モンブランへご来店の皆様、こんばんは。
旭山動物園で今やすっかり有名になった旭川で生まれ、函館で3歳から幼少時代を過ごし、小3からは札幌で暮らしていた、生粋の道産子・ヴィシア。
父も道産子、亡き母は東京出身でした。
東京より西には一人も親戚がいないまま、ずーっと札幌で暮らしていた私。
大阪弁や関西弁というと、テレビのお笑い番組やドラマなどで聞くくらい。
「ほな、さいならー」「ちゃいまんねん!」といった、大阪弁なのか関西弁なのかも区別がつかず申し訳ありませんが、そんなポピュラーな?大阪弁を聞くくらいでしたけれど、まぁ、意味はノリでわかっていました。
やがて時は流れ、歌謡曲の世界にも大阪弁を生かした歌がヒットするようになりました。
上田正樹さんの「悲しい色やね」なんて、あの大阪弁が味わい深いですよね。
しかし、私に大阪弁の奥深さというか、厚い壁を感じさせたのが、
BOROさんの大ヒット「大阪で生まれた女」。(歌詞はこちら)
この歌のサビ、最もグッとくる部分の歌詞、
「大阪で生まれた女やさかい 大阪の町よう捨てん
大阪で生まれた女やさかい 東京へはようついて行かん」
ここですね。
道産子の私、この「よう」の意味が、どうにも理解できなかったんです・・・。
「よう」を取ってみると、
「大阪の町 捨てん / 東京へは ついて行かん」となるので、
「私は大阪で生まれた女だから、大阪の町を捨てて東京には行かないわ」という意味なんだろうなーとは思ったのですが、どうにもわからなかったのが
「よう」。
知り合いに大阪弁を話す人もいなかったので、考えたあげく私は、
「これは、「掛け声」に違いない・・・。」
という結論に達しました。
民謡でよく節回しの合間に、隣の人が「ヨウー、ヨウー!」って、合いの手というか掛け声を入れますよね。
北海道の代表的な民謡の一つ「ソーラン節」でも、
「ヤーレンソーラン・・・、ハイ、ハイ!」と掛け声が入ります。
なので道産子の私、これもその「ハイ、ハイ!」みたいなもんだろう、と。
メロディーに対して歌詞の言葉数が足りないから、「よう」と掛け声を入れているのであろう、と。
ふむ、土臭い、演歌とも言っていいほどのブルースだから、やはり民謡のようなアレンジになるのであろうな・・・。
やがて月日は矢のように流れ。
島根県出身のぱぴりおと結婚した私は、大阪在住の彼の親戚とも会う機会が何度かあり、テレビの芸人さんのではない「生の大阪弁」の洗礼を受けました。
その中で、初めてあの「よう」の意味を知ったのです。
「よう捨てん」=「捨てることはできません」
「ようついて行かん」=「ついて行くことはできません」
「そんなこと、ようせんわー」=「そんなこと、できませんよー」
つまり、
「よう」= "can't" だったのです。なんかいきなり英語出しちゃいましたが。
しかも、
「よう・・・む(ん)」
こ、これは・・・もしや、昔古文で習った係り結びではっ!
民謡の掛け声じゃなかったんだ・・・。
大阪弁の奥深さを痛感した日でした。
今夜、その時のことをふと思い出して、ぱぴりおに話をしたら、メガネまで外して笑ってました。
西側諸国の方には想像もつかないボケっぷりだったようですね・・・。
上で引用した歌詞のHPのトップページはこちらです。
(「青春音楽館」のHP)
おお!そういえばこんな懐かしの!って曲の歌詞がたくさん載っていますよ。
カラオケ行きたくなっちゃうかも~。
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追記(2007-3-3)
さっき思い出しました。
私が札幌で大学・大学院と通っていた頃、ゆうに5年余り講座で一緒に過ごした同期の人で、大阪出身の人がいました。
でも、イントネーションは確かに「大阪っぽい」ところもあったけど、
「そんなこと、ようせんわー!」なんて言われたことは、一度もなかったですね。
ほとんど東京語に順応していました。
けれど彼、自動販売機の前を通るときは必ず素早く、小銭が落ちていないかチェックしていて、私が「おお~」と驚いていると
「(落ちてる小銭チェック)そんなん、当たり前だって」とこともなげに言われ
「大阪人の常識はこうなのか!?」と激しくカルチャーショックを受けたのを覚えています。
実際、目の前で100円玉とか何回もゲットしてました。
大阪人、すごすぎる・・・。ある意味尊敬しました。