(原題:The Kids Are All Right)まずは主演二人の演技合戦を楽しむ映画だ。本作でアカデミー賞候補になったアネット・ベニングは、同性のパートナーと“結婚”して精子バンクの利用により子供までもうけているという女医に扮している。ショートカットでキャリアウーマン然とした外見ながら、イレギュラーな状態で“家庭”を持ってしまったプレッシャーと責任の重さに耐えているという、複雑な立場を大きな存在感で見せきっている。
対するジュリアン・ムーアは、パートナーと同じ精子で自らも子供を産んだものの、自分に合う仕事が見つからず“専業主婦”の地位に甘んじているオバサンの不貞不貞しさを、小憎らしいほど上手く表現している。あまり身持ちの良くない女なのだが、彼女が演じると魅力的に思えてしまうから不思議だ。当初は“攻め”のベニングに対して“守り”のムーアといった感じで展開するが、シチュエーションに応じて時折攻守が交代するのだから見逃せない。
18歳の長女は大学進学のため家を離れることになるが、この年齢に達すると、精子バンクに問い合わせて自分たちの父親が誰なのか知ることが出来る。15歳の長男と共に“遺伝子上の父親”と対面した娘だが、このことを知った“両親”は、子供たちだけで“父親”に会うのは良くないと考え、彼を家での食事に招待する。ところがこれが契機となり、思いがけず彼らは家族のあり方を再検討するハメになってしまう。
要するに、形がどうであれ信頼し合っている者達が一緒にいればそれは“家族”なのだ。巡り会った“遺伝子上の父親”は中年になった今でも独身で、経営するオーガニック・レストランがそこそこ成功していることもあり、気ままな生活を送っている。ガールフレンドはいるが深い付き合いではない。
ところが思いがけず出会った二人の“子供”を前にして、柄にも無く父親らしいところを見せようとしてしまうのだ。これがたとえば、養子縁組といったケースならば親子の関係を一から構築していかなければならない覚悟が必要である。しかし、今回が初対面とはいえ血は繋がっているという気安さが彼にあったに違いない。そのイージーさは同性カップルの“両親”と過ごした時間と比べると、あまりにも軽い。この時点で結果は見えているような感じである。
しかし、映画はそんな通り一遍の展開は示さない。彼にムーア扮する“親”が色目を使ってきたことから事態は紛糾。捻りの効いたラブコメみたいになり、効果的に挿入されるギャグと共に飽きさせずにラストまで付き合わされてしまう。監督のリサ・チョロデンコの作品を観るのはこれが初めてだが、テンポの良い演出リズムは見上げたものである。一種突き放したような幕切れも鮮やかだ。
太平楽な“遺伝子上の父親”を演じるマーク・ラファロは好調。子供役のミア・ワシコウスカとジョシュ・ハッチャーソンも滑らかな良い演技だ。カルフォルニアの明るい陽光と、ヴァンパイア・ウイークエンドやデイヴィッド・ボウイ、ジョニ・ミッチェルなどの挿入曲も効果的で、観て損の無い大人のコメディ映画である。