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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「Flow」

2025-04-13 06:10:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:FLOW)第97回米アカデミー賞では長編アニメーション賞を獲得し、世評もかなり高い映画ではあるが、個人的にはどこが良いのかサッパリ分からなかった。設定が意味不明で、展開も行き当たりばったり。アニメーション技術はハリウッドや日本の足元にも及ばず。観終わってみれば、せいぜいが“作者はかなりの猫好きなのだろう”ということしか伝わらない。正直、時間の無駄だった。

 世界が大洪水に見舞われ、文明が消え失せた世界が舞台。1匹の猫が当て処もなく彷徨っている。流れてきたボートに乗り込んだ猫は、一緒に乗りあわせたカピバラやゴールデン・レトリバー、ワオキツネザルらと共に困難を乗り越えて行くというのが筋書きらしい。だが、この世界観には全く入り込めない。



 出てくるのが動物ばかりで、セリフが無いということもあるが、少しは何がどうなってこういう状態になったのか、最低限度の言及はあって然るべきだ。人間が住んでいたような痕跡は散見されるものの、どう見ても人類の歴史上の遺物ではない異形のものばかり。ならばここは別の天体か、あるいはパラレルワールドなのかという想像は出来るが、映画はこちらの憶測を無視して勝手に進んでいく。

 猫たちを時折襲う津波の発生要因は何なのか。そして洪水状態になったと思ったらいつの間にか水が引いていく、このメカニズムに関しての説明は無い。しかも、水害が起きたにもかかわらず水は澄んでいるという不思議。唐突に現われるヘビクイワシの群れは、果たしてドラマ上の存在意義があるのだろうか。さらには、そのうち一羽が“謎の退場”を遂げるに及び、いい加減バカバカしくなってきた。

 監督はギンツ・ジルバロディスなる人物で、製作国はラトビアとフランス及びベルギー。そのせいかどうか分からないが、作画のクォリティは低い。猫の仕草こそ丁寧に扱われているが、全体的にキャラクターの仕上げが雑で、皮膚(毛並み)の質感なんか手抜きも良いところだ。

 一説には猫がラトビアの立場を表現していて、他の動物は周辺諸国の暗喩だという捉え方もあるらしいが、それは牽強付会に過ぎないだろう。救いは上映時間が85分と短いことで、もしもこの調子で2時間以上も引っ張られたならば、途中退場していたかもしれない。
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「TATAMi」

2025-04-07 06:08:55 | 映画の感想(英数)
 (原題:TATAMI)高密度のサスペンス劇だ。実話がベースとはいえ、柔道という伝統的スポーツを題材にフィルム・ノワールのような鋭角的な高揚感を醸し出す、この斬新なアプローチに目を見張った。映像の訴求力や各キャストのパフォーマンスも万全で、今年度を代表する社会派ドラマと言えよう。

 ジョージアの首都トビリシ開催されている女子世界柔道選手権で、イラン代表のレイラ・ホセイニはコーチのマルヤム・ガンバリの好リードもあり、順調に勝ち進んでいた。ところが優勝も視野に入ってきた時点で、突然イラン政府から棄権を命じられる。このままでは敵対国であるイスラエルの選手と当たるため、国際情勢に鑑みて穏やかならぬ事態に繋がることを危惧してのことだ。しかも、すでに本国にいる家族は人質に取られており、従わないとヤバいことになる。だが、レイラは頑として要求を受け付けない。そんな彼女をマルヤムは説得しようとするが、やがて事態は思いがけない方向に進んでいく。



 映画は(ラストを除いて)大会の一日のみを追い、ドラマの“濃縮度”はかなりのもの。スタンダード・サイズの画面にモノクロの映像が、追い詰められた主人公たちの葛藤を強調する。また、体制側だと思われたマルヤムも重い屈託を抱えたまま競技に関わってきたことが分かる後半の段取りは、この問題が決して一面的なものではなく、多様なフェーズを内包していることが示される。

 ガイ・ナッティブとザーラ・アミールによる演出は強力で、スリリングな展開の醸成はもちろんのこと、試合場面のヴォルテージの高さには圧倒された。特に審判の“一本!”という声には観ているこちらも居住まいを正してしまう。なお、興味深いことに日本選手は出てこない。その代わり、技の解説をするアナウンスには日本語の言い回しが多数挿入され、まさしく柔道が日本の国技であることを思い知らされる。

 主役のアリエンヌ・マンディとザーラ・アミール(兼監督)の演技は素晴らしく、ジェイミー・レイ・ニューマンにナディーン・マーシャル、リル・カッツ、アッシュ・ゴルデーら脇のキャストも万全だ。なお、本作はイラン映画ではなく、アメリカとジョージアの合作だ。イランでは上映が認められておらず、ザーラ・アミールもフランスに亡命している。イラン映画のレベルは決して低くないことは今や国際的に知れ渡っているが、それでも題材によっては製作自体もタブーになっている事実は、実に悩ましいものがある。いずれにしろ、斯様な逆境にもめげず果敢に映画作りに挑む者たちに、最大限のエールを送りたい。
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「ANORA アノーラ」

2025-03-29 06:05:07 | 映画の感想(英数)
 (原題:ANORA )主演女優がとても健闘していることは分かるが、映画全体としては面白味が感じられない。第77回カンヌ国際映画祭や第97回米アカデミー賞などで高く評価され主要アワードを獲得した作品ながら、個人的には傑出した点を見出せなかった。まあ、世評と自身の感想が食い違うことはよくあるので気にはしないのだが、今回はその“見解の差”はけっこう大きい。

 ニューヨークに住む若い女アノーラは、ロシア系アメリカ人のストリッパーだ。ある日彼女は職場のクラブでロシア人の富豪の御曹司イヴァンと出会い、仲良くなる。彼は帰国するまでの7日間、アノーラに1万5千ドルで“契約彼女”になることを提案。それを受入れたアノーラはそれから贅沢三昧の日々を過ごすが、何と最終日に2人はラスベガスの教会で衝動的に結婚してしまう。ところが本国のイヴァンの両親は、息子が水商売の女と結婚したとの噂を聞いて激怒し、ロシアからアメリカに乗り込んでくる。



 本作への高評価のコメントの数々をいくらチェックしても、納得出来るものにお目にかかれない。せいぜいが“ヒロインのハジケっぷりが良かった”という程度のものだ。作品自体に対する深い考察はほとんど無いのではないか。というより、この映画にはディープに突っ込めるような主題やモチーフなどは、最初から無かったと言わざるを得ない。

 こういう、無軌道なヒロインが好き勝手に振る舞って騒動を引き起こすハナシというのは、珍しくも何ともないのだ。こういうパターンは日本映画でも昔の成人映画なんかでよく見かけたような気がするし、今村昌平監督の初期作品ではそんなモチーフが最大限に活かされていたと思う。そもそも本作の設定自体にジョン・ランディス監督の「星の王子ニューヨークへ行く」(88年)との類似性が指摘されているようで、何ら目新しいネタが見出せないのである。

 さらには中盤以降の延々と続く痴話ゲンカには、観ていて盛り下がるばかり。すべてを投げ出したようなラストに至っては、いい加減面倒臭くなってきた。ショーン・ベイカーの演出には特筆すべきものは無く、彼が2017年に手掛けた「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」のような思い切った仕掛けも用意されていない。

 とはいえ、この映画でオスカーを獲得した主演女優マイキー・マディソンの奮闘ぶりは評価出来る。文字通り“体当たり”のパフォーマンスで、今後の活躍も期待されよう。マーク・エイデルシュテインにユーリー・ボリソフ、カレン・カラグリアンといったその他の顔ぶれも悪くない。それにしても、この程度のシャシンが次々に大賞に輝くとは、世の中分からないものだ。
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「GTMAX」

2025-03-02 06:21:26 | 映画の感想(英数)

 (原題:GTMAX )2024年11月よりNetflixから配信されたフランス製のアクション編。特に高評価するようなシャシンではないのだが、あまり堅いことを考えずに眺めていれば退屈せずに過ごせるし、まあ悪くないのではないだろうか。もちろんカネ払って映画館で鑑賞したならばストレスを感じるところだが(笑)、テレビ画面だと何となく許せてしまう。

 主人公のソエリは、かつてモトクロスの女王として数々のタイトルをモノにしてきたが、数年前の事故によるトラウマでバイクに乗れなくなり、今は家族がパリ市内で運営するモトクロスチームの世話役を担当している。弟のテオもレーサーだが、成績はいまひとつだ。そんな中、彼は悪名高いバイカー強盗団の犯行計画に巻き込まれてしまう。警察は頼りにならず、ソエリは単身組織に立ち向かう。

 犯罪者グループが街中でバイクの改造ショップを営んでいるあたりは噴飯物だが、そういうモチーフに代表されるように本作のドラマの建て付けは緩い。もう少し登場人物たちがシッカリしていれば、そして警察がちゃんと仕事をしてくれれば防げたヤマではなかったのか。そもそも、レースで使うのならばともかく、市販バイクを改造しなければならない必然性は希薄だ。ヘタすれば強盗をやらかす前に違法改造でパクられる。

 ソエリと敵方とのやり取りもピリッとせず、全面対決の運びになるまでが冗長だ。とはいえ、アクション場面には非凡なものを感じる。冒頭のモトクロス大会の様子は門外漢の者でも思わず見入ってしまうし、中盤近辺から徐々に挿入されるバイクの疾走シーンの数々は本当に良く出来ている。

 クライマックスはもちろんトラウマを克服した(ように見える)ヒロインと、悪者共との一大バトルだ。監督のオリヴィエ・シュニーデルの仕事ぶりは作劇部分はいただけないが、活劇になると目覚ましい働きを見せる。たぶんバイクの取り扱いにも長けているのだろう。アイデアに満ちたショットの連続で飽きさせない。

 主演のエイバ・バヤはキツめの表情としなやかな身のこなしで好印象だし、ジャリル・レスペールにジェレミー・ラウールト、ティボー・エブラル、リアド・ベライシュといった脇の面子も(馴染みはないが)良好だ。それにしても先日観た「アドヴィタム」といい本作といい、フランスではけっこうアクション映画もコンスタントに製作されているように感じる。まあ、今のフランス映画界には国外にまで知られた有名スターはいないので、配信ルートでしか紹介されないのは仕方が無いのだろう。
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「6888郵便大隊」

2025-02-09 06:21:53 | 映画の感想(英数)

 (原題:THE SIX TRIPLE EIGHT)2024年12月よりNetflixから配信。長年映画鑑賞を趣味にしていると、それまでまったく知らなかったことが題材になっている作品と遭遇して深く感じ入ることがけっこうある。本作もその一つで、第二次大戦中に斯様な事実があったことに驚くと共に、このテーマを取り上げてくれた製作陣に敬意を表したい。

 1942年、アメリカ南部の地方都市に住む女子学生レナ・デリコット・キングは、従軍していた恋人がヨーロッパ戦線で死亡したことを知りショックを受ける。何とか彼に代わって国に尽くしたいと考えたレナは、卒業後に陸軍に入ることを決意。しかし、黒人である彼女を受け入れるセクションはほとんどなく、唯一参加できたのがチャリティー・アダムズ大尉率いる陸軍婦人部隊所属の有色人種女性からなる部隊だった。

 そんな彼女たちに与えられた任務は、欧州戦線からアメリカ国内に宛てた郵便物の仕分け作業である。6888大隊としてイギリスに渡った彼女たちが見たものは、配達されないまま山のように溜まった手紙だった。ケビン・M・ハイメルによる実録小説の映画化だ。

 軍当局は、黒人である彼女たちが入隊すること自体快く思わない、F・ルーズベルト大統領の指示により仕方なく6888大隊を発足させたが、任務達成など望んではおらず、それどころか失敗することを期待している。暖房もない粗末な作業場に押し込められ、大量の未達郵便物と格闘する彼女たち。精神的支柱として派遣されてきたはずの牧師でさえ、実は監視役でしかなかったというエゲツなさ。このような逆境にも負けず、一歩ずつ職務を進捗させてゆく彼女たちの働き。それが報われていく終盤の展開は、十分感動的だ。

 また、恋人(何と、ユダヤ人である)が眠る場所を捜し当てようとするレナのエピソードや、横暴な上官と対峙するアダムズの行動など、サブ・プロットも上手く配備されている。もっとも、郵便物の配達先を突き止めるプロセスはもうちょっと掘り下げても良かったと思うが、そこまで描くと尺が無駄に長くなるので、これで良かったのだろう。

 戦争が終わり除隊して地元に帰った彼女たちには、さらなる差別が待ち受けていたことは想像に難くない。それを暗示させるエピローグは痛切だが、それだけに6888大隊の功績は伝説的な高みにまで押し上げられていると思う。脚本も手掛けたタイラー・ペリーの演出は堅実で、余計なケレンを廃して正攻法にドラマを進める。

 ケリー・ワシントンにエボニー・オブシディアン、ミローナ・ジャクソン、カイリー・ジェファーソン、サム・ウォーターストン、オプラ・ウィンフリー、そしてスーザン・サランドンと、キャストは皆好演だ。マイケル・ワトソンのカメラによる、奥行きのある美しい映像も要チェックである。
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「FPU 若き勇者たち」

2025-01-27 06:23:03 | 映画の感想(英数)
 (原題:維和防暴隊 FORMED POLICE UNIT)以前観た「ボーン・トゥ・フライ」(2023年)と同様、中国の国威発揚映画ということは分かる。ただ、それを別にしても良く出来た戦争アクション編であることは確かで、鑑賞後の満足度は決して低いものではない。各キャストは健闘しているし、何より設定自体が興味深い。本国で大ヒットしたというのも頷ける。

 国連は中国に、主要加盟国の平和活動ミッションとして組織警察隊(FPU)の出動を要請する。派遣先は、政府軍と反政府組織の武力紛争が激化するアフリカ某国だ。分隊長ユー率いる部隊は、その中でも最もヤバい地域を担当することになる。テロの首謀者は逮捕はされているが、裁判はまだ開かれていない。この部隊の任務は、重要な証言をする予定の政治活動家とその妻子を、公判までに無事に裁判所に送り届けることだ。当然のことながらテログループは証人を抹殺するため、その道中に大挙して襲ってくる。中国FPUは、限られた人員で決死の突破を試みる。



 あくまで治安維持のための警察官に過ぎない主人公たちが、成り行きとはいえ反政府軍と本格的な交戦状態に入るというのは無理がある。また、この地域を仕切る某西欧国の司令官が絵に描いたような事なかれ主義である点も、いかにも図式的だ。しかし、このような瑕疵をあまり感じさせないほどのパワーが本作にはある。

 前半の、敵スナイパーを追跡するシークエンスの、まるでパルクールのような離れ業の連続に唸っていると、次には大規模なカーチェイス場面も控えている。いったいどこから現われるのかと思えるほど、完全武装した敵が次から次に主人公たちを襲い、無事に証人たちを時間通りに送り届けることが出来るのかというサスペンスも盛り上がる。ユー隊長とチームの狙撃担当のヤンとの間には個人的な確執があり、その設定が後半に活かされる配慮も申し分ない。



 監督は武術監督出身のリー・タッチウだが、「インファナル・アフェア」シリーズの監督アンドリュー・ラウが製作総指揮に名を連ねていることが大きいだろう。ユーに扮するホアン・ジンユーとヤン役のワン・イーボーは、面構えと身のこなし共に合格点。それから、部隊の紅一点を演じるエレイン・チョンはとても美人だ。

 繰り返すが、この映画は中国当局のPR目的という側面が大きく、そのあたりに納得出来ない観客も少なくないだろう。だが、実際に中国のFPUは各地に派遣されて実績をあげているようで、映画化して悪いわけではない。日本でも自衛隊のPKOを題材にした映画が作られても良いと思ったほどだ。
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「366日」

2025-01-25 06:20:01 | 映画の感想(英数)
 呆れてしまった。ストーリーが斯様に冴えないシロモノであるにも関わらず、そこそこ名の知れたキャストが集められた上で映画が撮られ、堂々と全国拡大公開されてしまう不思議。そしてこんな低級なシャシンに対して“泣けた”とか“感動した”とかいう評価が少なからず寄せられるという、身も蓋もない事実。これが日本映画およびそれを取り巻く状況の実相かと思うと、とことん憂鬱な気分になってくる。

 2003年、沖縄に住む高校1年生の玉城美海は、偶然に同じ高校の3年生である真喜屋湊と出会う。音楽の趣味が合う2人は意気投合し、湊の卒業を機に本格的に交際が始まる。湊は音楽を作るという夢があり、東京の大学に進学。2年後には美海も上京して同じ大学に通うことになるが、その後音楽会社への就職がスンナリと決まった湊に対し、通訳の仕事を希望していた美海の就職活動は上手くいかない。そしてある日突然、湊は美海に別れを告げて去ってしまう。

 原作があるわけではなく、沖縄出身のバンド“HY”の同名楽曲をモチーフに作られたオリジナルストーリーだ。まず、とにかく観客を泣かせることしか考えていないような、無理筋の展開には閉口する。冒頭、2024年において美海が病で余命幾ばくも無いことが示されるが、湊の母親も病気で若くして世を去っており、さらには湊も体調を崩して入院するという、この“難病三連発”は一体何の冗談なのかと思ってしまった。

 湊が別れを切り出した時点で美海は妊娠していて、それを湊は長い間関知していなかったという謎な筋立て。美海の同級生だった嘉陽田琉晴は、失意のうちに帰郷した彼女のために一肌脱ぐのだが、これがまたアクロバティックな持って行き方で、到底納得できるものではない。

 あと、いちいち挙げるとキリがないほどの雑な部分が満載なのだが、私が特に愉快ならざる気分になったのは、美海と湊は音楽が縁で仲良くなり、彼も音楽業界に身を置いているにも関わらず、劇中に彼らに関係した音楽がほとんど鳴り響かないことだ。確かに“HY”のナンバーは申し訳程度に挿入されるが、最後まで主人公たちが本当に音楽好きであることを表現する仕掛けは無い。そもそも、湊と仕事を共にしてデビューする望月香澄の歌声さえ流れないのだ。

 新城毅彦の演出は凡庸極まりなく、見るべきものは無い。主演の上白石萌歌と赤楚衛二をはじめ、中島裕翔、玉城ティナ、溝端淳平、国仲涼子、杉本哲太など、演技が下手な面子は見当たらないだけに、この低調な作劇は噴飯物と言うしかない。

 あまり苦言ばかりを呈するのも何なので、唯一感心した部分もあげておこう。それは映像だ。小宮山充と西岡章のカメラが捉えた沖縄の風景は、目の覚めるような美しさである。舞台が東京に移ってからもヴィジュアルの上質さは維持され、どのショットも構図がキッチリと組み立てられている。中身は無視してカメラワークだけを楽しむ分には良いかもしれない。
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「2度目のはなればなれ」

2024-11-16 06:23:27 | 映画の感想(英数)

 (原題:THE GREAT ESCAPER )本作に“欠点”があるとしたら、それはこの邦題だろう。まるで通俗的メロドラマかラブコメみたいなタイトルで、普通ならば鑑賞対象にはならなかったはずだ。しかし、何の気なしにストーリー設定とキャストをチェックしてみたら、これはとても見逃せない内容であることが窺われた。まったくもって、我が国の配給会社にはセンスが足りていない(まあ、昔からそうなんだけどね ^^;)。

 2014年の夏、イギリス南東部の都市ブライトンにある老人ホームで暮らすバニーとレネのジョーダン夫妻は、静かに余生を送っていた。ところがある日、バニーはフランスのノルマンディーへ向かって一人で旅立つ。目的はノルマンディー上陸作戦70周年の記念式典に参加することと、今は亡き戦友の墓参りである。とはいえ周囲に無断で出掛けたため、彼が行方不明だという警察のSNSの投稿をきっかけに、思いがけず世間で大きなニュースになってしまう。実話を基に描いたヒューマンドラマだ。

 戦争は悲惨な出来事だが、生き残ってそれから長らく人生を送った者にとっては、“自分史”の一つとして昇華される。いろいろなことが起きたが、それでも戦後は年齢を重ねてきた。その確固とした事実は、現時点で出会う人々に対しても存在感を発揮する。同じくノルマンディー上陸作戦に従軍した老紳士に、施設の若い女子ヘルパー、さらにはこの記念日に合わせてやってきた元ドイツ兵たちをも感心させる。

 レネにとっては、夫と離ればなれになるのは戦時中に続いて2度目なのだが、今回は夫の無事を信じて疑わない。夫婦を演じるマイケル・ケインとグレンダ・ジャクソンは、まさに余裕のパフォーマンス。この2人が出ているだけで、彼らのキャリアを想起させて観る者を満足させてしまう。オリヴァー・パーカーの演出も横綱相撲で、ケレン味も無く悠々とドラマを進めていく。

 ジョン・スタンディングにダニエル・ビタリスなどの脇のキャスティングも良好で、若き日の主人公たちに扮するウィル・フレッチャーとローラ・マーカスの演技も手堅い。なお、ケインは本作での引退を宣言し、ジャクソンはこれが遺作になった。彼らの最後の勇姿を見届けるだけでも、観る価値がある。
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「HAPPYEND」

2024-11-02 06:21:58 | 映画の感想(英数)
 いかにも新人監督が手掛けた“意識高い系”の佇まいの映画で、頭から否定してしまう鑑賞者も少なくないとは思うが、個人的には気に入った。登場人物たちが抱える屈託や焦燥感、そして向こう見ずな行動に走ってしまう様子に、昔自分が十代だった頃の捨て鉢な思考パターンが被ってきて何とも言えない感慨を抱いてしまう。こういうアプローチもあって良い。

 近未来の日本。高校3年生のユウタとコウは気ままな学生生活をエンジョイしていたが、ある晩忍び込んだ校舎の中でユウタは冗談のキツいイタズラを敢行する。翌日、そのイタズラは校長の知るところになり、学校側は生徒を監視するAIシステムを校内に導入するに至る。それを契機として、ユウタとコウだけではなく多くの生徒に動揺が走り、先の見えない事態に陥ってしまう。



 時代設定は“近い将来”ということだが、AIの扱いや多様性に富んだ生徒が多いというモチーフは現在進行形だろう。ユウタとコウの家庭は問題を抱えているが、その事情は決して浮世離れはしていない。まあ、映像のエクステリアこそ近未来っぽさを少し醸し出してはいるが、これは概ね現代の話と言って良いと思う。

 登場人物たち(教師や親も含む)は皆うまくいかない現状に悩んでいるが、それを打開するため具体的に何をどうしたら良いのか分からない。一部の生徒は授業をボイコットし校長室に立てこもるという暴挙に出るが、それで見通しが劇的に明るくなるわけではない。それでも彼らは現実と折り合いを付けて生きていくしか無いのである。

 実は、私が昔通っていた高校でも授業を放棄して問題教師を吊し上げようとした動きがあった。もっともそれは別のクラスの話で、こちらは関与はしていなかったのだが、彼らがそうしたくなった気持ちは理解出来た。それで状況が好転することは最初から期待はしていないものの、そうでもしないとあの鬱屈した気持ちは少しも晴れないのだ。ましてや世の中が暗く若者が難儀しそうな現在では、ユウタやコウたちの所業は訴求力が高いと思う。

 脚本も担当した空音央の演出は気取った映像感覚が鼻につくものの、主題の捉え方はしっかりしている。生徒役の栗原颯人に日高由起刀、林裕太、シナ・ペンといった顔ぶれは馴染みは無いが、いずれも的確なパフォーマンスだ。渡辺真起子に佐野史郎といったベテランも機能している。第81回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門の出品作品でもある。
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「F2グランプリ」

2024-11-01 06:20:13 | 映画の感想(英数)
 84年東宝作品。いわゆる“F1ブーム”が日本で巻き起こったのは80年代後半だとされているが、この映画はそれを先取りした形であるのが興味深い。もっとも、題材になっているのはF1ではなく全日本F2選手権(現在のスーパーフォーミュラに相当)なのだが、それでも邦画では珍しいカーレースを扱ったというだけでも存在価値はあるだろう。とはいえ、出来映えがあまり伴っていないのは残念ではある。

 F2シリーズの第2戦でトップ争いをしていた4台のマシンのうち、2台が接触事故を起こす。結果、元チャンピオンの宇佐美が即死する。彼の妹で同じレースに参加していた中野訓の恋人であるしのぶは別れを切り出し、中野は孤立してスランプに陥ってしまう。そんな中、自動車会社とタイヤメーカーから新型マシンのトライアル要請が中野の元に届き、やっと彼は復活に向けての切っ掛けを見出すことになる。海老沢泰久原作の同名小説の映画化だ。



 苛烈な先頭争いから大規模なクラッシュに至る冒頭のシークエンスの迫力はかなりのもので、日本映画でこれだけやれたのは評価すべきだろう(ホンダが全面協力していたらしい)。しかし、それ以外はどうもピリッとしない。

 監督の小谷承靖の作品は他に「コールガール」(82年)ぐらいしか観たことはないが、元々は東宝専属で「若大将」シリーズなどを手掛けていた人材。だから、スマートでライトな作風が身上だったのだと思うが、どう考えても本作のカラーには合っていない。つまり、描き方が表面的でマシンとレーサーたちとの関係に絶対とでもいった熱い結び付きが感じられないのである。

 また、登場するレーサーたちに強烈な個性が無い。F3レースからF2へと昇格した新進気鋭の中野訓をはじめ、連続トップを狙うベテランや暴走族あがりで毎年2位から抜け出せずにいる者など、それぞれ厳しい人生と野望を抱えているはずだが、皆どうも小綺麗で現実味が薄い。

 主演の中井貴一に野性味が足りないのは仕方が無いとしても(苦笑)、田中健に峰岸徹、勝野洋、地井武男、森本レオ、木之元亮といった濃い面々を配していながらアクの強さが出ていないのは失当だろう。石原真理子扮するヒロインも、何やら影が薄い。なお、テクニカル・アドバイザーとして中嶋悟が参加しており、原作者によれば主人公のモデルは中嶋とのことだ。
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