元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「向田理髪店」

2022-10-31 06:19:13 | 映画の感想(ま行)
 いわゆる“ご当地映画”であり、多大な期待を寄せるのは筋違いであることは分かる。ストーリーはもちろんキャラクター設定も予定調和であり、大仰なメッセージ性やドラマティックな展開とは無縁である。ならば全然面白くないのかというと、そうでもない。たまにはこういうマッタリとした雰囲気に身を置くのも悪くは無いと思わせる。ローカル色豊かな点も捨てがたい。

 主人公の向田康彦は、福岡県南部の地方都市で妻の恭子と小さな理髪店を営んでいる。ある日、東京で働いていた息子の和昌が突然帰郷する。勤めていた会社が肌に合わず辞めてきたらしい。そして、店を継ぐつもりだという。和昌は理容学校の学費を稼ぐために、近所の運送会社でバイトを始める。一方、市が主導する地域振興会議に出席した向田親子は、過疎化対策に関して住民の意見がまとまらず、前途多難であることを痛感する。そんな中、突然この町で映画のロケが敢行されることが決まり、住民たちは浮き足立つ。



 奥田英朗の同名小説の映画化で、原作の舞台は北海道だが九州に置き換えられている。一応、どこの地方都市でも抱える過疎化や少子高齢化、介護問題、結婚難などの社会ネタは網羅されている。しかし、ハッキリ言ってそれらは表面的であり、深い考察は成されていない。作品のコンセプトからすれば当然のことであり、誰しも“ご当地映画”を観てヘヴィな気分になりたくはない。

 よく見れば、主人公は自身もUターン組であったという屈託はあるものの、気の置けない友人が複数いて地域にも溶け込んでおり、比較的恵まれた立場にいることが分かる。現実には孤立している世帯も多いはずだし、状況はより深刻だ。そして、映画製作が当地で行なわれるという“突発的な事態”で全てが好転に向かう兆しを見せるのも都合が良すぎる。

 ただし、切迫した状態に直面せずにそこそこ幸せな生活を送っている地方在住者や、作品のコンセプトを承知した上で割り切って接することが出来れば、不快な気分にならずに最後まで付き合えると思う。森岡利行の演出は目覚ましい部分は無いが、堅実な仕事だろう。康彦に扮する高橋克実は好演だが、意外なことに本作が映画初主演だ。彼のようなベテランでも、主役が回ってこないことがあるのは興味深い。

 富田靖子に板尾創路、白洲迅、近藤芳正、筧美和子、根岸季衣などの他のキャストも悪くない。ロケ地の福岡県大牟田市の風情はよく出ていたし、各登場人物が話す方言もあまり違和感が無い。なお、エンディング曲としてHKT48のナンバーが突然流れて面食らってしまった。メンバーも2人出演している(運上弘菜と矢吹奈子)。まあ、考えてみれば“そっち方面”とのコラボは有り得ることだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ボーダー」

2022-10-30 06:55:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Border)81年作品。この映画の一番の見どころは、あのジャック・ニコルソン扮する主人公が善玉という設定で、しかもヒーロー的な働きまでしてしまうという御膳立てだ。表向きは良い奴だが実は・・・・という、ありそうな仕掛けも無い(笑)。徹頭徹尾、社会悪に立ち向かう正義漢として扱われる。それだけで、観る価値があるかもしれない。

 LA警察に勤めるチャーリーは、犯罪が蔓延る大都市の有様に嫌気がさし、国立公園の管理官として異動することを望んでいた。しかし、知らぬ間に妻のマーシーがテキサス州エル・パソに新居を購入してしまう。仕方なく彼は妻の友人サバンナの夫のキャットと一緒に、メキシコ国境の警備隊として勤務するようになる。



 ある日、彼は若い女マリアが赤ん坊と弟を連れてメキシコから不法入国しようとしているのを見つける。当初は違法行為を咎めていたチャーリーだが、危険を冒して国境を越える者たちが大勢いる現実を知り、マリアに同情するようになる。そんな中、国境警備隊員の不良分子が人身売買に加担していることを知った彼は、敢然と悪に立ち向かう。

 本作が撮られてから40年以上が経つが、メキシコからの不法入国問題は一向に解決しない。中には“国境に壁を作ってやる!”と宣言して大統領にまでなった者もいたようだが、この件は単に力尽くで押さえ込もうとしても無理なのだ。経済格差をはじめ、一筋縄ではいかない要因が横たわっている。この映画もそのあたりに言及しているが、あくまで主眼は前述の通りニコルソン御大演じるチャーリーの奮闘だ。

 彼は決して手練れのファイターではなく、普通の男である。事がそう上手く運ぶわけではない。それでも徒手空拳で立ち向かう姿に、観ていて感情移入してしまう。ベテランのトニー・リチャードソンの演出は、この後に撮った「ホテル・ニューハンプシャー」(84年)ほどの切れ味は無いが、最後までドラマは弛緩することはない。

 ハーヴェイ・カイテルも出てきて、彼本来の(?)役柄を的確に演じている。ヴァレリー・ペリンやウォーレン・オーツ等の脇の面子も良いし、マリアに扮するエルピディア・カリロの可憐さも光る。テキサスの荒野をとらえたリック・ウェイトによるカメラワークは非凡だが、それよりもライ・クーダーの音楽が良い。「パリ、テキサス」や「クロスロード」もそうだが、こういう舞台設定の映画では彼の音楽は抜群の効果を発揮する。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「千夜、一夜」

2022-10-29 06:10:07 | 映画の感想(さ行)
 個人的には評価しない。理由は、タッチが重すぎるからだ。もちろんヘヴィな題材を扱っている関係上、決してライトな雰囲気にはならないことは承知している。しかし、本作は重さのための重さというか、深刻に描くこと自体が目的化しているような傾向があるのだ。映画はそんな暗い“空気”の創出ばかりに気を取られるあまり、各登場人物の内面描写は不十分になっている。これではとても共感できない。

 佐渡島の港町に暮らす若松登美子は、30年前に姿を消した夫の帰りを待ち続けている。地元の漁師である藤倉春男はそんな彼女に対しずっと以前から好意を抱いているが、登美子はまるで相手にしていない。ある日、2年前に失踪したという夫の洋司を捜している田村奈美が登美子を訪ねてくる。役場の紹介で、同じくパートナーが行方不明になった登美子に、何らかのアドバイスを求めてきたのだ。ところが、所用で本土に赴いた登美子は、街中で洋司を見掛けてしまう。



 佐渡島での失踪事件といえば、まずは北朝鮮による拉致を疑う必要がある。もちろん本作でも言及はされているが、扱いは意外とあっさりしたものだ。はっきり言って、それはおかしい。重点的に描く気が無いのならば、舞台を別の場所に設定すべきであった。

 登美子がひたすら夫を待ち続けるのは、夫とのかつての生活がそれだけ輝いていたからだが、それだけで30年も独りで暮らし、義母の世話までする理由にはならないと思う。後半には彼女に何らかのメンタル的問題があることも暗示されるが、それ以上は突っ込まれない。対して早々に別の男と懇ろになる奈美の方がまだ説得力がある。しかし、肝心の洋司の態度は何とも煮え切らない。失踪の原因も曖昧なものだし、正直、どうでもいいキャラクターだ。

 春男にしても、色良い返事がもらえないのならば諦めるべきだが、拗ねて問題行動まで引き起こすのだから呆れてしまう。斯様に、本作の登場人物の造形は観る者の感情移入を拒んでいるがごとくエゴイズムが横溢しているが、作者はそれを当たり前だと合点するかのごとく必要以上の重々しい筆致で島に生きる人々を追うのである。

 久保田直の演出はシリアス一辺倒で感心せず、青木研次によるオリジナル脚本も上出来とは言い難い。登美子に扮する田中裕子をはじめ、尾野真千子に安藤政信、ダンカンなどの主要キャストはいずれも熱演。白石加代子に平泉成、小倉久寛、山中崇、田中要次といった脇の顔ぶれも悪くないだけに、作品のコンセプトをもう少し煮詰めて欲しかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Oh!ベルーシ絶体絶命」

2022-10-28 06:18:59 | 映画の感想(英数)

 (原題:Continental Divide)81年作品。この邦題は、当時「1941」(79年)や「ブルース・ブラザーズ」(80年)を経て人気絶頂にあったジョン・ベルーシの主演作であることを強調するもので、作品の内容とはまったく関係ない。それどころか、彼自身のキャラクターから予想されるようなナンセンスなお笑い劇とはまるで異なる、ロマンティック・コメディなのだ。ベルーシもそれらしく“二の線”に徹しており、彼の多才ぶりが印象付けられる。

 主人公アーニー・スーチャックはシカゴの新聞社に勤める敏腕記者だ。彼は市政界の裏に暗躍する反社会的分子を糾弾する記事を連日発表し、好評を得ていた。ところが敵対勢力から暴行を受けるという事件が勃発。心配した編集長は、アーニーにロッキー山脈の山奥への長期出張を命じ、街から避難させる。取材の対象は、絶滅寸前のアメリカ白頭鷲の生態を調査している女性鳥類学者ネル・ポーターだ。ところが彼女は大のマスコミ嫌い。素気ない態度を取られて気落ちするアーニーだったが、偶然が重なって山小屋に数週間2人だけの生活を強いられる。

 住む世界が異なる男女が、最初は互いに敬遠していたが次第に仲良くなるという、典型的なスクリューボール・コメディの体裁を取る。だから筋書きは予想通りで、重要ポイントは周辺の御膳立てなのだが、けっこう上手くいっていると思う。何より、雄大なロッキー山脈の風景が魅力的。加えて、ヒロインがフィールドワーク中心の学者であることから、動物の描写もけっこう出てくる。舞台が一般ピープルにとっての非日常であり、これならば予定調和のハナシを披露しても違和感が無い。

 マイケル・アブテッドの演出はまあ普通のレベルだが、脚本を名手ローレンス・カスダンが手掛けているせいか、終盤近くの処理などは実に気が利いている。ベルーシの演技は達者で、それからも多彩な役柄を期待されたが、若くして世を去ってしまったのは残念でならない。

 ヒロイン役のブレア・ブラウンをはじめ、アレン・ゴーウィッツにカーリン・グリン、バル・アベリーなど他のキャストも堅実だ。ジョン・ベイリーのカメラによる明媚な山岳地帯の描写は印象に残る。マイケル・スモールの音楽も悪くない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マイ・ブロークン・マリコ」

2022-10-24 06:21:33 | 映画の感想(ま行)
 主人公の荒ぶる内面を手加減なく描き、観る者を圧倒する。ただし、欠点はある。内容を勘案すれば、85分という上映時間は短い。あとエピソードを一つか二つ追加して、各キャラクターをもっと肉付けして欲しかった。しかしながら、それでも本作のメッセージの強さは揺るがない。少しでも浮世の理不尽さを味わった者にとっては、切ない感慨を覚えることだろう。

 若いOLのシイノトモヨは、勤め先のブラック体質に辟易しつつも漫然とした日々を送っていた。ある日、彼女は幼なじみのイカガワマリコが自ら命を絶ったことをテレビのニュースで知る。マリコは子供の頃から実の父親にひどい虐待を受けており、最後まで幸薄い人生を歩むしかなかった。シイノは浮かばれないマリコの魂を供養するため、彼女の遺骨を強奪。そして生前マリコが行きたいと言っていた海沿いの町を目指して、遺骨と共に旅に出る。平庫ワカによる同名コミックの映画化だ。



 まず、マリコの悲惨な生い立ちには言葉も出ない。若くして世を去ってしまうが、言い訳もせずに絶えず自虐的な微笑みを浮かべていたのには、胸が痛む。実を言えば、シイノも生き辛さをずっと感じている。周囲とどう折り合いを付けて良いのか全く分からず、突っ張ってばかりいる。心を通じ合わせられるのはマリコだけだ。いわば“二人で一人”の存在だったのだが、一方がいなくなったことで、シイノは自らの人生の“総括”を迫られる。

 それは見て見ぬ振りをしていた心の傷に改めて向き合い、ギリギリまで追い詰められることを意味する。たどり着いた東北の町は、風光明媚ながら(シイノの心情を象徴するかのように)終日どんよりと曇った空模様だ。また、時折現れるマリコの幻影により自らの不甲斐なさを再確認するという映像的仕掛けは、パセティックな緊張感を喚起させる。また、終盤に展開する思わぬ活劇シーンは、本作が内側に落ち込むだけの暗いシャシンではなく、映画的興趣を十分引き出していることにも感心する。

 脚本にも参画しているタナダユキの演出は堅牢で、シイノが旅先で出会う人々を掘り下げるシークエンスが足りないとは思うが、秀逸なラストまで緩みを見せない。主演の永野芽郁には正直驚いた。ヒロインのやさぐれた風体と言動とは裏腹の、泣けてくるような純情を過不足なく表現し、スクリーンから目が離せない。本年度の主演女優賞の有力候補だ。マリコに扮する奈緒にとってはこういう役柄は自家薬籠中のものだろうが、やはりその求心力には目を見張る。窪田正孝に尾美としのり、吉田羊といった他の面子も万全だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トム・ホーン」

2022-10-23 06:55:25 | 映画の感想(た行)
 (原題:Tom Horn)79年作品。60年代から70年代前半にかけて稀代のアクション・スターとして名を馳せたスティーヴ・マックィーンも、74年の「タワーリング・インフェルノ」を最後に映画製作の現場から一時期離れている。そして久々にスクリーンに復帰した頃に撮られたのが本作だ。しかしながら、往年の活劇編とは完全に趣を異にする大人しすぎるタッチで、公開当時は低評価だったらしい。まあ、正直それほど面白くはないのは確かだが、マックィーンの心境の変化が垣間見えるという意味では、存在価値はあるだろう。

 19世紀末のアメリカ西部で凄腕のガンマンとして知られたトム・ホーンは、訪問先のワイオミング州のハガービルで大牧場主のジョン・コーブルから牛泥棒の駆逐を依頼される。ホーンは早速そのオファーを引き受け、その地域に蔓延っていたならず者どもを一掃する。だが、彼の名声を妬んだ連邦保安官のジョーは、ホーンに少年殺しの濡れ衣を着せて抹殺しようとする。実在した凄腕のバウンティ・ハンターを描いた伝記映画だ。



 とにかく、全体を覆う沈んだ空気には戸惑ってしまう。アクション場面といえば牛泥棒を片付けるシーンぐらいで、あとは主人公を陥れようとする連中の辛気くさい悪巧みや、ホーンが一人で悩んでいる様子などの気勢の上がらない描写が延々と続く。そして、史実通り映画はダウナーな空気を纏ったままエンドマークを迎えるのだ。

 マックィーンは本来内省的で信心深い男だったと伝えられる。往年の華々しいスターの姿は虚像だったのかもしれないし、娯楽映画での仕事が一段落した後に静かな作品をも手掛けたかったという可能性もある。本当のところは分からないが、いずれにしろ一世を風靡した役者でも、そのイメージを生涯引きずることは無いということだろう。ウィリアム・ウィヤードの演出は良く言えば静謐だが、盛り上がりには欠ける。

 ジョン・A・アロンゾのカメラによる茫洋とした西部の荒野や、アーネスト・ゴールドの渋すぎる音楽も相まって、どこかヨーロッパ映画のような佇まいを感じさせる。リンダ・エヴァンスやリチャード・ファーンズワース、ビリー・グリーン・ブッシュ、スリム・ピケンズと共演陣は割と粒が揃っているが、派手なパフォーマンスはさせていない。そのあたりも作品のカラーに合っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「3つの鍵」

2022-10-22 06:16:13 | 映画の感想(英数)
 (原題:TRE PIANI )面白い部分もあるのだが、全体的にはピンと来ない。有り体に言えば、目的と手法がマッチしているようには思えないのだ。深く描きたいのならば登場人物と劇中経過時間を削るべきだし、群像劇に徹するには段取りが万全ではない。監督ナンニ・モレッティは今回初めて原作ものを手掛けたのだが、その点も影響しているのかもしれない。

 ローマの高級住宅地にあるアパートの3階に住むジョバンニとドーラの判事夫婦の息子アンドレアの運転する車が、ある晩近所で死亡事故を起こしてしまう。同じアパートの2階に住む妊娠中の主婦モニカは、ちょうどその時陣痛が始まってしまい、夫が出張中で不在のため一人で病院に向かう。1階に住むルーチョとサラの夫婦は、事情により一晩幼い娘を向かいの老夫婦に預けるが、その老夫は認知症気味で、娘と一緒に行方不明になってしまう。イスラエルの作家エシュコル・ネボによる小説の映画化だ。



 とある事件を切っ掛けにして高級アパートに住む人々の悩み多き人生を浮き彫りにしようとしたのだろうが、この仕掛けは上手くいっていない。そもそも、くだんの事故は犠牲者も出ている重大なものだ。よって、ドラマの中心は判事夫婦とそのバカ息子に据えるという筋書き以外は考えられず、他の住民のことは関知する必要は無い。どうしても話を集団劇に誘導したいのならば、交通事故などを導入部に持ってくるべきではない。もっと平易なモチーフを採用した方が良かった。

 それでも、個々のエピソードには興味を惹かれる部分はある。特にルーチョの迷走には苦笑してしまった。しかし、映画は各登場人物の戸惑いを無視するかのごとく、勝手に時制を数年単位で進めてしまい、何となく解決したような雰囲気を醸し出そうとしているのだから呆れる。ラストの処理など、御都合主義の最たるものだろう。

 モレッティの演出は原作を意識しすぎているのか切れ味に欠け、ここ一番の見せ場が存在しない。それでもマルゲリータ・ブイやリッカルド・スカマルチョ、アルバ・ロルバケル、アドリアーノ・ジャンニーニ、エレナ・リエッティ、アレッサンドロ・スペルドゥーティといったキャストは健闘しているし、ルーチョを翻弄する若い女シャルロットに扮するデニーズ・タントゥッキはすごく可愛い。そういった面では観る価値はあるのだろうが、作品としてはさほど評価出来ない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今村昌弘「屍人荘の殺人」

2022-10-21 06:19:08 | 読書感想文

 久々に肩の凝らない娯楽編でも読みたいと思い、手に取ったのが本書。何でも、第27回鮎川哲也賞をはじめ『このミステリーがすごい!2018年版』や週刊文春『2017年ミステリーベスト10』における一位、第18回本格ミステリ大賞など、数々のアワードを獲得した話題作らしい。だから幾ばくかの期待を持って接したのは間違いない。しかし実際読んでみたら、賞レースを勝ち抜いた作品が必ずしも面白いとは限らないという、普遍的真実(?)を再確認するだけに終わってしまった。

 大学のミステリ愛好会の葉村譲と会長の明智恭介は、何かと訳ありの映画研究会の夏合宿に無理矢理に参加するため、同校の“探偵少女”こと剣崎比留子と共に長野県にある湖畔のペンション“紫湛荘”に押しかけた。ところが合宿一日目の夜に一行が肝試しに出かけた際、まさかのゾンビの大群が襲ってくる。どうやら近隣で開催されていたロックフェスティバルで、ゾンビウイルスのパンデミックが発生したらしい。何とかペンションまで逃げ帰った彼らを待ち受けていたのは、これまたまさかの連続殺人事件だった。葉村たちはゾンビの襲撃を防ぎながら、究極的な密室殺人の謎に挑む。

 スプラッターホラーと本格ミステリーとの二本立てという仕掛けは珍しいし、主要登場人物が前半早々に退場してしまうのも意表を突いている。ただし、面白いと思ったのはその2点のみだ。あとは何とも気勢の上がらない展開が続く。有り体に言えば、これは推理小説ではなくライトノベルに近い。

 ゾンビ出現の顛末には一応目をつぶるとしても、犯人像には無理がありすぎる。もちろん動機は存在するが、それがこれだけの惨劇を生み出した背景だと言われても、到底納得できない。そもそも、ゾンビ襲来という超イレギュラーな事態を犯人が予想できるはずもなく、もしもこのトラブルが無かったらどうやってを自分が疑われずに目的を達成するつもりだったのか全く分からない。

 また、肝心のトリックは手が込んではいるが、真に読む者を驚かせるような仕掛けは無い。人物描写も十分ではなく、譲と比留子との掛け合いはまるでラブコメだし、やたらゾンビに詳しいオタク系部員を除けば、どのキャラクターも軽量級だ。とはいえ作者の今村はこれがデビュー作ということで、今後スキルがアップする可能性はゼロではないだろう。そのあたりは留意したい。

 なお、2019年に木村ひさし監督によって映画化されている。だが、そんなに話題にならなかったところを見ると、出来の方もイマイチだった公算が大きい。わざわざチェックする必要も無いようだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「渇きと偽り」

2022-10-17 06:17:46 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE DRY )これは珍しいオーストラリア製のサスペンス劇だが、思いのほか出来が良い。何より舞台設定が秀逸だ。アメリカともヨーロッパとも違う、題名通り茫洋として乾ききった大地がどこまでも広がる。そして、登場人物たちの心情も潤いを失っている。この背景ならば、何が起こってもおかしくない。少々強引な展開も、不自然にならない。

 メルボルンの連邦捜査官であるアーロン・フォークは、旧友ルークの葬儀に出席するため20年ぶりに故郷の田舎町に帰ってくる。ルークは妻子を殺した後に自殺したらしい。だが、地元の警察には納得していない者がおり、若い頃のルークを知るアーロンも事件の真相を突き止めようとする。



 実は彼らは学生時代に女友達の死に直面しており、一応は事故と片付けられたものの、アーロンは釈然としない気持ちをずっと持ち続けていた。そしてルークの一件は、奇しくも20年前の事件の裏に隠されていた意外な事実をも引き出すことになる。ジェイン・ハーパーによるベストセラー小説の映画化だ。

 彼の土地では長らく雨が降らず、異常乾燥注意報が発出している。広い農場は作物が育たず、今シーズンの不作は決定的だ。斯様な荒涼とした風景の中にあっては、人々は取り繕ってはいられない。殺伐とした自身の本音をさらけ出すだけだ。70年代にはいわゆる白豪主義は建前として無くなり、本作の舞台になる地方にも有色人種の住民がいる。だが差別は厳然としてあり、それが本作のような御膳立ての中では遠慮会釈無く出てくる。しかも、その差別は家族間・友人間でも顕在化し、それが事件の背景に一枚噛んでいるあたりが玄妙だ。

 ロバート・コノリーの演出は強靱で、主人公が都合良く証拠を集めていくという幾分謎な流れも勢いで乗り切ってしまう。そして、終盤に明らかになる2つの事件の真犯人も十分に意外性に富んでいる。主演のエリック・バナ以外は、ジュネビーブ・オライリーにキーア・オドネル、ジョン・ポルソン、ジョー・クローチェックなど馴染みの無いキャストだが、皆良い味を出している。

 カラカラに干上がったオーストラリアの大地を即物的に捉えたステファン・ダスキオによるカメラワークも見事だ。音楽担当はピーター・レイバーンなる人物で、的確な仕事ぶり。だが、それよりも事件のキーパーソンに扮するベベ・ベッテンコートが歌うテーマソングが強烈な印象を残す。ともあれ上映劇場は限られるが、要チェックの作品だと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こちらあみ子」

2022-10-16 06:16:40 | 映画の感想(か行)
 容赦の無い描写の連続で、実に観ていて“痛い”映画である。同じ子供を主人公にした作品でも、先日観た「サバカン SABAKAN」のような偽善的なシャシンとは格が違う。子供なりの“生き辛さ”が前面にクローズアップされ、私をはじめとする大人の観客がとうの昔に忘れたはずの屈託が、生々しく提示される。好き嫌いは分かれるかもしれないが、見応えのある力作と言える。

 広島県の海沿いの町で暮らすあみ子は少し風変わりな小学5年生。優しい父親と、書道教室の先生で妊娠中の母、そして面倒見の良い兄の4人家族だ。ところが赤ん坊はとうとう産まれなかった。そして母を慰めるつもりで取ったあみ子の軽率な行動が、逆に母に大きな心理的ショックを与えてしまう。そんな状況に嫌気がさした兄はグレて家に寄り付かなくなり、父はオロオロするばかりで何の役にも立たない。やがて時が経ちあみ子は中学生になるが、相変わらず周囲から浮いた存在のままだ。芥川賞作家である今村夏子が2010年に上梓したデビュー作の映画化である。



 有り体に言ってしまえば、あみ子はたぶん発達障害だろう。他者との距離感が、まったく掴めない。自分ではよかれと思っている言動も、それが他人にどう思われるのか想像できない。ただ、誰も相手にしてくれない境遇を表現するかのように、誕生日にもらった電池切れのトランシーバーに“応答せよ、応答せよ。こちらあみ子”と話しかけるだけだ。

 これを“特定の問題を抱えた子供に限定したようなハナシだろう(こちらには関係ない)”と切り捨てられる者がいるとすれば、それはそれで結構なことである。しかし、思うようにいかない子供時代を少しでも経験した人間ならば、あみ子の立ち位置はシャレにならないほど切迫していることが分かる。

 そして、映画はあみ子に対して甘い顔は一切見せない。逆境に次ぐ逆境を冷徹に描くだけだ。その思い切りの良さは観ていて清々しいほどである。もちろん、ヒロインがどんなに面白くない目に遭おうとも、人生はこれからも続いていくのだ。その意味では、とてもポジティヴな作品でもある。

 これが長編デビュー作になる森井勇佑の演出は堅牢で、向こうウケを狙うような素振りは見せない。ドラマを一つ一つ積み上げるだけで、その姿勢は評価に値する。あみ子に扮する大沢一菜は怪演と言うしかなく、目覚ましい存在感を発揮している。母親役の尾野真千子は奇しくも「サバカン SABAKAN」にも出ているが、こっちの方が遥かに訴求力が高い。父親を演じる井浦新も好調だ。舞台になる広島の町も風情があって実によろしい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする