気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

ゆきふる  小川佳世子 

2016-01-05 00:28:04 | つれづれ
カーテンを開けて朝ごと来る人を待つ平安の宮廷のよう

ゆきふるという名前持つ男の子わたしの奥のお座敷にいる

好きだったのかもしれない人の子にあう日の曼珠沙華ゆれている

なかぞらはいずこですかとぜひ聞いてくださいそこにわたしはいます

しがらみやしばりやしきりしきいとかしのつく雨は好きだけれども

私には桜は御室桜やしソメイヨシノはよそさんやなあ

わが部屋の前の木のみが芽吹かない 私が影でごめんなさいね

手術室の中で聞こえる器具の音は気まずい家庭の食卓に似る

いくたびか外光に触れいくつもがどこかへ行った私の臓器

あたらしい傷をふやしてしまってもわたしのからだ 秋の王国

(小川佳世子 ゆきふる ながらみ書房)

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未来短歌会、小川佳世子の第二歌集『ゆきふる』を読む。

小川さんとは神楽岡歌会でご一緒している。上品で控えめで、いかにも京都の女性という物腰の方。歌集を通読して、入院や病気の歌が多い。あとがきには、「自分の状況報告のような短歌は詠みたくない・・・」とあるが、「臓器」といった短歌では余り使われない言葉を見ると、つい病気と結びつけて読んでしまう。作者にとっては不本意なのかもしれない。

二首目。集題の「ゆきふる」は、男の子の名前だが、あまり聞かない不思議な名前だ。わたしの奥のお座敷というのもなんだろう。心のなかに我が子として存在させているということか。謎のある歌として魅力がある。
一首一首について、わたしが拙い説明をしても、作者の意図からどんどん外れて行きそうだ。四首目も謎だが浮遊感のある歌。五首目は「し」のつく言葉を繰り返し、それを序詞として「しのつく雨」を引き出す。意味はないけれど面白い。六首目に出て来る京言葉、七首目の控えめな思いが小川さんらしい。九首目、十首目は、この春に出た神楽岡歌会100回記念誌に掲載された連作から。自分を見る目の冷静さに驚くとともに、俯瞰することで冷静さを保っているのだろうと想像し、心を寄せたくなる。十首目の結句「秋の王国」に、矜持を感じた。

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