気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

題詠100首百人一首

2008-11-06 00:58:29 | 題詠blog2008
065:眩  逃げ水が眩しくひかる真昼間のコンクリートを撫づるビル風 
(近藤かすみ)

西中眞二郎さんの「平成20年度題詠100首百人一首」に、この歌を選んでいただきました。お題「眩」については、別を歌を考えていたものの、気に入らなくて、ほとんど即詠で作った歌です。意外でした。たくさんの詠草をよみ選歌するのは、手間のかかる仕事です。題詠100首を続けている途中、このサイトに紹介していただけるか確認し、励まされながら、続けることができました。大変な作業をしてくださった西中さんには、感謝です。ありがとうございました。

http://d.hatena.ne.jp/nishinaka/20081103

きのうの朝日歌壇

2008-11-04 00:24:11 | 朝日歌壇
十六年病みて穏やかなりし夫われをそだててみほとけとなる
(大分市 岩永知子)

水槽に金魚一匹浮くあした秋のいのちはしづまざりけり
(川越市 小野長辰)

献体番号いつも添えあり医学部より暑中見舞が音もなく来る
(尼崎市 平澤省吾)

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一首目。十六年もの長い間、だんなさまの看病をして亡くされた作者が、その夫にそだてられたという謙虚さに感動した。一首の中に人生のストーリーが過不足なく納まっている。
二首目。秋が来て涼しくなって、死んでしまった金魚が浮いていることを「秋のいのちはしづまざりけり」と詠ったところに叙情がある。
三首目。家族のどなたかが亡くなられたときに、医学部に献体され、その後、律儀に暑中見舞が来るのだろう。結句の「音もなく来る」がひんやりとした表現で、効いている。

秋という言葉を入れると、短歌らしい雰囲気が出る。結社誌の次号の締め切りが迫って来ているので、歌を整理中。このところ「秋」を使い過ぎているかもしれない。

題詠ブログが終わってしまった。今回も無事完走できて、本当によかった。
さて、あとこのブログにどんな記事をアップするか、ちょっとは工夫しなければいけないと思う。う~ん。考え中…。

微笑の空 伊藤一彦歌集

2008-11-01 00:20:22 | つれづれ
寂し寂しかなしかなしと弱さ見せ詠みし男のしたたかさ思ふ

あまりにも「いい子」の君は手首切る過剰期待はすでに虐待

梅の林過ぎてあふげば新生児微笑のごとき春の空あり

よき長男よき委員長のこの生徒よく磨かれし嵌め殺しの窓

もう一人自分がゐると語る子ら増えつつあるは「進化」ならむか

深秋はいたく納得すたましひは胸ならず皮膚にあるといふ説

すかすかのまたふかぶかの過疎の里夜は炎えあがる月光の満つ

三人の娘出てゆきし家の雛ゆきそびれたるむすめのごとし

顔しかめ時には翁のかほをするこれのいのちはどこより来たる

似よる人いくたりもゐるみどりごのかほ 亡き人もひつそりとをり

(伊藤一彦 微笑の空 角川書店)

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心の花のベテラン、伊藤一彦の第十歌集を読む。この歌集は第42回迢空賞を受賞している。
伊藤一彦は、宮崎県の大学でカウンセリングの講義と演習を行い、またスクールカウンセラーとして宮崎市内の小中学校に出向いている。若山牧水の研究でも知られる。

一首目は、若山牧水のことだろう。二首目、四首目、五首目は、カウンセラーとしての仕事から得た思いを歌にしている。子供に期待して、愛情をたっぷり注いで育てたいを思うのは、当然のことと思っていたが、行きすぎは子供を壊してしまうこともある。何が正しいのかわからず不安な気持ちにもなる。我が家は一応子供たちもそれぞれの道を選んで、出て行ったがこれでよかったのか、いつもまだ足りなかったような気持ちになる。完璧とは行かなかったけれど、その場その場で一生懸命に子育てをしてきた事は、これでよかったと思うしかない。子供を持つということは、それだけで責任が重く、不安でしんどいことであった。こんなことを書くと、子供たちに申し訳ないけれど…。

六首目は、今夜のような秋深い夜にはぴったりと心に添う歌。人の皮膚のぬくもりを感じたら、それだけでこころが安らぐだろう。そうは行かない人のなんと多い現代であることか。
九首目、十首目。いのちの輪廻のようなものを感じさせる歌。
読後、全体に作者の人柄の温かさを感じることができた。