元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「アクアマン」

2019-03-04 06:45:52 | 映画の感想(あ行)
 (原題:AQUAMAN )楽しめた。聞けば(現時点で)DC映画史上ナンバーワンの興行成績を記録したらしいが、それも頷けるほどの快作だ。上映時間は長めだが、見せ場を矢継ぎ早に繰り出し、一時たりとも退屈することがない。鑑賞後の満腹感は格別である。

 海底に広がるアトランティス帝国から地上に逃げ出した海底人の王女が、灯台守の男と知り合う。2人の間に生まれたアーサー・カリーは、成長して屈強な身体を持ち、猛スピードで海に潜り、海洋生物を操ることも出来る超人アクアマンとして海の平和を守っていた。だが、やがてアトランティス帝国は人類を征服しようと画策。その先頭に立っているのが、アーサーの異父弟であるオームであった。



 オームはアトランティスの王となって帝国を統一し、その勢いで地上に攻め入ろうとするが、それを阻止するにはアーサーが伝説の矛・トライデントを入手し、オーシャンマスター(海の覇王)として名乗りを上げるしかない。海底国ゼベルの王女メラの助力を得て、アーサーはアトランティスとの戦いに身を投じていく。

 何より、これ一本で“完結”しているのが良い。DCにしろマーヴェルにしろ最近はシリーズ物が多く、前作はもちろん前々作(あるいはその前)までチェックしておかないと話の前提さえ分からない。アクアマンも一応“ジャスティス・リーグ”の一員なのだが、本作には“他のメンバー”は出てこないし、主人公の生い立ちから紹介しているので、アメコミ好き以外の幅広い観客層にアピール出来る。

 監督ジェームズ・ワンのパワーは圧倒的だ。よく考えるとストーリーの辻褄が合わない箇所もあるのだが、それを感じさせないほどの勢いがある。主人公と敵役との格闘はもちろん、多人数を動員しての大々的な戦闘シーンから、派手なチェイス場面など、アクションの要素には事欠かない。しかも、それらが高いレベルで達成されている。

 海中シーンは多分に人工的ではあるが、独特の意匠によって目覚ましい美しさを獲得しているし、地上が舞台になるパートでも、シチリア島でのシークエンスはまるでジェームズ・ボンド映画のような盛り上がりを見せる。さらには家族愛や復讐劇、トライデントの在処を見付けるための謎解きといった要素も手際よく並べられ、観ていて飽きることがない。

 主演のジェイソン・モモアは、まさにハマリ役だ。見た目といいワイルドな物腰といい、海の超人そのもの。アンバー・ハードにヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、パトリック・ウィルソン等も適材適所。ウィレム・デフォーやニコール・キッドマン、さらにドルフ・ラングレンまで出てくるのだから楽しい。もしも続編が作られたら、また観たいものだ。
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「女王陛下のお気に入り」

2019-03-03 06:50:20 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE FAVOURITE )世評は高く、米アカデミー賞でも最多10ノミネートを獲得したようだが、個人的には全然楽しめなかった。理由は明らかで、各キャラクターおよび時代・舞台背景の掘り下げが浅いからだ。とにかくすべてが表面的で、結果として極めて退屈な2時間を過ごすことになった。

 18世紀初頭、イングランドは新大陸の植民地をめぐってフランスと戦争状態にあった。時の女王アンは身体が弱い上に気まぐれな性格だった。女王をサポートしていたのは、幼なじみのサラ・ジェニングスである。サラは頼りにならない女王を巧みにコントロールし、実質的な権力を握っていた。そんなある日、没落した貴族の娘でサラの従妹にあたるアビゲイル・ヒルが宮廷を訪れる。

 アビゲイルはサラの下で働くことになるが、実は相当な野心家で、再び貴族の地位に返り咲くためチャンスを窺っていた。その頃サラは議会対策で態度を硬化させるようになるが、女王はそんなサラを疎ましく感じるようになる。アビゲイルはこの期を逃さず女王に接近し、文字通りの“お気に入り”になろうとする。

 当時の英国がスペイン継承戦争における北米での“局地戦”でフランスと対立していた事実には一応言及されているが、詳しくは述べられない。サラは対外強行派らしいのだが、どういう経緯でそんな政治的スタンスを取るようになったのか不明。そもそも、サラ自身のプロフィールが明確に提示されていないため、ここでは単に“女王を操って自己満足している勝ち気な女”としか映らない。

 アビゲイルにしても、不遇な身分からのし上がろうとしているのは分かるが、結局は“上昇志向の強さ”以外にアピールするものは無く、キャラクターとしては弱い。アン女王の造型は史実に近いのかもしれないが、傍目には不格好で気難しいオバサンでしかなく、観ていて鬱陶しいだけ。

 女王をめぐるサラとアビゲイルの“バトル”にしても、サラが一服盛られて落馬するくだりを除けば、面白いシーンは見当たらない。王宮を舞台にしてのスキャンダル劇ならば、ピーター・グリーナウェイやデレク・ジャーマンの作品ぐらいのハッタリを効かせても良かったが、ヨルゴス・ランティモスの演出は抑揚が無く冗長で、観ているこちらは眠気との戦いに終始した。

 主演のオリヴィア・コールマンとレイチェル・ワイズ、エマ・ストーンは頑張ってはいたが、過去の彼女たちの仕事を大きく上回るものではない。映像も大したことがなく、良かったのはサンディ・パウエルによる衣装デザインとバックに流れるバロック音楽ぐらいだった。
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「ファースト・マン」

2019-03-02 06:30:11 | 映画の感想(は行)

 (原題:FIRST MAN )デイミアン・チャゼル監督は登場人物の内面描写がまったく出来ないことを、如実に示した一編。もっとも“傑作「セッション」(2014年)では、主人公たちの狂気じみた生態をヴィヴィッドに描いていたではないか”という指摘もあるだろうが、あの作品は常軌を逸した人間の言動(≒外観)をスペクタキュラーに追っただけだ。本当の“狂気”が内在しているのは登場人物ではなく、題材の“音楽”そのものにあった。

 対して本作は、人類で初めて月面に足跡を残した宇宙飛行士ニール・アームストロングの伝記映画である。当然、そこには主人公の葛藤や、困難なミッションに挑む使命感、そしてそれらの背景になる強力な動機付けが、明確に示されることが不可欠だ。しかし、この映画には見事に何もない。

 全編に渡って気になるのが、主人公のクローズアップのショットが目立つことだ。しかも、大写しになるニールの表情は、どれもあまり変わらない。つまり、作者はキャラクターにカメラを近付ければ内面が描ける(だから他には何もやらなくて良い)と思い込んでいるのだ。こんな調子で伝記映画など、撮れるわけがない。

 彼はなぜ宇宙飛行士を目指したのか、仲間との関係性はどうだったのか、どのような経緯でアポロ11号のクルーになったのかetc. そういった大事なことが示されていない。NASAの成り立ちも、競争相手であるソ連の宇宙開発の詳細も、ほとんど説明されない。そもそも、アポロ計画の概要はもとより、アポロ11号の飛行プロセスや、それに伴う具体的な困難性さえ省略されている。

 反面、アームストロングの家族に関するパートは多くを占める。もちろん、それがドラマ的に機能していれば文句は無いのだが、これが“娘が幼くして病死し、それをニールは悲しんでいること”および“カミさんが心配していること”といった、通り一遍のことが表面的に描かれるだけだ。

 また、クローズアップは登場人物だけではなく、ニールが乗る宇宙船や訓練機器のメカ類に対しても向けられる。しかも、画面のブレは酷く、不快な風切音や機械音が遠慮会釈なくバックに流れる。これらがもたらす圧迫感は相当なもので、すでに中盤で鑑賞意欲を喪失した。

 思わせぶりに空に浮かぶ月を何度も捉えたショットも効果なし。カメラを引いて広大な宇宙空間を映し出し、それに挑む主人公たちのフロンティア精神を描出するぐらいのことを、どうして出来なかったのか。ニールの個人的な(かつ表層的な)難行苦行ばかりが続いても、面白くも何ともない。

 主演のライアン・ゴズリングは、冴えない演出も相まって、ここでは大根に見える。カミさん役のクレア・フォイをはじめ、あとのキャストもパッとしない。各映画アワードの候補からは外れているのも、何となく分かるような内容だ。
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「ガントレット」

2019-03-01 18:21:47 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE GAUNTLET)77年作品。クリント・イーストウッドの監督作は個人的に概ね好みではないが、気に入った映画もわずかにあり、本作はその中の一本だ。もっとも脚本はイーストウッドではないので(担当したのはマイケル・バトラーとデニス・シュラック)、そのせいかもしれない。

 アリゾナ州フェニックス市警に勤めるショックリー巡査長は、中年に達する年齢ながら風采が上がらず、未だ独り者で酒に浸る毎日だ。ある時、彼は上司のブレイクロック警部補から、検事側の証人をラスベガスから連れてくるという業務命令を受ける。早速現地に赴いたショックリーは、その証人が若い売春婦であったことに驚くが、その女マリーはフェニックスまで彼と同行することを拒む。行けば殺されると言うのだ。

 彼女を信用出来ないまま、それでもマリーを連れて戻ろうとするショックリーだったが、乗ろうとした車は爆破され、正体不明の連中から付け回される。さらにマリーの家に身を寄せた彼を警官隊が包囲し、一斉射撃を加える。命からがら難を逃れたショックリーは、いつの間にか自分が凶悪事件の犯人として指名手配されており、マリーも犯罪組織から狙われていることを知る。罠に嵌められた彼だが、それでも敵の首魁を倒すため決死の覚悟でフェニックスに向かう。

 ヒッチコック映画でお馴染みの“追われながら事件を解決する話”を下敷きに、ロードムービーとラブストーリーを載せるという、鉄板の設定が提示されている。主人公たちには次々と災難が降りかかり、一つのハードルを乗り越えると、間髪入れず別のトラブルが手を変え品を変えて襲ってくる。その展開は実にスムーズで無理がない。

 アクション場面の段取りも上手く、バイクに乗るショックリーとマリーをヘリコプターが追いかけるシークエンスは絶妙だし、圧巻はショックリーの運転するバスを待ち受ける凄まじい数の銃弾だ。どう考えても主人公たちが生き残れる状況ではないのだが(笑)、勢いで突っ走っている。イーストウッドの演出は単純明快でストレート。彼がこの路線を極めて、ドン・シーゲル監督の後継者みたいな位置を占めることになれば万々歳だったと今では思うのだが、それからは作家性を前面に打ち出して“巨匠”になってしまったのには、何とも複雑に気分になる。

 本作における主役としてのイーストウッドは実に良い味を出しているが、それより印象的だったのがマリーに扮したソンドラ・ロックである。蓮っ葉でありながら純情、粗野だが知的という役柄を見事に表現している。残念ながら彼女はイーストウッドよりも先に世を去ってしまったが(2018年没)、この一作だけで十分に映画ファンの記憶に残る仕事をしたと言えよう。
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