元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「電車男」

2005-12-30 20:46:54 | 映画の感想(た行)

 2ちゃんねるに掲載された“実録恋愛もどき”の書き込みの映画化ということで、色モノ扱いされても仕方がないような企画だが、どうしてどうして、出来上がった作品は恋愛映画の王道を歩む真っ当なシャシンである。

 ラブストーリーの基本設定“ボーイ・ミーツ・ガール”の段取りから、二人の恋の行方が確固とした“必然性”に則って進展していくこと、そして迎える“誰もが納得する結末”など、近頃珍しい正統派のドラマツルギーを提示している。そもそもネタが“ネットがらみ”というイレギュラーなものであるから、尚更筋書きはノーマルに徹する必要があり、このあたりの作者の冷静さは評価して良いだろう。

 こういう映画を観ていると、昨今ハヤリの「セカチュー」だの「韓流」だのといった偽善的恋愛ごっこドラマの薄汚さを再確認できる。

 恋愛を進展させるものは、垢抜けた物腰やスマートな大道具小道具などではない。もちろん、恋愛当事者の“経済的状況”も二次的ファクターに過ぎず、ましてや「韓流」に代表される“クサさ100%の有り得ない展開”など問題外である。

 恋愛で一番大事なのは“ハート”だ。

 主人公の電車男は困っている女性を助けようとするほど勇敢で優しい。そして何よりマメだ。単にオタク的趣味にハマっていて経験がないだけで、本来はモテて当然だ。というか、彼みたいな男がモテなくて、いったい誰がモテるのだろうか。一見“高嶺の花”に思えるエルメス嬢が主人公に好感を持つのも当たり前である。

 電車男役の山田孝之はびっくりするような好演。相手を好きになったことにより、自分の殻を破ろうとして七転八倒するオタク野郎を見事に実体化させている。クライマックスの告白場面では感動すら覚えてしまった。

 エルメスの造形は浮世離れしているという意見もあろうが、もとより象徴的なキャラクターであるからこれで良いと思うし、限られた上映時間の中ではエルメス側を描き込む余裕がないのも確かだ。演じる中谷美紀が柔らかい雰囲気を上手く醸し出している。

 電車男を“応援”するネットの住民達を悩みを抱えた数名のネットワーカーに絞り込んでいるのも物語を整理する上でポイントが高く、彼らを単なるヴァーチャルな存在として扱っていないため、手前勝手だと思わせるアドバイスに電車男が反応することに違和感がほとんどない。金子ありさによる脚本は巧妙だ。

 また、2ちゃんねるならではのAAや独特の用語の使用も必要最小限に抑えられており、作者自身が“オタク趣味”に埋没していないことも嬉しい。

 とにかく、リアリズムを踏まえた恋愛劇の佳篇であることは間違いなく、幅広い層に薦められよう。監督の村上正典は今後も映画を撮り続けて欲しい。

PS.今年の書き込みはこれにて終了。次は1月2日以降になります。
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「ランド・オブ・ザ・デッド」

2005-12-30 08:03:35 | 映画の感想(ら行)
 ジョージ・A・ロメロという監督はコアな映画ファンから神格視されているようだが、私はさほど評価しない。

 彼の十八番である“ゾンビもの”は、単なるグロ描写を超えた“別のテーマ”、すなわちその時代のアメリカに対する社会風刺が見どころだという。本作品でも近代兵器でゾンビを駆除してゆく軍隊や、高層ビルの中でふんぞり返っているお偉方などに、9.11以降の夜郎自大なアメリカの対外政策をダブらせていることは明白だ。

 しかし、ハッキリ言ってこういうアプローチは古い。冷戦時代のように“これは右、それは左”と簡単に二分化できた頃ならいざ知らず、現在では“語るに落ちる”レベルである。映画において社会問題を取り上げるには、作者の側にこそ深遠な知識と分析能力、そして明確な意見表明が必要とされる。だが注意したいのは、いわゆる社会派の作品以外でそういうテーマを設定すると、自らの社会問題に対する認識不足が“しょせん、これは社会派の映画ではないのだから”という“逃げ口上”と共にスルーされてしまうということだ。

 社会派ネタを扱うのならガチンコでやるべし。それが出来るほどの教養がないのなら、つべこべ言わずに単純な“こけおどし映画”に徹するのが正しい。


 ストーリーやドラマ運びについては何ら特筆できるものはないが、唯一印象的だったのがヒロイン役にアーシア・アルジェントが起用されていること。ロメロの出世作「ゾンビ」の別バージョンを手がけた監督の娘が“本家”の作品に出ていること自体、なかなか感慨深い。
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「柳の木のように」

2005-12-29 18:48:38 | 映画の感想(や行)
 アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。

 幼い頃に失明して以来、光のない世界に生きてきた大学教授が手術で38年ぶりに視力を取り戻したことで生じる波紋を描くイラン映画。

 なるほど、人間というのは勝手なものだ。いわゆる“不惑”をとうに過ぎ、社会的地位にも恵まれたはずの主人公も、急に“目が見えるようになった”という想定外の事態を迎え、自分が築き上げてきた実績をかなぐり捨ててまでも“自由に生きたい”との身も蓋もない欲求を抑えきれなくなる。

 特に、自分を支えてきた妻の顔立ちが地味であることに初めて気づき、その恩も忘れて妻の美人の妹に恋心を抱くようになるくだりは苦笑した。

 だが、フランス映画あたりならばシニカルなコメディとして笑い飛ばせるような題材も、戒律の厳しいイランでは辛い。これでは単に愚かな中年男の小児的な迷走ぶりを鬱々と描いただけの重苦しいシャシンではないか。

 監督のマジッド・マジディは「運動靴と赤い金魚」をはじめとする児童映画では大いに才能を発揮したものの、大人を主人公にした前作「少女の髪どめ」以来どうも精彩がない。過去に彼が描いてきた“大人びた子供”と、本作の“子供っぽい大人”では、字面こそ似ているが中身はまったく違うのに、それを同じタッチで扱おうとしたことが最大の敗因だろう。映像が非常に美しいことだけが救いである。
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「マナサロワールの愛」

2005-12-29 08:32:36 | 映画の感想(ま行)
 アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。

 兄と弟が数年を隔ててひとりの女性に対しそれぞれ恋愛模様を繰り広げるというインド製のラヴストーリー。ラスト近くにインド人らしい宗教観のようなものが披露されるものの、中身は典型的なトレンディ・ドラマであることに面食らってしまった(笑)。

 本国では“インド・ニュー・ジェネレーションの誕生”と持て囃されているらしいが、なるほど上映時間も94分と短く、娯楽映画なのに歌も踊りも出て来ない。そして最大の目玉はセリフが英語であることだ(山奥の坊さんも英語ペラペラなのには笑った)。


 当映画祭に招かれた監督アヌープ・クリアンの話によると、共通言語である英語で撮られたことで、今まで15もの公用語で勝手に製作されていた作品群とは別に、グローバルに“インド映画”として通用する方向性が見出せたということである。若い世代にとっては、いつまでも“歌と踊りの連続で3時間”では飽き足らなくなってくるのは確かだろう。今後の動きに注目したい。

 映画自体は別にどうということもない内容だが、ヒロインに扮するネーハー・ドゥベイはすごい美人だ。さすが映画大国インド、女優のレベルは限りなく高い(^o^)。
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「はるか遠い日」

2005-12-29 08:29:48 | 映画の感想(は行)
 アジアフォーカス福岡映画祭2005出品作品。

 60年代の激動のベトナムを舞台に、意に添わない結婚をさせられた夫婦の波乱の人生を描くホー・クアン・ミン監督作品。本国で50万部を超えるベストセラーとなったレ・リューの大河小説の映画化であるが、どうもパッとしない出来だ。

 確かにフランスとの戦いからベトナム戦争に至るハードな歴史はちゃんとカバーされているし、民衆の苦しみも描かれている。だが、それらの扱い方はすべて中国映画のコピーである。タッチが「芙蓉鎮」や「青い凧」等とほとんど同じ。バックの音楽も完全に中国流だ。

 国情も国民性も違う地域の映画の方法論を上っ面だけ借用してもサマになるはずもなく、事実、この映画の印象は限りなく“ぬるい”。そもそも出てくる連中の表情と仕草が、厳しい中国映画風の演出とまるで合っていないのだ。時折これ見よがしに挿入される長廻し場面も、ドラマを弛緩させる役割しか果たしていない。結果、2時間の上映時間が死ぬほど長く感じられることになる。

 もっとベトナム人のリズムに合った描き方があったはずだ。とはいえ、歴史の浅いベトナム映画では、これも試行錯誤の一つであろう。今後の展開を待ちたい。
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「リンダ リンダ リンダ」

2005-12-28 06:57:48 | 映画の感想(ら行)

 題材だけを見て「スウィングガールズ」のロックバンド版のような痛快熱血青春コメディを予想したならば完全に裏切られる。

 主人公達が目指すのは公式なコンテストでも大観衆を前にしてのイベントでもない。文化祭最終日のアトラクション、それも当初はマジメに見ている奴はわずかで、先輩や友人が「前座」として何とか盛り上げてやった後に当人達が遅れて到着する始末。肝心の演奏もびっくりするほどは上手くはない。でも、そんなことで本作の感銘度はいささかも減じないのだ。

 この映画の見どころは、主人公達の生活を丹念に描き込むことにより、若者の日常の些細な哀歓を的確に表現している点である。ただし、そんな微妙な心境の変化はセリフとして口に出すようなものではない。そこで作者は韓国からの留学生を主要キャラとして登場させる。このアイデアはドラマ運びとして秀逸だ。

 日本語が堪能ではない彼女に対し、他のメンバーは話がどこまで進んでいるか、互いのことをどう思っているかを平易に説明しなければならない。それによって我々も物語の進展の度合いを把握することが出来、ヘタをすれば独りよがりの“雰囲気だけの若者フィーリング映画(?)”になりそうな事態を巧みに回避している。

 そして、生活習慣や文化が異なる場所で孤立していた彼女が仲間を見つけて打ち解けてゆく過程を通じ、青春期における他者との出会いが人格を形成してゆくという若者群像劇の真骨頂を代表して見せてくれる。彼女が誰もいないステージでメンバー紹介をする場面や、日本語と朝鮮語で完璧に意思が通じ合う“夢のシーン”は感動的だ。

 そして痛快なのは、リベラル派の教師がセッティングした文化祭の“日韓友好ブース”には彼女自身も他の生徒も全く興味を見せないところ。御為ごかしの日韓友好などクソくらえ、相手が韓国人だろうと何だろうと、普遍的な仲間意識こそが対等なコミュニケーションを生み出すのだ・・・・といった作者の冷静なスタンスが窺われる。

 留学生に扮するペ・ドゥナが素晴らしい。韓国の一線級の女優にしては珍しい“非・美人タイプ”(笑)だが、演技力はピカイチだ。そして昨今の韓流ブームの薄っぺらさを批判するコメントを残している彼女と役柄が微妙にシンクロしているのも興味深い。他のキャストも好演で、バンドリーダーに扮する香椎由宇の男前ぶり(謎 ^^;)は特筆もの。主人公達の“前座”で歌う湯川潮音の存在感もサスガ。山下敦弘監督の次作に期待したい。
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イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「はつ恋」

2005-12-28 06:48:31 | 読書感想文
 本当は中学生・高校生の頃に読んでいなければならない本だが、私は最近読んだ(爆)。

 16歳の主人公ヴラジーミルが年上の公爵令嬢ジナイーダに抱く恋心を切々と(回想形式で)綴った一編だ。初恋の甘やかさと、それを凌駕する苦しみと残酷さを丁寧な筆致で追い、読む者の共感を呼ぶ。ラストの独白なんか泣けてきた。

 比べるのもおかしいけど、同じ主人公の回想形式で書かれた「世界の中心で、愛をさけぶ」とこの本とでは、天と地ほどにも感銘度に差がある。それはたぶん「セカチュー」がすでにこの世にいない相手に対し“いかに自分が恋していたか”ということを一方的に独りよがりに蕩々と語って自己陶酔に浸っていただけの与太話であったのに対し、本書が主人公にとっての初恋の痛みと同時に、相手にとっての「初恋」をもヴィヴィッドに描出している点にある。

 それはつまり、「セカチュー」の主人公が“昔も子供で、今も子供で、たぶん一生子供のまんま”に過ぎず、「はつ恋」の主人公は“昔は子供だったが、初めての恋によって大人への階段を上がり、今は大人として苦い初恋を振り返る”という、作者の人間観察力および読者に対峙する姿勢のレベルの違いなのであろう。

 若者必読の本と言えるが、オッサンの私が読んでも十分感動出来る。やっぱり定評のある古典はひと味違う。
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女子フィギュア日本代表の選考について

2005-12-27 06:57:26 | 時事ネタ
 すったもんだの挙げ句、浅田真央選手は五輪に出場しないことが決まった。一部の掲示板などで「やっぱりルールはルール。厳粛に守らないとね」なんていう文章をいくつか目にしたが、ちゃんちゃら可笑しいと言うべきだろう。スポーツの国際組織が決める「ルール」とは真の意味での「ルール」ではない。あれは関係者のパワーバランスによる「落としどころ」を示したものに過ぎないのだ。だから組織内の力関係が変われば勝手にルールも変わる。スキー板の長さの基準が変更になったことなどその代表だ。

 ハッキリ言って、いくら日本の女子フィギュア陣の水準が高いといっても、マジに五輪で優勝を狙えるレベルに達しているのは浅田真央選手しかいない。素人目で見ても、ズバ抜けている。現時点での持ち点もダントツだ。だから、本気で日本スケート連盟が金メダルを取ろうと思っているなら、あらゆる手を使ってでも彼女を出場させるべきだった。その手段とはもちろん“根回し”である。関係者・関係国を巧妙に言いくるめ、バレない程度にカネをばら撒き(笑)、あるいは脅してすかして賛同者を募る。それがスポーツ・ビジネスというものだ(おいおい ^^;)。

 しかし日本スケート連盟は、ISUのチンクワンタ会長に書簡で特例を打診したに過ぎなかった。結果はもちろん却下。正面から“ルールを変更して貰えないでしょうか”と言っても、あっちは“ダメッ”と答えざるを得ない。いわばこれは“日本スケート連盟としては、ひとまず努力はしましたよ”というポーズに過ぎないのだな。ガキの使いと一緒だ。


 つまり、最初から日本スケート連盟は彼女を五輪に出場させる気などなかったのだ。それはなぜか。彼女が出ることによって出られなくなる選手の関係者からの圧力であるとしか考えられない。ちなみに、どう見ても本調子とは思えない安藤選手が五輪に出ることになったのは、彼女のバックに某大手自動車会社が付いていたからと思って良かろう。

 もしも、アメリカに浅田選手みたいに“年齢基準にわずかに達しないけど、凄い実力を持った選手”が現れたとしたら、ありとあらゆる汚い手段を使って「ルール」を変更させ、五輪に出させるに違いない。それはもちろん関係者にとっての“オリンピックでのメダル獲得者”を売り文句にした将来の興行的大儲けに繋がるからだ。それがまた結果的に“国の名誉”にも繋がるのだから、まあ一石二鳥と言えなくもない(笑)。

 対して日本は国内のチマチマとした勢力争いにより、肝心のメダル獲得を遠ざけている。まるで愚の骨頂だ。

 もっとも、たとえ「ルール」が改正されたところで浅田選手自身が“五輪に出る気はない”と主張するのなら、それはそれで個人の意志は尊重されるべきだと思う。ただし、周囲がおだてて、本人に“やっぱり出たい”と思わせるようにすることも“根回し”のひとつには違いないが(爆)。
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「ヒトラー 最期の12日間」

2005-12-26 07:01:39 | 映画の感想(は行)
 (原題:Der Untergang )題名に「ヒトラー」と付いているが、内容はベルリン陥落直前の地下のナチス党本部を舞台に、狂言廻しである女性秘書の目を通して描かれた群像劇である。

 何よりブルーノ・ガンツが熱く演じたヒトラーをはじめ、ヒムラーやゲーリング、エヴァ・ブラウンといったキャラクターがスクリーン上を闊歩する様子は歴史好きにはたまらない。登場人物の造形も見事なものだ。

 しかし、戦争の狂気と反ナチスの糾弾は思ったほど強調されていない。ベルリン市民の内ゲバの描き方は控えめだし、ユダヤ人虐待の場面もない。それどころか、ゲッペルスの家族が自決するシーンなど、悲惨さよりもドイツ軍人のストイックな潔さをも感じさせる。トドメはゲッペルス婦人の“ナチスの存在しない世界は生きる価値がない”とのセリフだ。これが単なる世迷い言ではなく妙に印象に残ってしまう。


 戦後のドイツは戦争責任をナチスに全て押しつけるところから始まったが、国全体の戦争の総括はまったくおこなわれていない。この映画は、戦争の異常さを描きつつも、その中に第三帝国への微妙な憧憬が織り込まれているあたりが興味深い。

 本土決戦前に白旗を揚げた日本とは違い、自分たちは市街戦にまで突入したのだぞ!・・・・といった“プライド”のようなものか。ヒロイン役のアレクサンドラ・マリア・ララは、ドイツ人にしては珍しい(失礼 ^^;)美人だ。
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「交渉人 真下正義」

2005-12-26 06:58:12 | 映画の感想(か行)
 意外にも楽しめた。少なくとも「踊る大捜査線2」よりは面白い。

 もちろん万全の出来ではなく、ユースケ・サンタマリア扮する主人公が全然有能なネゴシエーターに見えなかったり、暴走する地下鉄試験車にどうやって遠隔装置が取り付けられたのか不明だったり、何より終盤の段取りが回りくどい上に撮り方がヘタでクライマックスが盛り上がらないのは痛い。

 ここは単純に“神出鬼没の爆弾搭載試験車を警察と鉄道会社が追いかける”という設定に徹すれば良かった。余計なネタをくっつけてドラマを停滞させるのは愚の骨頂である。

 だが、それら欠点を差し引いても観る価値はあると思う。中盤までのサスペンスの盛り上げ方は悪くないし、國村隼や寺島進などの脇のキャラクターも良い。犯人の「正体」については異論もあろうが、監督の力量から考えて、ああいう扱いの方がボロが出なくて良かったのではないかと思う。

 そして嬉しいのは、謎掛けのヒントに往年の映画のタイトル等が数多く使われていること。特に70年代のパニック映画「ジャガーノート」の題名が出てくるところは思わずニヤリとした(ちなみに、同作品の封切り時の同時上映は「サブウェイ・パニック」であった)。設定がクリスマスの時期なのは本作の公開時期(夏休みシーズン)からすれば季節はずれだが(ひょっとして「ダイ・ハード」の線を狙ったか?)、まずは娯楽作として水準はクリアしていると思う。
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