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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「コーチ・カーター」

2025-05-04 06:05:53 | 映画の感想(か行)
 (原題:COACH CARTER)2005年作品。高校バスケット部の新任コーチと生徒たちの奮闘を描く実録スポ根ものと見せかけて、実は“社会派”という、一筋縄ではいかない映画だ。アメリカ社会が抱える問題を、表向きはスポーツを題材にしつつ、巧みに織り込んでくる。このやり方は観ていて納得出来るものだ。もちろん、スポーツ映画としての体裁は整えられており、娯楽性も十分。観る価値十分の佳編である。

 バスケットボールの指導者として定評のあるケン・カーターが赴任してきたのは、LAの実力校だ。ところが、各種大会での実績とは裏腹に、この学校の風紀は底辺レベルにあった。何しろ、卒業後に大学に進む者よりも刑務所に入る奴の方がはるかに多いというシビアな状況だ。教育者の端くれとしては、生徒を“スポーツ馬鹿”にして将来の可能性を狭めるよりも、勉学をおろそかにせずに良い成績を収め、大学に進学させることが第一義的であるはずだ。そこでカーターは、生徒や保護者たちとクラブ活動と勉学の両立を約束させる。



 99年に実際に高校のバスケットボール・チームで起こった出来事を元にした実録物だ。当然のことながら、主人公の試みはなかなか上手くいかない。そもそも、学校当局や無理解な地域住民はスポーツを宣伝材料としか思っていないのだ。映画は、彼らと主人公とのヒリヒリするような葛藤を容赦なく描く。

 特に、成績が上向かない部員が少なからずいることを知ったカーターが、リーグ戦の途中であるにもかかわらず体育館を封鎖してしまうという、実力行使に走るあたりは見応えがある。さらには成績を上げるまで練習も試合も禁じてしまい、周囲は騒然となる。ドロップアウトして街のゴロツキどもと付き合うようになった生徒が、凄惨な事件を目の当たりにしてショックを受けてコーチのもとに舞い戻るシークエンスも、強い印象を残す。

 トーマス・カーターの演出は力強く、骨太なキャラクターの造形はもとより、肝心のバスケットのシーンもまったく手を抜いておらず、緊迫した試合での駆け引きは手に汗握るほどだ。主演のサミュエル・L・ジャクソンのパフォーマンスは万全で、アクションやサスペンス物以外では彼の代表作になるだろう。

 リック・ゴンザレスにロバート・リチャード、ロブ・ブラウン、アシャンティなどの若手をはじめ、チャニング・テイタムにオクタヴィア・スペンサーといったベテランまで上手く機能している。シャロン・メールのカメラによる深みのある映像、トレヴァー・ラビンの音楽も快調だ。とにかく、文武両道の教育の原点社会問題とからめて描ききった野心作で、存在価値は大いにある。
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「教皇選挙」

2025-04-21 06:05:56 | 映画の感想(か行)
 (原題:CONCLAVE)これは面白い。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂で行なわれる教皇選挙“コンクラーベ”の内実に迫ろうという話だが、宗教ネタを扱う際にありがちな堅苦しさや晦渋さは見事に抑えられており、幅広い層に受け入れられる娯楽作品に仕上がっている。何しろ、原作者はポリティカル・フィクションを得意とするロバート・ハリスだ。高踏的な教義論争などが入り込む余地はまず考えられず、この素材を取り上げた時点で作品の成功は約束されたようなものである。

 ヴァチカン市国の元首であるローマ教皇が亡くなり、新教皇を決める教皇選挙に参加するため世界中から100人を超える候補者たちがシスティーナ礼拝堂に集合する。その中にはリベラル派で遣り手のベリーニ枢機卿や、保守派の重鎮であるテデスコ枢機卿などの海千山千の面子も混じっており、式を取り仕切るイギリス出身でローマ教皇庁首席枢機卿のトマス・ローレンスは対応に苦慮する。それでも投票は進み、いよいよ最終段階に差し掛かった時、ローレンスはヴァチカンを震撼させる驚愕の事実を知ることになる。



 観る前には若干の危惧があったことは確か。本編はアメリカとイギリス合作だが、当然のことながらプロテスタントやイギリス国教会、さらにはユダヤ関連などの影響力の大きい土壌だ。したがって、ローマカトリックを揶揄したような内容になることも予想出来た。事実、場所をわきまえずタバコを吸いまくる参加者や、公の席でスマホを弄ってばかりの枢機卿もいたりして、そういう雰囲気も皆無ではない。しかし、終わってみれば見事に伝統ある宗教界の“見解”といったものが強調され、やはりローマ教皇という地位は世界に冠たるものであることを実感する。

 エドワード・ベルガーの演出は二転三転する“コンクラーベ”の行方を粘り強く活写し、サスペンス映画として絶妙の仕上がりを見せる。主演のレイフ・ファインズのパフォーマンスは、彼の代表作になること必至の働きぶりだ。スタンリー・トゥッチにジョン・リスゴー、カルロス・ディエスといった顔ぶれも言うことなし。イザベラ・ロッセリーニが重要な役で出ているのも嬉しい。

 また、ステファーヌ・フォンテーヌのカメラによる目覚ましい画面造形や、美術担当のスージー・デイヴィス、衣装デザインのリジー・クリストルなど、優秀なスタッフの仕事も強く印象に残る。米アカデミー賞作品賞は「ANORA アノーラ」みたいな薄っぺらいシャシンではなく、この映画のような佇まいの作品に与えられるべきだったと思う。
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「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」

2025-03-10 06:15:53 | 映画の感想(か行)
 (原題:CAPTAIN AMERICA: BRAVE NEW WORLD)巷の評価が芳しくないので期待はしていなかったが、実際観てみたらけっこう楽しめる。もちろん、この手のシャシン特有の“一見さんお断り”の雰囲気は拭えず、私もこのシリーズを全部チェックしているわけではないので、中身をすべて理解したとは言い難い。それでもあまり不満を覚えることなく、最後まで付き合えた。

 インド洋上に突如出現したセレスティアル島には、アダマンチウムという宇宙一の強度を持つ鉱物が埋蔵されていた。その資源をめぐって、各国の利害が交錯する。アメリカ大統領のサディアス・ロスは、事態収拾のため首都ワシントンにてサミットを開催することを決め、スティーヴ・ロジャースから“正義の象徴”である盾を託され二代目キャプテン・アメリカを襲名したサム・ウィルソンらに協力を依頼する。ところが、謎の組織の暗躍によって会議は紛糾。果ては世界大戦の危機まで訪れようとしていた。サムは弟分のファルコンことホアキン・トレスと共に、この難局に立ち向かう。



 敵の首魁はマーベル映画好きならば御馴染みなのかもしれないが、そうではない観客は前振り無しに出てこられても戸惑うだけだ。また、ロス大統領も“訳あり”であり、終盤には桜が満開のポトマック河畔で大立ち回りを見せるものの、唐突な感は否めない。ロスの側近の政府高官である、ルース・バット=セラフのプロフィールも掘り下げて欲しかった。

 しかしながら、活劇場面になると俄然引き込まれる。格闘シーンの段取りも感心できるものだが、白眉は空中戦である。特にサムは先代とは違い飛行能力があるので、ファルコンと“編隊”を組んでのバトルはスピード感がありスリル満点だ。アクション演出には定評があるジュリアス・オナーは良い仕事をしている。

 登場人物の中で一番印象的だったのは、日本の総理大臣の尾崎だ。アダマンチウムの精製技術を持つのは日本だけという設定で、当然そのトップも大きな責任感を持つ。しかも、劇中での日本は大きな軍事力を持っており、インド洋に機動部隊を派遣するなど積極的な手段に打って出る。尾崎を演じる平岳大のスマートさも勘案すると、現実の日本の首相との器の違いを痛感して苦笑いしてしまう。なお、この役名は1910年代に首都ワシントンに桜を移植した当時の東京市長である尾崎行雄に由来している。

 主役のアンソニー・マッキーをはじめ、ダニー・ラミレスにシラ・ハース、カール・ランブリー、ティム・ブレイク・ネルソン、セバスチャン・スタン、リヴ・タイラー、そしてロス大統領に扮するハリソン・フォードと、役者は揃っている。アベンジャーズの再結成も暗示させ、このシリーズを追いかけるのは今後も楽しみだ。
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「地上より永遠に」

2025-02-28 06:12:15 | 映画の感想(か行)

 (原題:FROM HERE TO ETERNITY )1953年作品。邦題は“ここよりとわに”と読む。1954年の第26回米アカデミー賞で作品賞など8部門を獲得したシャシンとのことだが、正直ピンと来ない内容だ。監督が西部劇の傑作「真昼の決闘」(1952年)を手掛けたフレッド・ジンネマンながら、明らかに気合いが入っていない。とはいえ、当時は“この程度”の作品がウケたのだろうという、資料的な意味はあると思う。

 1941年、ハワイのホノルル陸軍基地に配属された二等兵のプルーイットは、かつては軍主催のボクシング大会で好成績を収めた実力者だが、試合中の事故がトラウマになってそれ以来リングには上がっていない。そんな彼を中隊長はボクシング部に入れようとするが、プルーイットは拒否し反抗的な態度を隠さないようになってくる。ある日、プルーイットはクラブで知り合ったロリーンと恋仲になる。一方、人望が厚いウォーデン曹長は中隊長の妻カレンと不倫関係にあった。そして運命の12月8日が近付いてくる。

 いくら日本との開戦が明確に予想出来ていないとはいえ、この陸軍基地の雰囲気は緩すぎないだろうか。浮気話だの歓楽街でのアバンチュールだの、随分と気楽なものだ。しかも、それらが深く描き込まれているわけでもない。感情移入出来る登場人物が見当たらず、各人が好き勝手に振る舞っているだけだ。こんな連中がどうなろうと、観ている側は知ったことではない。

 もちろんプルーイットと同僚たちが送る軍隊生活は楽ではないが、過酷とは言えない。剣呑な話はあるものの、それは仲間内のもめ事であり、軍属に関するシビアな事柄でもないのである。その点、同じく軍隊を舞台にしたテイラー・ハックフォード監督の「愛と青春の旅だち」(82年)の方が断然訴求力が大きい。

 ただし、キャストは万全。ウォーデン役のバート・ランカスターは、やっぱり何をやっても絵になる。プルーイット役のモンゴメリー・クリフトの存在感は言うまでもないし、同僚マッジオに扮するフランク・シナトラは意外なコメディ・リリーフ担当だ。カレンを演じるデボラ・カーとロリーン役のドナ・リードは、本当にキレイである。封切り時には、この顔ぶれを見ているだけで満足する観客も少なくなかっただろう。
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「ゴールデンカムイ」

2025-02-14 06:11:01 | 映画の感想(か行)

 2024年作品。封切り時は観ようとも思っていなかったが、ヒットした映画だというのは間違いない。ネット配信のリストに入っているのを見つけ、テレビ画面ではあるが一応チェックしてみた。結果、とても驚かされた。こんな低級なシロモノがカネ取って映画館で上映され、興行的には成功。しかも、巷の評判は好意的だという。どうしようもない話だが、これこそが日本映画を取り巻く現状なのだろう。

 明治末期、主人公の杉元佐一は、日露戦争での鬼神のごとき戦いぶりから“不死身の杉元”と言われた元大日本帝国陸軍一等卒だ。復員した彼は、一攫千金を狙い北海道の山奥で砂金採りに明け暮れていた。そんなある日、杉元はアイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った犯人は、その在処を24人の囚人の身体に彫って彼らを脱獄させたという。杉元は偶然知合ったアイヌの少女アシリパと行動を共にするが、大日本帝国陸軍第七師団の鶴見篤四郎中尉と、戊辰戦争で戦死したはずの新選組副長の土方歳三も金塊を求めて暗躍する。

 野田サトルによる原作漫画は読んでいないし、どういう話なのかも知らなかった。しかし、本作の視聴前に少し調べてみたら、かなりの長編であることが判明。どう考えても2時間程度の尺に収まるはずがないのだが、何とこれは“序章”に過ぎなかったのだ。いわば不完全なシロモノを、よく堂々と劇場公開したものである。

 ならばこの“序章”だけでも見応えはあるのかというと、それはほぼ無い。冒頭の、日露戦争の白兵戦のシーンからして気勢が上がらない。有り得ない場面の連続で、呆気に取られるばかり。舞台が北海道に移ってからも弛緩した展開ばかりで、テンポは悪いしキャストの動かし方もぎこちない。時折思い出したように活劇場面が挿入されるが、これが本当にショボくて観ていて侘しい気分になってきた。

 そもそも、主人公の杉元は戦争に行って何か変わったのだろうか。劇中で回想シーンになり従軍前の杉元の姿が出てくるのだが、戦後の彼と表情が一緒だ。まあ、演じているのが山崎賢人だから仕方がないとも言える。それにしても、本作での山崎のパフォーマンスは、いつもながら酷い。これは素人の芝居だ。どうして彼のような大根に次々と仕事のオファーが来るのか、本当に釈然としない。

 久保茂昭の演出はまったく精彩が無く、山田杏奈に眞栄田郷敦、工藤阿須加、泉澤祐希、高畑充希、マキタスポーツ、玉木宏、舘ひろしなどの共演陣も気乗りしていない様子が窺われる。唯一の見どころは相馬大輔のカメラによる北海道の風景ぐらいか。いずれにしろ、話にならない出来だ。
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「型破りな教室」

2025-01-18 06:16:56 | 映画の感想(か行)
 (英題:RADICAL )とても感銘を受けた。この“問題のある学校が型破りな教師の奮闘により改善に向かう”という設定の学園ドラマは、それこそ昔から多数作られており、題材としては陳腐とも言える。しかし、本作の内容は小賢しい突っ込みを軽く跳ね返すほどの強靱な求心力が確保されているのだ。しかもこれが実話というのだから、驚くしかない。

 アメリカとの国境近くにある、メキシコのタマウリパス州北東のマタモロスの小学校に、出産のため辞職した6年生の担任の代役としてセルヒア・フアレス・コレア教諭が赴任してくる。この学校を取り巻く環境は過酷で、周囲には麻薬密売組織などの反社会勢力が蔓延っており、生徒たちもそれらと無関係ではいられない。また貧困に喘いでいる家庭も多く、学校内も設備は不足し、教員は事なかれ主義の者ばかり。



 結果として学力は国内最底辺で、6年生の半数以上が卒業を危ぶまれる始末。だがフアレスは、生徒たちの興味を惹くような今までにないユニークな授業を敢行する。当初は学校側も戸惑うが、フアレスの熱意は次第に周りに伝わってゆく。

 まずは、この学校および街の状況の劣悪さに驚く。もちろん、先進国以外での公的教育現場というのはどこも良好とは言えないのだが、このマタモロスから国境を隔てたほんの40km先に、スペースX社が運営するケネディ宇宙センター第39発射施設が存在するという構図はかなりショッキングだ。最先端のテクノロジーの集積所の隣に、メキシコでも最悪の場所が存在している、この絶望的な格差を見せつけられると慄然とするしかない。

 しかし、フアレスは挫けない。単なる詰め込みの教育ではなく、真に生徒たちが各科目に興味を持てるようなメソッドを駆使し、少しずつ状況を改善していく。そのプロセスに無理はなく、こうすればこのような結果が付いてくるという、誰にでも納得出来るような組み立て方だ。特に、ゴミの山の隣に暮らす女生徒パロマが教師によって自身の進む道を見出すくだりは、実に感動的。なお、彼女も実在の人物であり、今は期待の若手研究者として活躍しているという。

 反面、マフィアの抗争が学園内にも波及して悲劇を生む様子も容赦なく示される。そんな残酷な事実がありながら、それでも前を向いて進もうとするフアレスと生徒たちの姿には感銘を受ける。脚本も手掛けたクリストファー・ザラの演出には、わざとらしいケレンを廃した真摯さが伝わってくる。

 フアレス役のエウヘニオ・デルベスは最高の演技。校長先生を演じたダニエル・ハダッドをはじめ、ジェニファー・トレホ、ミア・フェルナンダ・ソリス、ダニーロ・グアルディオラなど子役たちも万全だ。なお、この学校はそれから全国トップの成績をおさめるようになり、フアレスも引き続き現場で頑張っているのだという。
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「神は銃弾」

2025-01-13 06:16:03 | 映画の感想(か行)
 (原題:GOD IS A BULLET )99年に刊行されたボストン・テランによる原作は英国推理作家協会賞の最優秀新人賞をはじめ各アワードを獲得し、日本での翻訳版も日本冒険小説協会大賞を受賞するなど、かなりの評判を博している。私も十数年前に読んで好印象だったことを覚えているが、これを映画化するにはハードルが高かったと思われる。かなりの長編であることはもちろん、主要キャラクターであるヒロインの造型が圧倒的で、演じられる女優がそう簡単に見つかるはずがない。ところが今回の映画版ではそのあたりがクリアされていて、それだけで評価したくなるシャシンだ。

 メキシコ国境近くの町に住む刑事ボブ・ハイタワーは、ある日突然にカルト教団“左手の小径”に元妻とその再婚相手が殺されるという災難に見舞われる。しかも、中学生の娘は教団に誘拐されて行方が知れない。ボブは何とか娘を探そうとするが、法の限界があって上手くいかず、警官の職を捨て独自に行動することを決める。そんな彼が出会ったのが、かつてそのカルト教団に誘拐されたものの生還を果たした経験を持つ若い女、ケース・ハーディンだった。2人は協力して“左手の小径”に立ち向かう。



 このケースの、蓮っ葉でいながら純情で、極限状態の中で主人公と衝突しながらも決して諦めないという性格は、長い原作を最後まで読者を釘付けにするほどの存在感を示していた。これは容易に映像化できる個性ではないはずだが、本作の主演女優であるマイカ・モンローは見事に仕事をやり遂げている。まるで原作から抜け出してきたかのような佇まいで、このキャスティングは大成功だ。

 とはいえ、2時間半の上映時間でも小説版をフォロー出来ていない。ボブの元妻らが襲われた原因も、明示されていない。その事件の関係者らしき登場人物たちも出てくるが、唐突な感じは否めない。そして何より、熱心なキリスト教徒だったボブが、題名通り“神は銃弾だ”という結論にたどり着くプロセスも不十分である。

 ところが監督のニック・カサヴェテスは“そんなもどかしさは、派手な場面の釣瓶打ちでカバーしてやる!”とばかりに、程度を知らないバイオレンス描写を畳み掛けてくる。見ようによっては、まるでスプラッタ映画だ。しかし、そんな大暴れの背景は主人公たちの憤怒に裏打ちされているので、無理矢理な印象はあまり受けない。

 ボブに扮するニコライ・コスター=ワルドーは熱演だし、敵の首魁を演じるカール・グルスマンも憎々しい。また、教団に関係の深い得体の知れぬ男の役をジェイミー・フォックスが担当しているのも効果的だ。そして特筆すべきは、撮影監督は香取健二という日本人である点だ。どういう経歴でどのようなテイストを持った人材なのかは分からないが、荒涼とした中西部の風景の捉え方は上手いと思った。
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「クレイヴン・ザ・ハンター」

2025-01-03 06:23:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:KRAVEN THE HUNTER )楽しんで観ることが出来た。一応は少なくない予算を投入したマーベル系の大作だが、俳優組合のストライキの影響で封切りが遅れ、しかもR15指定ということもあり、興行面では比較的不利だったようだ。しかしながら、筋書きにはそれほど瑕疵は無いし、キャストの仕事ぶりも万全であり、これは好評価に値すると思う。

 主人公セルゲイ・クラヴィノフは、幼い頃にマフィアのボスである冷酷な父親ニコライとともに狩猟に出かけた際、巨大な異形のライオンに襲われたことをきっかけに、スーパーパワーを身に付ける。やがて父親の元を去り、長じてクレイヴンと名乗り金儲けのために動物を狩る者たちに次々と制裁を加えるようになる。そして、彼の代わりに無理矢理に組織を継がされそうになった弟のディミトリをフォローするために、裏社会の抗争へと身を投じる。



 クレイヴンはマーベルコミックではスパイダーマンの宿敵になる悪役だが、ヴェノムと同様にここではダークなヒーローとして扱われている。元より主人公の出自と環境が反社会的なものであるため、作品自体のカラーも暗い。だが、クレイヴンの周りにいるのは札付けのワルばかり。そいつらがどんな目に遭おうと知ったことではないし、それどころかカタルシスさえ覚えてしまう。

 敵役も全身が硬い皮膚に覆われた怪人ライノや、強力な催眠術の使い手であるザ・フォーリーナーなど、かなりキャラが濃い。もちろんラスボスはニコライなのだが、そこに行き着くまでの段取りは悪くないと言える。J・C・チャンダーの演出は「トリプル・フロンティア」(2019年)の頃よりも格段の進歩を遂げ、話はテンポ良く進む。アクション場面もよく練り上げられており、意外性のある立ち回りのアイデアには感心する。

 主演のアーロン・テイラー=ジョンソンは「キック・アス」(2010年)の少年役とはまるで別人のマッチョ野郎に成長しているが、力量は認めて良い。ヒロイン役のアリアナ・デボーズは魅力的だし、ディミトリに扮するフレッド・ヘッキンジャーやライノを演じるアレッサンドロ・ニボラも存在感がある。そして何といっても、ニコライ役にラッセル・クロウというクセ者を持ってきているのが大きい。

 なお、今作でソニーズ・スパイダーマン・ユニバースも終了ということだが、これが本家のマーベル・シネマティック・ユニバースとどう関係してくるのか、興味の尽きないところである。
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「コール・ミー・ダンサー」

2024-12-29 06:46:22 | 映画の感想(か行)
 (原題:CALL ME DANCER)インド人バレエダンサーの奮闘記だが、特筆すべきはこれがドキュメンタリー映画だということだ。フィクションではないのはもちろん、実話を元にした劇映画でもない。スクリーンの真ん中にいるのは、遅咲きながらダンサーになることを希求し、立ちはだかる数々の試練にも負けずに夢に向かって疾走する生身の人間だ。よく“事実は小説よりも奇なり”と言われるが、ドラマティックな人生を選択し、なおかつ“絵になる”素材を採用した時点で本作の成功は約束されたようなものだ。

 ムンバイに住む少年マニーシュ・チャウハンはストリートダンスにハマり、猛練習を経てダンス大会で好成績を収める。そこで彼はダンススクールへの入学を勧められて通い始めるが、イスラエル人のバレエ教官イェフダとの出会いが彼の人生を変える。奥深いバレエの魅力に取り憑かれたマニーシュは、持ち前の身体能力でめきめきと成長し、プロダンサーとしての展望が開けてきたかに見えた。しかし、バレエの道に進むには、マニーシュは年を重ね過ぎていたのだ。



 現在はニューヨークのペリダンス・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーでダンサーとして活躍しているマニーシュ・チャウハンの半生に迫ったドキュメンタリー物で、もちろん主役はマニーシュ自身だ。彼が初めてクラシックバレエのレッスンを受けたのは、18歳の頃だったという。この世界では明らかに遅いスタートだ。しかもインドにはバレエの伝統は無い。

 それでもイェフダの薫陶を受けることが出来たのは幸運だったのだが、幼少時から基礎を叩き込まれた者がゴロゴロいる中では目立てない。そんな彼を受け入れる可能性があったのが、コンテンポラリーバレエだった。決まったスタイルが無いこの分野では、ダンサーのキャリアなど二の次だ。とにかく実力と感性が研ぎ澄まされている者だけが活躍できる。自身の境遇と目の前にある未知の世界の間で葛藤する主人公の姿は、まるでフィクションだ。さらには、家族との関係性も丹念に描き込まれる。

 監督を務めたレスリー・シャンパインとピップ・ギルモアは、虚構の話と実録物との違いを熟知していると思う。マニーシュのような、見た目も生き方も“映画みたいな人間”を見つけ出してくることで、リアルとフィクションとの融合に果敢に挑戦してくる。その気迫はスクリーンから存分に伝わってくる。もちろん、マニーシュをはじめとする各ダンサーが見せる妙技は素晴らしく、映画的興趣は高揚するばかりだ。撮影も音楽も言うことなしである。
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「グラディエーターⅠⅠ 英雄を呼ぶ声」

2024-12-16 06:37:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:GLADIATOR II)前作(2000年)は第73回米アカデミー賞にて作品賞を獲得するほど高評価で、なおかつ興行収入も大きかったのだが、私は中身をほとんど覚えていない(苦笑)。まあ、たぶん“観ている間は退屈させないが、鑑賞後はキレイさっぱり忘れてしまう”という、いわば娯楽映画の王道(?)を歩んだシャシンだったのだろう。この続編も同様で、スクリーンに向き合っている間は楽しめるが、今後どれだけ記憶に残るかは定かでは無い。ただ、印象的なモチーフはいくつか存在するので、忘却のペースは前回よりは遅いかと思われる。

 紀元3世紀初頭、前作の主人公マキシマスの息子であるルシアスは、アフリカ北部の都市ヌミディアで暮らしていた。ところが将軍アカシウス率いるローマ帝国軍が突如侵攻。街は壊滅し妻も失った彼は、マクリヌスという訳ありの男と出会ったことを切っ掛けに、マクリヌス所有の剣闘士となってローマに赴くことになる。



 主人公ら剣闘士が競技場で対峙する相手は手練れの戦士だけではなく、巨大なサイや殺人ヒヒなど人間以外も含み、それらとのバトルは賑々しく展開する。そもそも、冒頭近くの海戦のシークエンスだけで観る側を圧倒するだけの迫力があり、特殊効果も前回から20年以上経過しただけの進歩が感じられる。

 ただ、私が興味を持ったのはキャラクターの方だ。正直言って、主人公ルシアスは可も無く不可も無し。史劇のヒーローとしてのルーティンをこなしているだけだと思う。それよりも面白いのはマクリヌスだ。かなり屈折した世界観・社会観の持ち主で、それでいて抜け目がない。黒人であることもマイノリティがのし上がっていく背景を強調している。

 そして、暴君として知られるゲタ帝とカラカラ帝の扱いも非凡だ。いわゆる五賢帝の時代が終わり、ローマが隆盛から衰退へと向かっていく時代性の象徴としての造型で、中身の薄さを効果的に印象付けられる。前回から連続登板のリドリー・スコットの演出は特段優れているとは言えないが、この前に撮った「ナポレオン」(2023年)よりはマシな仕事をしている。

 ルシアスに扮するポール・メスカルをはじめ、ペドロ・パスカルにリオル・ラズ、デレク・ジャコビ、コニー・ニールセンといった顔ぶれはまあ悪くないだろう。マクリヌス役のデンゼル・ワシントンは、さすがの海千山千ぶりを見せつけた怪演。2人の皇帝に扮したジョセフ・クインとフレッド・ヘッキンジャーも難役を上手くこなしている。
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