このダイヤ改正で上野と金沢を結ぶ急行「能登」が定期列車から退くことになる。
これに合わせて、489系交直両用特急型電車初期タイプのボンネット先頭車の定期運用がなくなり、旧国鉄のボンネット特急車輌も引退となる。
最終日の撮影は、混乱が予想されることから回避したが、「能登」の間合いで使用された「ホームライナー」と懐かしい「あさま」の写真を紹介する。
(上野駅に停車中のホームライナー運用に就く489系)
(赤羽駅を通過する489系ホームライナー)
(1976年、上野発長野行特急「あさま」の489系)
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~急行「能登」の想い出~
1981年3月、客車列車時代の急行「能登」に乗り、友人と金沢への旅に出た。
駅弁と夜食を買い込み、上野駅13番線ホームで入線を待つ。
隣の14番線には信越本線経由の福井行急行「越前」が入線。
続いて13番線には秋田行急行「鳥海」がEF58の推進で入線してきた。
「鳥海」は21時13分発、「越前」に続いて上野をあとに出発していった。
およそ10分後、荷物車を先頭に推進運転で「能登」はやって来た。
編成は、A寝台オロネ10、B寝台スハネ16、グリーン車スロ62を連ね、金沢寄りはオハ47、スハフ42と続く。
先頭は、少し前にEF58から変わった新鋭のEF64-1000番代直流電気機関車である。
この日は、1006号機が担当であった。
薄暗い13番線ホームの先端にブロワー音が響く。
早速、先頭のスハフ42に乗り込み、3人で1ボックスを占拠して弁当を広げた。
21時49分汽笛一声、定刻の発車である。
しばらくはトランプなどして過ごしたが、そのうちウトウトとしていた。
それでも、揺れる列車に寝付くこともできず、ぼんやりと外を眺めていた。
高崎では遅れていた両毛線の488Mの接続をとり、約15分の停車。
高崎を過ぎ、次第に山に登ってゆくと、眼下に家々の灯りが点っているのが印象的だ。
国境のトンネルを抜けたとき、線路際にうず高く積まれた雪の山が、都会と違う異郷の地であることを語っていた。
やがて、夜の闇にすいこまれていった・・・。
気がついたときは進行方向が逆になり、先頭車両に乗ったつもりが最後尾となっていた。
先頭は交直両用の電気機関車EF81が牽引しているはずだ。
柏崎では大阪発青森行寝台特急「日本海3号」とすれ違う。
魚津の辺りで夜明けを迎えた。
日本海の空は暗く、どこかうら寂しい雰囲気が漂っていた。
田園風景が広がる中をひたすら走り続ける。
富山、高岡を過ぎ、やがて金沢に到着した。
定刻であった。
地平時代の金沢駅は、地下通路でホームが結ばれていたのを覚えている。
さて、金沢では兼六園を散策したり、さらに足を延ばして輪島まで出かけた。
このときはキハ58に乗車しており、輪島からの帰りに穴水で蛸島方面からやってきた列車と併結のため、入れ替えを行なっていた。
どうやって帰ったのか、特急「白山」か急行「能登」か、何故か記憶が無い・・・。
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夜行列車は、現地での時間を有効に使えることから使い勝手のよい列車として重宝されていたのも今は昔。
新幹線網も整備され、近いうちに金沢へも乗り継ぎ無しで到達することができるようになるという。
流れゆく車窓をのんびり眺めて、駅弁をほおばり、気の合う友人や家族とおしゃべりする時間も奪われてしまう。
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