元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「キッズ・オールライト」

2011-06-25 06:32:35 | 映画の感想(か行)

 (原題:The Kids Are All Right)まずは主演二人の演技合戦を楽しむ映画だ。本作でアカデミー賞候補になったアネット・ベニングは、同性のパートナーと“結婚”して精子バンクの利用により子供までもうけているという女医に扮している。ショートカットでキャリアウーマン然とした外見ながら、イレギュラーな状態で“家庭”を持ってしまったプレッシャーと責任の重さに耐えているという、複雑な立場を大きな存在感で見せきっている。

 対するジュリアン・ムーアは、パートナーと同じ精子で自らも子供を産んだものの、自分に合う仕事が見つからず“専業主婦”の地位に甘んじているオバサンの不貞不貞しさを、小憎らしいほど上手く表現している。あまり身持ちの良くない女なのだが、彼女が演じると魅力的に思えてしまうから不思議だ。当初は“攻め”のベニングに対して“守り”のムーアといった感じで展開するが、シチュエーションに応じて時折攻守が交代するのだから見逃せない。

 18歳の長女は大学進学のため家を離れることになるが、この年齢に達すると、精子バンクに問い合わせて自分たちの父親が誰なのか知ることが出来る。15歳の長男と共に“遺伝子上の父親”と対面した娘だが、このことを知った“両親”は、子供たちだけで“父親”に会うのは良くないと考え、彼を家での食事に招待する。ところがこれが契機となり、思いがけず彼らは家族のあり方を再検討するハメになってしまう。

 要するに、形がどうであれ信頼し合っている者達が一緒にいればそれは“家族”なのだ。巡り会った“遺伝子上の父親”は中年になった今でも独身で、経営するオーガニック・レストランがそこそこ成功していることもあり、気ままな生活を送っている。ガールフレンドはいるが深い付き合いではない。

 ところが思いがけず出会った二人の“子供”を前にして、柄にも無く父親らしいところを見せようとしてしまうのだ。これがたとえば、養子縁組といったケースならば親子の関係を一から構築していかなければならない覚悟が必要である。しかし、今回が初対面とはいえ血は繋がっているという気安さが彼にあったに違いない。そのイージーさは同性カップルの“両親”と過ごした時間と比べると、あまりにも軽い。この時点で結果は見えているような感じである。

 しかし、映画はそんな通り一遍の展開は示さない。彼にムーア扮する“親”が色目を使ってきたことから事態は紛糾。捻りの効いたラブコメみたいになり、効果的に挿入されるギャグと共に飽きさせずにラストまで付き合わされてしまう。監督のリサ・チョロデンコの作品を観るのはこれが初めてだが、テンポの良い演出リズムは見上げたものである。一種突き放したような幕切れも鮮やかだ。

 太平楽な“遺伝子上の父親”を演じるマーク・ラファロは好調。子供役のミア・ワシコウスカとジョシュ・ハッチャーソンも滑らかな良い演技だ。カルフォルニアの明るい陽光と、ヴァンパイア・ウイークエンドやデイヴィッド・ボウイ、ジョニ・ミッチェルなどの挿入曲も効果的で、観て損の無い大人のコメディ映画である。
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「刺青」

2011-06-24 06:34:45 | 映画の感想(さ行)
 増村保造監督による昭和41年作品。谷崎潤一郎の同名の原作を、新藤兼人が脚色したもの。何度も映画化されたこの題材の、代表作の一つとされているものだ。

 手代の新助と駈け落ちした質屋の娘お艶は、店に出入りする遊び人の権次夫婦の元に身を寄せる。ところが権次は札付きの悪党だった。お艶は麻薬をかがされ気を失った隙に、その白い肌一面に巨大な女郎蜘蛛の刺青をほどこされてしまう。ところがこの事がきっかけで彼女は妖しい血に目覚め、芸者として奔放な魅力を振りまいてゆく。

 宮川一夫御大のカメラワークは素晴らしく、主演の若尾文子も美しい。でも、ラストが“あらずもがな”の図式に落ち着いてしまうのは気にくわない。結局、彼女が破滅させた男はほんの数人ではないか。攻撃目標を広範囲に定めて、もっと過激にもっと残虐に、彼女の行くところ死屍累々の阿鼻叫喚地獄になるように仕向ければ大傑作になっただろう。

 そして何百人もの悪党どもの生き血をすすり、ますます女郎蜘蛛は妖艶に輝くのであった・・・・なんて結末だったらシビれただろうな(おい、そりゃあ石井輝男監督の世界だろうが ^^;)。

 この原作の映画化作品をすべて観ているわけではないが、他に印象に残ったものに曽根中生監督版がある(84年製作)。舞台は現代でヒロインは売り出し中の歌手という設定だったが、展開が一捻りしていて楽しめた。
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「クロエ」

2011-06-23 06:19:19 | 映画の感想(か行)

 (原題:CHLOE )いくつもの映画祭で受賞歴があり、芸術家肌と言われているアトム・エゴヤン監督作にしては、随分と下世話な題材のシャシンである。ただし、今までの同監督の映画は世評ほどには優れているとは思えない。私にとっては単に変化球が得意なスノッブな作家という域を出ていなかったが、今回の通俗的なネタの披露は却って親近感さえ覚えてしまった。これからもこの路線を捨てないで欲しいものだ。

 トロントのアップタウンで産婦人科を開業しているキャサリンは、大学教授の夫デイヴィッド、一人息子のマイケルと郊外の高級住宅地に住んでいる。遠方の大学に勤務している夫は家を空けることが多いが、彼の携帯電話のメール着信履歴を偶然見てしまったキャサリンは、夫が浮気をしているのではないかと疑う。そこで彼女は若い娼婦のクロエを雇い、デイヴィッドを誘惑してそのリアクションを報告するように依頼する。

 デイヴィッドの行動がほとんどクロエによって語られること、そして母親の形見だという髪飾りが重要な小道具になっていることから、中盤で早々にネタが割れてしまう。そして、この監督だから決してハッピーエンドにはならないと思っていると、実際その通りになるのだから苦笑してしまった。エゴヤンがインタビューで“他者の思惑など操ることなどできない”と語っていたらしいが、まあ、そんな当たり前のことを作品の中で勿体ぶって言われても困るわけだ(爆)。

 ただ、観る価値はあると思う。それはキャストの仕事ぶりに尽きる。キャサリンに扮したジュリアン・ムーアは今回も海千山千の存在感を発揮。狡猾さと紙一重の迂闊さを併せ持つ、食えない中年女を上手く表現している。彼女はすでに50歳に達しているはずだが、身体の線がほとんど崩れていないのもサスガだ(笑)。

 そしてクロエ役のアマンダ・セイフライド(正式な発音はサイフリッドらしい)は、本作の見所の5割以上を叩き出していると言って良い。奔放さと純情が巧みにブレンドされたキャラクター造型もさることながら、ルックス面での優位性で観客の目を釘付けにする。顔は完全なアイドル系だが、ボディは実に挑発的。チラッと見せる裸体はワークアウトなどで無理に絞ったような不自然な様子は窺えず、実にヘルシーでナチュラルだ。それでいて巨乳というのが嬉しい(爆)。前に観た「ジュリエットからの手紙」とはまったく違う役柄をこなしているあたり、今後の活躍が期待できる若手女優だ。

 反面残念だったのがデイヴィッド役のリーアム・ニーソンで、ルックスの良いオッサンならば誰でもいいような役でしかない。彼がわざわざ引き受けるような仕事でもなかったと思う。トロントの街の清涼な佇まいや、鏡を使ったトリッキィなショットなど、映像面でもかなりのアドバンテージがある。エゴヤン監督らしい捻った展開を期待すると肩すかしを食らうが、少し毛色の変わったラヴ・サスペンスとして観れば楽しめよう。
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「誘拐犯」

2011-06-22 06:27:33 | 映画の感想(や行)
 (原題:The Way of the Gun)2000年作品。無法者二人組が大富豪が雇った代理母を誘拐。ところがこの金持ちは暗黒街の顔役でもあった。刺客を放って二人を追い詰め、アクションが展開する。脚本家出身のクリストファー・マックァリーの初監督作だ。

 マックァリーは「ユージュアル・サスペクツ」のシナリオを手がけたことで知られているが、今回に限ってはこれは素人の仕事だ。まったく映画になっていない。特にキャラクター描写のいいかげんさと支離滅裂なドラマ運びは怒りを通り越して情けなくなってくる。不思議なことに脚本はポール・ラドフォードなる別人が担当している。どうしてマックァリー自身が書かなかったのか、釈然としない。

 ベネシオ・デル・トロやジェームズ・カーンなどの曲者たちも、やることがなくて手持ちぶさたの様子。サム・ペキンパーを意識したというメキシコ・ロケも白々しい。いずれにしろ、金を取って見せるシロモノではない。
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「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」

2011-06-21 06:38:55 | 映画の感想(英数)

 (原題:X-Men:First Class )ブライアン・シンガーが監督した一作目と二作目よりは良い出来だ(ブレット・ラトナー監督による三作目は観ていない)。これはまず、ミュータント軍団の存在が絶対的な前提となっていた過去の諸作と違い、物語世界の設定から始まる“エピソード1”という位置づけであるため、平易な語り口が要求されているからだろう。

 映画は第二次大戦の最中から始まる。裕福な家に生まれたチャールズ(後のプロフェッサーX)と、ユダヤ人収容所でナチスに母親を殺されたエリック(後のマグニートー)は、長じて共通の敵であるナチスの残党セバスチャン・ショウを追う過程で出会い、意気投合する。自身が強力な超能力者である二人は、同じような力を持つ若者を集めてミュータント部隊を作り、CIAの協力も得てショウの一味に立ち向かう。だが、ミュータントと人間の平和的共存を願うチャールズに対し、戦争中に辛酸を嘗めたエリックは人間を信用しておらず、やがて二人に決別の時がやってくる。

 監督のマシュー・ヴォーンは快作「キック・アス」で、普通の人間が正義の味方を標榜して武装闘争に走ることによる修羅場を描いていたが、今回はヒーロー的な能力を持つ者達が実社会に登場することによる混乱をリアルに見せている。つまりはドラマの軸足を現実世界に置いているわけで、映画が絵空事になってしまうことを回避していると言える。単なるお子様向けのシャシンだったB・シンガー作品とはそこが違う。

 ただし、その描き方は多分に図式的であることは否めない。育ちが良く理想主義者のチャールズと、子供の頃から辛い思いをしたエリックの行く末は、まあ誰でも予想が付く。作品の性格上、内面に深く踏み込むことは無理な注文でもあっただろう。しかしながら、ここではキューバ危機という実際の大事件をモチーフにしたおかげで、何となく映画に奥行きが出てきて通り一遍のドラマツルギーが巧みにカバーされている。

 ヴォーン監督は若い連中の描き方には卓越したものがあり、今回もそれは遺憾なく発揮されている。特に集合した若者たちが打ち解けていくあたりは、まるで出来の良い学園物を観ているようだ。アクション場面はよく考えられており、そんなに巨費を投入したようには見えないが、呼吸と段取りの良さで観客を引っ張ってくれる。SFX担当に巨匠ジョン・ダイクストラを起用していることも大きいのだろう。

 主演のジェームズ・マカヴォイとミヒャエル・ファスベンダーは好演。何より面構えが役柄を如実に反映している。敵役のケヴィン・ベーコンもなかなかの怪演だ(笑)。あと印象的だったのがミスティークに扮したジェニファー・ローレンス。さほどの美少女ではないが、不敵な存在感で妙に惹き付けられる。聞けば近作「Winter’s Bone」(日本公開未定)ではゴールデングローブ賞やアカデミー賞の候補にもなっているという、期待の若手らしい。今後の活動が楽しみだ。
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「ジェヴォーダンの獣」

2011-06-20 06:35:31 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Le Pacte des loups)2001年作品。18世紀フランスで実際起こった怪事件を元に、ミステリーやアクション、ロマンス等をふんだんに盛り込んだ娯楽編。時の王ルイ15世は、ジェヴォーダン地方で殺戮を繰り返す“野獣”の正体を突き止めるため、科学者のフロンサックを派遣。彼は仲間を集めて真相に迫ってゆく。

 謎のクリーチャーや新兵器・珍兵器、西洋チャンバラはもちろん、なぜかクンフーの使い手が暴れ回ったりと、なかなか賑やかである。フロンサックに扮するサミュエル・ル・ビアンやヴァンサン・カッセル、モニカ・ベルッチ等の濃いキャスティングも良い。

 ところがクリストフ・ガンズとかいう監督の腕が凡庸で、演出にここ一番のキレがなく漫然と作劇を受け流しているのは大きな減点。上映時間も2時間20分と、このネタにしては長い。おかげで「獣」を操る秘密結社の動機が判然とせず、ドラマ自体にカタルシスがなくなってしまった。ハリウッドの職人監督あたりが手掛けたらもう少し面白くなったかもしれない。

 なお、ダルデンヌ兄弟の監督作「ロゼッタ」で冴えない根暗娘を演じていたエミリエ・デュケンヌが、ここでは堂々ヒロイン役であるのにはちょっと笑ってしまった。
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「孫文の義士団」

2011-06-19 06:53:12 | 映画の感想(さ行)

 (原題:十月圍城)ハッキリ言って、長い。こういう武侠もので2時間20分もの尺が必要であるはずもない。あと30分、ひょっとしたら1時間程度は削れるのではないだろうか。もっとも“これは単なる活劇編ではなく、歴史大作の側面を持っているのだ”との言い分もあるだろう。しかし、真正面に歴史を見据えるにしては描き方が雑でモチーフも下世話に過ぎる。結果として、何とも中途半端な映画に終わってしまった。

 1906年イギリス統治下の香港。清朝打倒を目指す孫文が、各省の同志たちと武装蜂起の密談を交わすために東京からやって来ることになる。それを聞きつけた西太后は、大規模な暗殺団を香港へ派遣。孫文を亡き者にしようとする。頼みの護衛団は事前に暗殺集団の急襲を受けて全滅。事態を憂慮した新聞社社長で中国同盟会の香港支部長と地元の豪商は、有志で義士団を募る。

 生きて帰れる公算が限りなく低いこのミッションに参加する面々を集めるプロセスは、ある意味「七人の侍」に通じる高揚感があるはず・・・・と思ったらアテが外れる。各人が事情を抱えていることは当然だが、その背景への言及が必要以上に饒舌だ。中には、単なる安手のメロドラマや因縁話としか思えないものもあり、しかも語り口が冗長。これらが何と上映時間の半分を占めており、観ていて本当に面倒臭くなってくる。

 そして最大の敗因は、革命の何たるかがほとんど描出されていないことだ。確かに新聞社を勝手に閉鎖させられるなどの行政の横暴はある。しかし、香港の街は活気に満ち、通りを歩く市民からも圧政による暗い影は見出しにくい。そして義士団の面々にしても、清朝に対する鬱屈した思いを抱いている者はあまりいないのだ。新聞社の連中を除けば、彼らは個人的な理由で参加するに過ぎない。これでは歴史のうねりをドラマのバックボーンとして設定することが出来ず、極めて印象は軽くなってしまう。

 それでも中盤過ぎてやっと展開されるアクションシーンは定評のあるテディ・チャン監督だけあり、さすがに優れている。呼吸と段取りに関しても万全だ。ただし、この時代の争いごとには“飛び道具”が使われることは常識だが、出てくるのはボウガンとか刀剣などの前時代的な小道具ばかり。大砲はもちろん機関銃やライフルも出てこない。ラストになってやっと拳銃が出てくる程度だ。これではとても納得出来ない。昔ながらの剣戟を見せたいのならば、何も時代背景を近代に持ってくる必要もないではないか。

 レオン・カーファイをはじめドニー・イェン、ニコラス・ツェー、レオン・ライ、ファン・ビンビンと配役はなかなか豪華。さらにワンポイントでジャッキー・チュンやミッシェル・リーまで顔を出すという大盤振る舞い。香港の街のセットも見事だ。しかし、このように腰砕けの内容ではとても評価は出来ない。
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「蝶の舌」

2011-06-18 07:53:05 | 映画の感想(た行)
 (原題:La Lengua de las Mariposas)99年スペイン作品。1936年のガリシア地方の小さな村。病弱だった8歳の少年が尊敬できる立派な教師と出会い、前向きに生きることを学ぶが、スペイン内戦の勃発によりその楽しい日々は終わりを告げることになる。マヌエル・リヴァスによるスペインの国民的な有名小説を「にぎやかな森」などのホセ・ルイス・クエルダ監督が映画化したもの。

 公開当時は“予告編だけ見れば作品の全容がつかめてしまう”と思ったものだ。予告編に接した観客にとって、本編を観る価値はあるのかと思ってしまう。映画の出来自体は可もなく不可もなし。映像は美しいし子役も達者なんだけど、展開が予定調和で無駄なエピソードも多い。

 スペイン内戦という歴史的事実に映画自体が寄り掛かりすぎ。もっと登場人物の内面に容赦なく迫るか、思い切った作劇の工夫をしないと、すぐに忘れ去られてしまうだろう。

 それでもハヴィエ・サルモネスのカメラによる映像は痺れるほどに美しい。先生は生徒たちを森へ連れ出し、大自然の不思議さを説いていくシーンは本作のハイライトであろう。こってりと色が乗った自然の風景と、蝶の舌の接写なども併せて、奥行きのある画面を作り上げている。その意味では、観る価値はあるかもしれない。
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「マイ・バック・ページ」

2011-06-17 06:22:40 | 映画の感想(ま行)

 楽しめた。何より、学生運動が最後の盛り上がりを見せた1970年前後の世相を一刀両断に切り捨てているのが痛快だ。もしも本作を団塊世代の演出家がメガホンを取って作ったとしたら、甘ったるいノスタルジアと身も蓋もないエクスキューズで溢れ返っていたところだろうが、76年生まれの山下敦弘監督にはそういう余計なしがらみはない。しかも返す刀で現在の風潮をも痛打しているところは見上げたものである。

 映画評論家として知られる川本三郎の回想録を映画化したもので、扱われている出来事は事実を元にしている。東大を出て大手の新聞社に入った沢田は、志望していたオピニオン系雑誌ではなく週刊誌の編集部に配属されてしまう。それでも山谷地区の潜入ルポなどで実績を積んでいくのだが、いつかは新聞の社会部を出し抜くようなネタをモノにしたいと思っていた。

 そんな折に知り合ったのが学生活動家の片桐である。片桐は某有力セクトの別働隊の隊長を自任していて、近々大掛かりな“行動”に出ることを沢田に告げる。これこそ特ダネだと思い込んだ沢田は、後先考えずに片桐に深入りしてしまうのだった。

 前半、大学の集会で自説をアピールしようとした片桐が、ノンポリ学生に簡単に論破されてしまうくだりがあるが、要するに学生運動なんてのは“その程度”のものでしかなかったのだ。しかし、有名大学を出た沢田でさえ“何だか分からないけど反体制派っぽくてカッコいい”と思い込んでしまう時代の空気というものが、その頃は確実に存在していたのだろう。

 幼稚な反体制ごっこが嵩じ、片桐のグループは自衛隊駐屯地に潜入して武器を奪おうという、俗に赤衛軍事件といわれる重大なトラブルを引き起こす。それは愚行でしかないが、それに故意に巻き込まれていく沢田の方も思慮に欠けている(大新聞の社員とも思えない)。当然のことながら二人はキッチリと落とし前を付けられるのだが、本作の送り手はそれに一片の同情や理解も示していない。そればかりか、この時代を境にして日本人の知的レベルが低下していったことを暗示しているかのようだ。

 確かに沢田や片桐は愚か者だが、それはスタンスが稚拙な反体制であったから、今から考えると“笑い話”で片付けられるのかもしれない。しかし、この“何だか分からないけど、言い分がもっともらしいから支持してしまう”という行き方は、今や大手を振ってまかり通っている。今の政治状況や経済トレンドなどを見ればそれは明らかだろう。

 主演の妻夫木聡と松山ケンイチは好演。不気味な風体の松山が序盤からリードしているかに思えるが、終盤では妻夫木にも大きな見せ場があり、演技合戦は互角というべきだろう。ヒロイン役の忽那汐里もさわやかな魅力を振りまくし、社会部の部長に扮した三浦友和が出番が少ないながらも儲け役だ。

 ラスト近くでは舞台が80年に飛び、映画ライターとして活動する沢田の姿が映し出されるが、そこで扱われる映画が柳町光男監督の「十九歳の地図」であることは象徴的だ。誰しも歳を重ねれば、あの映画の登場人物のように“どうやって生きていったらいいのか、分からない”というセリフを吐きたくなることがあるのではないだろうか。
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「おいしい生活」

2011-06-16 06:32:13 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Small Time Crooks )2000年作品。スピルバーグが参画するドリームワークスとウディ・アレンが提携したという珍しい映画だ。ニューヨークを舞台に、アレン扮する冴えない元ギャングが銀行強盗を計画するが、妻がカムフラージュのため銀行の近くに開いたクッキー屋が予想外に大繁盛してしまい、強盗をはたらく必然性が薄らいで立場をなくしてしまうというお笑い編だ。

 ウディ・アレンが久々にコメディアンとしての本領を発揮した一作で、特に終盤でのドタバタ演技には「スリーパー」や「バナナ」等の初期の快作を彷彿とさせる。アレンとトレーシー・ウルマン扮する小市民夫婦の掛け合いも面白く、しかも互いにキツいこと言ってるわりには信頼し合っているという雰囲気を表現しているのがいい。脇のキャラクターもなかなか立っている。

 ただし、インテリのアレンが俗物そのもののキャラクターを演じていること自体、少々嫌味を感じるところもないではないが(笑)。お約束のラストも含めてノンビリと楽しめる。なお、ヒュー・グラントは今回もウサン臭いキザ男を好演している(爆)。
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