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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ベテラン 凶悪犯罪捜査班」

2025-04-28 06:05:31 | 映画の感想(は行)

 (英題:I, THE EXECUTIONER)韓国内で大ヒットした2015年製作の「ベテラン」の続編で、何と9年ぶりのパート2の公開だ。ここまで長いインターバルが生じた事情に関してはよく分からないが、この映画も本国ではかなり客の入りが良かったらしいので、興行側としては満足出来る結果になっただろう。出来の方は、正直言って前作には少し及ばない。しかし、韓国製娯楽編の全体的レベルは高いので、本作も退屈せずに最後までスクリーンに向き合える。

 ソウルの街で、法の目を掻い潜って悪事をはたらく者たちが次々と血祭りに上げられる事件が発生。司法が十分機能せずに悪党が野放しになっている状況にフラストレーションが溜まっていた市民は、この“必殺仕事人”みたいな犯人を正義のヒーローとしてもてはやすようになる。ソウル地方警察庁の広域捜査隊のソ・ドチョル刑事とそのチームは、ドチョルを師と仰ぐ新人刑事パク・ソヌを加えて捜査に当たる。だが事件は後を絶たず、さらにネット上に次のターゲットが公開されてしまう。

 意外なことに、犯人は観客に向けて早々に明かされる。しかし、それは作劇の瑕疵にはなっていない。犯人捜しが映画の焦点ではないのだ。本作の重要モチーフは、ネットをはじめとするあらゆる媒体で増殖する、過激かつ無責任な“正義感”の糾弾である。

 SNSの発達で、誰でも情報の発信者に成り得る現在、反響が大きければまるで自身が世界の中心になったような錯覚に陥り、実社会で常軌を逸した行動を取ることに忌避感が無くなってくる者が出てくる。もちろん、そんな構図を取り上げているのはこの映画が最初ではなく、これまでも少なからず実例は存在している。その意味では、前作で描かれた財界がらみの陰謀譚に比べると、ネタ自体は新鮮味は無いかもしれない。

 ただし、本編が存在感を発揮しているのは、ネット上の悪意に呑まれた犯人と対峙する存在として、ドチョルと仲間たちの堅い信頼関係が提示されることだ。さらに、ドチョルの高校生の息子が窮地に陥るという、サブ・プロットを上手く機能させている。リュ・スンワンの演出はパワフルで、観る者を引きずり回す。アクション場面も手慣れたもので、特にラスト近くの修羅場の扱いには感心するばかり。

 主演のファン・ジョンミンをはじめ、アン・ボヒョンにオ・ダルス、チャン・ユンジュらの面々は好調。パク・ソヌ役のチョン・へインも良い味を出している。エンドクレジット後にはちゃんと次作に続くような前振りも用意され、今後の展開が楽しみである。
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「ブルータリスト」

2025-03-22 06:06:01 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE BRUTALIST )これは面白くない。正直、観て損したという感じだ。ストーリーは工夫が足りず、各キャラクターにはまったく感情移入出来ない。そもそも題材自体が大して興味を惹かれるものではなく、それに何とか興趣を持たせようという意図も感じられないのだ。加えて、215分(途中休憩あり)という気の遠くなるような長さ。海の向こうでの高評価も、俄に信じがたい。

 第二次大戦前のハンガリーでそれなりの実績を残してきたユダヤ系の建築家であるラースロー・トートは、大戦下で理不尽な弾圧に直面する。何とか生き延び、戦後になって家族と新しい生活を始めるためアメリカのペンシルベニアに移住した彼は、著名な実業家ハリソン・ヴァン・ビューレンと出会う。ラースローの才能を知ったハリソンは、彼と彼の家族がアメリカの市民権を得るような便宜を図る代わりに、礼拝堂の設計と建築を依頼する。しかしラースローは慣れないアメリカでの生活に加え、本国とは違う仕事の段取りに戸惑うばかりだった。



 観る前はこの主人公は実在の人物なのかと思っていたが、ちょっと調べてみたら何と架空のキャラクターだった。それにも関わらず、映画館入場時にはラースローの“業績”を示したリーフレットまで配られる。愉快ならざる気分でスクリーンに対峙したのだが、中身もまるで要領を得ないものだった。

 まずは主人公の建築に対する常軌を逸した熱意ぐらい描いて然るべきだと思うのだが、それがほとんど無い。何となく建築家になって、何となく作品を残し、そしてアメリカで何となくやっていけたという、場当たり的な展開に終始する。しかも、彼が作り上げたという建築物の数々は、大して才気を感じさせるものではないのだ。コンクリート打ちっぱなしの、少し奇を衒ったという造形で、どこが優れているのかさっぱり分からない。

 対するハリソンも凄腕のビジネスマンという雰囲気はまるで窺われず、単なる中間管理職のオッサンだ。ラースローの妻エルジェーベトや姪ジョーフィアも大して印象に残らない。脚本にも参画しているブラディ・コーベットの演出は平板の極みで、盛り上がる箇所は、ほぼ無い。それではイケナイと思ったのか、場違いなワイセツ場面が幾度か挿入される。しかしこれも効果が上がらず、映画のレイティングをR15扱いにしただけだった。

 主演のエイドリアン・ブロディ、ハリソン役のガイ・ピアース、エルジェーベトに扮するフェリシティ・ジョーンズ、いずれも精彩を欠く。まあ、ロル・クローリーによるカメラワークとダニエル・ブルンバーグの音楽は及第点だったが、それだけでは映画の質を押し上げるには至らない。たぶん、本年度のワーストテン入りは確実だろう。
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「ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻」

2025-03-16 06:10:06 | 映画の感想(は行)
 (原題:FIREBRAND )正直、映画としてはあまり面白くはない。だが、取り上げた題材とキャストの奮闘、そして時代劇に相応しいエクステリアの創出はチェックする価値はある。観て損は無いレベルには仕上げられていると思う。2023年の第76回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門出品作だ。

 16世紀前半の英国は、テューダー朝のヘンリー8世が統治していた。彼はこれまで5度の結婚を経験しているが、その5人の妻は処刑や追放などで不幸な末路をたどっていた。1543年に彼が6番目の妻として迎えたのが、イングランド北西端のカンブリア出身のキャサリン・パーだ。知的で面倒見の良い彼女は王の信頼を得ていたが、実は英国教会を設立したヘンリーとは異なる宗教観を持っていた。やがてキャサリンが異端者であるという報告が王の耳にも入り、彼女は窮地に追いやられる。



 ヘンリー8世の妻を扱った映画は過去に何本か撮られていたが、最後の王妃であるキャサリンを主人公にした作品は、たぶんこれが初めてだ。宗教ネタを軸にしたエピソード自体は興味深いものがあるが、本作では効果的に描かれてはいない。単に史実を並べるだけで、各セクトの首魁は誰でどういう手管を繰り出してくるのかという、ドラマとしての動きが少ない。

 また、キャサリンが結婚前に付き合っていた、トマス・シーモア男爵についての言及も無い。主に扱われるのが、中年になって著しく肥満し、さらに馬上槍試合で負った古傷の後遺症にも苦しむヘンリーの世話をするヒロインの姿だ。まあ、それは事実なのだが、大して盛り上がるようなネタでもない。カリン・アイヌーズの演出は平板で、メリハリを付けた作劇は最後まで見られなかった。

 とはいえ、主演のアリシア・ヴィキャンデルと王に扮したジュード・ロウのパフォーマンスは見事だ。ノーブルで蠱惑的なヴィキャンデルも良いのだが、J・ロウの(かつての彼とは似ても似つかない)醜く太って扱いきれなくなったヘンリーの造型には驚かされた。この役者の引き出しの多さには感心する。エディ・マーサンやサム・ライリー、サイモン・ラッセル・ビールといった脇の面子も良好だ。また、エレーヌ・ルバールのカメラによる奥深い映像と、よく考えられた衣装や美術は見応えがある。
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「バック・イン・アクション」

2025-02-07 06:17:26 | 映画の感想(は行)
 (原題:BACK IN ACTION)2025年1月よりNetflixから配信。キャメロン・ディアスが「ANNIE アニー」(2014年)以来久々に映画出演を果たしたという触れ込みのアクションコメディだが、残念ながらさっぱり面白くない。設定は陳腐で、展開は工夫が足りず、さらには活劇場面が盛り上がらない。まあ、どうして彼女はこの程度のシャシンを復帰作に選んだのか、そのあたりの事情は我々部外者には知る由がないのだけどね。

 CIAの凄腕諜報員のエミリーとマットは、世界中のシステムを制御できるというキーデバイスをめぐるロシアン・マフィアとの争奪戦を勝ち抜くが、脱出時の飛行機内で思わぬ敵の襲撃を受ける。飛行機は墜落するが2人は生き残り、そのまま“殉職した”ということにして、アメリカ南部の田舎町で身分を隠して結婚生活を始めてしまう。それから15年後、2人の子供に恵まれた彼らを、またしてもかつての敵が追ってくる。一家はエミリーの故郷であるイギリスに逃れ、敵襲に備える。



 平凡な夫婦が実は敏腕スパイだったという御膳立ては、すでに「Mr.&Mrs.スミス」(2005年)で使用済で新味は無い。敵方がどうして2人の所在を突き止めたのか分からず、エミリーの母親がMI6の大御所だったというのも御都合主義だ(そもそもC・ディアスはイギリス人には見えない ^^;)。

 今どき、キーデバイスというフィジカルなシロモノを扱うのは古いし、エミリーの実家が何の工夫もなく悪者どもの接近を許してしまうのも噴飯物である。アクション場面はいかにもスタントマンを多用したという案配で、観ていて完全にシラケてしまうし、活劇の段取りも行き当たりばったりだ。ラストなんか、事件は完全に解決していないのに続編の製作を匂わせるような処理で、いい加減面倒くさくなってきた。

 セス・ゴードンの演出は凡庸。マット役はジェイミー・フォックスだが、彼が演じなければならない必然性は無い。アンドリュー・スコットにカイル・チャンドラー、ジェイミー・デメトリウといった顔ぶれはアピール度に欠け、グレン・クローズがこんなお手軽映画に出ているのもガッカリだ。もしもネット配信ではなく映画館で観たら“カネ返せ!”と叫んだかもしれない(笑)。
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「ビーキーパー」

2025-01-20 06:30:30 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE BEEKEEPER )お馴染みジェイソン・ステイサム御大主演のアクション編だが、彼が出た映画の中では一番面白い。何よりも話がよく出来ている。そしてそれを盛り上げる演出もある。もちろん、アクション場面については言うことなしだ。フラリと映画館(シネコン)に入って、肩の凝らない活劇編をチョイスしてみたら、思いがけなく引き込まれ得した気分になれるという、娯楽作品の王道みたいなシャシンである。

 主人公のアダム・クレイは、アメリカの片田舎で養蜂家(ビーキーパー)として隠遁生活を送る謎めいた中年男。ある日、土地を提供してもらっている老婦人エロイーズがフィッシング詐欺に遭って全財産をだまし取られ、絶望のあまり自殺してしまう。復讐を誓うアダムは、詐欺グループを叩き潰すべく行動を開始。実は彼は世界最強のエージェント組織“ビーキーパー”に所属していたことがあり、並外れた戦闘力と独自の情報網を駆使してターゲットを追い詰める。



 ネットにおける詐欺犯罪はどこの国でも問題になっており、これを題材にした時点でアドバンテージは確保されていると思うが、本作はさらに突っ込んだ筋立てを用意している。この詐欺組織のバックにはCIAなどの政府当局が控えているのをはじめ、大統領官邸も一枚噛んでいるというエゲツなさ。その詐欺行為でかき集めたカネがどのように使われているかが明らかになるくだりには、呆れつつも感心するしかない。

 言い換えれば、今はここまで大風呂敷を広げないと単純な肉体アクション編は存在感を発揮できないのだろう。主人公の抜け目ない行動は御都合主義と映るかもしれないが、ステイサムのキャラの強さで押し切っていて、ある意味安心感さえ漂ってくる。また闇雲に大暴れしているようでいて、直接は悪事に関係の無い警察や軍の構成員たちはノックダウンさせるに留め、敵組織の幹部及びそれに雇われた悪漢どもは容赦なく始末するという、そんな“区分け”がキッチリ出来ているのも好印象である。

 デイヴィッド・エアーの演出は闊達かつスムーズで、1時間45分という適度な尺も相まって実にタイトな感触だ。エミー・レイバー=ランプマンやジョシュ・ハッチャーソン、ボビー・ナデリ、ミニー・ドライヴァー、フィリシア・ラシャドなどの面子の仕事ぶりは申し分なく、ジェレミー・アイアンズが悪役に回っているのも面白い。なお、この映画内での大統領は女性である(演じているのはジェマ・レッドグレーヴ)。現実では女性が米国のトップに座るのは、まだ先の話だろう。
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「フーリング」

2025-01-04 06:15:31 | 映画の感想(は行)

 (原題:FOOLIN' AROUND)80年作品。諸手を挙げて評価するようなシャシンでもないのだが、この頃のアメリカ製娯楽映画のトレンドを象徴したような内容で、一応は記憶に残っている。聞けば本作は日本公開時は別の(ある程度客を呼べそうな)映画の併映だったらしく、配給元もあまり期待していなかった様子なのだが、こういうお手軽な作品が世相を反映しているケースもあったりする。

 ミネソタ大学の学生であるウェスは、古い教科書を売りつけた教授に仕返しをするため、教授の車を木の枝にぶら下げるという暴挙をやらかし、一気に問題児としてマークされる。次に彼はアルバイトとして理系学生のスーザンの実験台になることを引き受けるが、上手くいかずに酷い目に遭う。しかし、怪我の功名で彼女と仲良くなり、偶然スーザンが大手建設会社の会長の孫娘だったこともあって、その会社に就職してしまう。ところが、現社長の母親は彼女にイヤミったらしい管理職の男との結婚を強要しており、ウェスは何とかそれを阻止すべく、手段を選ばない行動に出る。

 ウェスのキャラクターこそ型破りだが、筋書き自体に意外性は無い。有り体に言えば、1930年代のスクリューボール・コメディを焼き直したような内容だ。時あたかも70年代(特に前半)の混乱期が過ぎ、何となく保守回帰の空気が充満していたというアメリカ社会。それに呼応するような懐古趣味のハッピーエンド風ドラマである。

 マイク・ケインとデイヴィッド・スウィフトによる脚本は笑いの趣向をたっぷり詰め込んでいて、リチャード・T・ヘフロンの演出はストレスフリーにドラマを進める。終盤はマイク・ニコルズ監督の「卒業」(68年)との類似性を感じさせるが、あの映画にあった“毒”は不在だ。

 主演のゲイリー・ビジーは好調で、おふざけ演技もソツなくこなす。相手役のアネット・オトゥールも魅力があるし、ジョン・カルヴィンやエディ・アルバート、クロリス・リーチマンといった顔ぶれも悪くない。なお、映像が一見キレイだが陰影も的確に捉えていて印象的だと思ったら、カメラマンはウォルター・ヒル監督との仕事などで知られるフィリップ・H・ラスロップだった。チャールズ・バーンスタインによる音楽も及第点に達している。
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「ビバ・マエストロ!指揮者ドゥダメルの挑戦」

2024-12-14 06:35:08 | 映画の感想(は行)
 (原題:IVIVA MAESTRO!)とても興味深いドキュメンタリー作品だ。題材になっているのはベネズエラ出身の世界的指揮者グスターボ・ドゥダメルである。ドゥダメルといえば2017年1月のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートで指揮を務めたことで有名だが、1981年生まれであり、この世界では若手に属する。

 ラテン系というのも珍しく、そのせいか彼のタクトから紡がれる音色は精緻かつ明るくノリが良い。今やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団から実力を嘱望されるほどの才能の持ち主であるが、映画はドゥダメルの音楽性を追求するような方向には行かない。本作の主眼は彼の“活動”についてである。



 本作撮影中の2017年に、ベネズエラの反政府デモに参加した若い音楽家が殺害される事件が発生。これを切っ掛け手に、ドゥダメルは現マドゥロ政権に対する批判記事をニューヨーク・タイムズ紙に投稿する。それまでノンポリなスタンスを取ってきた彼は、ここで明確に社会への発信力を意識したわけだが、そのせいで彼が主宰するシモン・ボリバル・ユースオーケストラとのツアーは中止に追い込まれてしまう。さらにドゥダメルは実質的に国外追放の処分を受けるのだ。

 ここで“ミュージシャン、特にクラシックの音楽家が政治に口出しするのは不適切だ”といった見方もあるとは思う。だが、音楽は社会に密接しているものであり、ましてや当事国の一員であるドゥダメルが関与してはいけないということは絶対ない。そもそも彼はかねてより経済的に恵まれない母国の若手音楽家の育成に取り組んでおり、社会体制あっての音楽であるという立場は崩せないのだ。

 こういう“社会の不条理と戦うミュージシャン”という彼の側面を映画は強調し、同時に音楽の持つ奥深さをも表現する。終盤で彼はベートーヴェンの曲を指揮するのだが、これは本当に気迫がこもっている。ベネズエラの状況を考え合わせると、そのパフォーマンスが彼個人の資質だけではなく、外に向かったメッセージをも内包しているのではと信じたくなるほどだ。

 監督のテッド・ブラウンの仕事ぶりは、スタンドプレイに走ることなく実直に素材を追っているあたり好感が持てる。クラシック音楽好きだけではなく、広く奨められるドキュメンタリーの佳編だ。
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「本心」

2024-11-30 06:38:05 | 映画の感想(は行)
 まるで要領を得ない内容だ。特定のテクノロジーが発展した“別の世界”を描くに当たっては、設定自体の詳説から始めないと話が絵空事になるのだが、本作はそれが成されていない。加えてストーリーがまとまっておらず、散漫な展開が目に付く。奇を衒っただけの珍作であり、存在価値が大してあるとは思えない。

 工場で働く石川朔也は、ある大雨の日に同居している母の秋子から“話がある”という電話を受ける。家の近くまで来た彼が見たのは、氾濫する川べりに立つ母だった。助けようとして川に転落した彼が目を覚ましたのは1年後だった。そこで朔也は、秋子が“自由死”を選択して他界したことを知る。工場は閉鎖になっており、彼は“リアル・アバター”なる新たな仕事に就く。ある日、仮想空間上に任意の“人間”を作る技術の存在を知った朔也は、開発者の野崎に“母”の作成を依頼する。一方、彼は母の親友だったという三好彩花を見つけ出し、彼女と件の“母”も加えての共同生活が始まる。



 状況説明がまるでなっていない。朔也が昏睡状態になっていたわずか1年間で、テクノロジーがかくも劇的な発展を遂げるわけがないのだ。秋子が採用する“自由死”なる制度の実相はハッキリと示されておらず、“リアル・アバター”のビジネスモデルも不明瞭。彩花に至っては秋子との関係は上っ面で、朔也と同居しても男と女の関係になる気配も無いのは失当だ。

 気が付けば主人公と母親のストーリーはどこかに追いやられ、ラストで申し訳程度に言及されるのみ。さらに悪いことに、似たようなネタを扱った韓国作品「ワンダーランド あなたに逢いたくて」を最近鑑賞し、本作との格差に愕然としてしまった。また“自由死”みたいなモチーフならば、すでに早川千絵監督「PLAN 75」(2022年)の中で効果的に扱われている。しかるにこの映画は出る幕が無いのである。

 平野啓一郎による原作は読んでいないが、まさかこれほどの低レベルではあるまい。石井裕也の演出は全然ピリッとせず、この監督が不調から抜け出す様子は見受けられない。主演の池松壮亮をはじめ、田中裕子に妻夫木聡、綾野剛、田中泯、水上恒司、仲野太賀と良い面子を集めていながらこの体たらくだ。なお、彩花を演じるのは奇しくも同名の(漢字は少し違うが)三吉彩花である。かなりの熱演で、何とシャワーシーンまで披露。しかし作品の質がこの程度なので、“脱ぎ損”みたいな結果になったのは何とも残念だ。
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「八犬伝」

2024-11-22 06:24:30 | 映画の感想(は行)
 製作意図がよく分からない映画である。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」は長大であり、1950年代に東映がまともに映画化した際は五部作だった。もっとも、各1時間ほどの中編だったらしいが、それでも現時点でやろうとすると長編三部作にはなる。ところがこの映画の原作は、山田風太郎著「八犬伝」だ。ならばその小説を扱う必然性があったのかというと、それは感じられない。有り体に言えば、この原作だったら一本の映画に収められるという、そんな帳尻合わせ的な思惑しか見えてこないのだ。

 映画は2つのパートが同時進行する。一方は八犬士の活躍を描く元ネタをトレースし、もう一方では滝沢馬琴と友人である絵師の葛飾北斎を主人公に、この大河小説が生まれる過程を描いている。八犬士が活躍するパートは面白くない。「南総里見八犬伝」の粗筋を知っておかないと何が何だか分からないし、そもそも映像がショボすぎる。さらに殺陣が低調で、アクション場面がさっぱり盛り上がらない。出ている面子もテレビの“イケメン戦隊もの”と大して変わらないレベルだ。



 ならば馬琴と北斎の関係を描く部分はどうかというと、これはそれなりに見応えはある。何しろ役所広司に内野聖陽、黒木華、寺島しのぶ、磯村勇斗などの手練れが集められているのだ。特に立川談春演じる鶴屋南北が出てくるシークエンスは出色である。しかし、馬琴と北斎を主人公にした映画では過去に新藤兼人監督の「北斎漫画」(81年)という傑作があり、それに比べれば本作は分が悪い。

 監督の曽利文彦の仕事ぶりは、表面的には賑々しいが深みが無いというパターンは相変わらず。キッチュな味わいで場を保たせるケースならばともかく、今回のように多大な予算投入が必要な素材を扱うと、どうも力不足の感が否めない。第一、作り手に八犬士に対してどれほどの思い入れがあったのかも不明だ。

 あと関係ないが、私が鑑賞した際には上映中に八犬士の各プロフィールに関して隣のカミさんに蕩々と解説していたオヤジがいて、とても気分を害した。席が離れていたので直接注意は出来なかったが、マナーをわきまえない輩はどこにでもいるものだと憤慨した次第である。
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「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」

2024-11-09 06:26:38 | 映画の感想(は行)

 2023年作品。前作(2021年)は観たものの、この続編は個人的鑑賞予定リスト(?)に入っていなかった。しかし、主演の一人である高石あかりがNHK朝ドラの2025年度後期番組の主役にオーディションで選ばれたとのことで、もう一度彼女のことをチェックしようと思った次第。映画の出来には大して期待はしていなかったが、最後まで退屈しないだけのヴォルテージはキープしている。まあ観ても損はしないだろう。

 杉本ちさとと深川まひろの若い女子殺し屋コンビは、ルーズな性格がわざわいしてジムの会費や保険料を滞納し、さらに立ち寄った銀行で押し入った強盗相手に勝手に大立ち回りをやらかしてしまい、殺し屋協会から謹慎を言い渡される。一方、しがない殺し屋アルバイトの神村ゆうりとまことの兄弟は、ちさととまひろを始末すれば代わりに“正社員”に昇格できるという噂を聞きつけ、実力行使に及ぼうとする。

 普通、アクション映画の続編は前作よりも金かけてスケールアップを図るとか、主人公の別の顔を見せるとか、取り敢えずは特色を出そうとするものだが、本シリーズに関しては全くそのような素振りを見せないところがある意味アッパレだ(笑)。脱力系のタッチは相変わらずで、特にちさととまひろが生活費を稼ぐため下町の商店街(ロケ地は墨田区のキラキラ橘商店街)で慣れないバイトに励むシークエンスはユルいギャグの連続だ。

 協会のスタッフたちの天然ぶりや、神村兄弟の間の抜けた会話など、緊張感ゼロのモチーフが次々と並べられる。通常こんな展開は低評価に繋がるものだが、このシリーズに限っては許せてしまう。ただし、クライマックスの決闘シーンは前作に比べてかなり作り込まれており、出演者たちの身体能力の高さも相まってけっこう盛り上がる。監督の阪元裕吾は、意外とドラマの緩急を心得ているのかもしれない。

 ちさとに扮する高石はルックスはイマイチだが、演技力と独特のキャラクターは申し分なく、これならば朝ドラのヒロイン役も務まるだろう。まひろ役の伊澤彩織をはじめ、水石亜飛夢に中井友望、安倍乙、渡辺哲、そして敵役の丞威と濱田龍臣など、皆良くやっていると思う。三作目の「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」も観るかもしれない。
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