元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ワン・モア・タイム あの日、あの時、あの私」

2023-06-30 06:08:08 | 映画の感想(わ行)
 (原題:ONE MORE TIME )2023年4月よりNetflixより配信されたタイムループ仕立てのスウェーデン製ラブコメ作品。他愛の無いシャシンなのだが、意外と楽しめた。脚本は少しばかり捻ってあるし、エクステリアはチャーミングだ。キャラクターもけっこう屹立している。何より上映時間が85分とコンパクトなのが良い。

 主人公のアメリアは40歳になった現在も配偶者はもちろん交際相手もおらず、仕事は退屈で捨て鉢な人生を送っていた。そんな彼女がふと思い出したのは、幼少の頃に町外れに埋めたタイムカプセルのことだ。18歳になった日に掘り起こして開封する予定だったのだが、今まで失念していたのだ。暇つぶしに様子を見に行こうとしたその時、トラックと接触事故を起こして気を失ってしまう。



 気が付くと、アメリアは18歳の誕生日にタイムスリップしていた。思わぬ形で若さを取り戻した彼女は当初は喜んでいたが、やがて同じ日を何度も繰り返すタイムループにハマったことに気付き愕然とする。何とかそこから脱出しようとするが、彼女の努力はことごとく水泡に帰す。

 この設定はハロルド・ライミス監督の「恋はデジャ・ブ」(93年)に似ていると思ったら、劇中でもその作品のDVDが小道具として登場するので笑ってしまった。ただ「恋はデジャ・ブ」と違うのは、過去の特定の時点に主人公が飛ばされた上で、その一日が延々と繰り返されることだ。アメリアはライミス作品を“参考”にして、何かこの時間軸でやり残したことがあったはずだと奮闘するが、なかなか上手くいかない。

 実はくだんのタイムカプセルに関係する人物が鍵を握っているのだが、それにどうアプローチするのか、その過程がちょっと面白い。ラストの扱いも意外性がある。ヨナタン・エツラーの演出は特段才気走ったところは無いが、観る者を退屈させないだけの堅実さは持ち合わせている。主演のヘッダ・スティールンステットが中年期も十代の頃も両方演じているが、あまり違和感を覚えないのは本人の演技力に加えてある種年齢不肖のルックスによるところが大きい。

 マクスウェル・カニンガムにエリノア・シルヴェスパレ、ミリアム・イングリッド、ペル・フリッツェルといった顔ぶれはもちろん馴染みは無いが、皆良い演技をしている。そして何より主人公たちが身に付ける衣装や、住居の佇まいがカラフルで目を奪われる。そして郊外の自然の風景は本当に美しい。あまり期待するのは禁物かもしれないが、観て損するような内容ではないと思う。
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「逃げきれた夢」

2023-06-26 06:08:01 | 映画の感想(な行)
 これは良かった。無愛想で洒落っ気もないエクステリアと起伏に乏しいドラマ運び。途中退場者がけっこう出そうな案配だったが、そういう事態にもならず最後まで密度の高さがキープされている。特に中年以上の年代の者に対しては、かなりアピールするのではないか。このような“大人の鑑賞に堪えうる作品”が、今の邦画界には必要なのだと改めて思う。

 北九州市の定時制高校で教頭を務めている末永周平は、定年まであと少しの時間を残すのみになった。ところが最近、記憶が薄れていく症状に見舞われている。元教え子の平賀南が働く定食屋を訪れた際も、勘定を済ませずに店を出てしまう。どうやら病状は思わしくないようで、数年後どうなっているか分からない。気が付けば妻の彰子や娘の由真との仲は冷え切り、旧友の石田とも疎遠になっている。周平は自身の人間関係を今一度仕切り直そうと、自分なりに行動を始める。



 主人公が抱える病気に関して、映画は殊更大仰に扱ったりしない。もちろん、お涙頂戴路線とも無縁だ。病を得たことは、単に自身の境遇を見直す切っ掛けに過ぎない。人間、誰しも年齢を重ねると自分の人生がこれで良かったのかという疑念に駆られることはあるだろう。彼の場合は、それが病気の発覚であっただけの話だ。

 周平は斯様な事態に直面しても、決してイレギュラーな行動に及ばないあたりが共感度が高い。黒澤明の「生きる」の主人公のようなヒロイックな存在とは縁遠いが、それだけ普遍性は高い。粛々と仕事をこなし、家族と敢えて向き合い、友人と旧交を温める。他に何も必要は無いし、何も出来はしない。

 それでも、唯一自分の境遇を打ち明けた南との“逢引き”の場面で心情を吐露するくだりは胸を突かれる。南も屈託を抱えているが、かつての恩師と膝を突き合わせることにより、自身の置かれた立場を認識することが出来る。これが商業デビュー作になった二ノ宮隆太郎の演出は、徹底したストイックな語り口を35ミリ・スタンダードの画面で自在に展開するあたり、かなりの実力を垣間見せる。ラストの処置も鮮やかだ。

 12年ぶりに単独主演を務める光石研のパフォーマンスは万全で、この年代の男が背負う悲哀を的確に表現している。石田を演じる松重豊との“オヤジ臭い会話”は絶品だし、妻に扮する坂井真紀と娘役の工藤遥の仕事ぶりも言うことなし。特筆すべきは南に扮する吉本実憂で、この若い女優はいつからこのような高い演技力を会得したのかと、感心するしかなかった。

 オール北九州市ロケで、主要登場人物は地元出身者中心。遠慮会釈無く方言も飛び交う(笑)。だが、いわゆる“御当地映画”の枠を超えた訴求力を持ち合わせている。なお、第76回カンヌ国際映画祭ACID部門に出品されているが、是枝裕和監督の「怪物」よりも、質的には本作がコンペティション部門のノミネートに相応しいと思った。
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最近購入したCD(その42)。

2023-06-25 06:05:17 | 音楽ネタ
 ミズーリ州セントルイス出身の女性R&BシンガーのSZA(シザ)が2022年12月に発表したセカンドアルバム「SOS」は、10週全米ナンバーワンを記録するほど評判を呼んだが、長らくネット配信のみのリリースであった。ところが2023年5月にやっとCDでの発売が始まり、早速買い求めた。やはり音楽ソフトはフィジカルで所有した方が安心できる(笑)。

 内容だが、実に質が高い。R&Bだけではなく、ヒップホップやロックなどの複数ジャンルのテイストを取り込んでいるが、いずも自家薬籠中の物としており、それが精緻なアレンジと共に提供される。音像の一つ一つにまで神経が行き届いており、聴くたびに感心させられる。ハスキーな声質は魅力的であり、歌詞の内容もリアルで一切妥協が無い。売れたのも十分納得できる。



 ファーストアルバムの「Ctrl」が発表されたのが2017年だったので、この「SOS」の製作には足かけ5年以上も要したことになる。前作も決して悪くはなかったのだが、やはり2枚目の本作の方がキャッチーで良く練られている。なお、国内盤のCDにはボーナストラックが2曲収められており、お得感が強い。リリース後の国内ツアーも大盛況だったようで、当分彼女の快進撃は続きそうだ。

 東京出身ながら活動拠点を九州に移して意欲的な活動を展開していたジャズ・ピアニストの細川正彦が、2022年8月に急逝していたことを最近知りとても驚いた。まだ若かったのに本当に残念だ。彼の遺作になってしまった最新アルバム「デュオローグ」では相変わらず手堅いパフォーマンスを見せており、惜しい人材を失ったものだとつくづく思う。

 山本学のベースとセバスティアン・カプテインのドラムスを従えたトリオ作で、細田のオリジナル曲が多いが、チック・コリアやビル・エヴァンスのナンバーのカバーもある。細田のピアノは確固としたテクニックに裏打ちされた骨太なものだが、流麗な歌心がありロマンティックで美しい。決して甘くならず、ある意味ビターなテイストも前面に出るが、抜群のリズム感により幅広い層にアピールできると思う。



 なお、本ディスクはレコーディングエンジニアの小宮山英一郎が監修した“小宮山スーパーケーブル”を使用しており、96KHz32ビットのスペックで収録されている。だからというわけではないが、録音はかなり良い。低域から高域まで曖昧さが無く、位相が整ったサウンドだ。音場の掴み方は自然だし、音像の滲みも無い。オーディオシステムのチェックにも十分使える内容だ。

 コリン・デイヴィスがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して70年代後半に吹き込んだ「ペトルーシュカ」などのストラヴィンスキーのバレエ音楽3部作をまとめたディスクが廉価版2枚組で出ていたので、思わず買ってしまった。しかも、1963年にロンドン交響楽団とレコーディングした「春の祭典」もオマケに付いている。これが1800円ほどで手に入るのだから、コストパフォーマンス(?)は本当に高い。



 たぶん、それまで野趣に富んだケレン味の強い演奏が多かったストラヴィンスキーの作品を、純音楽的に練り上げたアプローチの嚆矢ではなかったか。どのナンバーも洗練された味わいで、しかも決してエルネギーは失わない。第16回(78年)レコード・アカデミー賞を獲得しており、特に「火の鳥」はこの曲の代表的名盤の一つだと思う。

 クラシックのソフトではアナログ録音の最終時期に当たり、それだけに従来からのノウハウの集大成的な仕上がりになるほど、このディスクの音は良い。音場は前後左右に広く、音像は決してヒステリックにならず中庸をキープ。それでいてボケたところは無い。63年版の「春の祭典」はさすがに古さを感じさせるが、資料的な意味合いはあるだろう。とにかく、買って損の無いCDだ。
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「クリード 過去の逆襲」

2023-06-24 06:08:20 | 映画の感想(か行)
 (原題:CREED III )「ロッキー」シリーズを継承した「クリード」の第3作だが、シルヴェスター・スタローンは登場せず、しかも主演のマイケル・B・ジョーダン監督が初めてメガホンを取るという“無謀”な建て付けが判明した時点で早々に期待する気は失せていた。しかし、今まで一連の作品群にリアルタイムで接してきた身としては観ないわけにはいかない。結果、やっぱり映画の内容には満足出来なかったが、一応は鑑賞の“ノルマ(?)”を果たしたという意味で清々した気分で劇場を後にした。

 ロッキーの親友アポロの息子アドニス・クリードは世界チャンピオンにまで上り詰め、引退試合になる防衛戦にも勝利を収めた後は家族とともに平穏な生活を送っていた。そんなアドニスの前に、幼なじみのデイムが現れる。彼は18年間の服役生活を終え、出所したばかりであった。デイムが逮捕されたのは少年時代のアドニスの不祥事のためで、彼は復讐心に燃えていた。デイムは刑務所にいる間に過酷なトレーニングを積んでおり、現役ボクサーと同等の身体を作り上げ、改めてアドニスに挑戦状を叩き付ける。アドニスは自らの過去に決着をつけるためにカムバックを宣言し、デイムとの戦いに臨む。



 デイムが検挙された経緯がよく分からず、そもそも凶悪犯罪をやらかしてもいないのに懲役18年は重すぎる。それにいくら服役前は地下ボクシングで鳴らしていたとはいえ、デイムが出所してすぐにプロボクサーとやり合い、挙げ句の果ては世界タイトル戦に出てしまうという展開も無理筋の極みだ。

 アドニスの母が思わせぶりに登場するが、大した意味は無い。アドニスの妻ビアンカの扱いは実に軽く、耳が不自由な娘の成長物語が大きくフィーチャーされるのかと思ったらそうでもない。肝心の試合シーンだが、ここはそこそこ頑張ってはいる。しかし、描写は意外なほど淡泊だ。少なくとも過去の諸作に比べれば見劣りがする。マイケル・B・ジョーダンの演出は全体的に平凡だ。

 それでも本作を観てあまり後悔しなかったのは、クリードの物語を最後まで見届けたという自己満足に近い気分ゆえである。おそらくはこのシリーズは今回でエンディングを迎える。たとえこれから強引に登場人物の子供や弟子などを主人公に持ってきても、それは「ロッキー」直系のシャシンと称するには厳しいものがある。

 主演のジョーダンをはじめ、テッサ・トンプソン、ジョナサン・メジャース、ウッド・ハリスといったキャストは可も無く不可も無し。それにしても、舞台の大半がLAであるのは不満だ。主人公のトレーニングの場面ぐらい、シリーズ発祥の地フィラデルフィアでロケして欲しかった。
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「波紋」

2023-06-23 06:09:45 | 映画の感想(は行)
 荻上直子の監督作は過去に「かもめ食堂」(2006年)と「彼らが本気で編むときは、」(2017年)を観ただけだが、いずれも大して面白くはなかった。この新作も、映画の出来としてはあまりよろしくない。しかし、キャスティングの妙で最後まで飽きずに観てしまった。いわば一点突破で作品のヴォルテージを上げた結果になったわけで、こういう方法論もアリなのだと思わせる。

 須藤依子は夫の修、息子の拓哉、そして要介護の義父と暮らす専業主婦だ。ところがある日、突然修が失踪してしまう。それから十数年の月日が流れ、義父は世を去り拓哉は家を出て、一人暮らしを続けていた依子は“緑命会”という新興宗教にハマり、祈りと勉強会に励んでいた。そこに修がひょっこり帰ってくる。ガンで余命幾ばくも無いので、最後は一緒に暮らしたいというのだ。さらに拓哉が連れてきた婚約者の珠美は聴覚障害があり、どう接して良いのか分からない。そんなハプニングに遭遇しつつも、依子は信仰の力を借りて何とか乗り切ろうとする。



 映画は震災の原発事故を伝える不穏なニュースに始まり、その禍々しい空気感がヒロインの身近にまで迫ってくる様子を通じて、何とか自立していこうという依子の“成長”みたいなものブラックユーモア仕立てで描こうとしたのかもしれない。だが、それは不発に終わっている。すべてのモチーフが取って付けたようなワザとらしさに溢れているのだ。森田芳光の「家族ゲーム」や深田晃司の「歓待」などの切迫感と底意地の悪さに比べると、本作は随分と軽量級である。

 しかし、この気勢の上がらない作劇に反して、配役の密度は高い。依子を筒井真理子、修を光石研を演じるというだけでお腹いっぱいになるが、脇を固めるのがキムラ緑子に木野花、安藤玉恵、江口のりこ、平岩紙、柄本明という濃度100%の顔ぶれ。これらがアクの強い芝居を嬉々として続けてくれるのだからたまらない。

 さらに「ビリーバーズ」で“あっち方面”に開眼(?)した磯村勇斗は怪演を披露し、珠美に扮した津田絵理奈もトンだ食わせ者だ(なお、彼女は本当の難聴者である)。この、キャスト全員による演技バトルロワイヤルを眺めているだけで、何となく入場料の元は取れたような気分になってくる(笑)。井出博子による音楽も快調で、ラストのフラメンコなどは気が利いている。
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「aftersun アフターサン」

2023-06-19 06:08:31 | 映画の感想(英数)

 (原題:AFTERSUN)心に染みる良作で、鑑賞後の味わいは格別だ。しかしながら、一般の観客の皆さんにとってはウケが悪いようで、中途退場者も目立った。まあ、ストーリーらしいストーリーは無い単なるホームビデオだと片付けられるエクステリアであるのは確かだが、実は骨太のドラマが内在しており、それを認識する前に席を立ってしまうのは損だと思う。

 90年代後半、ロンドンに住む11歳のソフィは31歳の父親のカラムと2人でトルコのリゾート地で夏休みを過ごす。カラムはすでに離婚しており、ソフィの親権は母親が獲得しているようだ。だからこの旅行は父子が一緒にいられる数少ない機会である。カラムが入手したビデオカメラは、この日々を記録する。

 予約していたホテルの部屋が事前の話と違っていたり、ソフィが居合わせた男の子たちと仲良くなったりという出来事はあるが、大きなトラブルも無くこの旅行は終わりを告げたように見えた。それから20年後、当時の父親と同じ年齢になったソフィはこのビデオを見直し、カラムとの思い出をたどる。

 ソフィは父親が若い頃に出来た子で、パッと見た感じは兄と妹のようだ(実際、旅行先で周囲からはそう思われたりする)。だが、あまりにも早く家庭を持ったカラムが、どうしてその後に妻と別れたのか、真相が垣間見えるようになるくだりは切ない。何事もなく過ぎていったひと夏のバカンスの裏に、カラムが抱えていた苦悩が見え隠れし、終盤にはソフィに内緒で“ある行動”を取るのだが、それが悲しい人間の性をあらわしていて強い印象を与える。

 成人になったソフィもまた、かつての父親と似たような屈託を持つようになる。ソフィにとってカラムとの一緒の時間はあの夏の日々で止まっていたはずが、長じて人生の壁に直面した時に、また彼女の中で動き出すのだ。だからこそ父の本当の姿を確かめるべくビデオ画面に対峙するのだが、映像が終わってもディスプレイを見つめ続ける彼女の姿は胸を突かれる。

 脚本も担当した監督のシャーロット・ウェルズはこれがデビュー作で、聞けば自伝的な作品とのことだが、それだけに映画の隅々にまで思い入れが漲っているような密度の高さを感じる。カラムに扮するポール・メスカルの演技は素晴らしく、この複雑な人物像を見事に体現化していた。まだ若手といえる年代なので、今後の活躍が期待できる。

 ソフィを演じるフランキー・コリオも達者な子役だ。オリバー・コーツによる音楽は悪くないが、それより劇中でソフィがカラオケで歌うR.E.Mの「ルージング・マイ・レリジョン」がインパクトが大きい。あのナンバーの歌詞が、この映画の登場人物たちの内面と絶妙にシンクロしていた。
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「銀河鉄道の父」

2023-06-18 06:03:16 | 映画の感想(か行)
 これは酷い出来だ。作り手は何を考えてこのシャシンを手掛けたのか、その能動的な意図がまったく伝わってこない。せいぜい門井慶喜による原作小説が直木賞を獲得し好セールスを記録したことに便乗して取りあえず映画化したという、安直な動機しか思い付かない。もっとも、私は原作は読んでいないし今のところ読む予定も無いのだが、この映画のような低レベルの内容ではないと信じたい。

 明治29年、岩手県で質屋を営む宮澤政次郎と妻イチの間に待望の長男が生まれる。賢治と名付けられたその子は、家業を継ぐ立場でありながら長じても適当な理由をつけてはそれを拒んでいた。農業大学への進学や人工宝石の製造といった好き勝手な生き方を選ぶ賢治に手を焼く政次郎だったが、最終的にはいつも甘い顔を見せてしまう。だが、教職に就いていた妹のトシが病に倒れたことを切っ掛けに、賢治は故郷に腰を落ち着けて執筆活動に専念する。



 タイトルが“銀河鉄道の父”であり、一応は政次郎が主人公のはずだが、キャラクターがまったく練り上げられていない。自身のポリシーやアイデンティティーが希薄で、賢治に対しては単なる親バカだ。この際だから政次郎の生い立ちからじっくり描くべきではなかったか。かといって、他の登場人物が掘り下げられているかといえば、まったくそうではない。賢治は気まぐれな問題児でしかなく、才気の欠片も感じられない。イチやトシ、政次郎の父の喜助、賢治の弟の清六など、ただ“そこにいるだけ”の存在で魅力ゼロ。

 成島出の演出は平板で、ストーリーの起伏などまるで考えていないような案配だ。一方でイチや賢治が世を去る場面だけは必要以上の愁嘆場が用意されており、これは御涙頂戴路線の最たるものだろう。「雨ニモマケズ」を怒鳴るように暗誦する場面も意味不明だ。

 主演の役所広司と菅田将暉はかなりの熱演。しかし、森七菜や豊田裕大、益岡徹、坂井真紀、田中泯など他のキャストは大した仕事をさせてもらっていない。映像は奥行きに乏しく、時に荒っぽい合成などが挿入されるなど、観ていて盛り下がる要素が満載だ。海田庄吾と安川午朗による音楽も印象に残らず。そして極めつけは、あまりにも場違いな“いきものがかり”によるエンディング・テーマ曲だ。これがまあ聴感上かなりの音量で鳴り響き、最後までウェルメイドな時代ものを期待していた善男善女の観客の皆さんも、一斉に腰が引けたことだろう。
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「ビューティフル・ライフ」

2023-06-17 06:17:25 | 映画の感想(は行)
 (原題:A BEAUTIFUL LIFE)2023年6月よりNetflixから配信されているデンマーク作品。はっきり言って、内容はそれほどでもない。ならば鑑賞する価値は無いのかというと、そういうことでもない。音楽好きならば、観て損したとはあまり思わないだろう。特に主人公を演じるのが本当の歌手である点が大きく、時間を掛けたPVだと思えば納得できる。

 若い男エリオットはデンマークのユトランド半島北部の港町に暮らす漁師で、住居も自身の持ち舟だ。天涯孤独である彼だが、曲を作って歌うことは得意で、その夜も相棒と一緒にパブのステージに立っていた。そこに居合わせたのがかつての有名歌手の妻で、今はプロデューサーとして腕を振るうスザンヌとその娘リリーだった。



 彼女たちはエリオットの才能にほれ込み、メジャーデビューのサポートを申し出る。自らの境遇と音楽業界に対する不信から気乗りしなかったエリオットだが、取りあえずレコーディングした楽曲がネット上で大評判になり、一躍売れっ子になる。だが、以前の相棒との関係が拗れ、リリーとの仲もしっくりくいかず、エリオットの行く手に暗雲がたちこめてくる。

 スザンヌの夫でリリーの父であったスーパースターが世を去った顛末や、何かと彼女たちの面倒を見るスタッフの生い立ちなど興味深いモチーフはあるが、上映時間が約100分と短いこともあって深掘りされていない。また、エリオットがあっさり有名になるのも芸が無い。リリーとの関係性も想定の範囲内で、ラストはやや唐突だ。

 メヒディ・アバスの演出は破綻は無いがアピール度には欠ける。しかしながら、主人公に扮するクリストファーの存在感は圧倒的だ。とにかく歌がうまく、楽曲の出来も良い。またルックスもイケており、本国ではかなりの人気者だという。英語圏以外のヨーロッパ諸国にも、まだまだ日本では知られていない逸材がけっこういるのだろう。

 ヒロイン役のインガ・イブスドッテル・リッレオースをはじめ、クリスティーヌ・アルベク・ボーエ、アルダラン・エスマイリ、セバスチャン・イェセンといった顔ぶれは馴染みは無いが、皆良い演技をしている。そして、ダニエル・コトロネオのカメラによるユトランド半島の海浜地帯の風景は本当に美しい。
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「最後まで行く」

2023-06-16 06:20:07 | 映画の感想(さ行)
 物語の“掴み”はオッケーで、前半はけっこう面白い。だが、中盤を過ぎるとヴォルテージが低下して次第にどうでも良くなってくる。さらに終盤は腰砕け気味。題名とは裏腹に、緊張感の持続が“最後まで行かない”映画である。2014年製作の同名の韓国映画のリメイクとのことだが、私は元ネタは観ていない。だからどの程度オリジナルの要素を引き継いでいるのか分からないが、少なくとも海外のシャシンを再映画化する際は“国情”に合わせた作りにして欲しいものだ。

 12月29日の夜、埃原署の刑事である工藤祐司は母の危篤の知らせを受け、雨の中で車を飛ばしていた。しかし途中で妻から電話があり、母が息を引き取ったことを知らされる。そしてその瞬間、車の前に若い男が飛び出してきてはねてしまう。男は即死しており、何とか揉み消そうと考えた工藤は遺体を葬儀場まで運び、母の棺桶に入れて母と一緒に焼却しようとする。ところが工藤のスマホに、この一件を目撃したというメッセージが入る。送り主は県警本部の監察官である矢崎で、彼が工藤の所業を見掛けたのは別のヤバい案件に手を染めている最中だったのだ。こうして悪徳警官同士の果てしないバトルが展開することになる。



 刑事が切羽詰まった状況で死亡事故を起こし、その後始末に汲々としているところに別の悪党が無理難題を吹っ掛けてくるという設定は悪くない。そこから先は中盤までほぼ一直線であり、いくつかの瑕疵は見受けられるとはいえ、勢いで乗り切ってしまう。同じ時制を立場を変えて描くという手法も効果的だ。

 しかし、矢崎が捨て鉢な行動に出る後半に入ると、あり得ない筋書きがてんこ盛りになり観る側のヴォルテージも下がってくる。終盤近くの扱いに至っては、何かの冗談としか思えない。もしかする元ネタの韓国作品では無理のない環境条件(?)になっているのかもしれないが、日本映画でこれでは納得できない。

 藤井道人の演出はまあまあの線だが、それ以前に脚本を詰める必要がある。とはいえ主役の岡田准一と綾野剛は楽しそうに悪党を演じており、彼らのファンは満足できるかもしれない。他にも磯村勇斗や駿河太郎、杉本哲太、柄本明とけっこうそれらしい面子は揃っており、配役は問題ないだろう。

 だが、工藤の妻に扮する広末涼子だけはどうしようもない。なぜ彼女のような演技力に難のある者がコンスタントに映画に出られるのか、邦画界の七不思議のひとつだろう(前にも書いたが、あとの六つは知らない ^^;)。もっとも、最近では私生活での行動もクローズアップされているようなので、いよいよ彼女のキャリアも終焉に向かうかもしれない。
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「BLUE GIANT」

2023-06-12 06:08:12 | 映画の感想(英数)
 ジャズを題材にした石塚真一の同名コミックの映画化だが、当然のことながら原作には“音”が無い。だから映像化に際してはサウンドデザインを一から立ち上げる必要がある。しかもアニメーションでの音楽表現は難しいのではないかと予想して観るのを躊躇していたのだが、評判の良さに敢えて接してみたところ、かなり良く出来ているので感心した。今年度の日本映画の中でも記憶に残る内容だ。

 仙台に住んでいた高校生の宮本大はジャズにハマって毎日一人で河原でテナーサックスを吹き続けてきた。卒業した大は上京し、高校の同級生で大学生活を送っている玉田俊二のアパートに転がり込む。何とかミュージシャンとして人前でプレイしたいと思っていた彼は、ある日抜群のテクニックを持つピアニストの沢辺雪祈と出会う。そして意外にリズム感が良かった俊二がドラマーとして加わり、3人でバンド“JASS”を結成。一流ジャズクラブのステージに立つため練習に明け暮れる。



 主人公がジャズに魅せられた切っ掛けとか、どのようにスキルを上げていったのかなど、そういう物語の前段になるモチーフはカットされている。それは別に不手際ではなく、作劇のポイントを大の東京での活動に収斂させるための措置なので気にならない。そして何より、演奏シーンが圧倒的だ。

 オリジナルのスコアを我が国屈指のピアニストである上原ひろみが担当しているのが実に効果的で、いかにもこのキャラクターたちが奏でそうな闊達なサウンドを提供している。演奏時に故意に画面を歪ませる処理は異論がありそうだが、音楽と見事にシンクロしていて引き込まれる。これならジャズに興味を持たない観客も満足させられるだろう。

 サックス担当の馬場智章とドラムの石若駿という気鋭の若手をサウンドトラックに起用しているのも好感触だ。“JASS”の歩みは順調ではないが、スポ根路線よろしく困難を一つ一つ乗り越えていく展開は観ていて気持ちが良い。立川譲の演出は淀みが無く、ストレートな筋書きを正攻法に練り上げている。アニメーションのクォリティも問題は無く、ロトスコービングなどの手法を駆使して飽きさせない。

 山田裕貴に間宮祥太朗、岡山天音という主要キャラの声の出演は良好で、木下紗華に青山穣、乃村健次、木内秀信ら声優陣も良い仕事をしている。主人公の“その後”の生き方を暗示させるエピローグが挿入されているが、本作の評価の高さを考えると続編も作られる可能性は大きい。その際はまた劇場に足を運びたいものだ。
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