元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

実は、最近ちょっと痩せたのだ(^o^)。

2006-04-30 08:00:50 | その他
 今年1月に人間ドックを受診したところ、“別に悪いところはありませんけどねー。血圧も血糖値も正常ですしねー。ただし、もうちょっと痩せてくださいねー。肥満は万病の元ですしねー。お願いしますよー”と言われてしまった私(爆)。そこで一念発起。ダイエットに励むことにした。

 ・・・・とはいっても、あれから“励む”ほどには特別無理はしていない。しかし、この3か月で3kg以上体重が減ったのは確か。ではその原因は何か。

 それは“朝食”であると思う。別に“朝食を抜いた”なんていうアホなことはしていない。今までは“朝はしっかり食わないとパワーが出ない”とばかり、起き抜けで食欲もないのに無理矢理押し込んでいたのだが、それを“ウィーダーインなんとか”みたいなゼリー状の低カロリー携帯食に変えた。当初は午前中に空腹になって、仕事の合間にソフトキャンディなんぞを摘んでいたのだが、やがてそれもしなくなった(・・・・というより、仕事が忙しくなって、コーヒーブレイクの時間さえ無くなったというのが実状だが ^^;)。今ではそのまま昼食まで保たせてしまう。ついでに昼食の量も、以前より少し減らすようにはした。

 パッと見ただけでは痩せたかどうか分からないだろう。でも、腹回りの肉は確実に減っている。ズボンなんて、ユルユルだしね。これなら、10年前に購入したものの太ったために着られなくなってクローゼットの奥に仕舞い込んでいたスーツもやがて活用できそうだ。

 では、朝食を軽く済ませるようになっただけで、誰でも痩せられるのかといえば・・・・それはちょっと違うと思う。私は5,6年前からウォーキングを日課にしていて、たぶん日頃運動に無頓着な勤め人の、たぶん倍以上の歩数を日々稼いでいる。食いしん坊の自分が“このデブのおっさんがぁ!”と言われないだけの体型を何とか維持できていたのも、このウォーキングのおかげであろう。食事を減らすだけで運動も何もしないと、少しでも食事量が増えればアッという間にリバウンドだ。

 まあ、私の場合結果として“適度な節食と、適度な運動”というダイエットの王道路線を歩んでしまったようなのだ(笑)。

 今後の目標としては、あと4,5kg絞り込み、十数年前の体重に戻すことかな。そのために、将来的に日々のウォーキングのノルマをあと3千歩ほど増やすことにしよう。いずれにしろ、来年の人間ドックの時、医者が何と言うか楽しみだ。
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「生録・盗聴ビデオ」

2006-04-29 16:29:13 | 映画の感想(な行)
 82年にっかつ作品で、当時量産された“ロマンポルノ”のラインナップのひとつである。浮気の現場をこっそりとビデオに撮られてしまった人妻がたどる地獄のような日々を執ように描いているこの作品は、同じようなテーマをよく扱うテレビの「なんとかサスペンス劇場」など足元にも及ばないヴォルテージの高さと緊張感で観る者を圧倒する。監督は当時この作品や「密猟妻・奥のうずき」などでそのエキセントリックな演出が評判になり、今は何やってるのか全然わからない菅野隆。

 主演の風間舞子(この人も今何やってるのかわからない)がすごい。ちっとも軽いところがない年齢的にも重量級の女優で、逆境にもかかわらずひとつも泣き言をいわない。「だって私の撒いた種なんだから黙って引き受けるしかないでしょ」とトコトン堕ちていくだけでなく、自分をおとしいれた悪い連中まで道連れにしていくそのしたたかさ。骨太の官能性が画面を跳梁バッコする、まさに歩くセックス・マシーン(爆)。

 映像のキレが抜群だ。ヒロインの家に突然ビデオカメラと照明を持った男女が乱入する、観ていて気絶しそうな仰天シーンや、彼らに襲われる場面でクッションからこぼれ落ちて部屋中を乱舞する鳥の羽根、といったシュールな映像は一度見たら忘れられない。

 事件の首謀者で妻の座を狙う女やその手下の男ども、といった三流テレビドラマによく出てくる脇のキャラクターも、徹底的にリアリズムで描いているため軽薄にならずめちゃくちゃいやらしい。とにかくすべての登場人物を甘やかせずギリギリまで追いつめているところがすごい。

 非常にパワフルでえげつなくてトコトン迫力があって、しかも十分スケベなこの快作は、たぶん今ではビデオも出ていないだろう(間違っていたらゴメン)。残念なことです。もっともこの時期の成人映画の多くがそうなんだけど。
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チューナーをゲットした。

2006-04-28 06:45:03 | プア・オーディオへの招待

 FM/AMチューナーを手に入れた。ただし、中古品。いくつかのディーラーのホームページを何気なく覗いていたら、この“出物”を見つけ出し、店が同じ福岡県内にあることから、早速出向いて購入してきた次第。

 機種名はDENONのTU-1500AE。なんと現行機種である。しかも今年製造された物で、当機が店に“入荷”した時期を考え合わせると、前の所有者は1か月程度しか使用していないことになる。箱や付属品の一部がないことは玉に瑕だが、本体に傷もなく動作も異常なし。つまりは“新品同様”である。これが定価の半額以下でゲットできたとは、我ながら悪くない買い物をしたものだと、ほくそ笑む私であった・・・・(爆)。

 通常ステレオ用のチューナーは屋外専用アンテナが必需品だが、社宅にそんなものを付けるわけにはいかないので、窮余の策として壁にあるテレビ用共同アンテナの端子に接続してみた。結果は良好で、どの局も万全とはいかないまでも、聴き苦しくない程度には電波を拾ってくれる。FM用アンテナはテレビ用より図体が大きく、そのテレビ用でFMを受信するのは無理があるはずだが、幸い周りに障害物がなく、マルチパスの心配がなかったのも大きいと思われる。

 意外とチューナーは機種によって音がかなり違う。スピーカーやCDプレーヤーほどではないが、アナログプレーヤーのカートリッジと同じぐらいの品目別の差異が存在する。当機は厚ぼったく押し出しの強い音で、まさしくDENONのサウンドだ。番組によっては胃にもたれることもあろうが(笑)、アナウンスの声などは安定感があって聴きやすい。

 そういえば、昔はFM番組は重要なオーディオのソースであった。各メーカーはフルにラインナップを揃え、FM雑誌も4誌あり、音楽ファンはFMで新曲の情報を得て、時にはせっせとエアチェックをしていたものだ。ところが今では当機のような普及クラスのチューナーが何機種か存在する他は、某アキュフェーズの超高級機があるのみで、FMは主要ソースから撤退していった。やっぱりこれはiPodなどのポータブル・オーディオの普及で“音楽ソースは手軽に聴くものだ”という認識が広まったせいかもしれない。FM番組自体も面白くなくなり、音楽を無視して愚にも付かないトークに終始したプログラムが目に付くようになる。かく言う私もここ7,8年間はFM放送をほとんど聴いていなかった。

 でも、今回チューナーを手に入れて久しぶりにステレオでラジオを聴いてみて、やっぱりFMというのは面白いなと思い直した。確かにくだらない番組も多い。しかし、スイッチを付けっぱなしにするだけで、いろんなサウンドが入ってくるってのは(当たり前だけど)・・・・けっこう楽しい。ちゃんと聴くに値する番組もいくつか残ってるし(特にNHK-FM)、またしばらく腰を据えて付き合おうかと思っている。

 しかしまあ、もうちょっとFM局は増えて欲しいな。福岡市みたいな百万都市およびその近郊には、少なくとも10局はあって良い(現行はミニFM局を除いて4局のみだし ^^;)。
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「ショーシャンクの空に」

2006-04-27 08:12:20 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The Shawshank Redemption)94年作品。

[概要]
 大銀行の副頭取だったアンディ(ティム・ロビンス)は妻とその愛人を射殺した罪で無期懲役の刑を受け、ショーシャンク刑務所に収監される。最初の方こそ頼りなげに見えた彼だが、持ち前の頭脳としたたかさで、所内の“調達屋”のレッド(モーガン・フリーマン)に一目置かれるようになる。やがてアンディは所長や看守の税吏相談も受けるようになり、刑務所の中心人物になるが、ある日入所してきた若い囚人から、真犯人の存在を聞いたのをきっかけに、ある“決意”を胸に秘める。ホラー以外のスティーヴン・キングの小説の映画化では「スタンド・バイ・ミー」に続き当時2本目。監督は「フランケンシュタイン」などの脚本を手掛けたフランク・ダラボン。これが初演出である。

[感想]
 ひとことで言って、非常に感銘を受けた。たぶんここ10数年間のアメリカ映画の中ではベストテンに入る。

 刑務所ものという、型通りになりやすいジャンルでありながら、ハリウッド得意の予定調和劇とは最も遠い。この映画は今まで観た刑務所ものとはどれも似ていない。

 公開時にある評論家は“どんな状況でも希望を持つことがいかに大切であるか、そして信じた希望が現実となって実を結ぶことの素晴らしさを描いた映画”だと言った。間違いではないが、核心でもない。それがテーマのすべてだったら、最初からそれに呼応するディテールを積み重ね、ラストでドーンと打ち上げるハリウッド製娯楽劇になったはずだ。

 ところがこの映画、観客の期待をいい意味で裏切り続ける。特に私のように原作も知らない観客にとっては、途中まで主題が何かさえつかめず、ラストなんて見当もつかない。かなり描くポイントに“ゆらぎ”が多く一定していない。それでも観終わって感動してしまうのは、映画の視点がストーリーではなく、徹底して登場人物の側を向いているからだと思う。

 “当たり前のことを言うな!”との指摘は承知の上だ。でも、主題があまりにも物語(そして題材)の側にすり寄り、“大作のための大作”あるいは“娯楽作のための娯楽作”という堂々巡りをしている映画が多いとは思わないか?

 対して「ショーシャンクの空に」は、まずキャラクターがある。彼らが何を考え、それが周囲の出来事によってどう変わり、結果としてどう行動するか、実に微分的に描写する。人間の心なんて日々これ葛藤の連続。描き方に“ゆらぎ”があるのは当然だ。刑務所という舞台に、こういうキャラクターを入れたらどうなる、ということから出発しており、大仰なストーリーの辻褄を合わせるためのキャラクター設定ではないこと。これがこの映画の成功の要因だ。

 そういうスタンスのもとに、アンディというキャラクターが選ばれている。無実の罪で刑務所に入り、頭はいいが性格は(最初は)弱い。しかも心の奥底では希望を失わない。いずれ何かやらかすような人物だ。事実、感動の結末になるのだが、これは万人にアピールさせるアメリカ映画ならではの選択に過ぎないのだ。彼がたまたま“希望を失わない”前向きのキャラクターだったから、(少々の娯楽性豊かな展開を付け加えたとはいえ)ああいうラストに持って行けたのである。たとえば別のもっと屈折したような人物を主人公にして、フランス映画の犯罪ドラマみたいな方向に持っていくこともできた。実に拡張性の高い(?)映画作りだ。

 それにしてもダラボン監督の、的確で抑制され、ここ一番という時パワーを見せる演出の見事さ。ティム・ロビンスは最高の演技だ。モーガン・フリーマンも素晴らしい。トーマス・ニューマンの音楽。ロジャー・ディーキンズのカメラ。何から何まで満点に近く、鑑賞後の味わいは極上である。でも単に“感動した”の連呼より、前述の柔軟性に富んだ作劇のスタンス、映画に対する作者の謙虚さを評価したい。
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「クラッシュ」

2006-04-26 06:48:00 | 映画の感想(か行)

 (原題:Crash)「ミリオンダラー・ベイビー」の製作・脚本を担当したテレビ界出身のポール・ハギスの監督デビュー作だが、焦点の定まらない凡作だった「ミリオン~」がそうであるように、本作も深刻ぶっているようで実は内容が薄い。

 ロスアンジェルスを舞台に、黒人刑事、ベテランと若手の警官、ドラマ演出家、雑貨店の主人などさまざまな階層・人種のキャラクターを交錯させて、ラストに“テーマのようなもの”を差し出すという方法論(群像劇)自体は別に目新しくもない。

 それに各登場人物の配置が呆れるほど図式的だ。白人の隣に都合の良いようにマイノリティが“万遍なく”並んでいて、しかもそれらが皆“ありがちな”職業・設定で登場するのにはるのには失笑を禁じ得ない。もちろん“裕福な有色人種”や“白人貧困層”なんてのも出てくるが、それにしたって“中には例外もありますよ”というエクスキューズに過ぎないだろう。

 さらに“誰にでも、良い面と悪い面がありますよ”といった御為ごかしのスローガンを臆面もなく披露するに至っては、この作者、人間ってものをとことんナメているとしか思えない。

 ただし、R・アルトマンの「ショート・カッツ」やP・T・アンダーソンの「マグノリア」といった出来の良くない群像劇と違って最後まで何とか観られたのは、題材として描かれる人種差別が本当に深刻な問題であるからだ。どんな人間でも差別感情を持っている。ただしそれが大手を振ってまかり通ってしまうと、世の中が滅茶苦茶になってしまう。

 ただし差別問題は映画とは別に厳然と実社会に存在しているものであり、それを本作が扱っているからといって、映画の質そのものが上がるわけではないのは当然のことだ。
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シャープの“お笑い労使交渉”。

2006-04-25 06:46:34 | 時事ネタ
 新聞によると、シャープ(株)における今年の春闘の労使交渉が「35歳の社員だけに限られた500円の賃上げ」というトンデモな内容で妥結していたことが、4月19日に判明したそうだ。つまりはモデル年齢の組合員だけが賃上げされ、他の連中は賃上げゼロってこと。従業員をバカにするのもほどがあるんじゃないか? てゆーか、それ以前にこんなアホな案をよく組合が呑んだものだ(呆)。あまりの非常識ぶりに電機連合も「そんな妥結案は過去に聞いたことがなく、波及する恐れもある」と困惑しているとか。

 まあ、これが三洋電機みたいな経営が左前の会社だったら「あーあ、貧すれば窮すだね」といった感じで部外者は鼻で笑うだけで済むが、薄型液晶テレビの売り上げが絶好調なシャープは2005年度において前年同時期より8%以上もの売上高増を記録し、その点だけ見れば立派な優良企業だ。なのに、労使交渉ではこんな馬鹿なことをやって恥とも思っていない。

 今の若い者はあまり知らないだろうが、昔はシャープの製品といえば「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。松下や東芝や日立は「一流」だが、シャープやNECやゼネラルや、そのあたりは(こと家電品に限っては)「三流」と見なされていた。今では確かに液晶では世界トップクラスの座にあるが、一般の家電品では相変わらず「三流」。作りがチャチで、すぐ壊れる。だが、それでも現在は消費者が一目置くような企業にのし上がったのは「ブランド」作りに成功したからだと言える。シャープのAV機器を購入する層は、ほとんどが「指名買い」らしい。シャープという名前だけで、他社との競合に関して大きなアドバンテージが存在している。こうなれば、企業としては強い。

 しかし、逆に言えばその「ブランド」のイメージが少しでも失墜すると、本来製品クォリティの面で足腰が弱い同社はイッキに愉快ならざる状態に追い込まれるのも確かだろう。今回の件はその意味で、シャープにとってかなりやばいのではないか。そういう姑息な労務対応をする会社、大儲けしているのに妙にシミったれた会社、そんな事実が新聞の一面で報道されれば、人件費をケチって浮いた分の金額以上に、「ブランド」イメージ低下による売り上げ減が危惧されるのではないだろうか。

 ただし、よく考えてみると、今回のシャープみたいにマスコミから取り上げられて顰蹙を買っているケースは、まだマシなのかもしれない。巨額の黒字を出しながら「500円のベースアップ」さえもやらない大企業があっちにもこっちにも・・・・。

 マスコミは少し前まで「ライブドアは欺瞞的な企業体だ!」みたいにバッシングに励んでいたが、ライブドアにしろイーホームズにしろ総合経営研究所にしろ、実体のハッキリしない「虚業」じみたところがあるのは間違いない。「虚業」である限り、胡散臭い面があるのも、まあおかしくもないわけで・・・・。でも、「阿漕な遣り口を展開しているあの企業やこの企業」の中にシャープをはじめとする立派な「実業」の会社が数多く含まれているのはどういうことか・・・・。

 要するにこういうことかな。今や「実業」だろうと「虚業」だろうと、目先の利益のために阿漕な稼業に勤しむのは当然で、ヘタ打って叩かれているいくつかの「虚業」の会社は脇が甘いだけであり、かつまたそれが現状に不満を持っている一般ピープルにとっての「ガス抜き」として機能している・・・・。「プロジェクトX」に出てきたような高い理想と矜持を併せ持った往年の経営者たちが退場した後、いまの「景気回復」とやらを支えているのは自分のカネのことしか考えていない「株主受けの良い」経営者だけになってしまったと・・・・。前にも書いたけど、ホリエモンだけが悪いんじゃないんだよね。

 いずれにしろ、シャープの製品はもう買いたくないな。一時は奮発して同社のデジタルアンプを購入しようかとも考えていたけど、今回の件で気分が萎えた。いつまでも液晶テレビが持て囃されるわけもなく(次々と新しい方式が提案されているしね)、昔の「安かろう、悪かろう」のシャープに戻る日も、そう遠くはなかったりして・・・・(爆)。
 
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「ザ・コミットメンツ」

2006-04-24 07:04:36 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The Commitments )91年作品。アラン・パーカーがイギリス(まあ、本作の舞台はアイルランドだが ^^;)で撮った映画は、やっぱり活きが良い。ダブリン北部の労働者の街を舞台に、本格的ソウル・バンド<ザ・コミットメンツ>結成に情熱を燃やしプロを目指して頑張る12人の若者の姿を追った青春映画。

 私はパーカー監督の最高作は「フェーム」(80年)だと思う。社会性を前面に押しだした映画よりも、それをモチーフとして若者の夢や希望をビビッドに描き出す青春映画の担い手であるこの監督の力量を評価していたのだが、この作品は「フェーム」と同系統の映画ながら、それに劣らぬ魅力を発散している。バンドのメンバーを集めるオーディションのシーンは、無名のキャストばかりながら、短いカットの積み重ねが小気味よく展開する中で、それぞれの個性がキラキラと輝き、ワクワクさせられる。

 圧倒されるのが<ザ・コミットメンツ>の面々が披露するソウル・ミュージックの数々で、パワフルかつ迫力満点。スクリーンが爆発しそうな演奏の連続は、「フェーム」での音楽学校の生徒たちが通りで踊りまくるあの素敵な場面とダブる。パーカー監督は本当に音楽がわかっている。

 ステージだけでなく、バンドのメンバーたちをとりまく家族や友人たちの描写を通じて、音楽が生活の一部になっているダブリンの下町で暮らす人々が実物大にスクリーン上でとらえられている点も感心した。

 「フェーム」がそうであったように、バンド活動を終えた主人公たちの“その後”はあまり重要ではない。大切なのは夢に向かって走ることで、結果はあとからついていくものだ。ラスト、皆が去ったあとの主人公のモノローグが泣かせる。映画が彼の一人称で語られることにより、多様な青春群像が観客一人一人に伝わるパーソナルなものとして収斂されていき、切ない感動を呼ぶ。

 青春映画好き、そしてかつ音楽好きにはオススメの映画だ。サントラ盤も素晴らしい。
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「いまそこにある危機」

2006-04-23 07:34:03 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Clear and Present Danger)94年作品。トム・クランシーによる電話帳みたいにぶ厚い原作は、ほとんどが“情報”の羅列であってストーリー性に乏しい(異論もあろうけど)。おまけに、主人公ジャック・ライアンの出番があまりない。映画でウィレム・デフォーが演じたCIAの秘密調査官の方が活躍していたりする。かなり脚色には苦労したと思うが、結果、ライアンが出ずっぱりのアクション編に仕上がっていて、一応の成功を見たといえる。しかし、どうも作品全体にスカッとしないモヤモヤが漂っており、愉快になれない。

 カリブ海のヨット内での殺人事件はコロンビアの麻薬カルテルの仕業だった。しかも犠牲者は大統領(エドワード・ドナルド・モファット)の親友でもある。私怨にかられた大統領は、公安担当やCIA高官と結託し、麻薬組織壊滅のため傭兵を南米に送り込む。一方病気で倒れた上司(ジェームズ・アール・ジョーンズ)に代わってCIA副官代理となったライアン(ハリソン・フォード)は、コロンビア政府への多額の援助金を獲得するために“軍事介入しない”と議会で宣誓し承認を得る。ところがその援助金は大統領個人の軍事的スタンド・プレイに流れていたのだ。苦境に立たされたライアンは現地に飛び、事態を収拾しようとする。

 元上司から“国民のために行動しろ”と言われ、一人で巨大な陰謀に立ち向かうライアンをヒロイックに描いているが“国民のため”とはいったい何? 確かに議会制民主主義のルールを無視する大統領は国民の敵だ。しかし麻薬組織もアメリカ国民にとって“今そこにある危機”なのだ。

 麻薬カルテルが国家と国民にガッチリ入り込んでいるコロンビアに多額の税金を援助金としてそそぎ込むことが果たして正義か? 終盤で国に見放された傭兵を救出するためライアンは活躍するが、「ランボー/怒りの脱出」のメンタリティとどれほどの差があるのか。以上は暴論かもしれないが、もはや“国民のため”という大義名分が虚しく聞こえるほどに複雑化した国際社会の不透明さが、本来ヒロイックな活劇であるはずの映画を重くシニカルなものに見せてしまう。

 “ボーイスカウトの団長みたいな”一本気な主人公が政治の世界でヒーローになるのは難しい。ラスト、大統領にケンカを売りに行くライアンの姿にいまいちカタルシスがないのは当然なのかもしれない。

 アクション・シーンはかなり優れている。W・デフォーも儲け役。でも、CIA副長官代理が現地に赴いて大暴れするというのは、いくら映画とはいえ無理があると思うのは私だけ?(やっぱり私だけか ^^;)。
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「単騎、千里を走る。」

2006-04-22 07:49:00 | 映画の感想(た行)

 (原題:千里走単騎) 余命幾ばくもない息子の代わりに日本から中国大陸に赴いた初老の男と現地住民との触れ合いを描く張藝謀監督作。

 これは舞台が中国だということをあまり気にせずに観れば、しみじみとした味わいの佳篇として評価できる。とにかく、右も左も分からない中国の奥地で人捜しをする主人公に、無私の好意と協力を申し出る人々の素朴な表情に心打たれてしまう。

 豪勢なもてなしをする村の住民はもちろん、胡散臭そうな現地ガイドも、一見ビジネスライクな旅行会社の女性従業員も、果ては刑務所の看守や囚人たちまで、誰もが親切でにこやか。そのへんをほとんど違和感なく見せているのは張監督の演出力ゆえだろう。息子が取材しようとした“京劇の名人”とその子供とのエピソードも泣かせどころがたっぷりだ。

 中国での雄大な風景をふんだんに取り入れた映像も魅力で、日本でのシーン(この部分だけ降旗康男が監督)の整然として寒色系を多用したクールな映像と素晴らしいコントラストを見せている。

 ただし、本作に描かれた中国が実物に近いかと言えば、当然のことながら大間違い。これは主演が“たまたま”中国でも人気がある高倉健で、演出家も“たまたま”知日家の張監督だったからこうなっただけの話。

 自分の身内以外は人間とは思っておらず、社会的規範も礼節もまったく頭の中にない“典型的な中国人”ばかりをそのまま画面に出していたなら、実に殺伐とした映画になっていたことだろう。

 だからこの映画はファンタジーとして楽しむべきものである。これを観て“やっぱり中国の人は親切だねぇ”なんて思うのは、脳天気に過ぎる。
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山本文緒「プラナリア」

2006-04-21 18:59:32 | 読書感想文
 読売新聞のホームページの掲示板に「発言小町」というのがある。その名の通り、読者(女性中心)に書き込みの場を設けているボードで、かなり賑わっている。もちろん「面白そうな本を教えて!」みたいな、他愛のない話題も多いのだが、やっぱり目立つのはすこぶるレベルが低い書き込みだ。多くが所謂「姑が嫌い」「舅が嫌い」「小姑が嫌い」といった古典的な「嫁VSダンナの家族」ネタ、あるいは「友達が相手にしてくれない」「職場の誰々が気にくわない」「近所の奥さんが好きになれない」というグチである。一見、テーマ設定ではそれとは関係のないトピックも存在するのだが、話が進むと大部分は「姑はじめ周りの人間に対する罵倒」および「それをたしなめる訳知り顔の参加者」の二段構造に収斂されていくのだから笑ってしまう。しかも「ひょっとして自分に非があるのではないか」とは露ほども考えない点で、両者は共通していたりして・・・・(爆)。

 で、この「プラナリア」という短編集だが、雰囲気としてはこの「発言小町」に通じるものがあると思った。乳ガンになったことを「錦の御旗」みたいにおっ立てて「アタシはこんなに不幸なの。周りは分かってくれないの」と泣き言ばかり垂れる表題作のヒロインをはじめ、言い訳ばかりの付き合いきれない女達が次から次に出てくる。誰もがつまらないグチを並べ、自分に責任があるとは(表面的には思っても)本気で考えない。こういうのは私は嫌いである。

 断っておくが、私は別に「彼女たちは自堕落だから、ちゃんとしないから、嫌いなのだ」と言うつもりはない。そんなチンケな道徳主義には用はない。私は彼女たちに「覚悟」がないから嫌っているだけだ。とことん開き直って、とことんデカダンに「堕ちて」いって、それを「どうだっ!」とばかりに見せつければ大喝采だ(そう、今村昌平監督の映画みたいにね)。

 少しばかり「堕ちる」ようなポーズを見せるだけで、実のところは自分可愛さの泣き言しか提示できない本書のヒロイン達に、感情移入する価値は見出せない。

 なお、山本文緒はこの作品で直木賞を取っている。内面描写の多いこの小説が、どうして純文学対象の賞ではなく、娯楽小説に与えられる直木賞に輝いたか、前述の「発言小町」の存在ポジションと考え合わせれば納得がいく。つまりは、あの掲示板を面白がって読んでいる(主に女性の)読者にとっては、「ああ、自分にもそういうところあるっ!」てな具合に「(上っ面だけで)共感」できるから、または「自分はダメだけど、世の中にはそんな自分よりダメな、こんな女たちもいそうじゃない!」という姑息な安心感を得るから、その意味での大いなる「娯楽」なんだろう。当然、単なる「娯楽」である以上、「深み」を求めるのが筋違いであるのは、言うまでもないことだが。
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