今朝の安曇野はそれほど寒く感じませんでした。
散歩道の北方に虹を見つけて辿ってゆくと常念岳に重なっていました。
虹は、太陽の位置に合わせて時間とともに北アルプスの稜線を北へと移動し、濃淡はありましたが昼近くまで見ることができました。
今朝の安曇野はそれほど寒く感じませんでした。
散歩道の北方に虹を見つけて辿ってゆくと常念岳に重なっていました。
虹は、太陽の位置に合わせて時間とともに北アルプスの稜線を北へと移動し、濃淡はありましたが昼近くまで見ることができました。
( 冠雪の常念岳 2017.11.22 )
「大王わさび農場」に出かけた日の翌朝、光の射す窓辺から北アルプスを見ると、青空に稜線がくっきりと浮かんでいました。
( 有明山にも雪が )
安曇野は氷点下の朝ですが、久し振りに後立山連峰までの山並みが見渡せたので散歩に出ました。
( 後立山連峰もくっきり )
一面が霜に覆われていましたが、風は無く穏やかな朝の道を所々で立ち止まり、山を眺めながらの散歩を楽しみました。
( 安曇野の大王わさび農場 2017.11.21 )
農産物は近くのJA直売所で買うことが多く、この日も自宅から妻と二人、自転車で買い物に出かけました。
夜半には安曇野にも雪が舞った形跡があり、近くの山々は薄っすらと白く染められています。
北アルプスの高峰は雲に遮られているところが多いものの、その隙間から覗く稜線はすっかり冬景色です。
買い物ついでに少し足を延ばして「大王わさび農場」を訪れました。
平日の寒い日にも拘わらず観光客の姿が意外に多く、改めてその知名度には驚かされます。
わさび田はみずみずしく茂る葉に覆われて、そこだけを切り取って眺めていると季節が分からなくなります。
日除けは巻かれていて、弱い陽射しがわさびの葉を直接照らしています。
青空の下、静かな時間が流れています。
数羽のセグロセキレイを目にしましたが、あまり珍しい鳥や動物の姿はありません。
わさびの葉からツンと鼻を衝く香りが感じられそうな気配ですが、それは気のせいでしょう。
水辺には勿忘草が花を咲かせていました。
葉を落とした樹々の間から北アルプス後立山連峰の姿を見ることができました。
黄色く葉を残しているのはカラマツでしょうか。
山は雪雲に覆われても、平野部では晴天となることが多いのも安曇野の特色です。
わさびにはそんな気候が合っているのでしょう。
奥へと進んでも広大なわさび田が広がっています。
観光客の少ない時期を狙ってか、場内の歩道の補修工事などが行われていました。
冷たい空に白い雲がゆっくりと流れます。
見上げる樹木の眺めは飽くことがありません。
昼食には早い時間ですが、小腹が空いたので二人で二串のみたらし団子を頼みました。
添えられたわさびの辛さに思わず顔が縮まります。
( 大王わさび農場 )
8月一週目のとある平日、朝から夏の陽射しが厳しい日でしたが、安曇野に暮らし始めて初めて観光地らしい場所へ出掛けました。
( 清らかな流れと水車小屋 )
妻と二人、我が家から自転車に乗って30分ほどの距離にある大王わさび農場へとやって来ました。
( 安曇野の湧き水は冷たい )
アルプスの恵みにより、わさびが育てられています。
( わさび田 )
午前中の早い時間ですが、夏休みの家族連れで賑わっていました。
( わさびコロッケ )
農場では定番のわさびソフトクリームで涼をとりました。
わさびコロッケは昼食用に買い求め、家に帰ってから食べました。
(扇形庫のあるSLひろば)
かつては梅小路蒸気機関車館として見学できた梅小路機関区の扇形庫周辺は、京都鉄道博物館の開館にあたり博物館内の一施設として存続しています。
(整備中のD51 200号機の姿も)
隣の整備庫内には、本線運転が決まったD51 200号機のテンダーが見えました。
庫内を覗くこともできたようですが、この時は見逃していました。
(スワローエンゼル)
C62形は美しく格好いい機関車です。
(DE10)
DE10形ディーゼル機関車は、エンジンが掛かっている状態でした。
扇形庫には数多くの蒸気機関車が収められています。
(スチーム号)
数両ある動態機の中で、この日の「SLスチーム号」はC61形でした。
(汽笛一声、蒸気をあげて出発)
乗客を乗せた「SLスチーム号」がバックで発車してゆきました。
(旧二条駅舎)
十分に堪能し、博物館を後にしました。
(京都鉄道博物館)
休暇を利用して妻と二人、京都・奈良の旅に出ました。
早朝に東京を出て、京都には午前9時前には到着しました。東寺の拝観後に訪れたのは京都鉄道博物館です。
(平日のため入口に混雑は見られない)
入館時に並ばないよう前売り券を購入済みでしたが、そんな心配は無用でした。
(入って直ぐ、C62がお出迎え)
家族連れの姿が殆どですが、混雑は全くありません。
(80系電車と0系新幹線)
少し待てば人通りは途切れるので、写真撮影も思いのままです。
(モハ80)
プラットホームの演出は駅にいるような気分になりますが、車輌の下回りが見えなくなるので模型資料の収集には不向きのようです。
(ブルートレインの元祖20系の食堂車)
ナシ20の車内はお弁当を食べるスペースとして利用されていました。
(DD54と103系)
DD54形ディーゼル機関車は、20系寝台特急「出雲」を牽引したタイプが残されています。
(DD54 33)
当時の国鉄形とは一線を画す独特のマスクが印象的です。
(EF58とEF81)
国鉄を代表する電気機関車であるEF58とEF81が並びます。
EF81はトワイライトエクスプレス牽引用に塗装された姿です。
(トワイライトエクスプレスの展望車)
機関車と共にトワイライトエクスプレスの24系客車が展示されています。
(24系とEF65一般形)
EF65形電気機関車は、ブルートレイン牽引機ではなく主に貨物牽引の任に就いていた一般形が展示されています。
(EF66)
床下が観察できるEF66形電気機関車には「富士」のヘッドマークが掲げられています。
(「出雲」のヘッドマークを付けたDD51形ディーゼル機関車)
(DD51)
DD51形ディーゼル機関車も床下を覗くことができます。
(151系「こだま」の前頭部モックアップ)
クハ151形の前頭部モックアップは、正面から見る分には違和感はありません。
(クモハ100)
101系の前頭部もモックアップです。
(キハ81「くろしお」)
ボンネットの形状に特徴のあるキハ81は、幼少時に「いなほ」で見た記憶があります。
(ダイハツミゼットとキハ81)
キハ81の周辺は昭和をテーマに懐かしい品の数々が展示されています。
(500系)
(クハネ581とクハ489)
500系新幹線と寝台特急、ボンネット型特急電車が並ぶ博物館のメインスポットです。
子供たちが集まる人気の場所ですが、ここも少し待てば車輌だけの写真を撮ることができました。
(100系)
新幹線は100系も展示されています。
(EF52)
デッキ付きの旧型電気機関車は、阪和線で活躍したEF52形です。
(1800形)
明治時代の輸入蒸気機関車1800形はイギリス製です。
(クハネ581)
2階に上がり、展示車輛を上から観ます。
(クハ489)
模型工作の参考になる角度で楽しむことができます。
(スカイテラスからの眺め)
広々としたスカイテラスからは、新幹線や在来線の往来を眺めることができます。
列車位置情報システムが設置されていて、目の前を通る列車の列車番号などを確認することができます。
ひと通り館内を巡った後は、レストランで昼食を摂ることにしました。
(ハンバーグのセット)
(チーズで線路を表現したミートソース)
正午前だったので、ゆっくりと食事をとることができました。
(ケーブル坂本駅)
年の瀬の旅行は、久しぶりの京都です。
早朝に東京を発ち、京都駅からJR湖西線に乗り換えて比叡山坂本駅で下車します。路線バスに乗り換えて、ケーブルカーの山麓駅に到着しました。
(坂本ケーブル)
改札は発車5分前とのこと。ストーブの点いた待合室で待機します。
発車時刻となり、ケーブルカーに乗り込みました。
(木立の中をゆっくりと登る)
東京から京都までの新幹線の車窓も滋賀県に入った辺りから薄っすらと雪景色でしたが、比叡山は積雪がありました。
(琵琶湖を望む)
雪のちらつく天候で、眺めは期待できないかもとも思われましたが、眼下には琵琶湖が見えてきました。
(標高が上がると雪の量も増えて)
車窓は既に冬山の様相です。
(ケーブル延暦寺駅に到着)
日本一長いケーブルカーが山側の終点に着きました。
(ケーブル延暦寺駅前の展望)
青空が覗いていますが、雪もちらついています。
駅前からは琵琶湖が見えていますが、対岸の山々は雪雲に隠れていました。
(ケーブルカーの駅から延暦寺へ)
雪の舞う道を延暦寺へと歩を進めます。
(比叡山根本中堂)
根本中堂は工事中でした。(2016年12月)
大きな重機や工事中の囲いを構図から外すと、屋根しか撮影ができません。
(時おり激しくなる雪)
数々の仏像に圧倒された国宝殿を後に、来た道を戻ります。
雪は降ったり止んだりを繰り返していました。
(文殊楼の石段)
昼食は精進料理です。
食事後は、ケーブルカーで下山するために駅へと向かいました。
(琵琶湖と湖西線)
ケーブル延暦寺駅の二階から琵琶湖を見ると、高架の湖西線もよく分かります。
(ケーブルカーで下山)
雪景色の中を静々と下ります。
延暦寺を後にして、京都市内へと向かいました。
(廃線後も残る長野電鉄屋代線の信濃川田駅舎)
「赤ガエル」の保存車を見た後は、再び長電バスに乗って信濃川田駅にやって来ました。
屋代線(旧河東線)が廃止された後も、駅舎がそのまま残り路線バスがやって来ます。(2016年10月現在)
(放置された車輌)
短い距離ながらレールが敷かれていて、幾つかの車輌が留まっています。
(電車運賃表)
駅舎の待合室に入ると、ローカル私鉄の無人駅の雰囲気がありました。
運賃表が掲示されていて、廃止路線のようには思えません。
(ホームには電車が停車している)
改札からホームを覗くと、電車が停まっています。
(須坂行乗車口の表示)
ホームは須坂行方面の一面が残されています。
(駅名標もそのまま)
ホームに立っても電車の音は聞こえません。
(寂しげなホーム)
コンプレッサーの音でも聞こえてくればよいのですが。
(屋代方面を見る)
かつて延びていたレールは途切れ、廃止路線であることが分かります。
信濃川田駅へやって来た目的は、長野電鉄の廃車車輌の面々を記録することです。
しばしの時間、撮影に没頭しました。
〔 115系S11編成 : 625M しなの鉄道 上田 2016.10.22 〕
上田電鉄からしなの鉄道へ乗り換えて、長野へ向かいます。
(坂城駅前の169系)
国鉄・JRから引き継がれた169系電車の3両編成が、坂城駅前に保存されています。
機会があれば、じっくりと観察してみたいものです。
(「ろくもん」が準備中)
屋代駅では軽井沢方面への回送列車出発準備をしている115系「ろくもん」の姿がありました。
(クモユニ143-1)
乗車列車の終着、長野駅構内にはスカ色の電車が留まっていました。
牽引などの事業用にしか使われていないのですが、今でも「クモユニ」を名乗っています。国鉄時代に郵便事業は鉄道から無くなっていますが、形式名に残っているのは不思議です。
〔 2100系E1編成 : 5A 長野電鉄 長野 2016.10.22 〕
長野駅でしなの鉄道から長野電鉄に乗り換えます。
短時間での乗換えでしたので、長野到着後の115系の写真は撮っていません。
スノーモンキーは乗り鉄の妻のリクエストで、湯田中まで乗車します。
(小布施で3500系普通列車と交換)
元帝都高速度交通営団(現東京メトロ)日比谷線の電車が、普通列車として2016年の今も活躍しています。
(湯田中に到着)
50分ほどの乗車時間で終点の湯田中駅に到着です。
(長野電鉄湯田中駅)
改札を出て、折り返し上り列車の乗車待ちの列に並びます。
温泉に浸かることはありません。
(折り返しの長野行特急列車)
改札が始まり、再びスノーモンキーの乗客となります。
〔 2100系E1編成 : 6A 長野電鉄 小布施 2016.10.22 〕
目的地である小布施で下車します。
昼食時間に合わせての少し遠回りの鉄道旅でした。
(上田電鉄別所線 別所温泉駅)
モハ5252の撮影を終え、妻と合流して上田へ戻ります。
駅には人の気配がみじんもありません。
(駅前)
駅前の道路は、時おり車が通過するだけで、やはり人の気配を感じることがありません。
〔 上田電鉄6000系 : 上田電鉄別所線 別所温泉 2016.10.22 〕
到着した下り列車は、「さなだどりーむ号」のヘッドマークが掲げられた車輛です。
折返しの上り列車に乗車します。
(明るい車内)
清潔感のある明るい車内です。
時間になり、発車しました。
(八木沢駅、列車最後部からの撮影)
木造の駅舎が残る八木沢駅を後にします。
(中塩田駅、列車最後部からの撮影)
中塩田駅は別所温泉駅に似た木造駅舎が残っています。
(下之郷の車庫には5200系が残る)
下之郷駅に入る寸前、車庫に元東急の5200系を見ることができます。
倉庫として使用されているようですが、前面にはシートが掛けられていて二枚窓を見ることができないのは残念です。
(下之郷駅で下り列車と交換、列車最後部からの撮影)
交換した下り列車は7200系でした。
(下之郷駅、列車最後部からの撮影)
車庫が併設されているためか、駅員がいるようです。
しっかりと見送っています。
〔 上田電鉄1000系 : 上田電鉄別所線 城下 2016.10.22 〕(列車最後部からの撮影)
城下駅でも下り列車と交換しました。
(千曲川を渡る、列車最後部からの撮影)
赤いトラス橋で千曲川を渡ると、間もなく上田駅に到着します。
(上田駅に到着)
上田からしなの鉄道へ乗り換えます。