気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2007-04-22 19:19:29 | 朝日歌壇
一万歩畑二時間歌三首課して無職の初日を始む
(弘前市 山川久美子)

姑のベッドに押されし畳の凹み僅かふくらみ来たり三回忌きぬ
(南陽市 鈴木登紀)

乗客の顔ぶれ少し変化して通勤電車に春が来ている
(生駒市 宮田修)

*********************

一首目。四月から仕事を辞めて無職の生活を始められた作者。生活のリズムが崩れないように、自分に課題を作っている。けなげな心がけである。一、二、三の数字が順に入っているのもおもしろい。専業主婦(とちょっとだけパートのおばさん)から、ずるずると無職になってしまった私も、せめて歌三首くらい作らなくっちゃいけないんだろうな。無理です。
二首目。三回忌が来たということだから、姑さんが亡くなられて丸二年。それまで何年を家のベッドで介護されたのかは、わからないが短くはないだろう。作者自身も生活を取り戻すのに、それだけ時間がかかったということか。畳を語りながら、作者のこころの回復を「ふくらみ来たり」と表現しているようだ。
三首目。四月の異動で、決まった時刻に電車に乗る顔ぶれも変わったということ。なにげないことから、春の訪れが伝わる。なんとなく落ち着かない季節だ。

きょうは、角川短歌5月号が届いて、読むものがいっぱいの状態。公募短歌館や、短歌研究の詠草欄に知っている名前がたくさんある。まだ一度もお会いしたことがないが、名前だけ知っている人が増えた。こんな調子で、ずっと短歌に関わっていくのだろう。知り合いの中に、疲れてしまって結社をやめた人もいて、さみしいと思う。しかし、わたしだって、自分自身が病気になったり、家族にコトあらば、今やっていることを止めるか、減らすときが来るだろう。最後の砦は、短歌人の投稿。どんなことがあっても、結社誌の欠詠だけはしたくないと思っている。



最新の画像もっと見る