元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ベイビーわるきゅーれ」

2023-09-30 06:07:06 | 映画の感想(は行)
 2021年作品。単館系での公開ながら一部の上映劇場では9か月以上ものロングランを記録したとかで、私も今さらながらテレビ画面での鑑賞ではあるがチェックしてみた。結果、確かに設定は面白くギャグの振り出し方も好調なのだが、そんなに持ち上げるほどの出来ではない。良くも悪くもオタク向けのシャシンだろう。

 深川まひろと杉本ちさとは、一見普通の女子高生だが実はスゴ腕の殺し屋だ。そんな彼女たちも卒業を機に、所属シンジケートから表の顔としてカタギの職を持つことを強いられる。それでも要領の良いちさとはバイトなどを無難にこなすが、コミュニケーション能力に難のあるまひろは何をやっても上手くいかない。



 そんな中、ちさとのバイト先のメイドカフェにヤクザの浜岡一平とその息子のかずきが客として訪れる。メイドの態度が気に障った彼らは逆上して店内を占拠するが、居合わせたちさとは狼藉をはたらく2人を躊躇無く射殺する。一平の娘のひまりは復讐を誓い、腕の立つ者を集めてちさと達の抹殺を図る。

 若い女の子が平気で殺し屋稼業を営むという御膳立ては「キック・アス」(2010年)の“ヒット・ガール”の二番煎じかもしれないが、それ自体は悪くないモチーフだ。女子2人のボケたギャルトークは面白いし、シンジケートの“従業員”たちが彼女らを持て余す様子も笑える。ところが、肝心のアクション場面が大したことがない。頑張っているのは分かるのだが、他の本格的な活劇映画と比べればやっぱり生温いのだ。

 しかも、主人公2人がさほど可愛くない(苦笑)。見た目よりも身体能力重視でキャスティングしたのだろうが、ここは逆に“ルックス優先で起用した面子を、鍛え上げてアクション仕様にする”という順序立てにした方が、遥かに理に適っている。脚本も担当した阪元裕吾の演出は弛緩したところは見受けられず、無理矢理な長回しの多用も頷けるが、どうもアマチュア臭がする。まだ若いので、今後は精進を重ねて欲しい。

 主役の高石あかりと伊澤彩織はよくやってるとは思うが、外見がアレなのでどうにもコメントし辛い。三元雅芸に秋谷百音、うえきやサトシ、福島雪菜、水石亜飛夢といった顔ぶれは馴染みは無いが、まあ手堅いだろう。それでも一平役の本宮泰風は、その凶暴な存在感が光っていた。こういう濃いキャラクターが一人でも控えていると、何とかドラマは締ってくるものだ。
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「緑のざわめき」

2023-09-29 06:11:31 | 映画の感想(ま行)
 これは是枝裕和監督の「海街diary」(2015年)と似たような線を狙っていたのかもしれない。しかし、出来としては凡庸だった是枝作品にも及ばないほど低調な仕上がりだ。聞けば本作の当初の脚本は、そのまま映像化すれば4時間にも及ぶ“大作”だったとか。それを無理矢理に2時間弱に圧縮した弊害が出ているのかもしれない。いずれにしろ、評点は辛いものになる。

 東京で女優として活動していた28歳の小山田響子は、体調を崩したこともあり仕事を辞めて福岡市に移住する。実は彼女には本橋菜穂子という腹違いの妹がいるのだが、響子は菜穂子の存在を知らない。菜穂子は偶然を装って響子に近づき、招かれた彼女の部屋でこっそり連絡帳から情報を盗み出す。響子の実家は佐賀県嬉野市なのだが、そこに書かれていたのは伯母の芙美子の電話番号だった。芙美子は高校生の小暮杏奈を引き取って育てているが、杏奈は響子と菜穂子の異母妹である。



 それまで交流が無かった三姉妹の人間模様を描こうという方向性は悪くなく、上手くやれば「海街diary」よりもヴォルテージの高い内容になったかもしれないが、話自体がまるでダメである。まず、主人公たちの父親は相当な放蕩者であったことが想像できるが、映画はその点に関してまったく言及されていない。三姉妹はもちろん、親戚や周囲の者たちも多くを語らないのだ。

 そして、菜穂子は確たる理由も無く響子をストーキングする。姉に何かコンプレックスを持っているというわけでもなく、終盤には唐突にヤバい行為に走る。響子の元カレである宗太郎や、菜穂子の友人たちも存在理由が希薄。村の“長老”とされているオッサンも、何しに出てきたのか分からない。

 極めつけは、終わり間際に展開する謎すぎるエピソードの数々。いつの間にかヤクの売人がどうのこうのという流れになり、警察が介入する事態になったと思ったら、芙美子はヘンなところで退場してしまう。脚本も担当した夏都愛未の演出は行き当たりばったりで、求心力はほぼゼロ。そもそも、この企画を通したプロデューサーの意図が見えない。

 響子役の松井玲奈は今回は演技指導が不十分だったためか、身体の動きも表情も硬い。菜穂子に扮する岡崎紗絵のサイコパスぶりも取って付けたよう。杏奈を演じる倉島颯良をはじめ、草川直弥に川添野愛、松林うらら、林裕太といった顔ぶれも“華”に欠ける。カトウシンスケと黒沢あすかの働きもイマイチだ。福岡市内や嬉野の風景はよく出てくるが、さほど効果的ではない。
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「ファルコン・レイク」

2023-09-25 06:10:20 | 映画の感想(は行)
 (原題:FALCON LAKE )設定自体はよくある思春期の少年少女のラブストーリーだが、かなり変化球を効かせていて印象は強い。あえて16ミリフィルムを使用した映像や、全体に漂う不吉なムードの創出は評価出来る。筋書きに少し冗長な面があることは認めつつも、観る価値はある意欲作だと思う。第75回カンヌ国際映画祭の監督週間に正式出品されている。

 パリに住んでいる14歳のバスティアンは母の親友ルイーズのもとで夏を過ごすため、両親と弟と共にカナダのケベック州にある湖畔のコテージへやって来る。ルイーズの娘である16歳のクロエと久々に会ったバスティアンは、大人びた彼女に惹かれる。このファルコン湖には幽霊が出るという噂があるが、バスティアンはクロエの気を引くために自分から湖で泳ごうとする。フランスの漫画家バスティアン・ビベスの「年上のひと」の映画化だ。



 とにかく、このファルコン湖の佇まいが心象的だ。夏のバカンスを過ごすにはとても相応しくない、暗鬱な風景が広がる。バスティアンたちが滞在するコテージも、少しも小洒落たところが無い。端的に言えば、お化け屋敷みたいな造型だ。この映画は斯様にダークな空気を纏っている関係上、ストーリーも全然明るくない。画面のあちこちに見受けられる不吉なイメージが、暗転するラストを予想させる。

 だが、決して不快な感じはしない。それは主人公たちの、この年代特有の屈託に満ちた日々を反映しているからだ。楽しく十代を送った者など、実はそんなに多くはないと思う。身の回りのちょっとしたことに一喜一憂し、時には自暴自棄に走る。本作はそれを幽霊の存在に投影しているが、その手法がラストに近付くにつれ強調されていくのも納得出来る。監督のシャルロット・ルボンは元々はカナダで活動する俳優であり、この映画で長編初メガホンを取ることになった。そのためか、後半の展開にはまだるっこしい部分があるものの、まあ許せるレベルかと思う。

 主演のジョゼフ・アンジェルとサラ・モンプチのパフォーマンスは申し分なく、ティーンエージャーの揺れ動く内面を上手く表現していた。特にモンプチの存在感は大したもので、他の映画でも彼女の演技を見てみたい。モニア・ショクリにアルトゥール・イグアル、カリン・ゴンティエ=ヒンドマン、トマ・ラペリエールといった脇の面子の仕事ぶりも万全だ。
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「ハート・オブ・ストーン」

2023-09-24 06:10:36 | 映画の感想(は行)

 (原題:HEART OF STONE)2023年8月よりNetflixより配信されたスパイ・アクション。見かけはハデだが、中身は大味だ。B級感は否めず、鑑賞後はストレスが残る。その原因は、筋書きが練られていないからだ。活劇編だろうと何だろうと、大切なのは脚本である。それらしいモチーフを並べて賑やかに展開させるだけでは、映画のクォリティがアップすることは無いのだ。

 MI6のエージェントであるレイチェル・ストーンは、別に世界平和のために活動するチャーターという秘密組織にも属している。チャーターは世界中のあらゆるシステムを操作できる“ハート”と呼ばれる超進化型AIを保有しており、これを使って未来を予測することもできる。ある時、一仕事終えたレイチェルとMI6の仲間は、思わぬ身内の裏切りに遭い絶体絶命のピンチに陥る。事件の黒幕は“ハート”を我が物にしようとする国際的な武装組織で、レイチェルは敵を駆逐するため世界中を飛び回る。

 まず、MI6とチャーターとを“掛け持ち”している主人公のスタンスが分かりにくい。そもそも“掛け持ち”が出来るのかどうかも怪しいが、チャーターの“首脳陣”は各国の情報機関の幹部ではあっても、とても“ハート”のような大規模なシステムを作り出せる面子とは思えない。そして何より、すべての情報デバイスにアクセスが可能だという“ハート”が、裏切り者の存在や謎の武装組織の暗躍を察知できなかったというのは噴飯ものだ。

 レイチェルは襲ってくる敵と各地で対峙するのだが、どうも行き当たりばったりに暴れ回っているようにしか見えない。それに“ハート”の存在は、どうしても最近公開された「ミッション:インポッシブル デッドレコニング」の設定と被るところがあり、明らかに分が悪い。トム・ハーパーの演出はマッチョイムズ(?)全開で、次々と繰り出される主人公の危機また危機を、力づくの爆破シーンなどでねじ伏せようとする。しかし、ストーリーの粗っぽさは如何ともしがたく留飲を下げるところまでは至らない。

 主演のガル・ガドットは相変わらずだが、彼女を見ていると“ワンダーウーマンだったら秒で解決できる”という印象は拭えない(笑)。別の俳優を持ってきた方がインパクトが大きくなったと思われる。ジェイミー・ドーナンにソフィー・オコネドー、マティアス・シュバイクホファー、アーリアー・バットという脇の顔ぶれは可もなく不可もなし。続編が作られそうな気配がするが、観るかどうかは未定だ。
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「春に散る」

2023-09-23 06:05:06 | 映画の感想(は行)
 沢木耕太郎による原作小説は読んでいないが、文庫本ならば上下巻にわたる長編だ。それを2時間あまりの尺に収めようという意図自体、無理ではなかったか。事実、この映画化作品は長い物語を力尽くで圧縮したような、ストーリーの整合性の欠如とキャラクターの掘り下げの浅さが目立つ。また、それをカバーするためか言い訳的なセリフを多用するのも愉快になれない。キャストは割と頑張っているのに、もったいない話である。

 40年前に不公平な判定負けを喫し、それを機に渡米した元ボクサーの広岡仁一が久々に帰国。彼は居酒屋で思うようなファイトが出来ず悩んでいる若いボクサーの黒木翔吾と出会い、ぜひ手ほどきを受けたいと懇願される。最初は断った仁一だが、かつてのボクシング仲間である藤原と佐瀬に奨められて引き受けることにする。激しいトレーニングが徐々に功を奏して翔吾の成績は上がり、やがて世界タイトルに挑戦する機会を得る。



 まず気になるのが、アメリカでビジネスマンとしてある程度の成功を収めた仁一がどうしてすべてを手放して帰ってきたのか、まるで分からないこと。さらには心臓に疾患がある彼が、無理して翔吾のコーチ役を買って出た理由も不明。格闘家としての矜持がどうのとセリフで語られるようだが、説明になっていない。

 翔吾にしても、なぜ長い間リングを離れていたオッサンにわざわざ弟子入りを志願するのか、理由が分からない。藤原と佐瀬のスタンスもいまいちハッキリしないし、翔吾といい仲になる佳菜子の扱いも杜撰だ。原作ではこれらのモチーフは十分カバーされていたのかもしれないが、映画では手抜きとしか映らない。

 それでも役作りのためにライセンスまで取得した翔吾役の横浜流星をはじめ、ボクサーに扮する面子は健闘している。試合のシーンは迫力満点だ。しかし、肝心なところでスローモーションなどのレトロすぎる手法が横溢しているのはマイナスだ。瀬々敬久の演出は可もなく不可もない展開に終始。不出来な脚色に足を引っ張られている感がある。特にラストの処理は失笑ものだ。

 仁一に扮する佐藤浩市や片岡鶴太郎、哀川翔、窪田正孝、山口智子、坂井真紀、小澤征悦といった悪くないメンバーを集めているにも関わらず、ドラマとしての盛り上がりに欠ける。なお、佳菜子を演じているのは橋本環奈だが、私は彼女をスクリーン上で見るのは初めてだ。出演作は多いが能動的な映画ファンが鑑賞するようなシャシンには縁のない彼女らしく、凡庸なパフォーマンスである。今後“大化け”する可能性があるのかどうかは、現時点では予測不能だ。
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「きさらぎ駅」

2023-09-22 06:07:21 | 映画の感想(か行)
 2022年作品。お手軽なホラー編で、別に評価出来るような内容でもないのだが、ちょっと印象に残る部分もあり、観るのは損だと切って捨てるのは忍びない。キャストは健闘しており、少なくとも演技のイロハも知らないようなアイドル風情が出ていないだけでも有り難い。上映時間が82分というのも、ボロが出る前にサッと切り上げる意味では的確だ。

 大学で民俗学を専攻している堤春奈は、ネットの掲示板で目にした「きさらぎ駅」の怪異譚に興味を持ち、卒業論文の題材として取り上げるため投稿者の葉山純子を訪ねる。十数年前、高校教師だった純子は終電の車内で眠り込んでしまい、気が付くと電車は見知らぬ駅に着いていた。他に乗り合わせていたのは純子と同じ学校に通う宮崎明日香と、若い男女3人。そして中年男の計5名だ。



 彼らは人気のない駅およびその周辺のただならぬ雰囲気に恐れをなし、何とか脱出しようとするが次々に怪奇現象が襲ってくる。奇跡的に純子だけは抜け出したが、その間に現実世界では7年の時間が経過していたという。春奈は試しにかつての純子と同じ行程を辿ると、自身も「きさらぎ駅」に到達してしまう。インターネット掲示板「2ちゃんねる」発の都市伝説の映画化だ。

 まず、いくら関心があったとしても後先考えずに異世界に行こうとする春奈の行動は無理がある。登場人物たちが遭遇する怪異にしても、低予算のためかチャチさが否めない。そもそも、全然怖くないのだ。しかしながら、この異空間の造形は興味深い。単に人払いをした田舎町をカメラに緑色(?)のフィルターをかけて撮っているだけだが、この世のものとも思えない雰囲気はよく出ていた。特にトンネルの場面は出色で、よくこんなロケ地を探してきたものだと感心する。

 そして、終盤のオチはけっこう面白い。さらに、エンドクレジット後のエピローグも気が利いている。永江二朗の演出は殊更優れたところはないが、作劇が破綻することなく最後まで見せきっている。春奈に扮する恒松祐里は意外にもこれが初の主演作だが、個性的な外見と演技に対して前向きな姿勢は好印象だ。

 本田望結に佐藤江梨子、そして飯田大輔や寺坂頼我、木原瑠生、莉子、瀧七海らあまり名の知られていない若手に至るまで芝居の下手な者は見当たらないのも申し分ない。そして中年男を演じる芹澤興人はケッ作だ。こいつの顔は“素”で怖い。突然出てくるとドキッとする。本作で唯一のホラーなポイントだと思う(笑)。
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「世界のはしっこ、ちいさな教室」

2023-09-18 18:51:13 | 映画の感想(さ行)
 (原題:ETRE PROF )ドキュメンタリー映画の佳編「世界の果ての通学路」(2013年)のプロデューサーであったバーセルミー・フォージェアが手掛けた、辺境地における教育を題材にした作品の、いわば第二弾だ。前回はアドベンチャー映画並みの行程を経て学校に通う生徒たちの姿を追ったが、今回は僻地の、それも“学校”とも言えない場所で生徒たちに対峙する教師陣の姿を捉えている。そして前作同様、訴求力が高い。

 西アフリカのブルキナファソは識字率が世界最低クラスであり、政府方針として広くあまねく学校教育を普及させることに注力している。僻地の村に教師として派遣されたのが2児の母でもあるサンドリーヌ・ゾンゴだ。ところがいざ現地に着いてみると、生徒はそれぞれ5つの現地語を話し、しかも公用語のフランス語が通じるのはクラスで一人だけ。早くもサンドリーヌは壁にぶち当たる。



 雪深いシベリアに暮らす遊牧民の子供たちを教えて回るスベトラーナ・バシレバは、ロシア語などの義務教育はもちろん、その民族に伝わる言語や文化までカバーしようと奮闘する。バングラデシュ北部の農村地帯のボートスクールで生徒たちを相手にするタスリマ・アクテルは、学校を出たばかりの新任教師だ。しかし、当地では古い慣習が幅を利かせており、教え子の女児たちは人身売買同様のプロセスで嫁に出されていく。タスリマはそんな状況に抗うべく、保護者の説得に当たる。映画はこれら3つのパートをランダムに並行して描く。

 彼女たち3人の苦労は並大抵のものではなく、普通の者ならば数日で音を上げてしまうようなヘヴィな環境だ。しかしそれでも生徒たちが学ぶ楽しさを知って、次第に社会性に目覚めていく様子を見れば、それが十分報われる仕事なのだ。どうしようもない落ちこぼれが初めて良い成績をおさめた時、もう無理だと思われた中学校への進学にクラスの多くが成功した時、何と教育とは尊いものかとマジに思うし、教師たちの献身ぶりには本当に頭が下がる。

 監督のエミリー・テロンはかなりの長期取材を要するネタをスムーズにまとめ上げており、演出も無理がない。俳優のカリン・ビアールによるナレーションも的確だ。そして何といってもサイモン・ウォーテルのカメラがとらえた各地の美しい自然の風景は特筆ものだ。この映像だけで十分入場料のモトは取れる。
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ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」

2023-09-17 06:51:16 | 読書感想文

 カウンターカルチャーにも大きな影響を与え、ボブ・ディランも絶賛したという、ビート・ジェネレーションの誕生を告げた名著と言われる一冊。執筆されたのは1951年で、出版されたのは1957年。日本では「路上」のタイトルで1959年にリリースされているが、2007年からは「オン・ザ・ロード」の題名で新訳本が発売されている。

 1948年のニューヨーク。離婚して落ち込んでいた作家のサル・パラダイスは、やたらテンションが高い友人のディーン・モリアーティに誘われて、西海岸までの気ままな旅に出かける。この長い行程の旅は劇中で4回おこなわれ、2人は道中でいろんな経験をして、さまざまな人間と出会う。主人公はケルアックの分身で、ディーンは彼の悪友だったニール・キャサディ、他の登場人物も作家仲間のアレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズをはじめ、大部分が実在の人物をモデルにしているらしい。

 とにかく、かなり読みにくい本であるのは確かだ。まず、段落で分けられている箇所が極端に少なく、文章が切れ目なく延々と続いていくのには閉口した。加えて、海外文学の翻訳本(特に文庫本)には付き物の、登場人物の紹介欄が無い。だから、キャラクターの数はやたら多いにも関わらず、誰が誰だか分からない。エピソードは文字通り行き当たりばったりで、ストーリー性は希薄だ。

 しかし、あてのない旅に興ずるサルとディーンの姿には、戦後すぐの虚脱感が横溢したアメリカの風景が投影されていると思う。何か目標があって歩みを進めるわけでもなく、さすらうこと自体が目的化している寄る辺ない人間模様が垣間見える。本書は5つのパートに分かれているが、勝手に書き飛ばしているような1部から3部までは正直退屈だった。

 しかしメキシコまで足を延ばす4部と、主人公たちの“その後”に言及されている5部は面白い。長い放浪の果てにも、いつかは自分自身と世の中に向き合わなければならない局面がやってくるのだ。そこにどう折り合いを付けるか、それが人生を決定する。ケルアックは生前は“ヒッピーの父”などと呼ばれていたらしいが、実は保守派で反共主義者、ベトナム戦争にも反対していなかったというのは興味深い。

 なお、本編は2012年に映画化されている。ただし、アメリカ映画ではなくブラジルとフランスの合作であったためか、あまり目立たず私は見逃している。ただ監督が「セントラル・ステーション」(98年)などのウォルター・サレスでカンヌ国際映画祭にも出品されており、けっこう見応えはあると想像する。いつか観てみたい。
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「高野豆腐店の春」

2023-09-16 06:43:51 | 映画の感想(た行)
 いったい何十年前の映画を観ているのだろうかと思った。最近作られたシャシンとは、とても信じられない。それほどまでに古めかしい建て付けの作品だが、よく考えてみると斯様なテイストの映画はシニア層にはウケが良いことは予想され、マーケティングの面では有効なやり方なのかもしれない。もしも本作の客の入りが悪くないのならば、似たような作品がコンスタントにリリースされるのだろう。

 広島県尾道市の昔ながらの商店街にある高野豆腐店は、頑固一徹の高野辰雄と娘の春の2人が切り盛りしていた。手作りの豆腐は評判がよく、地元の大手スーパーからは取引を打診されているが、辰雄は首を縦に振らない。春は明るく気立てが良いが、いわゆる“出戻り”だ。そんな彼女の行く末を、辰雄や周囲の者たちは心配している。そんな中、定期健診のために病院に足を運んだ辰雄は、独り身の年配の女性ふみえと知り合い、意気投合する。



 豆腐屋の佇まいと、妻を亡くして男やもめの店主、そして如才ない娘という御膳立ては悪くない。しかし、遠慮会釈なく彼らの私生活に干渉してくる近所のオッサンどもの有りようは、完全に時代遅れ。いくら尾道の風情のある街並みを背景にしても、違和感は否めない。そんな御近所さんたちから春の交際相手候補の一覧を提示され、一緒になって“オーディション”に臨む辰雄の姿は、大昔のホームドラマだったら微笑ましく映ったのかもしれないが、今観ると脱力するしかない。

 春は好意的に描かれているものの、実はどんな性格なのかハッキリしない。申し分のない彼氏を紹介されても、あえて拒否して別の冴えない男を選んでしまう事情も不明だ。ふみえが被爆二世であり、所用している家と土地を親族が狙っているという辛口のエピソードは取って付けたようにしか思えず。そもそも、豆腐店を題材にしていながら豆腐作りのプロセスがそれほど詳説されていないのは、明らかに失当だろう。

 三原光尋の演出はレトロ風味に走っているようだが、お年寄りの観客にはアピールしても、こっちは置いて行かれるだけだ。ラストの、春の生い立ちが明かされるくだりも共感できない。藤竜也に麻生久美子、中村久美、徳井優、山田雅人、黒河内りく、小林且弥、赤間麻里子といった顔ぶれは堅実だが、意外性は無い。

 特に藤竜也と中村久美は年齢が20歳も離れており、これで“老いらくの恋”を展開させるのは厳しい。あと関係ないが、タイトルの読み方が“たかのとうふてん”であるのは謎だ。あえて“こうやどうふ”と混同するのを狙ったのかもしれないが、大して意味があるとは思えない。
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“ポタフェス2023”に行ってきた。

2023-09-15 06:09:13 | プア・オーディオへの招待
 去る9月10日(日)、福岡市中央区天神のアクロス福岡にて開催された“ポータブルオーディオフェスティバル(通称:ポタフェス)2023福岡”に行ってみた。このイベントはDAPやスマートホン等に繋ぐ小型の音響デバイス、主にヘッドフォンとイヤホン類の展示会である。とはいえ、その日は別に用事があったので、会場にいたのは1時間あまりだ。しかも、各ブースは入場者でほぼ満席だったので試聴出来た機器はほんの数点である。それでも出品されているアイテムには印象的なものがあったので、いくつかリポートしたい。

 広島市にあるカイザーサウンド(有)が展開するRosenkranzブランドは個性的なスピーカーやアンプの送り手として知られているが、近年イヤホンもリリースするようになったことを今回の展示会で初めて知った。今回聴いたのはそのハイエンドモデルで、何と100万円だという。音質は確かに良く、欠点が見つからない。しかし、これが果たして100万円の価値があるのかどうかは(比べる物が無いという意味で)不明だ。次に聴いたのがこのモデルのノウハウを活かしてコストダウンしたという5万円のローエンド製品だが、これは優れものだと感じた。もちろん上級クラスほどの凄みは無いが、滑らかで端正な音を奏でてくれる。価格を考えればお買い得で、実際かなり売れているとのことだ。



 英国のROCK JAW AUDIO社が提供するワイヤレスイヤホンは、高度の電気伝導性を持つカーボンナノチューブを振動板に採用した意欲作だという。ただし、驚いたのはその音だ。実に柔らかくてノーブルな展開。刺激的な音を一切出さない。まさしくこれは、HARBETHSPENDORといったイギリスの老舗のスピーカーメーカーと同系統のサウンドである。まさかイヤホンにもそのテイストが反映されているとは思わなかった。オーディオ伝統国の奥は深い。

 高級ヘッドフォンをリリースするHIFIMANは米国に本拠を置くメーカーだが、発祥は中国らしく、どうやらCEOも中国系のようだ。だからというわけでもないだろうが、製品を実際聴いた感じは謳い文句のスタジオモニターライクというより、開放的で屈託無くストレスフリーで楽しませるタイプ。ただし、決して大味ではなく細部の表現力にも優れている。価格は20万円台後半と強気だが、それだけの価値はあると思う。



 我が国のハイエンド型ヘッドフォンの作り手として昔から知られるSTAXも製品を展示していた。お馴染みの静電型イヤースピーカーとヘッドフォンアンプとのペアで、自然な音場とキメ細かい音像表現を実現。価格はかなり高いが、さすが“クラシックを聴けるヘッドフォン”として1960年代から長い間ビジネスを展開していただけのことはある。今後とも末永く製造を続けて欲しい。

 前回福岡でこのイベントが開催されたのは2019年だが、今回も入場客は若年層(女子も含む)が中心。しかし、私のようなオッサンも散見される(笑)。デカいシステムで音楽を聴くことの困難性に今さらながら年配層も直面し始めたのか、あるいはポータブルオーディオの分野が質量共に充実していることに気付いたのか、実相は明らかではない。しかし、幅広いユーザーにアピールしていること自体は好ましい。また当地で開催された際には、足を運ぶつもりである。
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