気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

連想

2005-04-22 10:29:42 | つれづれ
大いなる卵拾ひし夏野かな
(内藤鳴雪)

大いなる手があらはれて昼深し上から卵つかみけるかも
(北原白秋)

どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を
(佐藤弓生 題詠マラソン2003)

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また機会を得て、坪内稔典氏のお話を聞く。内藤鳴雪について。
俳句はよくわからない。俳句について考えると、頭が俳句になってしまって、短歌ができない。稔典さんが例に挙げられた鳴雪の句から、白秋の歌を思い出す。そのあと、題詠マラソンに出た佐藤弓生さんの歌があったなあと捜す。大きな手がどこかからあらわれるという点で連想を誘われた。

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2 コメント

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 (はるはたあかね)
2005-04-22 15:43:09
どの歌も句もいいですねえ。



俳句と短歌って、なんとなく似ているようでいて、ずいぶん違うんですよね。



gooのブログ、しばらくコメントが表示されませんね。

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短歌的俳句的 (かすみ)
2005-04-22 21:51:29
坪内稔典さんの本で「短歌的人間俳句的人間」というのがあります。この本は「短歌的」が先か、「俳句的」が先か、ぱっと見でわからないような表紙になっていました。歌人は余技で俳句を作り、俳人は余技で短歌を作るのかな。
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