気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

玩具

2007-03-09 01:18:13 | きょうの一首
たちまちに涙あふれて夜の市(いち)の玩具売場を脱れ来にけり
(木俣修)

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きょうも松村由利子さんの『物語のはじまり』で見つけた歌から。
木俣修という歌人は、名前だけは聞いたことがあったがどんな歌を作った人か知らなかった。この歌に興味をひかれ手持ちのアンソロジーをパラパラと読んでみた。
「亡き吾子にかかはる会話危ふくて妻は林檎に光る刃(は)をあつ」という歌もある。
わたしの子供たちはもう二十代で、それぞれ仕事で家をはなれて暮らしているが、いまだに幼い子供を見ると、むかしのわが子のことを思い出して、なんとも切ない気持ちになる。あのころわたしが母親として、もっとしっかりしていればよかったとか、まだ足りなかったと悔やむことがある。生きている子供でさえ、その存在が切ない。まして、死別していたり、事情があって一緒に暮らせないならばと思うと言葉が見つからない。しかし子供を持たない人生だったら、また別の意味で欠乏感を持っているとおもう。なにもかも持っている人など、どこにも居ないのに、それを想定して苦しくなるのは、いったいなんだろう。



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