彼が若い頃にアルバイト代わりに精子を提供した結果生まれてきた“子供たち”が、父親の身元開示を求めて裁判を起こしたことを知る。その数何と533人で、そのうちの142人が原告だという。

 ダヴィッドとしてはそんな面倒なことに巻き込まれるのはまっぴら御免だが、ふとした好奇心から身分を隠して“子供たち”の何人かに会いに行くと、それぞれが自身の人生に向き合って奮闘していることを知ってしまう。そんな“子供たち”の姿を目の当たりにして、彼は自分の今までの生活を見直そうとする。

 ダヴィッドはズボラだが憎めない人物で、彼の“子供たち”の中にも悪人はいない。今まで不真面目に日々を送ってきたかに見える彼のような人間でも、善意があればふとしたきっかけで立ち直れるという、底抜けの楽天性に貫かれた映画だ。パトリック・ユアール扮するダヴィッドのキャラクターは嫌味が無く、周りの連中との掛け合いも楽しい。ケン・スコットの演出はテンポが良く、ギャグの振り方も申し分ない。そしてもちろん、映画には冒頭からハッピーエンドを約束されたようなエクステリアが付与されている。

 だが、どうにも不完全燃焼の部分がある。ダヴィッドはダメ男という設定だが、彼は皆から好かれている。婦人警官のガールフレンドもいれば、弁護士の親友もいる。母親には死に別れたが、父親も二人の兄たちも人格者だ。そもそも、精子提供のバイトの目的だって自分のためではなかったのだ。その意味では彼はちっとも“ダメ”ではない。同世代のカタギの連中でも、彼より幸せでない者はいくらでもいる。ダヴィッドは単に不器用だったから、ずっと貧乏くじを引いてばかりだったに過ぎない。

 こういう“本来ハッピーになるべき不遇な人間が、晴れて今回ハッピーになる映画”というのは確かに肌触りは良いが、何となく予定調和に過ぎる気がする。これがたとえば、主人公が友人も恋人もおらず、家族とも疎遠で仕事も出来ない真の意味での“ダメ人間”だったらどうだろう。

 そんな本当に冴えない奴が、実は533人の“子供たち”がいることを知り、一念発起して立ち直ろうと藻掻き苦しむ・・・・という筋書きならば、もっと求心力のある骨太な作品に仕上がったかもしれない。そういうことが気になって、面白さも100%には達しなかった。
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「ユリョン」

2013-02-17 08:43:01 | 映画の感想(や行)
 (英題:Phantom, the Submarine)99年韓国作品。精神錯乱に陥った上官を射殺して死刑に処せられたはずの将校が送られたのは、軍の核兵器基地。そこに集められた男たちは極秘の任務を遂行するために、表向きは“死んだこと”になっている。そのミッションとは、ロシアから運ばれた原子力潜水艦“幽霊(ユリョン)”に搭乗し、日本領海へ侵入することだった。監督は「ナチュラル・シティ」などのミン・ビョンチョン。

 かなりトンデモな設定で、下世話な反日感情を狙って製作しているのがミエミエだが、意外にも面白い。全編を覆う緊張感と、破綻を見せない骨太な演出により、最後まで退屈せずにスクリーンに対峙していられる。特に潜水艦同士の海戦シーンの迫力は、ハリウッド映画など軽く上回る。



 それはつまり切迫度の違いってことだろう。頭の中だけで思いついたアイデアを大金かけて商品にしただけ(例:「クリムゾン・タイド」等)のハリウッドと、今も準戦時体制にある韓国とでは求心力が違う。だから「韓国五千年の歴史」とか「今は日本と戦争する準備ができていないからダメだ(準備が出来れば日本と戦争してもOK)」なんていう失笑してしまうような無茶苦茶なセリフにも違和感がそれほどなくなってくるのだろう。

 チェ・ミンスやチョン・ウソン、ソル・ギョングといった面構えの良い役者を集めているのもポイントが高い。
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「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」

2013-02-16 06:48:30 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Life of Pi)遊園地のアトラクションみたいな映画である。断っておくが、私は本作を3Dで観ていない。何しろ偏光メガネを掛けていると頭痛を覚えるのだ(爆)。せいぜい30分程度しか保たず、2時間以上もこの状態を続けるのは辛い。だから通常の2Dでの鑑賞になった次第だが、この映画が3Dで見せることを前提に作られたことを勘案しても、あまり積極的に評価したい作品ではない。

 1977年、インドからカナダへと向かう貨物船が太平洋上で嵐に巻き込まれて沈没。救命ボートに乗って助かったのは、動物たちと一緒にカナダに移住する予定だったインドの動物園長の16歳になる息子パイ・パテルのみ。ところが、ボートには体重200キロを超すベンガルトラのリチャード・パーカーも“乗船”していたのだ。こうして、緊張感に満ちたパイの漂流生活が始まる。カナダ人作家のヤン・マーテルによる世界的ベストセラー小説「パイの物語」の映画化だ。

 普通に考えれば、食料に乏しいボートに凶暴なトラと乗り合わせるというシチュエーションだと、こりゃもう“結果”は決まっている(笑)。だからパイがこのピンチをどう切り抜けるかがドラマの主眼になるはず・・・・だと思うのだが、この映画はそのあたりをハナから捨象している。

 飢えを覚えれば勝手にトビウオの群れが飛び込んでくるし、絶望的な状況になるかと思うと食料が満載のナゾの島にたどり着いたりと、多分に御都合主義的なのだ。しかも、トラの造型は良く出来ているとはいえ、しょせんはCGである。トラだけではなく、魚や他の動物もすべてCG。別にCGだからダメだということでもないが、緊迫感を要求される設定の中にあって、いかにもCG然としたワザとらしい動きのクリーチャーのオンパレードでは、実体感は限りなく乏しい。

 この物語自体が大人になったパイの口から語られるものであり、ラストにはその非現実感を説明するかのような“オチ”もあるのだが、その“オチ”を考慮してもこの奇想天外な話の存在理由がいまひとつピンと来ない。冒頭述べたような“3Dによるアトラクション”としての価値しか見出せないのだ。

 では、どうしてこの映画がアカデミー賞はじめ各アワードのノミネーションを賑わせたのか。それはたぶん、主人公パイの宗教観にあるんじゃないかと思う。パイはヒンドゥー教をはじめ、キリスト教やイスラム教も信じている。また仏教やユダヤ教にも興味を持っている。自らの人生に何らかの“救い”をもたらすと感じるものは、どんな宗教のどんな神でも信じてしまう。

 キリスト教やイスラム教などの一神教が、長い間人々を救うどころか戦争の口実になっていることに対するアンチテーゼとして受け取られたのかもしれない。逆に言えば、そういう解釈でもしない限り、高評価の背景は説明できないと思う。

 アン・リーの演出は、今回は可も無く不可も無し。出演者は全て馴染みが無いが、あえて有名な俳優を使わなかったというアン監督のセリフとは裏腹に、印象に残るキャストもいない。個人的には凡作としか思えない映画であった。
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「冷たい水」

2013-02-15 06:59:37 | 映画の感想(た行)
 (原題:L'eau froide)94年作品。1972年、パリ郊外。周囲から疎外されて若者コミュニティに身を投じた少年少女の悲しい運命。監督は「パリ・セヴィユ」(91年)などのオリヴィエ・アサヤス。

 正直言って、大した映画では無い。序盤の、主人公たちの厳しい家庭環境を冷ややかなタッチで綴るあたりはまだ見ていられたが、彼らが家と学校を捨ててヒッピーもどきの連中と合流するあたりからはドラマが停滞してしまい、そのままズルズルと終わってしまう。いったい何を言いたかったのだろうか。



 取り柄といえば、懐かしい70年代ロックがふんだんに聴けるところだろうか。特にユーライア・ヒープの「安息の日々」を久々に聴けたのは収穫(?)だった。

 なお、私は本作を94年の京都国際映画祭で観たのだが、その際に主演女優のヴィルジニー・ルドワイアンの舞台挨拶が行われた。今では中堅女優として確実にキャリアを積み上げている彼女だが、当時はまだ10代。間近に見た彼女は、素晴らしく可愛かった。白人の女の子でこんなに可愛いのを実際見たのは初めてで、その意味で印象に残っている映画である(笑)。
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「アルバート氏の人生」

2013-02-11 07:33:02 | 映画の感想(あ行)

 (原題:ALBERT NOBBS)キャストの頑張りを除けば、さほど存在価値のある映画とは思えない。ドラマの焦点が定まっていないし、それ以前に設定に対する言及がお粗末に過ぎる。御膳立てだけは面白そうだが、もうちょっと話を練り上げてもらわないと困るのだ。

 19世紀のダブリン。ホテルでウエイターとして長年働いている初老の男性アルバートは、実は女性であった。そのことを隠して目立たぬように暮らしており、ロクに外出もせず、オフタイムは貯め込んだ金の勘定で過ぎていく。ある日、大柄な左官屋のヒューバートがアルバートの部屋に泊ることになり、ひょんなことから“秘密”がバレてしまう。だが、ヒューバートも本当は女性あることを明かす。“妻”と同居までしているヒューバートの生き方に触発されたアルバートは、今までの後ろ向きの生活を改め、積極的に生きようと模索し始める。

 まず、主人公がどうして男性として生きなければならなかったのか、そのあたりの説明が不十分。単に“当時のアイルランドには女性が一人で生きていく術が無かった”と言われても、それがどうして男装なのか、なぜにホテルマンなのか、納得出来る描写は見当たらない。回想シーンなどを挿入して平易なドラマツルギーに仕立て上げてほしかった。

 さらに、百歩譲って“男装は生活のためのやむを得ない手段だった”ということにしても、中盤以降には主人公が同性愛的嗜好を見せるようになるのは明らかにおかしい。こうなると、男装は“その趣味”の表現手段の一つに過ぎなかったということになり、それまでの屈託は一体何だったのかと言いたくなる。かと思えば、ヒューバートの家にある女物の服を着て年甲斐も無くはしゃぐシーンもあったりして、キャラクターにまるで一貫性が無い。

 ロクでもない男の子供を身籠もった同僚のメイドの話や、チフスが大流行してホテルが閉鎖寸前まで追い込まれるエピソードなども、取って付けたようにしか思えない。さらにラストの処理に至っては、一見“解決”しているようで、まるで結末の体を成していない有様だ。ロドリゴ・ガルシアの演出も平板でメリハリが無い。

 主演のグレン・クローズの健闘は評価できる。ウエイター姿もビシッと決まり、実直な“男性”を見事に表現していた。熱演を見せるメイド役のミア・ワシコウスカや、人間としての器が大きいヒューバートに扮したジャネット・マクティアのパフォーマンスも特筆ものだ。しかし、映画自体の出来がこの程度では、いずれも空回りしている印象しか受けない。なお、当時の風俗を再現したセットおよびシネイド・オコナーによるエンディング・テーマは良かった。
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