ちゃみおか発

鉄道写真を中心に模型工作や旅行の記録を紹介します。

【鉄道写真】懐かしの旧形国電70系~上越線高崎にて~

2012年09月27日 | 国鉄 上越線


(スカ色の70系)

〔 70系(新前橋電車区4両編成) : 467M 上越線 高崎 〕

1977年11月23日の撮影である。

高崎で出発を待つ両毛線の編成だ。
テールライトが点灯しているが、こちら側が先頭になる。
到着した上り列車の折り返しだったのだろう。すでに乗客が乗り込んでいる。

駅を離れていく183系の特急は、新潟からの「とき」である。
日常の当たり前の風景だった。

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【鉄道写真】向日町運転所(大ムコ)所属485系「はくたか」~1977年高崎~

2012年01月14日 | 国鉄 上越線


(大ムコのクハ481-200番代を先頭にした特急「はくたか」)

〔 485系 : 3001M「はくたか」 高崎線・上越線 高崎 〕

1977年11月23日の撮影である。
信越本線の高崎発長野行普通列車321レの窓から撮ったクハ481-200番代を先頭にした下り特急「はくたか」だ。

当時の特急「はくたか」は、上越線経由で上野・金沢間を結んでいた。
1往復の設定だった。
前照灯(ヘッドライト)の常時点灯は実施されていない時代だ。

使われていた車輌は、大阪鉄道管理局向日町運転所(大ムコ)の485系12両編成で、両端のクハ481は100番代のボンネットタイプが多かった。
因みに、1978年の国鉄電車編成表(JRR'78年版)を見ると、485系11本のうちにクハ481-200番代は僅か1両である。
貫通タイプの「はくたか」は、あまり見られなかったのだろう。

「はくたか」の運用は「雷鳥」と共通で、下りは金沢に到着後に上り「雷鳥」となって大阪に戻り、上りはその逆である。
国鉄時代は、こういった広域運用は至極当たり前のように行われていた。

「はくたか」の運用が金沢に移管されて489系となるのは、この後のことだ。

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【鉄道写真】フィルムの整理(1982年高崎:電車編)

2010年03月23日 | 国鉄 上越線
昨日に引き続き、1982年の高崎である。
今日は電車を見ていただこう。

高崎線の普通列車用の電車といえば、115系に急行用165系の間合い運用の2種類程度であったが、115系には非冷房の初期車も多く含まれていた。

(115系の初期型 : クハ115-11)
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雨どいの先頭車寄りの部分が短いのが初期型の特徴でもある。

また、郵便・荷物車との併結も当たり前のように行なわれていた。

(普通列車の先頭はクモニ83)
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クモニは低屋根の800番代である。
上越国境を越えてきたためか、前面には着雪も見られる。

当時、115系の最新鋭はシートピッチを拡大した1000番代である。
1978年に松本運転所と長野運転所に配置され、それぞれ旧型の80系や70系を淘汰していった。
首都圏地区では、それより遅れて両毛線・吾妻線などの70系や旧型国電を追い出した。

写真は登場間もなく、まだピカピカの115系である。

(両毛線 クモハ115-1028)
20100323_001

昼間の急行も健在で、高崎線を通る急行には新前橋電車区および新潟運転所の165系や長野運転所の169系が運用されていた。

(長大編成の新前橋電車区〔高シマ〕の165系急行「ゆけむり」「草津」)
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この年は、東北新幹線の開業した年でもあり、165系に変わる185系200番代電車が姿を現していた。
新幹線は上野までの工事が間に合わず、暫定的に大宮発着であった。
したがって、185系もしばらくは上野・大宮間の「新幹線リレー号」として活躍した。

また、185系が特急(新特急)として運用されるまでの間、165系との併結も見られた。
これは、東海道本線東京口の「踊り子」用185系0番代が、登場後しばらく153系と併結されていた運用とともに興味深いものであった。

(営業に入る前のピカピカの185系 クハ185-305 : 新前橋にて)
20100322_008

フィルムの整理は、なかなか終わらない・・・。

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【鉄道写真】フィルムの整理(1982年高崎:機関車牽引列車編)

2010年03月22日 | 国鉄 上越線
昨日の風も幾分とおさまり、朝から気持ちよく晴れた。
気温はここ最近にしては低めであるが、撮影日和といえよう。

ところが、ついうっかりと寝過ごしてしまった。
いつものように「北斗星」を撮りに行くには遅すぎたのだ。
いや、昨日の風である。もしかしたら遅延があるのではなかろうか。

白河のライブカメラを見ると、定刻になってもその姿は現れない。
しばらく出かけるべきか迷っていたのだが、「北斗星」は約30分ほどの遅延だったらしく、どのみち間に合わないようだ。

昨日と同じく、フィルムの整理を決め込んで今日もインドアな生活を送っている。

さて、今日は30年近く前の1982年3月の高崎での駅撮りである。

当時、高崎線の沿線に住んでおり、下り普通列車で高崎に向かった。
乗車したのは上野発高崎行であるが、実は列車番号を変えながら信越本線経由で新潟までゆく客車列車である。

上野・高崎間はEF58形電気機関車が牽引し、高崎からEF62形電気機関車の牽引となる。

(高崎線下り2321レ EF58 130が客車から解放される)
20100322_001

記録を見ると、客車の形式は高崎方を先頭に、
 スハフ422090・オハフ452201・オハ462522・オハ462514・オハフ452003
+オハフ332246・オハ352557・オハ352560・オハ472320・オハ462628・スハフ422003
+オユ102571・マニ372019
の13両編成である。
中間のオハフ33とスハフ42を両端とする6両は、高崎発長野行の普通列車となる。

今、首都圏でこのような列車が走れば、鉄道ファンが大集結するであろう豪華な長大編成であるが、当時は珍しいものではなかった。
それでも、この頃はすでに各線の客車列車の電車化が進められていた時期ではある。

貨物列車も数多く設定されており、今のようなコンテナまたはタンク車一辺倒ではなく、ニ軸貨車を連ねたものも少なくない。
高崎駅を通過する貨物列車三態をお目に掛けよう。

(EF15牽引の貨物列車 : EF15はシールドビーム2燈化されている)
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(EF64-1000牽引の貨物列車)
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(EF62牽引の信越本線直通の貨物列車)
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明日は電車列車をご紹介しよう。

(つづく)

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