(原題:MICKEY 17 )ポン・ジュノ監督が手掛けた(劇場公開を前提とする)ハリウッド作品としては、2013年に撮った「スノーピアサー」以来になる。テーマ性はあの映画には及ばないとは思うが、娯楽作品としての出来はこちらが上である。長めの尺ながら、最後まで飽きさせないだけの求心力が備わっており、観て損の無い中身の濃さだ。
2050年、うだつの上がらない人生を送っていたミッキー・バーンズは、氷の惑星ニフルハイムへの入植を目指す宇宙船のクルーに加わる。ミッキーの仕事は“エクスペンダブル(消耗品)”として登録されるが、これはひたすら死んでは生き返ることを繰り返す過酷なものだった。ところが17回目の生まれ変わりを経た彼の前に、手違いで彼自身のコピーが現れる。この世界では同一人物が同じ時間帯に2体以上存在することは違法で、発覚するとすべて殺処分の憂き目に遭うのだ。ミッキーたちは女性クルーのナーシャやカイ・キャッツらの助けを得て、反撃に転じる。
文字通りの使い捨て要員として搾取され続けるミッキーは、言うまでもなく社会的ヒエラルキーの下層部の暗喩である。何の知恵も知識も持たず、地球にいた頃には悪い奴らにだまされて多額の借金を負う始末。もっとも、こういう図式は「スノーピアサー」の方が仕掛けが巧妙だった。しかし、本作では“もう一人の自分”と協力することにより、たとえ下層民の寄せ集めでも思い切って行動すれば展望が開けるという、ポジティヴなメッセージが前面に出ているのは納得出来る。
さらに、惑星ニフルハイムにはクリーパーと呼ばれる生物がいて、こいつらとミッキーとの関係性も面白い。ポン・ジュノの演出は今回はアクション場面に注力されているようで、クライマックスのバトルシーンはけっこう盛り上がる。ただ、それより強く印象付けられるのは、宇宙船の支配者であるケネス・マーシャルの造形だ。明らかにドナルド・トランプを意識したキャラクター設定で、こいつが周囲に無理難題を押し付ける様子は、ワザとらしくはあるが大いにウケた。
主演のロバート・パティンソンは絶好調。「THE BATMAN ザ・バットマン」(2022年)でのヒーロー役とは打って変わった情けない野郎を、楽しそうに演じている。ナオミ・アッキーにスティーヴン・ユァン、アナマリア・バルトロメイ、トニ・コレット、そしてマーシャルに扮したマーク・ラファロと、役者は揃っている。ダリウス・コンジのカメラによる映像とチョン・ジェイルの音楽も及第点だ。