気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

地上  佐々木靖子  つづき 

2010-02-12 22:23:28 | つれづれ
とのぐもる葛飾の野に寄りて離れ二列(ふたつら)の電車走るさびしも

遊園のパラシュート雨に萎(しな)えつつ浮きて沈みて永き日すがら

憂鬱の蜜に籠りて月経りけりめぐりふかぶかと真木生ひ立ちて

ゆるやかにかしぎて止る白きシーソー残りの花の幾ひらか散る

朝々に子と母のシャツ洗ひ干しゆきどころなき家族片(かぞくへん)棲む

食と性といづれかふかき罪といはむうどん食ひしのちの汗をわが拭く

よろこびつつ氷は溶けて闇中にかがやくばかり二個の扁桃

人ひとり生きていくばくの悪をなすや茫々として父の日だまり

はろばろと空ゆく鳥の声きこゆ地の上を父の歩みゆくかな

つづまりは食のもの買ひて帰る夕べいづかたに吾のことばかがよふ

みな速く逝きし兄弟(はらから)からつぽの父の日永に来て遊ぶらし

おのづから過ぎゆくものを過ぎしめよ身を揉みて木々は輝く五月

みひらける灰色の眼に涙たまり涙溢れて終るわが父

ほがらかに父なき朝の明けにけり並べ干す死者生者の肌着

中断こそすがすがしけれ何も何も遂げず或る朝死なむと思ふ

万象はしづかに冬に入りゆくと父なき夜の門をとざしぬ

(佐々木靖子 地上 不識書院)

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この時期、お父さまが病気でだんだん弱って来られ、亡くなられるまでが丁寧に詠まれている。感性の力、語彙の豊富さという力を改めて感じる。
歌集は、出版されてしばらくは話題になるが、だんだん読まれなくなる。後世に残っていく歌集、歌人はほんの一握りだろう。世にある多くの歌集から、この一冊に出逢えたのは、僥倖だと思う。


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3 コメント

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Unknown ()
2010-02-14 00:33:52
この人の、忘れられない一首がある。
それでは寂しいかもしれませんが、それでもいいのかな、と思えるようになりました。
たとえば

分かるると思はず生みていつしんに育てし子らも夕餉のころか

白日傘さして私を捨てにゆくとつぴんぱらりと雲が畑まで(細部は違ってるかもw)
がそうです。
もう、これは、2,3回くらいは言いましたっけ。
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Unknown ()
2010-02-14 00:37:01
言い方を間違えました。
一首(あるいは二首)だけ、では寂しいということですねww
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Unknown (かすみ)
2010-02-14 11:07:59
森さん こんにちは。

この二首は、わたしの歌ですね。自分でも正確には覚えていません。調べたら、短歌人2006年9月号に出した歌でした。

別るると思はず産みて一心に育てし子らも夕餉のころか

白日傘さして私を捨てにゆく とつぴんぱらりと雲ヶ畑まで 

このころは勢いよく歌を作っていたなあ。最近は、停滞気味です。
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