元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ブルー・ミラクル」

2021-08-30 06:25:01 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLUE MIRACLE)2021年5月よりNetflixで配信。素晴らしく映像の美しい映画である。サンティアゴ・ベネット・マリのカメラによる、カリフォルニア半島南端に位置するロスカボスの町の風景と、透き通るような太平洋の美景が、全体的に青みがかった色調で鮮明に描き出されている。このヴィジュアルだけで、本作の存在価値は十分にあると言える。

 2014年、メキシコのロスカボスにある孤児院は不況により支援者が減り、経営危機に陥っていた。このままでは閉鎖になり、入所している子供たちは、また路上生活を強いられる。かつては自分もストリートチルドレンだった院長のオマールは、銀行の取り立てに追われる毎日だ。そんな中、当地では世界有数の釣り大会である“ビスビーズ・トーナメント”が今年も開催されようとしていた。優勝者には数百万ドルが与えられる。



 アメリカ人のプロの釣り師ウェイドはかつて大会で2度優勝した実績を持っていたが、今は落ちぶれて船もポンコツ同然だ。オマールと懇意にしていた大会主催者は、ウェイドに孤児院のチームと組んで大会に出るように提案する。しぶしぶ承諾したウェイドだったが、オマールには釣りの経験がない。それでも彼は子供たちのために参加を決める。実話を基にした作品だ。

 半ば人生を捨てていたウェイドが、オマールや子供たちとの交流を通じて自分を取り戻してゆく展開は予想通りだが、悪くない出来だ。それよりも、メキシコの地方都市の厳しい実状が紹介されるのが興味深い。治安も景気も悪く、オマールも知人から麻薬取引を持ちかけられる始末だ。ストリートチルドレンたちは辛酸を嘗め、オマールの孤児院のような施設に入れるのは幸運な方だが、それでも運営面では先が見えない。それが風光明媚な自然とのコントラストを成すあたり、何とも玄妙だ。

 大会は3日間にわたって行われ、一番重量のあるカジキを吊り上げたチームが優勝するのだが、ウェイドたちは最初の2日間はやることが全て裏目に出る。それが3日目には怒濤のチャージを見せるのは、定石ながら見せきっている。フリオ・キンタナの演出は特段才気走った点は無いが、堅実にドラマを進めている。

 キャストではウェイド役のデニス・クエイドが印象的で、年は取ったが良い感じの渋みを醸し出していて絶品だ。オマールに扮するジミー・ゴンザレスや、子供たちもそれぞれ個性的で好演。エンドクレジットで紹介される、オマールたちのその後の活躍も頼もしい。
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「少年の君」

2021-08-29 06:57:16 | 映画の感想(さ行)
 (英題:BETTER DAYS )内気な優等生の女生徒と不良少年とのラブストーリーという、典型的な少女マンガ風のネタを取り上げていながら、これほどまでに奥深く感銘度が高い作品に仕上げたスタッフとキャストに拍手を送りたい。終盤のやや無理筋な展開と、エンドクレジットで流れる当局側のPRさえなければ、文句なしの傑作になっていたところだ。

 中国内陸部の地方都市に住むチェン・ニェンは、受験を控えた高校3年生だ。成績は優秀で、怪しげな商売で家計を支える母は彼女に期待している。一方、学校ではイジメ問題が深刻化していた。チェン・ニェンの同級生もイジメが原因で自ら命を絶ってしまうが、今度はチェン・ニェンが新たなイジメのターゲットになる。ある日彼女は、下校途中に集団暴行を受けている少年を目撃し、彼を助ける。するとその少年シャオベイは、彼女のボディガード役を買って出るのだった。



 中国の大学受験事情は壮絶であるらしく、この試験の結果次第で人生が決まるといっていい。そのため受験生のメンタルは擦り減らされ、主人公の通う高校の雰囲気も、実に殺伐としている。他方、シャオベイのような一度社会をドロップアウトした人間には、這い上がれる機会はまず与えられない。そして地方に住む者は、進学のため町を出るしか地元を離れる手段は無い。

 映画はこのような社会的不条理の描写を織り込みつつ、その中で藻掻くように生きる2人のピュアな心情を鮮烈に浮き彫りにする。互いに欠けているものを相手に見出し、彼らは惹かれ合ってこの暗鬱な世界を疾走していく。



 この2人だけではなく、周囲のキャラクターも丹念に掬い上げられており、違和感は無い。違法なビジネスに手を染めてはいるが、それでも娘を心の底から信じているチェン・ニェンの母親や、主人公たちを取り巻く環境に心を痛めつつ賢明にフォローする若い刑事。イジメのグループの親玉である女生徒も、他者を攻撃せずにはいられない心の闇を抱えている。これらのリアリズムには圧倒されてしまった。

 デレク・ツァンの演出は強靱で、素材に肉迫していなから、匂い立つようなロマンティシズムを醸し出し、最後まで目が離せない。主役のチョウ・ドンユイとイー・ヤンチェンシーの演技は素晴らしく、眼差しだけでチェン・ニェンとシャオベイの切ない心情が存分に表現されている。イン・ファンやジョウ・イエら脇の面子も言うこと無しだ。ロケ地の選定やカメラワークも考え抜かれており、映像はとても重量感がある。そして何より“君は世界を守れ、俺は君を守る”というシャオベイのセリフには、泣かされてしまった。
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「サマーフィルムにのって」

2021-08-28 06:52:55 | 映画の感想(さ行)
 評価すべき箇所があまり見当たらない。聞けば第33回東京国際映画祭で上映されて好評を博し、世界各国の映画祭でも歓迎されたらしいが、この程度のシャシンが持ち上げられる理由が分からない。脚本も演出も、劇中で展開されるような学生の自主製作レベル。かといって、お手軽なラブコメ編として割り切るような思い切りの良さも無い。観ていて困った。

 北関東の地方都市の高校に通う女生徒の“ハダシ”は映画部に籍を置いているが、自身の企画が通ったことはない。何しろ、彼女が撮りたいのは時代劇なのだ。彼女は筋金入りの時代劇オタクで、放課後は町外れの空き地にある廃車で友人2人と昔の映画を視聴する毎日だ。ある日、彼女の前にサムライ役にぴったりの理想的な男子、凛太郎が現れる。

 無理矢理に凛太郎を映画製作に引き込み、仲間たちと撮影を始める“ハダシ”だが、実は彼の正体は未来からやってきたタイムトラベラーだった。彼によると“ハダシ”は長じて大物監督になるらしいが、その後の凛太郎が生きている時代には映画はすでに絶滅しているという。“ハダシ”はショックを受けるが、それでも来るべき9月の文化祭に向けて映画の製作を続ける。

 題名にもある通りドラマのほとんどがサマーシーズンで展開されるにも関わらず、どう見ても撮影時期は夏ではない。加えて、全編これ天候が曇りで、海辺のシーンでさえピーカンではないのだから呆れる。これでは夏らしい青春ドラマとしての爽快感に欠け、看板に偽りありだ。また、タイムトラベル云々のネタは、取って付けたようで気恥ずかしい。

 そして何より、キャラクター設定には難がある。主人公が時代劇にのめり込んでいること自体はまあ許すとして、性格は自分勝手だ。自己の都合で周囲を掻き回した挙げ句、クライマックスの上映会の場面では“あり得ない行動”に走る。幕切れは何かの冗談ではないかと思うほど唐突で、観ているこちらは面食らうばかり。

 だいたい、ヒロインの“ハダシ”をはじめ、他の面子は本名でクレジットされず、“ビート板”だの“ブルーハワイ”だのといったセンスが良いとは言えないニックネームで呼ばれるのは脱力する。唯一本名表記である主人公のライバルの花鈴が、最もシッカリした造型であるのは皮肉なものだ。松本壮史の演出は凡庸で、映像も音楽も冴えない。

 主演の伊藤万理華は頑張ってはいるのだろうが、一本調子で抑揚が無い。このあたり、しょせんは“坂道一派”だと片付けられてしまいそう。相手役の金子大地はまあまあだが、他のキャストはあまりコメントしたくはない。わずかに印象的だったのが、花鈴に扮した甲田まひるだ。本当のアイドルだった伊藤よりもずっとアイドルらしい外見で、演技も悪くない。何でも彼女の“本業”はミュージシャンで、ジャズピアノも披露するという。面白い人材で、今後も注目したい。
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「パンケーキを毒見する」

2021-08-27 06:23:18 | 映画の感想(は行)
 第99代内閣総理大臣の菅義偉を描いた政治ドキュメンタリーで、監督はTVディレクター出身の内山雄人。このような題材を取り上げ、この時期に公開したことは注目すべき点なのかもしれない。しかし、映画自体は低調だ。何やら、政治をネタにすることだけで満足してしまい、肝心の内容に関しては練り上げられずに製作されたような印象を受ける。これでは、肝心の主題に関しても何ら訴求力を高められない。失敗作と言って良いだろう。

 冒頭で“菅首相および周辺の関係者に取材を申し込んだが、すべて断られた”という意味の作者のコメントが表示されるが、もうこの時点でダメである。一度断られたぐらいで引き下がるようでは、何のために映画を撮るのか分からない。マイケル・ムーアや原一男のように、アポ無し夜討ち朝駆けの突撃取材ぐらいしたらどうなのか。

 結果的に、本作は丹念に政治に関する報道を追っている者からすれば“既知の事柄”だけを羅列するものになってしまった。それでも上西充子・法政大教授による国会質疑の“解説”は面白かったが、それ以外は新鮮味のないモチーフばかり。その代わりに挿入されるのが、稚拙で趣味の悪いアニメーションや、丁半博打の女性壺振りによる何とも言えない“寸劇”、わざとらしいアニメ声のナレーションなど、気勢の上がらないものばかり。これで政府を風刺した気になっているのならば、製作者の使命感はさほど高いものとは言えないだろう。

 さて、言うまでもなく菅義偉はロクな宰相ではない。自分の考えと合わない意見など全然聞かないし、政策はすべて的外れか後手後手で、大いに国益を損ねている。だいたい明確な国家観さえないのだ(それでいて、権力欲だけは凄まじい)。問題は、菅政権が(最近はさすがに下落したとはいえ)いまだに約3割もの支持を集めていることだ。

 理屈で考えれば積極的に菅政権を支持する理由など無いのだが、それでも手前勝手な御託を並べて支持を表明する者は存在する。当事者への取材が出来ないのならば、頑迷な菅政権支持者を見つけ出して議論を吹っ掛けたり、ハナから投票する気のない政治に無関心な連中を一喝し、場合によっては取っ組み合いのケンカをするぐらいの(笑)根性を見せてほしい。いずれにしても、微温的な展開に終始する本作は、菅政権に反対する層のガス抜きにはなるかもしれないが、それ以上のものではない。
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「ブラック・ウィドウ」

2021-08-23 06:29:50 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLACK WIDOW )何より、コロナ禍で公開が次々と順延になっていたマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の作品を久しぶりにスクリーン上で拝めたことが嬉しい。アート系の映画をミニシアターで鑑賞するのも良いが、ハリウッドの大作を劇場で堪能することも、映画の醍醐味だ。また、本作の出来も水準は超えており、観た後の満足度も高い。

 「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」(2016年)での一件の後、一時期アベンジャーズから離れていたブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフは、久々に“妹”であるエレーナと再会する。そこでナターシャは、かつて自分が属していた国際的暗殺組織“レッドルーム”がまだ壊滅しておらず、死んだはずの親玉ドレイコフが世界征服を企んでいることを知る。2人は服役している“父親”のアレクセイの脱獄を手助けした後、かつての“母親”のメリーナのもとを訪ねる。こうして再集結した“一家”は“レッドルーム”の陰謀に敢然と立ち向かう。



 序盤に、この疑似家族がオハイオ州の田舎町で普通の市民として生活していたが、やむを得ない事情によりこの地を離れ、一家離散になるプロセスが描かれる。それから年月が経ち、アベンジャーズでの活動が行き詰まった時点でナターシャが“妹”や“両親”に再会しようとするのは、彼女考え及び作品の指向が家族回帰であることが分かる。また、彼女にとっての家族はアベンジャーズでもあることが示唆されるのだ。

 対してドレイコフの“家族”は極端に歪なものであり、たとえ血が繋がった者であっても、自身の手足としか思っていない。この、正常な家族観と異常な家族観との相克が、映画に一本筋を通している。ケイト・ショートランドの演出はスムーズで、各キャラクターを万遍なく際立たせている。アクション場面の段取りと構図もかなりのもので、CG多用ながら盛り上がる。

 主演のスカーレット・ヨハンソンは好調で、活劇シーンもさることながらヒーローとしての内面も上手く表現している。たぶんMCUへの出演はこれが最後になってしまうが、とても残念だ。エレーナに扮するフローレンス・ピューはまさに快演。「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」(2019年)のような文芸物よりも、こういうガラッパチな役の方が断然似合う。デイヴィッド・ハーバーやオルガ・キュリレンコ、ウィリアム・ハート、レイチェル・ワイズといった顔ぶれも申し分ない。次回からはエレーナがMCUの重要なキャラクターとしてフィーチャーされると思われるが、いずれにしろ楽しみだ。
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「17歳の瞳に映る世界」

2021-08-22 06:58:07 | 映画の感想(英数)
 (原題:NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS )まったく面白くない。とにかく、主人公の造形が共感度ゼロで嫌悪感しか覚えない。こんなのがスクリーン上をウロウロしているだけで不愉快な気分になってくる。展開は無駄に遅く、それでいて大事なことは描かれていない。映像面でも見るべきものはなく、映画として存在価値があるのか甚だ疑問だ。

 冴えない17歳の高校生オータムは、ある日自分が妊娠していることを知らされる。ところが彼女の住むペンシルバニア州の田舎町では、両親の同意がなければ中絶手術は不可である。アルバイト仲間である従妹のスカイラーはオータムの身を案じ、2人で両親の同意なく妊娠中絶手術が受けられるニューヨークに向かう。



 オータムを妊娠させた相手は誰なのか、そこに至った過程はどのようものなのか、それらは詳説されない。もちろん作劇上の必然性があればカットしても構わないのだが、オータムの中絶に対する考え方を挿入せざるを得ない以上、省略するのは禁物だ。オータムは地味な性格で友人もいないにも関わらず男性関係はけっこう盛んのようで、今までの交際相手の数を平気で打ち明ける。ということは、周りの男子にとって彼女は“便利な相手”でしかなく、もうそのあたりからこのヒロイン像は敬遠したくなる。

 さらにはオータムは中絶を“軽く”見ており、地元の医者の忠告なんかどこ吹く風で、徹頭徹尾自分の都合しか考えない。それでもこの捨て鉢な態度の背景が描かれていれば文句はないのだが、それは無理な注文だったようだ。スカイラーにしても、バイト先の金を勝手にくすねるような問題児で、こちらも感情移入できない。

 ニューヨークに着いてからの2人の行動は、病院から体よくたらい回しされるばかりでストレスが溜まる。思いがけず手助けしてくれる若い男が出てくるのだが、絵に描いたような御都合主義で失笑してしまった。また、2人の彼に対するスタンスも殺伐としていて愉快になれない。脚本も担当しているイライザ・ヒットマンの演出は冗長で、ストーリーがなかなか前に進まないので不満が募る。かと思えば幕切れは唐突で面食らうばかり。

 それでも見どころをあえて挙げろと言われれば、都市と地方との絶望的な格差ぐらいだろうか。オータムの通う高校の様子は、まるで1960年代。あちこちに廃棄された工場が立ち並び、町の医療レベルは低く医師はいい加減なことしか言わない。まさにラストベルトである。主演のシドニー・フラニガンとタリア・ライダーは、あまり可愛くないし魅力もない。画面はザラザラとしていて鑑賞意欲を削がれる。
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「ブレーキ・ダウン」

2021-08-21 06:23:38 | 映画の感想(は行)

 (原題:Breakdown )97年作品。B級サスペンス・アクションながら、かなり面白い。基本的にはスティーヴン・スピルバーグ監督の「激突!」(71年)の焼き直しとも言えるが、泥臭い雰囲気で、いかにも“ありそうな話”という体裁を取っているのは本作の方だ。キャストの力演も光っている。

 ボストンからサンディエゴまでの大陸横断長距離ドライブ中のジェフとエイミーの夫婦は、田舎道で車がエンストして途方に暮れてしまう。そこに一台の大型トラックが通り掛かり、運転手のレッドは近くのダイナーまでエイミーを乗せてくれるという。その申し出を有り難く受け入れたジェフは、何とか車を修理して後を追ったが、くだんのダイナーにはエイミーはいなかった。

 客に聞いても誰も妻を見かけた者はおらず、当のレッドも乗せていないと言い張る。地元の警察に相談しても埒が開かない。しばらくすると、ジェフは怪しいトラックドライバーの一味から身代金を要求される。どうやらエイミーは誘拐されたらしい。金の引渡場所に指定されたガソリンスタンドでレッドを見つけたジェフは、密かに彼のトラックに飛び乗り、エイミーが監禁されている場所へ向かい、レッドたちとの全面バトルに臨む。

 アメリカの片田舎には西部劇に出てくるような“ならず者”がウヨウヨしており、当局側もアテにならないアウトローな世界が広がっているという設定はリアリティがある。その構図は現在でもあまり変わらず、地方は都市部から置いていかれて前世紀の未開文明の中にあるという格差社会は、深刻度を増しつつある。

 そんな状況に放り込まれた都市生活者のジェフとエイミーは、開き直ってハードボイルドに振る舞うしかない。ジェフは元CIAとか元グリーンベレーとかいった御大層な人物ではなく、普通の男だ。そんな彼が妻ともども野性の本能を露わにして、悪者どもに情け無用の鉄槌を下すというのは観ていて気持ちが良い(笑)。

 この映画がデビュー作となったジョナサン・モストウの演出は荒削りだが豪快で、活劇場面は盛り上がる。特に終盤のカーアクションなど、観ていて手に汗を握ってしまった。主演のカート・ラッセルとキャスリーン・クインランは快調。敵役のJ・T・ウォルシュも憎々しくてよろしい。ダグ・ミルサムの撮影とバジル・ポールデュリスの音楽は及第点だ。
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「プロミシング・ヤング・ウーマン」

2021-08-20 06:29:35 | 映画の感想(は行)
 (原題:PROMISING YOUNG WOMAN )話にならない出来だ。物語の前提はもちろんストーリー運びは絵空事。演技面でも見るべきものはない。困ったことに第93回アカデミー賞で脚本賞を獲得しているが、シナリオに大きな瑕疵のある本作にそのような賞をくれてやるのは、何かの冗談としか思えない。ひょっとして、何かの“圧力”でも加わったのであろうか。

 ロスアンジェルス近郊の町に住むキャシー・トーマスは、コーヒーショップでバリスタとして働いており、家ではいい年をして男っ気の無い彼女を両親は心配している。ところがキャシーは、夜は盛り場で泥酔したふりをして、よからぬ考えを抱いて近付いてきた男どもに“制裁”を加えるという奇態な行為に興じていた。

 実は彼女はかつて大学の医学部に籍を置いており、優秀な成績で将来を嘱望されていた。だが親友ニーナがある事件に巻き込まれたことを切っ掛けに大学を辞めて、今の境遇に甘んじている。あるとき、キャシーは大学時代の同級生ライアンと再会する。前から彼女のことを憎からず思っていたという彼に思わず好意を抱いてしまうキャシーだが、ライアンからニーナと関わりがあった男の消息を聞くと、思い切った行動に出る。

 まず、酔っ払いを装って男を引っかけるというキャシーの振る舞い自体がデタラメだ。有り体に言えば、これは美人局の一種だろう。しかし本来の美人局と違うのは、彼女が単身で行っていることだ。これは危険極まりない。相手の男が逆上して彼女に襲いかかる可能性は大きいはず。バックに“恐いお兄さん達”が付いているわけでも、キャシー自身が腕っ節が強いわけでもないので、まさに自殺行為だ。

 さらに、舞台になっているのは大都市ではなく小さな町であり、キャシーのような怪しい女の噂はすぐに広がる。キャシーが斯様な行為を繰り返す原因になったニーナとの関係がハッキリしない。いくら親友とはいえ、キャリアを放り出して捨て鉢な生き方をするほどの話ではないはずだ。2人が同性愛的な間柄だったとか、そういう強い動機付けが無ければ話は絵空事になる。そしてキャシーが認識している“男たちへの復讐”とやらの内実には、脱力するしかない。ラストの処理など、呆れて物が言えないほどだ。

 脚本も担当しているエメラルド・フェネルの演出は凡庸で、見るべきものは無い。さらに主演のキャリー・マリガンは劇中の設定年齢はもちろん、彼女の実年齢を勘案してもひどく老けている。これでは、いくら酒場でスキを見せても男は絶対に引っ掛からない。とにかく、最初から最後まで作者が頭の中だけで考えたようなリアリティの無い話が延々と続き、観ていて本当に疲れたというのが正直な感想である。
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「ライトハウス」

2021-08-16 06:41:52 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE LIGHTHOUSE)観る者の神経を逆撫でする、かなり暗くマニアックなシャシンだが、個人的にはこういうテイストの映画は嫌いではない。作者が脇目もふらずに自らの世界に耽溺している点は、ある意味天晴れだ。キャストの演技や映像、美術に関しては高いレベルに到達しており、十分に観る価値はある。

 1890年代のメイン州の孤島。そこには灯台があり、4週間交代で2人ずつの灯台守が設備の管理を受け持っていた。今回ペアを組むことになったベテランのトーマス・ウェイクと未経験の青年イーフレイム・ウィンズローは、当初から良好な関係性を築くことが出来ず、何かといえば対立するばかりだった。任期が終わりに近付いたある日、大嵐が島を襲う。そのため帰りの連絡船が島にやってくることは叶わず、2人は島に閉じ込められてしまう。



 極限状態に置かれた者たちが、次第に正気を失ってゆくという筋書きはさほど珍しいものではないが、この映画は随所に巧妙なプロットや映像的ギミックを挿入することにより、作品世界に奥行きを持たせている。灯台の最上階、つまり光源のある場所にはウェイクはウィンズローを決して入らせない。そしてウェイクは時折一人そこに籠り、恍惚の表情を浮かべる。

 またウィンズローか見る幻覚の中には人魚をはじめとするクリーチャーが登場するが、それにはすべて神話的なバックボーンが付与されている。さらに、イーフレイムは偽名であり、実はファーストネームはウェイクと同じトーマスであることが発覚するに及び、物語自体の構造が根底から揺らぐことになる。そのため終盤の展開にはいくつもの解釈が可能になり、一筋縄ではいかない様相を呈してくる。

 ドイツ表現主義を思わせる灯台の造形や、怪物のうめき声のように大音量で響く霧笛、この世の果てのような島の風景もさることながら、重要なモチーフとなる海鳥の群れの不気味さは特筆ものだ。よくもまあ、ここまで生き物を手懐けて撮ったものだと感心する。ロバート・エガースの演出は粘り付くようなタッチで、登場人物の内面をジリジリと焙り出してゆく。その容赦のなさは観ていてある種の爽快感を覚えるほどだ(笑)。

 キャストのロバート・パティンソンとウィレム・デフォーのパフォーマンスは、彼らの大きなキャリアになることは必至で、とにかく圧倒される。ジェアリン・ブラシュケのカメラによる映像は、35ミリのモノクロ・フィルムによるもので、画面もほぼ正方形。そのためシネスコやビスタのサイズに見慣れた観客にとって、圧迫感はかなりのものだ。また、それが作品のカラーと合致していることは言うまでもない。マーク・コーベンの音楽も実に効果的だ。
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「ゴジラvsコング」

2021-08-15 06:40:25 | 映画の感想(か行)
 (原題:GODZILLA VS. KONG )本来ならば盛り上がってしかるべき題材だが、作りが雑で気勢が削がれる。少なくとも前作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(2019年)よりもヴォルテージが低い。また、このシリーズが今作で“打ち止め”である様相を呈している。工夫次第でもっとアイデアが出そうな素材だと思うのだが、残念な話だ。

 怪獣調査の国際機関“モナーク”は、髑髏島に作られた基地でキングコングを収容し監視していた。ある日、巨大テクノロジー企業“エイペックス・サイバネティクス”の本社を突如としてゴジラが襲う。いずれゴジラがコングの居場所を突き止めると予想した“モナーク”は、コングの故郷と思われる地球内の空洞への入り口がある南極にコングを移送しようとするが、そこにゴジラが現れて怪獣同士のバトルが勃発する。一方、エイペックス社に潜入していた陰謀論者のバーニーは、破壊し尽くされた社内で謎の装置を発見。“モナーク”の生物学者マーク・ラッセルの娘マディソンらと一緒に、エイペックス社の陰謀を探ろうとする。



 コングの出自が地下世界だというモチーフは唐突に過ぎるし、ならば他の怪獣もそうなのかといえば、どうも違うらしい。コングが“故郷”で見つける斧状の武器も、正体不明。そもそもバーニーとマディソンのパートは果たして必要だったのか疑問だし、“モナーク”本体のエピソードとバーニーたちの行動とを強引に結び付けようとしたため、終盤では無理筋の展開が目立ってくる。

 アメリカ映画であるためか、描写はゴジラよりキングコングの方に重きが置かれているが、コングと心を通わせる少女が登場したりして、怪獣としてのコングの凄みが薄れてしまったのは不満だ。エイペックス社の企みは当初からネタが割れるようなシロモノだし、クライマックスに登場する“あの怪獣”のデザインはパッとしない。

 アダム・ウィンガードの演出は、怪獣の取っ組み合いに限れば良くやっていたとは思うが、登場人物の掘り下げは浅い。特に、前回まで渡辺謙が演じた芹沢猪四郎博士の息子の芹沢蓮は、何しに出てきたのか分からない。アレクサンダー・スカルスガルドにミリー・ボビー・ブラウン、レベッカ・ホール、デミアン・ビチル、小栗旬といった顔触れはいずれも印象に残らず。一応、前作までの“伏線”はすべて回収されているためか、次回作を匂わせるモチーフは見当たらず、エンドクレジット後のエピローグも無し。どうにも不満の残る出来映えだ。
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