ちゃみおか発

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【鉄道資料】身延線の旧形国電(7)~車輌の変遷(中)~

2012年08月26日 | 国鉄 身延線

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4.「車両称号規程」の改正〔昭和34(1959)年6月1日実施〕

photo.0014〔 モハユニからクモハユニに改められた(1980.08.15 富士) 〕
0014 新性能電車の登場で、それまでの2桁で表す形式を旧性能車に割り当て、新性能車は3桁の形式称号とし番号は称号の後に「-(ハイフン)」を付して表記した。
 また、中間電動車は「モ」のままで、制御電動車の称号は「クモ」とした。さらに身延線の低屋根改造車は普通屋根の車輌と区別するために800代が与えられ、その結果、モハ14形低屋根車はクモハ14形800代に、モハユニ44形低屋根車はクモハユニ44形800代に改番された。
 新性能車は1番から、旧性能車は0番から付番されることになって、クモハ14800やクモハユニ44800が登場している。

 

5.制御電動車の20m化〔昭和37(1962)年~昭和45(1970)年〕

 合造車以外の制御電動車は、長い間17m級のクモハ14形が使用されていたが、輸送力増強のために20m化を進めることとなった。
 昭和37(1962)年に飯田線から戻ってきたクモハ41016(前のモハニ41016)のパンタグラフ取付部分を低屋根化し、クモハ41800としたのを手始めに、翌年にはクモハ41095を低屋根化してクモハ41850とした。

photo.0015〔 17m車を置き換えた20m車のクモハ51(1981.08.15) 〕
0015 本格的に20m化が推進されたのは昭和43(1968)年以降で、昭和45(1970)年度中にクモハ14形を淘汰する計画であった。

 昭和41(1966)年に飯田線で使用されていたクモハ43形およびクモハ51形を皮切りに、関西からはクモハ51形とノーシルノーヘッダーのクモハ60形、関東からは松戸から御殿場線に入っていたクモハ60形を次々と低屋根化し、偶数向きに揃えて身延線に入線させた。なお、御殿場線のクモハ60形は沼津区配置であり、低屋根化されたのが身延線車輌の富士から沼津への移管後であったために所属の変更はなかった。

 20m化は昭和45(1970)年にかけて実施され、計画どおり同年8月までにクモハ14形は交換された。
 役目を終えたクモハ14形は、他線に移ることなく廃車されている。

 また、この時期に大糸線からクモハユニ44000が入線し、低屋根化されて44803に改番された。他のクモハユニ44形が屋根全体を低くしたのに対し、パンタグラフ部分のみを低屋根化したスタイルとなった。


参考文献

鉄道ファン1962年12月号,1964年1月号,1969年8月号(交友社)
旧形国電ガイド(ジェー・アール・アール,1981年)
白井良和著,飯田線の旧型国電(レイルロード,1999年)


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