元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「マッドマックス:フュリオサ」

2024-06-29 06:26:05 | 映画の感想(ま行)

 (原題:FURIOSA: A MAD MAX SAGA )世評が極めて高かった前作の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015年)を、個人的にはまったく評価していない。どこをどう見てもホメるポイントが存在せず、落第点しか付けられないシャシンである。しかし、その中でシャーリーズ・セロン扮する女戦士フュリオサの出自だけは気になった。どうしてああいう出で立ちなのか、詳しく知りたいと思ったものだ。今回、彼女の若き日の物語が“番外編”みたいに映画化されるということで興味を持って鑑賞し、結果、かなり楽しめた。

 世界の崩壊から45年が経ち、生き残った人類は価値観を共有した者たちごとに各地で集団生活を送っていた。森林地帯に住んでいた少女フュリオサは、ある日突然暴君ディメンタス将軍が率いるバイカー軍団に拉致される。救出に向かった母親も殺され、失意のうちにディメンタスが支配する“帝国”で暮らすことになった彼女は、それから数年後、今度は鉄壁の要塞を牛耳る怪人イモータン・ジョーの元に身を寄せるハメになる。

 話は少々入り組んでいて、単純明快な活劇編を期待していると肩透かしを食らうかもしれない。そもそも、悪の首魁がディメンタスとイモータン・ジョーの2つに設定されていて、それぞれの手下共も一枚岩ではないという状況は、こういうエクステリアの作品に相応しくないと思う観客もいるだろう。

 しかしよく考えてみれば、前作までのマックス(マクシミリアン)・ロカタンスキーのようなヒーロー然とした者が全てを解決していくような筋書きの方が、よっぽど無理がある。斯様なディストピアの中では、フュリオサのように各勢力に対して付かず離れずのスタンスで身を処する方が、けっこう“現実的”だと思ったりする(笑)。

 ジョージ・ミラーの演出は前作の不調ぶりがウソのような闊達なパフォーマンスを見せ、特にアクション場面は本当に素晴らしく、ここだけで入場料のモトは取れるだろう。そして、主演のアニャ・テイラー=ジョイの魅力も大いに作品を支えている。若くて華奢な彼女が歯を食いしばって困難に立ち向かう様子を見せるだけで、映画のヴォルテージは上がる。マックスの不在をカバーして余りある仕事ぶりだ。

 クリス・ヘムズワースは楽しそうに悪役を演じ、トム・バークにチャーリー・フレイザー、ラッキー・ヒューム、ジョン・ハワード、そして少女時代のフュリオサに扮するアリーラ・ブラウンなど、役者は揃っている。サイモン・ダガンのカメラによる荒涼とした風景も印象的で、トム・ホルケンボルフの先鋭的な音楽は場を盛り上げる。
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「ミッシング」

2024-06-22 06:31:22 | 映画の感想(ま行)

 題材はシビアなものだし、主演女優の大奮闘は印象に残る。しかし、作品自体の訴求力はそれほどでもない。これはひとえに、物語の焦点になるべきキャラクターよりも、脇の面子や付随するエピソードの方が数段興味深いからだ。それが却って主人公の存在感を希薄なものにしている。脚本の練り上げが足りていないか、あるいは作り手の狙いがドラマツルギーの常道と外れた地点にあったからだと思われる。

 静岡県沼津市に住む森下沙織里の幼い娘である美羽が突然行方不明になり、懸命な捜索も虚しく3カ月が経過。当初は地元でセンセーショナルに報道されたが、世間の関心は次第に薄れていく。形振り構わずビラ配りなどの活動に没頭する沙織里に対し、夫の豊は距離を置いているように見え、夫婦ゲンカは絶えない。

 そんな中、沙織里が娘が失踪した時間帯にアイドルのコンサートに行っていたことが明らかになり、彼女はますます窮地に追いやられる。一方、事件を発生当時から取材していた地元テレビ局の記者の砂田は、上司から挙動不審な沙織里の弟の圭吾にスポットを当てろという命を受ける。視聴率アップのためには、圭吾のようなキャラクターは実に“オイシイ”らしいのだ。やがて別の幼女失踪事件が発生する。

 沙織里の言動は、ハッキリ言って“想定の範囲内”である。たぶんこんな状況に追い込まれたら斯くの如き振る舞いをするのだろうなという、その既定路線から一歩も出ることがない。それよりも夫の豊の態度の方が印象的だ。妻と一緒になって取り乱すことも出来たのだろうが、そこは社会人としての矜持を頑なに守っており、その点が共感度が高い。

 砂田の立ち位置もけっこう説得力がある。本当は素材に真っ直ぐに切り込みたいのだが、視聴率優先の局の方針には逆らえない。そんなディレンマに苦悩する。さらに面白いのは、圭吾の造型だ。見るからにオタクっぽい風貌で事件当日の足取りも明確ではない。誰もが疑いたくなる存在なのだが、そこに振り回されて状況は紛糾するばかり。昔から取り上げられてきたマスコミの独善ぶりと、SNSの暴走というアップ・トゥ・デートなネタを上手くブレンドしていると感じる。

 だが、ドラマは事件の解決にはなかなか近付かず、新たに起こった事件の顛末も気勢が上がらないものに終わった。結果として、ヒロインの無鉄砲なアクションだけが目立つばかりのシャシンに終わっている。脚本も担当した吉田恵輔の演出は、パワフルではあるが若干空回りしているように感じる。沙織里に扮する石原さとみは大熱演で、今までのイメージを覆してみせるという気迫は伝わってくる。しかし、どうもこれは“絵に描いたような力演”の域を出るものではない。

 対して青木崇高や森優作、小野花梨、美保純、そして中村倫也といった脇のキャストの方が良い案配に肩の力が抜けていて好感度が高いのだ。エンディングに関しては賛否両論あるだろうが、個人的にはもっとビシッとした決着が見たかったというのが本音だ。志田貴之のカメラによる撮影と、世武裕子の音楽はしっかりと及第点に達している。
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「マリウポリの20日間」

2024-06-10 06:25:27 | 映画の感想(ま行)
 (原題:20 DAYS IN MARIUPOL )今世界で何が起きているかを知るためには、まさに必見の映画だと思う。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始から、マリウポリ壊滅までの20日間を記録したドキュメンタリー作品。切迫した状況でカメラを回し続けたのは、AP通信のウクライナ人記者ミスティスラフ・チェルノフのチームだ。ロシア軍の攻撃は容赦なく、水や食糧の供給は早々に途絶えてしまう。通信インフラも破壊され、チェルノフたちは外部とのコンタクトを取るために何とか電波が偶然にキャッチ出来る場所を探して町中を駆けずり回る。

 彼らは市民病院に前線基地を置くが、ロシア軍は病院に対しても無差別の攻撃を加える。多数のケガ人で院内は足の踏み場も無く、さっきまで生きていた市民もいつの間にか息を引き取っているという状況の連続だ、それでも病院側は、取材陣に向かってこの惨状を何とか国外に伝えてくれるように依頼するが、それだけ彼の国ではマスコミ報道が信頼されているのだろう。



 対してロシアではチェルノフたちが決死の覚悟で撮影した映像をフェイクだと決めつけ、犠牲者や困窮する市民はどこかの俳優が演じていると言い切る。この傲慢さには呆れるしかないが、意外と現場で身体を張って取材に挑むジャーナリストたちの働きが無ければ、外部の者はそんなロシアの見え透いたプロパガンダを容易に信じ込んでしまうのではないか。

 特に報道の自由度が著しく低い日本では、マスコミの姿勢を裏読みすることがエラいという風潮があり、その挙げ句に時事ネタに関心すら持たない層が多くなったように思う。もちろんそんな微温的な構図は、この映画の鮮烈なモチーフの数々を前にしては何ら存在価値を持たない。

 本作はまた、取材内容の重大さと同時に、映画的高揚をもたらす要素が盛り込まれていることも評価に値する。産声を上げない新生児を、叩いて泣き声をあげさせるという感動的なシークエンスをはじめ、チェルノフたちが厳しい環境の中で外部にコンタクトを取ろうとするサスペンスフルな場面、そして終盤のウクライナ軍の援護によって市内から決死の脱出を図るシーン。いずれも尋常ではない盛り上がりで、スクリーンから目が離せない。

 そしてジョーダン・ダイクストラによる音楽が抜群の効果だ。第96回アカデミー賞にて長編ドキュメンタリー賞を受賞。ウクライナ映画史上初のオスカー受賞作となっただけではなく、AP通信の働きに対してはピュリッツァー賞が授与されている。
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「マイナーブラザース 史上最大の賭け」

2024-06-09 06:26:37 | 映画の感想(ま行)

 (原題:BREWSTER'S MILLIONS )86年作品。まず驚いたのが、このライトなコメディがウォルター・ヒル監督の手によるものであることだ。同監督はそれまで「ザ・ドライバー」(78年)や「48時間」(82年)「ストリート・オブ・ファイヤー」(84年)などのハードなアクション編を次々とモノにしていて、そっち方面での俊英と見られていた。ところが、ここにきてまさかの新境地開拓。何とも器用な作家である。

 マイナーリーグのハッケンサック・ブルズ所属の投手モンティ・ブルースターは、ある晩相棒のスパイク・ノーランと酒場で相手チームの選手たちと大ゲンカし、あっさりクビを言い渡される。失意のモンティの元に、顔さえ知らなかった石油成金の大叔父が3億ドルの遺産を残して逝去したとの連絡が届く。そしてモンティが3億ドルを手にするには条件があり、それは30日間で3千万ドルをすべて使い切れというもの。ただし1ドルでも残したら3億ドルの遺産はすべて白紙になる。しかもこの大乱費のの理由を誰にも打ち明けてはならない。かくして、アホらしくも痛快な“30日間3千万ドル大乱費”がスタートする。

 いくら無駄遣いが大好きな小市民でも(笑)、30日間で日本円にして数十億円を全額溶かすというのは至難の業である。モンティはスパイクを副社長にして破産するための会社を作る。ところが、ロクでもない投資で逆に儲かってしまうのだ。それでもカネの力でメジャーリーグと試合して長年の夢を叶えるが、やがて最大のムダ使いはこれだとばかりに市長選に立候補する。

 W・ヒルの演出はいつもの活劇編と同様にテンポが良く、次から次と舞い込む“逆境”に徒手空拳で立ち向かうモンティの奮闘を面白おかしく見せる。冒頭の、グラウンドを列車が横切って試合中断になるというマイナーリーグを茶化したギャグから、二転三転するラストのオチまで好調だ。

 主演のリチャード・プライヤーは当時売れっ子の喜劇役者で、スパイク役のジョン・キャンディと共にお笑い場面の創出には余念が無い(この2人は若くして世を去ってしまったのが残念だ)。ロネット・マッキーにスティーヴン・コリンズ、ヒューム・クローニンといった脇の面子も申し分ない。

 なお、本作を観て思い出したのが、テレンス・ヒル主演の「Mr.ビリオン」だ。莫大な遺産を総額するために厄介な条件を期限までにクリアする必要があるという基本プロットは同じ。こちらは77年製作だからネタとしては古いのだが、「マイナーブラザーズ」自体が1961年に作られた「おかしなおかしなお金持ち」(日本未公開)のリメイクなので、この題材は昔からあるのかもしれない。
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「もっと超越した所へ。」

2024-04-05 06:07:55 | 映画の感想(ま行)
 2022年作品。元々は舞台劇とのことで、なるほど演者とステージに間近で接すると面白く感じるのかもしれない。だが、これを映画にしてしまうと愉快ならざる結果になる。しかも、監督がミュージック・ビデオの仕事が主で映画はキャリアが浅い者だったりする。だから、映画的興趣を導き出すところまでは到達せず、原作の戯曲をなぞるに留まっているようだ。これでは評価出来ない。

 デザイナーの岡崎真知子は、ミュージシャン志望の朝井怜人と何となく付き合っている。元子役で今はお手軽なバラエティタレントの櫻井鈴は、ゲイの星川富と同居している。フラッパーな金髪ギャルの安西美和は、やたらノリの良い万城目泰造と恋仲だ。風俗嬢の北川七瀬は、客の一人であった売れない役者の飯島慎太郎と頻繁に会っている。それぞれ不満はあるが、一応は上手くやっているつもりだった。ところが、実はこの8人は数年前には相手を“シャッフル”した形の関係性だったのだ。ついには各カップルが行き詰まったとき、互いに入り乱れての混迷した状態に陥る。



 劇作家の根本宗子の脚本・演出による2015年に上演された同名舞台の映画化だ。とにかく、どのパートも映画の体を成していない。わざとらしく、及び腰で、浮ついたタッチに終始。結局はロクな伏線も無く終盤の一大カオスになるシークエンスに突入するというのだから、観ているこちらは呆れるばかり。

 クライマックスの“仕掛け”はステージの上でやれば盛り上がるのかもしれないが、映画のスクリーンでは映像ギミックのひとつとして看過されてしまう。さらに悪いことに、演者のパフォーマンスが弱体気味である。何とか演技をこなしているのは鈴に扮する趣里と富役の千葉雄大ぐらいだ。菊池風磨にオカモトレイジ、黒川芽以、三浦貴大は精彩を欠く。

 また前田敦子と伊藤万理華に至っては話にならない。どうして彼女たちみたいな実力の無いアイドル上がりに、映画の仕事が次々と舞い込んでくるのだろうか。まあ、裏には“業界の事情”ってものがあるのだろうが、こんなことが罷り通っているから日本映画は軽く見られているのだと思う。山岸聖太の演出は平板。ナカムラユーキによる撮影も特筆できるものは無い。王舟の音楽とaikoの主題歌も印象に残らず。製作意図さえ疑ってしまうような内容だ。
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「マダム・ウェブ」

2024-03-22 06:38:51 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MADAME WEB)興行的には本国で大コケで、評判も芳しくないので覚悟してスクリーンに向き合ったのだが、それほどイヤな気分にはならず最後まで退屈せずに楽しく付き合えた。製作現場ではいろいろと不手際があったようにも聞くが、出来上がった作品がこのレベルを維持しているのならば文句を言う気にはならない。少なくとも、同じマーベル関係のシャシンの中では「マーベルズ」(2023年)よりはずっとマシ。

 2003年のニューヨーク。救急救命士として働くキャシー・ウェブは業務遂行時に大事故に遭い、生死の境をさまよう。何とか回復した彼女には、いつの間にか未来予知能力が身に付いていた。ある時、地下鉄内で3人の少女が黒装束の謎の男に殺される未来を“見た”キャシーは、その男から少女たちを守ることになる。実はその男は、科学者で南米ペルーにて消息を絶った今は亡き彼女の母親と関わりがあり、予知能力も備えていた。将来自分がその3人に始末されてしまうことを予見していた彼は、先手を打って彼女たちを抹殺しようとしていたのだ。神秘系の超能力を持つマーベルのキャラクター、カサンドラ・ウェブの誕生物語だ。

 配給会社では“これまでのマーベル関係映画と一線を画す、本格ミステリー・サスペンス”という宣伝文句を打ち出しているが、ミステリー要素は実に薄く、その点は拍子抜け。だが、S・J・クラークソンの演出は小気味よく、テンションが落ちることなくストーリーを進めていく。アクションシーンの段取りは悪くない。幾分CGが雑なところもあるが、勢いで乗り切っている。

 有能だがマジメ過ぎる傾向のあるキャシーと、イマドキの女の子たちとの掛け合いは面白く、悪役のイヤらしさもよく表現できている。そして何より、本作は「スパイダーマン」の前日譚であることが興味深い。ピーター・パーカーは映画の終盤まではまだ産まれてもおらず、ベンおじさんも若い。

 主演のダコタ・ジョンソンは熱演だが、本作の製作過程と興行成績に失望して今後のマーベル作品への出演を辞退しているのは残念だ。シドニー・スウィーニーにセレステ・オコナー、イザベラ・メルセードの女子3人組は好調だし、タハール・ラヒムにエマ・ロバーツ、アダム・スコットといった脇のキャストも悪くない。
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「ミアの事件簿:疑惑のアーティスト」

2024-03-16 06:08:16 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MEA CULPA )2024年2月よりNetflixから配信されたサスペンス編。弁護士を主人公にした犯罪ドラマにしては、随分と雑な作りだ。もうちょっと脚本を練り上げられなかったのだろうか。とにかく御都合主義的なモチーフの連続で、途中から面倒臭くなってくる。とはいえ映像はスタイリッシュな面があり、何より主演女優のプロモーションとしての価値は十分見出せる。その意味では存在意義はあるかもしれない。

 シカゴに住む弁護士ミア・ハーパーは、恋人を殺害した容疑で起訴された芸術家ザイエア・マロイから弁護を依頼される。彼が犯人だという状況証拠は存在し、物的証拠のようなものも見つかっている。すでに世間の風潮では有罪が確定していて、マスコミは騒ぎ立てている。だが、決定的な要素が無いことに疑念を抱いたミアは、敢えて弁護を引き受けることにする。これに真っ向から反対したのが失業中の夫カルとその母親。そしてカルの兄レイは担当検事でもある。身内からの顰蹙を買いながらも、彼女は友人の私立探偵ジミーと共に事件の全貌に迫っていく。

 主人公の義母はガンを患っていて余命幾ばくも無いという設定ながら、とても重病人には見えず、まずこのあたりから胡散臭さが漂ってくる。ザイエアは刑事被告人にもかかわらず切羽詰まった様子は窺えないし、平気で創作と女遊びに明け暮れている。ジミーは大して頼りにならず、事件の真相を掴むのはミアの方なのだが、その切っ掛けがまた“偶然”の賜物だというのは実に苦しい。

 グダグダな終盤の展開を経て明かされる事の全貌に至っては、まさに脱力もの。この程度の“動機”で凶悪事件をデッチ挙げられてはたまらない。シナリオも担当したタイラー・ペリーの演出は気合いが入っていない。だが、主演のケリー・ローランドは本当にスクリーン映えする。身のこなしや、衣装のセンスも上質だ。ローランドはミュージシャンとして著名ながら、本作では一曲も歌わずに演技に専念しているのは好感が持てる。

 ザイエア役のトレバンテ・ローズをはじめ、ニック・サガルにショーン・サガル、ロンリーコ・リー、シャノン・ソーントンといった顔ぶれも絵になる。そしてコリー・バーメスターのカメラによる闇深い夜のシカゴの町並みは、クライム・サスペンスにはぴったりだ。アマンダ・ジョーンズによる音楽と既成曲の使い方も良い。
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「メルヴェの人生更新中!」

2024-02-25 06:09:31 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MERVE KULT)2023年6月よりNetflixより配信されたラブコメ編。他愛のない話で、特に高く評価出来る箇所は見当たらない。しかしながら興味深いのは、製作国がトルコだという点だ。トルコ映画といえばユルマズ・ギュネイやヌリ・ビルゲ・ジェイランといった社会派の監督によるヘヴィな作品をまず思い浮かべてしまうが、当然のことながら娯楽方面に向いたライトな映画もあるわけで、本作のようなシャシンの存在を確認出来ただけでも有り難い。

 イスタンブールの下町に住む若い女メルヴェは今まで母親が所有するアパートの家賃収入を頼りに生きてきたが、そろそろ自分自身で人生を切り開きたいと思っていた。そんな折、母親の名義だと思っていたアパートは実は別居中の父親のもので、しかも借金が嵩んでいた父親は物件を売却していたことが発覚。メルヴェ母子をはじめとする住民たちは立ち退きを迫られ、彼女も早急に働き口を見つけなくてはならない。ファッションに興味を持っていたメルヴェは大手アパレルメーカーに飛び込みで求職し何とか採用されたが、そこの若社長アニールは訳ありの人物で、彼女は振り回されるハメになる。



 当初は衝突することが多かったメルヴェとアニールが、やがて互いを憎からず思うようになってくるのだろうと思っていると、実際その通りに展開する。メルヴェの両親の微妙な関係性やアニールの過去との確執などのネタも挿入されるのだが、それほど効果的ではない。アプリを作成して一儲けを企むメルヴェの仲間たちのエピソードに至っては、まさに取るに足らないレベル。

 それでも最後まで観ていられたのは、名所旧跡が一切出てこないイスタンブールの風情ある下町風景と、ヒロインが次々と披露する突飛でカラフルなファッションゆえだろう。ジェマル・アルパンの演出は取り立てて才気走ったところは無いが、登場人物が突然観客の側を向いて独白するシーンなどのギャグのセンスは認めて良い。上映時間を99分にまとめたのも的確だ。

 主演のアーセン・エロールは典型的なファニーフェイスで、登場するだけでお笑いの空気が充満してくる。相手役のオザン・ドルナイも優柔不断な二枚目を上手く演じている。ズハル・オルジャイにフェリト・アクトゥグ、エスラ・アッカヤといった他のキャストはもちろん馴染みは無いが、手堅い仕事ぶりだ。
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「ミス・シャンプー」

2024-02-16 06:08:57 | 映画の感想(ま行)

 (英題:MISS SHAMPOO)2023年12月よりNetflixから配信された台湾製の犯罪映画仕立てのラブコメ編。紹介映像は面白そうで、実際開巻20分程度は楽しめるのだが、あとは緩すぎる展開が続くばかりで大して盛り上がらないままエンドマークを迎える。クレジットをよく見ると、監督が日本版リメイクも製作された「あの頃、君を追いかけた」(2011年)のギデンズ・コーだ。あの映画は本国ではヒットしたらしいが、個人的には受け付けなかったことを思い出した。鑑賞前に気付くべきだったと反省するばかり。

 台北の下町にあるヘアサロンに、ある嵐の夜、ケガをしたヤクザ者の男タイが転がり込んでくる。謎の刺客にボスを殺され、自分も危うい状況になったタイは、追手から逃れるために近くにあったその店に飛び込んだのだ。美容師見習いのフェンに介抱されて一命を取り留めた彼は、彼女に惚れてしまう。すると後日、彼は子分どもを引き連れてサロンに通うようになり、フェンを口説き落とそうとするのだった。何となく良いムードになってくる2人だが、タイが仕切る組を完全に潰そうとする勢力は徐々に魔の手を伸ばしてくる。

 ごく普通の家庭で育ったフェンと、少年時代から極道の世界に身を置くタイ。そのギャップが興趣を呼ぶのは確かで、序盤はその関係性だけで笑いが取れる。しかし、タイがフェンに真剣な交際を迫ったり、敵対勢力の動向を描かなければならない中盤以降になってくると、気合の入らない凡庸なモチーフが積み上げられるだけで一向にドラマが進展しない。

 そもそもヘアサロンを舞台にしていながら、美容に関するウンチクがほとんど披露されないのは失当だろう。かといって、ヤクザの抗争劇が迫力あるわけではなく、アクション場面も見るべきものは無い。フェンが心酔するプロ野球選手に関するネタにしても、今ひとつ工夫が足りていない。ラストシーンに至っては“何じゃこりゃ”と言いたくなるレベルだ。

 それでもタイ役のダニエル・ホンは長編映画初出演とは思えない存在感を発揮しているし、フェンに扮するビビアン・ソンも「私の少女時代 OUR TIMES」(2015年)に続いてキュートな魅力を振りまいている。ただし、それ以外のキャストは弱体気味で、あまり印象に残らない。それにしても、エンドクレジット表示時の“悪ノリ”には苦笑した。やること自体は問題ないが、もっと上手くやって欲しかったというのが本音だ。
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「みなに幸あれ」

2024-02-03 06:07:21 | 映画の感想(ま行)
 こりゃヒドい。製作サイドでは、何を考えてこのネタを映画にしようとしたのだろうか。観る側にアピールするものがほとんど無いし、もちろんヒットしそうな要素はどこにも見当たらない。聞けば“日本ホラー映画大賞”なるアワードの第一回金賞受賞作の短編を元に、同じ作者がメガホンを取って長編作品として完成させたものらしい。その短編映画の出来映えは知る由も無いが、商業映画として世に出すからにはプロデューサーによる精査が必須のはず。ところが本作にはそういう形跡は無し。上映時間が89分と短いことだけが救いだろうか。

 東京で暮らす看護学生のヒロインは、久々に祖父母が暮らす福岡県北部の田舎町(ロケ地は田川郡)にやってくる。再会を喜んだのも束の間、彼女は祖父母や近隣住民の言動に違和感を覚え始める。何やら、その家には祖父母以外の“誰か”が住み着いているようなのだ。彼女は幼なじみの青年と共に怪異の正体を探ろうとするが、数日後に到着した両親と弟にもおかしな“症状”が出てくるようになる。

 主人公はこの祖父母の家に子供の頃から何度も泊まっているはず。しかし、この怪異現象に今回初めて遭遇したような素振りを見せること自体が噴飯ものだ。さらに両親もこの現象の存在を承知していたというのだから、呆れた話である。

 この映画のテーマは“誰かの不幸の上に、誰かの幸せは成り立っている”というものらしいが、その表現方法が語るに落ちるような低調なもの。映画は中盤以降はさらに混迷を極め、祖母が“ああいう状況”になったり、山奥に暮らす主人公の伯母が“ああいう有様”だったりと、意味不明のモチーフの釣瓶打ち。ラストなんか、作劇を放り出したかのような体たらくだ。そもそも、この映画はホラーという表看板を掲げながら怖いシーンがひとつも存在しない。総合プロデュースに清水崇が付いていながら“この程度”では、本当に情けなくなってくる。

 監督は下津優太なる人物だが、映画作りの初歩から勉強し直す必要があると思った。主役の古川琴音は頑張っているが、映画自体が低調なので“ご苦労さん”としか声を掛けられない。そういえば古川と相手役の松大航也以外は知らないキャストばかりが名を連ね、しかも演技も皆素人臭い。画面自体も平板で、本当にやる気があるのかと言いたくなる。
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