元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「海燕ジョーの奇跡」

2015-10-31 06:38:15 | 映画の感想(あ行)
 84年作品。数々の快作をモノにした藤田敏八監督作にしては、随分と気勢の上がらないシャシンだ。企画担当が、明らかに“親の七光り”で芸能界入りしたと思われる(当時は若造の)三船史郎。そして脚本が藤田と内田栄一、神波史男の共同執筆という、それぞれは有能ながら他人とのコラボレーションで成果をあげるとは思えない者達のシナリオ作成であるせいか、作劇自体が全然スムーズではない。

 フィリピン人とのハーフであるジョーが属している島袋一家は、沖縄を根城にしているヤクザ組織である。大手の琉球連合から破門されたのを機に、警察署長立会いのもとに解散声明を出すが、ある夜ジョーの弟分である寛敏が琉球連合那覇派に殺されてしまう。復讐としてジョーは、琉球連合の理事長である金城を射殺する。



 逃亡を続けるジョーは、かつて刑務所で知り合った上勢頭と再会する。ジョーは彼の手引きでフィリピンに脱出。現地で幅を利かせているヤクザの手伝いをするようになるが、ジョーを追って琉球連合のヒットマン達もマニラにやってくる。

 そもそも、タイトルにある“奇跡”らしきものがどこにも見当たらないのは噴飯物である。主人公は成り行きで罪を犯し、逃亡の果てに予想通りの結末を迎えるというストーリーには、何の工夫も無い。原作は佐木隆三による実録物だが(私は未読)、話の運び方に起伏が無いのは、果たして原作のせいなのだろうか。133分という長めの上映時間は、このネタに相応しいとも思えない。

 主演は時任三郎だが、たぶん“顔が濃い”という理由だけで選ばれたとしか思えない(爆)。そもそも彼は演技がそれほど上手くなく、存在感で見せる役者だと思うが、本作にはその御膳立てが不足している。ヒロイン役の藤谷美和子も精彩を欠き、ルポライターに扮する清水健太郎は何しに出てきたのか分からない。

 なお、本来この題材は先に映画化権を獲得した東映が製作する予定だったらしい。監督は深作欣二で主演が松田優作という、見るからに映画ファンの食指が動きそうな企画であったが、脚本を読んだ松田優作が乗り気にならずに取りやめになったという。その際に沖縄やフィリピンでのシナリオハンティングに使われた費用が約2千万円にも達したらしく、当然これも無駄になってしまった。あの頃はまだまだ役者の主張が通る体制だったのだろうが、実に残念な話である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヴィンセントが教えてくれたこと」

2015-10-30 06:25:18 | 映画の感想(あ行)

 (原題:St. Vincent )楽しめるハートフルコメディだ。ストーリーはある程度読めてしまうが、キャストの存在感と巧みな語り口により、最後まで飽きさせない。監督のセオドア・メルフィはこれがデビュー作になる若手だが、まるでベテランのような余裕と落ち着きを感じさせる。観る価値は十分ある佳編だ。

 ニューヨークのブルックリンに住むヴィンセントは、アルコールとギャンブルをこよなく愛する不良独居老年だ。怒りっぽい性格で近所からも嫌われており、彼が気を許せるのは飼い猫のフィリックスと身重の娼婦のダカのみである。ある日、燐にシングルマザーのマギーと12歳の息子オリバーの親子が越してくる。

 ひょんなことから母親の仕事中にオリバーの面倒を見るよう頼まれてしまったヴィンセントだが、彼は行きつけの飲み屋や競馬場にオリバーを連れ回し、酒の注文の仕方からイジメっ子のシバき方まで、ロクでもないことばかりを教える。最初オリバーはそんなヴィンセントに反発するが、やがて彼の憎めない内面を知ることになる。そんな中、オリバーが通う学校は“身の回りにいる聖人”というテーマの課題を生徒に出す。果たして、彼が選ぶ“聖人”とは誰になるのだろうか。

 とにかく、ビル・マーレイ扮する破天荒なダメオヤジが最高だ。ヤケになって人生を投げ捨てているように見えて、実は優しさと勇気を心の底に隠し持っている。そんな彼が成り行きとはいえ“子守り”を押し付けられ、今まで対峙したこともない子供という存在に向き合うことにより、次第に“素”の魅力を露わにしていくあたりは説得力がある。ヘタするとワザとらしくて見ていられない展開になるところだが、年季の入ったマーレイの“腹芸”はそんな危惧も吹き飛ばしてしまう。

 オリバーに扮するジェイデン・リーベラーは達者な子役で、12歳にして既に人生の苦難を悟ったかのような微妙な役柄を、滑らかな感性で乗り切っている。マギー役のメリッサ・マッカーシーとダカに扮するナオミ・ワッツもさすがの仕事ぶり。特にワッツは、ロシア系という設定の役どころを違和感なくこなしているのには感心させられる。

 人間誰しも年を取るが、その間にはいくつものドラマがある。ヴィンセントのように一見偏屈でも、過去にはヒロイックな行動で賞賛を浴びたこともあったりするのだが、そんな輝かしいキャリアを積まなくても、各人の歩んだ道にはそれなりの“重み”があるはずだ。そのことを再確認出来るようなポジティヴな視点が、実に快いシャシンであると言えよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェロとピアノのコンサートに行ってきた。

2015-10-29 06:11:16 | 音楽ネタ

 去る10月24日、福岡市早良区にある西南学院大学チャペルで開かれたチェロとピアノの演奏会に行ってきた。チェロを弾くのはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席奏者であるユルンヤーコブ・ティム、ピアノは阿部真弓である。曲目はバッハのヴィオラ・ダ・ガンバソナタ第2番とメンデルスゾーンの協奏的変奏曲、シューマンの幻想小曲集、グリエールのバラード、そしてプロコフィエフのチェロソナタだ。

 気が付いてみれば、私はチェロのリサイタルに行くのは初めて(笑)。そして、この会場に足を運ぶのも初めてながら、バッハを除けば初めて聴く曲ばかり。初めてづくしのコンサートだったが、その印象はというと残念ながらあまり良いものではなかった。

 断っておくが、演奏自体には文句の付けようが無い。ただ、このホールの音響設計が上手くいっているとは思えず、その分減点せざるを得ない。何より、音が響かないのだ。やや前方の席で聴いたのだが、チェロのズシッとくる音の太さや、ピアノの打鍵の力強さが伝わってこない。どこか観客席とは別の方向に音像が抜けていくような感じだ(ひょっとしたら、二階席の方が聴きやすいのかもしれない)。

 ステージ後方にパイプオルガンが設置されてあったが、たぶんここはパイプオルガン専用みたいな設計になっているのだろう。次にまた行くことがあったら、座る席の位置を考えたい。

 さて、ユルンヤーコブ・ティムのパフォーマンスはまさに“横綱相撲”という感じで、曲運びにまったく乱れが無い。特にプロコフィエフのチェロソナタはいかにもこの作曲家らしい超絶技巧を要求するナンバーのようだが、軽々とこなしている。阿部真弓のサポートも申し分ない。

 アンコールはチャイコフスキーの舟歌とバッハのG線上のアリアであった。ポピュラーな曲で締めくくったことで観客の満足感も大きかったと思うが、出来れば別の会場で聴きたかったというのが本音である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヒロイン失格」

2015-10-28 06:21:12 | 映画の感想(は行)

 前半こそ英勉監督の持ち味は出ているが、中盤以降はただの低調なラブコメになってしまう。しかも、その前半部分も同監督としてはノリが悪い。どうせ子供向けのシャシンだから高い出来栄えを期待しているわけではないが、もうちょっと気張って欲しかったというのが本音である。

 主人公の松崎はとりは、小学生の頃から幼友達の寺坂利太のことを大切に思い続け、いつかは彼の“彼女(ヒロイン)”になれるものだと固く信じていた。ところが、高校生になった利太が交際相手として選んだのは、地味なガリ勉タイプの安達未帆だったのだ。強いショックを受けたはとりは彼を奪還すべくあらゆる手を使うが、いずれも成功しない。そんな彼女に、学校一のモテ男である弘光廣祐が猛アプローチを仕掛けてくる。果たしてはとりは最終的にどういう決断を下すのであろうか・・・・という話だ。幸田もも子による同名コミック(もちろん、私は未読 ^^;)の映画化である。

 前半は英監督らしい大仰な映像ギミックが満載。登場人物のセリフや心理状態が“そのまま”CG処理などで映像化されるという、御馴染みの手法も大々的に起用されている。しかし、これがあまり盛り上がらない。笑わせようとする場面が滑って、ヒンヤリとした空気が流れるだけだ。

 その理由は、ストーリーラインの弱さである。「ハンサム★スーツ」や「行け!男子高校演劇部」といった英監督の過去のコメディ作品は、見かけはおちゃらけていても話自体には一本芯が通っていた。対して本作は軽佻浮薄な登場人物達が御為ごかしの恋愛ごっこに興じるだけで、ドラマの体を成していない。空疎な筋書きを小手先の映像処理で粉飾しても、脱力感が漂うだけである。

 ラブコメに移行する後半部分に至っては語る価値も無く、どっち付かずのはとりの態度や、優柔不断な利太の振る舞いを延々と見せられて心底ウンザリしてしまう。また“花火大会の翌日がスキー実習”みたいな脚本の初歩的な不備も目立つ。

 加えて主演2人の実力不足は如何ともし難い。確かにはとり役の桐谷美玲は頑張っているが、どんなにアホなことをやらかしても、どこか“アタシって、こんなことも出来るのよっ”みたいなワザとらしさが臭ってきて愉快になれない。利太に扮する山崎賢人は論外で、完全なデクノボー。さすが“朝ドラ大根三羽烏”の1人だ(ちなみにあとの2人は東出昌大と福士蒼汰である ^^;)。

 弘光役の坂口健太郎や安達を演じる我妻三輪子は悪くなかったが、それだけでは作品を支えきれない。英監督は若年層の大量動員が見込める中途半端なメジャー作品よりも、ある程度観客層を絞り込んだ規模の映画が相応しいと思ったものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ラスト・ボーイスカウト」

2015-10-27 06:21:37 | 映画の感想(ら行)

 (原題:THE LAST BOY SCOUT)91年作品。この頃のブルース・ウィリスは大ヒットした「ダイ・ハード」およびそのパート2により一躍有名アクション・スターの仲間入りを果たし、その方向性に則ったような仕事が数多く舞い込んできたものだが、結局「ダイ・ハード」に匹敵するような実績を残せなかった。本作もその時代に撮られた、凡庸な作品の一つだ。

 主人公のジョー・ホーレンベック(ウィリス)は私立探偵だが、かつてはSSとして大統領の命を救ったという輝かしい経歴を持っている。しかし“政府内部の事情”によってクビになり、自暴自棄の生活を送っている。妻は同じ私立探偵仲間と浮気中で、娘は反抗的で言うことをきかず、家庭においても居場所が無い。

 そんな彼がヌードダンサーの警護を頼まれるが、依頼人は殺される。彼女の恋人のジミー・ディックスはフットボールの花形選手だったが、賭博容疑で追放され、ジョー同様に欝屈した人生を送っていた。ジミーはジョーに協力を申し出て、似たもの同士の二人は手を組んで事件の捜査に乗り出すが、やがてプロフットボール界の裏に潜む巨大な組織の影が次第に明らかになってくる。

 確かにアクション場面は豊富で、銃撃戦は派手だしカーチェイスも見応えはある。特にクライマックスのスタジアムでの死闘は、観ていて思わず身を乗り出してしまう。しかし、どうにも薄味だ。キャラクター設定は在り来たりで、最後に主人公が妻と娘の信頼を取り戻すところなど、当時のアメリカ映画のトレンドであった“家族愛”を巧妙に織り込むあたりも平凡である。

 脚本は「リーサル・ウェポン」などのシェーン・ブラックだが、何と脚本料は175万ドルだったという。そのわりには目新しさや凝ったプロットは見当たらず、どこをどう見ても“可も無く不可も無し”の活劇編に過ぎない。加えて監督が“スタンスが限りなく軽い”トニー・スコットだから、登場人物の内面描写なんか期待できるはずもない。ハッキリ言って、観ている間は退屈しないが、観た後は3分で内容を忘れてしまう類いのシャシンである。

 なお、依頼人のヌードダンサーに扮していたのはハル・ベリーである。デビュー間もない頃で、ルックスのみを買われた起用だったと思われるが、後にオスカーを手にするほど有名になっていくとは誰も予想しなかっただろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする