以前息子達が行ったという、定山渓の途中にあるサッポロピリカコタンに寄ってみました。
これは札幌市の施設で、正式名称札幌市アイヌ文化交流センター・サッポロピリカコタン(リは小文字、札幌の美しい村という意味)です。
国道から少し下った所にある小金湯温泉の隣りにありました。
立派な施設の周りにはアイヌが暮らしていたチセ(家屋)や、プ(倉)、便所、船などが再現されています。
しかしチセは火災である時期が来ないと人を入れられない(というようなことが表示されていました)ので、プくらいしか見るものがなく、そのプも中央に囲炉裏があり、入ったところに土産物を並べて客が入っても特に勧めるでもなく、そのまま出てきました。
フクロウのオブジェが迎える本館を入ると、アイヌ文化の復活をイメージしたという木彫りのモニュメント。・・・いかにも現代的な作品だけれど。この階にはレクチャールームなどがあり、下の階には図書やビデオがある情報コーナー、187席の可動客席がある交流ホール。内部もやっぱり立派です。
展示室は有料200円となり、ここに入るとまたまた遅くなりそうなのでスルー。パンフを見ると「バーコードで展示品のデータを表示」「ガイダンス映像コーナー」「昔話デジタル紙芝居」などなど、随分凝ってそうだ。
こんなに立派じゃないけれど、かでる2・7にあるアイヌ総合センターでも無料で小さいが、展示物も分かりやすく事務員さんに、ある言葉を質問すると、発音まで説明してくれるなど気持ちの良い対応をしてくれた。
阿寒のアイヌコタンに行った方がもっとアイヌ文化に触れられるような気がする。土産物ばかりとはいえまだまだその雰囲気は残されていると思う。
ダムが建設された二風谷地区はアイヌの聖地とされてきて、アイヌ関係者である萱野氏と貝沢氏は訴訟までしてダム反対を訴えが結局強制収容されてしまった。
子どもが持っていた「アイヌ民俗を理解するためには」という冊子にはアイヌ文化、差別をされてきた歴史などが載っていたが、年表には萱野氏が参議院議員に当選とはあったが、二風谷ダムという言葉は一つも出て来なかった。
これこそが差別なんじゃないんでしょうか。
そもそもなぜここにこういう施設を? という疑問も残ります。
地名でも分かるように発寒もアイヌが住んでいたそうですが、この小金湯はアイヌにとって重要な場所だったんでしょうか?
帰って息子に「ピリカコタン、つまらなかった」と言うと、「でしょ! 面白くないっしょ!!」と返ってきました。
この息子がまだ赤ちゃんだった頃に行った阿寒のアイヌコタンでは、チセの中で女性がムックリを鳴らしていました。
! サッポロピリカコタンでなんだか物足りない? と思ったのはその音がなかったせいか! 建物に入っても音楽どころか、全く音がなかった。
あの『ビョ~~~ン』という音がないと、やっぱりアイヌの村に来たという実感が沸かないよなあ。
これは阿寒の土産物が立ち並ぶアイヌコタンの門の上に取付けられたフクロウ。羽を広げるとかなり大きな彫刻です。
はじめまして、ありがとうございます。
ピリカコタンはそんな施設だったんですね(--;
よくもまああんなつまらない施設を作れたもんだと思ったらこういうカラクリがあるんですね。
ご紹介のサイトを見てみましたが、アイヌ関係の予算というのは気にはなっておりましたが、これほどまで根が深い問題とは。
ざっと目を通しましたが、あまり深く考える前に純粋にアイヌ問題を考えてみたいと思いました。
新聞でも取り上げられますが、今、残されたアイヌが何を要求しているのか、イマイチよく分からないというのが率直な思いです。
鮭などを自由に(販売目的ではなく)採取してよいとか、そういう事を許可して昔ながらの文化を守れればよいのかな? と。
現在も生活保護のような特別な保護が必要なのかというのは疑問ですね。
http://koushinminzoku.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-de5e.html
アイヌに対して日本人は和人と習いました。
北海道ブーム! そんな時期があったんですねえ。ユースが流行った時期ですか。
木彫りのアイヌの人形は昔はあちこちにあった気がします。
そういえば最近はみませんね。網走の駅や、美幌峠にもありましたよ。
私の子どもの頃の写真にもよくその前で撮ったものがあります。
なにせ木彫りだから、もう古くなってしまったのかもしれませんね。
アイヌの商店街(笑)ま、いわゆるアイヌコタンでしょうね、それは(^^
関西でもアイヌ文化を紹介するものがあるとは全く知らなかったです。
ほとんどアイヌの事に触れることは本州ではないだろうと思っていたので、少しびっくりです。
今日本人と呼ばれている人の祖先が アイヌを征服した~のすよね。
独身時代 北海道旅のとき アイヌの集落を訪れました。
あの頃 北海道ブームだったので 学生の頃みんな ジーパンはいて
ゆっくりのんびりユースホステル泊の旅が流行ったのですが
私はクラブで忙しく OL時代にようやく行くことができました。
あの時は どこの集落だったのかな?
写真には たった一枚 木彫りのアイヌのオジサンの前のだけ~
数年前には 阿寒のアイヌ商店街みたいな所に行きました。
木彫りグッズ いいですね
関西でも たまにアイヌ文化のイベントなどがあり
興味深く覗いています。