元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

ウィリアム・ゴールディング「蝿の王」

2007-10-31 21:14:26 | 読書感想文
 ノーベル賞受賞作家ゴールディングの代表作。舞台は近未来の戦争下。少年達が疎開のために乗り込んだ飛行機が敵軍の攻撃により墜落。彼らは南太平洋の無人島に漂着する・・・・なんていう設定からするとジュール・ベルヌの「十五少年漂流記」を思い出すが、この作品は「十五少年~」の悪意に満ちたパロディのようなダークな雰囲気を持ち合わせている。

 理性的な者をリーダーとして、まとまろうとしたのも束の間、早々と人間性を喪失した連中との内ゲバが勃発し、悲惨な展開になってゆく。「人間が作り上げたシステムなど、極限状態になったり個々人が自助努力を怠ったりすれば、簡単に崩壊してしまうものだ」といった作者のシニカルな主張(考えてみれば、アタリマエの話)が見えてくるようだが、これを「子供をダシに使って描こう」とするあたり、相当に根性が悪い。さすが皮肉が大好きなイギリス人だ(笑)。

 子供達をカタストロフに導く「獣」の存在を「社会不安」の象徴にしているところなど、いくぶん図式的な設定が鼻につかないでもないが、鮮やかな筆致は最後まで読者を離さない。中高生にこっそりと薦めたい本である。なお、ハリー・フック監督による映画化版も観ているが、派手さはないものの、手堅い出来であったと記憶している。
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「インベージョン」

2007-10-30 06:49:18 | 映画の感想(あ行)

 (原題:The Invasion)結局、印象に残ったのはニコール・キッドマンの下着姿だけだったりする(爆)。ジャック・フィニイによる古典的SF「盗まれた街」の4度目の映画化。そのうち私が見たのは2回目の映画化(78年)だけだが、それと比べても随分と落ちる出来映えだ。

 まずエイリアンをウィルスにしたのが大間違い。これならどんなにタチが悪かろうともしょせん病原体の一種でしかなく、ワクチンの開発によって駆逐することも出来よう。だいたい、どんな環境にも耐えられる生命体ならば、人間の身体に入り込む必要はないではないか。これでは侵略の理由も分からない。人間そっくりのレプリカを作って入れ替わる(なお、入れ替わられた者は消滅)という前の映画化の手口の方がよっぽど凶悪でインパクトが強かった。

 ただし作者はSFホラーとしてのスキームよりも、ウイルス感染による人間の“均質化”により戦争が減少するなど、闘争本能と平和との関連性といった重いテーマを提示することに御執心のようだ。このあたりが「ヒトラー 最後の12日間」のオリバー・ヒルシュビーゲル監督の個性が出ていると、言えなくもない。しかし、これが実に表面的で取って付けたようなモチーフなのは脱力する。

 何でもエンタテインメント指向のプロデューサーであるジョエル・シルバーとヒルシュピーゲル監督との意見が合わなくなり、結局は別の監督が一部を撮り直したらしい。終盤に展開する間に合わせ的なカーアクション場面が当該部分ではないかと思うが、作劇のバランスを崩しただけで何の効果もあげていないのにはガックリである。

 キッドマンは前述の下着シーンだけでなく、身体の線をキッチリ出したような衣装ばかりを身につけ、何とか冗長なストーリーを保たせようとしてるが、それにも限界がある(笑)。ダニエル・クレイグやジェレミー・ノーサムなど、脇のキャストも気合いが入っていない。良かったのがライナー・クラウスマンのカメラによる寒色系の画調のみとは、鑑賞したのを後悔するようなシャシンである。

 なお、最初に感染する政府高官の名前が“カウフマン”なのは、78年の映画化「SF/ボディ・スナッチャー」の監督フィリップ・カウフマンを意識しているのではと、勝手なことを思ってしまった(^^;)。
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「豚が飛ぶとき」

2007-10-29 06:43:42 | 映画の感想(は行)
 (原題:When Pigs Fly )93年作品。豚が飛ぶのだから、ひょっとして「紅の豚」の姉妹編かと思ったアナタは残念でした(そんな勘違いする奴はいねーよ)。原題の直訳で“ありえないこと”“びっくりすること”という意味らしい。

 ハンブルグに住むしがないジャズ・ミュージシャン(アルフレッド・モリーナ)が、古びた安楽椅子を引き取ったことからその椅子に取り付いていた女性2人の幽霊の世話(?)をするハメになる。そのうちの一人(マリアンヌ・フェイスフル)は近くのキャバレーの横暴な店主(シーモア・カッセル)の元夫人らしく、虐待のあげく殺されたことがわかる。主人公は知り合いのキャバレー・ガール(マギー・オニール)と一緒に、この幽霊の願いをかなえようと奔走するのだが・・・・。

 ニューヨーク・インディーズの中心的人物であったジム・ジャームッシュのプロデューサーを務めてきたサラ・ドライヴァーの監督作だが、これだけ面白くないアメリカ映画も珍しい。こういう設定だと、SFXバリバリでコメディにするか、ホラー映画として処理するかのどっちかだが、ドライヴァーは社会の底辺を生きる人々のペーソスを滲ませたハートウォーミングなドラマに仕上げようとしている。その意図はいいのだ。意図だけは。

 しかし、致命的なことに、この監督は演出が思いっきり下手である。俳優の動かし方がなってないし、シークェンスのつなぎがぎこちないし、特撮はメチャクチャ下手だし(わざと下手っぽくやったらしいけど)、話の展開がえらくノロいし、意味不明のショットがえらく目立つし、反面、ストーリーは意外性の全くない予定調和だったりする。はっきり言って学生の自主映画並みだ(といったら自主映画の作者に叱られるだろうけど)。途中から眠くなってしまったぞ。仲間同士の同好会ノリで楽しむにはいいかもしれないが、入場料取って見せるシロモノではない。

 下町のゴミゴミした雰囲気、ロビー・ミュラーのカメラ、久々登場のフェイスフル、そしてジョー・ストラマーの音楽は捨て難いのだけどね。
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「ヘアスプレー」

2007-10-28 06:51:43 | 映画の感想(は行)

 (原題:Hairspray )こういう映画は感想を書くとき実に困る。なぜなら“楽しかった。以上!”で終わってしまうからだ(爆)。

 舞台は1962年のボルチモア。かなり太めの女子高生トレーシーが、見た目のハンデをものともせず、得意の歌とダンスで地元ローカルTV局の若者向け音楽番組のレギュラーの座を獲得し、意地悪な女流プロデューサーやはびこる人種差別を蹴散らし、素敵な彼氏をもゲットしてハッピーエンド。

 テンポの良いアダム・シャンクマンの演出。驚異の新鋭ニッキー・ブロンスキーの、体型にまったく似合わない身の軽さとリズム感の良さ。特殊メイクで超デブの中年女に変身したジョン・トラヴォルタの怪演(もちろん、ダンス付き)。クリストファー・ウォーケンのキュートな変人ぶりや、楽しそうに悪女を演じるミシェル・ファイファー。アマンダ・バインズやブリタニー・スノウといった他の若手も元気があってよろしい。カラフルな美術と衣装デザインが楽しく、音響も万全で、そして何より楽曲の素晴らしさは泣けてくるほどだ。

 62年はジョン・F・ケネディ時代の幕開けでもあり、その前の50年代とは別の価値観が世の中を覆い始め・・・・などといった時代背景に関する小賢しい論評なども無用の、とにかく(極端なミュージカル嫌いは別として ^^;)誰しも笑顔で劇場を後に出来る、娯楽映画の王道を歩む快作だと思う。
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最近購入したCD(その11)。

2007-10-27 07:50:39 | 音楽ネタ
 最近買ったディスクを紹介します。今回は日本人ミュージシャンによる3枚。まずは国内ジャズ界の“黒幕(?)”と呼ばれているらしい寺島靖国が責任監修の「アローン・トゥゲザー」。演奏はドラマーの松尾明を軸にピアノの寺村容子とベースの嶌田憲二が参加したトリオで、女性ヴォーカルのMayaとバストロンボーンの西田幹が1曲ずつゲストとしてプレイしている。



 「曲は哀愁、演奏はガッツ」というのがモットーの寺島らしく、泣きのメロディをフィーチャーしたスタンダード・ナンバー中心の楽曲をダイナミックなパフォーマンスで表現。多くのトラックが3~4分程度の短いやつで、一般ピープルがジャズに抱く“延々と続く、テクニックひけらかしのアドリブのプレイ(爆)”というイメージを覆す密度の濃いタイトな展開が実に印象的だ。そして録音。これが素晴らしい。少々マイクがドラムスに寄りすぎている感じで決してナチュラルなサウンドではないものの、ずば抜けた歯切れの良さでスリル満点。低音フェチのオーディオファンにとってはたまらない、聴いてワクワクするようなディスクだ。豪華なジャケットにも要注目。

 次は、手練れのセッション・ミュージシャンとして幅広く活動し、木住野佳子トリオのレギュラーメンバーとしても知られるドラマー市原康が率いる、その名もTRIO’(トリオ)なるユニットが2004年に発表した「WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE」。



 メンバーは市原のほか、ピアノの福田重男とベースの森泰人という中堅実力派が顔を揃える。同じドラマー中心の演奏とはいえ、前述のパワフルな松尾明トリオとは打って変わった叙情的でかつスケール感たっぷりの展開を見せる。特にドラムスとピアノとが交互に楽曲のリードを取るバラードでの、呼吸の巧みさにはタメ息が出るほどだ。とはいえ個々のサウンド自体には軟弱なところは微塵もなく、メリハリを付けた強靱なタッチがリリカルなメロディ運びをしっかりと支えている。曲も親しみやすいものばかりで、少しも難解な部分や高踏的なニュアンスはない。録音は力感よりも音場の見通しを重視。さらに高音の抜けは印象的で、ジャケットデザインの通り、清涼な空気がリスニングルームに漂う。ジャズファン以外にも奨めたいCDだ。

 最後は、ポップス系のシンガー井筒香奈江がジャズ畑のピアニスト藤澤由二とエレクトリック・ベース奏者の小川浩史と組んだグループ“LaidbacK”が2004年にリリースしたファーストアルバム「Little Wing」。実はこれ、購入したものではない。前にSOULNOTEのアンプを買ったことを書いたが、当ディスクはその“早期予約特典”として付いてきたものだ(笑)。



 メンバーにジャズメンが加わっているとはいえ、曲目はビートルズやシンディ・ローパーなどの誰でも知っているものを揃え、ジャズのタッチを極力抑えて、決して取っ付きにくいものではない・・・・ように一見思えるが、雰囲気としては実に異色。ヴォーカルのテンションの低さと冷温的な演奏が、部屋の照明度をワンランク下げる(爆)。暗く、深々とした空間が出現。奥行き感をよく出した絶妙の録音がそれに拍車を掛ける。かといって冗長ではなく、着実なビートが聴き手に迫ってくる。他の追随を許さない個性派そのものの展開だ。

 なお、先日開催されたオーディオショップ「吉田苑」のオフ会で井筒のヴォーカルに生で接することが出来たが、ディスクと同様のダウナーな雰囲気が圧倒的だった。その際にギターの伴奏を勤めたのがSOULNOTEのチーフ・エンジニアである鈴木哲。玄人はだしの腕前で唸らされたが、こういう音楽に一家言ある技術者だからこそ、血の通った音の出る機器を開発することができたのだろう。他の国内大手メーカーの製品を見れば、とても開発陣に音楽好きがいるとは思えない。
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「キングダム 見えざる敵」

2007-10-26 06:49:50 | 映画の感想(か行)

 (原題:The Kingdom )この映画のハイライトのひとつは、冒頭タイトルのバックに示されるサウジアラビアの歴史である。イラクを中心とした中東の不穏な情勢を描いたアメリカ映画は数あれど、本作はその“黒幕”とも言えるサウジを真っ向から捉えようとした、ある意味画期的な作品と言える。

 サウジアラビアの国家主体はサウード家による王朝だ(国名の一部にもなっている)。この一族は厳格な戒律を持つワッハーブ派を擁護してのし上がってきた。そのワッハーブ派こそが一般にイスラム原理主義と呼ばれて知られている過激な復古主義・純化主義的イスラム改革運動の先駆的存在なのである。映画の序盤でワシントンポスト紙の記者が駐米サウジ大使に対し、サウジがテロリストグループに資金供与していることを暴露されたくなかったらFBI捜査官の入国を認めろと迫るくだりがある。あのオサマ・ビン・ラディンもサウジアラビアの人間であるし、サウジがテロに関与していることはアメリカ当局ならずとも承知している。

 その割にはアメリカとサウジは表面上は仲が悪くないように見える。裏に見え隠れする石油利権は元より、一部の特権階級に富が集中して国民の間に不満が絶えない状況で、サウジとしては隣国イラクが民主化してその影響がこっちの国民に来てもらっては困るのである。アメリカの立場ではヘタにイラクが平静を取り戻すと派兵の大義名分がなくなり、イランへの牽制が覚束なくなるばかりか中国へのエネルギー補給路に睨みを利かすことが出来なくなるってことだろう。価値観のまったく違う国家が共通の利害のために仲良くなり、泣きを見るのは国民ばかりという、歪な国際社会の現実がある。この矛盾に切り込んだ本作の存在意義は大きい。

 リヤドの外国人居住区で起こった自爆テロを解決するためFBIのエージェントがサウジに乗り込み、国情の違いに戸惑いながらも犯人を追いつめるという筋書きは、ブラッカイマー作品のような派手なドンパチ映画のように見えながらも、複雑な国際情勢が背景にあることから一筋縄ではいかない奥行きの深さを垣間見せている。国同士が利権ゲームに興じている間に、民衆レベルでは憎しみの連鎖による悲劇は絶えない。アクションに次ぐアクションの果てに、終盤で主人公が絞り出すセリフは苦く重い。そのあとの暗然とするラストの処理など、お決まりの展開とはいえ考えさせられてしまった。

 ピーター・バーグの演出はテンポが良く、製作にタッチしたマイケル・マンの過度にドライな作風を巧みにカパーしている。ジェイミー・フォックスやクリス・クーパー、ジェニファー・ガーナーらキャストも好演。ダニー・エルフマンの音楽、マウロ・フィオーレのカメラ、いずれも納得できる仕事ぶりだ。なお、サウジでの撮影はさすがに無理だったらしく、UAEで撮られているのも興味深い。
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幸田露伴「五重塔」

2007-10-25 06:49:58 | 読書感想文
 恥ずかしながら、露伴の小説を読むのはこれが初めてだ。江戸を舞台に、腕はあるが世渡り下手の十兵衛と、信望も厚い大工の棟梁源太との確執を描く。

 源太は実に好ましいキャラクターに描かれているが、物語の焦点は十兵衛の方だ。気難しく半ば世間に背を向けてしまった彼が、五重塔建設の報を知った途端に形振り構わぬ受注活動に奔走する。十兵衛の五重塔に対する思い入れ等は一切紹介されず、ただ狂気に満ちた彼の行動を追うのみ。それが逆にエゴイズムを超えた人間の「業」を活写して圧巻だ。

 文語体の文章は取っつきにくい感があるが、読み始めるとその独特のリズムにハマってしまう。特に嵐の場面の描写は露伴の文章力が存分に発揮された箇所で、まさに震えがくるほどの素晴らしさだ。終盤は一応ハッピーエンド的な体裁を取っているが、物語の真の「結末」は「その後」であることは言うまでもない。そしてそれは読者の側に委ねられている。なお、五所平之助監督により映画化されているが(1944年)、私は未見。一度観てみたい。
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「サウスバウンド」

2007-10-24 06:49:06 | 映画の感想(さ行)

 森田芳光監督作品にしてはあまりにも“普通”の映画なので面食らってしまった。今までの彼の作品は良い意味でも悪い意味でも作家性が先行。出会い頭のホームランこそ数本あるが、たいていは奇を衒った大振りの変則打法で三振の山だったのが、今回のこの平凡さには驚いてしまう(例えて言えばフォアボールか ^^;)。

 それでも本作の設定は全然“普通”ではない。一家の主は元過激派で、妻はそれに心酔した元家出女。イイ年こいて定職もなく、役所や学校などに噛み付いた挙げ句、子供を引き連れて西表島に移住。しかしそこでも騒動を引き起こす。ただし、このシチュエーションの非・普通ぶりは森田監督のオフビートな演出と脚本によるものではなく、原作である奥田英朗の同名小説により構築されたものだ(私は原作は未読だが、奥田英朗の作品は「空中ブランコ」や「最悪」は読んでいるので、そのユニークさは認識している)。

 森田の“出番”といえば、たぶん主人公が文句を言う時の決め台詞“ナンセンス!”の振り方ぐらいだと思うが、要するに森田でなくてもある程度の技量を持った演出家ならば誰でも撮れるネタである。さらに言えば、映画を観るよりも原作を読んだ方が奥田英朗の世界を満喫できるだろう。

 元過激派親父を演じる豊川悦司、その妻役の天海祐希、長女役の北川景子に巡査に扮する松山ケンイチ、皆決して悪い演技ではないが、観る側の予想を一歩も出るものではない。子役は達者だけど、こちらも“手堅い演技”という範囲内に留まっている。吉田日出子や加藤治子といったベテラン陣も味は出ているのだがドラマにしっかりと絡んでこない。救いは沖縄の美しい自然の描写ぐらいか。

 主人公は全共闘世代ではなく、たぶん若い時分から浮いた存在だったのだろう。ただ、その左翼思想はとうの昔に葬られたとはいえ、その反骨精神だけは“薄甘いウヨク”が跳梁跋扈する世相にあっては新鮮なのは確か。“保守”とは名ばかりの、単に長い物に巻かれることをヨシとする風潮に異議を唱えること自体は決して間違ってはいない。破天荒な主人公の言動が次第に痛快に思えてくることこそ、奥田英朗の狙ったことなのだろうと思う。
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トム・クランシー「恐怖の総和」

2007-10-23 06:43:56 | 読書感想文
 映画「トータル・フィアーズ」の原作だが、読み通すのにはかなり苦労した。上下巻合わせて1400ページ以上という長さのわりには話が本題(ジャック・ライアンと水爆を手に入れたテロ・グループとの戦い)に入るまでに時間がかかりすぎる。

 中東問題の総括や諜報機関の活動状況、主人公の人脈紹介に、果てはライアン夫人と女性大統領補佐官との“女同士のバトル”といった、読む側にとっては“どうでもいい話”が味も素っ気もないタッチで延々と続く。さらにテロリストが水爆を作るあたりの小難しい学術用語の洪水は、文系の私にとってはお手上げ状態。これだけ引っ張っておいて、物語のカタルシスが終盤に主人公が大統領に啖呵を切るシーンだけとは、完全に脱力してしまう。

 「ジャック・ライアン・シリーズ」のファンならば、こういう膨大な情報量で攻められるのは“快感”なのかもしれないが、このシリーズを初めて読む身としては辛いだけだ。映画版の方が(突っ込みどころは満載ながら)良くまとまっていたと思う。

 それにしても、ライアンとその取り巻きの政治的スタンスが“反日的”である点が気になる。ひょっとして作者は米国の保守本流に背を向けた“リベラル派”ではないのだろうか。
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「パンズ・ラビリンス」

2007-10-22 06:46:16 | 映画の感想(は行)

 (原題:EL LABERINTO DEL FAUNO)冒頭、瀕死のヒロインが映し出されるが、これで本作が“悲劇”で終わることが明示されるわけで、その時点で鑑賞意欲が減退する。もちろん“子供が主人公だから悲劇はイケナイ”などと言うつもりはない。しかし、内戦下のスペインというハードな実世界の前では子供が体験するファンタジーなどモノの役にも立たないことが、にべもなく語られるだけというのは、あまりにも身も蓋も無さ過ぎるのではないか。

 主人公が妖精に誘われるように牧神パンのラビリンスへと迷い込み、パンの提示する“試練”を乗り越えて魔法の国の王女となろうとすることが、厳しい現実とは何の接点も持たず、単なる“子供の想像”に終わってしまうことにより、作者はピュアな子供の心と現実とを対比させることによって薄汚い実世界と戦争の悲劇を糾弾しようとしたのかもしれないが、そんなのはあまりにも図式的だ。

 ファンタジー仕立てにする必要もなく、所々にヒロインの純情ぶりを挿入すれば用は足りる。どうしてもファンタジー方向に振りたいのであれば、現実が非現実に浸食される様子でもスリリングに描くべきであった。

 アカデミー賞などを獲得している幻想シーンにおける映像や美術も、大した物とは思えない。面白かったのは人食いクリーチャーが襲ってくるシーンぐらいで、あとはハリウッド映画の後塵を拝している。そういえば監督のギレルモ・デル・トロは「ヘルボーイ」とかいう駄作でも冴えない映像イメージを披露していたし“しょせん、この程度か”という印象は拭えない。

 登場人物も紋切り型。イバナ・バケロ扮するオフェリアは可愛いけど童話が好きなただの子供。ファランヘ党のビダル大尉(セルジ・ロペス)は絵に描いた様なサディスト。思わせぶりな懐中時計が何の効果もあげていない。人民戦線の連中は、まあ予想通りのレジスタンスぷりで特筆すべきもの無し。

 わずかに興味深かったのがオフェリアの母親である未亡人。打算と保身のために狂的な軍人と一緒になるのだが、開き直った女の愚かさをよく表していた。ひょっとしたら彼女のドラスティックな“願望”の方がダークファンタジーの題材としてふさわしかったのかもしれない(爆)。
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