91年作品。ふとしたハズミで言ってしまった不用意なジョークが大事件に発展し、職を追われた元人気DJジャック(ジェフ・ブリッジス)、不幸な過去を打ち消しホームレスの道を選んだ元大学教授パリー(ロビン・ウィリアムズ)。そんな二人がひょんなことから出会う。ニューヨークの下町を舞台に、ちょっと奇妙で、しかし心暖まるストーリーが展開する。テリー・ギリアム監督の絶好調時の作品だ。
結論から言うと、私はなぜこの映画が当時アカデミー作品賞の候補にさえあがらなかったのか不思議でならない。こんな素敵な作品はめったにないだろう。感心したのが、それまでのギリアム作品にあったシニカルな厭世指向や、苦いペシミズムが消え、アメリカ映画の楽天性を獲得していながら、まぎれもなくギリアムのオリジナリティが屹立している点だ。
それは“夢”の世界に生きる主人公、ということである。現実に裏切られた二人は聖杯伝説という“夢”の中に生きようとする。ギリアムの世界では“夢”こそがすべてであり、せちがらい現実は“死”と同じである。パリーは悲惨な自分の過去を思いだそうとすると、死神のような赤い騎士が追ってくる幻覚に襲われる。中世にこだわるギリアムらしいイメージだが、この作品では浮浪者たちが住む街の一角や建物が中世の絵画のように描かれる。SFXは抑えられているが、ギリアム映画の雰囲気は健在だ。
それまでのギリアム作品が“夢”と“現実”の攻めぎあいを描いているなら、この映画は一歩進んで“現実”の世界にいる二人が“夢”を引き寄せていく物語だということができる。
主演の二人はズバリ名演である。特にウィリアムズは、だれでも共感を覚えてしまうキャラクターを見事に体現している。そしてジャックの恋人を演じるマーセデス・ルールもよかった。ギリアム映画には珍しい姐御肌で人情に厚い女性として登場するが、違和感がまるでない。
さらに、パリーの恋人になるアマンダ・プラマーには感動した。美人ではなく、不器用で生きるのが下手な彼女を、作者は世界一魅力的な女性として描く。その天才的なコメディー・センスは主人公たちとの前代未聞の食事シーン(映画史に絶対残る)でいかんなく発揮されるが、ニューヨークの駅の雑踏が彼女が現れるといきなり舞踏会になってしまう素晴らしい場面からも、ギリアムがこのキャラクターを愛していることがひしひしとわかる。どうして彼女がアカデミー賞の候補にもならなかったのかも、実に不思議だ。
主題歌の「ハウ・アバウト・ユー」がいつまでも耳に残る、“夢”のようなファンタジー映画だ。必見である。
結論から言うと、私はなぜこの映画が当時アカデミー作品賞の候補にさえあがらなかったのか不思議でならない。こんな素敵な作品はめったにないだろう。感心したのが、それまでのギリアム作品にあったシニカルな厭世指向や、苦いペシミズムが消え、アメリカ映画の楽天性を獲得していながら、まぎれもなくギリアムのオリジナリティが屹立している点だ。
それは“夢”の世界に生きる主人公、ということである。現実に裏切られた二人は聖杯伝説という“夢”の中に生きようとする。ギリアムの世界では“夢”こそがすべてであり、せちがらい現実は“死”と同じである。パリーは悲惨な自分の過去を思いだそうとすると、死神のような赤い騎士が追ってくる幻覚に襲われる。中世にこだわるギリアムらしいイメージだが、この作品では浮浪者たちが住む街の一角や建物が中世の絵画のように描かれる。SFXは抑えられているが、ギリアム映画の雰囲気は健在だ。
それまでのギリアム作品が“夢”と“現実”の攻めぎあいを描いているなら、この映画は一歩進んで“現実”の世界にいる二人が“夢”を引き寄せていく物語だということができる。
主演の二人はズバリ名演である。特にウィリアムズは、だれでも共感を覚えてしまうキャラクターを見事に体現している。そしてジャックの恋人を演じるマーセデス・ルールもよかった。ギリアム映画には珍しい姐御肌で人情に厚い女性として登場するが、違和感がまるでない。
さらに、パリーの恋人になるアマンダ・プラマーには感動した。美人ではなく、不器用で生きるのが下手な彼女を、作者は世界一魅力的な女性として描く。その天才的なコメディー・センスは主人公たちとの前代未聞の食事シーン(映画史に絶対残る)でいかんなく発揮されるが、ニューヨークの駅の雑踏が彼女が現れるといきなり舞踏会になってしまう素晴らしい場面からも、ギリアムがこのキャラクターを愛していることがひしひしとわかる。どうして彼女がアカデミー賞の候補にもならなかったのかも、実に不思議だ。
主題歌の「ハウ・アバウト・ユー」がいつまでも耳に残る、“夢”のようなファンタジー映画だ。必見である。

