元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

最近購入したCD(その19)。

2010-05-29 06:17:46 | 音楽ネタ
 ブルックリン出身の男女6人編成のバンド、ダーティー・プロジェクターズによる「ビッテ・オルカ」はちょっとした“衝撃”だった。これは彼らの5枚目のアルバムということだが、私は彼らのサウンドを聴くのは初めて。とにかく一度接したら忘れられないほどのインパクトがある。オルタナティヴやグランジ系のロックをベースとしていながらも、ヒップホップやリズム&ブルース、クラシックのテイストやトラッド・フォークの要素も取り入れ、しかもそれらが個別的に並べられるのではなく、有機的な厚みを持ってリスナーに迫ってくる。



 異彩を放つのは全編を覆う女性コーラスで、ブルガリアン・ヴォイスのような清涼さを見せるかと思えば、変拍子の大きな触れ幅を伴ったエキセントリックな展開に突入するというような、聴く者の予想を良い意味で裏切り続けるハーモニーは息もつかせないほどスリリングだ。通常、このような凝ったサウンド・デザインの音源はスタジオ録音で真価が発揮されると思いがちだが、実はライヴの方がもっと凄いのだという。とにかく、着想と演奏能力でUSインディー・シーンをリードする逸材であることは間違いない。必聴だ。

 次に紹介するのが、オレゴン州ポートランド在住のジャズ・ベーシスト兼ヴォーカリストのケイト・デイヴィスのファースト・アルバム「イントロデューシング」。アコースティック・ベースを弾きながら歌う女性ジャズ・ミュージシャンとしては以前紹介したニッキ・パロットがいるが、大人の色香で迫るパロットに対してこちらは二十歳前の若さ(レコーディング時は高校生だったらしい)。しかもジャケット写真からも分かるように、外見は完全なアイドル系。ところが、サウンド自体はけっこう本格派なのだ。



 冒頭、いきなり速いテンポのベースのソロから始まる。ヴォーカルが挿入されるのがその後であり、いかにも“ルックスだけで売っているのではなく、テクニックも確かなのだ”という気負いが感じられる。実際に演奏技巧面では堅実だが、ヴォーカルはさらに良い。曲はスタンダード・ナンバー中心で、ベテランの深みは出せない代わりにストレートかつストイックに歌い上げており、若さ溢れるパフォーマンスは実に好ましい。また特筆すべきは録音の良さで、小細工のない清涼な音像が的確な距離感を伴って配置される。今のところ輸入盤でしか手に入らず、置いてある店も限られるが、聴いて損のない佳篇である。

 デンマークのコペンハーゲンに住むジャズ・ピアニスト平林牧子が、自らのトリオを率いて吹き込んだ2枚目のアルバム「ハイド・アンド・シーク」は、雑誌「ジャズ批評」の2009年度のディスク大賞を獲得した話題作。実際に聴いてみると、期待に違わぬ密度の高さを感じることが出来る。メロディ・リズム共なかなか攻撃的で、聴き手に緊張感を与えるものの、決して突き放してはいない。フッと挿入される美しいメロディは素晴らしく効果的だし、鮮やかなハーモニーには圧倒される。



 平林自身の実力もさることながら、ドラムスを担当している女流パーカッショニスト、マリリン・マズールの存在感も見逃せない。マズールはマイルス・デイヴィス・グループ等でのプレイで異彩を放っていたが、ここでも変幻自在のビート展開を次から次へと繰り出し、トリオの演奏に強い求心力を与えている。それから国内盤はHQCD仕様のためか、本当に音が良い。ちょっと聴いた感じではヌケが悪いように思われるが、やがてその広大な音場の表現性(特に奥行き)に驚くことになる。前述のケイト・デイヴィスのアルバムと同様、オーディオシステムのチェック用にも使える優秀録音盤だ。
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「グリーン・ゾーン」

2010-05-28 06:42:55 | 映画の感想(か行)

 (原題:Green Zone)あまり盛り上がらない。これは監督のポール・グリーングラスの演出スタイルと題材が噛み合っていないからだ。ジェイソン・ボーンシリーズや「ユナイテッド95」がどうしてあれだけヴォルテージが高かったかというと、殺し屋に追われる元スパイや墜落の危機に直面した旅客機といった切迫した状況が、日常生活のすぐ隣に出現したからだ。

 つまり、主人公たちの決死の行動と、平穏無事な社会との凄まじいギャップが観る者を戦慄せしめるのである。手持ちカメラを活かした臨場感溢れるグリーングラスの画面構築は、単体で評価されるべきものではない。それを効果的に見せるための段取りこそが重要なのだ。

 翻って本作の舞台はフセイン失脚直後のイラクである。マット・デイモン扮する陸軍特殊チームの隊長は、不確かな情報を元に大量破壊兵器を追い求める。当然、行く手にはゲリラをはじめとする剣呑な連中が控えていて、朝から晩まで緊張の連続だ。グリーングラスはこの様子を持ち前の即物的なタッチで綴るが、そこにはシビアな情勢と比較すべき“普通の生活”はまったく描かれないし、そもそもイラク全土が非常時体制なので描きようがないのである。

 だから映像は派手でもどこか一本調子になり、“周りの環境が厳しく、兵士達も厳しい。ああ大変だね”で終わってしまう(爆)。静と動とを巧みに融合させてメリハリのある作劇に徹したキャスリーン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」に遅れを取るのも当然だと思われる。

 さらに鼻白むのは、大量破壊兵器の存在の欺瞞性を観客側が知っているため、底が割れてしまうことだ。さらに、あろうことかこの映画はその原因を“一人のペンタゴンの高官(グレッグ・キニア)のたくらみ”で終わらせてしまう。もちろん、そのバックには軍産複合体の暗躍だの何だのといったキナ臭い事情がスタンバイしているのだが、本作ではそこまで深く突っ込まない。

 だいたい、第二次大戦時のようにオールマイティなパワーを持っていたアメリカならば、大量破壊兵器の存在自体をデッチ上げることも可能だったはずだが、今や軍やCIAを動員させても達成できない。アメリカの国力低下が印象付けられる今日この頃だが、映画ではそのへんにも言及しておらず、上っ面の描出に終始する。

 いくら“ブッシュ政権時のアメリカ政府はなっていなかった”と主張しようと、現在も中東情勢は混迷のままだ。その状態を放っておいて過去の責任のなすり合いを行っても、何かの冗談としか思われない。軍事ネタを扱っていてもお気楽な活劇編にしか見えない、凡庸なシャシンである。
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「茶の味」

2010-05-27 06:33:28 | 映画の感想(た行)
 2003年作品。美しい山間の町を舞台に、それぞれが屈託を抱えたある家族の何気ない日々をマッタリと綴るドラマ。石井克人監督もさすがに「鮫肌男と桃尻女」「PARTY7」の路線を引っ張るのはヤバイと思ったのか、この3作目では目先を変えてホームドラマに挑戦した。ただし結果は大失敗だ。

 原因は前作までの“おちゃらけ活劇”では笑って済ませられる“ディテールの甘さ”が、ホームドラマでは通用しないことに作者が気が付かなかったこと。一家の主が催眠療法士で、妻がアニメーター、彼らの兄弟がミキサーと売れっ子漫画家で、祖父も元アニメーター。そんな家族が栃木県のド田舎に住んでいるというデタラメな設定からして“引いて”しまう。

 たぶん石井はそんな“浮世離れした職業の連中”しか描けないのであろうが、いつもの映像ギミックをこの題材で活かすにはドラマ自体が“現実的”でないといけないのに、設定もストーリーも演技も全て“非現実的”では、映画自体が単なる与太話にしかならず、観ていて気分が悪くなってしまった。

 繰り出されるギャグも前作までと同パターンである上、狙いが見透かされてシラケるばかり。もう石井は監督から撤退すべきだ。少なくとも今後は脚本を他のマトモな者に任せた方が良い。キャスト面でも、印象に残ったのは珍しくマジメな田舎の女子学生に扮した土屋アンナぐらい。浅野忠信も手塚理美も三浦友和も精彩が無く、困ったものである。
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「アイガー北壁」

2010-05-26 06:50:46 | 映画の感想(あ行)

 (原題:NORDWAND)圧倒される映画だ。ベルリン五輪直前の1936年、ナチス・ドイツは国威発揚のため、前人未到のアルプスの難所であるアイガー北壁の初登頂に成功したドイツ人に金メダルを与えると発表。若き登山家のトニーとアンディは各国のクライマーと共に、この荒行に挑戦する。

 有り体に言えば、まず他国への侵略行為を正当化するナチス政権への糾弾があり、次に“栄光か悲劇でなくては記事にならない”と平気で言ってのけるマスコミに対する批判が作品の“表向きの”テーマなのだろう。しかし、屹立するアイガー北壁の偉容が画面に映し出され、主人公達が目もくらむ絶壁に取り付き始めると、そんなことはどうでも良くなる。この映画は、圧倒的な存在感を見せつける大自然に挑み続ける人間達の、狂気のドラマなのだ。

 私を含めた登山に興味のない人間にとっては、ああいう峻厳な山々を見ただけで“登ってみたい”とは絶対に思わない。いくら誘われても、Uターンして退散だ(爆)。ところが世の中にはあの険しい頂を征服したいと考える者がいるのだ。しかも、帰還出来ないかもしれないという危険性を承知していながらである。ハッキリ言って頭がおかしいと思う。

 最初は金メダル狙いとか有名になりたいとかいった下世話な表向きの理由で集まってきたクライマー達も、いざ北壁を目の当たりにすると、理性も何もかも吹っ飛んで嬉々として危険な山登りに邁進する。瀕死の重傷を負おうがルート確定が不調だろうが関係ない。自らの命が尽きるまで続く“魔界行”に観る者は戦慄するしかない。

 おそらくは、頂上を制覇した者でないと分からないスーパーナチュラルな境地がそこにあるのだろう。常人には及びも付かない世界に魅入られた者達の常軌を逸した所業を描出したという意味では、本作の存在感は大きい。

 フィリップ・シュテルツェルの演出タッチは鋼のように強靱で、ハリウッド映画がよくやるようなエンタテインメント路線は取らない代わりに、堅牢なプロットの積み重ねで観客をグイグイと引っ張ってゆく。映像は素晴らしく、覆い被さるようなアイガー北壁の巨魁と、陶然とさせるような自然の美しさを描き出して圧巻だ。

 主人公の二人を演じるベンノ・フュルマンとフロリアン・ルーカスはドイツ人らしいゴツゴツした面構えと、そこはかとない甘さを併せ持った逸材だ。ヒロイン役のヨハンナ・ヴォカレクは美人ではないが、意志の強さと行動力で実に好ましく捉えられている(グリーンの瞳が魅力的だ)。とにかく、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「彼方へ」(91年)と並ぶ、ドイツ製山岳映画の金字塔である。
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「ヘブン・アンド・アース」

2010-05-25 06:40:40 | 映画の感想(は行)
 (原題:天地英雄)2003年製作。7世紀末の中国西部を舞台に、宝物を運ぶ隊商とそれを狙う突厥族との追撃戦を描くフー・ピン監督作品。驚くほど内容が韓国=中国合作の「MUSA/武士」に似ている。アメリカの西部劇や黒澤明作品の影響を受けているところもそっくりだ。

 ただし、出来は「MUSA」ほどではない。だいたい活劇編にもかかわらず話を詰め込みすぎ。元遣唐使で帰国の許しを得るために謀反人を討つ旅に出る剣客(中井貴一)のエピソードがメインになるのかと思ったら、その謀反人(チアン・ウェン)の生い立ちが物語の大部分を占めるようになり、彼が仲間を集めて「荒野の七人」みたいな展開になったのも束の間、何やら「レイダース/失われたアーク」ばりに宝物の“霊力”が強調されたりもする。これではラストが尻切れトンボみたいになるのも当然だ。

 しかし、それでも観ている間は面白い。A・R・ラフマンによる勇壮な音楽に乗って展開されるアクション場面はスリル満点だ。主人公達が狭い渓谷に逃げ込み、敵をおびき出して倒していくシーンに代表されるように、活劇の段取りが実に上手い。映像や衣装も言うことなし。それだけに絞り込みの足りない脚本が惜しまれる。なお、ヒロイン役のヴィッキー・チャオは相変わらず可愛い。
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「17歳の肖像」

2010-05-24 06:24:35 | 映画の感想(英数)

 (原題:An Education)予告編で紹介されたこと以外は何もない映画である。1961年のロンドンを舞台に、オックスフォード大を目指していた女子高生が胡散臭い年上の男と知り合い、大人の世界を垣間見た後、自分を取り戻して元の生活に収まるまでを描いた作品だ。もちろん、いろいろな経験を積んだ彼女はほんの少し“成長”しているというオマケ付きである。

 話自体が“語るに落ちる”ようなレベルで意外性のカケラもないし、出てくるキャラクターがいずれも判で押したみたいなタイプばかり。まあ、微妙な屈託を抱えている担任の女教師や、腹に一物ありそうな年上男の友人(およびその彼女)のように突っ込めばそれなりの面白さを出せそうな登場人物も存在するのだが、作劇は通り一遍に流すだけである。

 監督は「幸せになるためのイタリア語講座」(私は未見)のデンマーク出身のロネ・シェルフィグなる人物だが、平易に過ぎる展開に終始し、そんなに力量のある演出家とも思えない。

 本作で一躍脚光を浴びたというヒロイン役のキャリー・マリガンは、確かにスタイルは良いが御面相は老け顔でパッとせず、演技のカンも殊更優れているとは感じない。少なくとも日本の若手女優陣の敵ではないだろう(爆)。エマ・トンプソンも顔を出しているが、正直、どうでもいい役だ。

 ケナしてばかりでは何なので、ちょっと興味を覚えた部分も書いておこう。それは時代設定だ。1961年はまだビートルズやローリング・ストーンズは台頭していない。当時はロンドンはポップカルチャーの中心地ではなく、ただの保守的な街だったのだろう。背伸びしようとしていた若者の憧れの的はパリだったというのが面白い。主人公が心酔するのはジュリエット・グレコの歌声やサルトルの哲学だ。いわゆる“スウィンギング・ロンドン”の前夜の様子を示してくれたのは有り難かった。

 それと、有名大学に入るための段取りも興味を引いた。欧米の一流大は成績が良いだけでは入れず、どういう課外活動をやったのかも考査基準になるが、ヒロインの父親の“戦略”が徹底して功利的で、何にどれぐらい手を出したのかということばかり重視する。どんな成果を上げたのかは二の次らしい。現在の状況は分からないが、少なくともこの頃はこういう指導方法もあったのかと、ヘンなところで感心した次第である。
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「美術館の隣の動物園」

2010-05-23 06:56:47 | 映画の感想(さ行)
 (英題:ART MUSEUM BY THE ZOO )98年韓国作品。10日間の兵役休暇を得た主人公(イ・ソンジェ)が婚約者のアパートを訪ねたところ、彼女はとっくの昔に別の男と一緒になるために出て行っており、代わりに住んでいたのは見知らぬ若い女(シム・ウナ)。しかも、スッピンの顔で髪はクシャクシャ、言葉遣いも態度も乱暴な困ったキャラクターだ。邪険に立ち退かせるわけにはいかず、彼はこの女と奇妙な“共同生活”を送るハメになる。

 全然手入れしていない髪に洒落っ気のない服装といったブス仕立てのヒロイン設定が“顔がデカくてズン胴”のシム・ウナの身体的難点(失礼 ^^;)を強調しているのは実に遺憾だが、映画自体は実にチャーミングで楽しめる。

 性格が正反対の男女が出会い、衝突しながらも最後には恋に落ちるという筋書きは定番そのもの。主人公たちの書いているシナリオが劇中劇として挿入され、その中で演じているのが二人のそれぞれの片想いの相手だというのも、それほどの新奇さはない。しかし、丹念にキャラクターを造形して演出タッチを工夫すれば、話がありがちであっても共感を得られる映画に仕上がるものなのだ。

 赤い傘、オンボロ車、靴下を履かない足etc.各素材の扱い方が主人公たちの気持ちをよくフォローしている。音楽の使い方もセンスがいい。監督イ・ジョンヒャンはこれがデビュー作で、少々展開がぎこちないところがあるものの、作劇は軽快でイヤ味がない。紅葉が映えるソウルの街の描写も魅力的。
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「ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い」

2010-05-22 15:24:50 | 映画の感想(た行)

 (原題:Io, Don Giovanni)まるで面白くないのは、監督カルロス・サウラの特質を活かしていないからだ。とはいえ、サウラは(受賞歴こそ多いが)個人的には「カルメン」(83年)のみの“一発屋”であると思う。どうして「カルメン」は傑作たり得たかというと、ドラマと劇中劇との絶妙の融合ゆえである。これがサウラ監督の真骨頂であり、逆に言えば「カルメン」以外のサウラ作品はそれが成功していない。脚本段階でドラマが劇中劇に対して及び腰になっており、両者がクロスするスリルを味わえない。

 本作はどうかと言えば、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」に題材を取り、映画の中でも大々的にフィーチャーしてはいるものの、ドラマ自体はオペラの上っ面を撫でているに過ぎない。しかもこのドラマが陳腐で退屈でどうしようもない。まるで素人の作劇だ。

 オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の脚本を書いたイタリアの詩人で劇作家のロレンツォ・ダ・ポンテ(ロレンツォ・バルドゥッチ)と、モーツァルトとの交流を描くこの映画、実質的な主人公であるダ・ポンテの造型がとにかく薄っぺらだ。作品に対する真摯な姿勢がまるで見えない。単なるプレイボーイである。

 モーツァルトに至っては「アマデウス」の二番煎じ。サリエリも同様。オペラのモデルとなるジャコモ・カサノヴァにしても、まったく存在感がない。よくもまあこんな腑抜けたキャラクター設定で映画作りに臨めたものだ。ドラマ運びも無用なシークエンスの繰り返しが目立ち、実に素人臭い。

 その代わりと言っては何だが、上演オペラの場面は見応えがある。巨匠ヴィットリオ・ストラーロのカメラによる奥行きのある画面構成。そして深く鮮やかな色彩。舞台演出も場面展開の処理などで卓越したものを見せる。もちろん、演奏および独唱者は万全だ。有り体に言えば、サウラの演出による「ドン・ジョヴァンニ」をそのまま流せば良かったのである。つまらないドラマ部分など、必要ない。

 それにしても、この「天才劇作家とモーツァルトの出会い」なる邦題は観客に誤解を与えることになろう。確かにモーツァルトも出てくるのだが、あくまで脇役だ。しかも、前半のイタリアが舞台になったパートでは、バックに流れるのはモーツァルトの音楽ではなくヴィヴァルディなのだ。このあたりも違和感を覚えてしまう。
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「タイムマシン」

2010-05-21 06:52:11 | 映画の感想(た行)
 (原題:The Time Machine)2002年作品。あまりにも有名なジョージ・パルによる映画化から約40年。古典的SFの再映画化に新人監督を当たらせ、しかもそいつが原作者H・G・ウェルズの曾孫(サイモン・ウェルズ)だというのだから、これは凡作間違いなしと思っていると、意外にも楽しめた。

 まず前半の19世紀のニューヨークの描写が綿密な時代考証も相まってなかなか見応えがある。さらに、未来への旅の途中にタイムマシンから見える風景が次々と移り変わっていく場面は、SFXが見事に決まっていて瞠目させられた。特殊効果のインパクトは予算ではなく作者のセンス次第だということを痛感する。

 主人公が80万年後の世界に到達した後は単純なアドベンチャーものになってしまうが、ここを原作通り“社会風刺”を優先して描くとシラケてしまうのは必至なので、これで正解だろう。哀切なラストも印象的だ。

 主演のガイ・ピアースはそつのない仕事。ヒロイン役のサマンサ・マンバは確か歌手のはずだが、破綻のない演技で感心した(けっこう可愛いし ^^;)。それにしても、ジェレミー・アイアンズ扮する未来人のセリフ、“時間旅行なんて簡単だ。過去に行きたければ回想に浸ればいい。未来に行きたければ未来を夢想すればいい”というのは至言である。
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「9<ナイン> ~9番目の奇妙な人形~」

2010-05-20 06:17:50 | 映画の感想(英数)

 (原題:9 )見事なキャラクター造型と上出来の活劇シーンにより、とりあえずは見応えのある作品に仕上がっている。しかし、世界観の構築に詰めの甘さが感じられるのが残念だ。2006年の米アカデミー賞短編アニメーション部門の候補になったシェーン・アッカー監督の「9」を、ティム・バートンの製作により長編としてリメイクしたもの。人類が滅亡した後に地上に生み出された、小さな人形たち(身長は推定10数センチ)の戦いを描く。

 主人公の「9」をはじめとして9体の人形には固有名詞が無く、すべて番号で呼ばれる。全員ガラクタとボロ布を組み合わせたような出で立ちだが、それぞれ明確に描き分けられていて、性格付けもしっかりとしている。しかも「9」の声はイライジャ・ウッドが担当し、他にもクリストファー・プラマーやマーティン・ランドー、ジョン・C・ライリー、ジェニファー・コネリーなどの有名どころが吹き替えに参加。キャラクター設定に厚みを与えている。

 彼らの相手になるのが“ビースト”と呼ばれる巨大なメカモンスター群で、次から次へと多様な形態を伴って襲ってくる。アクションの段取りとスピード感は素晴らしく、アイデア満載の展開は観ていて息つく暇もない。また、沈んだ画調や“ビースト”の外見などにヤン・シュヴァンクマイエルやブラザーズ・クエイなどの影響が見られるのも興味深い。

 ただし、冒頭に書いたようにシチュエーションの作り込みには随分と難がある。だいたい、機械が反乱を起こして人類を滅亡に追いやったという設定そのものが古い。こんなのは「ターミネーター」シリーズをはじめとして大昔からさんざん取り上げられてきたネタで、手垢にまみれていると言っても良い。さらに、この機械を最初悪用しようとしたのは、絵に描いたような独裁者。あまりにもマンガチックで失笑してしまった。

 実は人形達を作ったのは“ビースト”の考案者と一緒なのだが、心を持たない“ビースト”に対抗するためにどうして9体の人形を作り上げたのか、分かったようで全然分からない。

 結局、人類のいないこの世界でどうやって彼らが“生きて”いくのか、あるいは何を目的にして“生きて”いこうとするのか、それらも何ら説明されておらず、極めて居心地の悪いラストに向き合うことになった。この作り込みの不十分さが“オタクの限界”を示しているのかと思った次第である。
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