元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「セプテンバー5」

2025-03-15 06:10:06 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SEPTEMBER 5 )実録物らしい緊迫感はあり、最後まで引き込まれることは確かである。ただし、鑑賞後の満足度はそれほど高くはない。これはひとえに、扱われている事件は広く知られており、その“結末”も皆が分かっているからに他ならない。主題や各モチーフは骨太ではあるのだが、本作ならではのインパクトには欠ける。このあたりが、各賞レースでは今ひとつ振るわない理由かもしれない。

 1972年9月5日、開催中のミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織がイスラエル選手団を人質に立てこもる事件が発生。当大会のテレビ中継を担当していたのは米ABCだったが、現地にいたのは報道番組とは無縁のスポーツ専門の放送クルーたちだった。しかし、他セクションからの応援をアテにする余裕など無い。テロリストの要求はエスカレートするばかりで、状況が逼迫する中、彼らは徒手空拳でこの難局に立ち向かう。

 突発的な非常事態が起きた際の、マスコミの対応はどうあるべきかは過不足無く描かれているとは思う。畑違いの業務を強いられながら、知恵と工夫で一つ一つ難題を解決していくスタッフたちの苦労は理解出来る。しかもそれらが次々と切羽詰まったタイミングでクリアされていく様子は、映画的興趣は十分喚起される。

 しかし、ここで描かれているのはあくまでも“マスコミの対応”に過ぎないのだ。この事件の背景になっている中東情勢や、肝心のテロリストと当局側との交渉の状況、そして警察の動きといった、本質的なエリアには踏み込んでいない。テレビ局の苦労話ばかりをドラマティックに前面に出しても、何か違うという気がする。

 それでもティム・フェールバウムの演出は上手く機能しており、作劇に弛緩した部分は無い。ピーター・サースガードにジョン・マガロ、レオニー・ベネシュ、ジネディーヌ・スアレム、そしてベンジャミン・ウォーカーなどのキャストは達者だが地味だ。もっとも、それがまたリアリティを醸し出している。

 なお、本作を観て思い出したのがスティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」(2005年)である。あの映画はミュンヘンの人質テロ事件の“後日談”をイスラエル諜報特務庁の立場で描いた作品だったが、題材自体の求心力が高く、感心したことを覚えている。やはり実際に起きた事件を劇映画として扱うには、作家性を上手く織り込まなければ印象が薄くなるのは仕方が無いことなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ララミーから来た男」

2025-03-14 06:15:23 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE MAN FROM LARAMIE)1955年作品。勧善懲悪の図式を取ることが多かったそれまでの西部劇とは異なり、複雑な人間関係をフィーチャーし、一筋縄ではいかない展開を見せる。公開当時は異色作として受け取られたことだろう。かといって面白くないわけではなく、各キャラクターは十分に“立って”おり、適度な活劇場面も挿入される。

 ワイオミング州にあるララミー砦の陸軍大尉ウィル・ロックハートは、同じく軍属であった弟を新式の銃を持ったアパッチ族に殺され、その銃をインディアンに売った男を探し出すため、幌馬車隊の商人を装って銃取引の現場と思しきニューメキシコ州にやって来た。ところがその地域を仕切っているバーブ牧場のデイヴやヴィックらに襲われ、商品を焼き払われてしまう。



 それを知ったバーブ牧場の主人でデイヴの父親のアレックは、ウィルの損害を弁償する旨を申し出る。アレックの姪のバーバラの助力を得てこの町に滞在することにしたウィルだが、デイヴらを取り巻く一族の確執により、彼の身にも危険が迫ってくる。

 主人公の弟を殺したのはアパッチ族であるにも関わらず、ウィルは先住民を恨んでいないことが興味深い。もちろん実際問題として、アパッチ族を敵視しても事態は好転するはずがないのだが、本作ではそれを“当然のこと”にしている。やはり本作が製作された時期が、西部劇の内容の分岐点だったのだろう。



 映画の基本線は西部劇版“家族の肖像”という体裁で、もちろんウィルは活躍するのだが、ドラマの中心はバーブ牧場を経営する者たちの愛憎劇だ。特に、デイヴと遠い親戚筋であるヴィックとの関係性は奥行きを持って描かれる。アンソニー・マンの演出はウエスタンとしての外観をスポイルすることなく、巧みに人間群像劇としてのアプローチに徹している。

 マン監督とのコンビはこれで5本目となるジェームズ・スチュアートの演技は、さすがに安定している。アーサー・ケネディにドナルド・クリスプ、アレックス・ニコル、アリーン・マクマホンといった顔ぶれも手堅い。ヒロイン役のキャシー・オドネルは典型的美人タイプではないのだが、実にチャーミングだ。チャールズ・ラングのカメラによる、ニューメキシコの茫洋たる荒野の風景も良い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド」

2025-03-10 06:15:53 | 映画の感想(か行)
 (原題:CAPTAIN AMERICA: BRAVE NEW WORLD)巷の評価が芳しくないので期待はしていなかったが、実際観てみたらけっこう楽しめる。もちろん、この手のシャシン特有の“一見さんお断り”の雰囲気は拭えず、私もこのシリーズを全部チェックしているわけではないので、中身をすべて理解したとは言い難い。それでもあまり不満を覚えることなく、最後まで付き合えた。

 インド洋上に突如出現したセレスティアル島には、アダマンチウムという宇宙一の強度を持つ鉱物が埋蔵されていた。その資源をめぐって、各国の利害が交錯する。アメリカ大統領のサディアス・ロスは、事態収拾のため首都ワシントンにてサミットを開催することを決め、スティーヴ・ロジャースから“正義の象徴”である盾を託され二代目キャプテン・アメリカを襲名したサム・ウィルソンらに協力を依頼する。ところが、謎の組織の暗躍によって会議は紛糾。果ては世界大戦の危機まで訪れようとしていた。サムは弟分のファルコンことホアキン・トレスと共に、この難局に立ち向かう。



 敵の首魁はマーベル映画好きならば御馴染みなのかもしれないが、そうではない観客は前振り無しに出てこられても戸惑うだけだ。また、ロス大統領も“訳あり”であり、終盤には桜が満開のポトマック河畔で大立ち回りを見せるものの、唐突な感は否めない。ロスの側近の政府高官である、ルース・バット=セラフのプロフィールも掘り下げて欲しかった。

 しかしながら、活劇場面になると俄然引き込まれる。格闘シーンの段取りも感心できるものだが、白眉は空中戦である。特にサムは先代とは違い飛行能力があるので、ファルコンと“編隊”を組んでのバトルはスピード感がありスリル満点だ。アクション演出には定評があるジュリアス・オナーは良い仕事をしている。

 登場人物の中で一番印象的だったのは、日本の総理大臣の尾崎だ。アダマンチウムの精製技術を持つのは日本だけという設定で、当然そのトップも大きな責任感を持つ。しかも、劇中での日本は大きな軍事力を持っており、インド洋に機動部隊を派遣するなど積極的な手段に打って出る。尾崎を演じる平岳大のスマートさも勘案すると、現実の日本の首相との器の違いを痛感して苦笑いしてしまう。なお、この役名は1910年代に首都ワシントンに桜を移植した当時の東京市長である尾崎行雄に由来している。

 主役のアンソニー・マッキーをはじめ、ダニー・ラミレスにシラ・ハース、カール・ランブリー、ティム・ブレイク・ネルソン、セバスチャン・スタン、リヴ・タイラー、そしてロス大統領に扮するハリソン・フォードと、役者は揃っている。アベンジャーズの再結成も暗示させ、このシリーズを追いかけるのは今後も楽しみだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ソーシャル・クライマーズ」

2025-03-09 06:10:53 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SOSYAL CLIMBERS )2025年2月よりNetflixから配信。何と、フィリピン製のラブコメだ。フィリピン映画は過去に何本か観ているが、いずれも映画祭での鑑賞で、中身は社会派ドラマやサスペンス物などのヘヴィなものばかりだった。それだけにラブコメというのは珍しく興味を持って接したのだが、これがけっこう緩い。とはいえ面白くないわけではなく、大きな不満もなく鑑賞を終えた。配信作品ならばこのレベルでも許されるだろう。

 マニラの高級住宅の販売仲介を生業にしている不動産ブローカーのジェサと、フィナンシャル・プランナーのレイとの出会いはあまりスマートなものではなかったが、相思相愛になり互いに結婚を意識するような関係になっていた。ところが2人は思わぬ詐欺に遭い、多額の借金を抱えるハメになってしまう。窮地に瀕した彼らは身分を偽り、売りに出されている高級住宅にオーナーのフリをして住み込み、隣近所の富裕層から金をだまし取ろうとする。だが、この住宅地に出入りする画商が2人の正体を見破ったため、事態は紛糾する。



 いくらジェサが不動産に詳しいといっても、簡単に高級住宅に家人として潜り込めるはずがない。また、事情を知らずに物件の内見に訪れる客と、住民たちがニアミスするサスペンスも大して盛り上がらない。極めつけは、レイに思わぬ絵の才能があり、高値で売れる可能性がクローズアップされることだ。いくら何でも無理筋で、それだけ絵心があるのならば事前に前振りを入れるぐらいの作劇の工夫をするべきだ。

 しかし、あまり気分を害さず最後まで付き合えたのは、主演の2人の健闘に尽きる。ジェサに扮するマリス・ラカルとレイ役のアンソニー・ジェニングスは、本当に愛嬌があって好感度が高い。何となく応援したくなってしまうのだ(笑)。たぶん本国でも人気俳優なのだろう。話は終盤で紛糾してくるが、ストーリーを壊さない程度に留めているのは納得する。そしてもちろん、最後は収まるところに収まるのだ。

 ジェイソン・ポール・ラクサマーナの演出に特筆すべきものはあまり無いが、取り敢えずは安全運転に徹している。リッキー・ダバオにカルミ・マーティン、バート・ギンゴーナ、チェスカ・イニゴといった脇の面子はもちろん馴染みは無いが、皆良くやっていたと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「聖なるイチジクの種」

2025-03-08 06:20:12 | 映画の感想(さ行)
 (英題:THE SEED OF THE SACRED FIG)イランを舞台にしたサスペンス編。かなりシビアな題材を扱っており、ドラマ運びもヘヴィなタッチなのだが、如何せん脚本の完成度が低い。加えて167分という、かなりの長尺。エンドマークを迎えるまでは、けっこう忍耐力を要した。2024年の第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得するなど高い評価は得ているのだが、個人的には受け付けない内容だ。

 テヘランの司法機関に勤務するイマンは、20年にわたる真面目な勤務態度が評価されて予審判事に昇進する。ところが与えられた仕事は、反政府デモの逮捕者を冤罪で処罰するための御膳立てである。さらに、報復の危険があるため家族を守る護身用の拳銃が国から支給される。ある日、自宅で厳重に保管したはずの銃が消えてしまう。当初はイマン自身の過失かと思われたが、やがて妻ナジメや長女レズワン、次女サナの3人のうち誰かが隠したのではないかという疑惑が生じる。不穏な空気が流れる中、事態は思わぬ方向へと狂いはじめる。



 シナリオも担当したモハマド・ラスロフの仕事ぶりは褒められたものではなく、各キャラクターの性格付けがハッキリとしないまま、やたら深刻な筋書きばかりが語られる。そもそも、拳銃が紛失する必然性が曖昧だし、終盤で明かされる“犯人”の設定もまるで説得力が無い。映画は不穏分子を手当たり次第に検挙する当局側の不正義をまず告発しなけれけばならないはずが、主人公一家のゴタゴタばかりが長時間前面にて出て来てしまい、観ている側は途中で面倒くさくなってくる。

 後半のイマンの言動に至っては完全なホラー映画のノリで、いったい何を見せられているのかと呆れるばかりだ。それでも、監督は本作により母国イランで政府を批判したとして複数の有罪判決を受け、判決確定後にドイツへの亡命を果たしている。この程度で生きるか死ぬかの選択を迫られることになるとは、彼の国の情勢はひと頃より良くない雰囲気になっているのだろうか。そのあたりが垣間見えたのが、この映画に接したことの唯一のメリットだと思う。イマンに扮するミシャク・ザラをはじめ、ソヘイラ・ゴレスターニにマフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ、ニウシャ・アフシとキャストは皆好演。それだけに中身の薄さが残念だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ナイスガールズ in ニース」

2025-03-07 06:21:58 | 映画の感想(な行)
 (原題:NICE GIRLS)2024年8月よりNetflixから配信されたフランス製のアクションコメディ。ハッキリ言って、あまり上等ではない。筋書きが行き当たりばったりで求心力に欠け、登場人物たちも映画を最後まで引っ張るだけの存在感が希薄だ。もちろん、劇場でカネ払って観る場合とは違ってテレビ画面での鑑賞だから過度な期待は禁物だが、もうちょっと気を利かせて欲しかった。しかしながら、映像面では見るべきものはある。

 フランスの南東部のニースの警察署に勤める女性刑事レオは、親しかった同僚のルドが出張先のハンブルクで殉職したことを知る。彼女は自分で犯人を挙げようとするが、上司のエルナンデスはドイツから派遣された刑事メラニーにこの事件を任せようとする。メラニーと強引にコンビを組んだレオは、凄腕ハッカーのバットを仲間に引き入れて、捜査を始める。



 主人公2人に魅力が乏しいのが致命的で、通常この設定だと性格と信条が正反対でチグハグな言動により笑いを呼び込むのが普通だが、本作の場合は両人とも似たような無鉄砲なタイプで面白味に欠ける。バットは冷静に振る舞うのだが、それだけでは盛り上がらない。

 この事件はニースで開かれる環境サミットの責任者を亡き者にして環境問題の解決を後退させようとする組織の仕業なのだが、どうも動機としては弱いし、なぜルドが犠牲になったのかも釈然としない。主人公たちよりも、敵の女スナイパーの方が数段目立っている始末。

 ノエミ・サグリオの演出はピリッとせず、テンポが良くない。こんな調子なので、活劇場面が連続する後半の印象も薄い。レオに扮するアリス・タグリオーニとメラニー役のステフィ・セルマは大した存在感はなく、バットを演じるバティスト・ルキャプランはいくらかマシだが、全体的に面子不足は否めない。

 ただし、舞台になった南仏ニースの風景は素晴らしく美しい(世界遺産でもある)。こういう土地で長期のバカンスを楽しみたいと、本気で思えてくるほどだ。ニースといえば、毎年2月に開催されるカーニバルは有名だし、ジャズフェスティバルも知られている。このあたりをフィーチャーしてくれれば、なお良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「愛を耕すひと」

2025-03-03 06:11:25 | 映画の感想(あ行)
 (原題:BASTARDEN )見応えのある大河ドラマだ。作劇が冗長になる点も少しあるが、崇高な使命を達成するために、立ちはだかる幾多の困難に正面からぶつかる主人公の姿は感動を呼ぶ。また、あまり知られていなかった彼の国の近世の有様が紹介されているのも興味深く、鑑賞後の満足度はかなり高い。

 18世紀のデンマーク。ルドヴィ・ケーレン大尉は軍を退役したばかりだが、手持ちの財産はほとんど無かった。そこで彼は貴族の称号をかけて、広大な荒れ地(ヒース)の開拓に着手する。だが、その土地を支配している有力者フレデリック・デ・シンケルは、開拓者の名声がケーレンに集まることを恐れ、露骨な妨害工作を仕掛ける。一方ケーレンは、デ・シンケルの非道な扱いから逃げ出したメイドのアン・バーバラや、身寄りの無い褐色の肌を持つ少女アンマイ・ムスらと、まるで家族のような関係性を構築する。デンマークの作家イダ・ジェッセンによる実録小説の映画化だ。



 正直言って、映画作家が好んでやりたがるヴィジュアル面でのケレンやトリッキィな展開等が無いのは、物足りなく感じる向きもあるだろう。しかし、正攻法に徹する方がこういう歴史ドラマでは効果的なことがある。ましてや、本作で扱われている題材は本国の歴史好き以外の観客にはお馴染みではない。だから愚直なまでにストレートな手法に徹するのも、決して間違いではないのだ。

 しかしながら、主人公とデ・シンケルとの関係は“真面目な庶民と悪代官”という。娯楽時代劇の鉄板の設定であることも確かである。エゲツないことを平気で繰り出してくるデ・シンケルと、それに耐えつつも何とか逆転の方策を練るゲーレンとの対立は、それがエスカレートするほどドラマ的に興趣を呼び込む。

 終盤、ついには究極的に手荒な方法を選ぶデ・シンケルに対し、これまた堪忍袋の緒が切れたような実力行使に走るケーレンとその仲間の姿は、カタルシスが横溢してかなりの盛り上がりを見せる。この一件から年月が経過した状況が紹介されるラストに至っては、主人公の功績と尽きせぬ夢が強く印象付けられ、余韻を残す。

 ニコライ・アーセルの演出は骨太で、前半部分は小回りが利かない箇所も見受けられるが、概ねドラマ運びは揺るがない。主演のマッツ・ミケルセンは、まさに横綱相撲。そこにいるだけで絵になる存在感は、映画を最後まで引っ張るには十分だ。アマンダ・コリンに敵役のシモン・ベンネビヤーグ、子役のメリナ・ハグバーグに至るまでキャストは万全。ヒースの茫洋とした風景を捉えた映像も良い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「GTMAX」

2025-03-02 06:21:26 | 映画の感想(英数)

 (原題:GTMAX )2024年11月よりNetflixから配信されたフランス製のアクション編。特に高評価するようなシャシンではないのだが、あまり堅いことを考えずに眺めていれば退屈せずに過ごせるし、まあ悪くないのではないだろうか。もちろんカネ払って映画館で鑑賞したならばストレスを感じるところだが(笑)、テレビ画面だと何となく許せてしまう。

 主人公のソエリは、かつてモトクロスの女王として数々のタイトルをモノにしてきたが、数年前の事故によるトラウマでバイクに乗れなくなり、今は家族がパリ市内で運営するモトクロスチームの世話役を担当している。弟のテオもレーサーだが、成績はいまひとつだ。そんな中、彼は悪名高いバイカー強盗団の犯行計画に巻き込まれてしまう。警察は頼りにならず、ソエリは単身組織に立ち向かう。

 犯罪者グループが街中でバイクの改造ショップを営んでいるあたりは噴飯物だが、そういうモチーフに代表されるように本作のドラマの建て付けは緩い。もう少し登場人物たちがシッカリしていれば、そして警察がちゃんと仕事をしてくれれば防げたヤマではなかったのか。そもそも、レースで使うのならばともかく、市販バイクを改造しなければならない必然性は希薄だ。ヘタすれば強盗をやらかす前に違法改造でパクられる。

 ソエリと敵方とのやり取りもピリッとせず、全面対決の運びになるまでが冗長だ。とはいえ、アクション場面には非凡なものを感じる。冒頭のモトクロス大会の様子は門外漢の者でも思わず見入ってしまうし、中盤近辺から徐々に挿入されるバイクの疾走シーンの数々は本当に良く出来ている。

 クライマックスはもちろんトラウマを克服した(ように見える)ヒロインと、悪者共との一大バトルだ。監督のオリヴィエ・シュニーデルの仕事ぶりは作劇部分はいただけないが、活劇になると目覚ましい働きを見せる。たぶんバイクの取り扱いにも長けているのだろう。アイデアに満ちたショットの連続で飽きさせない。

 主演のエイバ・バヤはキツめの表情としなやかな身のこなしで好印象だし、ジャリル・レスペールにジェレミー・ラウールト、ティボー・エブラル、リアド・ベライシュといった脇の面子も(馴染みはないが)良好だ。それにしても先日観た「アドヴィタム」といい本作といい、フランスではけっこうアクション映画もコンスタントに製作されているように感じる。まあ、今のフランス映画界には国外にまで知られた有名スターはいないので、配信ルートでしか紹介されないのは仕方が無いのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ショウタイムセブン」

2025-03-01 06:10:01 | 映画の感想(さ行)

 マスコミの欺瞞を告発したような内容で、日本映画にしては珍しく攻めたネタだと思ったら、何とこれは2013年製作の韓国映画「テロ,ライブ」のリメイクなのである。企画もヨソから“輸入”しなければ提示できないほど、邦画界のヴォルテージは落ちているらしい。さらに出来自体も“本家”には及ばず、暗澹とした気分になってきた。

 ある日の午後7時、ラジオ局に“発電所で爆破事件が起きる”という怪しい電話が掛かってくる。パーソナリティの折本眞之輔はイタズラだと思ってまともに相手にしなかったのだが、直後に本当に発電所で爆発事故が発生する。爆弾は他にも仕掛けられているらしく、犯人は交渉役に折本を指名してきたのだ。実は彼は以前人気ニュース番組“ショウタイム7”の司会を担当していたが、ある事情でラジオ番組に“左遷”されていた。これは元職に復帰できるチャンスだと思った折本は、本番中の“ショウタイム7”のスタジオに乗り込み、犯人との生中継を強行する。しかし、爆弾はスタジオにも設置されていた。

 序盤に、主人公が局内で事件の関係者らしき者と“ニアミス”してしまう時点で、鑑賞意欲が減退した。さらに主人公の立ち振る舞いやスタジオ内の雰囲気、さらにプロデューサーの造型など、これはどう見たってテレビドラマ並みの建て付けでしかない。爆弾は番組出演者のイヤホンなど身近な箇所にも仕掛けてあるのだが、どうやってセットしたのか皆目分からない。

 犯人をよく知る人間が番組に出演するシークエンスは展開に気合いが入っておらず、その者が“退場”するシーンも間が抜けている。折本の元妻がリポーターとして発電所の現場に出向いているのだが、これが何の有効なプロットにもなっておらず、元ネタの韓国映画の切迫度に比べれば、児戯に等しい。脚本も手掛けた渡辺一貴の演出は凡庸の極みで、本作がカネ取って劇場で見せる“商品”であることを失念したようなレベルだ。

 それでも折本に扮する阿部寛の頑張りは印象的で、オーバーアクト気味ながら観客を惹き付けるパワーはあった。しかし、その他のキャストが壊滅的。プロデューサー役の吉田鋼太郎の演技はステレオタイプだし、キャスターを演じる竜星涼と生見愛瑠のパフォーマンスは呆れるほど稚拙。安藤玉恵に平田満、井川遥、錦戸亮らも精彩が無い。極めつけは某音楽グループが出てくるラストの処理で、いったい何の茶番かと思ってしまった。率直に言って、観なくても良い映画である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地上より永遠に」

2025-02-28 06:12:15 | 映画の感想(か行)

 (原題:FROM HERE TO ETERNITY )1953年作品。邦題は“ここよりとわに”と読む。1954年の第26回米アカデミー賞で作品賞など8部門を獲得したシャシンとのことだが、正直ピンと来ない内容だ。監督が西部劇の傑作「真昼の決闘」(1952年)を手掛けたフレッド・ジンネマンながら、明らかに気合いが入っていない。とはいえ、当時は“この程度”の作品がウケたのだろうという、資料的な意味はあると思う。

 1941年、ハワイのホノルル陸軍基地に配属された二等兵のプルーイットは、かつては軍主催のボクシング大会で好成績を収めた実力者だが、試合中の事故がトラウマになってそれ以来リングには上がっていない。そんな彼を中隊長はボクシング部に入れようとするが、プルーイットは拒否し反抗的な態度を隠さないようになってくる。ある日、プルーイットはクラブで知り合ったロリーンと恋仲になる。一方、人望が厚いウォーデン曹長は中隊長の妻カレンと不倫関係にあった。そして運命の12月8日が近付いてくる。

 いくら日本との開戦が明確に予想出来ていないとはいえ、この陸軍基地の雰囲気は緩すぎないだろうか。浮気話だの歓楽街でのアバンチュールだの、随分と気楽なものだ。しかも、それらが深く描き込まれているわけでもない。感情移入出来る登場人物が見当たらず、各人が好き勝手に振る舞っているだけだ。こんな連中がどうなろうと、観ている側は知ったことではない。

 もちろんプルーイットと同僚たちが送る軍隊生活は楽ではないが、過酷とは言えない。剣呑な話はあるものの、それは仲間内のもめ事であり、軍属に関するシビアな事柄でもないのである。その点、同じく軍隊を舞台にしたテイラー・ハックフォード監督の「愛と青春の旅だち」(82年)の方が断然訴求力が大きい。

 ただし、キャストは万全。ウォーデン役のバート・ランカスターは、やっぱり何をやっても絵になる。プルーイット役のモンゴメリー・クリフトの存在感は言うまでもないし、同僚マッジオに扮するフランク・シナトラは意外なコメディ・リリーフ担当だ。カレンを演じるデボラ・カーとロリーン役のドナ・リードは、本当にキレイである。封切り時には、この顔ぶれを見ているだけで満足する観客も少なくなかっただろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする