
事件発覚は2000年3月なので私もその事件はその額の大きさに衝撃を受けた覚えがある。しかし北海道は同年同月に有珠山の爆発があったので、その後の報道は事件周辺部に比べるとぐっと少なくなりいつの間にか忘れてしまっていたようだ。
5000万円を中学生が恐喝されたからとしても支払えたなんて、もの凄い金持ちの家か?と思った記憶がある。ネットでは事件の概要しか分からないが、たまたま図書館で『ぼくは「奴隷」じゃない 中学生【5000万円恐喝事件】の闇』『両親悔恨の手記 息子が、なぜ』という本が同じ棚にあり、それぞれ中日新聞社と、加害少年の両親が書かれたものだった。同じ事件を立場の違いでどのように書かれているのかと思い一緒に借りてみることにした。
事件は中学3年生の被害者少年が同級生の加害者少年達に暴行され入院したことから発覚する。同時期に入院していた患者がそのひどい怪我の様子から暴行でできたものだと直感する。この患者自身若い頃いじめる立場にいて暴力団組長の息子だという。また他の入院患者の市会議員と大工の二人と共に少年に問いただすと恐喝で5000万円もの巨額な金額を支払ったと聞き、被害者と一緒に主犯格から共犯の少年に金を返すようの家に乗り込む。しかし何もしらない加害者側の家族は逆に脅されていると感じ警察に相談する事に。その後被害者少年が被害届を正式に警察に出した事で公に報道されることになった。調べてみると次々に明るみに出る事実。発覚前年の7月からちょっとしたいざこざから脅されお金を取られ、身の危険を感じた少年は父の死亡保険金であったお金を下ろし、払い続ける事になる。少年の母親はなぜ気づかなかったのか?被害届を出さなかったのか?という疑問もあったが、最初の恐喝からすぐに学校にも警察にも相談に行ったが、どちらも問題にしてくれず、逆に密告したとまた暴行されたという。母親も息子に金をくれと暴力を振るわれるようになり、保険金が無くなると親類から借りてまでお金を払い続けた。恐喝は最終的に130回、被害総額5000万円にものぼった。
加害少年達は脅した金でパチンコ、タクシー、オートバイ、ブランド品、風俗店、旅行、アクセサリーなどなど豪遊を繰り返し手元にはほとんど残っていなかった。また主犯格の少年は1年生の時上級生にいじめられていた。その上級生に羽振りのよい事を見つかり二重三重の恐喝もあったことが発覚し、最終的に中等少年院9人、試験観察3人、保護観察3人の処分、指名手配2人という驚くべき犯罪だった。
この少年達はタクシーを頻繁に使っていて、運転手からは子供たちが上得意のお客だったし、パチンコにも頻繁に行き、大阪・東京まで風俗店に行った。体つきは大きかったかもしれないが、学校、地域の大人がこの異常な行動に気づかなかったのか?気づいてもお金を貰えれば良しとしたのか。それ以上に加害少年達の親の鈍感さには呆れ返る。いくら事件発覚後のマスコミ報道のひどさ、悪質な嫌がらせがあったとしても彼らのやった事が免責になるものではないし、この恐喝事件前から数々の暴力・問題行動があり、親のこずかいの与え方、ゲーム機、携帯電話の買い方などを読むと間違っていると思われることも多々あった様に思う。なのに最初の頃に思った事が、なぜ被害者の親はそんなにお金を出したのだろう?という事だった。やはりどこかズレると思う他ない。
2冊の本は2000年、2001年の発行だからその後の事は書いていないが、主犯格の2少年は2年ほどの少年院生活の後、2006年にパチコン店1200万円強奪事件に関与することになる。