元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

2024-07-15 06:30:01 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE HOLDOVERS )登場人物たちの微妙な内面が活写され、実に見応えのある人間ドラマに仕上がっている。しかも感触は柔らかく、余計なケレンは巧妙に廃され、全体に渡って抑制の効いた作劇が徹底されていることに感心した。さすがアレクサンダー・ペイン監督、その確かな仕事ぶりは今回もいささかも衰えていない。

 1970年、マサチューセッツ州にある全寮制のプレップスクールは冬休みを前に浮ついた空気が充満していた。そんな中、生真面目で皮肉屋で皆から疎んじられている古代史の教師ポール・ハナムは、休暇中に家に帰れない生徒たちの監督役を務めることになる。当初は5,6人の生徒が居残るはずだったが、結果として寮で過ごすことになったのは母親が再婚したアンガス・タリーだけだった。そして自分の息子をベトナム戦争で亡くした食堂の料理長メアリー・ラムが加わり、3人だけのクリスマス休暇が始まる。

 ポールは独身で、孤高を決め込む狷介な者のように見え、周囲からもそのように思われているようだが、実はそうでもないのが面白い。皆がクリスマスを楽しんでいる時期に一人でいるなんてことは、本当は彼にとって耐え難いのだ。

 アンガスとメアリーを連れて、建前上は禁止されている外泊を決行する彼だが、外出先でかつての同級生に会った時には自身を偽ってしまう弱さを見せる。ポールは有名大学を出た秀才だったのだが、自らの難しい性格と優れない体調のせいで出世コースから遠く離れてしまう。そんな彼でも。かろうじて残された矜持にしがみ付かざるを得ない。どうしようもない懊悩を無理なく表現する演出と、演じるポール・ジアマッティの力量が強く印象付けられる。

 アンガスの両親の離婚原因は深刻だ。彼は休暇中に入院している実の父親に会うのだが、その顛末は切ない。アンガス役のドミニク・セッサは、これが映画初出演とはとても信じられないほどの達者なパフォーマンスを見せる。端正なルックスも併せて、本年度の新人賞の有力候補だ。対して、本作で第96回アカデミー賞で助演女優賞を獲得したメアリー役のダバイン・ジョイ・ランドルフの演技はそれほどでもない。ただし、役柄のヘヴィさはアピール度が満点であったことは伺える。

 70年代初頭という時代設定も秀逸で、ノスタルジックでありながらベトナム戦争が暗い影を落とす世相が、登場人物たちの造型に絶妙にマッチしている。マーク・オートンによる音楽は万全だが、それよりもキャット・スティーヴンスやオールマン・ブラザーズ・バンド、バッドフィンガーなどの当時の楽曲が効果的に流れていた。
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「ハロルド・フライのまさかの旅立ち」

2024-07-05 06:25:38 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE UNLIKELY PILGRIMAGE OF HAROLD FRY )主人公の言動にはとても共感できないし、筋書きも要領を得ない。“感動的なロードムービー”という触れ込みながら、どこで感動して良いのやら全然分からなかった。ただキャストの演技は悪くないし、映像は美しいので、その点に限っては観て損は無かったのかもしれない。

 定年退職しイギリス南西部の地方都市で妻と共に悠々自適の生活を送っていたハロルド・フライのもとに、英国北部の街から思わぬ手紙が届く。差出人はハロルドが現役時代に働いていたビール工場の同僚の女性社員クイーニーで、ホスピスに入院中の彼女は余命幾ばくも無いらしい。近所のポストから返事を出そうと家を出るハロルドだったが、途中で寄ったショップの若い店員の一言で考えを変え、800キロ先のクイーニーのもとを目指してそのまま手ぶらで歩き始める。自分が到着するまでの間は、クイーニーは絶対に生きているという確信を持っての行動だった。レイチェル・ジョイスによるベストセラー小説の映画化だ。



 まず、いくら何でも着の身着のままで“壮大な旅”に出掛けてしまうというのは無理があるだろう。しかもハロルドは老齢の身で、目的地にたどり着けるかどうかは不明だ。そもそも、そんなにクイーニーのことが心配ならば、一刻も早く駆けつけて彼女との最後の時間を長く過ごした方が良いだろう。ハロルドは携帯電話も家に置きっぱなしにして、当然のことながら妻は心配する。だが、彼は文字通り“我が道を行く”というスタンスで、途中から所持金も放棄する始末だ。

 彼がどうしてクイーニーを気に掛けているのかは劇中で一応は説明されるのだが、それはあまりにも理不尽で納得出来ない話だ。また、ハロルドの早世した息子の話とか、同行する若者とのエピソードや、いつの間にか“賛同者”が増えて団体旅行みたいになっていくとか、思わせぶりなネタが出てきてはいずれも中途半端に終わる。旅の終わりでの展開もカタルシスが生まれない。結局、すべては主人公の自己満足ではなかったのかという、釈然としない気持ちだけが残った。ヘティ・マクドナルドの演出もメリハリに欠ける。

 とはいえ、主演のジム・ブロードベントの頑張りは認めて良い。けっこうハードな撮影だったと思うが、果敢に乗り越えている。妻に扮するペネロープ・ウィルトンをはじめ、リンダ・バセット、アール・ケイブ、ジョセフ・マイデル、モニカ・ゴスマンらキャストは皆好演だ。そしてケイト・マッカラのカメラによるイギリスの田舎の風景は素晴らしく美しい。一度じっくりと見て回りたいと思うほどだ。サム・リーやジェームズ・キューイによる劇中挿入曲も実に印象的である。
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「パーフェクト・ファインド」

2024-06-30 06:24:50 | 映画の感想(は行)

 (原題:THE PERFECT FIND)2024年6月よりNetflixから配信された黒人キャスト中心のラブコメ編。率直に言って、映画の内容は少しも面白くない。気合いの入らない筋書きが、メリハリの無い演出に乗って漫然と流れるだけ。しかし、観て損したかというと、断じてそうではない。本作の“外観”は、中身の密度の低さを補って余りあるほど魅力的だ。こういう映画の楽しみ方も、たまには良いものである。

 ニューヨークのファッション業界で腕を振るっていたジェナは、事情があって長らく一線を退いていた。そのブランクを経て、やっとファッション編集者として復帰した彼女はある日、パーティーで出会った年下の青年エリクと仲良くなる。ところが後日、その彼は新しい職場の同僚であることが判明。しかもエリクは上司であるダーシーの息子だった。途端に上役との関係はぎこちないものになり、ジェナの復帰計画に暗雲が立ち込める。

 そもそも、いくらジェナが年齢の割にチャーミングでナイスなルックスの持ち主とはいえ、エリクみたいな若い男と簡単に懇ろになるとは思えない。実際、ジェナに扮するガブリエル・ユニオンとエリク役のキース・パワーズも、30歳以上もの年齢差がある。しかも終盤にはジェナが妊娠してどうのこうのというネタまで用意されており、さすがにそれは無理があろう。

 また、エリクがダーシーの息子だという取って付けたようなモチーフには我慢できても、そこからドラマティックな展開に繋がるわけでもなく、何やら微温的なハナシが漫然と続くのみ。ジェナには個性が強そうな友人が複数いるが、それらが本筋に大きく絡んでくることも無い。ラストなんて、観ている側は“いつの間にそうなったんだ?”と呟くしかない状態だ。ヌーマ・ペリエの演出はどうもピリッとしない。

 しかし、アミット・ガジワニによる衣装デザインと、美術担当のサリー・レビの仕事ぶりは目を見張るほどヴォルテージが高いのだ。センス抜群のオープニング・タイトルから始まり、カラフルな街中の風景、そして登場人物たちが身に纏う服のクォリティの高さには感心するしかない。結果、あまり気を悪くせずに鑑賞を終えることが出来た。

 まあ、映画館でカネを払って観るのは厳しいレベルだが、配信による視聴ならば許せる。主演のユニオンとパワーズの他にも、アイシャ・ハインズにD・B・ウッドサイド、ラ・ラ・アンソニー、ジーナ・トーレスと、馴染みは無いが“絵になる”キャストが揃っている。アマンダ・ジョーンズによる音楽と既成曲の扱いも万全だ。
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「ボブ・マーリー ONE LOVE」

2024-06-14 06:24:00 | 映画の感想(は行)

 (原題:BOB MARLEY: ONE LOVE)これはとても評価できない。対象に鋭く迫ったような形跡が見当たらないのだ。その理由としては、本作が今は亡きレゲエの大物ミュージシャンであるボブ・マーリーの“身内(親族など)”が監修を担当していることが挙げられる。故人の“身内”としては、リアリズムに徹して短所も含めたボブ・マーリーの人間性をえぐり出すという方法論は、避けたいに決まっている。結果、極めて微温的なシャシンに終わってしまった。

 1976年、独立から十数年しか経っていないジャマイカでは、政情が安定せずに2大政党が対立していた。国民的アーティストであるボブ・マーリーは不本意ながらその政治闘争に巻き込まれ、同年12月に狙撃事件に遭ってしまう。それでも彼は間を置かずに全国規模のコンサートに出演し、身を守るためにイギリスに移住。その後も次々と意欲作を発表し、ワールドツアーも成功させる。だが、その間もジャマイカの社会情勢は良くならず、内戦の危機も囁かれるようになる。ボブはそんな状況に対して一肌脱ぐべく、活動を開始する。

 映画は、主人公がどうしてレゲエにのめり込んだのか、作曲のインスピレーションはどこから来るのか、そして名が売れる前にどういう紆余曲折があったのか、そんなことは何も言及しない。映画が始まった時点で彼はスーパースターだし、カリスマ性があり、そして病により世を去るまでが思い入れたっぷりに描かれるのみ。せいぜいが、幼少期のボブが炎に囲まれているシーンがが思わせぶりに何度か挿入されるのみだ。これでは何のモチーフにもなり得ていない。

 かと思えば、ラスタファリがどうのとか、エチオピア皇帝がどうしたとか、ボブの信奉者にしか分からないようなネタが前振り無しに出てきたりする。ならばコンサートのシーンは盛り上がるのかと言えば、これが大したことがない。既成の音源に合わせて各キャストが動き回っているだけで、高揚感が圧倒的に不足している。

 レイナルド・マーカス・グリーンの演出は平板で、ここ一番のパワーに欠ける。主演のキングズリー・ベン=アディルをはじめ、ラシャーナ・リンチ、ジェームズ・ノートン、トシン・コール、アンソニー・ウェルシュといった面子は馴染みは薄いし演技面でも特筆出来るものは無い。こういう映画を観ると、同じく有名ミュージシャンを主人公に据えた「ボヘミアン・ラプソディ」(2018年)がいかに訴求力の高い作品だったのかを痛感する。
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「ブルービートル」

2024-06-07 06:25:36 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLUE BEETLE )2023年製作のDCコミック系のヒーロー物。日本では劇場公開されず、同年11月からデジタル配信されている。出来としては水準をクリアしていると思うし、宣伝の仕方によっては劇場にある程度客を集められそうなシャシンだと思ったが、昨今のアメコミ映画の国内興行が“斜陽化”していることによりリスクを避けて封切りを見合わせたのだろう。ましてや、馴染みの無いキャラクターが画面の真ん中に居座っているので尚更だ。

 ゴッサム法科大学を卒業した青年ハイメ・レイエスは、故郷であるメキシコ国境近くのパルメラシティ(架空の都市)に戻ってくる。職探しの間にバイト先として出向いたITと軍事の巨大キャリアであるコード社の研究所で、彼は古代の墳墓から発見された異星人の手によるバイオテクノロジーの粋を集めたスカラベに偶然触れてしまう。



 するとスカラベに共生宿主として認知されたハイメは、スーパーパワーを秘めたアーマースーツに身を包んだ超人ブルービートルに変身する。一方、スカラベとの相性が良いハイメの存在を知ったコード社の社長ヴィクトリアは、彼を解剖してスーパーパワーの情報を掴み、自社の軍需産業に転用しようと画策する。

 DCコミックス初のラテン系ヒーローだからというわけでもないだろうが、主人公はやたら明るく楽天的だ。突如として手に入れた能力に戸惑うよりも、面白がることを優先する。そして、ハイメの家族はもっと明るい。皆それなりに屈託はあるのだが、まずはとにかく笑い飛ばしてしまおうという思い切りの良さが痛快だ。

 ブルービートルの前に立ちはだかるのは、高い戦闘能力を持つイグナシオ・カラパックスだ。しかもスカラベのデータを部分的ではあるが取り込んでいるので、容易には倒せない。実はコード社の先代CEOはヴィクトリアの兄で、その娘のジェニーも社内にいるのだが、完全に窓際扱いだ。その彼女とハイメが良い仲になるのは予想通りとして(笑)、主人公の叔父のルディを加えての大々的バトルが展開する後半はけっこう盛り上がる。またカラパックスの出自が伏線になっているという処理も悪くない。

 アンヘル・マヌエル・ソトの演出は決して行儀良くはないが陽性でストレスが無い。主演のショロ・マリデュエニャにヒロイン役のブルーナ・マルケジーニ、そしてアドリアナ・バラッザ、エルピディア・カリーロ、ラオール・マックス・トゥルヒージョ、ジョージ・ロペスというキャストは馴染みが薄いが、皆好調。ヴィクトリアに扮したスーザン・サランドンは楽しそうに悪役を演じている。例によってエピローグは続編を匂わせるが、ブルービートルが今後のDCユニバースにどう絡んでいくか楽しみではある。
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「ハート・オブ・ザ・ハンター」

2024-06-01 06:27:02 | 映画の感想(は行)
 (原題:HEART OF THE HUNTER )2024年3月よりNetflixから配信。アクション映画としては凡庸な出来。思い切った仕掛けは無いし、展開もスムーズとは言えない。キャラクター設定が良好とも思えず、そもそも物語の背景が不明確だ。それでも何とか最後まで付き合えたのは、本作が南アフリカ映画だからである。欧米やアジアのシャシンとは明らかに違う得体の知れない空気が全編にわたって漂っており、それがダークな内容に妙にマッチしている。配信される映画の中にはこういうユニークな佇まいのものがあるので、チェックは欠かせない。

 かつては凄腕のヒットマンとして裏社会では知られていたズコ・クマロは、今では足を洗って妻子と共にケープタウンの下町で暮らしていた。そんなある日、彼の“上司”であったジョニー・クラインが突然訪ねてくる。彼は、大統領の座を狙っている副大統領のムティマを“排除”するように依頼する。



 ムティマは横暴でスキャンダルだらけの男であり、そんな奴が国家元首になっては国益を毀損するというのだ。ズコは断るが、その後ムティマが仕向けたPIAという国家情報機関によってジョニーは消されてしまい、スゴも狙われるようになる。ズコは妻子を気遣いつつも、ムティマとその一派に戦いを挑む。

 ズコが手練れの仕事人だったのは分かるが、過去にどういうポジションにいたのか分からない。PIAの幹部が女性ばかりというのは奇妙で、その中にズコの仲間も紛れ込んでいるという設定も無理筋だ。アクション場面は大したことがなく、作劇のテンポもスピード感を欠く。さらには敵方の連中が完全武装しているにも関わらず、ズコは槍一本で戦うというのは脱力ものだ。

 しかし、風光明媚なケープタウンが舞台であっても貧富の差の激しさによる暗い雰囲気は拭いきれず、郊外に出れば荒涼とした大地が広がるばかり。この殺伐としたロケーションが、主人公たちの首尾一貫しない言動に妙なリアリティを与えている。さらには、内陸国家のレソトにズコが一時身を寄せるシークエンスの、異世界のような光景は印象深い。

 マンドラカイセ・W・デューベの演出には特筆できるものは無いが、何とかラストまでドラマを引っ張っている。主演のボンコ・コーザは面構えと体格は活劇向きで、演技も悪くない。コニー・ファーガソンにティム・セロン、マササ・ムバンゲニ、ボレン・モゴッツィ、ワンダ・バンダ、ピーター・バトラーといったキャストは馴染みは無いが、パフォーマンスは及第点に達していると思う。
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「美と殺戮のすべて」

2024-05-13 06:07:07 | 映画の感想(は行)
 (原題:ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED)強烈な印象を受けるドキュメンタリー映画だ。題材の深刻さといい、主人公役のキャラクターの破天荒さといい、問題提起の大きさといい、全てがA級仕様である。第79回ヴェネツィア国際映画祭で大賞を獲得しているが、有名アワードに輝いた作品が必ずしも良い映画とは限らないものの、この受賞は十分頷ける。個人的にも今年度のベストテン入りは確実だ。

 本作がクローズアップする人物は、首都ワシントン出身の写真家ナン・ゴールディンだ。彼女は最愛の姉が18歳で自死したのを切っ掛けに、フォトグラファーを志すようになる。テーマは自身のセクシュアリティをはじめ、家族や友人の切迫した状況、ジェンダーに関する問題など、かなり“攻めた”ものばかりだ。しかも、ドラッグの過剰摂取やHIVウイルスの感染などで、作品に登場するほとんどの被写体が世を去っているという。



 そんな彼女が、手術時にオピオイド系の鎮痛剤オキシコンチンを投与され、危うく命を落としそうになる。実はこの薬は中毒性があり、処方を間違えると重篤な事態に陥るのだ。ところがオキシコンチンを販売するパーデュー・ファーマ社は、この薬を野放図にばら撒いて被害を大きくしている。彼女は2017年にこの問題の支援団体P.A.I.Nを創設し、パーデュー・ファーマ社とそのオーナーである大富豪サックラー家の責任を追及する。

 私は不勉強にも、かくも重大な薬害が起こっていることを知らなかった。そしてもちろんP.A.I.Nの存在も心当たりは無い。だが、パーデュー・ファーマ社の所業がいかに悪質なものかを本作は鮮明に描き出し、映画本来の社会的役割という側面を強調する。さらに、この会社が芸術界に多額の寄付をしているという、偽善的な行為も糾弾する。ゴールディンはアートに携わる者として、サックラー家との全面対決に身を投じるのだ。

 芸術家として血を吐くような苦悩に苛まれ、家族や友人を失い、その結果先鋭的な作品に結実させるゴールディンと、儲け主義の権化みたいなパーデュー・ファーマ社との対比は、悲痛な現実の暴露と共に、目を見張るような高揚感を観る者にもたらす。そして、芸術の何たるかを端的に見せつけられた衝撃を受けるのである。

 ローラ・ポイトラスの演出は力強く、対象から一時たりとも目を離さない。今後もその仕事を追ってみたくなる人材だ。なお、この薬害事件の犠牲者は全米で50万人を数えるという。それにも関わらず、サックラー家は勝手に会社を解散させて責任の回避に余念が無い。この世界にはかくも不条理な事柄が頻発しているが、それを真正面から捉える映画作家の存在は、観る者の意識をこれからも少しずつシフトアップさせ続けるのだろう。
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「プリシラ」

2024-05-11 06:08:17 | 映画の感想(は行)
 (原題:PRISCILLA )これは酷い。まったく、何も描けていないのだ。脚本も担当した監督のソフィア・コッポラには元々才能に乏しいと私は思っており、映画を撮り続けていられるのは親の七光り以外の何物でもないと踏んでいたが、今回はいつにも増してその素地の無さを見せつける結果になった。一部では賞賛する声はあるものの、少なくとも個人的には存在価値を微塵も見出せない映画だ。

 1959年、父親の仕事の関係で西ドイツの中西部ヘッセン州に住んでいた14歳のプリシラは、そこで兵役中のエルヴィス・プレスリーとパーティー会場で出会い、恋に落ちる。やがて彼女は両親の反対を押し切って退役後に帰国したエルヴィスと一緒に暮らすようになり、1967年に結婚。彼女はこれまで経験したことのない魅惑的な世界に足を踏み入れて、しばらくは夢のような生活を送るが、いつしか夫との仲が上手くいかなくなり、1973年には別れてしまう。



 若くして世を去り、すでに“伝説”になっているエルヴィスに対し、プリシラは現時点で健在だ。本作も彼女が85年に出版した自伝「私のエルヴィス」を元にしている。だから映画としてはプリシラの側から描くしかないのだが、本人が生存している手前、突っ込んだ描写は憚られる。加えて監督の腕前が推して知るべしなので、極めて微温的で薄っぺらい展開に終始しているのも仕方がない。

 十代前半にして思いがけずスーパースターと知り合ってしまったヒロインの戸惑いや苦悩、そしてそれらを上回るほどの胸のときめきなどは、全然深く描かれていない。エルヴィスや周りのスタッフに良いようにあしらわれ、まるで着せ替え人形のような存在になるプリシラだが、それに対する屈託や反感もスクリーンの中からはあまり窺えない。こんな状態で終盤に夫と離婚しても、観ている側としては“だから何?”としか言いようがないのだ。

 映像は美しくもなく、思い切った仕掛けも無し。時代背景も十分に描けていない。特に、音楽界の大物としてのキャラクターが脇に控えていながら、エルヴィスの楽曲が一向に流れてこないのには参った。これでは、ヒロインが一体彼のどこに惚れたのか分からないではないか。しかも、エルヴィスのナンバーだけではなく時代を彩るヒット曲の数々も紹介されていない。

 主演のケイリー・スピーニーは十代を演じる時点では可愛さが際立つが、後半は精彩を欠く。第一、あまりにも小柄過ぎないか(身長は155センチとのこと)。実在のプリシラ本人も決して長身ではないが、スピーニーよりも背が高い。エルヴィス役のジェイコブ・エロルディにはカリスマ性は見当たらず、ダグマーラ・ドミンスクにアリ・コーエン、ティム・ポストといった脇のキャストにも目立つ面子はいない。正直、さっぱり盛り上がらないまま2時間弱を過ごしてしまった感じだ。
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「パスト ライブス 再会」

2024-05-03 06:08:05 | 映画の感想(は行)
 (原題:PAST LIVES)この文章を書いている時点で本作を劇場で鑑賞してから約1週間しか経っていないのだが、困ったことに印象が薄い。ストーリーラインも、紹介サイトを参照しないとハッキリと思い出せないほどだ。それだけ個人的にはアピール度の低いシャシンであり、正直言うと通常なら観る気さえ起きない題材の映画だった。しかしながら第96回米アカデミー賞では作品賞と脚本賞にノミネートされており、第73回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門の出品作でもあるので、一応はチェックしておこうと思った次第。

 韓国のソウルに暮らしていた12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いを憎からず思っていたが、ノラの一家が海外移住してしまい離れ離れになる。12年後、ニューヨーク在住のノラはソウルで暮らすヘソンとオンラインで再会を果たすが、結局は2人は実際会うことは無かった。そしてまた12年後、36歳になったノラは作家のアーサーと結婚していた。彼女を忘れられないヘソンは、それを承知でノラに会うためにニューヨークを訪れる。アメリカ=韓国合作のラブストーリーだ。



 とにかく、話が面白くない。24年もの間ノラを思い続けていたヘソンだが、こちらから有用なアプローチもしていないのに相手が振り向いてくれるはずもない。ノラもいいトシなのだから結婚している可能性にヘソンも思い至りそうなものだが、劇中ではその心境は具体的に語られない。だいたい、時間の流れが主人公たちが大人になってから描出されていないのだ。36歳という年齢相応の外見や佇まいが、ほとんど24歳の時点と変わらないのは失当だろう。

 2人はやっとニューヨークで再会するのだが、その際にノラの旦那のアーサーがずっと冷や飯を食わされていたのは呆れた。ならばノラとヘソンはどういう話をしていたのかというと、前世がどうのとか、まるで共感できないネタに終始しているのだから処置無しだ。

 そして本作の最大の敗因は、キャストに魅力が欠けていることだ。ノラに扮するグレタ・リーとヘソン役のユ・テオは、全然スクリーン映えしない。もちろん韓流ドラマ並の場違いな美男美女を持ってくる必要は無いと思うが、これでは普通のアンチャンとネエチャンの恋バナでしかなく、観ていて萎えた。アーサー役のジョン・マガロの方がまだマシだ。まあ、前世とか東洋的な因縁話がアカデミー協会では評価を得たのかもしれないが、こちらとしてはどうでもいいネタだ。やっぱり観なくてもいい映画だった。
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「ビューティフル・ゲーム」

2024-04-12 06:07:46 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE BEAUTIFUL GAME)2024年3月よりNetflixより配信された英国製のスポーツもの。題材の面白さとキャラクターの濃さ、そして無理のないストーリー展開により、かなり楽しめた。イギリス映画にしては捻った部分が目立たず、しかもハリウッドで同様のネタを扱う場合のようなライト方面に寄りすぎることもなく、丁度良い案配に仕上げられているのも好印象だ。

 ホームレスによるサッカーの世界大会“ホームレス・ワールドカップ”ローマ大会への出場準備を進めていたイングランド代表チームの監督マルは、天才的なストライカーのヴィニーをスカウトする。だが、実は彼は元プレミアリーグの選手だった。訳あって今は宿無しの身分に甘んじているとはいえ、他のメンバーとの“格差”は明らか。そのためチームに馴染めず、ローマ入りしてからも単独行動を取る始末。しかも、素人ばかりだと思われた各国のチームもけっこうまとまっており、イングランド代表は苦戦を強いられる。



 この映画を観るまで、私はこの“ホームレス・ワールドカップ”なる大会の存在を知らなかった。この映画自体は完全なフィクションだが、ルールなどは現実をトレースしている。参加選手は文字通りのホームレスが中心ながら、他国からの難民も含まれる。また、この大会に出場することで選手はパスポート取得が可能になるとのことで、それにより戸籍や住所を取り戻して社会復帰の切っ掛けにもなるらしい。社会福祉の面からも意義のあるイベントと言えよう。

 ヴィニー以外のメンバーも大いなる屈託を抱えており、それぞれが自身の問題と向き合ってゲームに臨む様子は、観ていて気持ちが良い。他国チームの様子も興味深く、特に日本チームなんかの扱いは一瞬“バカにしてるのか?”と思わせるが(笑)、それなりの味を出しているのは評価出来る。試合場面はかなり盛り上がり、狭いコート(フットサルより少ない4人編成でのゲーム)の中での激闘は見応えがある。

 テア・シャーロックの演出は特段才気走ったところは無いが、手堅くドラマを進めている。マル役のビル・ナイはさすがの貫禄で、映画が浮ついたタッチになることを回避。ヴィニーに扮するマイケル・ウォードをはじめ、スーザン・ウォーコマ、カラム・スコット・ハウエルズ、キット・ヤング、シェイ・コール、ロビン・ナザリ、ヴァレリア・ゴリノ、そして奥山葵など、個性豊かな面子が揃っている。そして何より、夏のローマの風景は目が覚めるほど美しく、観光気分満点だ。本作に限らずNetflix作品は映像の絵面がキレイなものが目立つようで、喜ばしいことである。
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