元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「愛にイナズマ」

2023-11-27 06:23:07 | 映画の感想(あ行)
 同じく石井裕也監督が手掛けた「月」が本作に先立って公開されているが、この2本を観比べると石井監督の資質が明確に認識できる。前にも書いたが、彼の作風は変化球主体だ。よって、シリアスなアプローチが不可欠な時事ネタを扱った「月」などという映画は一番不向きである。対してこの「愛にイナズマ」は石井自身のオリジナル脚本であることもあって見事にオフビートな内容と手法がフィットしている。今年度の日本映画を代表する快作だ。

 折村花子は映画監督になる夢を抱いて上京し、長い下積みを経てやっと劇場用長編デビュー作を撮れるチャンスが巡ってきたように思えた。しかし、悪徳プロデューサーにだまされて企画もシナリオもすべて奪われ、無一文で放り出されてしまう。そんな折、彼女は得体が知れないが何となく魅力がある舘正夫と出会って意気投合。自身の家族を題材にした映画を撮るべく、正夫と共に約10年ぶりに実家を訪れる。花子は音信不通だった2人の兄と父親を交えてカメラを回すのだが、父親の治はある秘密を抱えていた。



 花子は映画製作一筋という、この年代の女子にしてはまあ変わったタイプなのだが、そんな彼女がマトモに見えるほど周りのキャラクターがキテレツだ。得体の知れない愛嬌めいたものがある正夫をはじめ、世間慣れしていることを世間離れするほどに自慢している長男の誠一と、性格がちょっとアレなのになぜか聖職者として教会に勤めている次男の雄二、そして治は地元では有名な暴れん坊だ。なお、花子たちの母親はとうの昔にヨソの男と一緒に家を出ている。

 この“どうしようもない家族”に向かってカメラを回す花子だが、そんなイレギュラーな面々を描いていると、不思議なことに本来の家族の絆がペーソスたっぷりに活写されてくるあたりが玄妙だ。治の置かれた立場と、それに対峙する子供たち(および正夫)の関係性が浮かび上がり、終盤には感動巨編になってしまう。

 この、変化球の連投の中に時折ストレートを織り込むという石井監督の得意技が活かされるには、「月」のようなシリアスな原作ものではなく、自身が企画・脚本まで手が掛ける本作が的確だろう。散りばめられたギャグも鮮やかに決まり、2時間半近い長い尺もテンポの良い演出で気にならない。主演の松岡茉優は若手屈指の実力派だけあり、大熱演を繰り広げながら絶対にオーバーアクトにならないクレバーさには脱帽だ。

 正夫役の窪田正孝、兄たちに扮する池松壮亮と若葉竜也、そして治を演じる佐藤浩市ら、皆さすがの“腹芸”を見せる。加えて仲野太賀にMEGUMI、三浦貴大も怪演を披露し、趣里や高良健吾をチョイ役で起用するという贅沢な御膳立ても見逃せない。主な舞台になる海沿いの街はロケ地はどこか分からないが、そのローカル色豊かな佇まいには感心した。
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「タイラー・レイク 命の奪還2」

2023-11-26 06:07:17 | 映画の感想(た行)

 (原題:EXTRACTION Ⅱ )2023年6月よりNetflixより配信された活劇編。前作(2020年)のラストでどう見ても主人公は助からないと思っていたが、この続編では冒頭に奇跡的に一命を取り留めて、過酷なリハビリの後“現場”に復帰する。パート1の評判の良さを受けて作られたシャシンだが、正直言ってドラマの組み立ては前回ほどではない。だが、主人公たちが程度を知らない大暴れを始めると、けっこう盛り上がるのだ。あまり難しいことは考えずに対峙するのが得策だろう。

 オーストラリア人の傭兵タイラー・レイクの新たな任務は、ジョージアの残忍なギャングの家族が刑務所に監禁されているので、それを救うことだ。早速タイラーは仲間たちと共に東欧にある刑務所を急襲し、大々的な銃撃戦の末にその家族を救出してオーストリアのウィーンまで行き着く。ところがそのギャングに心酔する十代の息子の密告により、悪者どもは大挙してウィーンまで押し寄せてくる。

 そのギャングの一味とタイラーは過去に確執があったらしいが、ハッキリとは描かれていない。また、たとえ言及されていたとしても大した扱いは期待できないだろう。前回に引き続き、タイラーの内面は詳しく描かれていない。彼の仲間の正体も不明だ。この映画は徹底してアクション描写に特化した作りになっており、一種のアトラクションと言って良いと思う。

 カメラをほとんど切り替えない臨場感溢れる戦闘シーンにはやはり身を乗り出して観てしまうし、後半のウィーン市街地での死闘は活劇の段取りが実に上手く考えられている。例によって相手方の放った銃弾はなかなか当たらないが、タイラーたちの攻撃はことごとくヒットする。このあたりの御都合主義は“お約束”なので野暮は言うまい(笑)。それにしても、東欧のヤクザどもはシシリアン・マフィアなどと同じく血脈や義理を重視する傾向にあるのは興味深い。もちろん土壇場では欲得に走ってしまうのだが、このファミリー的な体裁がくだんの家族の長男がタイラー側に容易に与しない理由でもある。

 連続登板になるサム・ハーグレイブ監督の仕事ぶりは相変わらずパワフル。無理が通れば道理は引っ込むとばかりに、ひたすらに力で押し込んでくる。この割り切り方もアリかもしれない。主役のクリス・ヘムズワースとパートナー役のゴルシフテ・ファラハニは好調で、ほぼ不死身な存在でありながらそれなりに傷付いているのは、けっこう観ていて身が切られる思いがする。

 トルニケ・ゴグリキアーニにアダム・ベッサ、ダニエル・バーンハード、イドリス・エルバら脇の面子も悪くないし、オルガ・キュリレンコとティナティン・ダラキシュヴィリの女性陣も画面に色を添える。ラストは次作もあることが示されるが、公開されればやっぱりチェックするだろう。
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「ドミノ」

2023-11-25 06:07:16 | 映画の感想(た行)
 (原題:HYPNOTIC)まず、この邦題はいただけない。確かに劇中でドミノ倒しのショットが一部入るのだが、原題とは懸け離れているし映画の中身とも大してリンクしていない。だいたい、トニー・スコット監督が2005年に手掛けた作品(あっちは原題通り)と被ってしまうではないか。こういう安易な提供の仕方が、映画の出来自体をも暗示しているようで釈然としない気分になる。

 テキサス州オースティン市警の刑事ダニー・ロークは、公園で一瞬目を離した隙に幼い娘が行方不明になったことが切っ掛けでメンタルを病んでしまう。しばらく休職していたが、何とか正気を保つために職務復帰するロークだったが、銀行強盗を予告するタレコミを受けて現場に向かった彼が見たものは、周囲の人々を自由に操ることができる謎の男だった。この難敵には歯が立たないまま退却を強いられたロークは、藁をもすがる思いで占いや催眠術を熟知している占い師のダイアナに協力を求める。



 序盤は黒沢清監督の快作「CURE/キュア」(97年)に通じるような、刑事と悪意のサイキッカーとの大々的バトルが展開されると思わせて退屈せずにスクリーンと対峙することができた。しかし、中盤からはこの設定そのものが覆されて混迷の度ばかりが増していくことになる。もちろん“今までのハナシは全部ウソで、実はこうでした”という方法論自体は悪くない。上手くやれば映画的興趣は高められる。しかし本作における“ハナシの真相”は、当初のポリス・アクション劇よりもショボいのだ。

 さらにこのドンデン返し(?)が繰り返されるごとにヴォルテージはどんどん下がっていく。挙げ句の果ては、作劇を放り出したように見える思わせぶりなラストに行き着いてしまう。これはひょっとして続編狙いかなのかもしれないが、この調子でパート2以降まで引っ張っても成果は望めないだろう。

 監督のロバート・ロドリゲスはデビュー作を含めた初期のシャシンでこそ存在感を発揮したが、昨今は精彩が無くこの映画も同様だ。キャスト面では主役のベン・アフレック以外は馴染みの無い顔ぶれで、しかも大したパフォーマンスをしておらず脱力するばかり。ただし、上映時間が94分とコンパクトであることは評価したい。無駄に長いハリウッド映画が目立つ中で、この割り切り方は賞賛に値する。
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長浦京「リボルバー・リリー」

2023-11-24 06:08:03 | 読書感想文

 今年(2023年)公開された行定勲監督&綾瀬はるか主演による映画化作品は観ていないし、そもそも観る気も無かった。事実、評判もあまりよろしくなかったようだが、この原作の方は大藪春彦賞を獲得して評価されていることもあり、取り敢えず読んでみた次第である。感想だが、とにかく長い。長すぎる。何しろ文庫版で642ページもあるのだ。それでも中身が濃ければ文句は無いのだが、これがどうも釈然としない内容。ストーリーを整理してこの半分ぐらいに切り詰めれば、タイトな出来映えになっていたかもしれない。

 大正末期の1924年。関東大震災から1年が経ち、東京の街の復興は順調に進んで以前のような活気を取り戻しつつあった。幣原機関で訓練を受けて16歳からスパイとして任務に従事し、東アジアを中心に50人以上を暗殺した小曽根百合は、その頃は引退して東京の花街で女将をしていた。あるとき、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・慎太と出会ったことで、彼女は慎太と共に陸軍の特殊部隊から追われるハメになる。

 アメリカ映画「グロリア」(80年)を思わせる設定だが、緊張感はあの映画にはとても及ばない。危機また危機の連続ながら、似たようなシチュエーションの繰り返しで途中から飽きてくる。主人公たち以外にも数多くのキャラクターが登場するが、意外にもそれらは深く描き込まれておらず、(敵の首魁も含めて)どれも呆気なく退場だ。

 そもそも、こういう題名を付けるからにはヒロインの銃器に対する執着を過剰なほど書き綴っても良いと思うのだが、淡泊で物足りない。ラストは予定調和ながら、カタルシスをを覚えるところまでは行かず。率直に言って、ヒロインの“現役時代”をアクション満載で語った方が盛り上がったと思う。

 また、舞台を大正時代に設定したことで町中で銃撃戦が勃発することの不自然さを払拭出来たのは良いとして、その時代の空気感の描出は不十分。単にレトロな大道具・小道具を並べただけのように思う。とはいえ、作者の長浦京にとってはこれが二作目で(発表は2016年)、これ以降もコンスタントに作品を発表しており、今は高い実力を身に付けている可能性は大いにある。機会があれば最近の作品も読んでみたい。
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「極限境界線 救出までの18日間」

2023-11-20 06:09:57 | 映画の感想(か行)
 (英題:THE POINT MEN )万全の出来ではないものの、最後まで緊張感が途切れず鑑賞後の印象は良い。こういう実録系のポリティカル・サスペンスを撮らせると、韓国映画は強さを発揮する。事態を十分に把握すると共に、的確に対処する術を正攻法に描く。もちろん娯楽性を加味するが、時にそれが“やり過ぎ”と思われるケースはあるものの、題材の重さもあって許容出来る。少なくとも、今の日本映画には出来ない芸当だ。

 2007年、アフガニスタンで韓国人の団体23人がタリバンに拉致される事件が起きた。タリバンが出してきた人質釈放の条件は、24時間以内の韓国軍の撤退と収監中の同士の解放だった。現地に派遣された外交官チョン・ジェホはアフガニスタン外務省に協力を要請するものの、色よい返事はもらえない。やむなく彼は当地の事情に詳しい一匹狼の工作員パク・デシクと手を組み、事態の収拾を図ろうとする。



 実話を元にしたシャシンだが、ハッキリ言ってデシクは“架空のキャラキター”だろう。こんな人間は、まあ実在するのかもしれないが、それが国家的な一大事に関与するとは考えにくい。しかも、演じているのがヒョンビンだ。いかにも彼らしいスタンド・プレイや、唐突なアクションシーンが挿入される。それ自体は面白いのだが、実録物としては場違いの感が強い。

 やっぱり本作のメインはチョン・ジェホの活躍ぶりだろう。味方のスタッフは少なく、資金も十分ではない。タリバンにコネを持つアフガニスタンのフィクサーと渡り合う等、先の見えない対処策に徒手空拳で立ち向かう。終盤にはネゴシエーターとしての成長も見せ、無理筋と思われた大胆な駆け引きも厭わない。扮するファン・ジョンミンのパフォーマンスは見上げたもので、追い詰められたエリートがギリギリの勝負に挑む葛藤を上手く引き出していた。イム・スルレの演出は骨太で、最後まで弛緩することなくドラマを引っ張る。ヨルダンでロケされた沙漠の風景も美しい。

 それにしても、この人質になった韓国人のグループはボランティアとして現地に赴いたのではなく、単にキリスト教の布教活動のためだったというのは、劇中のチョン・ジェホたちに限らず観ているこちらも頭を抱えてしまう。ただ事情はどうあれ、政府としては自国民を救出するため最大限の努力を払わなければならない。韓国大統領が主人公たちを激励するシーンがあるのも当然だ。そしてラストの処理は、世界で紛争が続く限り当事国以外も無関係ではいられないことが示され、強い印象を受ける。
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「大河への道」

2023-11-19 06:12:06 | 映画の感想(た行)
 2022年作品。一つ間違えばキワ物として片付けられそうな題材だが、不必要なケレンや内輪ネタに走ることなく正攻法で作られているのは好ましい。タイトルにある通り、物語の発端こそ大河ドラマがモチーフになっているものの、中身は時代劇と現代劇が上手いバランスで振り分けられており、それぞれが手堅く仕上がっていることに感心した。地味ながら、存在感のある映画だ。

 千葉県香取市役所では、町おこしのために郷土の偉人である伊能忠敬を主人公にした大河ドラマの企画をNHKに売り込もうというプロジェクトが立ち上がる。チームリーダーである池本保治は後輩の木下浩章と共に、大物シナリオライターの加藤浩造に仕事を頼もうとするが、最初は色よい返事はもらえない。



 池本らは何とか拝み倒して引き受けさせたが、忠敬は地図完成の3年前に亡くなっていたという事実が発覚し、加藤は執筆を渋る。ここで映画は時代劇になり、忠敬の死を隠して地図を完成させようとした幕府天文方の高橋景保と忠敬の弟子たちの奮闘ぶりが展開することになる。立川志の輔による新作落語「大河への道 伊能忠敬物語」の映画化だ。

 確かに伊能忠敬の業績は、大河ドラマとして取り上げてもおかしくない。しかし私も恥ずかしながら、忠敬が志半ばに世を去ったことは知らなかった。これではさすがに高視聴率が義務付けられたTVシリーズのネタとしては不向きだ。ところが皮肉なことに、このあたりの事情は映画の素材として悪くない。原作物ではあるが、着眼点としては非凡だと思う。

 面白いのは、時代劇のパートに現代劇でのキャストがそのまま出ていること。誰がどの役を演じているのか、あるいは相応しいのか、そのあたりを見極めるだけでも興趣を呼び込む。しかも、景保らの活躍は面白く綴られており飽きさせない。特に忠敬の生存を疑う幕府側との駆け引きはけっこうスリリングだ。地図作成のプロセスも過不足なく紹介されている。脚本担当の森下佳子は良い働きをしていると思う。もちろん終盤には舞台は現代に戻るのだが、その顛末も瑕疵なくまとめられている。

 中西健二の演出は派手さは無いが堅実だ。噺家の手によるストーリーなのでギャグも盛り込まれているが、上手くこなしている。企画にも関与した主演の中井貴一は好演。松山ケンイチに北川景子、岸井ゆきの、和田正人、西村まさ彦、平田満、草刈正雄、橋爪功と役者も揃っている(立川志の輔も顔を見せる)。玉置浩二の主題歌はあまり合っているとは思わないが、安川午朗の音楽は適切だ。
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「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

2023-11-18 06:20:08 | 映画の感想(か行)
 (原題:KILLERS OF THE FLOWER MOON)いくら何でも長すぎる。3時間半近くも引っ張るような話ではないだろう。もっとも、マーティン・スコセッシ監督が2019年に撮った「アイリッシュマン」も210分というロング・ムービーだったのだが、これは彼が得意なギャング物だけあって、最後までテンションが落ちること無く楽しませてくれた。対して、この新作はスコセッシが今まで手掛けていなかった西部劇。そのためか、勝手が分からず無駄に尺ばかりが伸びてしまったような印象を受ける。

 1920年代のオクラホマ州オーセージは元々先住民オーセージ族の居住地であったが、石油が産出されることが判明してから、オーセージ族は石油鉱業権を保持し高収益を得ていた。しかし、先住民は次々と謎の死を遂げていく。そこに暗躍していたのは利権を狙う白人の実業家連中だった。そんな中、元軍人のアーネスト・バークハートは叔父のウィリアム・ヘイルを頼ってこの地にやってくる。ヘイルはオーセージ族の娘モーリーとアーネストとの縁談をまとめ上げるが、早速モーリーを亡き者にして石油利権を白人側に相続させようとする陰謀が企てられる。



 こういう、あまり知られていない歴史的事実を取り上げたという意義は認めたい。だが、ハッキリ言って“たぶん、そういうことも起きたのだろうな”という想像は、誰にでも出来る。なぜなら、白人側の横暴を描いた西部劇は今までも少なからず存在しているからだ。利権が先住民の方に転がり込んでくる事態になれば、よからぬ白人どもが狼藉に走るのは当然である。

 映画の大半はこういう白人どもの悪巧みが延々と続くのだが、描き方が平板でメリハリが無い。スコセッシ御大の得意技であるギャング同士の抗争劇とは違い、一方的な不祥事を紹介するだけなので盛り上がりは期待できない。主要登場人物のヘイルとアーネスト、そしてモーリーにしても外見だけはそれらしいが中身まで突っ込んで描かれているかというと、かなり不十分だ。

 後半に元テキサス・レンジャーの特別捜査官トム・ホワイトが関与してきてやっと映画が動き出すものの、それならば最初から(後にFBIとして組織される)捜査当局の側から映画を組み立てるべきであった。そうすれば、無駄に上映時間が延びることも無かっただろう。

 レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロの共演が話題らしいが、両者とも本作では機能していない。リリー・グラッドストーンにジェシー・プレモンス、ブレンダン・フレイザー、ジョン・リスゴーといった顔ぶれも印象に残らず。良かったのは、これが遺作となったロビー・ロバートソンの音楽ぐらいだ。それにしても、ラストの“茶番”はいったい何事か。観客をバカにしているとしか思えなかった。
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北九州市のオーディオフェアに行ってみた。

2023-11-17 06:17:56 | プア・オーディオへの招待
 去る11月10日から12日にかけて北九州市のJR小倉駅の近くにあるアジア太平洋インポートマートで開催された、第37回九州オーディオ&ビジュアルフェアに行ってみた。このイベントにはコロナ禍の前より何回も足を運んでいたが、思い起こせば近年は11月末から12月にかけて開催されていたものだ。今回はそれほど気温が低くならない時期に実施してくれたのは有り難い。私もトシのせいか、寒さが身にしみる時分に遠出はしたくないのだ(笑)。

 さて、このフェアで一番印象に残ったモデルは、米ワシントン州に居を構える冷却装置のメーカーKoolance社が2013年に創立したオーディオブランド、KLAUDiOの新作アナログプレーヤーMagnezarである。前年の同イベントに出品されたESOTERICのレコードプレーヤーGrandioso T1の超弩級ぶりにも驚かされたものだか、今回はそれを上回るインパクトだ。



 永久磁石により重量級プラッター浮遊させ、モーターと接触させずに余計な振動をシャットアウトしているのはGrandioso T1と同じだが、Magnezarはさらにディスクとターンテーブルを完全に一体化させる“クランプ・システム”と称する仕掛けが施されている。これは従来から存在していた吸着式スタビライザーとは別次元のシロモノで、内外周両方で強引に力づくで押さえつけようというものだ。外周部では4kg、内周部でも2kgという負荷が掛かり、ディスク全体を限りなく水平に保持する。

 もちろん、キャビネットやターンテーブルは高剛性。見た目の圧力もかなりのものだ。なお、本モデルは今年(2023年)海外の展示会に出品されたばかりで、まだ価格が決まっていないという。いずれにしろ、値段も超弩級になるのは予想できる(苦笑)。とはいえ、こういう機器を間近で見られただけでも有意義だったと言えよう。



 他にもいろいろなモデルをメーカーの担当者や業界筋のジャーナリストの解説付きで試聴することができたが、その中でスタッフが発した言葉には感心した。それは“ソフトは宝だ”というものだ。ここでいう“ソフト”とは、ネット上で配信される“データ”のことではない。リスナーが身銭を切って買い求めたCDやレコードなどのフィジカルな媒体を意味する。

 もっとも、ネット配信もタダではないケースは多々ある。特に高音質なコンテンツならば値が張るだろう。しかし、フィジカルなメディアを手元に置いて大切に扱うってことは、ネット上の音楽データの管理とは別の話。ソースを“物”として見做せば、自然とそれを再生するシステムの選定と使いこなしにも気を遣いたくなるというものだ。

 余談だが、この会場のすぐ近くにはサッカーJリーグ三部に属するギラヴァンツ北九州のホームスタジアムであるミクニワールドスタジアム北九州がある。だからというわけでもないのだが、会場周辺にはギラヴァンツのポスターが少なからず貼られていた。しかしながら、同チームはリーグ最下位に沈んでいる。同じ福岡県内にあるアビスパ福岡がJ1で健闘しているだけに、何とか来シーズンからは奮起して欲しいものである。
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「サイコキネシス 念力」

2023-11-13 06:05:27 | 映画の感想(さ行)
 (原題:PSYCHOKINESIS )2018年1月よりNetflixから配信された韓国製SFアクション。さほど期待せず、ヒマ潰しにでもなれば良いと思って鑑賞。導入部の建て付けはチープ感が横溢していて、正直“こりゃハズレかな”と幾分気落ちした。ところが映画が進むにつれて徐々に盛り上がり、終わる頃には満足してしまったのだから世話はない(笑)。やっぱり昨今の韓国作品には“見どころ皆無”というシャシンはあまりないようだ。

 主人公のシン・ソッコンは、妻子と別れて警備員の仕事で糊口を凌いでいる冴えない中年男。ある日、彼は宇宙からの謎の飛来物体から湧き出た成分が混入した湧き水を飲んだ後、念動力が備わったことに気付く。一方、ソッコンの娘ルミはソウルの下町でフライドチキン屋の店長として腕を振るっていたが、その地域は立ち退きを要求する地上げ屋と激しく対立していた。しかもルミの母親は、地上げ屋が雇ったチンピラどもとの小競り合いに巻き込まれ死亡。ソッコンは葬儀の席で久々にルミと再会するが、娘の窮状を知った彼は超能力を駆使して事態の解決を図ろうとする。



 ソッコンが超自然的な力を得た切っ掛けになった隕石(?)の落下に、誰も気付いていないという不思議。くだんの湧き水を口にした人間がソッコンだけだったのかも説明されない。主人公が家を出た経緯は釈然とせず、ルミの店およびその周辺が反社会的勢力に狙われた理由も、実のところ明確ではない。斯様に本作は序盤の構成が安普請で、気の短い鑑賞者ならば早々に切り上げてもおかしくない。

 しかし、我慢して観続けていると中盤以降はかなり挽回してくる。ラスボスとして登場するのは、地上げ屋どもの黒幕である大手ゼネコンの女性常務のホンだ。見かけは普通の若いねーちゃんだが、目的のためには手段を選ばない完全なサイコパスである。彼女は警察をも動かし、ソッコンを拘束してルミを絶体絶命のピンチに追いやる。

 もちろんクライマックスは堪忍袋の尾が切れたソッコンと地上げ屋勢力との大々的バトルであるが、面白いのは通常この手のヒーロー物によく出てくる“主人公と似たような力を持った悪役”が見当たらないこと。ソッコンや街の人々にとって本当に恐ろしいのは、横暴な大資本と強権的な公権力であるという、ある意味“現実”を見据えているあたりは出色だ。終盤の決着の付け方も、超能力では世の中を救えないという達観が見て取れる。

 ヨン・サンホの演出は荒削りだがパワフルで、畳み掛けるような活劇場面と効果的なギャグの挿入で飽きさせない。主役のリュ・スンリョンはショボクレたおっさんがブチ切れるプロセスを過不足無く表現し、ルミに扮するシム・ウンギョンは健気なヒロインぶりを全力で演じている。キム・ミンジェにチョン・ユミ、パク・ジョンミンなどの他のキャストも万全。思わぬ拾い物とも言える作品だった。
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「月」

2023-11-12 06:10:08 | 映画の感想(た行)
 観る前は“これは石井裕也監督の持ち味に合っていない題材ではないだろうか”と思っていたら、実際作品に接してみるとその通りだったので脱力した。辺見庸による原作は読んでいないが、実際に起こった凶悪事件を扱っていることは確かで、映画化に際しては真正面から描くことは必須である。ところが、このネタを変化球主体の石井監督に任せてしまうとは、まったくもって製作側の意図が掴めない。

 元有名作家の堂島洋子は、映像クリエーターである夫の昌平と慎ましく暮らしていた。彼女が選んだ新しい職場は、森の奥深くにある重度障害者施設だ。そこで彼女は同僚の陽子やを描くことが好きな青年さとくんと知り合う。やがて洋子はきーちゃんと呼ばれる入居者の一人に興味を持つ。彼は寝たきりで動かないのだが、洋子と生年月日が同じであり、親身になって気を掛けるようになる。一方、さとくんは施設の運営に対して不満を持っていたが、それかいつの間にか入居者の“存在価値”についての疑問に繋がっていく。2016年に発生した障害者施設殺傷事件を下敷きにした作品だ。



 石井裕也作品は出来不出来の差が大きいが、それは彼自身のスタイルと題材とのマッチングの良し悪しによる。彼の映画作りは、まずカリカチュアライズから入る。登場人物およびシチュエーションを戯画化し、そこに時折リアリズムを少し織り込む。そのコントラストが興趣を生むのだが、リアルな事物との接点が見出せずに誇張や歪曲のみに終始してしまうと、失敗作に終わる。だが、本作はそもそも風刺化などが先行してはいけない内容なのだ。

 主人公の洋子は、何と“小説のネタを探すために”施設で働くことにしたのだという。一体何の冗談かと思っていると、同僚の陽子も似たような境遇らしい。旦那の昌平はストップモーション・アニメーションの製作で世に出ようとしているらしいが、この夫婦には現実感が限りなく希薄だ。さらに彼は妻を“師匠”と呼ぶのだが、これがまたわざとらしい。

 洋子は子供を亡くした経験があり、それを犯人の動機とリンクしようという魂胆らしいが、まるで噛み合っていない。昌平の勤務先の上司や、陽子の家族の扱いは過度に悪意が籠もっていて愉快になれず、もちろんこれらも事件とは関係していない。さとくんの交際相手が聴覚障害者というのも、作劇上の意味が見出せない。

 こういうリアルな世界から乖離した絵空事ばかり並べ立て、終盤に取って付けたように犯行場面を提示しても、何ら観ているこちらに迫ってくるものは無い。画面造型も弱体気味で、施設の佇まいやロケーションは不必要に暗くて気が滅入る。だいたい、実際の施設はこういう強制収容所みたいな場所ではないはずだ。

 主演の宮沢りえの起用も疑問符が付く。彼女は演技力がそれほどでもなく、脇役ならばOKかもしれないが主役はキツい。かといって磯村勇斗や二階堂ふみ、オダギリジョーといった他の面子が持ち味を発揮しているわけでもない。加えて144分という長尺は、観ていて疲れるだけだ。おそらくは似たようなテーマを扱っていた「PLAN 75」(2022年)がいかに良い映画だったか、改めて思い当たった次第。
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