元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ニッポン無責任時代」

2007-04-30 07:59:10 | 映画の感想(な行)
 この前惜しくも逝去した植木等の代表作にして日本製コメディ映画史上に残る快作。昭和37年、東宝作品。このころに全盛を誇った東宝の「サラリーマンもの」の一本として作られている。

 植木演じるところの主人公平均(たいら・ひとし、と読む)はまったく調子のいい男。会社をクビになっても何のその。飲み屋で知り合った(と、いうより無理矢理におごらせた)ある洋酒会社の部長(谷啓)の話を聞いてその会社の社長(ハナ肇)の家に押しかけ社長の翌日のスケジュールを聞き出し、社長が世話になった国会議員の側近だと称し、いつの間にかその会社に入ってしまう。そして係長、部長、とまたたく間に出世街道まっしぐら。一時は会社を乗っ取った社長のライバルによって追い出されるものの、最後は怒濤の大逆転を図る・・・・という、とんでもないストーリー。

 この主人公のキャラクターがスゴイ。口八丁手八丁でどんなピンチもひょいひょいと切り抜け、イヤなことはすべて人まかせ。脚本も徹底して御都合主義で、すべてが主人公にとっていい方に展開していく。

 さらに効果的に挿入されるのは植木とクレージー・キャッツ歌うところの思想のかけらもない能天気な歌で、必然のないシーンでも強引に登場人物が歌いまくる。これは非常にシュールである。こんな話をマジメに作ってしまった当時の日本映画のパワーをまのあたりにする思いである。

 この映画ができた時代は高度成長期のまっただなか。映画のヒーローは必ずその時代の人々の願望をあらわすものだというが、平均みたいな軽薄でC調で、やることなすこと濡れ手で粟のオイシイ稼業。マジメな奴らをコケにして明るく楽しく人生をわたっていく、という主人公像は一見痛快だが、実社会はこんな野郎は決して受け入れられるはずもないのは明白。

 で、今はどうかというと、こんな男でさえヒーローにはなり得ないほど、世の中がシラケきってしまっているとは言えないだろうか。少なくとも日本映画については見かけの興行収入とは裏腹に、もはや単純明快なヒーローは存在しないかのごとくつまらない映画が目立ち、せいぜいがノスタルジーにまみれた後ろ向きのチンケな“夢”でお茶をにごしている。これじゃあ面白くない。

 私としては少々ぶっとんではいても、この映画の主人公を支持したい。まったくこのように世の中を渡っていけたらどんなにか楽しいだろう。

 “人生で大事なことはぁ、タイミングにC調に無責任。とぉーかぁーくこの世は無責任。コツコツやる奴ぁ、ゴクローサン!!”(テーマ曲の一節です)。
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「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」

2007-04-29 18:22:43 | 映画の感想(た行)

 原作はイラストレーターのリリー・フランキーが亡き母への思いを綴った、200万部突破の自伝小説ということで、映画に先立ちテレビドラマ化もされている。なかなか好評のシャシンらしいが、正直私は“単なる人情話”としか思えなかった。

 監督は松岡錠司だから、ドラマ作りは実に丁寧で安心して観ていられる。松尾スズキのテンポの良い脚本もストーリーがお涙頂戴一辺倒になるのを巧妙に避けているようだ。もちろんオダギリジョーや樹木希林などキャストの演技は万全。しかし、それでも違和感は拭えない。今、この映画を観なければならない必然性がまるで感じられないのだ。

 主人公の故郷である北九州市および筑豊では炭坑の閉鎖(時代の流れ)により大きな社会的な影響を被るが、それをシビアに描こうとする気配もない。ただ“客観的事実”として流すのみ。斜陽となった石炭業に従事する者やその家族の苦悩を曲がりなりにも扱っていた「フラガール」よりも数段“後退”したスタンスに呆れるばかり。

 断っておくが、炭坑町の有様を克明に描いてリアリズムに徹せよと言っているわけではない。しょせん娯楽映画だから必要以上に重くなるのは禁物だ。しかし、社会的背景や何やらをすべて捨象することは“人情物に徹しさえすれば観客は喜ぶのサ”という身も蓋もない製作姿勢を垣間見させることにもなり、実に愉快ならざる印象を受ける。果たして、こんなので良いのか? こういうものをみんな観たいのか?(まあ、観たいんだろうね。私はイヤだが)。

 いくら脚色されているとはいえ、(たぶん原作では強調されているであろう)主人公の上京後の馴れ合い的な生活と“何となく”認められていく過程は、作者の自慢話よろしく“どうでもいい”という感想しか持てない。それに“オカン”が理想的に描かれすぎているのは、主人公のマザコンぶりをあらわしているとも言えよう。不必要なモノローグが多すぎるのも興醒めだ。邦画バブルの一翼を担ったシャシンとしか捉えられない一作である。
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「バックドラフト」

2007-04-07 07:41:52 | 映画の感想(は行)

 (原題:Backdraft )91年作品。シカゴ消防署員の活躍を描くロン・ハワード監督作。題名の“バックドラフト”とは、火事によって酸素が使い果たされ、燃えない自然ガスが充満している室内に入るときに起こる、爆発による逆気流現象のこと。

 物語は父や兄(カート・ラッセル)と同じく消防士の道に飛び込んだ主人公(ウィリアム・ボールドウィン)を中心に展開し、それに消防署の合理化をもくろむ市会議員や放火事件を追う調査官(ロバート・デニーロ)らがからむ。

 圧倒されるのが火災現場のスペクタクル・シーンである。まったくどうやって撮ったのかわからないぐらい実写とSFXの合成がうまくいっており(ジョージ・ルーカス傘下のILMが全面的バックアップ)、すさまじい映像の迫力を生んでいる。特に素晴らしかったのは炎の描写で、多数の人命を奪う恐ろしさを強調しつつも、そこにうっとりと見とれるような美しさをも表現しており、狂気の放火常習犯(ドナルド・サザーランド)が火事に魅せられるのも無理はないと思った。毎回危機一髪の修羅場を乗り越える消防署員の命知らずの働きぶりも見ものだ。

 しかし、満点の出来とはいえない。主人公の兄の別れた妻子を描くシーンになると、どうも演出がパッとしなくなる。これは主人公のかつての恋人を描くくだりも同様で、女性の描き方がいま一歩の感ある。さらに、市会議員のスキャンダルうんぬんの部分は、明らかに物語をひねり過ぎで、ここはバッサリ切って消防士だけのドラマにした方が数段よかったといえる。ラストもちょっとくどく感じるところもあった。

 とはいっても、映画史上に残るほどの素晴らしいサウンド・デザイン(ひところAVフェアのデモに頻繁に使われていたほど)も含めて、観て損はしない映画だ。
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「かげろう」

2007-04-06 23:08:36 | 映画の感想(か行)
 (原題:Les Egares)2003年作品。1940年、ドイツ軍の攻撃から逃れるためパリから郊外に脱出した母子と、そこで出会った謎の少年との交流を描く。ジル・ペローの自伝的小説をアンドレ・テシネが脚色し、演出も担当している。

 一家の主を戦争でなくした喪失感により、得体が知れないが頼りにはなる少年を次第に受け入れてゆく主人公達の心理がよく描けている。また、戦死者から所持品を躊躇なく盗む少年の行動に、当人のの闇を投影すると共に、死が日常茶飯事になった戦争の不条理を象徴させている作劇には納得できる。母親役のエマニュエル・ベアールと少年に扮するギャスパー・ウリエルの演技も申し分ない。

 しかし、通りかかった兵士たちが戦争の終わりを知らせて去って行った後の終盤の展開がやけに慌ただしい。もっとじっくり登場人物の内面的動きを追うべきではなかったか。おかげでラストの処理も唐突に過ぎて余韻が乏しくなってしまった。上映時間は1時間40分弱だが、もう20分ほど延ばしてそのあたりを描き込んだ方が良かった。

 とはいえ、アニエス・ゴダールのカメラによる映像(特に美しい田園地帯の風景)は素晴らしく、これだけで入場料のモトは取れる。
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「きょうのできごと a day on the planet」

2007-04-05 06:48:40 | 映画の感想(か行)
 2003年作品。面白くない映画だ。大学院に進学した友人の引越祝いのため新居に集まる若者たちを中心に、複数の場所で同時進行する“一日の出来事”を追う柴崎友香の同名小説の映画化。

 たぶん作者側では、このような何の変哲もない日常茶飯事が人生を決めてゆくものであり、映画の題材として扱う価値は大いにある・・・・と思っているのだろう。しかし、それを劇映画として人様に見せるには、面白可笑しく各エピソードを描くか、あるいはリアリズムに徹して観客の共感を呼ぶように仕向けるか、どちらかのアプローチが必要だ。

 ところが実際には「自殺志願の女子高生が見つけた、砂浜に打ち上げられた鯨」だの「ビルとビルの間にはさまれて身動きが取れなくなった男」だのといった「絵空事ではあるが、全然面白くない話」が微温的に流れるだけ。要するに中途半端なのだ。時制をバラバラにしているのも鬱陶しいだけ。

 妻夫木聡や柏原収史、山本太郎、池脇千鶴、北村一輝といった多彩なキャストにも演技らしい演技はさせていないし、田中麗奈と伊藤歩のわざとらしい舌っ足らずな「関西弁もどき」には虫酸が走った。とにかく、監督の行定勲は「GO」だけの“一発屋”だということを認識できた。
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「今宵、フィッツジェラルド劇場で」

2007-04-04 06:43:28 | 映画の感想(か行)

 (原題:A Prairie Home Companion)ヴァージニア・マドセン扮する天使(死神)こそが、ロバート・アルトマン監督の“本性”を象徴していたのかもしれない。数多い登場人物を見守り励ますと同時に、意地悪く窮地に陥れる。ただし善と悪と、強欲と潔癖さと、高潔さと卑俗さとが入り混じったこの作品世界こそが、世の中そのものだと言わんばかりで、それをオレはそのまま描いていただけだ・・・・というアルトマンの本音だったのかもしれない。

 逆に言えば、そんな“作者のスタンスを表現するキャラクター”を前面に押し出したこと自体、晩年を迎えたアルトマンの幾分の“自嘲”とも“照れ”とも言える内面の発露であり、観ていて切ない感慨を呼ぶのである。彼の最後の作品になったこの映画は、上映時間がそう長くはない。年齢上、長時間映像を引き回すようなパワーは無かったのかもしれないが、簡潔で枯れたような達観を感じさせる本作も十分に魅力的だ。

 とうの昔に無くなっていてもおかしくない、昔ながらのラジオショーのステージの様子は、すこぶるノスタルジックで映画的興趣に満ちている。そのラストの舞台に集まったのは、かつてここでお世話になったミュージシャンたち、それもメジャーな奴は一人もおらず、ドサ回りで糊口をしのいでいるような連中ばかり。それでも、彼らなりに人生の哀歓を十分味わっており、作者は一人一人を愛着のこもった眼差しでとらえる。

 脚本にほとんど無駄なところはなく、語り口は洗練されている。メリル・ストリープ、トミー・リー・ジョーンズら多彩なキャストも実に楽しそうに演技している。探偵気取りの警備員を演じるケヴィン・クラインの飄々とした狂言回しぶりも、実に嬉しい。

 流れる音楽がこれまた絶品で、よく聴けばそんなに魅力的なメロディラインではないものの、吹き替え無しで歌う俳優たちの頑張りと、カントリー&ウエスタン特有のリラックスした雰囲気が画面を盛り上げる。パワー一辺倒だった「ドリームガールズ」の芸のなさとは段違いだ。アルトマンの旧作を見直してみたい気になった。
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「ドッグヴィル」

2007-04-03 06:52:54 | 映画の感想(た行)
 (原題:Dogville)2003年作品。ロッキー山脈の麓にある小さな村ドッグヴィルに警察とギャングから追われて逃げ込んだ女が遭遇する不愉快極まりない出来事の数々を描くラース・フォン・トリアー監督作品。

 閉鎖的な地域共同体の欺瞞を扱った映画としては過去に増村保造監督の「清作の妻」や橋浦方人監督の「海潮音」などがあるが、それらと比べてこの映画は大幅に落ちる。なぜなら本作は“観客に不快感を与えること”だけを目的にしているからだ。もっとも増村保造などにしても相当に露悪的なスタンスを取ってはいたが、共同体の構成員が抱える事情やジレンマは的確に描かれ、人間観察にはそれなりの成果をあげていた。だからこそ作品の衝撃度も高かったのだ。対して本作の登場人物はすべて“記号”でしかない。

 スタジオの床に白線を引いて少量の家具だけを並べるという、一見“野心的”で実は“単なる思いつき”に過ぎないセットが作品の空虚さを強調する。カラッポの舞台でカラッポの人間たちが繰り広げる中身のない“寓話”で誰が感銘を受けるのだろうか。

 たぶんトリアー監督は他人に対して真摯に向き合うことがないまま生きてきたのだろう。でも、今まではその“世間知らずぶり”を全面開示しても許されるような要素を作品に挿入してきた。それは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のビョークのカリスマ的な存在感であり、「奇跡の海」の呆気にとられるようなラストシーンであり、「ヨーロッパ」の目のくらむような映像ギミックであった。

 対してこの映画には何もない。デジカムによる薄汚い画面が続くだけの3時間近い上映時間。あらずもがなのラスト。お決まりの薄っぺらいアメリカ批判もお寒い限り。ハッキリ言って、見所はゼロだ。カンヌ映画祭で無冠だったのも当然だと思われる。
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「アルゼンチンババア」

2007-04-02 06:45:19 | 映画の感想(あ行)

 ヘタな映画だ。よしもとばななの原作は未読だが、映画を観る限りでは三流テレビドラマ並の筋書きである。

 妻を亡くした墓石職人が町はずれに住んでいる“アルゼンチンババア”と呼ばれるヘンな女のところに入り浸って現実逃避するというメイン・ストーリーは、溢れんばかりの説明的セリフにより“語るに落ちる”ようなレベルに低迷。そして彼がやがて“現実”に向き合って“ババア”のもとから帰宅するプロセスも図式的に過ぎ、映画的興趣のカケラもない。どうやら作者は単に粗筋を追うことだけで作品が出来ると思っているようだ。

 “ババア”の住む屋敷のエキゾチシズムたっぷりのたたずまいと、古い家屋を残す純和風の町並みとのコントラストだけは効果的だが、それを十分活かすような作劇の工夫もない。つまらない物語を何とかトレースすることしか出来ないのなら、せめて“ババア”が得意としているというタンゴ(ダンス)を扇情的なまでに盛り上げて雰囲気ぐらい出さなきゃならないのだが、これもまるで不発。

 極めつけは、キャスティングの拙さ。いくら何でも“ババア”役に鈴木京香というのは無理がある。若すぎるし、変人というわりには妙に小綺麗。しかも終盤の展開は“ババア”が少なくとも40代半ば以上でないと成立しない話なのに、いけしゃあしゃあと“泣かせ”のルーティンを垂れ流しているところなど、この監督(長尾直樹)は相当な無能と言えよう。相手役の役所広司もミスキャスト。絶望に打ちひしがれているようには全く見えず、自分の伊達酔狂で“世捨て人の振りをしている”としか思えない。ここはもっとひ弱なキャラクターの俳優をあてがうべきだった。

 あれこれ言う価値もない駄作だが、唯一の収穫は石工職人の高校生の娘(本編の実質的な主人公)を演じる堀北真希である。昨今、邦画界では二十歳前後より下の女優に良い人材が多数揃っていることが話題になっているが、彼女もすこぶる魅力的だ。単純に見た目がピュアで可愛いのはもちろん、演技面も健気に頑張ってるところがひしひしと感じられて、思わず観る側も応援したくなってしまう(笑)。今後はもっと主役を張って欲しい成長株である。
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「沈黙の要塞」

2007-04-01 18:57:58 | 映画の感想(た行)
 (原題:On Deadly Ground)94年作品。スティーヴン・セガール主演作といえば、今では全くのイロモノ扱いで、好事家が突っ込み入れながら笑って楽しむぐらいの存在感しかないのだが、90年代前半にはアクションの王道・・・・みたいな扱われ方を一時されたような・・・・気もしたのである(笑)。そのきっかけになったのが93年作品の「沈黙の戦艦」で、出来としては三流だったがスケール感だけはあった。で、その映画のヒットでイイ気になったセガール御大が、よせばいいのに監督にも挑戦したのが本作。

 アラスカを舞台に、環境破壊の元凶である大手石油会社のコンビナートを、悪徳社長(マイケル・ケイン)とその用心棒ともども粉砕するというハナシ。最初は一介の石油火災専門の消防士みたいな設定であらわれるが、実は元軍の特殊部隊のエージェントで、という筋書きは前回と変わらないが、マヌケなストーリー展開は相変わらずだ。

 アメリカ海軍の全面協力によるところが大きい前回と違って、今度はセットから何からすべて自前で用意し、要塞みたいなコンビナートなどのセットは一瞬“へえ”と思わせるが、ただそれだけ。アクションの段取り、ここがこうなるからああいう見せ場があるのだ、というセッティングなどまるで考えていない。行きあたりばったりにハデな爆破シーンだけが延々と展開するのみ。コンビナート内の位置関係を見せて観客を納得させるとか、爆破のタイムリミットを強調してハラハラさせるとか、ちったあ芸を見せろってーの。

 このオッサンの一番ダメな点は、緊張感がまるでないことだ。少しぐらいピンチになるとか、考え悩むとかしたらどうだと言いたくなる。すべてに事務的、工夫ナシ。あの無表情な顔で、押し寄せる敵を“ハイいっちょあがりぃ。次ィ”てな具合で機械的に処理するだけでは、娯楽映画の醍醐味もへったくれもありゃしない。自分の東洋的な風貌を生かしてかどうかは知らないが、今回は公害に悩むエスキモーたちの救世主みたいな設定をオカルト風に味付けして紹介しているあたりは失笑もので、盛り上げるどころか視点はボケていくばかりである。

 ラスト近くに主人公が環境破壊反対の一大シュプレヒコールをぶち上げるが、なかなか厳しい糾弾なのはいいとして、それまで自分がやった大暴れは何だったのかと言いたい。アラスカの大自然のどまん中で(この映画の唯一の見所はワイド・スクリーンでとらえたアラスカの美しい風景である)石油コンビナートを破壊したら、流出した原油が周囲の環境を悪化させるのは当然。期限内にコンビナートが稼動しなければ採掘権がエスキモーに移る、といった前提なら、ハデにぶっ壊さなくても小規模な妨害工作で工事を遅らせれば十分だったはず。実にお粗末なストーリーだ。

 どう考えてもセガール御大は演技面で主役を張れるようなタマではなく、今後もこの路線だと尻すぼみになることは確実だが、「エグゼクティブ・デシジョン」(95年)みたいに脇に回れば何とか仕事が続けられるかもしれない・・・・と、どうでもいいことを考えてしまった(爆)。
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