(原題:Miller's Crossing )ジョエル・コーエンが監督、イーサン・コーエンが製作。「ノーカントリー」で今年度のアカデミー賞のノミネーションを賑わせているコーエン兄弟が90年に撮った作品。1929年、アメリカ東部のある都市(たぶん、ニューヨーク)ではアイルランド系のボス、レオとイタリア系マフィアのキャスパーが暗黒街で勢力を争っていた。レオの片腕トムはレオと男同士の友情で結ばれていたが、ふたりが同じ女ヴィーナを愛したことから友情にひびが入り、トムはライバル、キャスパーの側につき、血の抗争火ぶたが切って落とされる。
公開当時はどこの映画雑誌を見ても、私の友人たちの意見も、そろいもそろって大絶賛だった。どんなにいい映画だろうかと期待して観に行ったのだが、なぜか少しも感銘を受けなかった私である。それどころか、どこがいいのかさっぱりわからない映画であった。かといってワースト作品としてケナすほど気分を害したわけでもない。要するに可もなく不可もないどうでもいいシャシンである。
確かに独特の雰囲気がある。ハデな場面やギャング映画にありがちのケレン味を抑え、ヨーロッパ映画のような静けさと、落ち着いたカメラワークは印象に残る。けれどもワクワクする場面は皆無。だいたいこの主人公は何を考えているのかさっぱりわからない。
レオの女を寝取ってしまうあたりは野心的な反逆児ともいえるが、相手側に寝返るくだりの往生際の悪さは何? 寝返った証拠として裏切り者のチンピラを殺すように強要されるがあっさりと逃がしてしまう。しかもそれを確かめに行った2人の手下も銃声だけで納得してしまい、死体も見ないという間抜けさには恐れ入った。敵側のボスの描写も成り上がりの単純な男としかとらえていない。“運命の女”ヴィーナにしたって貫禄不足で、暗黒街のボスがぞっこんになるようにはとても見えない。登場人物の内面がしっかりと描かれていないから、ラストの処理もしっくりいかない。
この映画のハイライトとして雑誌にも大きく取り上げられていた“アイルランド民謡ダニー・ボーイがバックに流れる中でレオと殺し屋たちの大々的な銃撃戦が行われる場面”にしても、たいしたことはない。たとえば「ゴッドファーザーPART3」のオペラと殺しの場面をオーヴァーラップさせたシーンや、「ステート・オブ・グレース」の賑やかなパレードの裏で壮絶なドンパチが展開するくだり、などに比べるとヴォルテージが落ちる。第一、銃火器の使い方も怪しいように感じる。
とはいえコーエン兄弟の作品は本作のように首を傾げる出来の映画もあるかと思えば、「赤ちゃん泥棒」や「ファーゴ」みたいに見応えのあるシャシンもあるし、現在でも要チェックの作家であることは間違いない。アカデミー賞の結果はどうあれ、今後も作品を追っていくことになるのだろう。