(スカ色の70系)
〔 70系(新前橋電車区4両編成) : 467M 上越線 高崎 〕
1977年11月23日の撮影である。
高崎で出発を待つ両毛線の編成だ。
テールライトが点灯しているが、こちら側が先頭になる。
到着した上り列車の折り返しだったのだろう。すでに乗客が乗り込んでいる。
駅を離れていく183系の特急は、新潟からの「とき」である。
日常の当たり前の風景だった。
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(スカ色の70系)
〔 70系(新前橋電車区4両編成) : 467M 上越線 高崎 〕
1977年11月23日の撮影である。
高崎で出発を待つ両毛線の編成だ。
テールライトが点灯しているが、こちら側が先頭になる。
到着した上り列車の折り返しだったのだろう。すでに乗客が乗り込んでいる。
駅を離れていく183系の特急は、新潟からの「とき」である。
日常の当たり前の風景だった。
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(大ムコのクハ481-200番代を先頭にした特急「はくたか」)
〔 485系 : 3001M「はくたか」 高崎線・上越線 高崎 〕
1977年11月23日の撮影である。
信越本線の高崎発長野行普通列車321レの窓から撮ったクハ481-200番代を先頭にした下り特急「はくたか」だ。
当時の特急「はくたか」は、上越線経由で上野・金沢間を結んでいた。
1往復の設定だった。
前照灯(ヘッドライト)の常時点灯は実施されていない時代だ。
使われていた車輌は、大阪鉄道管理局向日町運転所(大ムコ)の485系12両編成で、両端のクハ481は100番代のボンネットタイプが多かった。
因みに、1978年の国鉄電車編成表(JRR'78年版)を見ると、485系11本のうちにクハ481-200番代は僅か1両である。
貫通タイプの「はくたか」は、あまり見られなかったのだろう。
「はくたか」の運用は「雷鳥」と共通で、下りは金沢に到着後に上り「雷鳥」となって大阪に戻り、上りはその逆である。
国鉄時代は、こういった広域運用は至極当たり前のように行われていた。
「はくたか」の運用が金沢に移管されて489系となるのは、この後のことだ。
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