元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

独断で選んだ2018年映画ベストテン。

2018-12-31 06:39:06 | 映画周辺のネタ
 まことに勝手ながら、ここで2018年の個人的な映画ベストテンを発表したいと思う(^^;)。



日本映画の部

第一位 犬猿
第二位 万引き家族
第三位 カメラを止めるな!
第四位 生きてるだけで、愛。
第五位 志乃ちゃんは自分の名前が言えない
第六位 坂道のアポロン
第七位 私の人生なのに
第八位 日日是好日
第九位 泣き虫しょったんの奇跡
第十位 Mr.Long ミスター・ロン



外国映画の部

第一位 ジュピターズ・ムーン
第二位 ラブレス
第三位 ビューティフル・デイ
第四位 心と体と
第五位 パッドマン 5億人の女性を救った男
第六位 華氏119
第七位 判決、ふたつの希望
第八位 ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書
第九位 タクシー運転手 約束は海を越えて
第十位 BPM ビート・パー・ミニッツ

 前回(2017年)は邦画の低落傾向が目立ったが、今回はかなり持ち直している。「万引き家族」のカンヌ国際映画祭での大賞獲得は大いに話題になったが、それより驚かされたのが「カメラを止めるな!」のスマッシュ・ヒットだ。題材はキワ物ながら、映画作りは正攻法。巧みな筋書きとキャストの好演により、見応えのある娯楽編に仕上がっていた。口コミによる反響の大きさなど多分に幸運な面もあったが、低予算でも真面目に取り組めば成果が上がることを実証してみせたのは有意義だと思う。

 ただし、2018年も相変わらず目立つのは、日本映画におけるアニメやラブコメの氾濫だ。もちろんしっかり作られていれば文句は無いのだが、いずれも大人の映画ファンの食指が動くとは思えない出で立ちだ。かと思えば、シニア層を狙ったのは良いが内容が伴っていないシャシンも散見される。こういう脱力するような構図はしばらく続くのだろうか。

 洋画は豊作であったとは思うが、個人的な好みを別にしても、ハリウッド製があまりランクインしていないのは残念。やはりネタ切れなのかもしれない。話題としては「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットが挙げられる。観た者が映画そのものよりも、題材と自分との関わりを語りたくなるという、面白いパターンが見られた。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督:吉田恵輔(犬猿)
脚本:上田慎一郎(カメラを止めるな!)
主演男優:松田龍平(泣き虫しょったんの奇跡)
主演女優:趣里(生きてるだけで、愛。)
助演男優:リリー・フランキー(万引き家族)
助演女優:樹木希林(日日是好日)
音楽:Hi’Spec(きみの鳥はうたえる)
撮影:近藤龍人(万引き家族)
新人:中川大志(坂道のアポロン)、南沙良(志乃ちゃんは自分の名前が言えない)

 次は洋画の部。

監督:コーネル・ムンドルッツォ(ジュピターズ・ムーン)
脚本:アンドレイ・ズビャギンツェフ、オレグ・ネギン(ラブレス)
主演男優:ホアキン・フェニックス(ビューティフル・デイ)
主演女優:アレクサンドラ・ボルベーイ(心と体と)
助演男優:ウィレム・デフォー(フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法)
助演女優:ソーナム・カプール(パッドマン 5億人の女性を救った男)
音楽:ジェド・カーゼル(ジュピターズ・ムーン)
撮影:ブリュノ・デルボネル(ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男)
新人:ティモシー・シャラメ(君の名前で僕を呼んで)、イザベラ・モナー(ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ)

 ついでに、ワーストテンも選んでみる(笑)。

邦画ワースト

1.寝ても覚めても
2.斬、
 この2本を観て、国際映画祭にはもっとマシな作品を出品して欲しいものだと思った。
3.散り椿
4.検察側の罪人
5.銃
6.素敵なダイナマイトスキャンダル
7.来る
8.教誨師
9.孤狼の血
10.サニー/32

洋画ワースト

1.シェイプ・オブ・ウォーター
2.スリー・ビルボード
3.君の名前で僕を呼んで
4.ファントム・スレッド
 以上4本はオスカー候補作。それにしても、2018年度のアカデミー賞は低調だった。
5.キングスマン:ゴールデン・サークル
6.パシフィック・リム:アップライジング
7.ジュラシック・ワールド 炎の王国
 以上3本は、いわゆる“ダメな続編”の典型。
8.ザ・スクエア 思いやりの聖域
9.グッバイ・ゴダール!
10.2重螺旋の恋人
 いずれも、作家性の押し付けが鬱陶しい。

 さて、ローカルな話としては2018年には福岡市中央区地行浜にオープンした大型商業施設“MARK IS 福岡ももち”の中に、シネコンのユナイテッドシネマがテナントとして入ったことが映画ファンとしては有り難かった。2016年に閉館した“ユナイテッドシネマ福岡”の実質的な再オープンで、これで福岡市のスクリーン事情はいくらか改善されたと言える。

 ただし、2017年に閉館したTOHOシネマズ天神本館の代替施設の話は未だ聞かない。映画好きが多い土地柄なので、早めの対処をお願いしたいところだ。
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「パッドマン 5億人の女性を救った男」

2018-12-30 06:37:22 | 映画の感想(は行)

 (原題:PADMAN)見事なヒーロー映画だ。もっとも、この主人公はマーヴェルやDCコミックの映画に出てくるキャラクターのように特殊能力は持っていない。あくまでも生身の人間ながら、その業績はまさにヒーロー。しかも実話である。こういう人物が存在している事実を知るだけで、何だか晴れ晴れとした気分になってくる。

 北インドの田舎町にある小さな工作所の従業員であるラクシュミは、新婚の妻ガヤトリと幸せな生活をスタートさせるはずだった。しかし、妻が生理の際に汚い布を使用し、さらにはその間は家に入れないことを知ってショックを受ける。彼は高い金を払って市販のナプキンを妻に買い与えるが、彼女はそんな高価なものは受け取れないと言う。ならば自分で安価なナプキンを作ろうと一念発起し、試行錯誤を続ける。

 そんな彼の行動は近隣の者から奇異な目で見られ、妻とは別居するハメになるばかりか、追放処分同然で町から出て行くことになる。別の土地で失意の日々を送る彼は、ある日ひょんなことから女子大生兼ミュージシャンのパリーと知り合う。彼女はラクシュミの目的に理解を示し、大学教員である父親の協力も得て、ついに低コストでナプキンを大量生産できる機械によるビジネスモデルを提案する。

 まず、この映画の時代設定が2001年であることに驚く。21世紀になっても、彼の国では田舎に行くと古い因習と頑迷な価値観に縛られているのだ。特に生理を“穢れ”と決めつけて忌避する風潮には呆れるしかない。そんな中にあって、ただ“妻の窮乏を救いたい”という一心でチャレンジを繰り返す主人公の姿には脱帽するのみだ。

 脚本も手掛けたR・バールキの演出は、ラクシュミを決して“超人”として祭り上げることはなく、一般人でも高潔な目的意識と絶え間ない努力さえあれば、世の中を動かす仕事をやってのけるのだというポジティヴな姿勢を十二分に打ち出して好感が持てる。作劇のテンポにも淀みがない。

 クライマックスは国連本部での主人公のスピーチで、観ている者を引き込んで感動させる。こんな経営者ばかりだったら、世界はどんなに良くなることか。故郷に一人残した妻と、献身的な仕事上のパートナーであるパリーとの間で揺れ動くラクシュミの姿、およびその決着の付け方にも感服した。

 主演のアクシャイ・クマールは、困難に徒手空拳で立ち向かう好漢を、実に上手く表現している。パリーに扮したソーナム・カプールも丁寧でソツの無いパフォーマンスを見せ、何より、もの凄く可愛い(笑)。映像も音楽も言うこと無しで、今年度のアジア映画の収穫であることは間違いない。
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「来る」

2018-12-29 06:55:05 | 映画の感想(か行)

 タイトルとは裏腹に、あまり“来ない”シャシンである。とにかく、ホラー映画という触れ込みにも関わらず、ちっとも怖くないのだ。もちろん、作品の狙いが怪奇描写ではなく“別のテーマ”であっても一向に構わない。それが上手く扱われていれば文句は無いのだが、これが中途半端である。結果として要領を得ないままエンドマークを迎え、鑑賞後の印象は芳しいものではない。

 田原秀樹は交際していた香奈とゴールインし、これから幸せな家庭を作るはずだった。だが、彼の勤務先に謎の訪問者が現れたことを切っ掛けに、夫婦生活に暗雲が立ちこめる。その訪問者と最初に対応した後輩は急死し、秀樹たちが住むマンションの一室には怪異な出来事が相次いで起こるようになる。友人の民族学者である津田に相談したところ、津田はオカルトライターの野崎と、霊媒師の血をひくキャバ嬢の真琴を秀樹に紹介する。

 どうにかして超常現象を抑えようとする彼らだが、犠牲者が増えるばかりか秀樹の2歳になる娘の知紗もその“何か”に取り込まれてしまう。どうやら“何か”は田原家の故郷の民族伝承に由来する妖魔らしいが、その力は強大で野崎たちの手に負えない。そこで真琴の姉で、国内最強の霊媒師である琴子が事態の収拾に乗り出す。琴子は全国から霊能者を集め、大規模な“祓いの儀式”を敢行する。

 まず、この“何か”の正体が示されていないことが噴飯ものだ。もちろん、ハリウッドのB級ホラーみたいにクリーチャーの全貌を明らかにすべきとか、説明的セリフで粉飾せよとか、そういうことを言いたいのではない。災厄をもたらしている“何か”の出自や生態および形状、さらに弱点(らしきもの)といった事柄をある程度提示しておかないと、文字通り“何でもあり”の状態になり、ドラマが空中分解してしまう。

 だからクライマックスの対決シーンは見た目は派手だが、何がどうなっているのか分からないし、ラストも腰砕けだ。かと思えば、家庭よりも“子育てブログ”の更新を優先させる秀樹や、家事を放棄する香奈、津田の屈折した心情などを通じて人間関係の危うさを描出する素振りが見受けられるが、そんなものは別の映画でやってほしい。

 また、野崎と元カノとの因縁や、真琴が抱えるディレンマなど、さほど重要とも思えないネタが不用意に詰め込まれており、映画は迷走するばかり。中島哲也の演出はこれらの交通整理が出来ないまま、勢いだけで乗り切ろうとしている。

 野崎を演じる岡田准一が一応“主演”ということになるのだろうが、ハッキリ言って野崎自体が不要なキャラクターだと思う。黒木華や妻夫木聡、小松菜奈、青木崇高、松たか子など顔触れは多彩ながら、いずれも熱演が空回りしている印象は拭えない。
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「斬、」

2018-12-28 06:32:06 | 映画の感想(さ行)

 やたら暗い画面に、手持ちカメラでの不安定な映像。それだけで開巻早々に観る気が失せた。救いは上映時間が80分と短いこと。もしもこの調子で2時間以上も続けられたら、途中で退場していたところだ。

 幕末期、江戸近郊の農村に都築杢之進という若い剣客が滞在していた。彼は腕も立ち、いつか世に出ることを願っている。そんな彼を隣家に住む少年・市助と村娘のゆうは慕っていた。ある日、澤村次郎左衛門と名乗る中年の侍が村に立ち寄り、杢之進の腕前に感心して彼を尊王攘夷勢力との戦いに誘うべく、江戸に同行することを依頼する。そんな折、無法者集団が村に侵入。次郎左衛門は彼らを撃退するが、後日悪者どもが仕返しにやってきて狼藉の限りを尽くす。杢之進と次郎左衛門は彼らを退治すべく、彼らのアジトに向かう。

 劇中、杢之進は実は人を斬る勇気が無いことが示され、そのモチーフに則って最後までストーリーが進むのだが、そんな彼がどうして幕末の動乱に身を投じようとするのか不明である。そもそも、若い侍が農家にホームステイ(?)している理由も分からない。

 杢之進とゆうは相思相愛に見えるのだが、彼の態度は煮え切らず、優柔不断だ。こういう者がいくら“人を斬れるようになりたい!”と独白しても、観ているこちらは“アンタは侍に向いていない”と冷たくあしらうのみである。次郎左衛門にしても、終盤に杢之進と対峙する理由が示されず、何を考えているのか判然としない。

 もしかすると、御公儀のために働くべき次郎左衛門自身が、こんな田舎でヘタレな若造や野盗どもと関わり合っていることで、ヤケになったのだろうか。前述のように、暗がりで刀を振り回す登場人物たちをブレたカメラで捉えても、カタルシスは生まれないばかりか、何がどうなっているのかも分からない。

 次郎左衛門役として出演もしている塚本晋也の演出は、画面と同様にブレがあって主題を見出しにくい。もしも“なぜ人は人を斬るのか”ということを突き詰めたいのならば、別のアプローチがあったはずだ。また、セリフ回しを現代風にしたことも違和感を覚える。

 主演の池松壮亮と蒼井優は健闘していたが、この2人の実力をもってすれば、その好演は“想定の範囲内”でしかない。第75回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門出品作品だが、無冠に終わったのも納得できるような内容だ。
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「青の帰り道」

2018-12-24 06:26:03 | 映画の感想(あ行)

 筋書きが作為的である点は愉快になれないが、昨今の邦画では少数派と思われる“ラブコメ以外の若者映画(しかも辛口)”として真面目に取り組もうとした姿勢は評価できる。キャストの頑張りも相まって、鑑賞後の印象はそれほど悪いものではない。

 2008年。群馬県の地方都市で卒業を控えた7人の高校生は、それぞれの将来の夢を語り合い、希望を持って新しい未来へと進んで行くはずだった。しかし、学校を出てからの彼らは理不尽な現実を前に立ちすくむばかり。7人の中には家族と反目し合って実家を出る者や、医大に入るつもりが受験に失敗して浪人生活を余儀なくされる者、素行に問題があって犯罪に手を染める者などがいて、いずれも先の見えない境遇に追い込まれていた。

 そして数年の月日が流れ、彼らは再び顔を合わせることになる。だが、各々が歩んだ人生のステージには差異が生じ、もう昔のように簡単に打ち解けることは無かった。元タレントで現在は経営者である岡本麻理の原案を基にして、オリジナルの脚本が作成されている。

 登場人物たちの挫折を描くこと自体は問題は無いが、あまりにも話が大げさではないか。歌手志望のカナは芸能プロダクションに入るが、与えられた仕事は不本意なものばかり。果ては精神のバランスを崩して自暴自棄になる。アートの道に進むはずだったキリはドロップアウトしてカナのマネージャーになるが、悪い男にだまされて心身ともに消耗する。

 周囲からの多大な期待に応えることが出来ず、大学に落ち続けたタツオは引き籠るばかり。ヤンチャだったリョウは振り込み詐欺の片棒を担ぐようになり、悪の道まっしぐらだ。結局、まともな生活基盤を得たのは、地元に残って早々に所帯を持ったマリコとユウキだけだったという皮肉。

 ストーリーをドラマティックに仕上げたかったのだろうが、これではワザとらしくて鼻白むばかり。そもそも、不良とガリ勉、ミュージシャン志望に普通の奴といったバラバラなキャラクターが7人も集まって学生時分につるんでいるのも不自然だ。しかし、“若い頃にはいろいろあるものだが、それでも生きなければならない”という作者の気負いと達観が前に出た結果とも思えるので、気分を害することは無い。

 藤井道人の演出は奇をてらわずに正攻法で挑んでいる。出演者は皆好演だが、中でもカナに扮する真野恵里菜は大健闘と言っていい。役柄もアイドルから役者に転じた彼女自身を投影していると思う。キリ役の清水くるみやタツオを演じる森永悠希は将来楽しみな素材だ。工藤夕貴や平田満といったベテランもいい仕事をしている。
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「愛は至高のもの」

2018-12-23 06:32:11 | 映画の感想(あ行)
 (英題:LOVE IS GOD )2003年インド作品。一般封切はされておらず、私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”での特集上映にて鑑賞した。正直言って、作りや映像は古めかしい。しかしながら、キャストの的確な仕事ぶりとテーマの面白さにより、退屈せずに最後までスクリーンに対峙出来た。本国ではヒットしたというのも頷ける。

 CMディレクターのアンバラスは、自らの結婚式に間に合わせるため、地方での仕事先からチェンナイまでの飛行機に搭乗しようとする。しかし、悪天候のため欠航。空港で知り合ったのが、右半身が不自由ながら調子が良くおしゃべりなナンラシヴァムという男。彼の押しの強さに辟易するアンバラスだったが、やむなく泊まったホテルでナンラシヴァムと同室になるハメになり、ストレスは溜まる一方。2人は悪戦苦闘しながら、陸路でチェンナイを目指すことになる。



 物語の設定は、ジョン・ヒューズ監督の「大災難P.T.A.」(87年)からの借用であろう。しかし、ハートウォーミングなコメディであったあの作品とは違い、本作は喜劇的要素はほどほどに、社会派ネタを大幅に盛り込んでくる。

 ナンラシヴァムは労働運動のリーダーで、対する多国籍企業の社長は従業員の給料を安く抑えることによって不当な利益を得ていた。社長はあらゆる汚い手を使ってナンラシヴァム側を潰そうとするが、上手くいかない。そしてナンラシヴァムは社長の娘と恋仲になることにより、いよいよ攻勢を強めようとした矢先に交通事故で重傷を負ってしまったのであった。

 作品は貧富の差を固定させようという、昨今の経済的トレンドを糾弾している。また、随所に挿入される主人公の宗教観も興味深い。彼はシーク教やキリスト教の関係者と懇意にしているにも関わらず、一神教から距離を置いている。ナンラシヴァムは“神はどこにでもいる”と信じており、誰でも(善行を積めば)神になり得ると思っている。彼の信奉する共産主義と、多神教が微妙にマッチしているあたりが面白く、映画に訴求力を持たせている。

 スンダル・Cの演出は泥臭いが、観る者を引っ張るパワーはある。主演のカマルハーサンは“スーパースター”ラジニカーントの親友らしいが、こちらも圧倒的な存在感を発揮。アクション場面も楽々こなす。相手役のマーダヴァンもイイ味を出している。
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「かぞくいろ RAILWAYS わたしたちの出発」

2018-12-22 06:23:59 | 映画の感想(か行)

 脚本に不備があるため、評価は出来ない。こういう込み入った設定のホームドラマに説得力を持たせるためには、キャラクターの掘り下げが不可欠だが、本作はそれが十分ではないのだ。ロケ地や素材の面白さはあるのに、もったいない話である。

 突然に夫の修平を亡くしてしまった晶(あきら)は、残された夫の連れ子である小学生の駿也と一緒に、東京から夫の故郷である鹿児島県阿久根市に住む義父の節夫のもとを訪れる。妻に先立たれて一人暮らしの節夫は、実は修平の死も知らなかったほど、息子とは疎遠であった。行く場所も無い晶たちは、節夫と共同生活を送ることになる。

 何とか仕事を探さなければならない晶は、肥薩おれんじ鉄道の運転士である節夫を見習い、運転士になることを決意する。修平は鉄道が好きで、駿也も同様だ。晶はいつか自分が運転する列車に駿也を乗せることを夢見るようになる。

 血の繋がっていない息子、およびその祖父と同居することを選び、田舎暮らしも厭わないヒロインの造型には細心の注意が払われるべきだが、その点が疎かになっている。晶と駿也は15歳しか離れていない。そのせいか駿也は晶を母親とは思っておらず、まるで自分の姉か友人のように接している。しかも、劇中では駿也の亡き父親への思慕ばかりがクローズアップされている。

 この映画を観る限り、駿也は晶をこれからも“お母さん”と呼ぶ可能性は低い。まだ若い彼女にとってそんな境遇は耐えられないと思うのだが、それでも晶は駿也と節夫のそばにいて“疑似家族”の一員になろうとする。この筋書きが説得力を持つには、晶がそうせざるを得ない理由をしっかりと描かれなければならない。だが、その点がまるで万全ではない。

 彼女自身が親と上手くいっていなかったことや、修平と結婚する前は水商売をしていた事実が暗に示されるが、それだけでは不足だ。もっと晶の“家族”を求める切迫した心情が描かれて然るべきであった。

 吉田康弘の演出は丁寧で、列車に関する知識は興味深いし、肥薩おれんじ鉄道沿線の風情は捨てがたい。だが、前述のようにドラマの核になるようなポイントが無いので、最後まで違和感は拭えなかった。晶に扮した有村架純は好演だが、意味も無くミニスカートやショートパンツを着用しているシーンがけっこうあるのには苦笑してしまった(男性観客へのサービスだろうか ^^;)。

 節夫役の國村隼は相変わらず安定した仕事ぶり。しかし、青木崇高や桜庭ななみが脇を固め、音楽が富貴晴美で、舞台が鹿児島だというのだから、どうしてもNHK大河ドラマ「西郷どん」を思い出してしまう(笑)。
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「ポリス・ストーリー REBORN」

2018-12-21 06:49:00 | 映画の感想(は行)

 (原題:机器之血)ジャッキー・チェンの出演作には今まで数多く接してきたが、本作が一番つまらない。もとより60歳をとうに過ぎたジャッキーに、昔のような身体のキレは期待していない。そのことを前提として、脚本と演出を十分に練り上げれば誰が観ても納得出来るアクション編に仕立てることは可能だったはずだ。しかしながらこの映画、作劇がまるで話にならない。観て本当に後悔した。

 2007年の香港で国際捜査官を勤めていたリンは、重篤な病に冒された幼い娘を見舞いに行く途中、急遽証人警護の指令を受ける。だが、謎の怪人や黒ずくめの武装集団に襲われ、任務は失敗。その間に娘は亡くなってしまう。13年後、シドニーでの海外勤務に就いていた彼の周囲に、再びあの犯罪者一味が暗躍し始める。さらに怪しいハッカーの青年がリンにまとわりつく。かつての証人が人工遺伝子の研究に関わっていたことが関係しているらしいが、そのターゲットがリンが密かに見守っている女子大生のナンシーであることが判明する。

 アクション映画史上にその名を残す、あの「ポリス・ストーリー」シリーズとは無関係のシャシンである。だが、それを勘案しても、いい加減な作りに脱力した。おそらくジャッキーとは一番合わないSFモノの佇まいで、出てくる大道具・小道具は「X-MEN」あたりの劣化コピー。しかも予算が潤沢ではないためか、画面自体が実に貧乏くさい。

 主人公が主に戦う相手はいつもの優れた体術を持つ悪者どもではなく、色気の無い女サイボーグとアメコミ映画の脇役に出てくるような二線級のヴィランのみ。そもそも、人工遺伝子という“何でもあり”のモチーフを出してきたのが大間違い。後半いくら話がメチャクチャになっても、“何でもあり”のネタを扱っていることを言い訳にしているためか、作っている側は恥じ入る様子も無いようだ。

 レオ・チャンの演出は水準以下で、まともにドラマを作れない。活劇場面も凡庸極まりなく、観ていてちっとも盛り上がらない。断っておくが、これはジャッキーの加齢のせいではない。見せ方と段取りがヘタだから、面白くないのだ。

 結局、印象的だったのはエンドクレジットに流れるNG集のみである。ショウ・ルオやエリカ・シアホウなどの脇の面子もパッとしない。なお、ナンシー役のオーヤン・ナナは欧陽菲菲の姪とか。まあ、だから何だという感じだが。
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「ギャングース」

2018-12-17 06:43:36 | 映画の感想(か行)

 入江悠監督の前作「ビジランテ」(2017年)に比べれば、質的に落ちる。だが、我々が直面する問題を真摯に捉えているという点で、ある程度は評価できる。それどころか、時事ネタをコンスタントに扱っていることは、この作家は現在の邦画界では貴重な存在とも言えるのだ。

 サイケ、カズキ、タケオの3人の若造は、親に捨てられ社会にも裏切られ、犯罪に手を染めた挙げ句に青春期のほとんどを少年院で過ごしていた。出所した彼らには身寄りも住む場所も無く、仕方なく各人の特技を活かしてヤクザや悪徳業者の収益金を強奪する“タタキ”と呼ばれる稼業に勤しむことになる。

 少年院時代の仲間が振り込み詐欺の片棒を担いでいることを知った3人は、その上前をはねるべく計画を練って実行する。一方、彼らはヒカリという少女と知り合うが、彼女は親から虐待されて家を飛び出し、行く場所も無い。成り行き上ヒカリを保護してしばらく一緒に暮らす3人だが、偶然にヒカリが犯罪組織の“顧客リスト”を見つけ、それが結果として彼らは裏社会の若き親玉である安達と相対するハメになる。

 原作漫画(私は読んでいない)はルポライターの鈴木大介による未成年犯罪者への取材をもとにしているらしいか、2時間の劇映画にまとめる必要上、十分に網羅されていたとは言い難い。3人の“タタキ”の遣り口は随分と御都合主義的である。

 大した苦労も無くターゲットを見付けるし、コンスタントに“仕事”をこなしても被害者側からの目立った報復は(後半の安達の一件を除けば)描かれない。敵役の安達にしても、カリスマ性も強力なバックもない青二才で凄みが感じられない。さらに、主人公達の説明的なセリフの多さも気になるところだ。

 だが、3人の境遇を通して社会的な病理を抉ろうという図式は良いと思う。貧困差別問題や独居老人の問題、多重債務で転落する者など、これらは突き詰めて言えば、他者や社会に対する無関心に収斂されるのだろう。せいぜいが自分よりも“下”の者を見付けてマウンティングに励む程度だ。それでも何とか矜持を保っている3人は見上げたもので、ラストの扱いなど共感出来る。

 入江の演出は荒っぽいが、勢いがあって観る側を退屈させない。今回も(終盤を除いて)舞台は自らのホームグラウンドである埼玉県の地方都市である点も、ポリシーを感じさせる。主人公達を演じる高杉真宙と加藤諒、渡辺大知は好演。林遣都や山本舞香、金子ノブアキなどの脇の面子も悪くない。
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「白蛇抄」

2018-12-16 06:48:55 | 映画の感想(は行)
 83年作品。主演の小柳ルミ子の大胆演技が評判になり、彼女は本作により日本アカデミー賞の主演女優賞を手にしているが、作品自体は大したことがない。原作になった水上勉の同名小説は読んでいないものの、何やら内容の方向性と監督(伊藤俊也)のスタイルが合っていない印象を受ける。なお、当時製作元の東映が文芸原作に女優たちのエロティシズムを掛け合わせるという、新たな客寄せ戦術を見出していた頃の一本だ。

 福井県の山奥の滝壺に身を投げた女が、近くの寺の住職である懐海に助けられる。彼女は石立うたといい、2年前の京都の大火事で家族を失い、絶望のあまり命を絶とうとしたのだった。うたはそのまま懐海の後妻として寺に住むことになる。



 寺には住職の息子である昌夫がおり、彼は高校を出ると本格的な修行に入る予定だったが、うたという妙齢の女性を前にして激しく彼女に惹かれるのであった。うたが救助された時に立ち会った村井警部補も彼女に惚れており、一方で寺に引き取られてきた15歳の少女まつのは昌夫に好意を持っていた。各人の情念が混じり合って、ドラマは意外な展開を見せる。

 どう考えても、本作は各登場人物の愛欲が吹き上がるドロドロの展開にならざるを得ない。また、舞台が人里離れた場所であることから、ここは妖しい雰囲気をハッタリかませて醸し出した方が盛り上がる。しかし、それはスクエアーな作風の伊藤監督にマッチしているとは言い難い。結果として、平板で深みに欠ける出来になってしまった。

 うたと懐海、あるいは昌夫とのからみはもっと禍々しいオーラが発せられて然るべきだが、実に印象が薄い。まつのの切迫した思いも不発だ。さらには演出のリズムが悪く、居心地の良くない2時間を過ごすことになった。小柳は熱演だが、この前に伊藤監督と組んだ「誘拐報道」(82年)ほどの訴求力は発揮出来ず。存在感もまつのに扮する仙道敦子にやや後れを取っている。

 杉本哲太に宮口精二、夏八木勲、そして若山富三郎といった顔ぶれも頑張ってはいるが、映画自体のヴォルテージが低めなのであまり評価は出来ない。あと関係ないが、公開前の業界試写では濡れ場になるとカメラマンのシャッター音が鳴り響いていたそうだ。スチル写真が提供されていなかったという事情があるが、今から考えるとあり得ない話である。
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