元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「8 Mile」

2010-10-31 06:57:16 | 映画の感想(英数)

 (原題:8 Mile)2002年作品。舞台は95年のミシガン州デトロイト。プレス工場で働きながら、いつかラッパーとして名を上げることを夢見ている白人青年を描く。

 私はヒップホップ系のサウンドには興味が無い。しかも元々黒人音楽であるラップを白人の分際でパフォーマンスをおこなっているエミネムとかいう野郎のサクセス・ストーリーには胡散臭さしか感じず、まったく期待せずに観たのだが、そこはカーティス・ハンソン監督、門外漢の観客をも納得させるだけの佳作に仕上げていた。

 何より白人貧困層である主人公の家族の描写が出色。汚いトレーラーに住み、主人公ジミーは幼い妹の面倒を見ながら自動車部品工場の下働きの職を得るのがやっとで、父親は行方不明、母親は若い愛人の歓心を買おうと必死だ。そんなシビアな状況の中から主人公が何とかのし上がろうとするプロセスは「ロッキー」のセンを狙った通俗性を獲得しており、観客に無理なくアピールできる。

 何より主人公が最後までポジティヴなスタンスを崩さないところが好感度大だ。ラストシーンなんか泣けてくる。メインとなる“ラップ・バトル”の描写も面白い。

 エミネムの手堅い演技は予想外の収穫としても、母親役のキム・ベイシンガーの存在感が光っている。蓮っ葉でいながら失意の主人公に食事を作ってやるような優しさを垣間見せるあたりは素晴らしい。ヒロイン役のブリタニー・マーフィも好演(若くして急逝したのが惜しまれる)。そしてうらぶれたデトロイトの下町風景が効果的だ。

 アカデミー賞を取った主題歌は映画を観る前に聴いてもピンと来なかったが、作品の中では実に活き活きと響き、素直に良い曲だと思ってしまう。これこそ“映画音楽”の醍醐味だろう。
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「シングルマン」

2010-10-30 06:41:26 | 映画の感想(さ行)

 (原題:A Single Man)ていねいに作ってはいるが、どうにも素人臭さが気になってしまう。メガホンを取っているのはファッション・デザイナーのトム・フォードで、これが監督デビュー作だ。私は彼については何も知らなかったのだが、有名どころのブランドで重要ポストを歴任し、今は自身のデザイン事務所を立ち上げて活動の幅を世界的に広げている著名人らしい。

 1962年のロスアンジェルス。大学の教員であるジョージは同性愛者で、最近16年間も付き合った“恋人”を事故で亡くして絶望の淵にいる。とうとう死を決意した彼は、周到な準備の元に“最後の一日”を迎えることにする。

 本作を観て真っ先に思い出したのはルイ・マル監督の「鬼火」(63年)である。あの映画も孤独感に悩む主人公(モーリス・ロネ)が最後に過ごす一日を追っていたが、孤独とは名ばかりで実は彼には友人・知人がけっこういて、しかも彼を心配してくれている。それでも自殺しようとするのだから、何とも身勝手な奴だと憤慨したものだ(笑)。

 対してこの映画は、ゲイである主人公にとって自ずから人間関係は一般人よりも狭くなっている。しかも、同性愛者に対する偏見が強かった60年代だ。この設定は観ていて納得出来る。

 しかし、フォード監督の演出タッチはキレが悪い。テンポも遅い。演出するのは初めてなのでジックリ行こうと思っているのは分かるのだが、かえってスキルのなさを露呈させてしまった。

 また、異業種参入監督にありがちな“映像派気取り”のシークエンスの多用も興醒めである。冒頭と中途に挿入される長い水中シーンや、意味もなくカラーとモノクロを混在させるあたり、撮っている本人はさぞかし気持ちが良かったのだろうが、観ている方はまったく愉快になれない。ゲイを扱っていながら、セクシャルな生々しさが希薄なのも不満だ。素材に対して及び腰になっていると思われても仕方がない。

 それでも何とか最後まで観ていられたのは、キャストが頑張っていたからだ。主演のコリン・ファースは、平静を装いながらも内心どうしようもない空虚さを抱えた男を好演している。

 その女友達(主人公の昔の恋人)に扮したジュリアン・ムーアも、人生を投げてしまったような鬱屈が透けて見える妙演だ。俳優のパフォーマンスを味わう映画だと思えば、まあ許せる映画なのかもしれない。梅林茂の音楽も透明感に溢れていて効果的だ。
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「反則王」

2010-10-29 06:39:45 | 映画の感想(は行)
 (英題:The Foul King )2000年作品。冴えない銀行員が一念発起し、プロレスラーとして奮闘する姿を描くコメディ編。本国・韓国では大ヒットしたという。

 キム・ジウン監督の腕前は前作「クワイエット・ファミリー」よりは随分マシになってはいるが、相変わらずドラマの交通整理がヘタである。ソン・ガンホ扮する主人公の上司、父親、ジムの館長、美人の同僚、館長の娘etc.といった具合に主人公を取り巻くキャラクターがエピソードを次々と呼び込んでいくが、そのどれもが中途半端に終わる。不正融資事件に巻き込まれる同僚の扱いなど、手抜きもいいところ。おかげでクライマックスであるはずの試合のシーンが幾分浮いてしまった。ラストも唐突に過ぎる。

 しかし、そんなことはリングの上で頑張る主人公の奮闘ぶりを見ていると、どうでもよくなるのは確か。2か月にわたる特訓の成果か、主人公をはじめとする各レスラー役の俳優達の動きはプロのそれとほとんど変わらず、素晴らしい盛り上がりを見せる。しかも、試合シーンの中に効果的なギャグを矢継ぎ早に織り込む構成になっており、手に汗握りつつも爆笑してしまうという、アクション・コメディの王道を示してくれるのは実に嬉しい。

 韓国映画のキャラクターは喜劇といえども皆真面目である。でもだからこそ、マジメな登場人物がコメディ的なシチュエーションにハマり、徒手空拳で奮闘する様子がより大きな笑いを生むのである。まさに、喜劇とシリアスは紙一重なのだ。
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「REDLINE」

2010-10-28 21:07:10 | 映画の感想(英数)
 なかなか面白い。昨今はアニメーションといえば“猫も杓子も3D”みたいな感があるが(特にハリウッド製)、通常の2Dでもここまでやれることを示してくれただけでもアッパレだ。やはりマッドハウスの作品は何を置いてもチェックしなければならない。



 異星間の交流が当たり前になった遠い未来。とっくの昔にクルマはエアカーに置き換わっているが、そんな中で非合法の従来型自動車レースに熱中する連中がいた。イエローラインと呼ばれる地区大会で名を挙げた者は、銀河系チャンピオンを決めるレッドライン選手権に出場することができる。主人公のJPはイエローラインでは常に上位に入る実力者だが、トップを取ったことはほとんどない。それもそのはずで、彼はエンジニアである相棒のフリスビーと共に八百長レースを仕組み、ゴール前では他選手に勝ちを譲ってしまうのだ。

 ところがその年のレッドラインの開催地が軍事独裁体制を敷き周囲の星々から顰蹙を買っているロボワールド星系に決まり、何人かが出場を辞退したことでJPにエントリーの権利が回ってくる。めったに出られない大舞台で、彼はいつもの出来レースをやるのを潔しとせず、ガチンコの勝負に臨む。

 とにかく、レースシーンの迫力に圧倒させられる。アクセルペダルをひょいと踏み込むと、キャラクターの造型はもちろんメカのデザインも周囲の風景もデフォルメされた異形の世界へと突入。超絶的なスピードを味わうということは、まさにこういうことなのかと、大いに納得させられる。少なくとも、ヘタな3D映画に大差を付ける独走ぶりだ。

 レッドラインは“何でもあり”のレースで、勝つためならば武器の使用もオッケーだ。もちろん、重武装にすると車体が重くなってスピード競争には不利なので、そのへんの按分も各ドライバーの腕の見せ所である。賑やかな大道具・小道具を搭載したマシンの数々も面白いが、JPは武器類はいっさい使用せず、重量を抑えることによる小回りの良さと自身のテクニックで勝負する。



 今回はこれにレースを潰そうとするロボワールド軍が加わり、さらには暴走した“大量破壊兵器”も乱入して、三つ巴・四つ巴の様相を呈してくる。残念ながら脚本はそのあたりの交通整理は上手くいっておらず、大風呂敷を広げすぎた感がある。ただし、ジェットコースター式に展開するアクションの釣瓶打ちに些細なことは気にならないのも事実だ。

 原作・脚本・音響監督は「鮫肌男と桃尻女」などの石井克人。監督は石井と「PARTY7」を共同製作した小池健。深みはないが、小気味良い演出テンポは見上げたものだ。声の出演には木村拓哉、蒼井優、浅野忠信という豪華な顔ぶれを揃えている。

 木村は声だけでも気取った“キムタク臭さ”が前面に出ているところが御愛敬だが(笑)、感心したのは「鉄コン筋クリート」に続いて声優に挑戦した蒼井で、キャラクターをフッと浮かび上がらせるような存在感を見せる。やはり彼女の実力は大したものだ。とにかく、3Dの氾濫に辟易している向きは必見の映画だと言える。
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「呪怨2」

2010-10-27 06:32:03 | 映画の感想(さ行)
 2003年作品。ホラー・クイーンの異名を取る女優と、呪われた家との関わりを描くシリーズ第二弾だ。タッチとしては前回と同じ。過去のホラー映画のモチーフを都合良く寄せ集め、観ている間だけは退屈しないが鑑賞後には見事に何も残らない。

 作劇面でも新山千春や市井由衣のパートに時制を逆にする等の工夫が見られる程度で、平板な“惨劇ショーの寄せ集め”みたいな印象を受ける。出てくるキャラクターも、それぞれ役柄こそ違うものの、単なる“殺され役”を担わされている“記号”でしかなく、最初から登場人物に感情移入することを放棄したような作りである。

 ところがよく考えてみると、この“底の浅さ”こそが評判になった原因だと思い当たる。たとえば呪いの源流である怨霊親子の生い立ちを粘着質に描ききればかなり怖い映画になるはずだが、そんな観客の腰をマジで浮かせてしまうような怪奇映画の本流を作品化しても、喜ぶのはマニアだけだ。そこそこ怖くて、後味サッパリ。これが客寄せの秘訣である。

 しかも、キャラクター設定が安易であることは、逆に言えば“誰が演じても良い”ということだ。若手タレントの顔見せ興行には格好の企画であり、このシリーズに似た映画は今も細々ながら作られているようだ。

 さて、本作の主演は酒井法子である。彼女は歌手としてはもちろん、俳優としても二流だ。ここでもアイドル臭い大根演技しか披露出来ていない。まあ、不祥事を起こした後なので、これからは目立った仕事をすることはないとは思うが、さほど才能がないのにそこそこ有名になってしまうと、ロクなことがないってことだろうか。
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「十三人の刺客」

2010-10-26 06:34:27 | 映画の感想(さ行)

 三池崇史監督が前に手掛けた時代劇「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」に比べれば、随分とマシな出来映えで、退屈しないで観ていられる。ただし、諸手を挙げての高評価は差し控えたい。それは、この監督の持ち味であるオフビートさ加減が作品のカラーと十分シンクロしていないからだ。

 江戸時代末期。将軍の弟であり次期老中の有力候補である明石藩主の松平斉韶は、血も涙もない性格で非道の限りを尽くしていた。このまま幕府の要職に就いてもらっては各大名や民衆は大いに困る。そこで老中・土井利位は、御目付役の島田新左衛門に斉韶の暗殺を持ちかける。島田は腕の立つ仲間を集め、参勤交代途中の斉韶一行を襲う計画を立てる。池宮彰一郎の原作は63年に工藤栄一監督により一度映画化されているが、私は未見だ。

 どう考えても三池監督の“不真面目なテイスト”が全面開示されるようなネタではなく、事実今回は殊勝にストーリーを追うような素振りは見せている。もっとも、伊勢谷友介演じる“野生児”の扱いなどで元来のおふざけ精神が前面に出てしまうことがあるのだが、これが悲しいほど作品のカラーと合っていない。

 この題材で三池の持ち味が発揮されるとしたら、クライマックスの大立ち回りでのトンデモぶりしかないだろう。それならばシリアス路線の筋書きとそれほどの乖離は生じない。その期待に応えるかのように、13人の刺客たちは大仰な仕掛けで松平側を翻弄。爆発物やトラップで三百人の相手をアッという間に百人ちょっとにまで減らしてしまう。

 ここで無謀なゲリラ戦をもっと推し進めて、斉韶とその取り巻きの護衛程度にまで敵方の勢力を削いでしまえばいいものを、なぜか途中から刀を取っての白兵戦に雪崩れ込んでしまう。これは解せない。いくら“死に場所を求めるのが武士の真髄”だと言われても、やっていることが首尾一貫していない。

 しかも、一人当たり十人程度斬れば決着は付いてしまうはずが、どう見ても単独で2,30人は斬っている。計算が合わないではないか(爆)。殺陣も大したことはなく、ただ刀を振り回しているに過ぎないように思える。見ようによっては不良少年グループ同士の果たし合いとあまり変わらない。

 まあ、役所広司や山田孝之、伊原剛志や松方弘樹など面子は揃っているし、敵役の市村正親も良いし、斉韶に扮する稲垣吾郎は新境地開拓かと思わせるほどにノッている。その意味では観て損はないかもしれない。ただし、とてもヴェネツィア国際映画祭で賞を取れるようなシロモノではないことは確かだろう。
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「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」

2010-10-25 06:43:18 | 映画の感想(あ行)
 2003年作品。今年(2010年)にパート3の「ヤツらを解放せよ!」が公開されているが、私はまったく観る気が起きなかった。なぜなら、前作であるこの映画の出来がよろしくないからだ。こんなシャシンの続編を作っても、たかが知れている。

 観ている間はまあ退屈しないが、それは織田裕二扮する青島刑事をはじめとするレギュラーメンバーのキャラクターとその“お約束通り”の動かし方によるところが大きく、肝心の映画そのものはスッカラカンである(・・・・というか、すでに今はディテールさえも覚えていない)。

 一度に複数の事件が起こるのはパート1の二番煎じで、メインとなる連続殺人事件は動機も手口もプロットも全てが行き当たりばったりだ。警察側の捜査もデタラメの極み。カネ取って見せている以上、署長らのおふざけはほどほどにして、少しはマトモに筋書きを追うことに腐心したらどうなのだろうか。

 特にひどいのが真矢みき扮する警察キャリアで、いくら横柄な官僚が多いとはいっても、こんな馬鹿な幹部がいるわけがない。しかも女性官僚であることを強調した設定には、フェミニストではない私でも不快感を覚えた。

 しかしまあ、テレビドラマに毛の生えた程度の陳腐なストーリーとスケールの小ささこそが大ヒットした要因なのだろう。普段めったに映画館に足を運ばない層にとっては、こういう“お約束”で仕切られた“ほどほどのレベル”が一番なのだと思う(注:だから悪いとは言っていない。それが興行の王道なのだから)。

 なお、私の知人は封切り当時にこの映画を観たものの、開巻20分で退場したそうだ。彼曰く“高い入場料払ったのは、お台場の観光案内を見るためではない!”とのこと。まあ、それも言えなくはないな(^^;)。
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「ある日どこかで」

2010-10-24 06:33:31 | 映画の感想(あ行)
 (原題:Somewhere in Time )80年アメリカ映画。公開当時はほとんど話題にならず、その時も私は観ていなかったのだが、ビデオ化されてからクチコミで評判になり、カルト映画として位置付けられるようになったジュノー・シュヴォーク監督作。今回のリバイバル公開でやっと目にすることが出来た。

 しかし、個人的感想としてはあまり芳しくない。どうも私はこのファンタジー映画というシロモノには合っていないみたいだ。断っておくが、別にファンタジーらしい御膳立て自体が嫌いなわけではない。ただ、ファンタジーという題材に乗っかるあまり、脚本もファンタジーっぽくなっている(つまり、宙に浮いたようになっている)シャシンが目立つことが愉快になれないのだ。本作もその典型である。



 1972年5月、大学で脚本家を志すリチャード・コリアの処女作の出版を祝ってパーティが開かれていた最中、突然見知らぬ老婦人が現れる。彼女は“帰って来てね”という謎の言葉と共に、年代物の金時計をリチャードに渡して去ってゆく。

 8年後、彼は脚本家として名を上げるもスランプに陥り、気分転換を兼ねて旅に出る。その途中で“グランドホテル”に宿泊するが、ホテル内の資料展示室に飾られてあった一枚の古い写真に映った美しい女性に魅せられてしまう。調べてみると、彼女こそ例の老婦人であった。ならばどうして彼女はリチャードを知っていたのか。やがて彼は彼女がそのホテルに泊まった68年前に“タイムスリップ”して事の真相を調べようとする。

 まず、タイムマシンも超常現象も抜きにして“個人の思い込みにより”過去に行くという設定からしてアウトだ。どうやれば時を遡れて、またどういう事態になればそれが無効になるのか、そういう大事な説明は一切ない。ここで“ファンタジーなんだから、そんな野暮は言うな”という突っ込みが入るとしたら、それこそがファンタジー映画の欺瞞性なのである。話が絵空事であるからこそ、ディテールは完璧に筋を通さないといけない。



 若い頃の彼女に会って恋仲になり、でもひょんなことから現代に引き戻され、何とも言いようがない結末へと雪崩れ込む。ならばいったい、この女は主人公にとって何だったのか。単なる疫病神だったと結論付けられても仕方がない。こんな“底の抜けた話”で登場人物の純愛に涙しろと言われても、そうはいかないのだ。

 原作はリチャード・マシスンの有名小説だが(私は未読)、もともと主人公は脳腫瘍のため半年の命だという設定らしい。そういう前振りがあれば違和感は薄れたと思うのだが、映画では完全に無視されている。脚本もマシスンが担当しているというのに、この体たらくだ。

 主演のクリストファー・リーヴとジェーン・シーモアは実に絵になるカップルであり、脇に回ったクリストファー・プラマーもイイ味を出している。アカデミー賞にもノミネートされた見事な衣装デザインと、ジョン・バリーとラフマニノフの流麗な音楽も印象的だ。しかし、こういう語るに落ちるようなハナシでは評価は出来ない。ビデオ(テレビ画面)が相応しいようなシャシンでしかないようだ。
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「男人四十」

2010-10-23 06:28:16 | 映画の感想(た行)
 (原題:男人四十)2002年香港作品。主演はジャッキー・チュン(張學友)で、いわゆる“香港四天王”の一人である彼も、この映画あたりから中年の役を演じるようになった。しかも本作での役どころは平凡な高校教師。地味な題材だが、アン・ホイ監督作としても最良の出来と評したい。

 マジメに生きている高校の国語教師のある7月の出来事を淡々と描く。ストーリーの“全貌”が明らかになるまで相当時間がかかるのは、脚本にいくぶん冗長な点があるからだろう。しかし、緊張感あふれる映像と濃密なディテールが観客の目を画面に釘付けにする。

 冒頭の、夕暮れの浜辺に佇む登場人物を逆光で捉えた美しいショットから始まり、狭いアパートに家族四人が汲々として暮らすしがない教員生活や、生徒にナメられっぱなしの授業風景などの主人公の卑屈さをリアルに引き出している部分と、家族に対する責任感や、中国文学に対する深い素養を披露する場面との描写の配分が絶妙で、まさに等身大の主人公像の造形に成功している。

 だから、その後に語られる妻の過去に関する因縁話(考えれば、けっこう唐突なエピソードだ)に全く違和感がない。演出上特筆すべきは頻繁に挿入される李白などの詩とその舞台になる中国奥地の風景で、世俗のしがらみに悩みながらも高い精神性を忘れない主人公たちの象徴であると同時に、彼等をポジティヴに捉えた作者のスタンスが感じられる。

 ジャッキー・チュン好演だが、心に重荷を抱えたまま生きてきた妻に扮するアニタ・ムイが素晴らしい。主人公を振り回す女子高生を演じたカリーナ・ラムの存在感もなかなかだ。

 なお、私はこの映画を2002年のアジアフォーカス福岡映画祭で観たが、その時に舞台挨拶に来ていたカリーナ・ラムにサインをもらって握手した。香港の女優といえばモデル体型のゴージャス系を思い起こさせるけど、彼女は全体のサイズも雰囲気も日本のアイドルと変わらない。とはいっても受け答えもなどもシッカリしていて、そこらへんの若いタレントとは明らかに違う。なかなか好感度が高いが、出演作があまり日本で公開されないのは実に残念だ。
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「ミックマック」

2010-10-22 06:33:44 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MICMACS A TIRE-LARIGOT)ジャン=ピエール・ジュネ監督らしい作品だと言えばそうなのかもしれないが、マンネリズムが漂っていて評価する気にはなれない。

 個人的に彼の最良作は「アメリ」(2001年)だと思っている。あの映画の優れている点は、ストーリーの立脚点がとても普遍的であるところだ。この監督を語る際に必ず言及される巧みな映像ギミックの数々が、「アメリ」では平易な主題を盛り上げる小道具として十分に機能していた。しかし、この新作ではテクニックだけが先行している。

 ビデオ店で働く主人公バジルは発砲事件に巻き込まれ、強盗が発射したピストルの弾を頭に受けてしまう。何とか回復はしたものの、銃弾は依然頭の中に留まっている。そして退院してみると仕事も家もない。

 得意のパントマイムでその日暮らしをしていたところ、偶然にヘンな廃品回収のグループに加わることになる。ある日彼は、頭の銃弾の製造元である兵器会社と、そのライバル会社でありバジルの父親を死に追いやった地雷を手掛けた武器メーカーの存在を知る。彼は仲間と一緒に復讐に乗り出す。

 観ていて困ったのは、この“死の商人に天誅を下す”というストーリーラインが、反戦という“取って付けたようなテーマ”に追随するものでしかない点だ。

 これがイラク戦争の当事者であるアメリカとか、現場であるアラブ諸国とか、はたまた政情不安なアフリカの国々を舞台にしていたならば少しはドラマに緊張感が生まれたかもしれないが、あまり関係のない(少なくとも一般世間ではそう思われている)フランスの国内でドタバタやっても全然ピンと来ないのだ。穿った見方をすると、キッチュな映像を全面展開させるために無理矢理デッチ上げたネタだとも言える。

 廃品回収の集団の面々は奇人揃いで、それぞれの得意技で「スパイ大作戦」ばりにミッションを遂行していくのだが、どれも外見の面白さばかりが目立ち、キャラクターそのものの屹立ぶりには貢献していない。有り体に言えば、過去のジュネ作品に出てきた連中の焼き直しみたいだ。

 それでも主役のダニー・ブーンをはじめとするキャストは頑張っているし、永田鉄男のカメラによるレトロ・モダンな映像美は見所たっぷりである。ラファエル・ボーの音楽も良い。ただ、どのモチーフも足元を見られたように浅くて軽いのだ。観た後はすぐに忘れてしまうようなライト感覚ばかりが横溢している。次回はもうちょっと深みのあるネタの掘り下げ方をして欲しいものだ。
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