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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

ロバート・A・ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」

2025-02-01 06:16:11 | 読書感想文

 アメリカの代表的なSF作家であるハインラインが、1965年から66年にかけて発表したもの。世評はかなり高く、67年のヒューゴー賞長編小説部門を受賞している。ただし、実際に読んだ感想としては芳しいものではない。とにかく長いのだ。文庫本にして670ページほどあり、しかも文面には段落が少なく、ぎっしりと書き込まれているといった案配。ならばストーリーが面白いのかといえば、起伏が少ない上に展開が遅くてアピール度は低い。正直、何度か途中で放り出そうと思ったほどだ。

 2076年、人類が月へ入植者を送り込んでからかなりの時間が経過し、すでに月世界には大規模な植民地が形成されていた。ところが相変わらず地球政府にとっては月は流刑地であり、単なる資源の産出地に過ぎず、自治独立など認められていない。この状況に対して声を上げたのが、コンピュータ技師のマヌエル・ガルシア(通称マニー)と仲間たちだ。彼らは革命運動家のベルナルド・デ・ラ・パス教授を代表にして、地球側と真っ向から対立する。

 各キャラクターは十分に屹立しており、筋立ても横暴な大国と搾取されるばかりの植民地との抗争という平易な様相を示しているのだが、これが一向に盛り上がらない。これはひとえに冗長な語り口と、どうでもいいモチーフが多すぎることに尽きる。あと、ひょっとしたら翻訳が上手くないのかもしれない。回りくどい言い回しが目立ち、読んでいてストレスが溜まるばかりだ。かといってわざわざ原書で読み直すほどの訴求力も感じられない。

 とはいえ、興味を惹かれる箇所が2つばかりある。ひとつはマニーをフォローするスーパーコンピュータのマイクの造型だ。意志を持っており、各局面で主人公たちのピンチを救う。また、複数の“人格”を使いこなすあたりも面白い。あとひとつは月側が地球への攻撃に使う“隕石爆弾”である。同じ威力を持つ核ミサイルよりも数段安上がりで、しかも原料は無尽蔵。この仕掛けは説得力がある。

 余談だが、2015年に本書はブライアン・シンガー監督によって映画化されることが発表されたらしい。しかし、その後の経過は聞かない。もっとも、シンガー自身あまり力量のある監督とは思えないので、たとえ映画製作が軌道に乗ったとしても、大して期待の持てるものではないと思う。
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カート・ヴォネガット・ジュニア「タイタンの妖女」

2024-11-03 06:20:17 | 読書感想文

 出版は1959年。奇天烈な内容のSF作品で読んだ後は面食らったが、これはジョージ・ロイ・ヒル監督による怪作「スローターハウス5」(72年)の原作者が手掛けた本だということを知り、取り敢えずは納得してしまった。つまりは“考えるな、感じろ”という性格の書物なのだろう。とはいえ中身には幾ばくかのペーソスが挿入されており、読者を置いてけぼりにしないだけの工夫は施されていると思った。

 22世紀のアメリカ。主人公のマラカイ・コンスタントはカリフォルニア州出身の大富豪だが、彼自身は目立った功績を残してはいない。単に幸運により父親が遺した財産を殖やしただけだ。一方、ニューイングランドの裕福な家系に生まれたウィンストン・ナイルス・ラムフォードは、その財を活用して宇宙探検家となる。彼が地球と火星の間を行き来している際に“時間等曲率漏斗”なる事象に遭遇し、飼い犬のカザックと共に“波動現象”という超越的な存在に転生してしまう。

 彼らは、太陽からベテルギウスに至る螺旋上に意識の主体を置き、その螺旋が惑星に遭遇すると一時的にそこで実体化するらしい。過去と未来を知る全能の神のようになった彼は、わざと地球と火星との戦争を引き起こし、マラカイの記憶を消して火星軍の一兵士として出陣させる。だが、どういうわけか水星へと向かってしまい、さらに紆余曲折を経た後、土星の衛星タイタンで彼の運命を操るウィンストンに出会う。

 AIと人間、そして戦争と平和との関係性を変化球を駆使してシニカルに描くという方法自体は誰でも考え付きそうだが、本書のアプローチは常軌を逸しており、容易に真似が出来るものではない。支離滅裂のようで何やら話に愛嬌があり、キャラクターの存在感は屹立している。マラカイとウィンストンだけではなく、トラルファマドール星出身の機械生物サロや、マラカイの妻と息子など、それぞれ一冊の本が書き上げられるほど存在感は大きい。終盤の展開と幕切れは悲しくも鮮やかで、映像が浮かんでくるようだ。
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ジョナサン・ストラーン編「創られた心」

2024-07-26 06:25:30 | 読書感想文

 人工的な心や生命、つまりAIを題材にして書かれたSFの短編集だ(収録されているのは16編)。編纂担当のジョナサン・ストラーンは専門誌の創刊や、フリー転身後はアンソロジストとして実績を残している編集者とのことだ。書き手ははケン・リュウやピーター・ワッツ、アレステア・レナルズ、ソフィア・サマターなどの現役の作家ばかり。中にはヒューゴー賞候補になった作品もある。

 読んだ感想だが、正直言ってほとんど楽しめなかった。こういうアンソロジーでは収録作品ごとの出来不出来が生じることも珍しくないが、本書に限ってはすべてが“万遍なく”面白くない。これはひとえに、題材自体と短編という形式の不一致性によるものだろう。

 AIはロボットとは違う。ロボットはSF小説の黎明期から数多くネタとして取り上げられてきた。つまりはメカであり、多くは金属製の人工物である。極端な話、フィジカルな動きをメインにアクションを主体に描けば、それだけで文面が埋められるのだ。対してAIは、その概念は1950年代に出来ていたとはいえ、人口に膾炙したのは21世紀に入ってからだと思う(ちなみに、スティーヴン・スピルバーグ監督が「A.I.」を製作したのは2001年である)。

 しかもAI自体がフィジカルな事物とは言えないため、そのコンセプトを説明するまで長い尺を要する。ところが短編だと背景をスッ飛ばして現象面だけを取り上げる必然性があるため、いきおいタッチが表面的になってしまう。本書に収録された作品群も大半がそのパターンであり、何やらワン・アイデアで書き飛ばされたような印象を受けてしまう。これでは読み応えは無い。

 しかしながら、映像化してみると面白いものが出来上がるかもしれない。もちろん、複雑なコンセプトをヴィジュアルで簡潔に説明できるほどの有力作家が手掛けることが前提だが、求心力の高い作品に仕上がる可能性はある。特にケン・リュウの「アイドル」やイアン・R・マクラウドの「罪喰い」、アレステア・レナルズの「人形芝居」、ピーター・F・ハミルトンの「ソニーの結合体」などは、うまくやれば傑作になりそうな予感はする。アニメーションの素材としても最適だろう。
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ドン ベントレー「シリア・サンクション」

2024-05-19 06:08:51 | 読書感想文

 原題は“WITHOUT SANCTION”。本国アメリカでの出版は2020年で、日本翻訳版が刊行されたのが2021年だ。題名通り舞台はシリアで、元米陸軍レンジャー部隊の主人公の活躍を追うスパイ・アクションである。文庫本版で約560ページもある長尺ながらスラスラと読めたが、中身はやや大味。とはいえ著者にとってはこれがデビュー作であり、何より現時点でまた緊張の度を増してきた中東情勢をネタにした小説なので、読んで損はしないと思う。

 内戦下のシリアで極秘任務に当たっていたCIAのチームがテロリストの新型化学兵器の攻撃に遭い、多大な被害を受ける。そしてあろうことか、その兵器を開発した科学者が米国に接触してきた。何でも、アメリカ側のエージェントが現地に捕らわれているらしい。事態の収拾のため国防情報局のマット・ドレイクは、シリアに潜入して武装勢力とのバトルを繰り広げる。一方、ホワイトハウスでは大統領選を間近に控え、首席補佐官とCIA長官との鍔迫り合いが展開されていた。

 死と隣り合わせのミッションに過去何度も挑み、そのため心身共に満身創痍になった主人公が、それでも国と名誉のために戦いに挑むという設定は、常道ながら納得出来るものだ。また、マットの妻や親友との関係性もよく練られている。敵は一枚岩ではなく、ISはもちろんロシア軍も主人公たちの前に立ちはだかる。さらに正体不明の“死の商人”みたいなのも登場し、ストーリーは賑々しく進んでゆく。

 また、首都ワシントンでの勢力争いを平行して描いているのも面白く、いかに国際情勢が自由や平和などの御題目ではなく、欲得ずくの思惑で進んでいくのかをあからさまに見せる。何より現職大統領がラテン系だというのが興味深く、この点は現実をリードしていると言って良いだろう。

 だが、マットの任務後の様相こそ具体的に描写はされているが、その他のキャラクターの去就はハッキリしない。おかげで大雑把な印象を受けてしまったが、本書はシリーズ第一作であり、それらは次作以降に語られていくのだろう。

 作者のベントレーは陸軍のヘリコプターのパイロットとして約10年の経験を積み、アフガニスタンにも派遣されて手柄を立てている。退役後はFBI特別捜査官として対外情報収集と防諜に従事し、SWATチームにも加わったことがあるという、かなりの経歴の持ち主だ。こういう人材が小説を書いているのだから、読み応えがあるのは当然か。機会があれば別の作品も目を通してみたい。
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アラスター・グレイ「哀れなるものたち」

2024-01-28 06:08:05 | 読書感想文

 ヨルゴス・ランティモス監督による映画化作品が公開されているが、劇場に足を運ぶ前に、原作小説に目を通してみた。一読して、これはなかなかの曲者だと感じる。内容もさることながら、よくこの小説を上手い具合に翻訳して日本で出版できたものだと感心するしかない。読む者によっては変化球が効き過ぎて受け付けないのかもしれないが、屹立した個性を獲得していることは誰しも認めるところだろう。

 19世紀後半のスコットランドのグラスゴー。怪異な容貌の医師ゴドウィン・バクスターは、投身自殺した若い人妻ベラを救うため、妊娠中だった彼女の胎児の脳を移植し蘇生させるという神業的手術を成功させる。生まれ変わったベラは知識欲旺盛で、自分の目で世界中を見てみたいという思いに駆られる。そしてあろうことか、いい加減な弁護士のダンカン・ウェダバーンと出奔し、大陸横断の旅に出るのだった。

 この荒唐無稽な話が実はゴドウィンの自伝に載っていた話であり、しかもその自伝も劇中の小説家アラスター・グレイによる“発見”に過ぎないという、何やら最初から怪しげな臭いがプンプンしている。さらには後半に一度エンドマークが出たにも関わらず、その後には事の真相(らしきもの)が延々と語られるという、何が嘘か誠か分からないようなキテレツな様相を呈する。

 まあ、全体的に見ればヒロインの成長物語なのだが、その語り口は徹底してひねくれている。加えて、当初は精神年齢が幼く時間が経つにつれて成熟していくというベラの造型にマッチするように、文体自体も千変万化で読む者を翻弄する。グレイの著作の特徴として自筆のイラストを装幀、挿絵に使用することが挙げられるらしいが、これが徹底してオフビートで果たして小説の内容に合っているのかどうか判然としない。

 また、ベラの“心の叫び”みたいなものがページいっぱいに書き殴られるくだりは目眩がする思いだ。もちろん翻訳本だから“日本語で”書かれているのだが、まさに掟破りの暴挙だろう。文庫本にして500ページ以上ある長編で軽く読み通すには相応しくないシロモノながら、読後の充実感はけっこうある。だが、終盤に延々と続く“脚注”のページは余計だと思った。本文の途中に挿入するなり、別の方法があったと思われる。

 さて、すでに高い評価を得ている映画版の方だが、個人的にランティモス監督の前作「女王陛下のお気に入り」(2018年)は評価しておらず、あまり期待はしていない。とはいえ、賞レースを賑わせてはいるので観てみるつもりである。
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テッド・チャン「あなたの人生の物語」

2024-01-14 06:03:50 | 読書感想文

 1967年生まれの台湾系アメリカ人SF作家、テッド・チャンが2002年に発表した短編集。本書を読んだ理由は、表題作「あなたの人生の物語」がドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画「メッセージ」(2016年)の原作だと聞いたからだ。この映画は封切り当時に観ていて、感想も拙ブログに書いているのだが、正直あまり評価出来るような内容ではなかった。ただ、捻った設定が少々気になったので、あえて元ネタの小説をチェックした次第。結果、映画化作品とはかなり違うことが分かる。もちろん、クォリティはこの原作の方が上だ。

 テッド・チャンは大学でコンピュータ科学を専攻していたとかで、執筆作も多分に理系らしいロジカルな展開だ。ただし、決して理詰めで融通に欠けるわけではない。サイエンスを突き詰めた先にある神秘性や寓意性、そして宗教観にまで達する深みが、作品に一筋縄ではいかない奥行きを与えている。

 この表題作は宇宙的なスケールの御膳立てを見せながら、いつの間にか文字通り“あなたの人生”に帰着していくプロセスが実に巧みだ。映画版のように、筋立てが突っ込みどころ満載の通俗的シャシンとは次元が違うと思わせた。なお、この短編はシオドア・スタージョン記念賞とネビュラ賞の中長編小説部門を受賞している。

 このアンソロジーには他に8編の作品が収められているが、どれも素材はさまざまながら、平易な論理性の裏に底知れぬ奇想が渦巻いている点は共通している。それだけに、読んでいて引き込まれるものがあるのだ。特に印象的だったのは、古代バビロニアを舞台にした「バビロンの塔」である。前近代的な宇宙観が、実は当時には正当性を得ていたという着想の元、主人公の青年の先の読めないアドベンチャーにもなっているという卓抜な筋書きには唸った。

 「顔の美醜について ドキュメンタリー」は、人間の外観に関する美意識が科学的に解析されるようになった未来を描き、社会風刺満点のコミカルなタッチもあり面白く読ませる。なお、同書に収められた「理解」は映画化が予定されているとかで、これも楽しみだ。この作者はもう一冊「息吹」という短編賞があり(2019年出版)、機会があればこれも目を通してみたい。
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長浦京「リボルバー・リリー」

2023-11-24 06:08:03 | 読書感想文

 今年(2023年)公開された行定勲監督&綾瀬はるか主演による映画化作品は観ていないし、そもそも観る気も無かった。事実、評判もあまりよろしくなかったようだが、この原作の方は大藪春彦賞を獲得して評価されていることもあり、取り敢えず読んでみた次第である。感想だが、とにかく長い。長すぎる。何しろ文庫版で642ページもあるのだ。それでも中身が濃ければ文句は無いのだが、これがどうも釈然としない内容。ストーリーを整理してこの半分ぐらいに切り詰めれば、タイトな出来映えになっていたかもしれない。

 大正末期の1924年。関東大震災から1年が経ち、東京の街の復興は順調に進んで以前のような活気を取り戻しつつあった。幣原機関で訓練を受けて16歳からスパイとして任務に従事し、東アジアを中心に50人以上を暗殺した小曽根百合は、その頃は引退して東京の花街で女将をしていた。あるとき、消えた陸軍資金の鍵を握る少年・慎太と出会ったことで、彼女は慎太と共に陸軍の特殊部隊から追われるハメになる。

 アメリカ映画「グロリア」(80年)を思わせる設定だが、緊張感はあの映画にはとても及ばない。危機また危機の連続ながら、似たようなシチュエーションの繰り返しで途中から飽きてくる。主人公たち以外にも数多くのキャラクターが登場するが、意外にもそれらは深く描き込まれておらず、(敵の首魁も含めて)どれも呆気なく退場だ。

 そもそも、こういう題名を付けるからにはヒロインの銃器に対する執着を過剰なほど書き綴っても良いと思うのだが、淡泊で物足りない。ラストは予定調和ながら、カタルシスをを覚えるところまでは行かず。率直に言って、ヒロインの“現役時代”をアクション満載で語った方が盛り上がったと思う。

 また、舞台を大正時代に設定したことで町中で銃撃戦が勃発することの不自然さを払拭出来たのは良いとして、その時代の空気感の描出は不十分。単にレトロな大道具・小道具を並べただけのように思う。とはいえ、作者の長浦京にとってはこれが二作目で(発表は2016年)、これ以降もコンスタントに作品を発表しており、今は高い実力を身に付けている可能性は大いにある。機会があれば最近の作品も読んでみたい。
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ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」

2023-09-17 06:51:16 | 読書感想文

 カウンターカルチャーにも大きな影響を与え、ボブ・ディランも絶賛したという、ビート・ジェネレーションの誕生を告げた名著と言われる一冊。執筆されたのは1951年で、出版されたのは1957年。日本では「路上」のタイトルで1959年にリリースされているが、2007年からは「オン・ザ・ロード」の題名で新訳本が発売されている。

 1948年のニューヨーク。離婚して落ち込んでいた作家のサル・パラダイスは、やたらテンションが高い友人のディーン・モリアーティに誘われて、西海岸までの気ままな旅に出かける。この長い行程の旅は劇中で4回おこなわれ、2人は道中でいろんな経験をして、さまざまな人間と出会う。主人公はケルアックの分身で、ディーンは彼の悪友だったニール・キャサディ、他の登場人物も作家仲間のアレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズをはじめ、大部分が実在の人物をモデルにしているらしい。

 とにかく、かなり読みにくい本であるのは確かだ。まず、段落で分けられている箇所が極端に少なく、文章が切れ目なく延々と続いていくのには閉口した。加えて、海外文学の翻訳本(特に文庫本)には付き物の、登場人物の紹介欄が無い。だから、キャラクターの数はやたら多いにも関わらず、誰が誰だか分からない。エピソードは文字通り行き当たりばったりで、ストーリー性は希薄だ。

 しかし、あてのない旅に興ずるサルとディーンの姿には、戦後すぐの虚脱感が横溢したアメリカの風景が投影されていると思う。何か目標があって歩みを進めるわけでもなく、さすらうこと自体が目的化している寄る辺ない人間模様が垣間見える。本書は5つのパートに分かれているが、勝手に書き飛ばしているような1部から3部までは正直退屈だった。

 しかしメキシコまで足を延ばす4部と、主人公たちの“その後”に言及されている5部は面白い。長い放浪の果てにも、いつかは自分自身と世の中に向き合わなければならない局面がやってくるのだ。そこにどう折り合いを付けるか、それが人生を決定する。ケルアックは生前は“ヒッピーの父”などと呼ばれていたらしいが、実は保守派で反共主義者、ベトナム戦争にも反対していなかったというのは興味深い。

 なお、本編は2012年に映画化されている。ただし、アメリカ映画ではなくブラジルとフランスの合作であったためか、あまり目立たず私は見逃している。ただ監督が「セントラル・ステーション」(98年)などのウォルター・サレスでカンヌ国際映画祭にも出品されており、けっこう見応えはあると想像する。いつか観てみたい。
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ヘンリック・イプセン「野鴨」

2023-05-19 06:15:57 | 読書感想文

 ノルウェーの劇作家イプセンの作品は若い頃に「人形の家」を読んだだけだが、今回久々に手に取ってみたのが本書。1884年刊行の本作は、悲喜劇のジャンルで最初の現代の傑作と見なされているらしいが、実際目を通してみると実に含蓄の深い内容で感心した。主人公たちの思慮の浅さには呆れるしかないが、それは傍観者である読み手の立場だから言えること。このような図式は現代においても変わらず存在している。

 豪商のヴェルレは阿漕な遣り口で財を築き、亡き妻に代わってセルビー夫人との再婚を控えていた。息子のグレーゲルスはそんな俗物の父を嫌い、家を出て写真館を営む友人のヤルマールの家に身を寄せる。ヤルマールは父と妻ギーナ、そして13歳になる娘ヘドウィックの4人暮らし。貧しいけれど彼らはそれなりに幸せな日々を送っていたのだが、グレーゲルスはそんな有様を“欺瞞だ!”と決めつける。

 グレーゲルスは結婚前にヴェルレの屋敷で働いていたギーナの“過去”を暴いたのを皮切りに、家族の本当の姿すなわち“現実”を曝け出すことこそが理想であると主張。そんなグレーゲルスの思想に簡単に感化されてしまったヤルマールは暴走を始め、やがて当のグレーゲルスの手に負えないほどの事態に発展する。

 昔、某漫画家がリベラルな左傾の人々を揶揄して“純粋まっすぐ正義君”と呼んだことがある。今は左系統の者たちよりも、右傾のトンデモ言説にハマってそこから一歩も抜け出せない“ネトウヨ”と言われる連中の方が多くなったような雰囲気だが、右だろうが左だろうが手前勝手な“世界の正義”を振り回すばかりではロクなことにはならない。

 厄介なことに、この“純粋まっすぐ正義君”のスタンスは“伝染”するらしく、特にヤルマールのように凡夫でありながら自意識ばかり強い人間は容易にハマってしまう。世間を騒がせているカルトの存在も、それと無関係ではないだろう。“純粋まっすぐ正義君”の陥穽に引っ掛からないためには、確固とした現実主義と“公”の意識が不可欠なのだが、あいにくそれらを会得するには精進が必要。だが“純粋まっすぐ正義君”にとってはイデオロギーにかぶれること自体が精進だと勘違いして、そこから前に進まない。

 ヤルマールの家は野鴨をはじめ動物を多数飼っているが、それらに対する態度が誤った主義主張のメタファーになっているあたりが玄妙だ。この「野鴨」は現在に至るまで舞台劇は継続的に上演されているが、映画は戦前にドイツで作られただけだという(サイレント作品)。題材は決して古くは無いので、現時点でも映像化は価値があると思う。
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辻村深月「傲慢と善良」

2023-01-22 06:07:11 | 読書感想文

 直木賞作家の肩書きを持つ辻村深月の作品は今まで何冊か読んでいるが、いずれもピンと来なかった。とにかくキャラクターの掘り下げも題材の精査も浅く、表面的でライトな印象しか受けない。とはいえ、私がチェックしたのは初期の作品ばかり。最近は少しはテイストが違っているのかと思い、手にしたのが2019年に上梓された本書。だが、残念ながら作者に対する認識は大きく変わることはなかった。

 東京で小さな会社を営む西澤架は、30歳代後半になって本格的に始めた婚活が実を結び、坂庭真実との挙式を半年後に控えていた。だが、ある日彼女は忽然として姿を消す。かねてよりストーカーの存在を疑っていた真実の態度を思い出した架は、彼女の故郷である群馬県まで足を伸ばし、真実の過去の交際相手たちと面会する。

 小説は二部構成で、前半は架の視点から、後半は真実を主人公にして進められる。第一部はまだ興味深く読める。失踪した婚約者の行方を追う中で、架は彼女の意外な経歴と人間的側面を知ることになる。地元でどういう職に就いていたのか、家族との関係はどうだったのか、なぜ上京したのか等、今まで彼が関知しなかった事柄が次々と判明する。また、当の架も婚活に踏み切った動機が幾分不純であったことが示される。

 まあ、ここまでは語り口は少し下世話ながらミステリーとしての興趣は醸し出され、けっこうスリリングだ。しかし、第二部になるとヴォルテージがダウン。真実の立場やメンタリティというのは“この程度”なのかと落胆するしかなかった。とにかく、愚痴めいた言い訳の連続で、ひょっとしてこれが女性の本音として一種の普遍性を保持しているのかもしれないが、読んでいて面白いものではない。もっとエンタテインメントとして昇華するような工夫が欲しかった。

 そんな調子で気勢が上がらないままページが続き、やがて脱力するようなラストが待っている。主人公2人以外に共感できる者がいればまだ救われたが、どいつもこいつも愉快ならざる面子ばかり。真実の母親や過去のお見合い相手、架の女友達など、よくもまあ付き合いきれない人間ばかり集めたものだと呆れてしまう。

 もっとも“類は友を呼ぶ”という諺があるように、考えの浅い人間の周りにはそれなりのレベルの者しか寄ってこない傾向にあるというのも本当のことだろう。しかし、欠点だらけの者と傑出した人間との邂逅も実際は有り得るし、それを面白く描くのも小説の在り方だ。あられも無い本心ばかり垂れ流すだけでは、物語の体を成さない。とにかく、辻村の作品とは距離を置いた方が良さそうだ。
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