日本映画の印象的なヴィジュアル(撮影)について、思い付いただけ挙げてみることにしよう。まず、茨城県の農村を舞台に、自暴自棄でシャブ中になった男(根津甚八)の破滅をリアリズムで描いた柳町光男監督の秀作「さらば愛しき大地」(81年)。生きる希望も失った主人公が窓の外を眺めると、見渡す限りの田に稲穂が風に揺れている。抜けるような青空の下、凄絶な男の人生とはまるで関係なく、日を浴びてキラキラ輝く。よくある風景を神秘的な彼岸の世界のように切りとってみせたカメラは田村正毅。キネマ旬報ベストテン2位作品。
谷崎潤一郎の「細雪」を83年に映画化したのは市川崑。撮影は長谷川清だが、この映画の映像は完璧に近かった。美しい日本の四季折々の風物を、クラシックな時代背景を、艶やかな女優陣の競演を、素晴らしい衣装を、痺れるほどの美しさで綴ってみせた。市川崑得意のソフト・フォーカス画面も絶好調。いくぶん箱庭的な人工美との評もあったが、色彩や照明なども含めて教科書とも言うべき端正さを見せて他の追随を許さなかった。作品自体も実にハイレベル。

ダムの底に沈むことになる岐阜県の山村を舞台に、認知症の始まった老人(加藤嘉)と孫の少年との触れ合いを通じて、人間にとっての“ふるさと”とは何かに鋭く迫った神山征二郎監督の傑作「ふるさと」(83年)。南文憲のカメラがとらえた山里の自然は息を呑むほどの美しさだ。冬から起き上がる蕾や水滴の叙情、山全体を覆う若葉の輝き、まさに緑の洪水。琴線に触れる映像とはこういうのをいうのだろうか。
和田誠の監督デビュー作「麻雀放浪記」(84年)では、「スター・ウォーズ」でおなじみになったシュノーケル・カメラが使用されている。デス・スターの空中戦をとらえたハイテク・カメラは、ここでは麻雀卓とギャンブラーたちとの間を走り回る。時代背景を色濃く出したモノクロ画面が効果的。撮影は安藤庄平(90年)の「死の棘」でのキレのいい映像も忘れられない)。
突然失業した青年(時任三郎)の無為な生活を通じて、何ともやるせない“青春の気分”を綴った根岸吉太郎監督「永遠の1/2」(87年)のロケ地は佐世保である。川上皓一のカメラが映し出す、どこか幻想的な港町の風景。特に夜明けの澄み切った空気感は悩ましいほどだ。川上は市川準監督「つぐみ」(90年)でも実にいい仕事をしている。
伊藤俊也監督「風の又三郎/ガラスのマント」(89年)は、カメラワークだけで成り立っているような映画だった。高間賢治のカメラは開巻から躍動し、スクリーンの中に風を巻き起こす。ヘリコプターの下にリモコン式カメラを登載し、東北の山野を低空飛行したり、クレーンやステディ・カムの大胆な使用など“風の視点から見た映像”を作り出すことに成功。自然の風景のとら方も申し分なく、緑の瑞々しさや、輝く陽光は目もくらみそうだ。

カメラマンの起用でこうも作風が違うものかと思ったのは大林宣彦監督「ふたり」(90年)である。それまでの大林作品を覆っていた甘酸っぱいノスタルジアから力強く明日へ踏み出す作者の転機を示すように、南国的で暖色系のカラーを得意とする阪本善尚からシャープな寒色系を多用する長野重一へと撮影監督を交代させた。結果は見事なもので、追憶的になりがちな登場人物がシビアーに“現代”に生かされている。すでに尾道は“懐かしいだけの街”ではなくなっていた。
書いていくとキリがないのでこれくらいにしておこう。洋画と違い、日本映画の印象的な映像というのは、普段我々が何気なく目にする身近な光景が、見事に映画的なヴィジュアルとして転化する驚きがある。それだけに観たときのショックも大きいわけだが、言い換えれば、映画的な映像や風景は我々の近くにいくらでも転がっているということだ。それを的確にすくい上げる撮影監督の技量は間違いなく映画を左右する(当然その前に監督の映像に対する確固としたヴィジョンが必要なわけだが)。これからも我々に映画の魔術を披露し続けてほしい。
谷崎潤一郎の「細雪」を83年に映画化したのは市川崑。撮影は長谷川清だが、この映画の映像は完璧に近かった。美しい日本の四季折々の風物を、クラシックな時代背景を、艶やかな女優陣の競演を、素晴らしい衣装を、痺れるほどの美しさで綴ってみせた。市川崑得意のソフト・フォーカス画面も絶好調。いくぶん箱庭的な人工美との評もあったが、色彩や照明なども含めて教科書とも言うべき端正さを見せて他の追随を許さなかった。作品自体も実にハイレベル。

ダムの底に沈むことになる岐阜県の山村を舞台に、認知症の始まった老人(加藤嘉)と孫の少年との触れ合いを通じて、人間にとっての“ふるさと”とは何かに鋭く迫った神山征二郎監督の傑作「ふるさと」(83年)。南文憲のカメラがとらえた山里の自然は息を呑むほどの美しさだ。冬から起き上がる蕾や水滴の叙情、山全体を覆う若葉の輝き、まさに緑の洪水。琴線に触れる映像とはこういうのをいうのだろうか。
和田誠の監督デビュー作「麻雀放浪記」(84年)では、「スター・ウォーズ」でおなじみになったシュノーケル・カメラが使用されている。デス・スターの空中戦をとらえたハイテク・カメラは、ここでは麻雀卓とギャンブラーたちとの間を走り回る。時代背景を色濃く出したモノクロ画面が効果的。撮影は安藤庄平(90年)の「死の棘」でのキレのいい映像も忘れられない)。
突然失業した青年(時任三郎)の無為な生活を通じて、何ともやるせない“青春の気分”を綴った根岸吉太郎監督「永遠の1/2」(87年)のロケ地は佐世保である。川上皓一のカメラが映し出す、どこか幻想的な港町の風景。特に夜明けの澄み切った空気感は悩ましいほどだ。川上は市川準監督「つぐみ」(90年)でも実にいい仕事をしている。
伊藤俊也監督「風の又三郎/ガラスのマント」(89年)は、カメラワークだけで成り立っているような映画だった。高間賢治のカメラは開巻から躍動し、スクリーンの中に風を巻き起こす。ヘリコプターの下にリモコン式カメラを登載し、東北の山野を低空飛行したり、クレーンやステディ・カムの大胆な使用など“風の視点から見た映像”を作り出すことに成功。自然の風景のとら方も申し分なく、緑の瑞々しさや、輝く陽光は目もくらみそうだ。

カメラマンの起用でこうも作風が違うものかと思ったのは大林宣彦監督「ふたり」(90年)である。それまでの大林作品を覆っていた甘酸っぱいノスタルジアから力強く明日へ踏み出す作者の転機を示すように、南国的で暖色系のカラーを得意とする阪本善尚からシャープな寒色系を多用する長野重一へと撮影監督を交代させた。結果は見事なもので、追憶的になりがちな登場人物がシビアーに“現代”に生かされている。すでに尾道は“懐かしいだけの街”ではなくなっていた。
書いていくとキリがないのでこれくらいにしておこう。洋画と違い、日本映画の印象的な映像というのは、普段我々が何気なく目にする身近な光景が、見事に映画的なヴィジュアルとして転化する驚きがある。それだけに観たときのショックも大きいわけだが、言い換えれば、映画的な映像や風景は我々の近くにいくらでも転がっているということだ。それを的確にすくい上げる撮影監督の技量は間違いなく映画を左右する(当然その前に監督の映像に対する確固としたヴィジョンが必要なわけだが)。これからも我々に映画の魔術を披露し続けてほしい。