元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ボーン・トゥ・フライ」

2024-07-29 06:30:35 | 映画の感想(は行)
 (原題:長空之王 BORN TO FLY)国威発揚映画だということは承知しているが、けっこう楽しんで観てしまった。スカイアクションものとしては、ひょっとして「トップガン」シリーズよりも志が高いのかもしれない。主人公たちと敵対する某国の戦闘機群こそ出てくるが、切った張ったの命のやり取りはその局面では出てこない。代わりにメインとして描かれているのは、あくまで訓練の様子なのだ。それだけにネタの普遍性は際立っている。

 中国空軍パイロットのレイ・ユーは腕は立つが、任務中に起こしたトラブルにより、前線から新世代ステルス戦闘機のテスト飛行チームに回される。中国西部の沙漠の中にある訓練基地での生活はハードで、しかもテストパイロットに選ばれるには厳正な選考を経なければならない。このプロセスが興味深く、まずは集められたメンバーたちを出し抜く必要がある。とはいえ、苦楽を共にする仲間を切り捨てるほど非情になれるはずもなく、そのあたりの葛藤が過不足なく捉えられているのは評価して良い。



 レイ・ユーたちを襲うトラブルはエンジンの不調はもちろん、脱出装置の誤動作や鳥類と衝突する所謂バードストライクなど多種多様で飽きさせない。特にパラシュートに焦点が当たるのは高得点だ。また、訓練中に殉職してしまった教官に関するエピソードは悲痛で、葬儀の場面は無常さを漂わせる。

 さらに、犠牲になったパイロットたちが眠る大規模な共同墓地の様子は、いくぶん作り物めいてはいるが、映像的には目覚ましい効果をもたらしている。終盤のシークエンスはいかにも中国軍のプロパガンダながら、そこで終わることなくもう一波乱あるという流れは悪くない。レイ・ユーたちの成長の跡を見せてくれるし、二転三転するドッグファイトには思わず見入ってしまう。

 監督のリウ・シャオシーはこれが商業映画デビュー作とは思えないほど手堅い仕事ぶりで、第36回金鶏奨新人監督賞を受賞している。主演のワン・イーボーとライバル役のユー・シー、他にチョウ・ドンユィにフー・ジュンという顔ぶれは、馴染みは無いがよくやっていると思う。それにしても、ステルス戦闘機は米露の専売特許と思われていたが、中国も着々と開発中であるのは、やはり周辺諸国にとっては脅威だろう。日本としてもそれ相応の対策を立てねばなるまい。
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「コンボイ」

2024-07-28 06:28:57 | 映画の感想(か行)

 (原題:CONVOY)78年作品。日本公開は同年のサマーシーズンである。言うまでもなく、当時はジョージ・ルーカス監督の超話題作「スター・ウォーズ」が堂々の夏休み番組として拡大公開されていたはずだ。それに対抗するもう一本の大作映画ということで大々的にPRされていたらしいが、正直言って格が違いすぎると思う。夏興行を避けて秋頃あたりに公開していた方が、もっと人々の記憶に残ったのではないだろうか。

 大型タンクローリーを駆るラバー・ダックは、とにかく警察との仲が悪い。その日もアリゾナ州の酒場で、トラック仲間と一緒に警官隊相手に大立ち回りをやらかしていた。警官たちをノックアウトして悠々と引き上げるラバー・ダックらを、トラッカーたちの積年の敵である鬼保安官ライルはしつこく追ってくる。CB無線によりラバー・ダックの武勇伝が広まると、参加者は増加。一大トラック軍団はニューメキシコ州に入るが、そこでは州知事や州軍なども出てきて騒ぎはますます大きくなる。

 主人公が当局側と反目して騒乱を引き起こす理由が、イマイチ分からない。まあ、劇中ではトラック運転手の待遇が悪いとか、有色人種のドライバーは差別されているとか、そういう謳い文句は出てくるのだが、それが派手な破壊活動に繋がるとは思えない。

 その頃はベトナムから米軍が撤退してからあまり時間が経っておらず、リベラルな雰囲気がアメリカ社会を覆っていたようなので斯様な建て付けも違和感は無かったのかもしれないが、今観ると主人公たちの底の浅さばかりが印象付けられる。監督はサム・ペキンパーだが、彼らしさが出ているのは酒場での乱闘場面ぐらいで、あとは凡庸な展開が続く。アクションシーンも全然大したことは無い。

 ラバー・ダック役はクリス・クリストファーソンだが、どうも彼は俳優よりも歌手としてのイメージが強いので、本作ではサマになっているとは思えない。バート・ヤングをはじめとするトラック野郎に扮する面子もパッとせず、ヒロイン役のアリ・マッグローに至っては印象は限りなく薄い。結局、一番目立っていたのはライルを演じるアーネスト・ボーグナインだったりする。

 脚本がB・W・L・ノートンという凡庸な人材を持ってきたのはよろしくないし、第二監督を俳優のジェームズ・コバーンが務めているのもどうかと思う。なお、この映画はC・W・マッコールにより75年に作られた同名のカントリー&ウエスタンのナンバーを元ネタにしているらしい。何やら大昔の“歌謡映画”を思わせる企画ではある。
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「フェラーリ」

2024-07-27 06:25:56 | 映画の感想(は行)
 (原題:FERRARI )いかにもマイケル・マン監督作品らしい、気勢の上がらない沈んだ雰囲気の映画だ。もちろん、題材によってはそういうアプローチの方が功を奏する場合があるが、本作のような伝記映画、しかも誰もが知るような人物を取り上げる際に相応しい演出家の人選とは思えない。ただ、エクステリアは凝っているので、その点だけに注目すれば出来自体はあまり気にならないだろう。

 1957年、イタリアの自動車メーカーであるフェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリは、愛人リナとその息子ピエロの存在を妻ラウラに知られてしまう。もっとも、エンツォとラウラの間に出来た息子はその前年病気で世を去っており、夫婦仲はすでに冷え切っていたのだ。折しも過剰投資や労使紛争などで会社は窮地に陥っており、破産寸前だ。この逆境を一気に跳ね返すべく、エンツォはイタリア全土を縦断する伝説的な公道自動車レース“ミッレミリア”に挑む。



 主人公は自動車作りとレースに打ち込んで功績を挙げた人物のはずだが、映画の中ではその情熱や目標に向けて努力する様子は描かれない。“車を売るためにレースをしているのではない。レースをするために車を売っているんだ”というセリフを吐き、レーシングドライバーに対しては“死ぬ気で走れ!”と発破を掛けるが、いずれも口先だけのような印象しか受けない。

 その代わり頻繁に画面に出てくるのが、妻と愛人との間でよろめくエンツォの姿だ。特に会社の株の半分を持つラウラとの関係は、ビジネス面では大きなウェイトを占めるのかもしれないが、あまり興味を覚えるネタではない。カソリック教会との関わりも、取って付けたようだ。

 それでも“ミッレミリア”をはじめとするレース場面は良く出来ている。特に有名な大惨事の描写は迫真性が強い。時代考証は確かだし、エリック・メッサーシュミットのカメラによるイタリア各地の風景は美しく、観光気分を存分に味わえる。しかし、肝心の人間ドラマが温度感低めなので映画としては盛り上がらない。

 そもそも主演のアダム・ドライバーをはじめ、ペネロペ・クルスにシャイリーン・ウッドリー、サラ・ガドン、ガブリエル・レオーネ、ジャック・オコンネル、パトリック・デンプシーら主要キャストの中にイタリア人は見当たらないのはおかしい。しかも彼らがイタリア訛りの英語をしゃべっているあたりは(アメリカ映画だから仕方が無いとはいえ)不愉快だ。つまりは中身には期待せず映像面だけを楽しむ以外に、本作の存在価値はないだろう。
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ジョナサン・ストラーン編「創られた心」

2024-07-26 06:25:30 | 読書感想文

 人工的な心や生命、つまりAIを題材にして書かれたSFの短編集だ(収録されているのは16編)。編纂担当のジョナサン・ストラーンは専門誌の創刊や、フリー転身後はアンソロジストとして実績を残している編集者とのことだ。書き手ははケン・リュウやピーター・ワッツ、アレステア・レナルズ、ソフィア・サマターなどの現役の作家ばかり。中にはヒューゴー賞候補になった作品もある。

 読んだ感想だが、正直言ってほとんど楽しめなかった。こういうアンソロジーでは収録作品ごとの出来不出来が生じることも珍しくないが、本書に限ってはすべてが“万遍なく”面白くない。これはひとえに、題材自体と短編という形式の不一致性によるものだろう。

 AIはロボットとは違う。ロボットはSF小説の黎明期から数多くネタとして取り上げられてきた。つまりはメカであり、多くは金属製の人工物である。極端な話、フィジカルな動きをメインにアクションを主体に描けば、それだけで文面が埋められるのだ。対してAIは、その概念は1950年代に出来ていたとはいえ、人口に膾炙したのは21世紀に入ってからだと思う(ちなみに、スティーヴン・スピルバーグ監督が「A.I.」を製作したのは2001年である)。

 しかもAI自体がフィジカルな事物とは言えないため、そのコンセプトを説明するまで長い尺を要する。ところが短編だと背景をスッ飛ばして現象面だけを取り上げる必然性があるため、いきおいタッチが表面的になってしまう。本書に収録された作品群も大半がそのパターンであり、何やらワン・アイデアで書き飛ばされたような印象を受けてしまう。これでは読み応えは無い。

 しかしながら、映像化してみると面白いものが出来上がるかもしれない。もちろん、複雑なコンセプトをヴィジュアルで簡潔に説明できるほどの有力作家が手掛けることが前提だが、求心力の高い作品に仕上がる可能性はある。特にケン・リュウの「アイドル」やイアン・R・マクラウドの「罪喰い」、アレステア・レナルズの「人形芝居」、ピーター・F・ハミルトンの「ソニーの結合体」などは、うまくやれば傑作になりそうな予感はする。アニメーションの素材としても最適だろう。
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「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」

2024-07-22 06:19:10 | 映画の感想(英数)
 (原題:ONE LIFE)これは良い映画だ。取り上げられた題材自体が秀逸だし、ドラマの組み立て方と終盤の盛り上げも及第点。加えてキャストの好演と時代考証や美術などのエクステリアも目を引く。小規模の公開ながら、見逃せないような存在感を発揮している。

 1938年、英国人の証券マンであるニコラス・ウィントンは、ナチスから逃れてきた多くのユダヤ人難民がプラハで悲惨な生活を強いられていることを知る。そこで子供たちだけでもイギリスに避難させるため、志を同じくする者たちと組織を結成し、里親探しや資金集めに没頭する。ニコラスとその仲間は子供たちを次々と英国行きの列車に乗せていくが、ついに開戦の日が訪れ、ナチスはプラハに侵攻する。戦後、退職して妻と隠居生活を送っていたニコラスに、BBCのテレビ番組から出演の依頼が舞い込んでくる。実話を元にしたドラマだ。



 主人公の行動はオスカー・シンドラーや杉浦千畝に通じるものがある。だが、ナチスの理不尽な遣り口に憤りを覚えていたのは彼らだけではないはず。誰だって悲惨な目に遭っている者たちが身近にいれば、助けたいと思うものだ。しかし、それを実行に移すのは並大抵のことではない。ヘタすれば命の危険にさらされる。だからこそ、ニコラスの功績は注目されるのだが、本作ではイデオロギーや政治論争などの“雑音”を省いて、主人公たちが純粋に義憤に駆られて事に及んだことを無理なく描いていることがポイントが高い。

 迫り来るナチスの脅威から紙一重で逃れるニコラスの振る舞いはサスペンフルで見応えがあるし、子供たちとの交流は心にしみる。そして映画はラスト近くに思いがけない見せ場を用意しており、ニコラスたちの善行が結果的に現代でも大きな影響を及ぼしていることを活写するのだ。

 ジェームズ・ホーズの演出はまさに横綱相撲とも言えるもので、展開に緩みが無い。戦後のニコラスを演じるアンソニー・ホプキンスは当然見事なものだが、若い頃の主人公に扮するジョニー・フリンのパフォーマンスも光る。レナ・オリンにマルト・ケラー、ジョナサン・プライス、そしてヘレナ・ボナム・カーターと脇のキャストの充実ぶりは言うまでもない。

 クリスティーナ・ムーアによる美術とザック・ニコルソンの撮影、ジョアンナ・イートウェルの衣装デザインも見応えたっぷり。それにしても、世界的にキナ臭さが漂っている現在、ニコラスのような人材はますます必要とされているのだと、つくづく思う。
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「ファミリー・アフェア」

2024-07-21 06:23:51 | 映画の感想(は行)

 (原題:A FAMILY AFFAIR )2024年6月よりNetflixから配信。所詮はラブコメなので観る前はあまり期待しておらず、取り敢えずはホンワカした気分を味わえればオッケーだと踏んでいたのだが、これはちょっと軽量級に過ぎるのではないだろうか(笑)。しかも出ている面子が有名どころなので、余計そう感じてしまう。

 ハリウッドで映画スターのクリス・コールのアシスタントを務めるザラ・フォードは、クリスのわがままな態度に振り回されていた。ついにブチ切れて仕事を辞めた彼女のことをやっぱり頼りにしていたクリスは、何とか職場に戻るように説得するため彼女の家に出向いて行く。あいにく不在だったザラの代わりに玄関先に出てきたのは、彼女の母親で作家のブルックだった。とても50歳過ぎとは思えないブルックの若々しさと美しさに魅了されたクリスは、たちまち彼女と懇ろな仲になる。それを知ったザラはショックを受けるのだった。

 ブルックに扮しているのはニコール・キッドマン(1967年生まれ)で、クリス役はザック・エフロン(1987年生まれ)だ。キッドマンがこういうお手軽映画に出るのは珍しいが、それはともかく彼女の実年齢を考えると、明らかに外見を“作りすぎ”ではないのか(苦笑)。対するエフロンも「アイアンクロー」出演時の肉体改造が尾を引いているようで、見た目の不自然さは否めない。

 ならばこの2人のキャラクターはドラマを支えられるほどに掘り下げられているのかというと、全くそうではない。ひたすらライト路線をひた走る。本来ならばザラを中心に物語を展開させるべきだが、隣にキッドマンらが控えており、しかもザラの祖母役としてキャシー・ベイツまで出てくるのだから、ザラの役回りが大きくなるはずもない(彼女にボーイフレンドの一人でもあてがってもバチは当たらないと思うのだけどね)。

 ザラを演じているのはジョーイ・キングで、若くて可愛くて演技も問題ない彼女を、どうして主役として扱わなかったのか疑問である。リチャード・ラグラベネーズの演出は凡庸だが、それでもドン・バージェスのカメラによるハリウッドおよびその近郊の風景は本当に美しく、シッダールタ・コースラの音楽も悪くないので何とか最後まで観ていられた。
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「朽ちないサクラ」

2024-07-20 06:25:20 | 映画の感想(か行)
 かなり無理のある設定とストーリー運びなのだが、結局最後までそれほど退屈することなく観終えてしまった。これは題材のユニークさと各キャストの奮闘ぶりに尽きるだろう。特段持ち上げるような出来ではないものの、凡作と片付けてしまうのは惜しいと思わせるようなシャシンだ。

 ストーカー被害を警察に訴えていた愛知県在住の女子大生が、ストーカー犯である神社の神主に殺害される。被害届の受理を警察が先送りにしたのは、その間に慰安旅行が行なわれていたためだとのスクープ記事が地元新聞に掲載。愛知県警広報課の森口泉は、親友である新聞記者の津村千佳が記事にしたのではないかと疑うが、今度は千佳が変死体で発見される。泉は職域を逸脱して独自に犯人を捜し始める。柚月裕子による警察ミステリー小説の映画化だ。



 まず、主人公が刑事でも制服警官でもなく、広報担当者である点が面白い。一応は現場経験のある上司や知り合いの刑事などの協力を得るものの、彼女自身には捜査権など無いのだ。そのためゲリラ的な活動に終始せねばならず、普通のポリス・ストーリーとはひと味違う展開になる。

 やがて事件の裏には、公安警察という普段は活動実態が表に出ない組織が関与していることが明らかになるが、ここからの筋書きがあまりにも強引だ。カルト宗教の存在も、何やら取って付けたような印象を受ける。そもそも、この局面になれば泉の身も危うくなるのだが、ほとんど言及されていないのは失当だろう。

 とはいえ、これが長編映画第二作目となる原廣利の演出は侮れないレベルには達しており、淀みなくドラマを進めている。そして何といっても主演の杉咲花だ。おそらく現時点で二十歳代の女優の中では最も力量が安定している部類かと思う。何をやってもサマになり、本作でも安心して観ていられるパフォーマンスを披露している。

 豊原功補に安田顕、藤田朋子といったベテランに加え、坂東巳之助に萩原利久、森田想といった若手も上手く機能している。橋本篤志による撮影と森優太の音楽は万全。舞台になった愛知県豊川市の風景も捨てがたい。何やら続編が作れそうな幕切れではあるが、小説版ではシリーズ化されているので、パート2の製作もあり得るかもしれない。
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「座頭市物語」

2024-07-19 06:28:11 | 映画の感想(さ行)

 昭和37年製作の、大映による人気シリーズの記念すべき第一作。今まで観たことは無かったが、先日BSでオンエアされていたのでチェックしてみた。驚いたことに、後年続く当シリーズの諸作とは違い、この映画では大掛かりな立ち回りのシーンは無い。主人公が超人的な剣の腕前を披露するのも数えるほどだ。ならば面白くないのかといえば、それは違う。これ一本で屹立した存在感を獲得しており、見応えたっぷりだ。

 江戸時代後期、目が見えないながら居合抜きの達人である座頭市は、下総国を根城にしている飯岡助五郎一家の客人となる。彼は偶然、肺を患う浪人の平手造酒と知り合い意気投合するが、平手は助五郎と対立する笹川繁蔵一家の用心棒だった。両勢力の関係が険悪化すると共に、2人は成り行きで運命的な対決へと導かれていく。

 講談等の演目としてよく知られる「天保水滸伝」の筋書きの中に、座頭市のキャラクターを押し込めるという荒技を敢行していながらあまり違和感が無いのは、さすが手練れの脚本家だった犬塚稔の仕事ぶりではある。さらに、その頃作られた時代劇としては画期的だったと思われる身障者差別に対する批判や、男性優位主義への苦言などが挿入されているのは見上げたものだ。

 そして何より、ヤクザ組織の縄張り争いの有様を通じて戦いの無意味さを強調しているのは天晴れである。飯岡組と笹川組の抗争など、当事者たちにとっては重大事なのかもしれないが、端から見れば関東の一地方での小競り合いに過ぎない。どちらが勝とうが、世の中の大勢は変わらないのだ。座頭市と平手造酒との一騎打ちを含めて、戦いが終わってしまえば残るのは虚しさだけ。ラストでの市は厭戦的な気分を隠そうともしない。いわば反戦映画としての側面をも併せ持つ、骨のある作品と言えよう。

 三隅研次の演出は斬り合いの場面こそシャープでありながら、大半はカメラをあまり動かさず静的な長回しをメインとしており、これも映画自体のカラーをよくあらわしている。主演の勝新太郎のパフォーマンスは万全。彼以外にこの役をやれる者はいない。平手造酒役の天知茂をはじめ、万里昌代に島田竜三、中村豊、真城千都世、三田村元など脇の面子も良い。牧浦地志のカメラによる緊迫感のあるモノクロ映像と、伊福部昭の音楽も言うこと無しだ。
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「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

2024-07-15 06:30:01 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE HOLDOVERS )登場人物たちの微妙な内面が活写され、実に見応えのある人間ドラマに仕上がっている。しかも感触は柔らかく、余計なケレンは巧妙に廃され、全体に渡って抑制の効いた作劇が徹底されていることに感心した。さすがアレクサンダー・ペイン監督、その確かな仕事ぶりは今回もいささかも衰えていない。

 1970年、マサチューセッツ州にある全寮制のプレップスクールは冬休みを前に浮ついた空気が充満していた。そんな中、生真面目で皮肉屋で皆から疎んじられている古代史の教師ポール・ハナムは、休暇中に家に帰れない生徒たちの監督役を務めることになる。当初は5,6人の生徒が居残るはずだったが、結果として寮で過ごすことになったのは母親が再婚したアンガス・タリーだけだった。そして自分の息子をベトナム戦争で亡くした食堂の料理長メアリー・ラムが加わり、3人だけのクリスマス休暇が始まる。

 ポールは独身で、孤高を決め込む狷介な者のように見え、周囲からもそのように思われているようだが、実はそうでもないのが面白い。皆がクリスマスを楽しんでいる時期に一人でいるなんてことは、本当は彼にとって耐え難いのだ。

 アンガスとメアリーを連れて、建前上は禁止されている外泊を決行する彼だが、外出先でかつての同級生に会った時には自身を偽ってしまう弱さを見せる。ポールは有名大学を出た秀才だったのだが、自らの難しい性格と優れない体調のせいで出世コースから遠く離れてしまう。そんな彼でも。かろうじて残された矜持にしがみ付かざるを得ない。どうしようもない懊悩を無理なく表現する演出と、演じるポール・ジアマッティの力量が強く印象付けられる。

 アンガスの両親の離婚原因は深刻だ。彼は休暇中に入院している実の父親に会うのだが、その顛末は切ない。アンガス役のドミニク・セッサは、これが映画初出演とはとても信じられないほどの達者なパフォーマンスを見せる。端正なルックスも併せて、本年度の新人賞の有力候補だ。対して、本作で第96回アカデミー賞で助演女優賞を獲得したメアリー役のダバイン・ジョイ・ランドルフの演技はそれほどでもない。ただし、役柄のヘヴィさはアピール度が満点であったことは伺える。

 70年代初頭という時代設定も秀逸で、ノスタルジックでありながらベトナム戦争が暗い影を落とす世相が、登場人物たちの造型に絶妙にマッチしている。マーク・オートンによる音楽は万全だが、それよりもキャット・スティーヴンスやオールマン・ブラザーズ・バンド、バッドフィンガーなどの当時の楽曲が効果的に流れていた。
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「罪深き少年たち」

2024-07-14 06:28:03 | 映画の感想(た行)
 (英題:THE BOYS)警察の不祥事を描いた実録映画は、最近の日本映画では「日本で一番悪い奴ら」(2016年)ぐらいしか思い浮かばないが、韓国製の本作はその迫真性と感銘度において印象を強烈なものにしている。細かい部分を突っ込めば瑕疵はあるのだが、この作品のパワーはそれを補って余りあると思う。各キャストの好演も見逃せない。

 1999年、全羅北道の参礼(サムレ)にあるウリスーパーマーケットで強盗殺人事件が発生。決定的な証拠が見つからず捜査は難航すると思われたが、程なく地元の警察は近所に住む3人の少年を犯人として逮捕し、事件は一応の終結を見せた。ところがその翌年、その強引な遣り口で“狂犬”の異名を持つ敏腕刑事のファン・ジュンチョルのもとに、真犯人に関する情報が寄せられる。



 ファンが当時の捜査内容を調べてみると、確かに不審な点が多い。特に少年の一人はロクに自分の名前も書けない知的障害者であり、到底重大な事件を引き起こす者とは思えない。やがてファン刑事は、警察と検察の暗部を知ることになる。韓国で実際にあった“参礼ナラスーパー事件”を下敷きに練り上げられたドラマだ。

 とにかく、腐敗した警察上層部と検察の描き方が強烈だ。ロクな証拠も無いまま暴力で少年たちを犯人に仕立て上げた当時の捜査陣は、迅速な犯人逮捕を評価されて昇進している。さらにはファン刑事の孤軍奮闘ぶりを踏み潰すかの如く、手段を選ばない妨害工作を仕掛けてくる。この事件が本当に解決したのは、事件から16年も経った2015年なのだ。かつての少年たちは刑期を終えて出所しており、しかも彼らの面倒を見ているのはウリスーパーの犠牲者の娘である。彼女も3人が犯人とは思えず、アフターケアを買って出ているのだが、この展開は泣かせる。

 まあ、どうして3人が濡れ衣を着せられたのか、その真相が明かされていないのは不満だし、真犯人の一人が結局どうなったのか分からないのも欠点だろう。しかし、世の中の不条理に敢然と立ち向かうファン刑事たちの勇姿や、クライマックスの再審の場面における盛り上がりを見せつけられると、どうでも良くなってくるのも事実。

 社会派作品には定評のあるチョン・ジヨンの演出は力強く、最後まで作劇が弛緩しない。ファン刑事に扮するソル・ギョングのパフォーマンスは良好で、男臭さと優しさを兼ね備えたキャラクターを演じきっていた。ユ・ジュンサンにチン・ギョン、ホ・ソンテ、ヨム・ヘランら脇のキャストも万全の仕事ぶり。公開規模は小さいが、本年度のアジア映画の収穫だと思う。
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