元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ノン・ネゴシアブル ソレは譲れない!」

2024-09-02 06:30:57 | 映画の感想(な行)

 (原題:NON NEGOTIABLE)2024年7月よりNetflixから配信されたメキシコ製のサスペンス編。チャラい邦題とは裏腹に、けっこう骨のある作品だと思った。なおかつ、筋立て自体が陰惨にも残酷にもなっておらず、鑑賞後の印象は悪くない。また、この国が抱える問題をも垣間見せているあたりもポイントが高い。

 メキシコシティの警察署に勤務するアラン・ベンデルは人質解放の交渉人としてキャリアを積んでいたが、精神科医である妻のヴィクトリアとの仲はしっくりいかず、小学生の娘との関係も万全ではない。ある晩、本署から彼に呼び出しが掛かる。愛人宅を訪ねた大統領が誘拐され、しかも偶然居合わせたヴィクトリアも人質になっているというのだ。早速現場になったマンションを取り囲む特殊急襲部隊と合流したアランだが、何と犯人はかつての同僚だったことを知り愕然とする。

 序盤で価値観が合わないアランと妻とのやり取りが描かれるが、これがけっこう笑わせてくれる。それでも彼は窮地に陥ったヴィクトリアを救うために奮闘するのだが、その段取りはスムーズで違和感が無い。犯人の行動は無謀だが、動機は決して欲得尽くのものではなく、それなりの“大義”があるというのが出色だ。

 庶民派をアピールして当選した大統領だが、実は裏で阿漕なことを多数やらかしており、国益を侵害している。事情を知る犯人はそれを明るみにするため、実行に及んだのだ。その真相が一つ一つ示されるプロセスは、スリリングでけっこう見せる。さらに、事件をもみ消すために現職の閣僚たちが大統領の口を塞ごうとするくだりは、驚き呆れるしかない。

 これだけの騒ぎにもかかわらず、無駄な血が流れることがなく良い案配で事が終息するという作劇の処理も見上げたものだ。解決後のエピローグはライトな扱いだが、背後にはメキシコ社会に存在しているであろう格差の問題をも炙り出して、手応えを感じる。

 フアン・タラトゥトの演出はテンポが良く、1時間26分というコンパクトな尺も相まってストレス無くドラマを見せる。主演のマウリシオ・オフマンは決して二枚目ではないが、悩みを抱えた中年男を上手く表現している。ヴィクトリアに扮するタト・アレクサンデルは好演で見栄えも良く、エノック・レアーニョやレオナルド・オルティズグリスといった脇の面子もイイ味を出している。
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「にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻」

2024-08-30 06:23:27 | 映画の感想(な行)
 73年東宝作品。私は福岡市総合図書館にある映像ホール“シネラ”の特集上映にて鑑賞した。72年に公開された「にっぽん三銃士 おさらば東京の巻」の続編という建て付けだが、私はそっちの方は観ていない。そのため、登場人物たちの設定が唐突で付いていけない部分が多い。だが、それはあまり気にすることはなさそうだ。何しろこの映画、大してコメントする余地は無い。良く言えば軽量級、率直な印象は単なる珍作だ。

 東京で何やらヘマをやらかして仕事も家庭も失ってしまった黒田忠吾と八木修、そして風見一郎の3人は、貨物列車に潜り込んで博多駅にまでたどり着く。福岡市内のスラム街で彼らは“カラス”のお新と知り合う。お新は仲間と共に酒場やレストランで客が飲み残したビールをかき集め、それらを勝手に“調合”して“玄海ビール”と称して売っていた。



 3人は早速ビール集めを手伝い始めるが、そこに立ちはだかったのがヤクザ組織“ウルフ興行”の総務部長で剣の達人である北風の健である。健は彼らをお新が雇った用心棒だと勘違いしたのだ。一方、大手ゼネコンがスラム街を買いとってパンスト工場を建築しようと企み、住民たちに立ち退きを要求してきた。

 福岡市総合図書館は福岡を舞台にした映像ソフトを収集しており、本作もその一環として所蔵されたものだと思うが、意外と福岡ローカル色は希薄だ。中洲や天神の風景は出てくるものの、重点的には描かれない。主なロケーションは川沿いの貧民街で、どこの県でもありそうな御膳立てだ。

 主人公3人の設定は戦中派と戦後派、そして戦無派の代表ということらしく、当時としてはそれだけで笑いを取れたのだろうが、今観てもまるでピンと来ない。任侠映画のパロディみたいな健の出で立ちも、全くキマらず弛緩した空気が流れるのみ。筋立ては御都合主義なのだろうが、現時点では“笑って済ませる”わけにもいかず、ギャグもすべて上滑りだ。

 小林桂樹にミッキー安川、岡田裕介の主役3人は確かに演技力はあるが、ここでは役柄上オーバーアクトを強いられているのが何とも言えない。健に扮する田中邦衛も手持ち無沙汰の様子だ。監督の岡本喜八は、ここでは肩の力が抜けすぎ(笑)。なお、冒頭に“東宝創立40周年記念作品”なるタイトルが現われて面食らってしまった。こういうお手軽な映画が“創立記念作品”になってしまったとは、当時いかなる事情があったのか、映画の中身よりそっちの方が気になってしまう。
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「人間の約束」

2024-06-28 06:26:38 | 映画の感想(な行)
 86年作品。鬼才・吉田喜重監督の、端倪すべからざる実力を十分に堪能できるシャシンだ。題材としては高齢化問題を取り上げているが、そこに留まらず普遍的な人間性や社会性の深いところを突いてくる。決して観て楽しい作品ではないものの、世の中の在り方に関して考察を加えたくなる訴求力を備えた重量級の映画であることは確かだ。

 多摩市の新興住宅地で、寝たきりの老婦人である森本タツが死んでいるのが発見される。現場に向かった警視庁の田上刑事と吉川刑事は、他殺であると断定。するとタツの夫の亮作が、自分が絞殺したと自首する。だが、亮作自身も認知症に罹患していた。元々森本家は家長の依志男と妻の律子、子供の鷹男と直子、そして亮作とタツの6人家族だった。一応は平穏な生活が続いていたらしいが、タツに認知症の兆候が現われてから一気に家の中の雰囲気は暗くなる。佐江衆一の小説「老熟家族」の映画化だ。



 本作の非凡なところは、老夫婦の認知症によって普通の家庭が崩壊してゆくという、お決まりの図式を採用していないことだ。森本家は一見裕福に思えるし、夫も妻も子供たちも健康そうで何も問題が無いようだが、実は認知症を患った老人たちを抱え込むだけの度量の大きさなど、最初から微塵も持ち合わせていなかったのだ。むしろ、そちらの方が深刻であることをこの映画のイメージが無言で語っている。

 真面目そうに見える依志男は、かつて浮気に走っていた。律子に気付かれて一度は愛人との仲を清算するように思えたが、本当は今でも懇ろな仲だ。律子はそれを関知しており、夫を信用していない。子供たちに至っては、できるだけこの問題から距離を置きたいようだ。映像面もそれらを強調する。この映画はモノトーンに近い寒色系に統一され、温かみは無い。

 家の中はもちろんのこと、依志男が勤務する職場や、タツが一時身を寄せる介護施設も同様に暗鬱だ。それどころか、住宅地全体も沈んだカラーリングで捉えられている。極めつけはの依志男の愛人宅で、雰囲気はまるで刑務所だ。登場人物のほとんどが、この無機質な牢獄に閉じ込められているような描き方で、すなわちこれが現代社会の暗喩として示されている。

 だが、亮作だけが唯一人間性を喪失していない存在だ。もちろん認知症を患ってはいるが、症状はタツよりも軽い。彼は妻を必死で守ろうとするのである。そして、もし自分が限界に達したら、彼女を安楽死させようと心に決める。老妻を病院から助け出そうとしたり、故郷の菩提寺の先祖代々の墓の前に穴を掘って自ら生き埋めになろうとしたり、その行動はまるでヒーローだ。

 このモノクロームの世界で自己表現を試みようとすると、彼のような突出したパフォーマンスに走らざるを得ないという、不条理極まりない図式。その有様を見せつけられると、観ているこちらは為す術も無く立ち尽くすだけだ。

 吉田の演出は一点の緩みも無い硬質なもので、観る側に逃げ場を与えない。亮作に扮する三國連太郎は渾身の演技で、彼の生涯を通じての代表作の一つだと思う。村瀬幸子に河原崎長一郎、佐藤オリエ、杉本哲太、武田久美子、佐藤浩市、米倉斉加年、田島令子、若山富三郎など、隙の無いキャスティングも要チェックだ。山崎善弘によるカメラワークは見事の一言。そしして注目すべきは音楽を細野晴臣が担当していることで、普段の彼とは一線を画した現代音楽的なアプローチで観る者を驚かせる。
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「泣かないで」

2024-06-24 06:29:01 | 映画の感想(な行)
 (原題:ONLY WHEN I LAUGH )81年作品。あまりにもメロドラマっぽい邦題に腰が引けてしまうが、80年代の演劇界および映画界において活躍したニール・サイモンのシナリオによるシャシンで、この作家が得意とする非凡なキャラクターの造型とハートウォーミングな筋書きが冴えている。第54回アカデミー賞にて3部門でノミネートされ、第39回ゴールデングローブ賞では最優秀助演女優賞を獲得している。

 アルコール依存症のためでロングアイランドの療養施設に入所していた舞台女優のジョージアは、6年の入院を終え退所した。出迎えたのは10年来の友人であるジミーとトビーだ。その夜、別れた夫のデイヴィッドから電話があり、彼と共に家を出ていた娘のポリーが1年間ジョージアと同居したいというのだ。



 また、脚本家でもあるデイヴィッドは新作舞台の「笑う時だけ」(←これが本作の原題)への出演を彼女に依頼する。久しぶりに娘との生活を送ることになったジョージアだが、仕事に臨む不安によって酒に手を出そうとするたびに、しっかり者のポリーから一喝される毎日だ。やがて迎えたトビーの誕生日パーティーの席で、ジョージアは思いがけないニュースを知ることになる。

 普通、アルコール依存症というのは自分の苦しみを和らげるために飲酒頻度が高くなる状態を指すらしいが、ジョージアの場合は他人の悩みを共有するために24時間ずっと飲み続けてきたという設定が面白い。つまりは、飲酒によって人格は損なわれておらず、実はとても好ましい人物なのだ。

 オードリー・ヘップバーンの首筋に憧れているという同性愛者のジミーや、元ミスなんとかで、いつも自分の美貌の衰えだけを気にしているトビーのキャラクターも面白い。そして何といっても、イマドキの女子ながら本当は両親のことを誰よりも気に掛けているポリーの描き方が秀逸だ。映画は後半から二転三転するが、いつも他人の苦しみばかりに気を遣ってきたジョージアが、彼女なりに人生の転機を迎えるという幕切れは、大いに共感できる。

 グレン・ジョーダンの演出は派手さは無いが堅実で、ドラマは最後まで弛緩することはない。主演のマーシャ・メイスンはいつもながら横綱相撲的な安定感で、この気の良いヒロインを十分に表現している。ジェームズ・ココにジョーン・ハケット、デイヴィッド・デュークスら脇の面子も申し分なく、ポリーに扮するクリスティ・マクニコルの存在感はかなりのものだ。デイヴィッド・M・ウォルシュのカメラによるニューヨークの下町風景と、デイヴィッド・シャイアの音楽も及第点である。
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「人間の境界」

2024-06-03 06:25:25 | 映画の感想(な行)
 (原題:GREEN BORDER)観終わって、目の前が真っ暗になってしまうような印象を受けた。監督はポーランドのアグニエシュカ・ホランドだが、本作は彼女の師匠であるアンジェイ・ワイダが1957年に撮った「地下水道」に通じるものがある。あの映画は徹頭徹尾マイナスのモチーフを繰り出して題材の深刻さを強力に訴えていたが、この「人間の境界」も、そこで扱われている“現実”には慄然とするしかない。

 ベラルーシを経由してポーランドとの国境を突破すれば、そのまま安全にEU圏に入ることが出来るという情報が難民たちの間に広がり、幼い子供を連れて祖国シリアを脱出した家族とその一行。彼らは何とかベラルーシ領内を抜けてポーランド国境の森林地帯にたどり着くが、そこに待ち受けていたのは武装した国境警備隊の非道な振る舞いだった。無理矢理にベラルーシ側に送り返されるものの、そこから再びポーランドへ強制移送されることになる。



 国境を挟んだまま落ち着く土地も見出せない難民たちが味わう地獄のような日々と、支援活動をおこなう人々や警備隊の中にあっても体制に疑問を抱いている者の視点を絡ませて描く。冒頭の、トルコ航空機の客席のシーンから不穏な空気が漂う。その暗い予感は的中するわけだが、そもそも彼らの存在が“人間の兵器”として敵対国を困らせる道具になっている点が悩ましい。

 そんな下衆な策略に翻弄されるばかりの難民には同情を禁じ得ないが、だいたい簡単に安全な国に逃れられるはずもないのだ。冷静に考えれば誰でも分かりそうなものだが、そんな正常な思考が脇に追いやられるほど、紛争当事国の事態は切迫している。これは国境警備隊の連中も同様で、自分たちがやっていることが単なる暴力行為であることを理解していながら、大半がそれ以外の選択肢に思い至らない。

 しかも、本編で描かれていた事情に加えて、昨今ではウクライナからの難民も国境を目指して押し寄せている。世界全体が“地下水道”に押し込められるように暗転し、取り返しの付かない状況になっていく様子をホランド監督は冷徹に描き出す。それでも、身を挺して難民の子供を守ろうとする者や、ある切っ掛けで支援活動に乗り出す市民、そしてリベラルな視点に目覚めてゆく国境警備隊のメンバーなどに言及することにより、暗闇の中に一筋の光を見出すような作者のスタンスが表現されているのは納得してしまう。

 152分という長尺で、しかもシビアな場面の連続ながら、観る者の目を最後まで釘付けにする求心力には感心するしかない。トマシュ・ナウミュクのカメラによるキレの良いモノクロ映像と、フレデリック・ベルシュバルの効果的な音楽。ジャラル・アルタウィルにアマヤ・オスタシェフスカ、トマシュ・ブウォソクといったキャストは皆好演。ホランド監督には今後も時代の前衛を走っていて欲しい。
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「ニモーナ」

2024-03-25 06:08:03 | 映画の感想(な行)
 (原題:NIMONA)2023年6月よりNetflixから配信されたアニメーション映画。第96回米アカデミー長編アニメーション映画賞の候補作でもある。基本的にはよくあるファンタジー系のアドベンチャー物なのだが、設定がユニークで作劇のテンポも良く、最後まで退屈しないで付き合える。特に、ハリウッドのアニメ界に君臨しているディズニーやドリームワークスなどの作品とは一線を画するエクステリアが強く印象付けられる。

 舞台は中世風の架空の王国なのだが、テクノロジーは高度に発展していて、まるで未来世界だ。元首は代々の女王で、その祖先は国が出来る前に外の世界に生息していたモンスターを駆逐したという伝説が存在していた。孤児出身でありながら騎士学校を主席で卒業したバリスターは、騎士任命式の最中に起こった女王殺しの濡れ衣を着せられてしまう。公安当局から追われる身となってしまった彼は、逃走中に変身能力を持つ少女ニモーナと知り合う。意気投合した2人は一緒に真犯人探しを始めるが、事件の背景には陰謀が渦巻いていた。



 ハイテクな町並みに甲冑姿の騎士が多数行き交うという絵作りは、今までありそうであまり無かったやり方だ。キャラクターデザインは抽象的ながら動きはスムーズ。特に千変万化するニモーナの造型は素晴らしい。顔かたちだけではなく、動物にまで変身し、身体のサイズまで自由自在に調整出来る彼女はオールマイティな存在だ。しかし、元の姿であるティーンエイジャーの女子という佇まいは一貫しているので、どんなに無双ぶりを見せつけても違和感は希薄だ。

 バリスターも腕の立つ騎士で、何度か危機を突破する。彼にはアンブローシャスという盟友がいるのだが、その関係性が“今風”で絶妙だ。たぶんこのモチーフがあるから各アワードにノミネートされたのだろう。ただし、女王暗殺の黒幕の動機が今ひとつハッキリしなかったり、ニモーナの生い立ちも分からず、彼女と“同類種”が存在するのかどうか分からない点は不満だ。

 また王国の外の世界が具体的に描かれていないのも痛い。もっとも、ジェットコースター的に展開する後半の勢いの中ではあまり気にならないのも事実。ラストの扱いも気が利いている。ニック・ブルーノとトロイ・クエインの演出は達者。新奇な御膳立てをものともしないパワフルなドラマ運びが光る。

 ニモーナの声を担当するのはクロエ・グレース・モレッツで、彼女の小生意気な個性が良く出ている(笑)。バリスターに扮するリズ・アーメッドはパキスタン系イギリス人で、役柄の外観と見事にシンクロしている。クリストフ・ベックによる音楽も好調。観て損の無いシャシンと言える。
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「ネクスト・ゴール・ウィンズ」

2024-03-01 06:09:07 | 映画の感想(な行)
 (原題:NEXT GOAL WINS)やっぱりこういうスポ根ものは、よほど作りが下手ではない限り、鑑賞後の満足感をもたらしてくれるのだ。しかも、実話というのだから中身は保証されたも同然。もっとも、細かいところを見ると弱い点はあるのだが、勢いと映像の賑やかさで乗り切っている。何も観たい映画が無いときも、取り敢えずはスクリーンに向き合えるような作品だ。

 アメリカ領サモアのサッカー代表チームは、2001年にワールドカップ予選史上最悪となる0対31の大敗をオーストラリアに喫して以来、試合で一つのゴールも奪えない。次の予選が迫る中、新たな監督に就任したのは、かつての名選手でU-20サッカーアメリカ合衆国代表の監督を務めたものの、粗暴な態度でアメリカを追われたトーマス・ロンゲンだった。素人同然の選手たちを前に面食らうトーマスだったが、何とかチームの立て直しを図ろうとする。世界最弱のサッカーチームが、ワールドカップ予選で起こした奇跡のような実話の映画化だ。



 ストーリーは定型的に進み、落ちこぼれ達が奮起して大舞台で活躍するというお馴染みのルーティンからは一切逸脱しない。つまり、新鮮味は無い代わりに安心感はある。さらに、南国らしい明るい映像と雰囲気は捨てがたいし、随所に挿入される脱力系ギャグも気分を害さずに受け入れられる。サッカーチームの面々はキャラが濃く、特にトランスジェンダーのフォワードの存在感は際立っていて、しかも本人の存在は“創作”ではない実録ベースだというのは驚くしかない。

 トーマスの別れた妻ゲイルは米国サッカー協会の役員で、すでに恋人がいるというのはキツいが、この元夫婦の間にいるはずの娘の消息が明らかになる終盤は慄然としてしまう。また、クライマックスの試合の動向は作り手としてはちょっと捻りを加えてみたつもりだろうが、ここはオーソドックスに仕上げた方が良かったと思う。キャストの一人としても名を連ねているタイカ・ワイティティの演出はピリッとしないところもあるが、許せるレベルだ。

 主演のマイケル・ファスベンダーは好調で、見事にサッカーのコーチになりきっている。オスカー・ナイトリーにカイマナ、デイヴィッド・フェイン、レイチェル・ハウス、エリザベス・モス、イオアネ・グッドヒューなど脇のキャストも万全だ。余談だが、米領サモアとサモア共和国とはまったくの別物であることを、恥ずかしながら本作を観て初めて知った。トーマス・ロンゲンのその後の実際の活躍も興味深い。
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「ノーマ・レイ」

2024-02-05 06:06:55 | 映画の感想(な行)

 (原題:Norma Rae )79年作品。サリー・フィールドにアカデミー主演女優賞をもたらした映画で、出来自体も申し分ない。思えば70年代後半に“女性映画”のブームがあったのだが、別に明確なコンセプトに則ったムーブメントだったわけではなく、日本の関係会社が勝手に命名したものだったようだ。本作もその流れで公開されたようなものだが、若干の“トレンディっぽさ”や“アート系”などの趣を纏っていた他の作品群とは違い、正面からの社会派であったことは当時としては特徴的だったと思われる。

 アメリカ南部の田舎町(ロケ地はアラバマ州東部のオペライカ)に暮らすノーマ・レイは、2人の子供を育てながら紡績工場で働シングルマザーだ。両親も同居しており、余裕のある生活とは言えないが、それなりに平凡で大過ない日々を送っているつもりだった。あるとき、彼女は全米繊維産業労働組合から派遣されてきたルーベン・ワショフスキーと出会う。各地を訪問し、工場に労働組合を結成しようとするルーベンの主義主張に興味を持ったノーマは、自分や仲間が今置かれている状況が決して恵まれたものではないことに気付いてゆく。やがてルーベンと共に労働組合結成に向けて動き出す彼女だったが、会社側は露骨な妨害工作を仕掛けてくる。

 原作ものではなく、実録映画でもない。完全なオリジナル脚本による作品ながら訴求力がとても高いのは、ヒロインの環境が普遍的だからだ。アメリカのこの時代だけの話ではなく、現在のあらゆる地域に通じる構図が提示されている。それは、無自覚な一般ピープルが強者に搾取されているという、身も蓋もない事実だ。皮肉なことに、この光景は今ではアメリカよりも日本の方が顕著に見られるのだ。バブル崩壊以後、経済が上向かない原因の一つがそれである。

 さて、本作ではノーマの人物像と生活様式の描写に浮ついたところが無く、どこでもいそうな女性が思いがけない邂逅により社会性に目覚めていく様子が、丹念に綴られている。彼女が工場内で捨て身の行動を起こす場面は感動的だ。また、ノーマはルーベンと仲良くなりながら、互いに男女の関係にならないところが秀逸で、純粋な“同士”という間柄は納得出来る。彼女は意気投合したソニーと再婚するのだが、この相手も一見ガサツでありながら、実は付き合うに値するような人物としてクローズアップされるのも気分が良い。

 監督のマーティン・リットは元々リベラルなスタンスの作家らしく、この映画でもそれは窺えるが、決してイデオロギー先行の姿勢ではなく、的確にプロットを積み上げているあたりは好感が持てる。サリー・フィールドは万全の演技。ロン・リーブマンにボー・ブリッジス、パット・ヒングル、バーバラ・バクスレーなど脇の面子も言うことなし。ジョン・A・アロンゾのカメラによる美しい映像、ジェニファー・ウォーンズの主題歌も心にしみる。
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「ナポレオン」

2023-12-29 06:36:01 | 映画の感想(な行)
 (原題:NAPOLEON)これは評価出来ない。とにかく何も描けていないのだ。こういう歴史上の超有名人物を取り上げる際は、史実を漫然と追うだけでは到底一本の映画としての枠に収まりきれない。もちろんテレビの大河ドラマか、または数本にわたってシリーズ物として誂えるのならば話は別だ。しかし、そうでなかったら何かしら主題を絞って深掘りするしかないだろう。ところがこの映画は中途半端にイベントを並べるだけで、そこにはドラマ的な興趣が無い。製作意図自体を疑いたくなるような内容だ。

 映画は18世紀末の革命後の混乱に揺れるフランスの様相から始まるが、どうして当時はロベスピエールらによる恐怖政治が台頭したのか、まったく言及されていない。そして、その中で若き軍人ナポレオン・ボナパルトがどのようにしてのし上がり、軍の総司令官にまで任命されたのか、その事情も明かされない。



 彼は夫を亡くした女性ジョゼフィーヌと恋に落ち結婚するが、なぜ浮気癖の直らなかった彼女にゾッコンだったのか、その説明は成されないままだ。そもそも、劇中ではジョゼフィーヌに対する熱い恋心を示す描写さえ見当たらない。

 映画は一応ナポレオンが一度は失脚してエルバ島に流されるものの後に脱出して皇帝に返り咲き、それからいわゆる“百日天下”の終焉と共にセントヘレナ島に送られるという事実を並べてはいるが、ナポレオンが躓いたトラファルガーの海戦はなぜか完全スルー。ロシア遠征の失敗も詳しく描かれず、果てはワーテルローの戦いの敗因も明示されない。

 だいたい、セリフが英語であるというのも噴飯物で、これは作り手が素材を咀嚼していない証左だ。ここで“ハリウッドで作っているのだから仕方が無い”と片付けるわけにはいかない。要するにナポレオンの所業を単なる娯楽大作のネタとしか思っていないのだろう。フランス革命の歴史的な意義を理解していないばかりか、どうして当時フランスが他国から目の敵にされたのかも説明されていない。こんな体たらくで時代劇を撮らないでもらいたい。

 リドリー・スコットの演出は戦闘シーンにこそ物量投入の大きさで見せ場を作るが、人間ドラマはまるで不在。主役のホアキン・フェニックスは終始冴えない表情で、国家的な英雄を演じているという覚悟が見受けられない。ヴァネッサ・カービーにタハール・ラヒム、ルパート・エベレット、ユーセフ・カーコアといった共演陣もパッとせず。救いは上映時間が158分と、そんなに長くないこと。まあ、別途4時間ぐらいの“完全版”も存在するのかもしれないが、昨今は無駄に尺が長い作品が目立つハリウッドの大作映画としては珍しいと言える。
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「成れの果て」

2023-10-20 06:13:58 | 映画の感想(な行)
 2021年作品。先日観た加藤拓也監督の「ほつれる」との共通点が多い。2本とも男女間の恋愛のもつれを題材にした舞台劇の映画化であり、上映時間が80分台と短い。そして何より、両者とも登場人物すべてが人間のクズであることが印象的だ。しかし、映画のクォリティは圧倒的にこの「成れの果て」の方が高い。作り手の力量により、似たようなネタを扱ってもこれだけの差が出るものなのだ。

 東京でファッションデザイナーの卵として暮らす河合小夜は、故郷で暮らす姉のあすみから近々結婚する旨の連絡を受ける。ところが、その相手は8年前に小夜を酷い目に遭わせた布施野光輝だった。思わず逆上した小夜は、男友達の野本エイゴを連れて帰郷する。事前連絡無しの小夜の出現に狼狽するあすみと光輝だったが、戸惑っているのは光輝の先輩である今井や、幼なじみの雅司、居候の弓枝も同様だった。そして事態は思わぬ方向へと転がってゆく。



 小夜が被った災難に関しては具体的に言及されていないし、そもそもあすみが過去に妹とトラブルを起こした男と一緒になろうとする明確で切迫した動機が分からない。しかし、本作ではそれが作劇上の瑕疵になっていない。事の真相を明かすことよりも、それに関わった者たちの言動を描くことによって、その一件の外道ぶりを観る者に想像させようというあくどい作戦だ(苦笑)。

 物語の中心である姉妹はもとより、光輝や今井(およびその恋人の絵里)、雅司に弓枝にエイゴに至るまで、見事なサイテーぶりを披露する。ただし、ダメ人間たちを漫然と映しただけの「ほつれる」とは違い、わくわくするような面白さを醸し出しているのは、登場する連中のダメさ加減の描写が尋常ではないからだ。

 何より、誰もが心の奥底に持っているであろう負の感情に共鳴してしまうことが秀逸だ。結果として、スペクタクル的な興趣を呼び込み最後まで目が離せない。元ネタは劇作家のマキタカズオミによる同名戯曲だが、これを「ほつれる」のように原作者が映画の演出にまで手を出していないことも大きいのだろう。監督の宮岡太郎の仕事は堅実で、インモラルな題材を前にしても決してスタンドプレイに走らない。

 小夜を演じる萩原みのりは近年台頭してきた若手女優の中では、その硬質な手触りと強い目力が特長だが、ここでもその魅力は十分に発揮されている。柊瑠美や木口健太、田口智也、梅舟惟永、花戸祐介、秋山ゆずき、後藤剛範ら他のキャストは地味だが曲者揃い。皆楽しそうにクズを演じきっている。ロケ地はどこなのか明示されていないが、山に囲まれた小さな町で、それが各キャラクターの心理的鬱屈を象徴している。岡出莉菜による音楽も良い。
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