元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ベルファスト」

2022-04-11 06:16:55 | 映画の感想(は行)
 (原題:BELFAST )手堅い演出とキャストの確かな演技、そして全編を覆うノスタルジーとリリシズム、さらには背後に横たわる歴史の重み。間違いなく本年度を代表する佳編だと言える。また、現時点での風雲急を告げる世界情勢の中で、この作品に接することが出来るのは実に有意義であると思う。

 1969年の北アイルランドのベルファスト。9歳の少年バディは、家族や友人、そして彼の成長を見守る近所の人々に囲まれ、充実した子供時代を過ごしていた。ところが8月15日、プロテスタントの自衛グループの法的連合として設立されたアルスター防衛同盟の構成員たちが、カトリック系住民を迫害し始める。バディの一家はプロテスタントだが、周囲にはカトリック教徒が大勢いる。街では暴動が多発し、楽しかったバディの生活は一変する。ベルファスト出身のケネス・ブラナーによる自伝的作品だ。



 映画はそれから98年のベルファスト合意まで続く北アイルランド紛争の実態を詳しくは描いていない。あくまでも子供の視点からの表現に終始するが、それが却って庶民レベルでの状況を活写することになり、映画としては効果的な構成になっている。街中が顔見知りばかりで、何かトラブルが生じても隣近所で助け合う。そんな古き良き下町の風景が、理不尽な暴力により崩れ去っていく。

 とはいえ、バディにとっては町中がバタバタしている状況は当初“遊びのパターンが増えた”みたいな捉え方だったのだが、イギリス本土に出稼ぎに出ている父親の立場や、どさくさに紛れて略奪をはたらこうとする友人の態度を見るに及び、次第に事の重要性を認識するあたりが何ともリアルだ。ラストの処理は、バディにとっての“少年時代の終焉 第一章”といった感じで、観る者に切ない気持ちを喚起させる。

 ケネス・ブラナーは今回は監督・脚本に専念し、主要登場人物としては出ていない。緯度の高い北アイルランドの風景を活写するためあえて映画の大半をモノクロ映像にした処理も正解で、時折挿入されるカラー映像との対比は鮮やかだ。また、当時のヒット曲やテレビ番組が良い案配で散りばめられている。上映時間が98分と、長尺ではないのもありがたい。

 両親役のカトリーナ・バルフとジェイミー・ドーナン、祖母に扮するジュディ・デンチ、敵役のコリン・モーガン、そして子役のジュード・ヒルと、出演者は皆好演。ハリス・ザンバーラウコスのカメラによる美しい映像、そして同郷のヴァン・モリソンによる音楽が素晴らしい。
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「THE BATMAN ザ・バットマン」

2022-04-10 06:16:59 | 映画の感想(英数)
 (原題:THE BATMAN)バットマンが出てくる映画を全部観ているわけではないが、今までは感心するような出来の作品はひとつも無かった。だから本作もさほど期待せずに接したのだが、意外にも面白い。約3時間もの尺を、まったくダレることなく見せきっている。これはひとえに、脚本のクォリティに尽きる。ヒーロー物だろうが何だろうが、話の辻褄を合わせることの重要性は、ジャンルに関係なく映画にとって普遍的な命題であることを改めて実感した。

 両親を殺された過去を持つブルース・ウェインが、バットマンとしてゴッサム・シティに蔓延る社会悪に立ち向かうことを決心して間もない頃の話で、今回の相手は権力者を標的とした連続殺人事件を起こしている怪人リドラーだ。狡猾な知能犯であるリドラーは、犯行現場に必ず“なぞなぞ”を残す。それは単なる挑発ではなく、犯行の背景にあるゴッサム市の暗部をも照射している。ブルースはそれに対峙すると同時に、亡き父と市の幹部らが関与していた重大な過失と犯罪を見せつけられるハメになる。



 とにかく、バットマンが警察と共に犯行現場に赴き、検証までやるという設定には驚くしかない。また刑務所や拘置所にも足を運んで容疑者から聞き取りをおこない、事件の内実を推理するという段取りにもびっくりだ。つまりはこの映画、理詰めに展開するのである。もちろん、プロットの組み立て方には本格ミステリー映画に比べれば少し甘いかもしれないが、今までのバットマン映画みたいに主人公が俺様主義で“無理を通せば道理が引っ込む”とばかりに実力行使に及ぶ筋書きとは、完全に趣を異にしている。

 そして本作におけるブルースは若く、正攻法で事を収めようとしている姿勢を崩さないのも大きい。スーパーヒーローではなく、まるで探偵のような役回りだ。もちろん、このシリーズらしい派手なアクション描写は健在で、怪人ペンギンとのカーチェイスや、ラスト近くの賑々しい銃撃戦などはけっこう盛り上がる。

 しかし、キャットウーマンことセリーナ・カイルとの出会いや、マフィアのボスであるカーマイン・ファルコーネの扱いなど、主人公を取り巻く人間関係は丁寧に綴られており、ドラマが大味になるのを巧みに回避しているのは評価して良い。マット・リーヴスの演出はテンポが良く、バットマンの知名度(?)に寄りかかること無く、マジメにストーリーを追っているのは好印象。

 主演のロバート・パティンソンは歴代のバットマン役者の中でも随一の二枚目で、これは彼の新たなキャリアになりそうだ。ゾーイ・クラヴィッツ(ミュージシャンのレニー・クラヴィッツの娘であることを最近知った)やジェフリー・ライト、ポール・ダノ、コリン・ファレル、ジョン・タトゥーロなどの面子もサマになっている。次回は終盤で存在が暗示されたジョーカーとの対決になると思うが、評判が良ければ観るつもりである。
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「猫は逃げた」

2022-04-09 06:13:53 | 映画の感想(な行)
 先日観た「愛なのに」とは監督と脚本が交代しての一作。共通点は複数の男女による面倒くさい恋愛関係を描いていること、および猫が出てくることだが、出来としては「愛なのに」より落ちる。いくら演出が達者でも、肝心の筋書き(シナリオ)が冴えなかったら映画のクォリティは上がらないのだ。また、キャスティングも弱体気味である。

 漫画家の町田亜子と夫で週刊誌記者の広重は離婚寸前。亜子は出版社の担当者の俊也と懇ろになっており、広重は同僚の真美子とよろしくやっている。いわば互いに納得しての協議離婚になるはずだった。しかし、飼い猫のカンタ(♂)をどちらが引き取るかで揉めていた。そんな中、カンタが“家出”してしまう。当初は隣家のメス猫とじゃれ合っているだけだと思われたが、どこを探しても見つからない。一方、真実子と俊也は偶然カンタを拾ったことで知り合い、意気投合してしまう。



 冒頭、広重が離婚届に押印しようとしたら、いきなりカンタが“乱入”して離婚届の上でオシッコをしてしまうという寸劇が展開されるが、何だか面白くない。これは要するに、納得の上での離婚と思わせて、実は別れることに躊躇しているという図式がミエミエなのだ。しかも、そのことを猫の失踪に無理矢理結びつけようとしている。斯様に思慮の浅い登場人物たちが並んでいること自体、観ていて気勢が上がらない。

 真実子と俊也に関しても同様で、作者は猫にかこつけて無理に仲良くさせようとしているだけ。動物におんぶに抱っこの作劇では、求心力に欠ける。しかも、本作は「愛なのに」とは異なり、もつれた関係にリアリティを持たせるようなモチーフが存在しない。何となく始まって、何となく収まるところに収まったという、芸の無い話が披露されるのみだ。

 今泉力哉の演出は、ラスト近くの長回しに代表されるように頑張ってはいるのだが、城定秀夫による脚本はイマイチである。もっと意外性を出して欲しい。毎熊克哉と井之脇海の男性陣は役を小器用にこなしている次元に留まり、山本奈衣瑠と手島実優は諸肌脱いで健闘しているのだが、痩せぎすの身体では観ていてソソらない(笑)。伊藤俊介や中村久美、芹澤興人といった脇の面子の方がまだ興味を持たせる演技をしている。平見優子の撮影と菅原慎一による音楽も、大して印象に残らず。
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「GAGARINE ガガーリン」

2022-04-08 06:23:46 | 映画の感想(英数)
 (原題:GAGARINE)面白く観た。とはいえ、誰もが楽しめる映画ではない。若い頃に団地に住んでいた者ならば、この作品の世界観は納得できるだろう。対して、団地住まいに縁の無い者は、単なる珍妙なシャシンとしか思わないかもしれない。ちなみに私は、子供の頃から十代半ばまで団地住まいだったし、社会人になってからも何年か住んだことがある。だから本作の雰囲気は、強く印象に残るのだ。

 パリ近郊にある大規模公営住宅“ガガーリン”は、ソ連の宇宙飛行士にちなんで名付けられた。竣工時はガガーリン自身も訪れたほどだが、老朽化と2024年のパリ五輪のため、解体が決まる。この団地で育った16歳のユーリは、ガガーリンと同じ名前を持つこともあり、宇宙飛行士を夢見ていた。



 しかしすでにユーリの父親はおらず、自分を置いていった母は帰ってくる気配は無い。住人たちの退去が進む中、彼は思い出がたくさん詰まったこの団地に最後まで居座ることを決める。そして親友のフサームやガールフレンドのディアナと共に、取り壊しに抵抗するのだった。2019年まで実在した共同住宅を題材にした一作である。

 団地は、いわゆるマンションとは違う。各世帯を隔てる(心理的な)塀が、かなり低い。入居者同士はたいてい知り合いで、広い中庭は絶好の社交場になる。ユーリは母親と同じように、団地の住民たちにも育てられてきたのだ。ただし、言い換えれば彼にとって団地こそが世界のすべてであり、それが無くなることはアイデンティティーの喪失に繋がる。だからこそ必死の行動に打って出るのだ。

 ユーリは団地の内部を宇宙船のように改造し、植物を育てながら籠城するのだが、それ自体は愚かな行為のように見えて、実は捨て身の自己表現である点が切ない。また、フサームやディアナとの触れ合いは、甘酸っぱい青春映画の輝きを見せて心地良い。そしてクライマックスは、いきなり「2001年宇宙の旅」モード(?)に突入する終盤だ。映像の喚起力と、主人公の尽きせぬ想いとが交錯する傑出したシークエンスである。

 監督のファニー・リアタールとジェレミー・トルイユはこれがデビュー作ということだが、ドラマの根幹を押さえた上でのファンタジーの展開に卓越した手腕を感じさせる。主演のアルセニ・バティリはナイーヴな好演。ディアナに扮したリナ・クードリは「パピチャ 未来へのランウェイ」(2019年)に続いて今回も魅力を振りまいている。ヴィクトル・セガンによる撮影も万全。そしてユーリと行動を共にする野良犬が“ライカ”と呼ばれるのには泣けてくる。言うまでもなく、宇宙船スプートニク2号に乗せられた犬の名前だ。
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「愛なのに」

2022-04-04 06:17:17 | 映画の感想(あ行)
 良く出来た艶笑譚で、最後まで楽しめた。雰囲気としては、昔の成人映画三本立ての中で思わぬ拾いものをした一本みたいな感じだ(←どういう例え話だよ ^^;)。キャラクター造形はしっかりしており、ストーリーも意外なところを攻めてくる。キャストは良い仕事をしているし、カネを払って観るに相応しい内容だ。

 古本屋の主人である多田浩司は、店に通う女子高生の岬からいきなり求婚されて面食らう。邪険に扱うのも何なので、ひとまず交換日記みたいな手紙のやり取りをすることにした彼だが、浩司の目下の悩み事は、憎からず思っていた女友達の一花が結婚するという話だった。ところが、一花の婚約相手の亮介は、ウェディングプランナーの美樹と懇ろな関係になっていた。すれ違う男女の思いを描く城定秀夫監督作で、脚本は今泉力哉が担当している。



 女子高生からの突然のプロポーズというのはまず有り得ないモチーフなのだが、本作の玄妙なところは、それが単なる“ファンタジー”ではなく物語を完結させるためのプロットとして機能させている点だ。つまりは、非日常を日常を確たるものにするアンカーとして使用しているわけで、このあたりは感心した。

 浩司と一花、そして亮介と美樹の4人による恋のさや当ては面白い。いずれも行動はインモラルなのだが、当初は心情は意外とまっすぐに見え、自分がこうと決めたら躊躇わずに邁進する。かと思えば、相手の態度が妙に気にかかり、今度は別方向に驀進し始めるという、脈絡のなさの捉え方もうまい。

 極めつけはモテ男を自認していた亮介がハマった“思わぬ落とし穴”で、これには大笑いさせてもらった。結局、各人が好むと好まざるとにかかわらず場をわきまえたポジションに落ち着いてしまうのは可笑しいが、この時点でくだんの女子高生の一件が生きてくるのだ。つまりは“愛を否定してはいけない”ということである。城定監督の仕事ぶりは「アルプススタンドのはしの方」に続いて好調を維持。特にキャラクターの動かし方には卓越したものを感じる。

 浩司に扮する瀬戸康史は、今までに無かったような飄々とした個性を打ち出していて好印象。亮介役の中島歩も、ルックスは良いがどこか抜けている野郎を上手く演じている。さとうほなみ(ゲスの極み乙女のドラマー)と向里祐香の諸肌脱いでの熱演もよろしい。岬を演じる河合優実は大した演技はしていないが、この役はいわば“記号”みたいなものだから文句は無い。渡邊雅紀のカメラによる撮影、“みらん”による主題歌も及第点だ。
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「第19回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その2)

2022-04-03 06:10:28 | プア・オーディオへの招待
 スコットランド中南部ラナークシャ―地域に本社を置くFYNE AUDIO社は、2017年創業の新興スピーカーメーカー。注目すべきはその開発スタッフの中に、元TANNOY社のチーフ・ディレクターがいることだ。英国TANNOY社のスピーカーといえば、米国JBL社と共に古くから高級舶来品の代名詞であった。しかしながら近年は多彩な輸入製品に押され、独特の音色を好む一部のファンだけのブランドになった感がある。その意味で、TANNOYを“卒業”したエンジニアがどういう音作りをしたのか、とても興味があった。

 試聴できたのは、小型スピーカーのF500。ピアノグロス仕上げのバージョンで価格は23万円という、このフェアでは場違いなほど安価なモデルだ(笑)。高さが30センチ強のブックシェルフ・タイプだが、作りは高級感がある。しかも、本国生産だ。同軸2ウェイというユニットはTANNOYのモデルと通じるものがあるが、音の出方はかなり違う。



 かなり密度が高いサウンドだ。高音から低音まで、キッチリと出ている。特筆すべきは低域の豊かさで、サイズを感じさせないほどスケールの大きな展開が見られる。音色は明るいが、強いクセは無く、幅広いジャンルをこなせそうだ。少なくともTANNOYとはまったく異なるコンセプトで、誰にでも奨められる。そして何といっても、犯罪的なほど高いプライスタグが付いていないのは良心的だ。

 協同電子エンジニアリングが展開するPhasemationブランドは、フォノアンプの分野では定評があり、私もそのエントリークラスの製品を愛用しているが、このフェアではフォノ・イコライザーの聴き比べという面白い試みを披露していた。なお、フォノアンプというのはレコード再生に欠かせないアタッチメントで、昔はアンプに内蔵しているのが常だったが、近年は独立したコンポーネントとして幅広く認知されている。

 同社の各価格帯の製品によって音がどれほど違うのかをデモしていたが、これがまあ驚くほど差が大きい。システム自体のグレードが完全に異なって聴こえるほどの激変ぶりだ。やはり、構成物によってサウンドが千変万化するというのがアナログの醍醐味なのだろう。この趣味性の高さは、デジタル音源とはひと味もふた味も違っており、廃れることは無いと確信できる。



 今回のフェアは前回同様、出品数が少ないのが気になったところだが、早くコロナ禍より前の状態に戻って欲しいことを願ってやまない。あとひとつ注文を付けるならば、福岡国際会議場は交通の便が悪いので、もっと駅に近い場所でやってほしい。そういえば、昔は別のオーディオフェアが福岡市中央区の天神地区で開催されていたが、そういうのが好ましい。

 蛇足だが、会場の近くにある長崎県対馬市のアンテナショップで今回も“お土産”を購入した(笑)。“対馬とんちゃん”と呼ばれる、醤油や味噌などをベースにした甘辛の焼肉ダレに漬けこんだ豚肉である。これが実に美味い。ご飯もビールも進む進む。対馬は海産物も豊富なので、次はそっち方面の食材を入手したいと思う。

(この項おわり)
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「第19回九州ハイエンドオーディオフェア」リポート(その1)

2022-04-02 06:10:10 | プア・オーディオへの招待
 去る3月25日から27日にかけて、福岡市博多区石城にある福岡国際会議場で開催された「九州ハイエンドオーディオフェア」に行ってきた。昨年(2021年)に引き続きコロナ禍が完全に収束していない時期にも関わらず、あえて実施してくれたのは評価したい。もちろん、コロナ禍前の賑やかさは戻ってはいないが、普段接することの出来ない機器を紹介してくれるだけでも有意義である。

 印象に残ったモデルを挙げたいが、まずインパクトが強かったのは、フランスのAudioNec社のスピーカー、EVO lineである。デモ機として実装されていたのは二番目に値段の安いEVO 2だが、それでも約600万円という超高額商品だ。しかしながら、その音は思わず耳を傾けてしまうほど清新で魅力的である。



 当製品の音の傾向を決定付けているのが、400Hzから20kHzまでの帯域再生を受け持つドライバーユニットである。特殊素材の振動板によるこのコンポーネントは、360度の指向性を持つ。したがって、音場は広大だ。特に横方向にどこまでも展開するサウンド空間の創出には舌を巻いた。音色はフランス製品らしい(?)蠱惑的な色気を含みつつ、圧倒的に明るいクリアネスを達成。もちろんジャンルを選ばない。このブランドは日本初上陸ということだが、これよりもっと高価なClassic lineというシリーズもあり、そっちの方も聴いてみたいものだ(もちろん、ほとんどの消費者には買えないのだが ^^;)。

 ドイツのFink teamも昨年日本に紹介されたばかりのスピーカーブランドだ。聴けたのは、KIM(キーム)というモデルである。形状は昔懐かしい大型ブックシェルフで、見た目は80年代に日本で一世を風靡した“598スピーカー”にも通じるところがあるが、値段は約180万円と、おいそれと手を出せないプライスタグが付いている。

 このスピーカーの音色は独特だ。例えて言うと“スモーキー”なのである。少しくすんだような、ソウルフルな(?)サウンドが楽しめる。透明度や解像度を追求したような音作りではなく、味わい深いテイストでリスナーを引き込もうという方向性が感じられる。もちろん、作り手たちは“ナチュラルなサウンドを提供した”という自負があるのだろうが、個人的にはキャラクターの濃い製品だと思った。この個性はジャズ系にマッチする。ただし、ジャズに特化したような米国JBL社の製品とは違い、独自の語り口で幅広いジャンルを網羅してくれそうだ。



 Wilson Audioといえば、74年に創設されたアメリカの著名なハイエンド大型スピーカーの作り手で、私も試聴会などで何度か接してその繊細かつ恰幅の良い音に感心したものだ。ところが今回同社は珍しくミニサイズのモデルを出してきた。それがTune Totである。高さが38cmほどの可愛い小型ブックシェルフだが、価格の方は188万円と、全然可愛くない(笑)。

 とはいえ小さいながら、しっかりとこのブランドの音を出すのは大したものだ。明るく屈託の無い鳴り方ながら、聴感上の物理特性はかなり詰められており、何を聴いても破綻することはない。低域のスケール感はサイズを考えれば随分と健闘しているし、堅牢な中高域は立体的なサウンドステージを再現している。この寸法のモデルを代表するハイ・クォリティの製品だと言えそうだ。

(この項つづく)
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「ポゼッサー」

2022-04-01 06:19:53 | 映画の感想(は行)
 (原題:POSSESSOR )本作の興味の対象は、鬼才デイヴィッド・クローネンバーグ監督の息子ブランドンが、演出家としてどれほどのパフォーマンスを見せてくれるかだった。しかしながら、その期待は裏切られた。少なくとも現時点では、彼は父親の足元にも及ばない。そもそも、父の作品群と似たような題材を選んでいることが賢明だとは思えない。もっと別の分野を手掛けた方が良かったのではないだろうか。

 殺人請負会社のエージェントであるターシャ・ヴォスは、ターゲットとなる者の近くにいる人間の意識に入り込み、やがてその人物の内面を乗っ取る特殊能力の持ち主だった。乗っ取られた人間はターゲットを殺害し、その後は“宿主”を自殺に追い込んでターシャの人格はそこから“離脱”するというのがルーティンになっている。



 今回の殺人請負会社への依頼は、ある富豪の娘婿を乗っ取り、その妻と父親を始末することだったが、任務途中で彼女は“宿主”から抜け出せなくなってしまう。“宿主”の強い自我が、ターシャを圧倒しているのだった。彼女の上司であるガーダーは、事態を収拾すべく思い切った策に出る。

 こういうニューロティックなネタは元々デイヴィッド・クローネンバーグが得意としていたのだが、いくら息子のブランドンでも、真の“変態”である父親に容易に対抗できるものではない。全編これデイヴィッド作品の亜流のような、ホラーっぽい場面やスプラッターっぽい場面、あるいはシュールっぽい場面で埋め尽くされているが、どうも描き方が表面的だ。観る者を戦慄せしめるような“狂気”には、最後まで遭遇できなかった。さらに言えば、不自然に画面が暗いのも愉快になれない。

 映画はターシャには別居中の夫と息子がいて、そのあたりの葛藤も描き出そうとしているが、取って付けたような印象しかない。そもそも、この“能力”が民間企業に過ぎない暗殺専門会社に帰属しているという設定自体、随分と無理がある。とっくの昔に政府組織の所管になっていてもおかしくない。しかも、暗殺の手口は後先考えない大雑把なもので、これで捜査当局が介入してこないのも噴飯ものだ。

 主演のアンドレア・ライズボローをはじめ、クリストファー・アボット、ショーン・ビーン、ジェニファー・ジェイソン・リーといった顔ぶれは悪くはないが、皆何か肩に力が入っているようで印象が薄い。良かったのはジム・ウィリアムズによる音楽ぐらいだ。ブランドン・クローネンバーグ監督は、もっと違う作風を身に着けた方が良いような気がする。
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