〔 EF81[田] : 2レ「北斗星」 東北本線 栗橋-東鷲宮 2010.04.03 〕
菜の花を絡めての撮影地は幾つかありましたが、株数や綺麗に見える時期を見極めるためには、ある程度通っていないと難しいものです。
この日は偶々、一面に咲く花と合わせて撮ることができましたが、春先は空の色が芳しくなく、中途半端なものとなってしまいました。
〔 EF81[田] : 2レ「北斗星」 東北本線 栗橋-東鷲宮 2010.04.03 〕
菜の花を絡めての撮影地は幾つかありましたが、株数や綺麗に見える時期を見極めるためには、ある程度通っていないと難しいものです。
この日は偶々、一面に咲く花と合わせて撮ることができましたが、春先は空の色が芳しくなく、中途半端なものとなってしまいました。
(ケーブル坂本駅)
年の瀬の旅行は、久しぶりの京都です。
早朝に東京を発ち、京都駅からJR湖西線に乗り換えて比叡山坂本駅で下車します。路線バスに乗り換えて、ケーブルカーの山麓駅に到着しました。
(坂本ケーブル)
改札は発車5分前とのこと。ストーブの点いた待合室で待機します。
発車時刻となり、ケーブルカーに乗り込みました。
(木立の中をゆっくりと登る)
東京から京都までの新幹線の車窓も滋賀県に入った辺りから薄っすらと雪景色でしたが、比叡山は積雪がありました。
(琵琶湖を望む)
雪のちらつく天候で、眺めは期待できないかもとも思われましたが、眼下には琵琶湖が見えてきました。
(標高が上がると雪の量も増えて)
車窓は既に冬山の様相です。
(ケーブル延暦寺駅に到着)
日本一長いケーブルカーが山側の終点に着きました。
(ケーブル延暦寺駅前の展望)
青空が覗いていますが、雪もちらついています。
駅前からは琵琶湖が見えていますが、対岸の山々は雪雲に隠れていました。
(ケーブルカーの駅から延暦寺へ)
雪の舞う道を延暦寺へと歩を進めます。
(比叡山根本中堂)
根本中堂は工事中でした。(2016年12月)
大きな重機や工事中の囲いを構図から外すと、屋根しか撮影ができません。
(時おり激しくなる雪)
数々の仏像に圧倒された国宝殿を後に、来た道を戻ります。
雪は降ったり止んだりを繰り返していました。
(文殊楼の石段)
昼食は精進料理です。
食事後は、ケーブルカーで下山するために駅へと向かいました。
(琵琶湖と湖西線)
ケーブル延暦寺駅の二階から琵琶湖を見ると、高架の湖西線もよく分かります。
(ケーブルカーで下山)
雪景色の中を静々と下ります。
延暦寺を後にして、京都市内へと向かいました。
〔 1000形1066 : 0829 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
3分~4分の間隔でやって来るモノレールは、ほとんどが主力の1000形でした。
〔 10000形10046 : 0825 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
1000形の間に10000形も見ることができました。
〔 1000形1036 : 0817 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
1000形には色々な塗装があるはずですが、この時に見られたのはノーマルなものばかりです。
〔 1000形1060 : 0805 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
余り変わり映えの無い写真になってしまいました。
〔 EF81 81[田] : 1レ「北斗星」 東北本線 赤羽 2010.03.26 〕
19時過ぎに上野を出る下り「北斗星」の撮影は夜間になります。
沿線での走行写真は難しく、駅の明かりを利用して何とか撮ることができました。
〔 1000形1096 : 0835 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
太陽が高度を増すと、雲が切れて順光で気持ちの良い撮影ができました。
〔 10000形10046 : 0724H 東京モノレール 大井競馬場前-天王洲アイル 2016.12.16 〕
側面にも十分な陽が当たります。
〔 2000形2026 : 0821 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
〔 100形1084 : 0815 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
〔 100形1072 : 0823 東京モノレール 天王洲アイル-大井競馬場前 2016.12.16 〕
朝の通勤時間帯は、モノレールが次々とやって来ます。
(トラムウェイ 国鉄DD14+側方投雪前頭車)
信州地区の1/80スケールモデルを拡充する目的から、DD14形ロータリー式除雪車を導入しました。
(パッケージ)
外箱は厚手の紙が使われて、しっかりとしています。
ロータリーヘッドを付けない状態では、入換用にも使われていました。
運転台側は前頭車を取り付けるため、一般的な連結器は付けていません。夏姿で入換を楽しむなら、改造が必要になりそうです。
(側方投雪前頭車)
複雑な形状のロータリーヘッドが再現されています。
機関車に前頭車を取り付けました。
篠ノ井機関区に所属したDD14に仕立てようと考えていますが、前頭車は警戒色のゼブラ模様に塗装されていたようなので、手を加えなければいけません。
機関区に置いておくだけでも存在感はありそうです。
〔 クハ86313[静トヨ] : 255M 飯田線 辰野 1981.11.14 〕
飯田線の完乗を果たし、新宿行の普通列車を中央本線上りホームで待っているときの撮影です。
隣の中央本線下り普通列車は、1977年から松本運転所に配備された115系1000番代です。同じ湘南色ですが、車輌デザインが随分と異なります。
〔 クハ85108[静トヨ] : 632M 飯田線 東上 1981.11.14 〕
飯田線を初めて訪れ、豊橋から辰野まで完乗したときに交換列車の80系を撮影したものです。
当時、クハ85は基本4両編成の増結用としてモハ80と2両の編成を組んで飯田線南部の運用に就いていました。
撮影機材はシャッタースピードも絞りも調整の必要がないコンパクトカメラですが、車輌に合わせて無意識にカメラを振っていたのか、背景がブレているにも拘らず前面は比較的止まっています。
シャッタースピードの調整がないのですから、流し撮りの意識は全くありません。
飯田線に旧形国電が走っていた頃に、現代のデジタル一眼レフカメラがあれば、とは誰しもが考えるかもしれません。
(KATO 80系300番台 飯田線)
KATOから発売された飯田線シリーズの80系電車2編成を入手しました。
湘南電車80系は、その晩年を飯田線で過ごしました。最後まで残ったのは300代に区分される全金車でした。
飯田線へは、準急や急行のほか臨時列車などでも入線することがありましたが、豊橋機関区に配属されて普通列車に運用されたのは1978年からです。
(4両セット/6両セットのパッケージ)
流電クモハ52を含む戦前型や70系・80系を含む旧形国電を置き換える形で豊橋機関区に入り、クモニ13・クモニ83を除く戦前型電車は伊那松島機関区へ集中配置となりました。
119系や165系に置き換わるまでの間に飯田線で活躍し、伊那松島機関区の戦前型よりも一足早く引退しました。
(クハ86 300代)
KATOの80系は、やはり全金車の300代車が以前から製品化されていましたが、飯田線シリーズとしてリニューアルされたようです。
並べての比較はできませんが、顔つきは随分と変わった印象があります。
今回の製品では、特定番号による側面の塗装の違いを表現しています。
(クハ86側面の塗装の違い)
4両セットに含まれているクハ86302は、「斜めに切れ上がる始点が異なる」とメーカーのホームページサイトに説明があります。
並べて比べてみれば違いが分かりますが、レイアウトなどに置いた状態では気づきにくい点です。
クハ86の塗装の違いであれば、正面の運行窓凸部に緑色が掛かるか掛からないかの違いの方が判りやすいと思います。
(運行窓の凸部に緑色が掛からない クハ86342 )
(運行窓の凸部に緑色が掛かる クハ86)
いずれも1981年11月の撮影です。
写真の角度の違いはありますが、塗装によって顔つきが変わるようにも思います。
車番の記録が無いものがあり、写真からも番号の特定はできませんが、当時のメモから
運行窓凸部に緑色が掛かっていた クハ86 307、313、314、315
運行窓凸部は橙色 クハ86 317、319、329、342
とありました。見たままの記録だったと思いますが、それ以外の車番は分からなかったと言うことです。
ほかの車輌も見てみましょう。
(モハ80 300代)
モハ80 300代には神領や松本に所属してPS23形パンタグラフを装備した車輌がありましたが、飯田線に入った車輌はすべてPS13形パンタグラフを載せていました。
(クハ85 100代)
クハ85 100代は付随車サハ87を制御車に改造して生まれた形式です。クハ85 の300代は、既にサロ85改造車が付けていたこともあってサハ87改造車は100代を名乗っています。
1978年当初は、貫通路を塞がれたモハ80と2両編成を組み、4両編成に増結される運用で豊橋口の6両編成用として活躍しました。
晩年は4両編成にも組み込まれて北部運用に入り、辰野口に顔を出すことがありました。
(4両セット)
(6両セット)
2編成の80系が一挙に揃い、戦前型との顔合わせを楽しむことができるようになりました。
飯田線専用のレイアウト作りも、もちろん構想に入っています。渡らずの鉄橋が製品化されたこともあって、沿線のどの風景を再現するのか悩むところですが、数年内には実現させたいと思いを巡らせています。
(KATO Nゲージ生誕50周年 記念誌)
鉄道関係の月刊誌が店頭に並ぶ時期を見て勤務先近くの書店に足を運ぶと、鉄道模型メーカーKATOの記念誌が並んでいました。
早速手に取り、そのままレジに向かいました。
内容も見ずに購入したのは、やはり国産NゲージメーカーのパイオニアであるKATOへの畏敬の念の現れでしょうか。
16番モデルから入った鉄道模型の趣味ですが、その後長い間はNゲージに絞ってコレクションしたり、キットを組み立てたり、完成品を改造したりと一通りのことは経験してきました。
その中でもKATO製品のバランスの良さ、品質の素晴らしさは常々感じていたものです。
今はNゲージからOJゲージまで幅を広げて趣味を愉しみ、Nゲージや16番のKATO製品も引き続き入手しています。
併せて幾つかの模型誌を購入しました。
(Nゲージファインマニュアル2 本線上のストラクチャー)
車輌基地のストラクチャーに続いて発刊されたNゲージファインマニュアルの第2弾です。
最近の工法が紹介されていて参考になるところが幾つもありました。
豊富なカラー写真を見ていると、レイアウトを作りたい思いが強くなります。
(鉄道模型趣味 2017年1月号 No.900)
老舗の模型誌は900号を迎えました。
こちらも記念誌的な位置づけのはずですが、No.900に纏わる車輌記事などは見つからず、いつもと変わらぬ編集振りに少々戸惑いを覚えます。
変わらぬスタイルが、900という数字は単なる通過点であるということなのでしょうか。
小学生の頃から40年以上見てきた雑誌でもあり、長く続いてほしいと思っています。
(RM MODELS 258 2017-2)
RM MODELSは飯田線を特集した記事があり、思わず購入しました。
KATOの飯田線シリーズの話題もあって、やはりレイアウト作りを始めたくなります。