goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フィッシャー・キング」

2006-01-23 07:01:34 | 映画の感想(は行)
 91年作品。ふとしたハズミで言ってしまった不用意なジョークが大事件に発展し、職を追われた元人気DJジャック(ジェフ・ブリッジス)、不幸な過去を打ち消しホームレスの道を選んだ元大学教授パリー(ロビン・ウィリアムズ)。そんな二人がひょんなことから出会う。ニューヨークの下町を舞台に、ちょっと奇妙で、しかし心暖まるストーリーが展開する。テリー・ギリアム監督の絶好調時の作品だ。

 結論から言うと、私はなぜこの映画が当時アカデミー作品賞の候補にさえあがらなかったのか不思議でならない。こんな素敵な作品はめったにないだろう。感心したのが、それまでのギリアム作品にあったシニカルな厭世指向や、苦いペシミズムが消え、アメリカ映画の楽天性を獲得していながら、まぎれもなくギリアムのオリジナリティが屹立している点だ。

 それは“夢”の世界に生きる主人公、ということである。現実に裏切られた二人は聖杯伝説という“夢”の中に生きようとする。ギリアムの世界では“夢”こそがすべてであり、せちがらい現実は“死”と同じである。パリーは悲惨な自分の過去を思いだそうとすると、死神のような赤い騎士が追ってくる幻覚に襲われる。中世にこだわるギリアムらしいイメージだが、この作品では浮浪者たちが住む街の一角や建物が中世の絵画のように描かれる。SFXは抑えられているが、ギリアム映画の雰囲気は健在だ。

 それまでのギリアム作品が“夢”と“現実”の攻めぎあいを描いているなら、この映画は一歩進んで“現実”の世界にいる二人が“夢”を引き寄せていく物語だということができる。

 主演の二人はズバリ名演である。特にウィリアムズは、だれでも共感を覚えてしまうキャラクターを見事に体現している。そしてジャックの恋人を演じるマーセデス・ルールもよかった。ギリアム映画には珍しい姐御肌で人情に厚い女性として登場するが、違和感がまるでない。

 さらに、パリーの恋人になるアマンダ・プラマーには感動した。美人ではなく、不器用で生きるのが下手な彼女を、作者は世界一魅力的な女性として描く。その天才的なコメディー・センスは主人公たちとの前代未聞の食事シーン(映画史に絶対残る)でいかんなく発揮されるが、ニューヨークの駅の雑踏が彼女が現れるといきなり舞踏会になってしまう素晴らしい場面からも、ギリアムがこのキャラクターを愛していることがひしひしとわかる。どうして彼女がアカデミー賞の候補にもならなかったのかも、実に不思議だ。

 主題歌の「ハウ・アバウト・ユー」がいつまでも耳に残る、“夢”のようなファンタジー映画だ。必見である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公務員は、増やすべきだ。

2006-01-23 06:50:39 | 時事ネタ
 国会が始まり、政府は昨年6月に概要が固められた国の経済政策の指針「骨太の方針」のスタンスで国政に臨む様だが、言うまでもなく「骨太の方針」の中では経済財政諮問会議によって公務員の削減について純減目標の策定が指示されている。

 「骨太の方針」自体には問題点は山積しているが、この公務員削減に関して異論を差し挟む向きはほとんどない。それどころか、どのマスコミも「公務員を減らして財政再建の一助とせよ!」の一点張りだ。一般市民レベルでも「公務員みたいなラクして給料もらっている連中は減らすべきだ」との意見が大勢を占めている。

 しかし「子供に一番就かせたい職業」も「学生が将来一番就きたい職業」も依然として公務員であり、巷には公務員試験の専門予備校があふれかえっている。公務員人気に翳りが見えたのはバブル全盛期ぐらいじゃなかったろうか。いわば皆「公務員はラクして給料もらいやがって!」と表面上は嫌いながらも、その実「ラクして給料もらえる公務員」になりたくて仕方がないのだろう。いわば一般庶民の「表面的な公務員嫌い」は、自分たちが公務員になれなかったことに対する僻みの部分が大きいと思う。

 断っておくが、その「ラクして給料もらえる公務員」なんてのは、公務員全体で見れば、そう大きな割合は占めていない。私の知り合いの市職員も県職員も、残業時間は私よりずっと多く、年度末あたりには徹夜状態が続く(それでいて、安月給)。これが官僚になってくると、ほとんど「24時間営業」だ。でも、その「ラクして給料もらえるボンクラ公務員」も確実に存在するし、たとえ多少仕事がハードでも、少なくともリストラの心配はない。逆に言えば、いかに皆「リストラの心配のない職種」を欲しているかということだ。

 さて、私の意見はこの「骨太の方針」とは正反対で、いささか暴論ながら、公務員は増やすべきだと考える。もちろん、役所の窓口で横柄な口を叩いている「単なる下っ端事務屋」は極力減らせばいいと思うが、本当に人手の足りない「公的な職種」は少なくない。

 たとえば警察官だ。不法滞在の外国人を取り締まろうにも人が足りない。これで多様化する犯罪・テロに対して対応できるのだろうか。日本版のFBIぐらい出来てもいい。消防官だってそうだ。地震や大型災害で一番頼りになるのが彼らだが、その数は万全ではないだろう。近くに「テロ国家」が存在している以上自衛官も増やした方が良いし、激動する国際情勢を見据えるためには情報機関の創設も急務で、そのためにも数多くの人員が必要になる。

 また、事務系であっても、民間会社で実務を積んでいながら理不尽なリストラに遭った人材を多数公務員として採用すべきだとも考える。役所の業務効率化と失業対策の一石二鳥だし、何より「リストラされても、最終的には国や自治体が面倒を見てくれるかもしれない」という安心感は、どれだけ社会に安寧を与えることか。経済苦による自殺にも歯止めがかかるはずだ。そして、若年層に対しても、そんなに劣ったところがないのに職が見つからない者については、期間限定で公務員にしてやってもいいではないか(もちろん、勤務態度優秀ならば継続採用)。

 実を言えば、人口あたりの公務員数では、先進国の間では日本はかなり下位だ。アメリカやフランスと比べればずっと少ないのである。公務員削減による経費縮小よりも、公務員増員による個人消費テコ入れに伴う税収増の方がはるかに健全ではないか。だいたい、採用されなかった者が僻むほど、我が国では公務員が人気職業であるならば、その「人気職業」のパイを多くしてやっても罪になるまい。ともあれ、他人(公務員など)に対するルサンチマンによる縮小均衡指向など、まっぴら御免である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする