元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「シティーハンター」

2024-06-17 06:25:31 | 映画の感想(さ行)

 2024年4月よりNetflixから配信。けっこう楽しめた。実は私は週刊少年ジャンプに連載されていた北条司による原作を、すべてリアルタイムで読んでいる。だからこのネタの面白さを少しは分かっているつもりだ。その観点からも、本作はかなり健闘している方ではないかと思う。1時間44分という長すぎない尺も、この手のシャシンとしては的確だ。

 新宿で相棒の槇村秀幸と共に、あらゆるトラブル処理を請け負う超一流のスイーパーの冴羽リョウは、有名コスプレイヤーのくるみの捜索を請け負う。折しも新宿では常人離れしたパワーを持つ者たちによる謎の暴力事件が多発しており、警視庁刑事の野上冴子も対応に苦慮していた。リョウと槇村はターゲットを追いかけるが、事件に巻き込まれて槇村は死亡。現場に居合わせた秀幸の妹の槇村香は、事の真相の解明をリョウに依頼する。

 このシリーズの魅力は、何といっても主人公の造型にある。凄腕の仕事人でありながら、救いようのないドスケベで下ネタが満載。この映画化作品もそこをしっかりカバーしており、お馴染みの“もっこり”シーンも大々的にフィーチャーされる。特に歌舞伎町の歓楽街を舞台に展開される前半のチェイスシーンは最高で、次から次と繰り出されるお下劣なギャグと、アイデア豊富なアクションの釣瓶打ちには思わず身を乗り出してしまった(笑)。

 中盤以降は香の生い立ちとか敵のシンジケートの概要などの説明的シークエンスが目立ってきて、テンポは悪くなる。さらに言えば“エンジェル・ダスト”に関するエピソードは連載開始時(80年代後半)のモチーフであり、現時点では証文の出し遅れのような感じは否めない。それでも、香と一緒に敵方のアジトに殴り込むクライマックスは、時折“そんなアホな!”と突っ込みを入れつつも盛り上がる。佐藤祐市の演出は調子が良く、画面造型はハリウッド作品などに比べれるとキビしいが、あまり気にならない。

 主演の鈴木亮平はまさに快演で、しなやかな身のこなしと羞恥心を忘れたようなワイセツ表現で観る者を圧倒。香に扮する森田望智は原作ファンからは異論が出るのかもしれないが、かなり頑張っていたのは確かだ。安藤政信に木村文乃、華村あすか、水崎綾女、杉本哲太、迫田孝也、そして橋爪功といった面子も好調だ。かなり評判は良いようなので、たぶんパート2は作られるのだろう。その際はまたチェックしたい。
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「新しい家族」

2024-06-16 06:23:58 | 映画の感想(あ行)
 (英題:PEASANTS)82年ソビエト作品。女流監督の手による映画にも関わらず、主に男性側の視点からドラマが綴られるという、玄妙な味わいを持つシャシンだ。同年のベルリン国際映画祭にて審査員奨励賞を獲得しており、丁寧に作られたホームドラマの佳作であると思う。本作に限らず旧ソ連時代には見応えのある映画が少なからず作られていたが、近年はロシア映画界のめぼしいニュースは無い。国際情勢が関係しているのは当然ながら、この状況はいつか好転して欲しいものである。

 ムルマンスク州の鉱山都市ニッケルに住む中年男パーヴェルは、父親からの急な電報で故郷に呼び戻される。何でも、パーヴェルのかつての婚約者ナースチャが亡くなったらしく、残された14歳の娘ポリーナはパーヴェルとの子だという。さらに、その後のナースチャの交際相手の間に出来たパーヴリクと、彼女に引き取られた孤児ステパンという2人の息子もいた。父親から3人の養育を託されたパーヴェルはニッケル市に戻るが、恋人ポリーナは愛想を尽かして出て行ってしまい、彼は仕方なく3人を男手一つで面倒を見るハメになる。



 家族を作るということにまるで関心の無かったマッチョな男が、思いがけず子持ちになり家庭の味を知るようになるという筋書きは、まあ誰でも予想が付くだろう。事実、本作はその通りに話は進んでいくのだが、この“男の自立”の裏には映画には出てこない“もう一人の主役”が存在するというのが面白い。それは、パーヴェルのかつての恋人ナースチャだ。

 ナースチャはポリーナを一人で育てただけではなく、次の男とも別れて子供を引き取り、加えて生活が苦しいにも関わらず言語障害気味の子を養子として迎え入れ、3人とも良い子に育ててきた。こういう彼女の健気なはたらきがあったおかげで、パーヴェルの成長があるのだ。徹底した男親の話でありながら、その裏に女性の影響力の大きさを組み入れるという、かなり巧妙な“手口”である。

 イスクラ・バービッチの演出は派手さは無いが堅実で、各キャラクターの内面を丹念に綴っていく。主演のアレクサンドル・ミハイロフは、見かけは偉丈夫ながら優柔不断な性格の主人公をうまく表現していた。イリーナ・イワーノワにミハイル・ブズイリョフ・クレツォ、ピョートル・クルイロフの3人の子役も達者なところを見せる。終盤の、思いがけない子供たちの窮地をパーヴェルが身を挺して救うという展開も秀逸で、それに続くハートウォーミングな幕切れも印象的だ。
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「碁盤斬り」

2024-06-15 06:25:27 | 映画の感想(か行)
 本格時代劇らしい雰囲気は良く出ていた。各キャストのパフォーマンスも申し分ない。しかし、脚本の練り上げが足りない。加えて、この監督の持ち味が十分に発揮されたとも思えない。全体的に、TVシリーズの総集編のような印象を受ける。ただ客の入りは悪くないようで、多くの観客が日本映画に対して抱く期待感は“この程度”でクリアされるのだろう。

 江戸の貧乏長屋で娘のお絹と暮らす浪人の柳田格之進は、実は以前は近江彦根藩の藩士だった。それが身に覚えのない罪を着せられて妻も失い、江戸まで落ち延びてきたのだ。彼は囲碁の達人でもあり、豪商の萬屋源兵衛とは囲碁仲間である。そんなある日、旧知の藩士から冤罪事件の真相を知らされた格之進は復讐を決意し、真犯人を捜すための旅に出る。一方、源兵衛の屋敷から大金が紛失する事件が発生。格之進が疑われることになり、お絹はその金を立て替えるために、自らが犠牲になる道を選ぶ。古典落語の演目「柳田格之進」を基にしたドラマだ。



 温厚で堅実な性格の格之進が、彦根での出来事の顛末を知るに及び、たちまち鬼神の如き様相に変わるあたりは上手いと思う。殺陣の場面は尺は短いものの、けっこう切れ味がある。しかし、どうも筋書きが弱体気味だ。そもそも、商人として抜け目のない源兵衛が、簡単に大金の在処を失念するわけがない。お絹に大金を用立てる女郎屋の主人のお庚も、随分と甘ちゃんな造型だ。さらに言えば、彦根での一件の全貌が明確に説明されていないし、格之進の妻が世を去った背景も曖昧だ。

 監督は白石和彌なので、もっと直裁的でエゲツない描写を繰り出してもおかしくないのだが、どうも及び腰だ。極めつけはラストの処理で、これでは何がどうなったのかも分からない。この続きを連続TVドラマにでもするつもりだろうか。

 ただし、囲碁が重要なモチーフになっているあたりは評価して良い。プロ棋士が監修を務めているだけあって、対局シーンに違和感は無い。特に堅実な棋風の格之進に対し、俗なスタイル連発の源兵衛、そして敵役の柴田兵庫が繰り出す三連星の布石(当時は見かけなかったであろう、攻撃的な戦法)など、よく考えられている。福本淳のカメラによる陰影の濃い画面造型は見応えがあり、主演の草なぎ剛は好演だ。清原果耶に中川大志、市村正親、奥野瑛太、斎藤工、小泉今日子、國村隼など、面子は揃っている。ただ出来の方が斯くの如しなので、手放しの賞賛とは程遠い。
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「ボブ・マーリー ONE LOVE」

2024-06-14 06:24:00 | 映画の感想(は行)

 (原題:BOB MARLEY: ONE LOVE)これはとても評価できない。対象に鋭く迫ったような形跡が見当たらないのだ。その理由としては、本作が今は亡きレゲエの大物ミュージシャンであるボブ・マーリーの“身内(親族など)”が監修を担当していることが挙げられる。故人の“身内”としては、リアリズムに徹して短所も含めたボブ・マーリーの人間性をえぐり出すという方法論は、避けたいに決まっている。結果、極めて微温的なシャシンに終わってしまった。

 1976年、独立から十数年しか経っていないジャマイカでは、政情が安定せずに2大政党が対立していた。国民的アーティストであるボブ・マーリーは不本意ながらその政治闘争に巻き込まれ、同年12月に狙撃事件に遭ってしまう。それでも彼は間を置かずに全国規模のコンサートに出演し、身を守るためにイギリスに移住。その後も次々と意欲作を発表し、ワールドツアーも成功させる。だが、その間もジャマイカの社会情勢は良くならず、内戦の危機も囁かれるようになる。ボブはそんな状況に対して一肌脱ぐべく、活動を開始する。

 映画は、主人公がどうしてレゲエにのめり込んだのか、作曲のインスピレーションはどこから来るのか、そして名が売れる前にどういう紆余曲折があったのか、そんなことは何も言及しない。映画が始まった時点で彼はスーパースターだし、カリスマ性があり、そして病により世を去るまでが思い入れたっぷりに描かれるのみ。せいぜいが、幼少期のボブが炎に囲まれているシーンがが思わせぶりに何度か挿入されるのみだ。これでは何のモチーフにもなり得ていない。

 かと思えば、ラスタファリがどうのとか、エチオピア皇帝がどうしたとか、ボブの信奉者にしか分からないようなネタが前振り無しに出てきたりする。ならばコンサートのシーンは盛り上がるのかと言えば、これが大したことがない。既成の音源に合わせて各キャストが動き回っているだけで、高揚感が圧倒的に不足している。

 レイナルド・マーカス・グリーンの演出は平板で、ここ一番のパワーに欠ける。主演のキングズリー・ベン=アディルをはじめ、ラシャーナ・リンチ、ジェームズ・ノートン、トシン・コール、アンソニー・ウェルシュといった面子は馴染みは薄いし演技面でも特筆出来るものは無い。こういう映画を観ると、同じく有名ミュージシャンを主人公に据えた「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年)がいかに訴求力の高い作品だったのかを痛感する。
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「マリウポリの20日間」

2024-06-10 06:25:27 | 映画の感想(ま行)
 (原題:20 DAYS IN MARIUPOL )今世界で何が起きているかを知るためには、まさに必見の映画だと思う。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始から、マリウポリ壊滅までの20日間を記録したドキュメンタリー作品。切迫した状況でカメラを回し続けたのは、AP通信のウクライナ人記者ミスティスラフ・チェルノフのチームだ。ロシア軍の攻撃は容赦なく、水や食糧の供給は早々に途絶えてしまう。通信インフラも破壊され、チェルノフたちは外部とのコンタクトを取るために何とか電波が偶然にキャッチ出来る場所を探して町中を駆けずり回る。

 彼らは市民病院に前線基地を置くが、ロシア軍は病院に対しても無差別の攻撃を加える。多数のケガ人で院内は足の踏み場も無く、さっきまで生きていた市民もいつの間にか息を引き取っているという状況の連続だ、それでも病院側は、取材陣に向かってこの惨状を何とか国外に伝えてくれるように依頼するが、それだけ彼の国ではマスコミ報道が信頼されているのだろう。



 対してロシアではチェルノフたちが決死の覚悟で撮影した映像をフェイクだと決めつけ、犠牲者や困窮する市民はどこかの俳優が演じていると言い切る。この傲慢さには呆れるしかないが、意外と現場で身体を張って取材に挑むジャーナリストたちの働きが無ければ、外部の者はそんなロシアの見え透いたプロパガンダを容易に信じ込んでしまうのではないか。

 特に報道の自由度が著しく低い日本では、マスコミの姿勢を裏読みすることがエラいという風潮があり、その挙げ句に時事ネタに関心すら持たない層が多くなったように思う。もちろんそんな微温的な構図は、この映画の鮮烈なモチーフの数々を前にしては何ら存在価値を持たない。

 本作はまた、取材内容の重大さと同時に、映画的高揚をもたらす要素が盛り込まれていることも評価に値する。産声を上げない新生児を、叩いて泣き声をあげさせるという感動的なシークエンスをはじめ、チェルノフたちが厳しい環境の中で外部にコンタクトを取ろうとするサスペンスフルな場面、そして終盤のウクライナ軍の援護によって市内から決死の脱出を図るシーン。いずれも尋常ではない盛り上がりで、スクリーンから目が離せない。

 そしてジョーダン・ダイクストラによる音楽が抜群の効果だ。第96回アカデミー賞にて長編ドキュメンタリー賞を受賞。ウクライナ映画史上初のオスカー受賞作となっただけではなく、AP通信の働きに対してはピュリッツァー賞が授与されている。
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「マイナーブラザース 史上最大の賭け」

2024-06-09 06:26:37 | 映画の感想(ま行)

 (原題:BREWSTER'S MILLIONS )86年作品。まず驚いたのが、このライトなコメディがウォルター・ヒル監督の手によるものであることだ。同監督はそれまで「ザ・ドライバー」(78年)や「48時間」(82年)「ストリート・オブ・ファイヤー」(84年)などのハードなアクション編を次々とモノにしていて、そっち方面での俊英と見られていた。ところが、ここにきてまさかの新境地開拓。何とも器用な作家である。

 マイナーリーグのハッケンサック・ブルズ所属の投手モンティ・ブルースターは、ある晩相棒のスパイク・ノーランと酒場で相手チームの選手たちと大ゲンカし、あっさりクビを言い渡される。失意のモンティの元に、顔さえ知らなかった石油成金の大叔父が3億ドルの遺産を残して逝去したとの連絡が届く。そしてモンティが3億ドルを手にするには条件があり、それは30日間で3千万ドルをすべて使い切れというもの。ただし1ドルでも残したら3億ドルの遺産はすべて白紙になる。しかもこの大乱費のの理由を誰にも打ち明けてはならない。かくして、アホらしくも痛快な“30日間3千万ドル大乱費”がスタートする。

 いくら無駄遣いが大好きな小市民でも(笑)、30日間で日本円にして数十億円を全額溶かすというのは至難の業である。モンティはスパイクを副社長にして破産するための会社を作る。ところが、ロクでもない投資で逆に儲かってしまうのだ。それでもカネの力でメジャーリーグと試合して長年の夢を叶えるが、やがて最大のムダ使いはこれだとばかりに市長選に立候補する。

 W・ヒルの演出はいつもの活劇編と同様にテンポが良く、次から次と舞い込む“逆境”に徒手空拳で立ち向かうモンティの奮闘を面白おかしく見せる。冒頭の、グラウンドを列車が横切って試合中断になるというマイナーリーグを茶化したギャグから、二転三転するラストのオチまで好調だ。

 主演のリチャード・プライヤーは当時売れっ子の喜劇役者で、スパイク役のジョン・キャンディと共にお笑い場面の創出には余念が無い(この2人は若くして世を去ってしまったのが残念だ)。ロネット・マッキーにスティーヴン・コリンズ、ヒューム・クローニンといった脇の面子も申し分ない。

 なお、本作を観て思い出したのが、テレンス・ヒル主演の「Mr.ビリオン」だ。莫大な遺産を総額するために厄介な条件を期限までにクリアする必要があるという基本プロットは同じ。こちらは77年製作だからネタとしては古いのだが、「マイナーブラザーズ」自体が1961年に作られた「おかしなおかしなお金持ち」(日本未公開)のリメイクなので、この題材は昔からあるのかもしれない。
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「正義の行方」

2024-06-08 06:27:50 | 映画の感想(さ行)

 ドキュメンタリー映画としてはかなりの力作であることは分かるが、どこか釈然としないものを感じる。たぶんそれは、重要なことが描かれていないからだろう。もちろんドキュメンタリーとはいえ作者が伝えたいテーマは存在しており、フィクショナルなテイストの介在は避けられない。そこを扱う題材とどう折り合いを付けるかが、作品の成否の要素になる。本作の場合、そのあたりがどうも微妙なのだ。

 1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明となり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で他殺体となって発見されるという、いわゆる飯塚事件が起きる。94年に犯人として逮捕されたのは、被害者と同じ校区に住む久間三千年だ。久間は2006年に死刑判決が確定し、2008年に刑が執行される。しかし、執行の翌年に冤罪を訴える再審が福岡地裁に請求された。2022にNHK-BSで放送され高評価を得た「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を、劇場版として再編集したものだ。

 映画はこの事件に関わった弁護士や警察官、新聞記者がそれぞれの立場から語る内容を淡々と綴る。面白いのは、本作にはナレーションが存在しないことだ。観る者を(少なくとも表面上は)なるべくミスリードしないようにする配慮かと思うが、ハードな雰囲気を作品に付与して観る者を引き付けることに貢献していると思う。

 とはいえ作者のスタンスはハッキリしており、死刑判決が出てから執行までが早かったこと、及び当時のDNA鑑定の信用性が万全ではなかったことを引き合いに出し、冤罪の可能性を指摘していく内容になっている。つまりは警察当局と司法、検察の体制の不備を突こうとしているのだ。また、目撃者の証言が全面的に信用出来るものではないらしいことも匂わせる。

 しかし、映画は大事なポイントを見逃している。それは、どうして久間が警察の第一のターゲットに成り得たのかということだ。いくら警察でも、純然たる一般人を突然マークはしない。それなりの背景があるはずだ。にも関わらず映画はそのことについて言及していない。そして、捜査当時の警察庁長官は国松孝次だ。国松といえば“あの事件”を思い出す向きも多いだろうが、映画は少しも触れていない。もちろん飯塚事件とは直接の関係は無いだろうが、取り上げることにより映画に厚みを与えると思われる。監督の木寺一孝はどうしてそうしなかったのか、疑問の残るところだ。

 なお、2024年6月5日に福岡地裁は再審を認めない決定を下した。まあ当然のことかと思う。もしも本件に関して再審が認められると、司法制度の根幹が揺らぐような大騒ぎになる。裁判所側としても受け入れるわけにはいかない。だが、真相がすべて明らかになっていないような隔靴掻痒感は残る。この状態は決定的な新証拠が出てこない限り、今後もずっと続くのだろう。
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「ブルービートル」

2024-06-07 06:25:36 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLUE BEETLE )2023年製作のDCコミック系のヒーロー物。日本では劇場公開されず、同年11月からデジタル配信されている。出来としては水準をクリアしていると思うし、宣伝の仕方によっては劇場にある程度客を集められそうなシャシンだと思ったが、昨今のアメコミ映画の国内興行が“斜陽化”していることによりリスクを避けて封切りを見合わせたのだろう。ましてや、馴染みの無いキャラクターが画面の真ん中に居座っているので尚更だ。

 ゴッサム法科大学を卒業した青年ハイメ・レイエスは、故郷であるメキシコ国境近くのパルメラシティ(架空の都市)に戻ってくる。職探しの間にバイト先として出向いたITと軍事の巨大キャリアであるコード社の研究所で、彼は古代の墳墓から発見された異星人の手によるバイオテクノロジーの粋を集めたスカラベに偶然触れてしまう。



 するとスカラベに共生宿主として認知されたハイメは、スーパーパワーを秘めたアーマースーツに身を包んだ超人ブルービートルに変身する。一方、スカラベとの相性が良いハイメの存在を知ったコード社の社長ヴィクトリアは、彼を解剖してスーパーパワーの情報を掴み、自社の軍需産業に転用しようと画策する。

 DCコミックス初のラテン系ヒーローだからというわけでもないだろうが、主人公はやたら明るく楽天的だ。突如として手に入れた能力に戸惑うよりも、面白がることを優先する。そして、ハイメの家族はもっと明るい。皆それなりに屈託はあるのだが、まずはとにかく笑い飛ばしてしまおうという思い切りの良さが痛快だ。

 ブルービートルの前に立ちはだかるのは、高い戦闘能力を持つイグナシオ・カラパックスだ。しかもスカラベのデータを部分的ではあるが取り込んでいるので、容易には倒せない。実はコード社の先代CEOはヴィクトリアの兄で、その娘のジェニーも社内にいるのだが、完全に窓際扱いだ。その彼女とハイメが良い仲になるのは予想通りとして(笑)、主人公の叔父のルディを加えての大々的バトルが展開する後半はけっこう盛り上がる。またカラパックスの出自が伏線になっているという処理も悪くない。

 アンヘル・マヌエル・ソトの演出は決して行儀良くはないが陽性でストレスが無い。主演のショロ・マリデュエニャにヒロイン役のブルーナ・マルケジーニ、そしてアドリアナ・バラッザ、エルピディア・カリーロ、ラオール・マックス・トゥルヒージョ、ジョージ・ロペスというキャストは馴染みが薄いが、皆好調。ヴィクトリアに扮したスーザン・サランドンは楽しそうに悪役を演じている。例によってエピローグは続編を匂わせるが、ブルービートルが今後のDCユニバースにどう絡んでいくか楽しみではある。
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「人間の境界」

2024-06-03 06:25:25 | 映画の感想(な行)
 (原題:GREEN BORDER)観終わって、目の前が真っ暗になってしまうような印象を受けた。監督はポーランドのアグニエシュカ・ホランドだが、本作は彼女の師匠であるアンジェイ・ワイダが1957年に撮った「地下水道」に通じるものがある。あの映画は徹頭徹尾マイナスのモチーフを繰り出して題材の深刻さを強力に訴えていたが、この「人間の境界」も、そこで扱われている“現実”には慄然とするしかない。

 ベラルーシを経由してポーランドとの国境を突破すれば、そのまま安全にEU圏に入ることが出来るという情報が難民たちの間に広がり、幼い子供を連れて祖国シリアを脱出した家族とその一行。彼らは何とかベラルーシ領内を抜けてポーランド国境の森林地帯にたどり着くが、そこに待ち受けていたのは武装した国境警備隊の非道な振る舞いだった。無理矢理にベラルーシ側に送り返されるものの、そこから再びポーランドへ強制移送されることになる。



 国境を挟んだまま落ち着く土地も見出せない難民たちが味わう地獄のような日々と、支援活動をおこなう人々や警備隊の中にあっても体制に疑問を抱いている者の視点を絡ませて描く。冒頭の、トルコ航空機の客席のシーンから不穏な空気が漂う。その暗い予感は的中するわけだが、そもそも彼らの存在が“人間の兵器”として敵対国を困らせる道具になっている点が悩ましい。

 そんな下衆な策略に翻弄されるばかりの難民には同情を禁じ得ないが、だいたい簡単に安全な国に逃れられるはずもないのだ。冷静に考えれば誰でも分かりそうなものだが、そんな正常な思考が脇に追いやられるほど、紛争当事国の事態は切迫している。これは国境警備隊の連中も同様で、自分たちがやっていることが単なる暴力行為であることを理解していながら、大半がそれ以外の選択肢に思い至らない。

 しかも、本編で描かれていた事情に加えて、昨今ではウクライナからの難民も国境を目指して押し寄せている。世界全体が“地下水道”に押し込められるように暗転し、取り返しの付かない状況になっていく様子をホランド監督は冷徹に描き出す。それでも、身を挺して難民の子供を守ろうとする者や、ある切っ掛けで支援活動に乗り出す市民、そしてリベラルな視点に目覚めてゆく国境警備隊のメンバーなどに言及することにより、暗闇の中に一筋の光を見出すような作者のスタンスが表現されているのは納得してしまう。

 152分という長尺で、しかもシビアな場面の連続ながら、観る者の目を最後まで釘付けにする求心力には感心するしかない。トマシュ・ナウミュクのカメラによるキレの良いモノクロ映像と、フレデリック・ベルシュバルの効果的な音楽。ジャラル・アルタウィルにアマヤ・オスタシェフスカ、トマシュ・ブウォソクといったキャストは皆好演。ホランド監督には今後も時代の前衛を走っていて欲しい。
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「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」

2024-06-02 06:28:11 | 映画の感想(あ行)
 (原題:RAPITO)これが史実であることに驚くしかない。西欧における宗教、あえて言えば一神教が掲げる価値観(教義)と、それがもたらす影響力について思い知らされる一編だ。さらにはその“原理主義”とも言える教えと、一般市民の普遍的な哀歓との確執をも掬い取っているあたりも、映画が平板な出来になることを巧みに防いでいる。観る価値はあると思う。

 1858年、イタリア北部のボローニャのユダヤ人街に居を構えるモルターラ家に、突如として教皇ピウス9世の命を受けた兵士たちが押し入り、7歳になる息子のエドガルドを連れ去ってしまう。何でも、エドガルドは赤ん坊の頃に洗礼を受けたらしく、ユダヤ教徒の家庭で育てることは出来ないので教会側で引き取るとのことだ。納得出来ない両親は世論やユダヤ人社会の後押しを得て教皇庁と対峙するが、申し入れを受ければ教会の権威が失墜すると考える教皇はエドガルドの返還に応じようとしない。やがてイタリア王国が成立し、時代の流れは教会の立場を微妙なものにしていく。



 エドガルドが洗礼を受けることになった原因は、心情的には理解できるものである。もちろん両親の気持ちも分かる。そして幼くして親元から引き離されたエドガルド自身の悩みも映画はカバーしている。しかし、そんな彼らの平易な思いに、宗教は何ら寄り添うことは無い。偏狭な一神教の教義が権威を生み、それが社会全体の硬直化に繋がる。当然ながら作者は宗教そのものを糾弾するつもりは無い。ただ、エドガルドが長じてカトリック側の人間になっていくプロセスや、同時に教皇への複雑な思いが蓄積する様子などが描かれることにより、宗教との板挟みになってしまった者の苦悩を描き出している点は評価して良い。

 もっとも、後半のクーデターによって政変が起きるくだりは効果的に表現されていない。まあ、戦闘シーンを再現するほどの予算規模ではなかったと思われるが、もうちょっと力を入れた方が盛り上がっただろう。撮り方次第で、ある程度の工夫は出来たはずだ。

 監督のマルコ・ベロッキオはドラマ運びは巧みで、登場人物たちの内面も上手くカバーしている。主人公の少年期を演じるエネア・サラと、青年になったエドガルドに扮したレオナルド・マルテーゼは妙演。教皇役のパオロ・ピエロボンも海千山千ぶりを発揮している。そして何といっても、フランチェスコ・ディ・ジャコモのカメラによる奥行きの深い映像が素晴らしい。歴史好きならば要チェックだ。
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