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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「おいしくて泣くとき」

2025-05-05 06:05:16 | 映画の感想(あ行)
 旧ジャニーズ界隈のメンバーが主演のラブストーリーということで、普段ならば絶対に鑑賞対象にならないシャシンなのだが(笑)、けっこう評判が良いので敢えてチェックしてみた。結果、何とこれは丹念に作られた佳編だということが判明し、満足して映画館を後にした。やはり、作品の“外観”だけで出来映えを判断してしまうのは禁物だという、基本的なことに思い当たった次第だ。

 地方都市の高校に通う風間心也は幼い頃に母を亡くし、加えて部活動もケガのために行き詰まり、鬱屈した気分を抱えて日々を送っていた。同じクラスの新井夕花の家庭事情は複雑で、家には居場所が無い。そんな2人が学級新聞の編集委員を任されことを切っ掛けに、勝手に“ひま部”を結成する。彼らはやがて互いを意識するようになるが、ある日突然に夕花は姿を消してしまう。それから30年が経ち、心也は思いがけず夕花の消息を知ることになる。森沢明夫による同名長編の映画化だ。



 まず、キャラクター設定が堅固であることに感心する。心也の父親は食堂を営んでいるが、同時に子ども食堂も運営している。そのため地域住民からの信頼は厚いが、同時に無理解な者たちからは偽善者呼ばわりされ、息子としても心穏やかではなられない。夕花の血の繋がらない父親は、ロクデナシの暴力野郎だ。彼女はすべてを投げ出したい気持ちを抑えつつ、幼い弟のために何とか耐えている。

 これらの描写には、若年層向けの日本映画にありがちな軽薄な部分は微塵も無く、登場人物の背景はシビアに捉えられている。そんな2人が出会い、心を通わせるプロセスには説得力があり、特に彼らが2人だけで遠出するシークエンス、それに続く厳しい顛末には観ていて胸が締め付けられた。

 横尾初喜という監督は初めて名前を聞くが、本当に演出が丁寧で危なげが無い。また、子ども食堂やDVをモチーフとして取り上げることにより、社会的メッセージをもカバーしているあたりも万全だ。夕花が行方不明になった理由は、実を言えばかなりアクロバティックで無理筋である。しかしそれがあまり不自然に見えないのも、この映画の語り口の上手さが突出しているからに他ならない。ラストシーンは圧倒的で、題名通り気持ちの良い涙を流した観客も多かっただろう。

 主演の長尾謙杜と當真あみは大健闘で、その働きぶりは観る者を惹き付ける。特に當真の演技は見上げたもので、十代の女優の中では最も期待の持てる人材だと思う。尾野真千子に美村里江、安田顕、ディーン・フジオカ、芋生悠、水沢林太郎など、他のキャストも申し分ない。山崎裕典のカメラによる透き通るような映像、上田壮一の音楽、Uruの主題歌、いずれも万全の仕上がりだ。また、心也の父親が作る焼きうどんがとても美味しそうだった。
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「ヴェラクルス」

2025-05-03 06:05:17 | 映画の感想(あ行)

 (原題:VERA CRUZ )1954年製作の西部劇。プロットが十分に練られていない印象もあるが、けっこう楽しんで観ることが出来た。舞台設定が興味深いし、何より出ている面子が濃い。94分という尺も的確で、ウエスタンが娯楽映画の一ジャンルとして揺るぎない地位を得ていた頃の雰囲気が伝わってくる。

 1866年、かつて南軍の将校だったベン・トレーンは、戦後は不遇な生活を強いられ、生きる糧を求めてメキシコへとやってくる。途中ベンはジョー・エリンという訳ありの男から馬を買うが、実はその馬はメキシコ軍からの盗まれたものであり、ベンはジョーと共に追われる身となる。やがて彼らは政府側のアンリ・ド・ラボルデール侯爵と抵抗軍のラミレス将軍からそれぞれ勧誘を受けるが、高給を提示した侯爵の側に加担することを決める。

 ところが、フランスへと帰国するため大西洋に面した港町ヴェラクルスに向かう伯爵夫人マリーの護衛の任された2人は、その馬車に多量の金塊が積み込まれていることを発見。たちまちその大金をめぐっての争奪戦が展開する。

 メキシコを舞台にしたフランス干渉戦争を背景にしている点が興味深く、ロケもすべてメキシコで行なわれている。この国にはかつて皇帝が存在したが、それはフランスの傀儡であり、国内の保守層はもちろん自由主義者たちからも反発を受けていた。この構図を描いた西部劇は珍しく、ベンとジョーだけではなく、仲間のアウトローたちや反乱軍、そして政府軍などが組んずほぐれつバトルを繰り広げるあたりは面白い。

 ただし、金塊にまつわる情報の行方はハッキリせず、最終的な着地点についての説明が不十分なのは惜しい。監督がアクションが得意なロバート・アルドリッチだけあって、活劇場面はかなり派手で盛り上がる。主演にはゲーリー・クーパーとバート・ランカスターという大物が起用され、それぞれ持ち味を発揮。特にランカスターの海千山千ぶりは注目だ。

 デニーズ・ダーセルとサラ・モンティエルの女優陣は華があり、さらに、アーネスト・ボーグナインにジャック・イーラム、チャールズ・ブロンソンまで出ているのだから嬉しくなる。なお、メキシコ南部のユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡チチェン・イッツァの光景が大々的にフィーチャーされており、その点も観て得した気分になる。
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「アンジェントルメン」

2025-05-02 06:05:23 | 映画の感想(あ行)
 (原題:THE MINISTRY OF UNGENTLEMANLY WARFARE )いくらプロデューサーが“大味映画の元締め”みたいなジェリー・ブラッカイマーだとしても、この内遊空疎な建て付けは勘弁して欲しい。かつては才気走ったところも見せていたガイ・リッチー監督だが、いよいよヤキが回ったとしか思えない出来映えだ。正直、観たのは時間の無駄だった。

 第二次大戦の最中、イギリスはドイツ軍からの空襲に悩まされていたが、Uボートによる大西洋の通商破壊戦により米国の助力を仰ぐことも出来ず、窮地に追い込まれていた。特殊作戦執行部に呼び出されたガス・マーチ=フィリップス少佐は、ガビンズ“M”少将とその部下イアン・フレミングから、アフリカ西部にあるUボートの補給基地を無力化せよとの任務を命じられる。前科持ちながら腕の立つ仲間たちを集めて現地へ向かったフィリップス少佐は、早速作戦を開始する。



 何でも、実話をベースにしているらしい。とにかく、この緊張感のカケラも無い展開は勘弁して欲しい。主人公たちのミッションは、彼らにとってストレスフリーでサクサク進み、トラブルらしいトラブルも見当たらず。こちらが放つ銃弾は百発百中で、敵軍の銃撃は全然当たらない。ドイツ軍がこんなに弱いわけがないのに、いったい何を考えてこういう話をデッチ挙げているのか、作り手たちの常識を疑いたくなる。

 ならば各キャラクターが“立って”いるのかというと、全然そうではない。フィリップスをはじめ、どいつもこいつも個性も愛嬌も無いデクノボーばかり。そもそも、勿体ぶって出てくるチャーチル首相からしてあまり似ていないのだから、あとは推して知るべしである。同じことは敵方についても言えよう。主人公たちに立ちはだかるはずの敵の親玉や悪の塊みたいな凄みのある輩ってのが、まったく出てこないのだ。

 まあ、少し強そうな奴らは登場はするのだが、後半では呆気なく退場してしまう。過去のガイ・リッチー作品では、たとえストーリーが底抜けでも出てくる連中の面構えだけは目を引いたものだが、本作はそれは無い。ではアクション場面ぐらいは見どころがあるのかというと、困ったことにこれも不発。単純な銃撃戦と、インパクトの無い爆発シーンばかりが漫然と進むのみ。中盤過ぎからはいい加減面倒臭くなり、眠気との戦いに終始した。

 ヘンリー・カヴィルにエイザ・ゴンザレス、アラン・リッチソン、アレックス・ペティファー、バブス・オルサンモクンといったキャストはいずれも精彩が無い。救いはエド・ワイルドのカメラによる、アフリカ西海岸のリゾートっぽい風景だけだ。とにかく、とっとと忘れてしまいたいシャシンである。
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「暗殺の森」

2025-04-20 06:18:18 | 映画の感想(あ行)

 (原題:IL CONFORMISTA)1970年イタリア=フランス=西ドイツ合作。ハッキリ言って、ワケの分からない映画である。鑑賞後に本作に関する評やコメントなどをチェックしてみても、まるでピンと来ない。そもそも、ストーリーさえ満足に追えないのだ。とはいえ、主要キャストの存在感はかなりのものだし、何より映像が素晴らしい。中身の考察は抜きにして“外観”だけを楽しむ分には、とても良いシャシンだと言える。

 1938年のイタリア。大学で哲学を教えていたマルチェロ・クレリチは、友人で視覚障害者のイタロの仲介でファシスト党員になる。13歳の頃に殺人を犯していたマルチェロは、そのトラウマを克服すべく一般的なブルジョワ家庭の娘ジュリアと結婚して堅気の生活を送ろうとしたり、同時に党の活動にも積極的に参加するようになる。あるとき彼は組織から反ファシズム運動の幹部であるルカ・クアドリ教授をマークするように命じられ、クアドリが住むパリにジュリアを伴って赴く。ところがマルチェッロはクアドリの若い妻アンナに魅了されてしまい、ファシスト党員としての信念が揺らいでいく。

 以上、関係サイト等を参考に物語のアウトラインを書いてみたが、実際映画を観てみると、この程度の粗筋でさえ上手く把握できない。それだけ描き方が散漫でメリハリに欠け、冗長に過ぎるのだ。脈絡の無いモチーフが次々と現われ、いったい何の冗談かと思う間もなく、別のシークエンスに移行してゆく。製作当時はこういう建て付けが“芸術的で先鋭的な作劇だ”と思われていたのかもしれないが、今観ると薄ら寒い限り。そもそも、主人公の内面さえシッカリと捉えられていない。

 監督と脚本はベルナルド・ベルトルッチだが、世評の高さとは裏腹に、私は彼の作品を「1900年」(76年)以外良いと思ったことは無く、本作も同様だ。とはいえ、ヴィットリオ・ストラーロのカメラによる画面の造形はすこぶる美しい。そしてジョルジュ・ドルリューの音楽も絶品だ。

 主演のジャン=ルイ・トランティニャンのパフォーマンスも悪くないが、注目すべきはジュリア役のステファニア・サンドレッリとアンナに扮するドミニク・サンダである。上質なヴィジュアルもさることながら、この2人によるダンスシーンは絶品と言える。その場面をチェックするだけでも、観る価値はあるのかもしれない。
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「エミリア・ペレス」

2025-04-19 06:07:06 | 映画の感想(あ行)
 (原題:EMILIA PEREZ)第77回カンヌ国際映画祭にて審査員賞と4人の俳優が女優賞を獲得するなど、けっこう評価の高いシャシンながら個人的にはまるで受け付けない作品だ。何やら映画自体の面白さとは別の、エクステリアやモチーフの今日性みたいなものが評価されたとしか思えない。観終ってみれば単なる怪作・珍作として片付けてしまいたくなる。

 メキシコシティ在住の弁護士リタ・モラ・カストロは、阿漕な依頼人からの無理筋のオファーを受け、勝訴はしたものの真実を曲げる結果になったことに落ち込んでいた。そんな彼女に、麻薬カルテルのボスであるマニタスが話を持ち掛ける。何と、性別適合手術を受けて女性として新たな人生を始めたいから、協力して欲しいとのことだ。戸惑いつつも引き受けた彼女は、手術をセッティングすると共にマニタスの妻ジェシと子供たちをスイスに移住させる手筈を整える。そしてマニタスは自分は死んだことにして、エミリア・ペレスという女性としての新たな人生を始める。



 4年後、エミリアと再会したリタは、自分の子供たちに会いたいという彼女の依頼により、ジェシと子供たちがメキシコシティに戻ってエミリアと共に暮らせるよう手配する。しかし、ジェシはエミリアがマニタスであることに気付かず、かつての不倫相手と再婚。しかも、大金欲しさに悪い仲間たちと重大な事件まで引き起こす。

 まず参ったのは、本作はミュージカル映画であることだ。このスタイルが映画の本筋と悲しいほど合っていない。さらに、披露される楽曲が全然キャッチーではなく、正直言って鬱陶しいだけだ。また、ミュージカル仕立てであることを言い訳にしたかの如く、プロットの組み立て方が甘い。そもそもエミリアの境遇に関して、4年もの間バレないわけが無いのだ。それに、後半これだけの騒ぎが勃発しているのに、警察当局が少しも介入してこない不思議。ラストの決着の付け方も、御都合主義にしか思えない。

 もっとも、この映画は主演のカルラ・ソフィア・ガスコンが本物のトランスジェンダーであることや、メキシコに戻ったエミリアが突然に社会活動を始めて評価されることなど、いかにもリベラル派(?)にアピールしそうなネタが揃っており、そのあたりが有名アワードに繋がったことは想像に難くない。だが、映画を楽しむに当たっては、そんなことはどうでも良いのである。

 リタ役のゾーイ・サルダナは熱演ながら、あまり好きなタイプではないので“引いて”しまった。ジェシに扮しているのはセレーナ・ゴメスなのだが、別に彼女でなくても良いような役柄だ。監督はなぜかフランス人のジャック・オーディアールだが、彼の過去の作品ほどのレベルには達していない。なお、ガスコンは不用意な差別発言によりアカデミー賞の主演女優賞を逃したという話があるが、立場はどうあれ、ヘイトスピーチが許されないのは言うまでもないことだ。
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「オントラック つまづき人生を変える方法」

2025-03-30 06:05:56 | 映画の感想(あ行)

 (原題:PA VILLSPOR )2025年2月よりNetflixから配信されたノルウェー作品。スポ根仕立てのホームコメディだが、ユニークかつ訴求力の高いテーマを扱っており、観て良かったと思わせるものがある。キャストは好調だし、散りばめられたギャグのレベルは決して低くはない。何よりこの映像をチェックするだけでも価値がある。

 オスロに住むシングルマザーのエミリーは、前夫との子である小学生のリリーと暮らしていたが、トイレの故障により一時的に兄の家に身を寄せるハメになる。さらにはリリーは暫定的に前夫が引き取ることになり、エミリーの屈託は増すばかりだ。そんな彼女に、兄は自身もエントリーしているリレハンメルで開催予定のクロスカントリースキーのレースに出場することを強く勧める。身体を動かせば、悩みも軽減するんじゃないかという目論見だ。ところがエミリーは本格的なスポーツの経験は無い。それでも彼女は何とか踏ん張って、この難局を乗り越えようとする。

 退っ引きならない状況に追い込まれているのはエミリーだけではないというのは、かなり有効なプロットだ。兄は結婚してから長いのだが子供が出来ず、妊活に励んでいるものの、上手くいかない。そのおかげで夫婦仲も危うくなっている。エミリーの前夫は再婚していて相手は妊娠中だが、引き取ることになったリリーとの関係は万全ではない。さらに、エミリーは競技前に知り合った若いスタッフと仲良くなり、兄もスキーインストラクターの若い女と懇ろになる。こんな複雑なシチュエーションを抱えつつも、スキー大会で一応の解決を見出そうという筋書きは悪くない。

 クロスカントリー競技はさすがノルウェーの“国技”だけあって、撮り方は堂に入ったものだ。そして、50キロ以上を踏破する難コースに数千人もの市民スキーヤーが参加するというのも驚きである。素人同然だったヒロインは悪戦苦闘するのだが、次第にのめり込んでいくあたりも定番ながら見せる。

 そして、競技後の成り行きは、各個人の懊悩はあるにせよ、エミリーを取り巻くすべての者は“家族”であるという、驚くべきポジティヴな地点に着地する。これは大いに納得してしまった。もちろん登場人物には悪い奴がいないという前提はあるのだが、こんな切り口の提示には目から鱗が落ちる思いである。

 ハルバル・ビッツォの演出はソツがなく、スポーツ描写もお笑い場面も万全だ。主演のアーダ・アイデはじめ、トロン・ファウサ・アウルボーグにマリー・ブロックス、クリスティアン・ルーベク、シャナ・マタイといった顔ぶれは馴染みは無いが、皆良い演技を見せている。そして大会が行なわれる雪山の風景の、何と素晴らしいこと。周囲の空気まで浄化されるようだ。
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「エレクトリック・ステイト」

2025-03-28 06:06:01 | 映画の感想(あ行)
 (原題:THE ELECTRIC STATE)2025年3月よりNetflixから配信されたSFロードムービー。「アベンジャーズ エンドゲーム」(2019年)のアンソニー&ジョー・ルッソ監督の手による作品なので期待はしたのだが、どうもにも気勢の上がらない出来だ。何より脚本の不出来によるところが大きく、ストーリーには求心力が不足している。しかしながら映像には見るべきものがあり、作品の“外観”だけを楽しむ分には良いのかもしれない。

 ロボットたち意志を持ち反乱めいたものを起こしたが、あえなく鎮圧されて“エレクトリック・ステイト”と呼ばれる高い塀に囲まれた土地に封印された世界が舞台。若い女ミシェルは、死んだと思っていた弟のクリストファーによく似た雰囲気のロボットのコスモと出会う。そして、彼女は弟がどこかで生きていることを知り、コスモと一緒に弟を捜す旅に出る。道中で怪しげな密輸業者キーツとその相棒ロボット・ハーマンらに出会い行動を共にするが、やがてミシェルは、弟の失踪の原因と裏にうごめく陰謀の存在を知る。



 以上、紹介サイトの記述を参考に粗筋を書いてみたが、正直言ってこれで正しかったのか確証が持てない。とにかくこの映画、ストーリーが掴みにくいのだ。作品世界がどういう構造になっているか分からず、敵役らしい者は一人だけ認識出来るものの、あとの連中は何のために物語に絡んでいるのかさっぱり理解出来ない。シモン・ストーレンハーグの同名グラフィックノベルを原作にしているが、どうも元ネタをかなり逸脱した脚色が成されているらしく、話に求心力が無いのはそのためかと思われる。

 しかしながら、出てくるロボットの造形は本当に素晴らしい。まさしくレトロフューチャーな雰囲気で、しかも各個体に明確な個性が付与されている。活劇シーンは賑やかでけっこう見せてくれるが、監督のルッソ兄弟の力量が活かされているのはそこだけというのは寂しい限り。

 ミシェル役のミリー・ボビー・ブラウンをはじめ、クリス・プラットやジェイソン・アレクサンダー、そしてキー・ホイ・クァンらキャストの仕事は可も無く不可も無し。ウッディ・ハレルソンが声だけの出演を果たしているのが珍しい。あと、音楽は大御所のアラン・シルヴェストリが手掛けていて、的確なスコアを提供している。
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「愛を耕すひと」

2025-03-03 06:11:25 | 映画の感想(あ行)
 (原題:BASTARDEN )見応えのある大河ドラマだ。作劇が冗長になる点も少しあるが、崇高な使命を達成するために、立ちはだかる幾多の困難に正面からぶつかる主人公の姿は感動を呼ぶ。また、あまり知られていなかった彼の国の近世の有様が紹介されているのも興味深く、鑑賞後の満足度はかなり高い。

 18世紀のデンマーク。ルドヴィ・ケーレン大尉は軍を退役したばかりだが、手持ちの財産はほとんど無かった。そこで彼は貴族の称号をかけて、広大な荒れ地(ヒース)の開拓に着手する。だが、その土地を支配している有力者フレデリック・デ・シンケルは、開拓者の名声がケーレンに集まることを恐れ、露骨な妨害工作を仕掛ける。一方ケーレンは、デ・シンケルの非道な扱いから逃げ出したメイドのアン・バーバラや、身寄りの無い褐色の肌を持つ少女アンマイ・ムスらと、まるで家族のような関係性を構築する。デンマークの作家イダ・ジェッセンによる実録小説の映画化だ。



 正直言って、映画作家が好んでやりたがるヴィジュアル面でのケレンやトリッキィな展開等が無いのは、物足りなく感じる向きもあるだろう。しかし、正攻法に徹する方がこういう歴史ドラマでは効果的なことがある。ましてや、本作で扱われている題材は本国の歴史好き以外の観客にはお馴染みではない。だから愚直なまでにストレートな手法に徹するのも、決して間違いではないのだ。

 しかしながら、主人公とデ・シンケルとの関係は“真面目な庶民と悪代官”という。娯楽時代劇の鉄板の設定であることも確かである。エゲツないことを平気で繰り出してくるデ・シンケルと、それに耐えつつも何とか逆転の方策を練るゲーレンとの対立は、それがエスカレートするほどドラマ的に興趣を呼び込む。

 終盤、ついには究極的に手荒な方法を選ぶデ・シンケルに対し、これまた堪忍袋の緒が切れたような実力行使に走るケーレンとその仲間の姿は、カタルシスが横溢してかなりの盛り上がりを見せる。この一件から年月が経過した状況が紹介されるラストに至っては、主人公の功績と尽きせぬ夢が強く印象付けられ、余韻を残す。

 ニコライ・アーセルの演出は骨太で、前半部分は小回りが利かない箇所も見受けられるが、概ねドラマ運びは揺るがない。主演のマッツ・ミケルセンは、まさに横綱相撲。そこにいるだけで絵になる存在感は、映画を最後まで引っ張るには十分だ。アマンダ・コリンに敵役のシモン・ベンネビヤーグ、子役のメリナ・ハグバーグに至るまでキャストは万全。ヒースの茫洋とした風景を捉えた映像も良い。
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「ウォレスとグルミット 仕返しなんてコワくない!」

2025-02-23 06:26:16 | 映画の感想(あ行)
 (原題:WALLACE AND GROMIT: VENGEANCE MOST FOWL )2025年1月よりNetflixから配信。おなじみイギリス発の人気アニメーションシリーズの新作だが、長編映画としては2005年製作の「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」以来2作目なのだという。ここ20年ばかりコンスタントに作品が発表されていたと思っていたが、あれは大半が短編だったのだ。満を持して発表された本作だが、期待を裏切らないクォリティの高さを見せつけてくれる。ネット配信だけでなく劇場公開を望みたい。

 たちの悪い大泥棒ペンギンのフェザーズ・マッグロウは、とぼけた発明家のウォレスとしっかり者の忠犬グルミットの働きによって逮捕され、動物園にて“終身刑”に処されていた。その頃ウォレスは、新たな発明品であるお手伝いロボットのノーボットを開発。これを隣近所に貸し出して、大々的にビジネスを展開しようというのだ。ところがマッグロウは巧妙な手口によって、拘留中にノーボットの頭脳に不正アクセスする。勝手に大量生産させた“悪党モード”のノーボットの助けを得て、堂々と動物園から脱走。展示会に出品予定の大型ダイヤの強奪を画策する。



 本作の“前作”に当たる短編「ペンギンに気をつけろ!」(92年)は観ていないが、チェックしていなくても十分楽しめる。こういう活劇物は敵役の存在感が出来映えに大きく影響するが、ここでのマッグロウと魔改造されたノーボットは、十分すぎるほどのインパクトを与える。とにかく無表情でコワいのだ。そして行動がまったく読めない。こんなキャラクターを創造できた時点で、本作の成功は約束されたものだろう。

 相変わらずウォレス及び警官署長は頼りにならないが、その分グルミットが八面六臂の大活躍を見せる。思いがけず一大犯罪組織を率いることになったマッグロウに果敢に立ち向かい、幾度か絶体絶命のピンチに陥りながらも、不屈の闘志で撥ね除ける。犬好きの観客ならば堪えられないだろう。

 ニック・パークとマーリン・クロシンガムの演出は見事で、次から次と繰り出される効果的なギャグとアッと驚くアクションシーンの数々には圧倒される。特にクライマックスの汽船同士のチェイス場面は、卓越したアイデアが横溢して感動するしかない。それにしても、これだけの映像を(フルCGではなく)ストップモーション・アニメーションによって作り上げたスタッフの努力には、本当に頭が下がる。続編も暗示させるようなエンディングなので、今後の展開に期待したい。
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「アドヴィタム」

2025-02-15 06:22:07 | 映画の感想(あ行)
 (原題:AD VITAM)2025年1月よりNetflixから配信されたフランス製のアクションスリラー。かなり楽しめた。前半こそ冗長な展開は目立つが、中盤以降は怒濤の盛り上がりを見せ、クライマックスでは驚くべきシーンの釣瓶打ち。映像面でも見るべきものが多く、鑑賞後の満足度は決して低くはない。

 パリの下町に住むフランク・ラザレフは、ビル壁面清掃の高所作業を担当する中年男。妻のレオは出産を控えている。ある日、覆面をした一団がフランクの家に押し入り、レオを誘拐する。妻を返して欲しければ“ある物”を探して持って来いというのだ。実はこの夫婦は元公安の特殊部隊員で、その“ある物”とはフランクがそのチームから去る切っ掛けになった事件に関係していた。窮地に追いやられたフランクは、元同僚のベンの助力を得て、必死の反撃を試みる。



 映画は冒頭の誘拐劇のあと、10年前の主人公が特殊部隊に加入した頃に時制が移る。そこで彼はレオと知り合うのだが、このあたりのパートは起伏が少なく退屈である。もちろん、特殊部隊の役割について詳説しなければ後半の筋書きが分かりにくくなるのだが、それでも一工夫欲しかった。それから時制は、フランクがトラブルの首謀者とされる事件が起きる1年前に飛ぶ。この一件から短い期間で彼が隊を追われて別の職に就くというのは、ちょっと駆け足過ぎるのではないか。その分、事件の背景についてじっくり言及して欲しかった。

 しかしながら、レオが誘拐されてからフランクの猪突猛進的な活躍が始まると、細かいところは気にならなくなってくる。屋根から屋根に飛び移って追っ手を逃れるところから始まり、車やバイクでのチェイス、果てはパラグライダーまで繰り出して派手な立ち回りを演じる。ついにはパリ市内の“世界的な観光名所”の中での大暴れが展開し、まさに息もつかせない。ロドルフ・ローガの演出は、アクションの見せ方に非凡なものを感じさせる。

 主演のギョーム・カネは二枚目ではないのだが、味のある好演だ。レオ役のステファニー・カイヤールは見た目も身体のキレも及第点で、ナシム・リエスにジタ・アンロ、アレクシ・マナンティといった脇のキャストも万全だ。また、バンサン・マチアスのカメラによる映像は美しい(特にパリ郊外の丘陵地帯の風景)。なお、題名の“アドヴィタム”とは“人生へ”という意味で、劇中の小道具に関係したフレーズだ。
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