元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「スペース カウボーイ」

2011-09-30 06:58:50 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Space Cowboys )2000年作品。1950年代にアメリカ初の宇宙飛行士になる予定だった空軍のチームの元メンバーに、NASAから人工衛星の修理依頼が舞い込んでくる。70歳にもなる彼らが老骨にムチ打って宇宙への夢に挑む姿を追うクリント・イーストウッド監督作。

 何より飛行士訓練のくだりが興味深く、イーストウッド嫌いの私でも中盤まではマアマア我慢できた(少々長ったるいけどね)。でも、肝心の宇宙空間のシーンはまるでダメだ。非常に演出の段取りが悪く、特にパニック場面の内容は何がどうなっているのかさっぱりわからない。

 こんな欠陥だらけのクライマックスを延々見せられたあと、ラストの「男のロマン漂う幕切れ」(?)に感心しろと言われても、そうはいかない。要するに凡作。主演も兼ねるイーストウッドをはじめ、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームズ・ガーナーと、なかなか濃い顔ぶれを揃えているのにもったいない話だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラーメン侍」

2011-09-29 06:27:05 | 映画の感想(ら行)

 アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。ベタな映画だが、題材の面白さと出演者(主演を除く ^^;)の健闘により、何とか観ていられるレベルに達したという感じだ。監督の瀬木直貴はデビュー作「千年火」では大仰なテーマの扱い方や気負いすぎた映像処理によって観客に“何じゃこりゃ”と思わせてしまったようだが(笑)、この作品では泥臭いまでに平易なドラマ展開に徹しているようで、いずれにしろ自分の得意科目が見出せたという意味では、映画作家として進歩していると言えるだろう。

 原案は、人気ラーメン店のオーナーでもある香月均による自伝的コラム。舞台はとんこつラーメン発祥の地といわれる福岡県久留米市だ。東京のデザイン事務所に勤めていた主人公が、父の訃報を聞き故郷に戻って家業のラーメン店を継ぐことになる。しかし父親からはラーメン作りの手ほどきを受けたことは無く、記憶だけを頼りに先代の味を再現しようと試行錯誤を重ねる。

 舞台挨拶で瀬木監督も言っていたが、ラーメンは日本人が大好きな料理であるにもかかわらず、それをテーマにした映画は数えるほどしかないのだ。とんこつラーメンをネタにした作品に至っては、皆無ではなかったか。そこに目を付けたというだけで、本作の手柄はある程度約束されたと言えるだろう。

 しかも嬉しいことに、劇中に出てくるラーメンは実に美味しそうに撮られている。とんこつ独自の旨味に関してもうちょっとウンチクを語ってもらったり、他のラーメンとの差異を詳しく示してもらえればさらに興趣は増したと思うが、あまり突っ込むと冗長になる恐れもあり、これはこれで良かったのかもしれない。

 面白いのは主人公と父親とのエピソードが平行して描かれていることで、しかも同じ俳優(渡辺大)が演じている。これは“血は争えない”という意味での配慮かとも思うが、さらには一見性格や行動パターンが似ていないと思われるこの親子が、実は根っこの部分では共通点があるといったポイントを効果的に打ち出す上手い手法でもある。

 その二世代を繋ぐ重要な役割を果たすのが、先代の妻であり主人公の母親だ。山口紗弥加が10代から50代までを演じているが、彼女のパフォーマンスには唸らされた。こんなに上手い女優だったのかと思ってしまう。特に、ヤクザの事務所に単身乗り込んでブチ切れるあたりの演じ方は最高だ。他にも淡路恵子や津川雅彦らのベテラン陣に高杢禎彦や鮎川誠の地元ミュージシャン勢も花を添え、渡辺の大根ぶりを巧みにカバーしている(笑)。

 それにしても、劇中で主人公の“不況や大型店の進出で地元商店街が寂れたとか、そんなのは言い訳に過ぎない”という意味のセリフは重みがある。もちろん地域の弱体化は経済マクロの低迷や政府の無為無策が原因なのだが、まずは地域の人々が奮起しなくては何もならないだろう。決然として屋台を引く主人公の姿が、それを雄弁に語っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「趙夫人の地獄鍋」

2011-09-28 06:27:13 | 映画の感想(た行)

 (英題:Claypot Curry Killers )アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。マレーシア製のスプラッタ・ムービーという物珍しさはあるが、出来としては凡庸だ。前回2010年の同映画祭では「禁断の扉」というインドネシアのホラー映画が話題になったが、あれは別に“こんな国でもホラーものは作っています”的なアピールの仕方はしていない(笑)。純粋に内容が面白かったので評判になっただけである。対してこの映画には何も特筆すべきものはなく、早々忘れ去られる存在になると思う。

 クアラルンプールで鍋料理の店を出している趙夫人のダンナは、自分の甲斐性のなさを男の子が出来ずに娘ばかり3人も生んだカミさんのせいにしているという、絵に描いたようなロクデナシだ。ある晩、酒に酔ったダンナは娘に襲いかかる。だが、逆上した長女は父親を刺し、ついでに積年の恨みを晴らすごとくカミさんも一緒に包丁を突き立てる。

 ダンナの死体の処理に困った夫人は、その肉をカレー鍋の具にして客に出す。するとこれが評判になり、店は大繁盛。かくして、一家は“食材の仕入れ”のために、次々と殺人に手を染めるようになる。

 ジェームス・リーとかいう監督の腕前は三流で、見せ場になるはずの“解体シーン”も頑張っているわりには単調で、何よりそれに至る段取りがまだるっこしくてイライラしてくる。3姉妹に近づいてくる男どもは“一見マジメだけど実は食わせ物なんだろうな”と思っていたら本当にその通りで、カレー鍋の具に成り果てるのも仕方がないと言える。ただひとり次女に惹かれる医者は違うように思われるが、これも他の男たちとあまり変わらない目に遭う。

 単調過ぎる展開を嫌ったのか、途中で寸劇じみたエピソードが挿入されるが、これも完全にハズしていて画面には隙間風が吹くばかり。おまけに音声は不調で、デジカム撮りらしく画面は荒れ放題。そもそも、こっちは過去に園子温の「冷たい熱帯魚」とか友松直之の「闇のまにまに 人妻・彩乃の不貞な妄想」のような派手な肉体損壊場面をフィーチャーした作品に接しているので、これぐらいのスプラッタ度では別に驚きもしない。

 それにしても、終盤に登場人物たちが食卓に着いたまま血祭りに上げられるシーンがあるが、これは「禁断の扉」にも似た場面がある。この映画祭のスタッフには、こういうシチュエーションが好きな者がいるのではないかと、いらぬ想像をしてしまった(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「歓待」

2011-09-27 06:30:18 | 映画の感想(か行)

 アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。ブラックな家族劇の快作だ。一見平凡な普通の家庭に突如として異分子が乱入し、徹底的に引っかき回して去って行くという構図の映画としては、過去にも森田芳光の「家族ゲーム」やパゾリーニの「テオレマ」などの好例があるが、本作は設定に捻りを効かせているところが目新しい。それは、主人公一家が最初から危うい関係性の元に“かろうじて”成立していることだ。

 東京の下町で印刷屋を営む小林家。仕事を切り盛りする幹夫と夏希の夫婦と、小学生の女の子、そして出戻ってきた妹の4人家族だが、しがない中年男の幹夫に比べて夏希は場違いなほど若く、幹夫の娘は前妻との間に出来た子だ。少し揺さぶってみると直ちに瓦解しそうな雰囲気の家庭であり、案の定トラブルは突然やってくる。

 印刷屋の出資者の息子と称する加川というヒゲ面の男が訪ねてきて、いつの間にやら小林家に居着いてしまう。さらに加川の妻である白人女も居候することになると、幹夫はこの女と浮気。夏希も加川に“触れられたくない過去”を暴かれ、瞬く間に家族の絆は有名無実化する。調子に乗った加川は不法滞在している外国人たちを小林印刷に大量に招き入れ、乗っ取りを謀ろうとする始末。

 冒頭近く、逃げたインコを探すために夏希がポスターを町内の掲示板に貼るシーンがあり、ラストは再びインコの存在がクローズアップされる。これは言うまでもなく、家族のあり方の暗喩である。

 「家族ゲーム」などが“普通に見えた家族が、ボロボロの実相を露呈する”というスキームを踏襲しているのに対し、この映画は“元からバラパラな家族が、家庭というもの(形態)を意識する”という逆の行き方を提示しているのだ。そして現代において訴求力の高い構成を保有しているのは、本作の方である。

 家庭の中で孤立する“個”の存在が珍しくない昨今、家族が共同幻想に過ぎないことを(程度の差こそあれ)意識している者は多いだろう。松田優作やテレンス・スタンプ扮するナゾの異分子がグチャグチャにしてくれる前から、それは分かっている。だが、どんなに中身が伴っていなくても、家族という形状を取ることが“家族とは何ぞや”と問うことよりもまず大切なのではないか・・・・そう作者は言いたいのだと思う。

 監督の深田晃司は初めて聞く名前だが、往年の松竹製のホームドラマみたいなエクステリアをまとった序盤から、幾何級数的にハチャメチャ度を盛り上げてくる手腕は大したものだ。ギャグの振り方も効果的である。

 夫婦に扮した山内健司と杉野希妃も初めて見る俳優だ。しかし、演技は実に達者。特に杉野は本作のプロデューサーでもあり、今後期待できる映画人だと思う。そして加川役の古舘寛治はケッ作だ。人を食ったような風貌で、その海千山千ぶりは計り知れない(笑)。別の役柄での仕事も見たいものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナデルとシミン」

2011-09-26 06:28:55 | 映画の感想(な行)

 (英題:Nader and Simin, A Separation )アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。これは素晴らしい。イラン映画の秀作だ。本映画祭でも上映された「彼女が消えた浜辺」(映画祭でのタイトルは「アバウト・エリ」)に引き続き、アスガー・ファルハディ監督の手腕はますます冴えている。

 テヘランに住むナデルとシミン夫婦は離婚寸前。妻は中学生の一人娘の教育環境を考えて、海外に移住したいと思っている。夫としては、認知症の父親を放ったまま外国に居を移すことなんか出来ない。とりあえず妻は夫を置いたまま実家に戻ってしまうが、その間に夫が雇った家政婦が重大なトラブルを引き起こす。

 彼女はナデルの父をベッドに縛り付けて勝手に外出。娘と共に帰宅した彼は、意識不明でベッドから落ちた父親を見つけることになる。激怒したナデルは彼女を怒鳴りつけて家から追い出すが、その弾みで彼女は階段を転げ落ち、妊娠していた赤ん坊を流産してしまう。イランでは相手が妊娠しているのを知っていて流産させると、殺人罪に問われるのだ。

 果たしてナデルは妊娠の事実を知っていたのか。そして家政婦が仕事を放棄して外出した本当の理由とは。家政婦の失業中の夫との訴訟合戦が始まり、妻シミンをはじめ隣人や娘の学校の担任教師など、周囲の人々を巻き込んで事態は混迷の度を極めていく。

 前作「彼女が消えた浜辺」では、リゾート地で失踪した一人の女性をめぐる因縁話がスリリングに展開して観る者を瞠目させたが、あれは舞台設定や筋書きが一種の“トラベルミステリー”(?)のようなフィクションの体裁を取っていた。だから観る側は(シビアな作劇に圧倒されながらも)一歩引いたスタンスの位置にいられたのだが、今回はそうはいかない。いつ我が身に降りかかってくるか分からない、リアリティの大きさがクローズアップされてくる。

 BGMは皆無で、登場人物に対する接写の連続。まさに逃げ場を封じた切迫感が横溢し、全編を覆うテンションの高さは尋常では無い。次々と明らかになる意外な事実、読めない展開、特に味方だと思っていた人間が“諸般の事情”により簡単に寝返ってしまう危うさは相当なものだ。

 さらに、イスラム的慣習が真相の解明をいっそう困難にする。家政婦がナデルの父親を介護しようとして逡巡し、教祖に相談してしまうことが後々まで尾を引くことになる。そもそも、シミンが離婚を意識する原因になったのが、この国のそういう事情なのだ。またそれは、古くからの因習と西欧的価値観との葛藤という、グローバルな問題をも提起している。

 主演のレイラ・ハタミとペイマン・モアディは好演。他の面々もクセ者揃いで作品の底の深さを際立たせている。2011年のベルリン国際映画祭での大賞受賞作であり、アジアフォーカス福岡国際映画祭でも観客投票による“福岡観客賞”を獲得している。一般公開の際(邦題は「別離」になる)は要チェックだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レッド・イーグル」

2011-09-25 06:48:03 | 映画の感想(ら行)

 (英題:The Red Eagle )アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。随分と荒っぽい作劇で、しかも2時間以上も引っ張った末にラストでは“つづく”の文字がスクリーン上にデカデカと表示されるのだから、まさに開いた口がふさがらない(爆)。いくら本国では娯楽大作で通っているといっても、こっちはたまたま映画祭で接しただけであり、続編が観られるかどうかはまったく分からないのである(笑)。

 近未来のバンコク。政治は腐敗し、実質的に国を動かしているのはマフィアと軍産複合体だけといった絶望的な状況の中、謎のヒーロー“レッド・イーグル”は次々と悪者どもを処刑していく。業を煮やした組織側は、冷酷非情の殺し屋“ブラック・デビル”を雇って、レッド・イーグルを消そうとする。

 とにかくこのレッド・イーグルの“仕事ぶり”というのが程度を知らないほど残虐で、正義の味方とも思えない。肝心のアクションシーンは頑張ってはいるのだが、ワイヤーやCGを多用しているところが丸わかりで、同じタイ製活劇でも身体を張った立ち回りに徹して観る者を驚愕させた「マッハ!」や「チョコレート・ファイター」などにはとても及ばない。ウイシット・サーサナティアンの演出は大雑把で、シークエンスの繋ぎ方が雑だし、筋書きに辻褄の合わないところが散見されて脱力する。

 それでも何とか観ていられたのは、ヒーロー物が違和感なく成立する条件というものを提示してくれたからだ。超能力を持たない普通の人間がマスクを被っただけのヒーローが実社会に現れて“実力行使”に踏み切れば、それは単なる犯罪にしかならない。そのあたりを逆手に取った「キック・アス」という快作もあるのだが、本作はヒーローがやらかす“犯罪”を上回る“犯罪”状態を実社会の側に置くことによって、ヒーローの所業を相殺してしまおうという手口を採用している。

 つまりはヒーローがテロ活動を行う前に、公共性を担うべき政府が国民に対してテロを仕掛けているという構図を作っているのだ。そしてネタとして扱われているのが原発問題であり、リベラル派として当選した(前原誠司にチョイ似の)首相が、政権の座に就いた後はあっさりとマニフェストを反故にするあたりは、最近の日本の状況に通じるようで興味深い。

 主演のアナンダ・エヴァリンハム(写真参照)はルックスと身体のキレはまあまあだが、演技面では大根だ。刑事役のワナシン・プラスータクンの方が芸達者に思える。なお、ヒロイン役のヤリンダー・ブンナークはイマイチ魅力がない。他に適当な人材がいなかったのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「台北カフェ・ストーリー」

2011-09-24 10:59:40 | 映画の感想(た行)

 (原題:第三十六個故事)アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。日向朝子監督の「森崎書店の日々」とよく似た映画だ。もっとも、あの映画では恋人に裏切られたヒロインが全てを捨てて本屋をやっている親戚宅に逃げ込む話だったが、この作品はカフェを開くことに興味を持っていたOLがそれを実行に移すという筋書きであり、前提は明らかに違う。

 しかし、主人公がそれまでの日常を離れてじっくりと自分を見つめ直そうとする行為は一緒だ。さらに、やがてその環境から一歩踏み出して、本当の自身の人生を歩もうと決心するくだりも共通している。どちらかといえば図式的なストーリーだが、それが気にならないだけの細部の作り込みには作者は一切手を抜いていない。結果として「森崎書店~」と同じく、とても肌触りの良い佳作に仕上がっていると思う。

 念願の喫茶店を台北の目抜き通りにオープンさせることになったドゥアルは、妹のチャンアルと一緒に店を切り盛りするが、なかなかお客は定着しない。そこで思い付いたのが“物々交換”だ。客が品物を持ち寄ってもらい、店に置いてある物(多くは開店当時にお祝いとして友人達が置いていった雑貨類)と交換するというシステムで、これが功を奏して徐々に店は流行ってくる。

 ある日、カフェにやってきた一人の男が世界中から集めた35個の石鹸を持ち込む。ひとつひとつの石鹸には、それにまつわるストーリーがあるのだという。彼は来るたびにその物語を披露してくれるのだが、それがヒロインの内面にイマジネーションを与えてくれる。

 また、ドゥアルと母親との関係性も妙に可笑しい。娘が“独立”することになって、本音のアドバイスを試みるうちにドゥアルの側にも周囲を見渡す冷静さをもたらしてくれる・・・・といった持って行き方は、なかなか気が利いている。もちろん、カフェの内装や出されるコーヒー及びケーキ類の扱い方はとても洒落たものに仕上げられており、こういうものに興味を持っている観客(特に女性)に対するアピール度は高い。

 シアオ・ヤーチュアンの演出は主人公の“一人二役の場面”(?)に代表されるように、平易に思えて意外と映像派の面を見せて、最後まで飽きさせない。ヒロイン役のグイ・ルンメイは落ち着いた雰囲気を醸し出して好印象。なお、彼女は「森崎書店~」の主演女優・菊池亜希子と似たところがある(笑)。妹役のリン・チェンシーも悪くなかったし、日本人旅行者に扮した中孝介が歌声を披露してくれるのも楽しかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冬休みの情景」

2011-09-23 06:51:11 | 映画の感想(は行)
 (原題:寒暇)アジアフォーカス福岡国際映画祭2011出品作品。断じて万人向けの映画ではないが、不可思議なユーモアとシニカルな視点が全編を覆い、観る者を飽きさせない。2010年のロカルノ国際映画祭で大賞を獲得した注目作。今回観ることが出来て良かったと思う。

 舞台は中国北部、内モンゴルにある田舎町。冬休み最後の日を何気なく過ごす中学生たち、およびその家族の有り様をスケッチ風に描く作品だが、まず目を引くのはその映像リズムだ。冒頭、拡声器からリフレインされる物憂い宣伝文句をバックに、路地の一角が映し出される。カメラ固定の長回しで、人物がなかなか登場しないまま画像だけが流れる。



 ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」の最初のシーンを思い起こさせるが、本作にはああいう底意地の悪い緊張感の押しつけ(注:これはホメているのである ^^;)はない。代わりにあるのは、弛緩しきったカラッポの風景である。

 余白ばかりの空疎な画面が流れた後に、申し訳程度に登場人物が出てきて、ボソボソと会話を交わす。内容は、何もすることが無い連中の取るに足りないイージートークばかりだ。しかし、言葉を発している側からすればそれなりに切迫した話題なのである。

 たとえばそれは、恋愛や家族についての悩みだったりする。ところが観ている方は、どれもこれも退屈でコメントする気も起こらないようなネタに思えるのだ。それどころか、わざわざこんな話をしなきゃならない彼らに対して滑稽味さえ感じてしまう。

 人間、突き詰めてしまえばこの程度の意思伝達をするために生まれてきたに過ぎないのではないか・・・・という、極端に冷笑的な見方がある種痛快に思えるような、屈折した作劇だと言える。もちろんそれは、社会の発展から取り残されたような地方の沈滞したムードとも無関係ではないだろう。



 やがて冬休みは終わり、新学期初めての授業が行われる。生物授業担当の教師はカリキュラムを完全無視して“人生なんてほとんどが無意味だ!”というような意味のセリフを吐くが、その後の展開がまさに皮肉たっぷりで、呆れつつも笑ってしまった。

 監督のリー・ホンチーの他の作品にもこういうテイストが満載らしく、目の離せない作家ということが出来るだろう。寒々とした内蒙古地区の風景と、超脱力の音楽も相まって、忘れられない印象を残す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「漂流街 THE HAZARD CITY」

2011-09-22 06:28:57 | 映画の感想(は行)
 2000年作品。不法滞在中の日系ブラジル人とその恋人の中国人が、密航費用を稼ぐため仲間とつるんでチャイニーズマフィアと広域暴力団との取引現場を襲撃。見事に現金を奪ったつもりだったが、中を確かめてみるとそれは麻薬だった。警察からもヤクザからも追われる立場になった主人公達は、必死の反撃を試みる。

 馳星周のベストセラーを三池崇史監督が映画化したものだが、作品の質にムラがありすぎるこの監督の、出来の悪い仕事に属するシャシンだ。妙にコメディ・タッチで“ハジけよう、ハチャメチャで行こう”という掛け声だけは伝わってくるが、画面自体が何ともサムい。本作は封切り当時に観たが、少なくはなかった観客の間からは、笑い声のひとつも聞こえてこなかった。

 主役のTEAHとかいうのが顔が濃いだけで、演技面は何も見るべきものがない大根。吉川晃司と及川光博の悪役も貫禄不足。柄本明や大杉漣、麿赤兒、田中要次といった面々もすることがなく手持ちぶさたの様子だ。ただしミッシェル・リーが見られたから、それだけはヨシとしよう(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「この愛のために撃て」

2011-09-21 06:36:17 | 映画の感想(か行)

 (原題:A bout portant)キレの良いフランス製活劇の佳編である。上映時間が1時間25分という小品ながら、見せ場がギュッと凝縮されており、最後まで息をもつかせない。余計なエピソードを突っ込みすぎて無駄に長いだけの娯楽映画が目立つ昨今、こういう作品の存在は貴重だ。

 パリ市内の病院に勤める看護助手のサミュエルは、突然自宅に押し入ってきた何者かに臨月の妻を連れ去られる。無事に返して欲しければ、入院している身元不明の男を病院から連れ出して引き渡せというのだ。殺人事件に関与している可能性が高く、警察の監視も付いたその男を看護助手の立場を利用して院外に運び出したサミュエルだが、当然ながら犯罪組織と警察との両方に狙われるハメになる。果たして、彼は包囲網を突破して妻を取り返すことが出来るのだろうか。

 傷付いた男がビルの中を追われ、外に出た途端に交通事故に遭う冒頭のシーンは実にスリリングで、まさに“ツカミ”はオッケーだ。そして一転サミュエルとその妻とのラブラブな関係を丁寧に描くシークエンスを挿入し、静と動とを巧みに配置して作劇にメリハリを付けると共に、主人公が一種無謀な行動に走るのも当然と思わせる妻との濃密な関係を描き出すという、監督フレッド・カヴァイエの腕は確かでソツがない。

 事件はどうやら警察内部の不穏分子が絡んでいるらしいのだが、そいつらが正体を現すタイミングが絶妙。さらにサミュエルとくだんの男とが共闘関係を組み、バディ・ムービーとしての面白さも醸し出す。サミュエルが地下鉄の駅を逃げ回るパートは本作のハイライトで、リアルで即物的なアクションが次々と飛び出す段取りの良さには感心するしかない。

 攫われた妻は“意外なところ”に軟禁されているのだが、彼女の口を塞ごうとする悪者と救出に駆けつけるサミュエル、そして需要証拠品を奪取せんとするくだんの男という、3箇所同時進行のサスペンスが展開する贅沢さ。事件の鮮やかな幕切れと、それに続く気の利いたエピローグまで、しっかりと楽しませてくれる。

 もっとも、昏睡状態に陥っていた男が注射一本ですぐに目を覚まし、ただちに大立ち回りをやらかす等の突っ込みどころもあるのだが(笑)、観ている間はそれほど気にならない。

 主演のジル・ルルーシュをはじめエレナ・アナヤ、ロシュディ・ゼムなど日本で馴染みのないキャストばかりだが、それぞれ実に良い面構えをしている。アラン・デュプランティエのカメラによる、寒色系を主体としたストイックな画面造型も要チェックだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする