映る部屋を時をり覗く物としてテレビはありぬこの三カ月
仰向けのウルトラマンが十数体あけぼの山の骨董市に
秋の日を干したる布団に凭れゐつ萎(しぼ)むダチュラの花のごとくに
二年あまり映らずあり経しこのテレビしだいに深き沼になりゆく
性(さが)といふ言葉をキャラに置きかへて暗きひびきの払拭さるる
(花山多佳子 木香薔薇)
************************
花山家のテレビは、とうとう二年以上壊れているらしい。じゃあ、買い換えるとか処分するとかすればいいのにしない。なんとなくあるものは風景となって、捨てられないのだ。我が家にも、だれがいつ使っていたのかわからないものが、いろいろある。わけがわからないほどある。
仰向けのウルトラマンの歌、なんとも心が和む。あけぼの山というのは、実際にある地名かどうかわからないが、間抜けな感じがして好ましい。
歌に登場する娘、息子のキャラもなかなかのものだが、なんと言っても花山多佳子本人の脱力感がいい。
世の中には、もうちょっと脱力してくれたらええのにと思うような、妙に血の気の多い人がいる。ため息。。。
仰向けのウルトラマンが十数体あけぼの山の骨董市に
秋の日を干したる布団に凭れゐつ萎(しぼ)むダチュラの花のごとくに
二年あまり映らずあり経しこのテレビしだいに深き沼になりゆく
性(さが)といふ言葉をキャラに置きかへて暗きひびきの払拭さるる
(花山多佳子 木香薔薇)
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花山家のテレビは、とうとう二年以上壊れているらしい。じゃあ、買い換えるとか処分するとかすればいいのにしない。なんとなくあるものは風景となって、捨てられないのだ。我が家にも、だれがいつ使っていたのかわからないものが、いろいろある。わけがわからないほどある。
仰向けのウルトラマンの歌、なんとも心が和む。あけぼの山というのは、実際にある地名かどうかわからないが、間抜けな感じがして好ましい。
歌に登場する娘、息子のキャラもなかなかのものだが、なんと言っても花山多佳子本人の脱力感がいい。
世の中には、もうちょっと脱力してくれたらええのにと思うような、妙に血の気の多い人がいる。ため息。。。
しばらく風邪を引いておりました( ̄□ ̄;)
かすみさんもお気をつけくださいね^^
花山さんのウタ、いいですね♪
ウチの図書館にも入れてほしいなぁ・・・。
ウルトラマンは、たぶん手が動くタイプで、
バンザイして並ばれてるんでしょうね(* ̄∇ ̄*)
花山さんだったら、持っていそうな気がするんですよね。
京都はすっかり冬になりました。私はふだんから身体を鍛えている?ので、今のところ風邪はひいていません。キャラ(をかぶる)という言葉はいつの間にか、よく言うようになりました。自分そのものが傷つくことのないための方便かも知れません。香木の伽羅まで深読みすることもないように思いますが、どうでしょう。
伽羅の香木なんてオシャレで、花山さんに似つかわしいと思ったんですが。
思うに花山さんはそんなにオシャレじゃないように感じます。遠くでお見かけしたことがありますが、お化粧もしてなかったような。
まあ作品がすべてで、それこそキャラを被ってるのかもしれません。
花山さんは関東にお住まいらしいですが、「塔」の人だから、こういう掛詞の使い方をするのかな、って思いました。
「オシャレな感じ。」と言ったのは、短歌研究の「馬場あき子と読む『無名抄』」の写真を見て、なんか、そんな雰囲気がしたんです。
そういう判断って、どうなんでしょう?失礼?
短歌研究のその記事、全然読んでないんですよね。いちおう、買っているのに・・
みなさんの歌の好みとかが分かって、その辺りは大変興味深いんですが、「無名抄」に出てくる歌人の歌への考えが高尚すぎて、そこに付いていけない。
ほんとうに、眠くなります。まぁ、睡眠薬がわりに、丁度よろしいかと。
「無名抄」は中世だから、大体五百年くらい前ですか。
僕が中学、高校の頃には、新古今調の「幽玄」「有心」なんて、さっぱり理解できませんでしたよ。
もっぱら、額田王や在原業平、小野小町といった歌人を好んで読んでいました。でも、今は少し、いえ、かなり分かるようになりました。
もし、現代短歌を彼らが読んだら、どう思うでしょうか。
正岡子規の「貫之はヘタクソ」発言に烈火のごとく怒り、春日井健を読んで(こいつが、「現代の定家」?ふざけんな!)(←現代風に)とか言ったりして。
また、口語、カタカナ語、「」書き、句割れ、句またがり言いさしなど、ツッコミどころ満載でしょうね。
僕が古典に取材するときは、これをいつも参考にしています。
角川文庫は読みやすいと思うし、「馬場あき子と読む『無名抄』」は石井照子さんの注釈も付いていて、これ以上親切な古典はないんですよね。
そういえば、「文藝春秋」一月号の現代詩欄に、大岡信、俳句欄に金子兜太、短歌欄に馬場あき子という大家の作品が掲載されていました。(ちょっと難しかったんですが、凝った修辞はなかったのようなので、割と読みやすいのでは。←どっちやねん!)
これだけの大家が並ぶということは滅多に無いので、必見だと思います。
もちろん、僕は立ち読みでしたけどね。
僕は、大先輩の作品を最も身近な古典として読みたいと、常々思っております。